2012年3月16日金曜日

知合いや友人は増やせるが、同窓生は増やせない


年を重ねて初めて気づくことだが、生きる時間が増えれば増えるほど、出会う人も多くなり、必然的に友人や知り合いも増えていく。しかし同窓生は決して増えることはないということ。

増えることはない替わりに、在籍時代には言葉を交わすことがなくても、卒業後何十年という時間を同窓生として過ごすことができ、その時間の中で願えば何度でもまた出会うことができるということ。

そんな根っこが一緒の多くの人間が、実はすぐ近くに存在しているという事実。

そういうことを想いながら地元の高校の卒業15周年を記念して、一昨年のお盆に全体の同窓会を開催した。東京や別の地方に出ていった人もいるにもかかわらず、100名を超す卒業生が集まる会となり皆懐かしい顔に笑顔の溢れる会になった。

それから早2年が経ち、その後の同窓会の運営を組織化する為に世話人代表として、各世話人に発破をかけて、会の主旨の明文化から世話人の人員増強や各会の開催頻度をシステム化し、東京と地元で毎年行う個別会の第一回としての同窓会をなんとしても北京に行く前に開催すべく、地元の世話人代表をしてくれている青山周平氏も駆けつけ、少人数ではあるけれど、とても内容の濃い集まりが開催された。

高校時代に一言も交わすことがなかったけれど、15年以上たった今に交わす言葉に違和感を感じることがなく、おそらく参加したみんなが来てよかったと思えるような時間になり、次は必ず人数が増えていると思えること、それが同窓の持つ力なんだと実感し家路につく。

2012年3月15日木曜日

日本人としての自分


今日は、半年間北京のMADにインターンとして勤めてくれた日本人が東京に帰ってくるというので挨拶に寄ってくれた。必然的に話にあがるのが、建築家として海外で働くことについて。

彼は大学からアメリカに渡り、そこから中国に渡ってインターンの経験をして、これからどういう風に時間を過ごすかに悩みを感じているという話を聞きながら、最近読み直している本にあった言葉を思い出す。

あるジャーナリストがロンドンで活躍するバレエダンサーに「大変でしょう?」と質問したら、大変不機嫌に返答をされる。

「別に大変ではない。言葉を覚えたり、食事に慣れたり、受け入れられるまでは大変だが、そのあとは普通にやっている。普通にやっていけるようになるまでが大変なのだ。

日本人には分かりにくいが、ロンドンにも多くの日本人がいるが、そのほとんどが日本を背負ったままここで暮らしている。日本を背負わずに向こうの生活に馴染めば、普通に暮らせるようになる。」

と。

確かに始めはとても大変だ。当たり前の日常から違う当たり前に飛び込むのだから、それに時間がかかるのは当然。頑張ってか、受け流してかはその人次第だが、次第に新しい日常に身体を溶け込ませ、言葉も食事も会話も徐々に慣れ、いつの間にかそこにいる自分が当たり前になり、今度は仕事に慣れてくる。その頃には恐らく一年程度が経過しているころだろうか。

そんな月日が過ぎ去って、数年ほど経つと訪れるのは「日本人である自分」との向き合い方。

どんなにその国での生活が日常となっても、どんなに一職業人として自分の居場所を確保しても、馴染めば馴染むほどに向き合うことになるのは自分のアイデンティティー。

ガラパゴスになればなるほど対岸との距離は開き、こちらから見てもあちらから見ても距離は一緒という訳で、かつて渡ってきたその距離に、いつかは同じように渡って帰る自分の姿があるのかないのか、その時のガラパゴスは当然のごとく、違う当たり前として現れてくるであろう恐怖心。

その恐怖心を受け止めてガラパゴスに背を向けるもよし、一度消化するためにガラパゴスに戻るもよし。

いずれにせよ、一度は自分で「日本人としての自分」を自己内解決しなければ、真の意味での一日本人から一職業人にはなれないのだろうと思いを馳せる一日。

2012年3月14日水曜日

根拠なき上昇


米景気回復期待が追い風となり7カ月半ぶりに1万円に達した日経平均。

FRBの雇用の改善との発表によって押し上げられ、2008年のリーマン・ショック前の水準まで回復した米国の株価の上昇によって芋づる式に世界各国の株価も押し上げられ、その一現象としての日経平均の上昇。

原油高や引き続き円高に苦しむ日本経済に何ら明るい光が射しだした訳でもなく、言ってみれば根拠なき株価上昇。それに浮かれ、株主の懸念感が薄まり、消費が促進され、企業の業績が改善し、給与に反映され、消費がさらに加速して日本経済が好転する。と嬉しそうに解説するNHKの解説員の姿を見て感じる。

アメリカやヨーロッパは今までの体制のいわば膿を出そうとなって必死になっている現在。他国の事情も顧みず、ひたすら進めたドル安や、EU内での自浄作用。その煽りを一手に引き受けるかたちになった異常なる円高と長引く不況。

厳しい時代に守るべきは身内からで、辛いところは引き受けさせられるのが都合のよい隣人。

ひとしきり踊った後に見るのが更なる地獄でなければいいのだがと思わずにいられない。

2012年3月13日火曜日

管理建築士講習


足の裏の米粒に手が届いたと思っていたら、早3年。

今度は一級建築士事務所の運営に必要な専任の管理建築士になるために必須の講習会を受ける時期になる。管理建築士というのは、建築士事務所の運営に関して技術的および経営的にも助言をする立場にあるが、一般的に事務所の開設者がそれを兼ねることが多い。

一級建築士全員が管理建築士というわけでもないので、必然的に一級建築士の定期講習よりもより受講者が少なく、つまりはその頻度も低くなる。

そしてその講習だが、どの機関でも勝手に行っていいものではもちろん無く、指定の登録講習機関によって運営されるので、それぞれの機関がそれぞれのスケジュールで日本の各地にて行うものである。

北京に渡る前のタイミングで受けられる講習のタイミングは・・・・と探していると、合致するのは総合資格学院の大阪での講習のみ・・・・。悔しいながら申し込みをし、本来ならば発生することの無い交通費だからと、再度高速バスでの往復を選択し、深夜の新宿より出発。

この管理建築士の講習だが、姉歯事件で失われた建築業界への信頼を取り戻すべく改定された建築士法の一環である訳だから、主な講習内容は改正された建築士法および建築基準法、またその他関係法令などと、建築士事務所の業務に関する内容が主になる。

しかしその内容ときたら、とにかく大変・・・。もう引退した方がいいのでは・・・と思われるヨボヨボのおじいちゃんが杖をつきながらも、マークシートがなんたるかを教えてもらって修了考査を受けている姿がこの講習、ひいては、姉歯事件が建築業界に与えた影響を物語っていると思わずにいられない。

午前に10分の休憩を挟んで1時間20分のコマが2コマと、お昼を挟んで再度午後に10分の休憩を挟んで1時間20分のコマが2コマ。そしてその後に1時間のマークシートにての修了考査。すべての講義を聴講することと、修了考査にて必要基準を超えることが講習修了の基準となる。

修了考査は講習で使用したテキストを調べながら回答していいので、講習をしっかり聞いてもらえれば難しいことではないという説明はあるが、計222ページのテキストに必死にアンダーラインを引きながらの聴講となるのだが、襲ってくる高速バスでの疲労と眠気との闘いになる。

管理建築士に求められるのは、時代に即した建築士事務所の運営の眼差し。設計だけでなく、企画やコンサルティング、またはコストダウン能力が設計者を選らぶ要因としてデザイン力を上回っているとデータを示される。

また経理と財務の違いをはじめ、貸借対照表(B/S)・損益計算書(P/L)・キャッシュ・フロー計算書(C/S)に代表される財務諸表の見方から事務所の健全な運営体制への気配り。

各プロジェクトに対して適切な人材が配されているか、またそのスタッフの職歴や資格および資格取得が可能かの学歴および職歴の把握とそのデータ化などの人材管理を含めた人事の役割。

罰則が強化されたことで、各建築士にも300万もの罰金が科せられたり、法人として一億の罰金が科せられる可能性も出てきたことより、そのリスクに備えた保険への加入など、法的責任をどう負うことかについての危機管理意識。

紛争がこじれた場合にお世話になる訴訟や民事裁判では、各自どのような特徴があり、期間がどのくらいかかって、どのような結果がでるのか。その為の法的管理。

工事費ベースから床面積ベースに移行した設計料の略算式の使い方から、契約についての定義と揉め事になった前例からどのような点に気を付けるかを踏まえての法的契約書の作成方法。

いつどの段階で、どのような業務が発生し、どの割合の設計料が支払われるか、そんなこともデザイン例と一緒にホームページなどに明記しろと簡単に言われるが、それならばホームページの作り方も覚えないといけないことに・・・・

あげだしたらきりがなく、それこそ一つ一つ確実にこなしていけば簡単に数年はかかってしまうし、それほどの社会的責任と大きなリスクを背負ってでも足を進めていかなければいけないのか・・・と決心を迫られる内容満載。

雑誌を賑わす秀逸なデザインで紙面を飾る建築家達も、同じだけの社会的責任をその両肩に背負いながら、零れ落ちそうになる涙をこらえてマークシートを塗りつぶし、塗りつぶされた数だけの決意を胸に、管理建築士としての見えないバッチをくくりつけたのかと思うと、心がいっぱいにならずにいられない。

そんなことを思いながら修了考査を受けていたのは自分だけかと思いながら、今度は東京行の夜行バスを待つ時間を如何に過ごすか考えながら、せっかくだからと今宮戎神社まで足を延ばしてみる大坂の夜。

2012年3月11日日曜日

「鉄の骨」 池井戸潤 ★★★★



東京のスカイラインを作り出す高層ビルが立ち並ぶ景色。その景色に圧倒され自分もその景色作りを担いたいと希望を胸にゼネコンへの就職を希望するが、最終面接で担当役員から言われるのは、

「うちのような中堅ゼネコンに都庁の様な建物が建てられると思うか?うちが建てるのはそこらへんに建っているなんの変哲もないビルだけだ。それでも夢があると思うか?」と。

それでも答えるのは、

「なんの変哲もないマンションにも、そこに生きる人の夢が詰まっている」と。

このやり取りが心の琴線に触れない建築関係者はいないのではと思うほど、建築に関わる人たちのリアルを描いている。大学で名作と言われる歴史を彩る建築があたかも最上のものとして教育にそまって社会にでてぶち当たらる葛藤。

しかしそこで配属された部署で、いかに今まで教えてこられた、自分が知ってる建築の世界が実は建築のほんの一部分でしかないと学ぶことで、妥協ではなく、さらに上位の視点をもって建築に携わることの充実感。と割り切ることができるかの更なる葛藤のループ。

高度成長を支えてきたのは、間違いなく全国に待ちきらされた公共事業であって、それを束ねるゼネコンとその下にあまたぶら下がる下請け業者。その何百万という人への待遇を厚くすることでなりたってきた社会構造をたった一つの「談合」という象徴で表し、社会の変化から「脱談合」へと体制を変えなければいけない大きな転換点に立つ人々が、「悪か必要悪か」という視点だけでなく、会社の中で生きる一人の人間としての葛藤と、それを外から見る純粋な視点の暗喩として使われる彼女の葛藤も重なり、綺麗ごとだけでは決して物事を前に進めることができないと突きつける良書。

建築を学ぶ学生にもぜひ読んでもらいたい一冊。
----------------------------------------------------------
「鉄の骨」  池井戸潤 講談社文庫 2009 ★★★★

目次
第一章 談合課; 
第二章 入札; 
第三章 地下鉄工事; 
第四章 アクアマリン; 
第五章 特捜; 
第六章 調整; 
第七章 駆け引き; 
最終章
----------------------------------------------------------
第31回(2010年) 吉川英治文学新人賞受賞
----------------------------------------------------------


2012年3月9日金曜日

期末の過ごし方


ここ数年のこの時期になると本屋に足を運び、じっくり時間をかけて今の社会がどうなっているのかを物色する。各ジャンルの本棚をスキャニングしながら、最終的に建築関係の本棚へ。

これは、と思うものを手に取り、後はメモにとってレジへと向かう。その後に向かうのは都内に点在する大規模ブックオフ。同じように各本棚のスキャニングと何点かの購入。

その後はアマゾンにて先ほど気になった本及び、その関連書籍の購入。そんなことをしていると大抵30冊くらいの本が続々と事務所に届く日々が一週間ほど続く。

その目的は4月に向き合うことになる新しい生徒達に、懇々と言うことになる「社会性」について自分なりに「今」をアップデートする準備。必然的に、建築以外の「今」を問題にした新書や文庫中心のラインナップとなる。

日本の建築関係の教育にかけていると思われるところに建築の社会に対する眼差しがある。社会学者的な理論を持つ必要性は全く感じないが、30年前と今とでは、同じ建築を設計してもその評価は全く違ってきてしまう。それは当然、その建築が挿入される受け皿として社会が変容してしまっているから。ならばその社会とは、一体どうなっているのか?を少なくとも知っておく必要はある。

「彼を知り己を知り、天を知り地を知る」

2500年前に生きた孫子も言うように、何かに挑むときの基本中の基本。知ることでよりグズグズになっていく現代の政治の後追いはする必要はないが、生きてきた背景も考え方も全く違う生徒が集まる社会人中心の学校では、できるだけ多様な「今」を自分の中に入れておく必要がある。

そんな風物詩となった本屋ホッピングだが、その期末をどう過ごすかに変化が起きる。今年は学校で教えることに一区切りをつけるということで、「今」を知ることがどれほどこれからの自分にとって意味を成すのかをもう一度見つめなおす。

「今」を知り、できるだけ広い総合知を身につけ、どんな人との会話にも対応し、どんな学生の意見にも更に発展性を見つけ出す、そんなアベレージヒッターとしての能力が求められる先生としての準備と、深く自分に向かい合い、何がやりたいのかを問いかけ、自分達にしか出来ないことを創りだす。その為に必要なのは、「今」の乱読ではなくなり、むしろ消費されるだけにマーケットに蔓延する「今」の排除であろう。

日経新聞を読んで、WBS、クローズアップ現代、NHKスペシャルを見て、経済雑誌をチェックし、SNSで発信しながらtwitterでつぶやき、毎週恐ろしい数発行される、必読書を読みながら、週末は趣味に時間を費やし、充実した生活を満喫する。こんなことをやりながら、仕事はしっかりこなしていかなければ一人前の社会人として認められない。生きることが既にかなりハードルが高い今の東京。

東京で生きるために必要なことの中に、自分の人生に必要なことが一体どれだけ含まれているかの仕分け作業。

今を貪るよりも、一歩先を知ることよりも、今までの自分を見つめなおし、今まで得た知識を整理し、今までの体験を自らの言葉で更新する。

この一年、必死に日本の今を排除して、自分のこれからにシフトする。

2012年3月8日木曜日

卒業生の送別会


学校で教えていた卒業生と、事務所の元スタッフなどが主宰して建築関係の送別会を開いてくれた。

非常にありがたい。

ありがたいついでではないが、かつて在籍してくれた元スタッフからは送別の品までいただいてしまった。タイミング的に日本で見ていけないからということで桜の後が残る季節らしいグラスセット。

重ねてありがたい。

日本に戻ってきていない人生もあったのかと思うが、その時には今こうして会っている人たちに出会っていなかったのかと思うと、日本で過ごしたこの5年の意味が自分なりに消化できる気がする。

燻ってはいるけれどそれでも建築を楽しみながら、こうしてたまに集まってはあーだこーだ言える根っこの同じ同年代の人間が回りにいることの大切さに感謝する。

そんなことを感じながら、出会いと別れの季節にはしっかりとした出会いと別れをしていくことが大切なんだとなんだか納得する帰り道。