すっかり暗くなった街中を、既に何度も通ったので見覚えのある景色を見ながら橋を渡り宍道湖の北岸に経つ宿泊先のビジネスホテルへチェックインする。周囲の食事処の情報を教えてもらい、荷物を整理しさっさと外へ食事に出かける。
この松江市。言わずと知れた島根県の県庁所在地であり、江戸時代の松江藩の藩庁地として栄えた城下町を基としている。人工は20万人でお隣の米子市と共に、山陰地方の経済の中心地でもある。
市街地は西の宍道湖から東の中海へと流れる大橋川によって南北に分割され、北を橋北(きょうほく)、南を橋南(きょうなん)というらしい。湖からの穏やかな水面が街のどこからでも感じられる水を中心とした街であり、その両岸に繁華街が展開している。
戦国時代には京極家分家である尼子家によって支配され、その家臣であった山中鹿介(やまなかしかのすけ)幸盛(ゆきもり)はこの地で随分と英雄視されているようであり、何度か「鹿介を大河ドラマに!」というポスターを見かけることができる。
昼間とは違った表情を見るのを楽しみに、せっかくだからと夜の松江がどのような構成になっているかを知る為に、ホテルを出て橋北地区から大橋川を渡り、橋南地区を廻って駅前地方を散策してみることにする。
東茶町を抜けて旧中心街近くにある飲み屋街の東本町を見ていくと、左右にちらほら飲食店の看板が見えてくる。道にもカップルなどの姿が少し見かけられるようであるが、ここが中心というような場所は無いようである。
飲み屋街も終わったようなので南に向かい大橋川を渡る。これが結構長い。そして南岸に到着し、元・遊廓という伊勢宮町近辺を細い路地を抜けながら散策する。何件かのキャバクラなどの飲み屋があり、派手な格好をした女の子の姿もチラホラ。しかし、歯抜け的に立体駐車場があり、その脇には怪しく光る「代行」の文字。その為に飲み屋が集中して活気があるという感じは無く、暗い中にポツンポツンと飲食店が見えてくる。
道を行き来する人もそれほど多くは無く、賑やかで流行っているなと思える雰囲気が外まで届いてくるような店はなかなか見つからない。外に出ているメニューを物色しながら、何件か見てみるが、どうもこれという決め手にかける。想像していたほど、海の幸が安く提供されている訳でもなさそうで、料金設定はかなり高めの様子。
そんなこんなで伊勢宮町近辺の路地をすべて歩ききり、駅前方面まで今宵の夕食を求めて彷徨うが結局決定打にかけ、最終的に一度足が止まったおばあさんがやっている居酒屋の暖簾を潜ることに。
一人なのでカウンターに座り、ビールを頼んでお通しとてんぷら定食を頼むが、暫くするとチラホラお客さんが入ってきて店内もそれなりに埋まっていく。二人のおばあさんのうちの一人に聞いてみると、やはり昔は伊勢宮町近辺に飲み屋が密集していて活気があったが、最近はチェーン店などが客を確保しようとして駅前に展開し始め、車で移動する人が多くなったのと、間違いない賃貸料が入る駐車場として土地を利用する地主が増えた為に街が歯抜けになってしまって、かつての活気がなくなってしまったと嘆いている。
恐らく日本中の地方都市のかつての中心地で起こっていることとまったく同じ現象であろうと思いながら箸を進めるが、これがあまり美味しくない・・・その後おばさんたちとの話が盛り上がる訳でもなく、さっさと食事を切り上げて、明日の立ち寄り地の予習と本日の撮影データを整理することにし、近くのコンビニで軽いつまみとお酒を買い込んで再度長い道のりを歩きながらホテルへ戻ることにする。
20分ほどしてホテルが見えてくるが、その頂部についているホテルの名前の一部の電飾が切れて、「ジー、ジー」と音がしている。なんだか最近見た映画のモーテルのようだなと思いながら、これもまたこの町の現在を象徴しているのかなとしみじみと日本の地方の今を感じることになる。
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