2011年12月29日木曜日

遊行寺 時宗総本山 ★★★















年内最後に訪れる場所を選ぶのに、丸二日かけて考える。

山に登って爽快な気分になるのも捨てがたいし、
現代建築を見て来年への気合を入れるのも良し。

今年最後の嬉しい悩みを一頻り楽しんだ後に、やはり今年は歴史と宗教だということで、残しておいた鎌倉仏教六宗で唯一総本山に足を運んでなかった時宗総本山の遊行寺を訪れることにして、「今年一年、良い一年だったと思うなら、黙ってついて来てくれ」と妻を説得して人もまばらになった都内を電車で脱出。

行く道すがら妻に鎌倉仏教六宗を再度説明。

法然の浄土宗が知恩院や増上寺で、
その中から出てきた親鸞の浄土真宗が東・西の本願寺。
浄土宗で学んだ一遍が始める時宗の総本山が清浄光寺(通称遊行寺(ゆぎょうじ))。
やや遅れて登場し、激しい弾圧に合う日蓮を祖とする法華宗は久遠寺。
坐禅を基に悟りに至る栄西の臨済宗は建長寺や円覚寺。
同じく坐禅を基にするがより厳しい道元の曹洞宗の永平寺。

そんなことを話しているうちに藤沢駅到着し、思ったよりも栄えている駅前を抜けながら街並みを観察。路上観察学にひっかかりそうな、不思議な扉や、日干しされるぬいぐるみを片目に1号線目指してトコトコ。

鎌倉仏教六宗の他の宗派に比べると衰退した感は否めないが、さすがに好きな場所を好きに選べた時代に建てられただけあって、夕日をまっすぐに浴びて光る石の参道が、ゆったりとスロープ上に上昇していき、最後に大きなイチョウに迎えられてほどよい具合に軸を振って本堂に向かい合う。決して贅沢なつくりではないが、とても心地よい配置計画になっている。

近所の人が犬の散歩がてらお参りをしている姿が目に付いて、日常に溶け込んで、地元に愛されている寺の姿が印象的。

大変な一年になった2011の最後に、一年を振り返り、心を落ちつかせるよい訪問になったと思い2012を迎えることにする。




































































































































































































2011年12月26日月曜日

スマホ手袋 石川メリヤス

アイフォン片手にNike+で距離と時間を測定しながらランニングしている人にとって、冬の寒空の下で走るには手袋は欠かせない。

しかし都内で走る限り、どうしてもところどころで信号につかまることになり、その度に手袋から左手の親指をちょこっとだして、停止ボタンを押す羽目になる。

そんな悩みを解決してくれる画期的な手袋を友人からいただいた。


つまり指先の部分が特殊な繊維でできていて、手袋をしたまま、スマホのタッチスクリーンの操作が可能という優れもの。

これ、友人の会社が作っているから「いいね!」をする訳ではまったくない。値段の根拠のわからないこじゃれたブランド品の道具は一つも欲しくないが、これは欲しい。そして実際使ってても、その効用に納得。

こういう商品を見ると、デザインの価値を考えさせられる。機能と形態。永遠のテーマに頭を悩ませることとなる。

2011年12月25日日曜日

「オルドス博物館 MAD 2011」 カーサ・ブルータス掲載


















この度、協同主宰するMADの作品「オルドス博物館」がカーサ・ブルータス12月号に掲載されました。

中国・内モンゴル自治区のオルドス市の新市街の中心広場に面して立つ美術館です。砂漠と草原に代表される内モンゴルの雄大な地形に対応するように、大らかな建築になったのではと思っております。

遠い場所ですが、いつか機会があれば、ぜひ足を運んでいただければ幸いです。


「ラブ・アクチュアリー」 リチャード・カーティス ★★★★★



クリスマスに何か一本映画を見るとしたらやっぱりこの一本になるだろうという「ラブ・アクチュアリー」。

妻のお気に入りでもあるので、二人で家でゆっくりしながら、のんびり見ることにする。

イギリスに住んでいたことのある人には特に思い入れの強い映画であるのは間違いないが、日本では遠い存在である「空港」だが、ロンドンに住んでいる人にとってヒースロー空港というのはより身近な存在で、訪ねてきてくれる友人を迎えに行ったり、国を去る親友を送っていったりと、長く地下鉄を乗って辿りつつくのも良し、ヒースロー・エクスプレスであっという間にパディントンに着くのも良しで、到着口で友人や恋人が笑顔で待ち迎えてくれるあの瞬間の喜びはいつまでも忘れることはない。

この映画を見るたびに、恵まれるのならやっぱり男の子がいいかなと思わされ、この時のキーラ・ナイトレイが一番綺麗だったなと納得し、品と格式そして文化の薫りにあふれるロンドンの街の魅力はどの都市でもかなわないと改めて思わされる、それほど絵になる都市の風景に、青春の一時期をここで過ごすことができて本当に良かったなと思わずにいられない。

来年も恐らく同じようにこの映画を見ることになるのだろうと思いながら、今度はどこで見ているのかと想いを馳せる。

2011年12月23日金曜日

天皇誕生日


















年内最後の祝日・天皇誕生日。

冬至で太陽の力が一番弱まって、再度エネルギーが上昇する一日目というのも奇遇だが、こんな日に仕事をするのは持っての外で、友人や家族と一年を振り返り、残り少ない年の瀬に想いを馳せ、そして少しだけでも参賀の気分に浸ること。そんな過ごし方が正しい気がする。

というわけで、日課のランニングがてらというわけではないが、大量の参賀客に紛れ込んで、桜田門より皇居へ入り、時期が時期なだけに恐らく通常よりも厳重だと思われるボディチェックを潜り抜け、年に二回、正月2日とこの天皇誕生日だけ皇居内に入ることができる一般参賀に参加する。

正門の二重橋からぐるりとまわって宮殿正面にて、天皇・皇后両陛下、皇太子殿下と雅子様、そして秋篠宮殿下と紀子様、眞子様の皇室メンバーに旗を振り、天皇陛下の挨拶を聞く。「心の重い年だった」という言葉に、2011の一年を思い返す。

坂下門に流れる人ごみをすり抜けて、寒空の下、完全に冷え切った身体に鞭を入れ、残りの5キロのランニングを再開する年の瀬。























































































































2011年12月22日木曜日

冬至 ゆず風呂


















年内最後の節気である冬至。

中国ではこの日に餃子を食べる風習があるのだが、日本ではやはりゆず湯だろう。

年末に向けて「帝都物語」など読んでいるもので、荒俣宏風に言えば、何といっても東京にとっての冬至は、明治天皇が眠られる明治神宮の参道である表参道が、冬至の日の出の位置に当たることだろう。それは、一番太陽の力が弱まり、再度力が増大するという冬至に、亡くなられた後の復活を暗喩するという解釈。

そんなことを想いながら、妻に頼んで買っていてもらったゆずを風呂に浮かべて身体をほぐす。

たった一つのゆずが浮かぶ浴槽を見ながら、普段と微妙な違いしかないのに、ぞれでも豊かになる気分とは何だろうと考える。

それはおそらく、日本人が過ごしてきた果てしない時間の中で出来上がった風習に乗っかることで、何かに替えれない日本人としての時間の過ごし方、その豊かさに触れることができるからだと思う。きっと明日、ゆず湯に浸かっても同じようには思わないだろうし、太陽と大地という近代の遥か以前に生きた日本人と繋がることができる、その一日に豊かさの源泉があるのだろう。

なんて思っていると、世界のどこに住んで、どんな食事をして、どんなライフスタイルを持っていても、日本で生きた風習を持って時間を過ごすこと、その意識を持って生きることができる限り、きっと自分は日本人なんだと思わずにいられない。

2011年12月19日月曜日

浅蔵五十吉美術館 池原義郎 1993 ★★★★★


2010年の最後に見に行った建築も池原義郎建築だったが、2011年の師走もやっぱり池原建築を見に行く。

2011年に見た建築の中で間違いなくベストの一つ。

この規模の建築だからこそできる精緻さとこだわりに包まれる緊張感と落ち着きのある空間。建築が塊ではなく、要素の組み合わせでできていることを教えてくれて、その要素の接合点をどう処理するかが、ゾッとするような緊張感とそして建築家の視線と手の痕跡を残す、それをモノとして見せてくれる。

建物自体としては、決してメジャーな美術館では無い。九谷焼の陶芸家で、文化勲章の受賞者でもある浅蔵五十吉氏の作品を展示する為の美術館。浅蔵氏と同じく日本芸術院会員でもある、池原氏に設計が依頼された。

初めに言っておくが、建築はもちろん素晴らしいが、展示されている九谷焼の作品も素晴らしい。勉強不足で久谷焼きをじっくり見ることがあまりなかったのだが、同行二人とともに「ほぉー」とその色の美しさに目を奪われ、すっかり時間を忘れることになるだろう。

何が良いのかというと、その規模が適切。展示を見るにも、建築を見るにも、空間を体験するにも、細部を観察するにも、まさに適切という大きさと内容と密度。同じ規模の他のペラペラした建物を作っている建築家の作品に比べて、図面上に引かれた考えられた線の多さを想像する。そしてゾッとする。

ちなみに各ディテールについてはこちらのサイトを参照されるべし

見上げて視界に入ってくる飛び出した重いはずのコンクリートの壁面とのファースト・コンタクト。細長い敷地をさらに引き延ばすべく挿入されるアプローチの壁面だが、それを折り返すことでコンクリートの量塊姓をかもしだす。そしてそれを可能にするディテールの裏付け。

杉板型枠による表情のあるコンクリートの壁をくぐり、あたかも聖なる場としてのアプローチ空間には、深度0と呼んでよい静寂を感じさせる水盤が待ち受ける。その上には今度は内部を隠し込むかのように張りだすコンクリートの壁が水盤の上に浮かび、水との際を様々な素材で縁取る足元のディテールを視線で追っていくと、いつの間にか室内から3角錐として飛び出し、他の要素との縁を切られたキャノピーへと視線は持ち上げられる。これぞ秀逸。

キャンティレバーの使い方。それは緊張感を空間に持ち込む為。あるべき大地との接地を剥ぎ取られ、虚空に漂うその所在なさは、不安定ではなく、0度の緊張と呼ぶべきか。特にコンクリートの壁の扱い、キャンティの在り方、折り返し方などは酒田市美術館(1997)にも繰り返し使用されることとなる。

とにかく目を向ける先には、その場でしか成り立たない、決してコピー・ペーストではないディテールが待ち受け、その一つ一つがなんともカッコいいプロポーションを保っている。その一部だけでも完結することができそうなものばかりに囲まれた隅々まで気を配られていることがよく伝わる。

内部に入ると、少しサンクンしたホールから先ほどの水盤が見返され、その上に張りだしたコンクリートのキャンティ―部分は西日を遮るとともに、風景を切りとる役目を担わされていることを理解する。

見せる為のディテールではなく、空間の質を高める為に魅せる為のディテール。日本を離れる前に酒田市美術館まで足を運ばないとと心に決める。

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中部建築賞受賞
建築業協会賞受賞
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