2002年9月13日金曜日

アルベロベッロ Alberobello ★★★★


白い筒部にとんがり帽子の小さな屋根が連なり、御伽の国に迷い込んだかのような街;アルベロベッロ。その屋根形状からムーミンの谷のような雰囲気もあるが、青くはなく白いのがイタリア南部。

バーリから車で一時間ほど走ったら、のどかな風景にポツポツと畑に石が目立つようになり、気がつけば世界遺産にも登録されたトゥルッリの群れの中にいることになる。

地元プーリア地方出身のイタリア人によると、当時の技術で一つの部屋に一つの屋根しか翔られなかったので、外から見て屋根の数をみればその家族構成が一発で分かるんだと。

なるほどと思いながら、上がっては下りる、複雑な路地空間をのところどころに現れる絶妙な外部空間がそのまま内部につながったような内部の床の作り方に圧倒されつつ、今日も早くアンティパスト・ミストで夕食を始めようとお腹が催促し始める。






















2002年8月30日金曜日

レーダー塔 砲撃塔 フリードリッヒ・タムス 1942 ★★★★




















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所在地 アウガルテン ウィーン 他
Wien
設計 フリードリッヒ・タムス
竣工 1942
機能 軍事施設
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7年前のこの時期、ウィーンの安宿で飯島洋一の本を読みながら、朝になると廃墟を探しに出かけた。
30過ぎても、変わったのは安いデジカメが一眼レフデジカメになったくらいで、ほとんどやってることは変わってないんだなと思うが、当時読んだ本の中で、ヒトラーがどうしても死守しようとした総統都市ウィーンの防御の為に、市を取り巻く環状道路リングシュトラッヘに外接するかのように引かれた見えない3角形を形づくる頂点に置かれた軍事施設は、ヒトラーの執念を現すようにどんな爆撃にも壊されないように、そのコンクリートの壁厚が数Mにも及ぶ為、戦後その施設を破壊する為に必要な爆薬を用意すると、周囲の住宅街にも被害が及ぶ為、現在なお破壊不可能な負の遺産として、ウィーンに残されており、それはワグナーからクリムト、シーレ、ロースを経てヒトラーまで通じる世紀末的なウィーンの死の臭いを現代に伝えるメディアである、みたいな内容の文章に出会い、これはなんとしても見に行かねばと思い立ち、いろいろと調べると、各三角形の頂点にはレーダー塔と砲撃塔の2塔がペアで配置され、それが3箇所で計6箇所作られ、現存するのはそのうちの4箇所という。
駅前でもらった地図を片手になんとか一つ目の北の頂点を含むアウガルテン公園で高射砲塔を見つける。これがとにかくでかい。著者がこの上ないほどに機能的であるがゆえに不気味で、役割以上でも以下でもない建物だと記述するように、明らかに現在とは違う時間の中にある建物で、終戦前夜に連合軍の空襲によって周囲が焼け野原になった中、ただ一つすっくりと聳えるその姿はある種の美しさを醸していたに違いないと思わずにいられない。当時のガスでも残っているのか、建物の周りにやたらと鳩の死体が目立つ。
こんなモノを見にくる奴も珍しいのか、周囲住民に話を聞いても始めは皆訝しんだ表情をするが、なんとか他の生き残りの廃墟の場所を聞き出し、公園を後にする。
二つ目の廃墟は住宅街の真ん中に建ち、子供達がその壁でサッカーに興じているその中身は、一時期監獄として使われていたかなんかで、今は爬虫類園になっており、日暮れ の時間に焦りながらも、ヘビを鑑賞し、これも無気味さの亜種なのかとなんだか納得。
やはり建築は陽の光の下で見たいと焦りつつ、なかなか見つからない最後のペアの位置をいろんな人に聞きながら、日の落ちる寸前で到着。
薄闇の中にシルエットのみ浮かび上がらせる最後の廃墟達。
現代の社会との距離感による圧倒的なスケール・アウト感。建築の宿命とも言える機能を剥ぎ取られ、消えることすら許されない負のモニュメント性。そしてそれを生活の一部として受け入れる住民達。これが何時までも世紀末の香りのするウィーンなのだとなんとか納得し、ロースのアメリカン・バーに向かう途中、この上ないほどに機能的というが、残った4基の塔は全て違ったデザインでしっかりとタムスの恣意性が含まれているじゃないか、それ故に感じる儚い美しさに人の廃墟を超えてく想像力の力強さを思った気がする。

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