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所在地 鳥取県倉吉市魚町
設計 山田幸一(大工)
竣工 1908
機能 レストラン(元銀行)
規模 地上2階
構造 木造・土蔵造
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倉吉市の中心部には近代建築が良い形で保存され残っているというので、現代建築ではなく、伝統的建築でもない目的地が幾つかリストに上がってくる。これは裏を返せば、街が高度経済にのり、バンバンとスクラップ・アンド・ビルドの開発を繰り返して、価値のある近代建築を取り壊してしまうという、他の多くの地方都市が通った道をこの倉吉が通らなかった。つまりは、そこまで過度な開発、資本主義の手に染まることなく、自身の風土にあった街の規模を維持しながら現在までコツコツと発展してきたことに他ならない。
そう考えると、中心部にも背の低い建物がならび、築50年以上になる行政施設が取り壊され高層化され建てかえられることもなく、中心の打吹公園周辺に今も残っているのもまた、この街のありのままの姿を見せてくれているのかもしれない。
街に住まう人にしてみれば、街がもっと発展して、もっと人口が増えてくれれば、便利な生活が・・・という声もきっとあるに違いないが、それでもこの街の規模と風景を愛してこの街に行き続けている人がきっと多く残っている街なのだと勝手に思い込むことにする。
この倉吉も、江戸時代までは旧国である伯耆国(ほうきのくに)の東に位置し、東伯耆の政治経済の中心地として栄えるも、近代交通、つまりは鉄道と高速道路網の要所から外れた為に、近代の発展の波に飲み込まれることなく、往時の古い街並みを現在に残すことになる。
つまりは古代の徒歩と馬や船を中心とした交通網から、近代の汽車と車へとシフトしていくなかで、交通網が変化し、かつての要所が取り残されるようにして、かつては栄えていたが、現代ではそれほど重要な産業があるわけでも無いにもかかわらず、それでも古い街並みを残しているという街は日本中に多く残る。
完全に過疎化が進むわけでもなく、それといって何処にでもある郊外都市になる訳でもなく、小規模ながらかつての面影を残し、風土を感じさせてくれる風景を残した街に出会うのは、かつての日本に紛れ込んだようななんとも嬉しい気分にさせてくれる。
打吹城の城下町として旧街道である「倉吉往来」が街の中心部を東西に横切っている。その通りに面して残っているのが、保存されながらも今でもしっかりと使われている倉吉大店会(くらよしだいてんかい)。
元々は国立第三銀行倉吉支店として、大工の山田幸一によって1908年に作られるが、木造の擬洋風のデザインは様々な用途を経て、倉吉の一つのシンボルとして現在もレストランとして使われているという。
本来ならば中で温かいコーヒーで身体を温めたいと思うところだが、狭い旧街道沿いということと、今も街の中心部として活発な地域だけあり、駐車場が整備されている様でもなく、しょうがないので車の中からちらりと眺めながら次の目的地へと向かうことにする。
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