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2015年12月6日日曜日

禹王台公園(禹王台公园,yǔ wáng tái,うおうだいこうえん) ★



日本では中国の最初の王朝は「殷」として習うが、中国ではその「殷」に先立って損zないしたと言われる「夏」が最初の王朝とされており、その初代王が「禹(yǔ,う)」と言われている。

中国の歴史は黄河とともにあり、氾濫を繰り返すその水をどう治めるか、それが直接に国を治めることにつながっていた。そのため黄河の治水事業に力を注ぎ、大きな成果を挙げたこの禹王は、中号では治水神として、また名君として崇められているという。

明代の初めに、その禹王の治水の功績を記念しこの地に台を建設し、その上に禹王廟が建てられたために、この地が禹王台と呼ばれるようになったという。その禹王廟の東の東院には、三賢祠として李白、杜甫、高適の彫像が建てられていたり、園内には孫文(孫中山)銅像が建っていたり、辛亥二次革命烈士記念堂などがあったりと、広大な敷地の中に自然に隠れるように様々な施設が散らばっている。

歩きとおした開封の最後の立ち寄り地として、更にかなりの距離を歩くことになり、先ほど下りたバス停まで戻り少し西にある開封駅へとむかうことにする。





禹王廟




禹王廟正殿東院
唐代の李白
杜甫
高適


孫中山銅像


辛亥二次革命烈士記念堂





繁塔(繁塔,Pó tǎ,はんとう) ★★★ 974



午後に次の目的地である鄭州にむかう為、昨晩到着したのとは違う街の南に位置する開封駅にむかう為バスで30分ほど揺られる。駅にむかう前に待ちの南東の外れに位置する目的地まで足を運ぼうと、駅の一つ手前のバス停で降りて、バスを乗り換え、観光客など全くこなそうな雰囲気のバス停で下車し、かなり不安になりながらも地図を頼りに線路の下をくぐって舗装されてない道路に沿って歩くこと10分。どうやら入り口らしいものが見えてくる。

東に禹王台公園が広がり、入り口の西には先ほどの鉄塔のスリムな姿とはうって変わり、「ドテッ」となんとも太っちょな土っぽい感じの塔が見えてくる。これが繁塔(繁塔,Pó tǎ,はんとう) 。つい、読みを「fán tǎ」だと思ってしまうが、どうやら「Pó tǎ」と発音するらしい。

様々なサイトの情報がバラバラなので、中国の百度に拠ると、元々は天清寺と呼ばれる寺に建てられた塔であり、現在は国相寺という寺の一部になっているという。建設された時期は北宋時代の974年であったり977年とする説がったりとするらしいが、とにかく北宋のそのあたりの時代ということらしい。

その名は「繁さん」という人の名前にちなんだ、「繁台」という台の上に建てられているから「繁塔」という、なんともややこしいものであるが、鉄塔ともに、黄河の氾濫を逃れた数少ない建造物だといい、現在開封で残るものでは最も古い建物だと言う。

「改修中ということで塔の中は入れないので見学はタダだ」という入り口のおばさんの説明を受け、塔の周りをじっくり眺めて見ると、先ほどの鉄塔同様、こちらも塔の外壁を構成するレンガには細かく様々な仏像の姿が掘り込まれ、恐らく鉄塔よりもクオリティは高いのではと思われる。

観光地として下手に手を入れられておらず、周囲の風景もなんともいえない土っぽいバラックが立ち並ぶ中に、風景に溶け込むようにして建っているプロポーションも洗練されていないこの塔。なんともいえない哀愁が漂ってくるようである。決して悪くない風景だと思いながら、禹王台公園へと足を向けることにする。












鉄塔公園(開宝寺塔,铁塔公园,tiě tǎ,てっとう) ★★ 1049


この開封が東京と呼ばれ、北宋の首都として栄えたのはおよそ960年から1127年ということだから、優に1000年以上前のこととなる。その後、街の北を流れる黄河の氾濫によって多くの建物が崩壊したしまったというが、それでも埋もれることなく当時のまま残った建物の一つとして当時この場所にあった開宝寺という仏教寺院の塔である開宝寺塔(开宝寺琉璃塔)である。

当時の建設技術の高さを今に伝える様に、1049年創建と呼ばれるその塔の規模は地上55m。平面は八角形をしており、全部で13層となっている。なんといっても外壁には瑠璃(るり)レンガが用いられており、それらの一つ一つに細かく仏像の彫刻が施されている。その色が茶褐色をしており、まるで鉄の様に見えるから「鉄塔」と呼ばれているという。

開封に来たのなら、せっかくだから立ち寄って一度その塔を見上げて行きたいということで、市の中心から1番バスに乗り、市の東の端に位置する終点である鉄塔公園駅に到着する。入口の段階で既に遠くにちらりと塔らしきものが見えており、ということは西の端に位置するここから、あの塔までは相当な距離があり、「恐らくその後南に位置する駅に向かうにはこのバス停に戻ってこなければいけないことか・・・」とまだ朝早い段階で体力を消耗するのもどうしたものかと思いながら、入場券を購入して東に向かって地元に人の姿がチラホラする公園の中をあるいていく。

公園内にはいくつかの寺院も併設されており、その創建年や鉄塔との関係性はよく分からなかったが、あちらこちらに立ち寄りながら徐々に視界の中での大きさを増してくる塔の巨大さを理解していく。構造は中心に柱が経っており、それが外郭を成す壁と螺旋階段で接合されることで全体として強固な構造となっているらしい。

やっと塔に到着し、その外壁に掘り込まれた彫刻を見てみると、なんだかカンボジアのアンコール遺跡で見た遺跡の壁面に掘り込まれた様々な彫刻の姿に重なる。あちらのアンコール遺跡は今ではジャングルの様なうっそうとした木々に覆われているので、あたかも遠い昔のものかと錯覚してしまいがちだが、よくよく年代を確認してみると、特に遺跡の建設が盛んだった時代は1100年ほどから1200年あたり。

そうなると960年から1127年という北宋時代のほうが、その前に来ることになる。そしてこの鉄塔は創建が1049年と伝えられているので、アジアという広域で見た際に、この時代に建物を彫刻で覆うこと、そしてその彫刻の文化がかなり栄えたということで思いがけない糸が見えてくることになる。

そんな地政学と文化の糸に思いを馳せながら、西の端の水上公園ののんびりした風景を眺め、再度今来たばかりの長い長い道を戻ることにする。










霊感院

接引殿
開宝寺塔


水上公園