高校時代の修学旅行に訪れた萩・津和野。幕末の中心舞台となった街だと理解し、鍾乳洞や松下村塾を回りながら、古い街並みをレンタル自転車で駆け抜けていたのを良く覚えているが、改めて「山陰の小京都」と呼ばれるその街並みを見てみようと立ち寄ってみる。
雪はまだ微妙に降り出してはいないが、今にも空気中の臨界点に達しそうな雰囲気の空模様と、できるだけ空に太陽が昇っている間に建築をめぐれるようにと思い切って夜のうちにこの津和野から津山まで山陰道を突っ切る予定をしているので、逸る気持ちを抑えながら、狭く一方通この続く路地を抜けながらなんとか街の構成を理解しようとする。
街を南北に走る津和野川沿いの西側に開けた街のようで、極めてリニアな構成をしているようである。津和野駅が位置する街の北側から立派な商家が立ち並ぶ本町通りを南に向かうと武家屋敷が続く殿町通りへと変わり、白壁やなまこ壁の城下町の風情を良く残している。
津和野の歴史は、山頂に聳える津和野城(三本松城)に由来し、鎌倉時代に吉見頼行が蒙古襲来に備えてこの城を築いたのがその始まりだという。江戸時代は石見国鹿足(かのあし)郡津和野に藩庁をおいた津和野藩として栄え、山陰道の果てに位置することになる。今の地図で言えば島根県から山口県に突き出す形となり、かつての山陽道の周防国や長門国といった現在の山口県に近く、そのお陰もあり幕末から明治にかけて、小さな街にも関わらず森鴎外の文化人を輩出した。
残念ながら個人旅行者が街中に軽く車を駐車し、街中を散策するような、手ごろな駐車場の案内が見つからず、しょうがないので街の東の郵便局に車と停めて少しだけ中心どおりの写真を撮るが、他の「小京都」と呼ばれている街よりもその規模が小ささも手伝ってか、想像していたよりは街並みというよりは街の一角に保存されているという印象を受ける。
これだけ現在の交通網である高速道路や鉄道網などから距離があると、昔の良さを残しながら現代社会の中で発展していくのはかなり難しいのだろうと思いを馳せながら、空模様を見上げて長い津山までの運転へと出発する。
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