2014年1月31日金曜日

「北条政子」 永井路子 1990 ★★

婚期を過ぎても、誰も夜這いに来てくれないモテない政子。そんな時に届いた手紙に「遅れてきた恋」かとソワソワしていたら、何やら訪れてきた男は隣の下女の部屋に入ってしまったようで、嫉妬と悔しさに狂おしくなる政子。

「今度は何読んでるの?」と聞いてくる妻に、そんな話をすると、「なんだか面白そうじゃない。政子ってそんな風だったの?」と興味を示す。今ならアラサーやらアラフォーやらと呼ばれ、親に心配されつつも、きっと相性の合う人が出てくるはずだと信じて待つ乙女心。どんな時代になっても、女性の心は変わらないというところだろうか。

伊豆でそこそこの有力者の娘として過ごす政子。その彼女の一生を決定付けたのが流人・源頼朝との出会い。そして燃えるような恋。都の優雅さを漂わせる頼朝に上手いこと手のひらで転がされてしまう政子。そして徐々に夢中になっていく自分の心もコントロールできず、雨の中頼朝のもとへと駈けて行く。

平氏から源氏へと、世の中心が大きく動いた平安末期。そして訪れた坂東武者の鎌倉時代。征夷大将軍となった夫・頼朝を支え、2代3代と短命で終わった息子達の後に、自ら尼将軍として幕府を取り仕切った強き女の印象が強い政子だが、本書ではあくまで女性として恋をし、夫に振り回され、子供を失い悲しみにくれる母として、そして将軍となる子供達との確執と、世の表舞台に引き出された一人の女性の悲しみと苦しみに満ちた生涯として描きだす。

世を変える活躍をする男がいれば、その後ろでじっと世の変化を見続ける女がいる訳で、どこかの田舎でなんともない一生を送っていたかもしれない彼女もまた、自ら望んでその役割を演じていた訳でもないのだろうと改めて気がつかせてくれる女性の視点で描かれた一冊であろう。
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目次
/あしあと
/京みやげ
/父と子
/こがらしの館
/夜の峠
/からす天狗
/月下兵鼓
/白玉の・・・
/海光る
/炎
/泣きぼくろ
/芙蓉咲くとき
/白い扇
/朝のひぐらし
/甲はじめ
/灯火の祭
/野は嵐
/見わたせば
/黒い風の賦
/京の舞姫
/柳の庭
/妄執の館
/月歌
/花嫁の興
/小さきいのち
/幻の船
/修羅燃え
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「セイジ 陸の魚」伊勢谷友介 2011 ★

その出演者の名前と、なんとなく雰囲気のあるタイトル。そして俳優・伊勢谷友介の監督2作品目ということで、見始めた一作。

恐らく監督が主役である西島秀俊と森山未來に惚れ込んで、「この二人を美しく撮りたい」という思いから始まったのでは?と思ってしまうほど、この二人を中心とした意味の分からないシーンが続いていく。

内定ももらい、社会人として決まったレールを歩いていく時間に飛び込む前に、大学最後の休みを利用して自転車で一人旅をしている大学生の森山未來。どこか分からない山奥の道で車に轢かれ、その縁でなんとも雰囲気のあるドライブイン「475」でひと夏を過ごすことになる。

そこで出会う様々な人間模様。その中心にはなんとも寡黙で重い過去を引きずるセイジ役の西島秀俊。かつて見たアメリカの奇才の描いたなんとも怪しく魅惑的で、日常から少し足を踏み外すことの出来る「ドライブイン」の世界。

常連の誰もが一癖もある普通じゃない日常を過ごし、その思い気持ちを引きずりながらも、その憂さを晴らすためにか、集まりバカ騒ぎし帰っていく場所としての「ドライブイン」。夜の間だけ存在し、朝になるとふっと日常の向こう側に消えてしまうようなそんな場所。

そんな序盤の描き方はそれなりに楽しめ、なおかつ「これが現代日本か?」と思えるほどに自然豊かな風景の中で、登場人物達が非常に美しく描かれているのには納得する。しかし、原作をどう映像化するかという中で、何に焦点を当てて映画化していくかの中で、物語というよりも、どちらかといえば映像作品としての方向に舵をきって行かれ、それが観客を置いてけぼりにするような結末に陥っていったのだろうと勝手に想像を膨らませる。

「忘れていたあの男から企画書が届いたから」と始まる冒頭のシーンがまったく回収されることなく、ただただ魅惑的な雰囲気の中で、魅力的な俳優達の熱のこもった演技を重ねていく。物語に枠組みを与えられることなく、観る者の想像の中にそれぞれの世界を広げようとするのが新しいのかどうかは分からないが、なんとも消化不良な気持ちになるのは間違いない。
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スタッフ
監督 伊勢谷友介
原作 辻内智貴
脚本 龜石太夏匡・伊勢谷友介・石田基紀
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キャスト
西島秀俊
森山未來
裕木奈江
新井浩文
渋川清彦
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作品データ
製作年 2011年
製作国 日本
配給 ギャガ、キノフィルムズ
上映時間 108分
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展覧会 「アンディ・ウォーホル展:永遠の15分」 森美術館 2014 ★★★

久々の帰国時に、こういう素敵なイベントが重なるのは友人達に合う機会をもたらしてくれるのでなんとも嬉しいものである。

毎回送って頂いている招待券を見てみると丁度東京にいる間にオープニング・レセプションが行われると言うことで、妻ともども仲良くしてもらっているアート関係の友人に連絡を取って、レセプションで落ち合ってその後久々の夕食にでもと約束を取り付ける。

急な熊本行きが入った為に、押し出されるように日付を変えられた妻の希望のディズニーシーの為に、一日歩きっぱなしで棒の様になった足を引きずりながら到着する六本木ヒルズ。せっかくだからと買い込んだお土産のディズニーのビニール袋をやや恥ずかしげにクロークに預け、「良くぞこれほど集めたな・・・」という数のウォーホル作品を駆け足で眺めていく。

思い起こせば建築を始めて一年ちょっとで行った学校の課題のテーマが、「好きなアーティストの為の美術館を設計せよ」ということで、アートのことも建築のこともまったくわかっていなかった二十歳そこそこの時代に、たっぷり悩んで選んだのがこのアンディ・ウォーホルだったのを思い出す。

バスキアを選んだ親友と、若いなりにやれやこれやと本を読んで、建築を通して様々な世界を知ることが出来る喜びを感じ始めていた青春時代を思い出しながら、その設計した美術館での展示作品とした選んだ作品達の視界に捉えながら早足でレセプション会場へと向かうことにする。

毎年新年会にご招待してくださるアート業界の友人と、ギャラリストの友人も駆けつけてくれ、「近場で・・・」ということで、六本木ヒルズの中に新しく入ったというイタリアンで乾杯し、たまたま電話をくれた高校時代の友人も合流してくれて、やっと久々の帰国で、リラックスして東京での楽しい夕食を楽しむことができた。

「会期中にぜひもう一度、今度はゆっくりと」と招待券をくれる友人だが、「あいにく自分は明日から山陰への巡礼の旅に出てしまうので・・・」ということで、その高校の友人にチケットを渡していかにも東京らしく、せまった終電に乗り込む為に地下鉄の階段を駆け下りることにする。

2014年1月30日木曜日

「現代都市理論講義」 今村創平 オーム社 2013 ★

IFCモスクワで大きな都市計画のコンペを手がけている。オフィスで進行中の美術館やオペラハウス、高層マンションなどのプロジェクトと違って、何十年もかけて人々が生活し、仕事をし、人生の中の一ページを刻んでいく都市を作る計画である。

世界中に生まれてきた様々な都市。ローマや京都、ロンドン、NY、パリ、北京、シンガポール、東京などと様々な都市が歴史の中で生み出され、多くの建築家がまた都市の可能性を想像し多くのアイデアを描いてきた都市計画。

人々を惹きつけ、寄せ付け、低密度の田舎では享受し得ない高密度の都市の魅力。老いも若きも男も女も、誰もが自分の胸に夢や想いを秘めて都市へと足を運び、様々な出会いを繰り返し、嬉しいことも悲しいことも、故郷では見ることの無かった都市の風景の中で経験していく。

もちろん都市という巨大な生命体の様に、行政から経済、交通から環境まで様々な要因が複雑に絡み合って生み出され、そして使われる中で再度予測不可能に変化成長していくものであるだけに、FAR、密度、プログラム配置、都市交通、道路、都市軸、環境、熱、風、コミュニティなどなど、様々なことを想定して設計を進めていくことになる。

それらの全ては、どんな都市を理想とするかによってバランスが変わってくる。そこに都市の理論が生まれる。コンペの開始から提出までの4ヶ月。その間に歴史上に現われた様々な都市論を学び、その成功も失敗も学び、それを踏まえてネットの出現によって多くの前提が覆りつつある現代の都市にどのように新しい在り方を提示できるのか。一日一日、多くのことを学び取り、多くのことを試してみる時間が続く。

そんなタイミングで見つけたこの一冊。いい機会だからと手にとってみる。あまりに多くの議論が出され、試された60-70年代。世に存在する様々な職業の中でも恐らく最も真剣に都市がどうあるべきかを考えている建築家達が、一体に何を問題と考え、どういう手段を講じて、どのような都市の風景を求めてきたのか。それをざっくり復習するのには非常に適した一冊であろう。

特に日本の建築文脈においては、なかなか目にすることの無い「シチュアシオニスト」に1章を割いているのはロンドンのAAスクールにて建築を学んだ著者らしい視点であろう。

しかしどうしてもこれだけの内容を一冊で網羅しようとしたら、必然的に各項目に対する密度も薄くなり、都市理論の入門書、もしくはあとがきでも言うように、大学の低学年向けの講義の様な内容に留まるのはしょうがないことだろうと思わずにいられない。

講義であるからこそ、著者の都市に対する提案や理論は提示されず、徹底して20世紀後半に起きた都市に対する建築界での動きを紹介するのにとどめる。

コンペで自分達の信じる都市の在り方をデザインする数ヶ月の時間は、とてつもなく濃密に、そして真剣に都市の理論を理解し、自分達の考えを構築させてくれる。ARUPという世界トップのエンジニアとの議論の中で、自分達の計画の持つ弱さも理解しつつ、それでもどんな都市空間を求めるのかを明確にしてデザインを進めていく。

是非ともコンペが終わった暁には、このコンペで学んだことや集めた資料を整理しておけば、この本よりもより現代によった世界の都市計画の進行形を伝えられることが出来るのではと思わずにいられない。
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序 都市の時代と都市の思想

第1章 近代都市計画とその限界
1-1近代都市
/1-2「田園都市」
/1-3「田園都市」の広がり
/1-4ル・コルビュジエと「輝く都市」
/1-5CIAMとアテネ憲章
/1-6近代都市整備の試み
/ほか

第2章 メタボリズム
2-1「メタボリズム」グループの結成とその背景
/2-2 「メタボリズム」の父としての丹下健三
/2-3 「メタボリズム」の結成
/2-4 菊竹清訓
/2-5 黒川紀章
/2-6 槇文彦
/ほか

第3章 アーキグラム
3-1《アーキグラム》誌
/3-2「プラグイン・シティ」
/3-3「ウォーキング・シティ」と「インスタント・シティ」
/3-4「アーキグラム」の成り立ち
/3-5 ロンドンの文脈
/3-6 レイナー・バンハム/ほか

第4章 クリストファー・アレグザンダー
4-1論考「都市はツリーではない」
/4-2「初めに都市ありき」との共鳴
/4-3ウィトゲンシュタインに見る理論と実践の関係
/4-4他の分野への応用
/4-5『パタン・ランゲージ』
/ほか

第5章 アルド・ロッシ
5-1アルド・ロッシの出自と実作
/5-2ロッシのドローイング
/5-3『都市の建築』
/5-4「都市的創成物」と「類型」
/5-5素朴機能主義批判としての「都市的創成物」
/5-6「場」の持つ重要性
/ほか

第6章 シチュアシオニストとニュー・バビロン
6-1「シチュアシオニスト」の成立
/6-2ギー・ドゥボールと『スペクタクルの社会』
/6-3「シチュアシオニスト」が提示した概念
/6-4「断片」
/6-5コンスタントの「ニュー・バビロン」
/6-6ヨナ・フリードマンの「空中都市」
/ほか

第7章 ロバート・ヴェンチューリとデニス・スコット・ブラウン
7-1ヴェンチューリとスコット・ブラウンの出自
/7-2『ラスベガスから学ぶこと』
/7-3テーマパーク都市ラスベガス
/7-4ラスベガスでのリサーチ
/7-5「ダックと装飾された小屋」
/7-6フィールド・ワークと記述の方法
/7-7商業施設の発見
/ほか

第8章 マンフレッド・タフーリ
8-1マンフレッド・タフーリの出自
/8-2建築史に専念した建築史家
/8-3マンフレッド・タフーリの論考
/8-4アメリカにおける都市計画
/8-5ロシア革命後のソヴィエト
/ほか

第9章 コーリン・ロウ
9-1コーリン・ロウの出自/9-2「理想的ヴィラの数学」/9-3コーリン・ロウの師:ルドルフ・ウィットコウアー/9-4「透明性」/ほか

第10章 デリリアス・グローバル・シティ:レム・コールハースと現代都市
10-1レム・コールハースの出自とAAスクール
/10-2「OMA」の設立
/10-3『錯乱のニューヨーク』
/10-4『S,M, L,XL』とシンクタンク組織「AMO」
/10-5『プロジェクト・ジャパン』
/10-6プロジェクトと都市の関わり
/ほか
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「トリック新作スペシャル3」堤幸彦 2014 ★

シリーズの開始が今から14年前の2000年開始。そのシリーズがこの新春の映画とテレビでのスペシャルで完結する。そのテレビバージョン。

1999年に始まった「ケイゾク」などと共に、いわゆる深夜の面白いドラマとして大学時代に欠かさず見ていたのを思い出すが、それから14年。思い出として久々に見てみることにする。

その開始時には、いわゆるコント風のドラマをお金をかけて真剣に演じきる面白さと、意外性のある俳優が一風変わったキャラを演じて発する台詞など、微妙なギャップが新鮮だったのだろうが、今でも変わらず同じ演出が続けられているのに驚く。

欽ちゃん走りで消えていく飯島直子や、林先生の「今でしょ?」ばりの喋りをひたすら押してくる「あまちゃん」俳優・福士蒼汰。

そのミスマッチや、ギャップは14年前という時代において新鮮だったが、現代においてそれでもやられると、なんとも厳しい演出になってしまう。後追いの番組が多く誕生した後に、「普通じゃない衣装と話し方だけでは強烈なキャラの設定にはならない」と誰もが認識している中でこの登場人物では、表面的すぎの印象はいなめない。

少々前に見なおしたIWGPは今の時代になっても面白く見ることが出来るのは、やはりキャラがその背景までしっかりと作りこまれていたからだろうし、昨今のヒットドラマは全体を通してのテーマが深く、なおかつキャラ設定もしっかりしている。

プロットも誰でも展開が読める典型的なクローズド・サークル。それに14年前に奇抜だった演出をそのままのせて、どこで勝負するつもりなのかと思いながら結局最後まで見てしまう。

ドラマの世界での一つの時代の終わりを感じながら、画面を閉じる事にする。

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スタッフ
脚本 蒔田光治
演出 堤幸彦
主題歌 ティーナ・カリーナ 「いつかきっと」
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キャスト
山田奈緒子 仲間由紀恵
上田次郎 阿部寛
矢部謙三  生瀬勝久
山田里見 野際陽子
水神華絵 飯島直子
水神月子 藤田朋子
水神幸代 国生さゆり
水神明 福士蒼汰
藤崎千佳子 朝倉あき

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作品データ
製作年 2014年1月放送
製作 テレビ朝日
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2014年1月28日火曜日

文具調達

帰国の際にすることの定番となったのが、文具屋に行って普段欲しいと願う文具を好きなだけ調達する事。その為に新宿の世界堂と東急ハンズに行く日を必ず確保する事になる。

西新宿の狭い世界堂の店内を行き来し、自分の手にしっくりあうボールペンのペン先の細さを確認し、スケッチ用に黒、赤、青を数本ずつ手に入れる。中国産のシャープペンシルの芯は、どうも微妙に太さが違い繊細な日本の製図用シャープペンシルでは詰まってしまってダメにしてしまうらしく、帰国の際に繊細な日本のシャープペンシルの芯を購入していく。

次にフロアを変えて、同じくスケッチ用に決まった色の色鉛筆を物色し、手頃な大きさの鉛筆削りも合わせて購入。また1階に戻り今度は手頃な太さのマジックを探し出し、違った機能を描き分けられるだけの色を揃えていく。

そんなこんなをしていると、なんだか楽しくすぐに30分ほど過ごしてしまう。日常の中でこんな店に足を運べる東京の当たり前が羨ましいが、こうして偶にしか来れないというのもまた楽しいものだと再認識してレジへと向かう。

退去

今回の帰国の大きな目的は、長年に渡って拠点としてきた東京のオフィスを退去すること。今後の生活パターンを考え、また月々の使用頻度と家賃負担のバランスを考慮して、できるだけ身軽にしていく事に決めて、その為の諸々の手続きを済ませる予定。

書籍や家具などを運び出すのと同時に、公共料金や郵便の転送届け、契約してあるものを終了したりと何かと大変な現代の引越し。徐々にモノが無くなっていく事務所はここで過ごした様々な時間を思い起こすのに十分なセンチメンタルな空間である。

白紙還元だと友人に手伝ってもらいながら敷き詰めた杉板のフローリングに塗った白のペンキ。東京タワーを眺めながら色んな人と話をした屋上。多国籍な多様性が感じられる街の上に走る首都高速からの騒音を聞きながら眠った日々など。過ぎた時間をフラッシュバックするのに十分な時間をかけて大家さんへの挨拶を済ませる。

こうして徐々にこの街から、自分の痕跡が消えていくのかと思いながらも、それが都市の持つ自浄作用であって、どんな人間も結局は都市の中に飲み込まれ、そこに存在していたという痕跡すら流されていくのだろうと改めて都市の本質に思いを馳せる事になる。




展覧会 「磯崎新 都市ソラリス」 ICC 2014 ★★

ギャラリストの友人から招待券を頂いたので、折角だからとオペラシティへまで足を伸ばすことにする。メディア系ギャラリーとして認識はしていたが、こうして展覧会を見に来るのは意外と初めてになるICC。磯崎新設計のオペラシティと言う事もあり、いい機会だから建築と合わせて展覧会を楽しむ事とする。

そのキャリアの中で常に「都市」に向き合ってきた現代の建築業界における巨人・磯崎新。氏の時代ごとのプロジェクトの変遷を辿りながらその都市論を再考しながら、現在進行している世界での都市計画を展示しながら最新の都市論を考えるという趣旨のようである。

「ソラリス」と聞けば、タルコフスキーの映画を思い出してしまうが、使い古されながらもそれでもまだ近未来の面影をかすかに待とうその言葉を巧みに使いながら、数年前に日本を襲った津波を引用しながらも、〈しま〉から〈しまじま〉へ、そしてフーコーの〈ビオス〉などの引用を経て〈しまじま〉が今度は〈ギャラクシー〉へと成長していく過程にある現代において、一体どんな都市論が議論できるのだろうかと投げかける。

常に建築言論のトップを走ってきた氏ならではの、広範囲でかつ非常に深い総合地が無ければ疑問すら挟めないような雰囲気にさせてくれるその言説。留まる事のない大衆化が押し寄せる現代の建築界において、それでも建築家と自らを称するならば求められる教養のハードルの高さを改めて実感させられるその入り組んだ言葉達。

眩暈のするようなその展示方法と同様に、少々その言葉達にも酔いそうになりながら、何とかその重厚な手すりを握りながら階段を下りることにする。



2014年1月27日月曜日

止められない性悪説化

「アクリフーズ」で起きた毒物混入事件。

食品の毒物混入

待遇への不満を抱えた内部の契約社員による犯行で、「アクリフーズ」は社長が責任を取って辞任し、今後はより検査を強化しチェックを厳しくしていくという。

今は待遇が低いけど将来的な好転を期待しつつ、生涯かけて会社に尽くすような正社員を減らし、景気動向によって人員整理をしやすい契約社員によって業務を遂行していかなければいけない現代の企業。その中で避けられない正社員と契約社員との格差。そしてその待遇に不満を持つ社員が現われるのは必然のこと。

そういう鬱憤を持ちながら日常を過ごす人間は恐らく日本中何処の職場でも、どんな環境でもいるであろう。しかし、この様に自分の人生も、家族の日常も、会社の社会的立場も全て吹っ飛ばしてしまうような行為に及ばれてしまうとは。恐らく特殊解として犯人の人格に関わる部分と、一般解として現在の日本の労働環境があるのは間違いない。

しかし「特殊」であると思っている方が徐々に「一般」へと開いていき、「もういいや」と開き直って、考えられないことを行ってしまう人物が増えてこないとも限らない。

そう考えると、このご時勢に飲食店を経営していくなどということは、本当に怖いことだろうと想像する。ちょっとした注意ごとでも、プライドを傷つけられた若者が、「くそ」と思い、復習の為に今回の事件と同じようなことを企てたとしても、恐らくネットで簡単に農薬も手に入れることが出来るであろうし、それを実行する方法もネットで簡単に検索できるはずである。

そうなると、後はその人物の心の中で何かが一つ背中を押すだけである。それほど、実行への壁が低くなり、それぞれの個人の道徳性や人格というものにかかってきてしまう。そしてそれが一度実行されてしまえば、会社が潰れるどころか、賠償請求などで一生かかるような負債をおってしまうかもしれない。

それを防ぐ為には「アクリフーズ」がコメントしたように、より厳重なチェックを行っていかなければいけなくなる。つまりは誰もが会社の不利益になるような、反社会行為を行う可能性があるとして対応していかねばならない。

留まることのない性悪説への傾倒。

一緒の目的を持って同じ職場で働いている人間が、その根底ではこの会社の存在すら脅かすような行為をする可能性があると疑いながら時間を過ごしていかなければいけないという事実。なんともさもしい時代。なんともしがない現代。

そんなことを考えているとどうもこちらもさもしい気持ちになってくる。一度傾くと止まる事ができないのが人間社会。行き着く先は「ガタカ」で描かれた、遺伝子レベルで反社会行為を行うかどうか調べて社員を選ぶ世界になるのだろうかと思わずにいられない。

「舟を編む」石井裕也 2013 ★★★

恐らく人生で使いこなせる語彙の基礎というのは、そのほとんどが子供時代に決定されてしまうのだろうと想像する。大人になり多くの本を読もうとも、基本的に思考の地盤となる語彙はやはり子供時代にその言葉に接していたかどうかにかかってくる。

自分にも子供ができ、ある程度の年齢になった時に、重厚な一冊の辞書を買い与え、その中に詰まっているものの意味を教え、そしてある時期に集中し、あ行だけだけならあ行だけの語彙を追っかけるだけの時間を与えてあげたいと思わせてくれる一冊。

どんな言葉を発するかは、どれだけ知っている言葉があるかによる訳だから、その元となる土壌は広く、そして深いに越した事は無い。そうして人類の歴史の中で養われた言葉達を収穫していく喜び、そしてそういうことを可能にする大量の時間がある時期が如何に貴重なものかということを教え、その楽しさを共有してあげれば、きっと言葉の豊かな人生を送ってくれる事だろうと想像する。

そんなことを思わせてくれる一作。2012年本屋大賞で第1位に輝いた三浦しをんの同名小説の映画化作品。出版社の辞書編集部で「大渡海(だいとかい)」という膨大な辞書の変遷に携わる人々を描いた物語。

消費の波に浮かんでは消えていく悲しき読み物ではなく、それらの言葉の海のうえを漂っていく舟である辞書を、何十年と言う長いスパンをもって作り上げていく人々の、現代社会の中ではスローモーションに見えるような、一年や四半期で追い詰められない時間の捉え方。

ある意味非常に贅沢な時間でもあるし、それほど長い年月をかけて一つの事に取り組むことは、時間に追い立てられる現代の建築業界の真っ只中で日常を生きている身にとってはなんとも羨ましく思わずにいられない。

松田龍平の熱演も手伝って、これから書店で辞書を前にしたら、その後ろで流れが長い時間に思いを馳せる事になり、開いたページで出合う言葉に様々な空想を広げる事になるのだろうと思う。

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スタッフ
監督 石井裕也
プロデューサー 土井智生
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キャスト
松田龍平 馬締光也
宮崎あおい 林香具矢
オダギリジョー 西岡正志
黒木華 岸辺みどり
渡辺美佐子 タケ
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作品データ
製作年 2013年
製作国 日本
配給 松竹、アスミック・エース
上映時間133分
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「桐島、部活やめるってよ」吉田大八 2012 ★★★

移動に時間がかかることの良さは、身体を拘束されるから、できる事が限られる事。必然的に選択は睡眠か、読書か、Ipadでの映画鑑賞。そんな訳で、数日前から平行して見ていた映画をまとめて見切る。

直木賞作家となった早稲田出身の朝井リョウによる青春小説の映画化であるが、マイケル・ムーアの「エレファント」を思わせるような、多視点の描写で物語が進んでいく。繰り返し同じ時間が別の人間の視点から描かれ、徐々にその事象の本質が見えてくるような感じ。

勉強も運動もでき、イケメンでクラスの人気者である生徒がある日突然部活を辞めることで、それまで絶妙なバランスで保たれていた学校内のヒエラルキーや人間関係がガタガタと音を立てて動き出す。そんな誰もが登場人物の誰かに自分を投影できるような淡い日本の高校時代を描き出す非常に良い一作。

登場する俳優も、今をときめく若手俳優ばかり。そしてその誰もが人気先行ではなく、しっかりと演技に実がある。あまり主演ぽくなく描かれる主演の神木隆之介はじめ、「ごちそうさん」で無骨な父親を演じる東出昌大(ひがしでまさひろ)、「あまちゃん」で埼玉出身のリーダーを演じた松岡茉優(まつおかまゆ)はクラスでイケてる女子役。クラスで一番の美人で一番の当事者の彼女役には山本美月。こちらもあまり重要っぽくは描かれないが、ヒロイン役にはおなじく「あまちゃん」の橋本愛。

などなど、思えば高校時代は誰もがそれぞれの個性を持って、役割を持って学校生活が成り立っていたんだと実に良く思わせてくれる内容。大人ぶっていても誰もが皆まだ子供で、それだけに繊細で揺れ動く。

タイトルでもこの物語の中心に据えられるべき「桐島」は登場することなく、中心が空虚のまま物語が終結する。決して都会でもなく、そして田舎過ぎもしないなんとも素晴らしいその雰囲気。撮影は「高知中央高等学校」が行われたらしく、恐らく高知市はほどよいコミュニティを残す数少ない幸福な地方都市なのだろうと勝手に想像を膨らませる。

主題歌である高橋優「陽はまた昇る」もまた映像によくあって、雰囲気を守り立てるのに十分な役割と果たしている。

日本人であれば、ほとんどが共有できる青春の一ページ。誰もが主人公で、誰もが輝いていたあの時代。こういう物語も自分で描いてみたいと思う物語に近いのだろうと思いながら画面を閉じる事にする。

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スタッフ
監督 吉田大八
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キャスト
神木隆之介 前田涼也
橋本愛東 原かすみ
大後寿々花 沢島亜矢
前野朋哉 武文
岩井秀人
清水くるみ 宮部実果
藤井武美 詩織
山本美月 梨紗
松岡茉優 沙奈
落合モトキ 竜汰
浅香航 大友弘
太賀 風助
東出昌大 菊池宏樹
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作品データ
製作年 2012年
製作国 日本
配給 ショウゲート
上映時間103分
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「パシフィック・リム」ギレルモ・デル・トロ 2013 ★

昨年の失敗を踏まえて、今週から始まる中華新年の休みを数日早くとることにして、名古屋へと飛ぶ帰りの飛行機の中で見つけた一作。

2013年はSF話題作が目白押しだったがその中の一本。なんといって菊地凛子に芦田愛菜が出演したということで、日本でも随分プロモーションされていたようである。

「巨大ロボットに怪獣もの」をハリウッドがどうやって映像化するのだろうと興味は引かれていたので、やってみる事が出来たが・・・・

小さいころ夢中になったマジンガーZやガンダムのアニメが実写にされて暴れまくる。しかもその相手が恐ろしい姿をした「怪獣」と呼ばれる巨大生物。それをなんに捻りも無く、そのまんま実写にしてしまったアニメオタクのギレルモ・デル・トロ監督。

映画の中でも、なぜだか分からないが「カイジュウ」と日本語で呼ばれる巨大生物。第一号が日本で見つかったからだとか、何かしらの説明があってもいいものだろうと思うが、そういうディテールはすっ飛ばすらしい。

ボロボロになった人類は一致団結し、日本の古いアニメの様に、人型の巨大兵器「イェーガー」を開発し、そこに2人のパイロットが乗り込み、気持ちを合わせながらロボットを操作するのだが、その戦い方は殴る蹴るの極めて全時代的なもの。

しかも驚くのが、パイロットに抜擢された菊地凛子が、初めてロボットを操作する時に、自らの記憶の奥底に眠っている風景に惑わされて、リンクしているロボットを通じて仲間や最先端設備もすべて吹っ飛ばしてしまうような、とんでもなく不安定なものに依拠しないといけないという設定・・・

何の為に実写化したのだろう・・・と思わずにいられない、なんとも悲しき一作であろう。

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スタッフ
監督 ギレルモ・デル・トロ
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キャスト
チャーリー・ハナム ローリー・ベケット
イドリス・エルバス タッカー・ペントコスト
菊地凛子 森マコ
芦田愛菜 森マコ(幼少期)
チャーリー・デイ ニュートン・ガイズラー博士
ロブ・カジンスキー チャック・ハンセン
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作品データ
原題 Pacific Rim
製作年 2013年
製作国 アメリカ
配給 ワーナー・ブラザース映画
上映時間 131分
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神々の国に帯同する本

休みの度に、その旅行に持って行く本を選ぶのは苦痛と共に至極の喜びである。

しかし今回は東京で必要な事をこなしてしまったら、妻を東京に置いて、一人さっさと向かう先は山陰。まさに神々の国の首都。

そんな聖域性の高い場所に帯同する本となると、やはりそれなりの品格が求められる。「八百万(やおよろず)」の神々が集う出雲の地。その周辺の霊性漂う雰囲気。そんな空間に耐えうる本は何なのか?そんなことを思いながら自宅の本棚の前で腕組み。

最初に手が伸びるのは、もちろん流れ流れて松江にたどり着いたギリシャ生れのイギリス人である小泉八雲の書籍。ラフカディオ・ハーンとしても知られるその日本通の目に映ったかの地はどのような風景であったのか。

米子から、松江、出雲を巡り、石見、江津、益田、津和野に津山に戻り、倉吉を巡って米子に戻る計五日間の巡礼の旅。その道中で徐々に身体に溜まって行く聖域ポイントと同時に、どれだけこれらの本が読み進められるか楽しみにしながら、旅行かばんの中に重い本を詰め込んでいく事にする。

2014年1月26日日曜日

ブラック企業規制

政府によってブラック企業の規制への動きが叫ばれて久しい。

こういうニュースを見るとどうも違和感を感じ得ない。小泉内閣の規制緩和が非正規労働者の増加を招いた訳ではないのだろうが、少なくともグローバル社会を迎えた新自由主義経済を受け入れて、世界の経済の循環の中に飛び込むことを決めた日本政府。

その時から世界規模でアウトソーシングされる業務の波は、世界規模での仕事の奪い合い、それに伴うコストカット、さらに価格の下落をもたらすことになる。それを避けるには他者の追随を許さない付加価値を追求していかなければいけない企業と、同時に自ら企業に対して提供する労働にも他者との差別化をしていかなければいけない労働者。

それが出来ない企業も競争の中で下位に転落し、同じくそれができない労働者は世界水準で考えられる低い対価しか払われることの無い単純労働に甘んじることになる。それほど冷徹で厳しい世界こそがグローバル社会がもたらしたもの。

あなたよりも的確でなおかつ迅速に仕事をこなす人により安価で発注でき、業務の遂行になんら問題の無いネット環境が構築された現代においては、全ての労働者その現実を深刻に理解する必要があるのだろう。

アクセスのグローバル化が終了した現在。既に始まっているのは物理的なボーダーレス化。生産拠点を移動するのも、また労働者の流出入もまたより簡易になっていく。アジア、アフリカ、南米からより良い機会を求めてやってくる労働者。

日本の安穏とした環境の中で低賃金と思われる報酬でも、彼らにとってはどうしても手に入れたい仕事かもしれない。そういう彼らと戦っていかなければいけないし、どうにかして優位性を保っていかなければいけない。それがフラット化した世界の現実。

ブラック企業問題は、その現象の一断面に過ぎないだろうし、恐らくこれからもっとシビアに、もっと絶望的な現実がまっているかもしれない。もちろん不当な労働環境を強いる企業は淘汰すべきだと思うが、同時に安易に国民を慰安するようなことでは、事の本質は解決されていかないのだろうとも思わずにいられない。

2014年1月25日土曜日

庙会 地坛公园

庙会(miàohuì)とは中国の新年を祝う縁日である。

中華新年は中国の採用する旧暦、太陰暦でも最も重要な意味を持つものであり、その縁日ももちろん盛大に祝われる事になる。

各都市において、幾つかの拠点において出店が出たり、見世物小屋が出たりと賑やかに祝うのだが、ここ北京で最も有名なのが地坛公园における庙会。

何年か前に日本人の友人達と冷やかしに来たことがあったが、今回は中華新年前に帰国することもあり、妻を連れて雰囲気だけでも楽しみに足を運んでみた。

いつもどおりに電動スクーターに二人でまたがり、相変わらずの寒空の下、お洒落とはほぼ遠い完全防備の姿でオフィス近くの地坛公园へ。

本来は北門から入るのが正式なこの公園だが、やはり交通の便利さから南門にスクーターを止めると、入り口には既に庙会の飾りが。久々に訪れた青空に赤い提灯が良く生えてなんとも美しい。

15円ほどの入場料を払い中に入り、今日が初めての訪問となる妻に詳しく「地坛」について説明するが、それよりも「ゆったりした風景」好きな妻は、天坛公园よりも観光客もいなく、その広大さを味わえる雰囲気が気に入った様子で、パチパチ写真を撮っている。

メインとなる地坛に入ろうとするが、残念ながら庙会の飾りつけの為に入場禁止となっており、非常に残念だと「地坛」の構造について「奇数と偶数が・・・」と説明するが、「問題ない」とそれは別に気にしない様子の妻。

ぐるりと回って、北門近くに設置されている自由に使える健康器具に興味を示した妻は、隣でかなり本気で運動をするおじさんを横目にせっせと一つずつこなしていく。「はぁ、これで今日の運動こなせたわ」と満足そうに笑う妻一緒に新しい一年がそこまで来ていることを感じながら公園を後にする。







2014年1月24日金曜日

MAD Gold Party

年末と言う事でオフィスを開放してパーティーを開催する。

昔から青や緑など、色をテーマにしたパーティーをしてきたが、今年は縁起も良さげなということで今回のドレスコードは「GOLD」。数日前から妻は「何を金色で着けていこうか?」となにやら嬉しそうに悩んでいる様子。

かつては毎年やっていたが、最近は行う事が少なくなっていたので、久々に派手にやろうということで、建築関係に関わらず、関係会社やスタッフの家族なども誘い、プロのDJに音楽を流してもらって、業者に入ってもらって飾りつけなど、かなり本格的な準備が進んでいく。

金色のカーテンや風船がかけられて、普段は図面や本で散乱しているテーブルには綺麗に模型がレイアウトされ展覧会のような雰囲気に。徐々にパーティー会場へと変貌していく様子を眺めていると、これだけの規模の事を日本でやるためには、一体どれだけの会社規模にならないといけないのだろうと、想像せずにいられない。

夜の19時にパーティーは開始と言っても、そんな時間にやってくるのは、関係者か相当真面目な人。オフィスメンバーの家族などと話をしながら待っていると、22時近くなって徐々に人が集まってくる。

音楽も大きくなり、オフィスマネージャーをやってくれている女の子と旦那さんが率いているというサンババンドの生演奏で会場は一気に盛り上がり、作ったけども着る機会がないと嘆いていたチャイナドレスの袖を躍らせながらステップを踏んでいる。

GMPなど北京にある外国建築事務所に勤める友人なども大挙してやってきてくれて、皆それぞれに楽しんでいる様子。スタッフもインターンも普段の表情とは違って思いっきり若さを発揮して楽しんでいるようである。

大音量に耐えられず逃げるように自分のデスクに戻って来て、気の置けない友人とその中の一人の恋愛事情にあーだこーだと結論の出ない会話に華を咲かせ、すっかり酔っ払い、オフィスだというのに勝手にタバコを吸出すその友人を置いて、一向に終わる気配の見えない会場を逃げ出し家路につくことにする。












「斜陽」 太宰治 1947 ★★★


漱石にしても太宰にしても、描くことはその時代時代に目新しい事象ではなく、人間の持つ本質的な感情を描き出すから、何十年経っても決して古びることなく読めるのだと感心する。

まさに戦後と呼べる1947年に書かれた、没落にせよ貴族が残っていた時代の物語。

異なる時代の太宰自身が投影されたという4人の登場人物の設定ということだが、何と言っても冒頭から不思議な雰囲気を醸し出す母のなんとも上品なしぐさに、全てが大衆化に向かう現代には無いものを感じざるを得られない。

貴族という、ある種の下部構造に支えられる階層が社会の中にあることで、それぞれの役割分担が深層心理の中で共有されていた時代。生活の保障の上に成り立つ文化への深い造詣など、生きる事を心配しなくて良い身分ならではの日常だが、社会が変化し、その基盤も変化する変動期において、人々がどうリアクションし、市井の大衆であればあるほど、軽やかにその変化に対応していくのに対して、高貴な人々はそれぞれが新たなる道を見つけられずに没落していく。

まさに一日の終わりに訪れる斜陽の様に。

そして現代の日本に訪れているのも、社会の根本を変えないといけないほどの変化の波。それが外からも内からも沸き起こっているのに対し、大衆は敏感に変化へと向かいつつあるにも関わらず、現代の貴族達はやはり変化を拒み、今を継続しようと躍起になる日々。

そこに訪れるのは同じような斜陽なのか、それとも終わる事の無い夕闇なのかは誰にも分からない。

「新スケープ―都市の異風景」 中央アーキ 2007 ★

今夜は外部の人も招待してのオフィスでの年末パーティー。

200人近い数のゲストが来るだろうからと、仕事上大切なものが紛失したりと言う余計なトラブルを避けるためにも様々な準備をしなければいけない。皆朝からダンボールに個人の所有物をいれて、倉庫に運び込み、パソコンも電源を落として安全な場所に避難させる。

他のスタッフは飾りつけなどの準備に追われて忙しそうにしているが、こちらはそれに参加するわけにもいかないが、パソコンがないといくつかスケッチをしてみても何か手持ち無沙汰で、横をみてみると同じように手持ち無沙汰そうにソファで眠りに耽っているパートナーの姿。

こちらも椅子でウツラウツラしながらも、遅々として進まない時間を持て余し、せっかくだからと後ろの本棚に置きっぱなしになっていた本に手を伸ばす。そうしたら思いのほかあっという間に読みおえてしまい再度訪れる手持ち無沙汰。

なんで購入したのかすら覚えてないが、恐らく何かのタイミングで帰国した際にどこかで取り上げられており、パラパラとめくったら恐らく東京に長く住んでいないと見えてこない東京の姿を浮き彫りにしている内容なのだろうと勝手に判断して購入した一冊。

「中央アーキ」という名前も新しく出版された雑誌のタイトルだろうと思っていたが、勉強不足で、若手の建築事務所の名前のようである。

内容のほとんどは、やや上の世代の建築家や若手で活動的にメディアに露出している建築家達への「インタビュー」という形で綴られるが、使われているフォントの大きさにまず驚かされる。

最近このようなフリーペーパーからの延長的な出版物が多くなり、内容はざっくりとしたインタビューによって、インタビューの中から無意識の中に潜む何かを繋いで一本の線にしていこうとする意図のもの。なので、全体として何か強く訴えるものも無ければ、建築言論にハードコアな新しさを感じさせるわけでもない。

とにかくフォントを大きくしてあるので、その実文字数は相当に少ないと思われる。通常の建築本のフォーマットにしたら文章で5ページくらいに納まるのではと思われる。現在進行中のロシアでのコンペが都市計画ということもあり、この数ヶ月必死に都市の歴史や、都市とは何かについてあれこれ読んで考えているが、その一環として手にした一冊にも関わらず、この内容で出版するとは凄いなと現代の軽さに思いを馳せる。

恐らく東京の建築設計シーンの中で世話になり、繋がっているサークルの仲間で、互いに持ちつ持たれつしながらも徐々になんとなくに主要メンバーが絞られていき、年代が構成されていくのだろう。

メディアと付き合い、メディアに露出し、メディアを利用してブランディングしていくことで、徐々に建築事務所としてのステータスを高めていく必要のある現代においては、避けては通れないことなのだろうが、できることなら、職能人として自分を高めることの一番の最前線である、本質的な設計に必死に向き合って時間を過ごしたいものだと改めて思わされる。

必死に都市を考え、必死に建築に向き合い、その中で焦ることなく熟成されるように浮かび上がってくる、東京の風景の新たなる美しさを提示する文章を持ちたいものである。そしてそういう言葉達は、専門家にもそうで無い人にも、きっと強く響くのだろうと想像する。

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目次
・新スケープ
/東京タワー
/遠くのお隣さん
/音と風景
/東京の自然物
/平面的な凹凸面
/敷地境界
/タツミ・ダビタシオン
/みんなの墓
/ライフスタイルの差異
/窓のない球
/ちいさい街
/箱庭
/顕在化
/自然と人口の反転
/自然のようなビル
/表と裏
/広い路地
/うるさい川
/二つのエネルギー
/エレクトリックパレット
/奥行きのある壁
/建設的なかさぶた
/速度
/シャドウスケープ
/無人の風景
/街区クロニクル

・速度のような定規

・コラム
/当たり前の過剰
/東京タワー
/空の見え方

・Photo Column 01 Berlin ・花代
・Photo Column 02 London ・蓮井元彦

・お気に入りの風景
/藤村龍至
/小島一浩
/西沢大良
/宮本佳明
/藤本壮介
/石上純也
/遠藤正道
/宇津木えり
/伊藤キム
/ミヤケマイ
/ANATAKIKOU
/真鍋大渡X戸川憲一
/ジョニー・ウォーカー

・Too Much Scape
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2014年1月23日木曜日

MAD Annual Dinner (年会)

完全なる年末である。

中華新年が一年の中で最大の行事となる中国では、この1週間から人によっては一ヶ月の休みを取る長期休暇に合わせて物事が進んでいく。もちろん多くの中国人が実家のある地方に帰っていく。そして多くの会社では日本でいう忘年会にあたる年会(niánhuì)が行われる。

今年はどんなパーティーにするかでしばらく揉めていたが、数日前にオフィスのマネージャーからすべてのスタッフに、「星座ごとにチームを分けて、それぞれ何かしらのパフォーマンスをすること」という通知が送られる。そんな訳で、香港人のシニア・デザイナーと中国人のアソシエイツと3人の蟹座チームで数日前からあれやこれやと頭を抱える事になる。

まったく演目を考えようとしない二人に頼るのを諦めて、妻にも協力してもらい色々と宴会芸のサイトを調べ、こちらで調達できる道具でできるかどうかを考えて、なんとか演目を決めて、二人と一緒にランチの度に練習をする。

「こういう時にこそ本当の性格と言うのは出るものだな・・・」と少々覚めた目で見ながら、一人で楽しみすぐに脱線する香港人を嗜めながらなんとか決め事を決定する。

そんな感じなのでオフィス全体がソワソワし、なかなかプロジェクトの進行も難しくなる年末。昨年と違って今年は誰も配偶者を連れてこないと言うので、妻には家で留守番をしてもらい、外国人にも人気だという四川料理の会場へ。

総勢60名近いディナーとなり、ちゃんと正装をした司会が英語と中国語で会を進めていく。最初に3名のパートナーからということで、「今年度に特に目立った功績を残したスタッフ」ということで、二人に商品としてアイパッドが送られ、そこからは各スタッフの名前が書かれたくじを引いて3等から徐々に高価になっていく景品を渡すのと、オフィスで行ったアンケートの結果発表を交互に行いながら食事を進める。

オフィスで配られたアンケート用紙には、「誰が一番うるさいスタッフか?」や「誰が一番セクシーか?」などという質問から、「誰が最も優秀なインターンになりうるか?」という質問など。

それぞれの質問でそれなりに盛り上がり、自分もかなりの高得票で「最も優秀なインターン」賞をもらうことになる。

日本の様にきっちりと会が進む訳でもないので、それぞれが勝手に食事を楽しみ、お酒を飲んで、ふんわりと会が進んでいきながら、後半のパフォーマンスへ。

「良く皆、こんな短い時間で準備したな・・・」と思うほどのクオリティーのチームもあれば、チーム内でのコミュニケーションがうまく取れなかったんだなと思えるチームなどそれぞれ。ダンスを踊ったり、寸劇をしたりとチームによっては昨晩ほぼ徹夜で準備に追われたところもあるという。

最後から二番目に登場した我がチームは、緊張のせいか、会場が暗かったせいか、あれだけ練習した3名でのジャグリングがまったくうまくいかず、とぼとぼと肩を落とすことになった。

それにしても商品やパネル、進行から演目まで、とてもじゃないが個人でできる規模ではなく、こうして組織になってきたんだと改めて実感する。

しかしスタッフもインターンも皆とても楽しそうにしているのを見ると、また一年が終わったんだなとなんとも言えない思いに駆られ、23時近くに終わった会から逃げるように外に出ると、一番に失敗した香港人が悠々と先に帰っていくのでジャグリングのボールを後ろから投げつけて家路につくことにする。








2014年1月22日水曜日

「すーちゃん、まいちゃん、さわ子さん」御法川修 2012 ★★★

なんだかとてもホッとする作品。

人気マンガの映画化だというから、なるほどと納得してしまう、なんら大きな事件も起こらない凡庸なる日常を描いた、なんとも「ほんわか」してしまう一作。

かつてのバイト仲間で、今は恋愛や結婚、仕事に悩むアラサー女性のなんともない日常を描いていく。好きだと思える男性に出会えるかどうか、このままで結婚できるのだろうか、家族などの世話で忙しいのにどうやったら出会いに出くわせるのかなど、世の誰もが同じように悩み、過ごしてきた日常を描き、それでも生きていかないといけない、その為に仕事もしていかないといけないという葛藤と、それらの日常の悩みや蓄積する鬱憤を友人との会話で「ザーッ」と洗い流して明日を生きている日常を見せられると、なぜかホッとする。

恐らくマンションの各フロアに一人は、同じように悩み同じような日常を送る女性がいるのだろうと想像する。真面目に生きてきて、決して派手でも、浪費家でもなく、しっかりと毎日を生きていく。

親心からの心配も、逆にプレッシャーとなりすぎて「もう、そのことはいいから」と邪険に扱いながらも、時々に届く仕送りなどに親の子を思う気持ちを受け止める。

そんな風に真面目に、しっかりと人生を生きていて、それほど高望みをしている訳でもないから、きっと自分がいいなと思える男性に出会い、恋愛を始められるはずだと願って何が悪い。と言っても、自分が好意を寄せる男性は、同じように他の多くの女性も好意を寄せるのだという事実にぶち当たる。

「この人かな?」と思った出会いでも、ちょっとしたことだけど、自分にとっては大切な価値観の相違でやっぱり運命の相手ではないのだと思ってしまう。

人生というのは、本当は限られた数人の人と共に歩くもので、決してドラマがある訳でもなく、平凡な中でもそれなりに波風が立ち、心が揺れ動き、そして波が去るまで一緒にいてくれるのは友人なんだと教えてくれる作品。

見終わってから妻に、「女友達と旅行に行きたくなったら、遠慮しないで行っていいんだよ」と声をかけると、なんだかポカンとしながら、「ありがとう」という妻の顔を見て、これが自分の日常なのだと改めて認識する。
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スタッフ
監督 御法川修
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キャスト
柴咲コウ 森本好子(すーちゃん)
真木よう子 岡村まい子(まいちゃん)
寺島しのぶ 林さわ子(さわ子さん)
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作品データ
製作年 2012年
製作国 日本
配給 スールキートス
上映時間 106分
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