2014年7月26日土曜日

「ダイバージェント(Divergent) 」 ニール・バーガー 2014 ★★

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スタッフ
監督 ニール・バーガー
原作 ベロニカ・ロス
脚本 エバン・ドハーティ,ベロニカ・ロス
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ベアトリス・“トリス”・プライアー:シャイリーン・ウッドリートリス
トビアス・“フォー”・イートン:テオ・ジェームズ
ナタリー・プライアー:アシュレイ・ジャッド(
エリック:ジェイ・コートニー
マーカス・イートン:レイ・スティーブンソン
クリスティーナ:ゾーイ・クラヴィッツ
ジェニーン・マシューズ:ケイト・ウィンスレット
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作品データ
原題  Divergent
製作年 2014年
製作国 アメリカ
配給   KADOKAWA
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現代社会の代名詞でもある「自由」。自らの職業を選ぶのも自由。自らの恋愛対象を選ぶのも自由。自らの生き方を選ぶのもまた自由。

この自由が、少し前の時代であれば、今と同じように自由であったとは限らず、家の事情や社会の制度のお陰で、自ら選択肢決定しなくても、たとえば家族が、たとえば地域社会が、自ら進むべき道、寄り添う相手などを決定してくれていたのもまた事実。

「自由」が与えられた結果、想定していた結果と違った望まない結果になったとしても、そこで叫ばれるのは「自己責任」。自分で選んだのだから、その結果は自ら受け入れるべきであると。

誰もが選択する際に、その先のことを十分に想定できるだけの知識や能力があるかと言われればそうとは限らず、それがある種の不公平になることもある。また家族の助けや、様々な経験知と知識をもったアドバイザーの導きによってある決定をしていく人もいるであろう。

そんな風に「自由」の幅が広がり、そのもたらす結果が決して公平ではないということも一回りして理解することができるようになった現代の我々。そうなれば、むしろ自分の特性をよく理解し、そして社会で生きていくということをよく分かった大人が、自分にあった生き方、職業を選んでくれれば、自分は苦しまなくていいし、将来に分かってずっと生きていくこと、生活していくことを心配し、悩まなくていいじゃないか。そんな風に考える若者が出現するのもある種の必然か。

そんな現代的な思いを描いたアメリカの小説を実写化したのが、この映画。ダイバージェント(Divergent) という、英語でいうなら「(一点から)分かれ出る,分岐する」という意味の言葉で表されるのは、未来のシカゴを舞台に描かれる社会において、子供たちはみな16歳になった際にその適正をテストで調べられ、その結果によって「無欲、勇敢、高潔、博学、勇敢」を司る5つのグループに分けられ、その後はそのグループ内にて生活をおくるとされているが、そのどのグループにも属さない性質を持つものとして「ダイバージェント(異端者)」が突然変異的に出現し、社会を混乱に陥れる・・・という感じか。

建築家としてSF映画を見る楽しみは、普段自分一人で、もしくは建築という同じ業界の人間と話をして都市について思考し、その未来がどうなるか、またどうなるべきかを論じ、想像を膨らませているものに対して、映画という空想の世界において、様々な物理的制限を取っ払いながらもそれでもあるリアリティを持つために、現在の世界から未来に伸びる様々な分野の未来像、建築だけでなく、都市設計者、経済学者、政治家、インフラ、金融、エネルギー、ディベロッパーなど、我々が普段関わることのできない、都市の変容に大きな影響を与える数々の分野の人々、そしてその最前線にいる頭脳をかき集めてともに説得力のある未来像を描き出せるということ。そしてその未来像がある種の都市像として刺激を得るに値するものかどうか見ることができるということ。

そして建築や都市といったある種の形態を持つものだけではなく、交通システムや社会の中での住み分け、都市空間のあり方など、社会に密接した制度やシステムがどう構築されているか、またそれをどう設定されているのか、それらが現在からどれだけ偏差し、どれだけ留まっているのか。そんなことを見るのが毎年新たに生まれてくるSF作品を見る楽しみであり、ハリウッドという巨大な投資を行う産業の中でどれだけこれらの点に注意して作品が作り出されているかを判断するのかもまた面白いものであり、同時に時にはひどくがっかりするものである。

そういう視点でこの作品というのは、既存のシカゴという都市を元にしており、ループなどの交通システムが保持されていたりとかなり既視感を与える舞台設定で、なおかつ現在の社会システムとは大きく離れた別の文明がそこに存在していると言う点で期待が高めるには十分であるが、どうやらこれと言って新しい、斬新な都市像、都市空間のあり方は提示していないようである。

とにもかくにも、突拍子もない未来像を描くSFから、このように手の届きそうなしかしそれでいて確実に未来である世界を、現在の社会が描く問題を何かしら解決するなどリンクさせながら描いていく、新しい未来の形を描き出す、そんな作品が小説にせよ映画にせよ、今後はどんどん増えていくのだろうと思わせる一作である。














2014年7月2日水曜日

「河童のクゥと夏休み」 原恵一 2007 ★★★

妻が友人の中国人と食事に出かけた時に、その友人の友人が日本のアニメなら「河童のやつが好き」と言われたらしく、家に返ってきてから「河童の出てくるアニメって何?」と聞いてくるので、「恐らくこれじゃないか」と紹介することに。

脚本も手がけたという原恵一監督。出身は群馬県。そして原作者の木暮正夫の出身もまた群馬県。同じ原風景を共有していたであろうこの二人。原作者の同名の児童文学を元に、映像化したのが今回の作品。

明らかに都会ではないと思われる通学路や近所の風景は、群馬出身という二人の脳裏にあった「あの頃の風景」が一致したものであろうと想像する。決してテレビや小説で見るようなドラマは起きないが、それでも毎日が楽しい事だらけだった子供時代。

淡い初恋を感じ始める小学校上級生時代。好きな子ができても、それをどう表現してもいいか分からず、またそんな感情を周囲に知られるのがやたらと恥ずかしく、逆に嫌がらせという表現をとってしまう。それでも気になってしまい、ついついちょっかいを出し続けてしまう。そんな子供時代の淡い気持ち。なんてことはないシーンであるが、「あった、あった」とつい共感してしまうものの積み重ねが、見る側にとって「この作り手はそういう小さな感情をしっかり積み重ねて、そして忘れることなく生きているんだな」という基礎作りを手伝うことになる。

夫婦と子供二人。昭和の時代の様なありふれた幸せな家族の風景。仕事をして家族を支える父親。そして優しくも、それでもまだ女を捨ててない可愛らしいお母さん。この登場人物設定がまた絶妙だと思わせる。見終わるとついついエスカルゴが食べたくなるのもまた描写が巧いからであろう。

話自体は決して大げさなドラマがあるわけでも、とっぴょうしもない展開がある訳でもなく、児童文学として極めて広くしられた物語である。それをアニメというメディアを駆使することで、家族の繋がりや平凡な幸せのありがたさを稀有な異邦人として河童の登場によって再認識する家族の姿。そして河童の出現により、ありふれた夏が一生忘れることのできない冒険に満ちた夏になること。

9月に入ったら当たり前の様に皆が教室に戻ってきているが、会わなかった期間である夏休みが、ただの学校のない自由な日々で終わる子供もいれば、河童に会わないまでも人生を大きく左右するような飛び切りの経験、何倍も成長させてくれるような大冒険となる子供もいるという、夏休みの大切さをしることができる。

これは子供だけでなく、自分達にとっても、一つの夏の休みがその後の人生を大きく変えるような貴重な体験に満ちた冒険にすることは可能であると教えてくれる。そんな時間の過ごし方にするためには、同じ場所にこもっているのではなく、少しでも新しいものに出会うことを求めて外に足を踏み出すことが大切だと教えてくれる一作である。
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スタッフ
監督・脚本 原恵一
原作 木暮正夫
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キャスト
冨澤風斗
横川貴大
植松夏希
田中直樹
西田尚美
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作品データ
製作年 2007年
製作国 日本
配給 松竹
上映時間 138分
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