2014年6月26日木曜日

「弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂」 阿部彩 2011 ★

格差、貧困、孤立、孤独死、限界集落、極点社会、無縁・・・

この10年にわたる様々なキャンペーンのお陰ですっかり社会に定着したこの言葉たち。建築という社会を向こうにがっつり組み合って毎日の業務をこなす職業についていると、どうしても現代社会の抱える問題に目を向けなければならない。

細切れにされたそれぞれのテーマについて、少しずつ本を読み理解を深めて、やっとことの本質がおぼろげながら見えてきたこのごろ。また流行り言葉の一つとして、先進国であると叫ばれるアメリカからの言葉の輸入である「包括」「包摂」をテーマにしてこの一冊も、現代の社会を感じる必須本かと想い手にとって見る。

しかし・・・

アメリカでの研究が長かったのか、あまりに論点があやふやで、文章が稚拙に思えてしまったその内容。「承認」「排除」「包摂」に「包括」という、アメリカで使われ始めた言葉たちを、そのコンセプトとともに日本に紹介するという方式が全面に出すぎて、今まで様々なところで語りつくされた現在の貧困や格差に関する考察ばかりで、これといってなんら新しい現象も分析も提案も見られない。

やはりそれだけこの問題が複雑で一分野からの分析では捕らえられないのだろうと再認識してページを閉じる。
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■目次
プロローグ 社会的包摂と震災
第1章 生活崩壊の実態
/衣食住の崩壊
/公共料金、保険料、借金
/貧困は健康を蝕む
/震災の長期的影響

第2章 「最低生活」を考える
/「貧困」ってなに?
/貧困の定義
/「最低限の生活」に必要なおカネ
/ミニマム・インカム・スタンダード

第3章 「つながり」「役割」「居場所」
/社会的排除と社会的包括
/関係からの排除ーつながりがあるということ
/仕事からの排除ー役割があること
/場所からの排除ー居場所があること

第4章 本当はこわい格差の話
/排除と格差
/格差と人間関係
/格差とコミュニティ
/格差と健康
/格差の増幅
/日本の格差は海外でどう考えられているか?

第5章 包摂政策を考える
/ホームレスのかっちゃん
/これまでの社会保障を考える
/社会のユニバーサル・デザイン化
/ユニバーサル・デザインな働き方は夢か?

第6章 インクルーシブな復興に向けて
/阪神・淡路大震災の教訓
/震災後の社会政策を考える
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「商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道」 新雅史 2012 ★★★

1973年生まれというから、まだ40歳前後の社会学者ということになる作者。社会の構造的に利権が隠れているところで、なかなか皆思っていても気を遣っていえないところにバッサリ切り込んでいく感じはなかなか好感を持てる。

街を歩いているとこんな閑散とした商店街でも、なんだか普通に店を営業しているお店を良く見かける。とてもグローバル化した現在の競争と更新の激しい経済活動で勝ち残っていくような営業努力をしているとも、またそれができるともとてもじゃないが思えないような店構え。

車を走らせれば、電車で二駅行けば、すぐにたどり着ける郊外型の大型ショッピングモール。デフレスパライラルに嵌まり込んでいるうちに、低価格競争はそれを支える非正規労働者の待遇を犠牲にしても、他店よりも少しでもコストカットでプライスダウンというスローガンの下に、かつて無いほどの低価格競争で競合相手を振り落としていった。

世界の地図を見ながら、どこで原料を仕入れ、どこで生産し、どこで加工し、どうすれば輸送コストを削れて消費者に届けられるか。そんなミリ単位の競争を勝ち残っていけるだけの体力を身につけた超巨大企業体が市場を独占していくことがすぐ視界の脇で行われいるにも関わらず、そこだけ昭和の時間が流れているかのようなのどかな商店街の風景。

どう考えてもおかしい。

サービスに付加価値をつけて、少しでも差異化をはかり、消費者がどんなことを求めているのか普段の分析を続けながら、商品の質を高める開発も続け、サービスから報酬を得る職能人として能力の向上に努めながら、それでいながら地元に密着する活動にも参加する。

そういう真面目に、危機感を感じながら、自己革新を行っている自営業者はもちろんいるはずである。しかし、世の中全部が全部、そんなにがんばりもののはずも無い。がんばりモノのであれば、あのような店構えになっているはずもない・・・

都会で生きていくならば、家賃を支払うのだけでも大変である。従業員を雇えば、彼らの給与や社会保障などの負担も大変である。事業をまわしていくには、相当な資金も必要になるだろうし、内装を少しいじるだけでも相当な経費が飛んでいく。通常の感覚で言ったら、やはり商売として回っていないのではと思わずにいられない。

やはり何かがおかしい。

ということは、何かのカラクリがあるという訳だ。そこには何かの利権構造が出来上がっており、何かしらの優遇制度が適応されているはずだと。

今でこそ資本主義を背景とした郊外の大型ショッピングセンターの強力な波に押され、地元の付き合いよりも、自分のメリットを価格で図るドライな世代の顧客を奪われる形になり、続々とシャッター街となっている地方の商店街。

しかし、それはそんなショッピングセンターの登場というきっかけがあったらか顕在化しただけで、根本的な問題は常にそこに横たわっていたはずである。既得権益に安穏とし、自らイノベーションを起こして価値の更新をしてこなかった商店街という場所の居心地の良さ。

それがいったい何だったのか?現在では大多数を占めるようになった、勤め人からでは決して見ることができない、中小小売商に対する優遇策とはどんなものだったのか、国策としてどうやって創り出されていったのか、そしてその利権の中で、彼らがどうやって外から閉じ、家族という単位で利権を囲い込んでいったのか。

新書と言うのは本来、こうして社会が抱える構造的な問題が、結局は誰かの利権に繋がっているからであるということを専門以外の人にも分かりやすく描き出し、その利権を守ることが一部の人を保護することであっても、社会として硬直化がどんな悪影響を後世に残していくのか、その中でいったいどんな建設的な提案が可能なのか。そういうことを、「それは言って喋って欲しくなかった」と言う人がどれだけ多くても、学者と言う立場を利用して世間に発することが必要なのだと思わずにいられない。

以下、本文よりいくつか抜粋。
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序 章 商店街の可能性
外部の人を引き寄せる「余地」 人々の生活への意思があふれている場所

第1章 「両翼の安定」と商店街
/「抜け道」のない日本社会
村上春樹 「金は無いけれど就職もしたくないなどという人間にも、アイデア次第ではなんとか自分で商売を始めることができる時代だったのだ」
チャレンジをおこなうことが徐々に難しくなった
土地・建設費が、猛烈な勢いで上昇してしまったから
抜け道の数が多ければ多いほどその社会は良い社会であると僕は思っている

/「雇用の安定」と「自営業の安定」
雇用の流動化
商店街の経営主、豊かな自営業 自営業の安定
小売業の距離制限やゾーニング(土地利用規制)の緩和
・自営業の安定に対する誤解
「旧中間層」と「新中間層」 旧中間層は土地を自己所有する豊かな自営業層、新中間層は豊かな雇用者層

/商店街は伝統的なのか
商店街は20世紀になって人為的に創られたもの
20世紀前半に生じた最大の社会変動は、農民層の減少と都市人口の急増

/近代家族と商店街
家族 家族経営 近代家族
家族の集団性の強化 社交の衰退 非親族の排除
地域に開かれている存在であるはずなのに、それぞれの店舗は「家族」という枠に閉じていたわけ

第2章 商店街の胎動期(一九二〇~一九四五)――「商店街」という理念の成立
/発明された商店街
商店同士の連携 地域社会のシンボルとみなされている

/都市の拡大と零細小売商
第一次世界大戦移行の社会変動
零細小売商が大きく増えた
農業をやめて都市に出てきた
第一次大戦後、不景気により中小企業が没落し、財閥に吸収される
工場の大規模化
企業による直接雇用に置き換わる
・物価不安と協同組合
急速な都市人口の増加
・百貨店の登場
百貨店と言う新しい小売業態の存在感が増した
日本の百貨店が大衆の消費空間として花開いた 初田亨
陳列販売方式へと変化

/「商店街」という理念
・組織としての商店街
小売商の組織化
異業種同士の連帯であった。それこそが商店街
横に地を這う百貨店
繁華街以外の手近な場所
10分か15分で到着できるところ
・地元商店街を制度的に支えた距離制限
「繁華街」と「地元」
生活インフラとしての商店街

/燗熟する商店街
流通革命 レジスター スーパーマーケットと言う新たな業態が生まれた
/経済成長と完全雇用の矛盾
・零細小売商のスーパー出店反対運動
1973年には大規模小売店舗法(大店法)
コスト主義 消費者は無視 バリュー主義
販売者の所得を引き下げても仕方が無い
・消費者運動
生産活動がすべてに優先されている 生産されたものを、如何に消費させるかが考えられる

第4章 商店街の崩壊期(一九七四~)――「両翼の安定」の奈落
/コンビニと商店街の凋落
コンビニほど日本のランドスケープを変えた存在はない
なぜこれほどにコンビニが増えたのだろうか
「便利」を追求
元零細小売店によって経営された
なぜ小売店主が、コンビニに手を出したのか
跡継ぎ問題
事業の継承性
商店街を内部から壊すもの コンビニ
専門店同士の連帯を無視して成り立つ業態であるから

/日本型福祉社会論と企業中心主義
企業福祉と家族福祉を機軸とした「日本型福祉社会」
企業と家族
そこに自営業や地域は含まれていない
サラリーマン家庭以外の人々は、日本における例外的な層と位置づけられたのである
日本型福祉社会論 「家族だのみ」「大企業本位」「男性本位」の社会政策
1985年の年金改革
第三号被保険者が創設された 厚生年金や共済年金の加入者(第二号被保険者)に扶養される配偶者
第三号被保険者が、保険料を自分で払わなくても、老後に基礎年金を受け取れることを可能にした
男性サラリーマンと専業主婦というカップリングは、多くの恩恵を受けていた
・日本型福祉社会における家族像
年収130万円以上稼ぐことを避ける
年金保険料まで支払う必要が出てくる
男性サラリーマンと専業主婦のカップリングを「理想的な標準世帯」としていたからだえある
・前川リポート
製造企業には、生産拠点を海外に移転するように求める

/財政投融資と「地域」の崩壊
・加速する郊外化
消費空間のあり方が、1980年代に大きく変化した
流通に関する規制緩和
大規模な小売チェーンが、地方に進出しやすくなった
地方都市の郊外化
公共事業の拡大によって地方の道路事業がすすんだ
市街地の道路整備 時間がかかるし、資金もかかる
地方都市間のアクセス道路は、市街地ではないために整備がスムーズに進む
商業用地に変換
地方都市の郊外-国道のバイパス沿い-に、商業用との土地が大量に発生
バブル崩壊以降の野放図な国土開発は、塩漬け状態の土地を大量に生み出し、区尾外の商業化を加速させた
ショッピングモールが建設
自動車での消費活動を前提としていた

/商店街の内部崩壊とコンビニ
コンビニ化という生き残り戦略が、商店街を内側から崩壊させた
スーパーマーケットを経営していた大規模小売資本
零細小売商そのものをスーパーマーケットの理論に染め上げると言う戦略
零細小売業種は、その権益を、地域のためと言うよりも、家族のために使うことを考えた
権益を引き継ぐ先は子供に限られていた

第5章 「両翼の安定」を超えて――商店街の何を引き継げばよいか
/近代家族と日本型政治システムに支えられた商店街
商店街が、恥知らずの圧力集団になった
保守政党と政治的な結託を見せた
免許などの権益は親族の間で移譲された 権益の私物化
親族間での経営以上は小売店のイノベーションを妨げた 閉ざされた権益
ジリ貧の状況から抜け出すため、コンビニ経営へ乗り出した
1980年代以降の日本は、本来ならば個人化に即して、家族ではなく個人を支援する政策を行うべきだった。日本は、企業福祉、家族福祉にたよった社会保障政策を以前よりも重視すると言う欧米社会の基準からみれば時代錯誤の選択をおこなった。
自営業が握り崩される中、人々は正社員に安定を求めるようになった
/規制と給与のバランスをめぐって
1990年代に入ってからもゾーニングの緩和が実施 ショッピングモールが地方の郊外に増加した
今の若者たちは新卒採用という選択にしか目が行かず、ほかにどのような選択があるのか分からない状態
・新しい商店街理念とは
地域単位で協同組合が商店街の土地を所有し、意欲ある若者に土地を貸し出すとともに、金融面でもバックアップする
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■目次  
序 章 商店街の可能性
第1章 「両翼の安定」と商店街
/「抜け道」のない日本社会
/「雇用の安定」と「自営業の安定」
/商店街は伝統的なのか
/近代家族と商店街
/社会理論と商店街
/本書の構成

第2章 商店街の胎動期(一九二〇~一九四五)――「商店街」という理念の成立
/発明された商店街
/都市の拡大と零細小売商
/「商店街」という理念
/二つの商店街-「繁華街」の商店街と「地元」の商店街

第3章 商店街の安定期(一九四六~一九七三)――「両翼の安定」の成立
/成熟する商店街
/経済成長と完全雇用の矛盾
/小売商の保護施策
/価格破壊と商店街

第4章 商店街の崩壊期(一九七四~)――「両翼の安定」の奈落
/コンビニと商店街の凋落
/日本型福祉社会論と企業中心主義
/日本問題と構造改革
/財政投融資と「地域」の崩壊
/商店街の内部崩壊とコンビニ

第5章 「両翼の安定」を超えて――商店街の何を引き継げばよいか
/近代家族と日本型政治システムに支えられた商店街
/規制と給与のバランスをめぐって

あとがき
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2014年6月16日月曜日

本当にすぐ忘れる

人間はすぐに忘れる生物である。忘れることによって、新しい毎日を生きていける。忘れることが出来なければ、悲しいこと、悔しいこと、辛いことをいつまでもいつまでも心に抱えて生きていかなければいけない。その心の防御として忘れるメカニズムが人間に与えられた。

しかし、人間が生きていく上で必要なレベルの情報を遥かに超えた情報に毎日晒される現代人。本来なら一つ一つの情報に対して、自分の中でじっくりと向き合い、そして消化し、時間をかけて徐々に忘れていく。それが忘れるメカニズムであったにも関わらず、現代においては過度な情報に日々晒されることによって、強制的に忘れることを行わされている。

常に新しい情報。
常に新鮮な刺激。
それは次なる消費に繋げ、
テレビ局の視聴率へと変換される。

ということで、少しでも世間の関心が薄れたと判断されたものは、すぐにメディアから姿を消し、新しいものや人にスポットライトが当てられる。自分で忘れようとして忘れているわけではなく、メディアから姿を消したニュースを記憶から失っていく。外からの記憶の操作。

21世紀の7不思議とあれだけ騒いだ「マレーシア航空機失踪事件」。恐らく多くの人は既に忘れ去り、こうして言葉を聴いたとしても、「ああ、そういえばあったね、そんなこと」というレベルであろう。それは事件が解決したからでも、事実が解明されたからでも、それぞれの中で決着がついたからでも何でもなく、ただただメディアが報道をしなくなったからだけである。

そして何故メディアが報道をしなくなったのか。それはメディアの内部でこれ以上報道しても視聴者を惹きつけられない、視聴率に繋がらない。つまりお金にならないと判断されたからである。

ソウルで起こった、「セウォル号沈没事件」。世紀の事故だと騒がれ、オーナーのトップが姿を消しているなか、根本的な事故原因が解明されている訳でも無いにもかかわらず、それでも世間の関心は既に次に移ってしまっている。何百人という若者が命を落としたという事実にあれだけ嘆いていたにも関わらず。

それだけ日常を過ごすということは、その場に留まっていることを許さない強制力があり、関心を引くに十分な新しい事件や痛ましい事故が起こるのも事実である。そして世間の今の関心は既に南米のワールドカップへ移っている。

忘れることが必要であり、これが資本主義に支配されたメディア世界の成り立ちであるならば、それがスピードアップしていくのは避けがたいことではあるが、それにしてもすぐ忘れるのに程があると思わずにいられない。

これほど全ての人が一瞬で忘れることを経験しているのは、人類史上未だにないことであろう。メディアやニュースで取り上げられなくなったら忘れる。これは既にある種の病気ではないかと思わずにいられない。

自分の意思で覚えているのではなく、自分で選んで記憶しているのでもない。

そう思うとただただ恐怖を感じるだけである。

2014年6月11日水曜日

城のある場所

城を築くということは、もちろん防御とか交易など様々な理由はあるのだろうが、その中には必ず居住地、自らの支配地の拠点となる場所として絶対に「心地よい」という理由はあったはずだと思っている。

つまりは城がある地域というのは、歴史の中で誰かに選ばれた場所であるということ。

ここは住まうのに心地がいい場所だ。
この場所は力を持っている。

などと誰かが何かポジティブな要素を感じ取り、「よし、ここに城と城下町を築こう」と決断されたに違いない。

しかも城を築いていた時代というのは、現代の様に「ここの土地が手に入ったので、ここの敷地に城を築こう」などというみみっちい話ではなく、広大な領地の中を歩き回り、土地に耳を傾け、場所の力を感じ取り、それを最大限に人工物である建築へと転換し領地を守り、人々にとって心理的にも視覚的にも中心となる城を作り上げていた時代である。

一番いい場所を、どれだけでも時間をかけて見つけることが出来た時間。それだけに、自然の力を感じ取る力が試された。

永く人が住んできた地球。その中で幾つかの場所が何かしらの理由があって選ばれてきた。城を見上げる我々は、その後ろに隠れる様々な理由を同時に眺めているわけである。

選ばれた場所があるということは同時に、決して選ばれることの無かった場所も数多あるということ。誰もがポテンシャルを感じることなく、誰もが心地よいと判断しなかった場所。そんな手付かずに取り残されていた場所に、現代人がやってきて、細かく切り刻み、そして開発を行っていく。

そう考えれば考えるほど、城のある街で育つことの豊かさを考えずにいられない。

城だけでなく、同じように何かしらの歴史の中で「選ばれた」という印となるものがあるのだろうと想像する。港にしても、市場にしても、様々な理由と様々な心地よさによって場所を人が発見し、手を入れていく。それが風景として次の世代に繋がっていく。

そう考えて、改めて自らの生まれ育った街、そして現在過ごす街が歴史の中で「選ばれ」てきた場所であるかを考えるざるにいられない。

2014年6月10日火曜日

焼肉の欲望

実家近くの小さな頃から通った焼肉屋に両親と共に訪れる。

「折角だから、好きなだけ食べな」とまるで学生時代に食べるだけ大きくなると信じていた頃の様に進める親の言うままに、もう一皿と注文をしながら考える。

ふと頭によぎる妄想。この皿に載る牛の肉。その牛たちは恐らく「美味しい」と思って食べていた干草が、いつの間にか「美味しい」と思わないようになりながらも、ただただ食べて太って「美味しい肉」になるようにと食べさせられていたのだろうと想像を膨らませる。

本来的にはもう食べたくないのにも関わらず、食べたいという欲望を麻痺させられ、どこでその欲望をストップさせることを自分で決断できずに、ただただ太る為に食べるだけの行為を繰り返す。

そしてブクブクに脂の載った肉へと変えられ、今度はそれを食らう人間。

身体に必要な栄養素を摂取し、満腹という脳の指令よりも遥かに強力に、舌に与える欲望が更に食欲をそそられ、欲望に導かれるままに食べ続けることになる。

そんなことを思いながら脂の滴る良く焼かれた肉を見ていると、流石に食欲が抑制され、少々肉の断食でもしようかと思いながら、最後の一切れを平らげる。

2014年6月8日日曜日

空と空港の未来

空港に到着し、また次の飛行機を待つ。

空港にいる人の数もまたそれぞれの国の現状を表すようである。混み合う空港の様子を眺めていると、一体一年に世界中の空港を利用するはどれだけの数に上るのだろうとぞっとする。

世界の空港 旅客数・利用者数ランキング TOP30(2012年)

規模別の空港一覧

航空旅客数・貨物取扱量の推移 - 国土交通省

どうも世界規模での合計となると、単一空港で既に年間旅客者数が1億を越えるほどの空港もあるのには驚かずにいられない。そして単一空港での旅客者数が上位に位置する空港の多くがアメリカに位置しているのも、如何にアメリカが航空大国であり、経済活動を世界規模で展開し、都市同士を密接につないでいるかを示している。

ちなみに世界最高と言われる新宿駅の乗降者数は一体どれくらいかとみていくと、JR新宿駅だけでも一日平均で76万人。この地に乗り入れる他の東京メトロ、都営地下鉄、小田急線、京王線を合わせるとその数は一日平均で350万人にも上るという。そこから算出する年間乗降者数は12億人・・・・。まだまだ地上はとてつもなく混んでいるというのが見て取れる。

これだけの人間が駅という地上交通網のノードに一気に押し寄せる圧力を、なんとかJRの必死の努力によって、運行本数を増やしたり、正確なダイヤを実現させたりとなんとか少しでも混雑解消に努めているというところである。

その人の移動の波が確実に今、空港という新しいノードに押し寄せている。

この10年。明らかに空港で見かける人の数に変化が見られるようになって来ており、その数は航空技術の向上と、世界規模で活性化する経済活動に後押しされるように、今後も加速度的に増加するのは間違いない。既に航空交通路は人類のインフラとして定着した訳である。

そうなるとどういうことが起こりうるかと想像すると、使用頻度の高まりによりある一定の人気路線ではより密な発着陸が行われるようになり、空港ラウンジ、空港の滑走路、そして空の航空路でもかなりの混雑が起こってくる。

空港では今のままのシステムではチェックイン機能が麻痺し、しばしの混乱の後により効率的なシステムへと移行していく。

滑走路は限りがあるために、不採算路線は次々へと廃止されるのと同時に、ハブ空港においては、滑走路の拡張が続いていく。

空の上では今まで以上に多くの行き来が起こるために、航空機による環境負荷の低減を担う技術革新が起こるがそれでも追いつかず気候への影響がさらに大きくなり、不安定な気候が今まで以上に多くなる。

そして加速度的に増える飛行機の数に対して、それを操縦するパイロットの数が追いつかず、今までであれば決して操縦桿を握ることが無かった未熟なパイロットなどが安い給料にて雇われる状態なども発生しうるだろう。

そんな様々な状況が絡み合い、より航空機の事故は多発する。それが今年に多発した航空事故が示す空の移動の未来の一部であろう。

マレーシア航空370便 クアラルンプール発北京行き

アルジェリア航空5017便墜落事故

ウクライナで起きたマレーシア機墜落事故 遠隔調査

トランスアジア航空222便着陸失敗事故

そんな妄想を膨らませながら、なんだか背筋をぞっとさせながら、やっと到着した模様の搭乗機に向かいゲートへと足を進めることにする。

2014年6月7日土曜日

「愛を売るふたり」西川美和 2012 ★★★★★

「ゆれる」の監督である西川美和。早稲田大学文学部出身の彼女は自ら作る映画はほとんどがオリジナルの脚本である。「ゆれる」に「ディア・ドクター」も脚本・監督を務めて世に送り出した作品である。つまり物語を作り出した人と、その物語を映像化した人が同一であることによる、物語独自の表現方法が追求されている。

そして今回の「愛を売るふたり」もまた監督自らによる脚本の映画化作品。そうなると、監督がこの映画を構想し始めたであろう瞬間に、どの登場人物を中心に物語が織り成されていったのか、誰の視線を中心に物語が進んでいったのか。徐々に具体的になるストーリーと登場人物達。その過程で、一人の想像の中で膨らんだイメージの積み重ねが、作品として他の多くの人に伝えられるために共通理解を得るための「映像」というメディアに投射する必要に迫られる。

その為に、登場人物が現実の世界の中のある役者さんに徐々に置き換えられ、イメージの中の風景が具体的な地名を持った場所へと同化する。

その個人のイメージからの写し取りが破綻無く上手く行うには、恐らく映像を扱う職業人として相当な技量を必要とし、その為には長い年月の絶え間ない努力と、想像力だけではなく、映画産業の仕組みを理解するプロフェッショナルとしての知識と経験が必要になるのだろうと想像する。

映画の企画からその予算。それでキャスティングできる役者のレベルとどれだけの時間と場所で撮影ができるかというやりくりの感覚。そんな現実味が無く頭の中で膨らんだ妄想との折り合いをつけながら徐々に現実の世界へとイメージを落とし込む。

恐らくその能力が非常に高い映画監督なのだろうと想像する。自ら構築した世界観を、社会に届けるために必要な画面の作り方。見たことありそうで、見たことのない画面。そんな力のある画面を作り出せるのは、世界でも本当に少数の才能だけであろう。

そんなことを書きながら思い出すのは、「ハッシュパピー バスタブ島の少女」の強烈な画面。完全に個人の妄想から出発したその力強さのある画面は、小手先のテクニックで商業的に成功する作品を狙っては決して辿りつけない作り手のしての手触りを感じさせる。

そんな彼女が選んだ今回の物語。夫婦で小料理屋を営む仲の良い二人。しっかりもので気が利く妻に松たか子。真面目で人はいいが、不器用な阿部サダヲ。真面目に生きてきた二人の姿が滲むような繁盛した店内の様子。客に愛される二人の客に愛されるお店の様子。

あまりの繁盛振りに、二人では手が回らず、そこに夫のミスが重なって火災が起こり、一瞬にして全てを失う二人。失ったのは店だけでなく、金も生きる気力も失ってしまう。くさる夫に励ます妻。徐々にすれ違う二人の気持ち。そんな時に起こる夫の浮気とその相手からのお礼金。

普通にしていたらまた店を持つための再起の資金を貯めることは叶わないと理解している二人だからこそ、寂しい思いをしている女性の懐に入り込み、結婚を餌に詐欺を働くことで出展資金を画策する夫婦。

この世の中には決して負け組みでも不細工と呼ばれるような容姿でもなく、周囲から見れば十分に恵まれている状況や仕事についていると思われるにも関わらず、自らは真面目で、何かのきっかけが外から無い限り自分から行動を起こすことができず、寂しさを抱えながら誰かに自らの支えになってもらいたく、そして自らも誰かの支えになりたいと望んでいる女性の数は、この映画で描かれるように相当数いるのだろうと理解する。

生きていくには十分の収入を得て、将来の為に貯蓄もしていて、真面目に、ちゃんと日常を生きている。友達もいて、たまには楽しく飲みに行く。仕事のストレスの解消法も知っている。しかし本当に心を許せるパートナーや彼氏はいない。

そんな多くの女性に対し、主人公の男性は、決してイケメンではないが「すっ」とそんな女性の心の奥に入り込む。向かい合ってたっているのではなく、いつの間にか横に並んで座っている。そんな違和感の無い空気を作り出す。そんな才能が夫になることを発見してしまう妻。そして自らも「自分」を無くして夫のやりたい事を応援することのみが生きがいとなってしまっている事実を心の中でひた隠しながら、夫婦でありながら、他の女性と恋愛関係になっては金を受け取る夫の帰りを待つ妻。

そんな複雑な心情を見事に演じきる松たか子。決して綺麗ではない女優さんであると思うが、それでもその存在感は圧倒的。どんなしぐさにも品を感じさせ、近くにいると恐らくとてつもなく魅力的なんだろうと思わせてくれる女優である。

人類史上最も刺激を受けながら日常を過ごす現代の我々。家族から離れ、個としてダイレクトに社会に向き合わなければいけない日々。そんな中で人が一番恐れるのが寂しさ。自分のことを理解し、必要としてくれる人がいること。それがすべてが他人の様な殺伐とした世界で生きていくためのせめてもの救い。

どんなに騙されたとしても、「私にだけは本当に愛してくれていたはずだ」と、信じることを諦めない女性達。その言葉に真実味を与えるのが人の良さげな阿部サダヲの演技。

どんなに成功しようと、どんなにお金を持とうと、どんなに高い地位を得ようと、現代に生きる人間であれば、自分を理解し必要としてくれる人と過ごせることがどれだけ重要であるかを理解する。そしてその関係性が相互に当てはまることがどれだけ貴重であるかも同時に理解する。

日々変化する生物である人間が、日常の中で様々な刺激を受けて感情を変化させる。そんな個の体験によって生きているもの同士が、同じように感情を共有しながら時間を共にするという夫婦の過ごし方。その根源的な難しさにも光を当てるこの作品。

考えれば考えるほど様々な意味が隠されていると思いながら、ぜひとも次の作品も予想を裏切り期待を超える良作を生み出して欲しいと切に思わずにいられない。

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スタッフ
監督 西川美和
プロデューサー 松田広子
原案 西川美和
脚本 西川美和
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キャスト
松たか子 市澤里子
阿部サダヲ 市澤貫也
田中麗奈 棚橋咲月
鈴木砂羽 睦島玲子
安藤玉恵 太田紀代
江原由夏 皆川ひとみ
木村多江 木下滝子
やべきょうすけ 岡山晃一郎
大堀こういち 中野健一
倉科カナ 佐伯綾芽
伊勢谷友介 太田治郎
古舘寛治 東山義徳
小林勝也 金山寿夫
香川照之 外ノ池俊作/明浩
笑福亭鶴瓶 堂島哲治
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作品データ
製作年 2012年
製作国 日本
配給 アスミック・エース
上映時間 137分
映倫区分 R15+ 
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2014年6月4日水曜日

選択肢に入ること

ファイドンのパーティーを後にして、夕食の会場であるレストランを目指して海岸沿いを歩いていると、前方から明らかに遠近法を無視した船が近づいてくる。

昨日イタリア人のスタッフが興奮気味に、「数日前に凄い大きな船を見たんだ」と言っていたのを思い出す。確かにこれはちょっと想像を超えているサイズである。甲板の上には旅行客がこっちを向いて手を振っている。「なんて俗世的なんだ・・・」と思いながらも、ついつい手を振り替えしてしまう自分達。

イタリア人に聞くと、こうしてカナル・グランデを行き交う大きなフェリーに規制をかける動きが起こっているという。かつての海洋都市といっても、流石にこれだけのサイズまで船が巨大化するとはその時代の誰もが想像しなかっただろうと思いながら、「これだけ資本主義に押されて海を行き交う船が増えれば、環境負荷や燃料消費も相当増加しているのでは?」とイタリア人に聞いてみると、既に規制が敷かれ、かなり限られた船しか運航していないという。

そういうところは流石イタリア・・・と思いながら、ヨーロッパでの仕事の機会を広げる為に様々な人を紹介してくれているフランス人がセッティングしてくれた今夜のディナーの会場が、やや入り組んだところにあるというので、水上タクシーで向かうことにする。

20分ほどで陸に上がり、到着したのはなかなか雰囲気のあるレストラン。既知のフランス人とその古くからの友人だというパリを拠点に活躍する都市計画事務所の3人のパートナー。互いに簡単な紹介を済ませ、どの様な仕事をしているのかを話し合う。

さっぱりした白ワインを味わいながら、こうして「何かの機会があれば、その選択肢に入っている」という状態を増やしていくことが、チャンスをつかむことの下地になっていくのだと再認識せずにいられない。







ファイドン(Phaidon) Party


オシャレなモデル・ルームやカフェなどに行くと、大体ソファー・テーブルの上に置いてあるのが分厚いインテリアか建築の洋書。恐らくそのほとんどを出版しているのがイギリスの出版会社であるファイドン(Phaidon) 。

これだけ多くの建築家が一堂に集うベニス・ビエンナーレに合わせて様々なイベントが開催されるが、このファイドン(Phaidon)もまたイギリス館にてトーク・イベントを開催するのと同時に、様々なゲストを招待しオープニングの一日前にベニスの海に浮かんだ船の上でパーティーをするという。

我々MAD Architectsも招待されたので各国パヴィリオンを見て回った後に会場近くの船を目指してとぼとぼ歩いていると、横にあるいているのは藤本壮介さん。同じくファイドンのパーティーに行くというので話しながら船にむかうことにする。

ポツポツ振り出した雨を避けるかのように、徐々にゲストも集まりだしてきているようで、担当者と挨拶をして如何にも上質と思われるシャンパンをいただきながら周囲を見てみると、ローマに現代美術館を設計したフランスのオディル・デック(Odile Decq)の姿を見つける。パートナーのマーとも既に既知の仲のようで、彼女の知り合いの建築家がマーがアメリカでアイゼンマンの事務所でインターンをしていた時の直属の上司だったらしく、話が盛り上がっている様子。

前回ビエンナーレに参加したときのメイン・キュレーターであったアーロン・ベッキー(Aaron Betsky)の姿も見つけ、久しぶりに挨拶をしているところ、藤元さんと一緒にファイドン(Phaidon)のカメラに納まることに。


藤本さんから貴重な話を聞くことができたのも楽しかったが、周囲から話しかけられる度に温和に耳を傾けながら、広がる話をしっかり受け止めている姿を見ると、こうして一人で色々なイベントに足を運び、様々な人に会い、チャンスを広げていきながら、しっかりと設計も進めていくのは相当に大変なことに違いないのに、それを一切見せずに飄々としている姿が何よりも印象的に感じながら、次の場所へ向かう為にパーティーを後にすることにする。










ジャルディーニ(Giardini)


やはりビエンナーレといえば、こちらのジャルディーニ(Giardini)という感じが強い。会場も広く、多くの人で賑わっているので全体的な雰囲気も華やかである。

こちらジャルディーニ(Giardini)に展開する各国パヴィリオンの統一テーマは「近代化の吸収:1914-2014(Absorbing Modernity)」。世界を覆ったグローバリゼーション時代において、それでも地域的な「ナショナル」なものをどう捕らえるのかを各国に投げかける趣旨となっている。

各国がキュレーターを中心となり二年もの長い年月をかけて頭を悩まし、それでもって様々な関係者を動員して手がける展示なだけに、展示趣旨を少し読んだだけではとてもじゃないがその内容の本当に意味するところは理解できない。なので、各パヴィリオンに足を運んでも、その展示関係者から説明を受けなければ、その展示が一体何を意味しているのかさっぱり分からないということになる。

そんな訳で、まずはメインエントランスをくぐって、殆どの人がこの動線を通るだろうと思われる右回りに添っていくと一番手前に見えてくるのがスイス館。建築に関わっている人間にとって夏の風物詩となっているロンドンのサーペンタイン・ギャラリー。そのダイレクターを勤めるハンス氏(Hans Ulrich Obrist, co-director of London’s Serpentine Gallery)がキュレーションに携わり、セドリック・プライス(Cedric Price)など建築の発展に大きく寄与した建築家達の残した図面などを展示し、同時に二日間に渡り様々な建築家が参加する「マラソン」という討論会を行うという。

お隣のベネズエラ館はひっそりとしており、今回は参加していないようである。ちなみにこの建物もカルロ・スカルパ設計によるもの。

その奥にはロシア館。先日足を運んだロシアのコンペでも関わっていたStrelka Institute for Mediaと、オフィスの最初の出版物となった「MAD Dinner」の編集を勤めてくれたブランドン(Brendan McGetrick)がキュレーションを勤めていることもあり、まだ準備中だというが中に入れてもらい、ブランドンから直々に説明をしてもらいながら中を見て回る。まさにエキスポのフェア会場に来ているように、説明をしているスタッフもあたかも各企業から派遣されたような熱の入りよう。「役者を雇っているのか?」と聞きたくなるくらいの熱演ぶりである。


次に足を運んだのは韓国館。こちらは二日後の発表により最優秀パヴィリオン賞であるゴールデン・ライオン賞を受賞したパヴィリオンである。

Golden Lion for Best National Participation to Korea
Crow’s Eye View: The Korean Peninsula

キュレーションはマス・スタディーズ(Mass Studies)のチョウ・ミンスク(Minsuk Cho)。1966年生まれなので、現在48歳で、元OMAのスタッフである。彼も様々な機会で一緒になることもあり、パートナーの二人もすっかり仲良しということで、挨拶をしにいくと、手短に展覧会のコンセプトを紹介してくれる。話を聞いていると後ろから覗いてくるのはアラップ(ARUP)のローリーさん(Rory McGowan)。いろんな建築家と組んでは世界中の様々なコンペを手がけているアラップの主要メンバーだけ会って、ミンスクとも仲が良さそうな様子である。

ミンスクによれば、今回のビエンナーレの為に、北朝鮮の建築関係者に正式に招待状を送り、一緒に参加しようと呼びかけたがなんの返事ももらえなかったという。パヴィリオンの中のある一角がどうもゆがんでいるんだと熱心に話してくれるその姿は、相変わらずエネルギーに溢れている。

そのお隣にあるのが日本館。今回の日本館はこちらも元AMOの太田佳代子氏がキュレーションを担当し、「日本建築の近代化100年の歴史」として日本館を「倉」に見立て、図面、模型、スケッチ、手紙、構造図面などを集め、日本の近代建築の経てきた100年をモノを通して展示するとの意図のようで、会場はとにかくモノで溢れている。

建築家だけでなく、建築史家、作家、写真家、映画監督も含め、日本で育ち日本で建築を学んだ人間にとっては通念的に身に着けている認識を、改めて総体として外国に向けて発信するという試みで、これを海外の人がどう受け止めるのかとやや疑問に思わずにいられない。

その後奥のドイツ、イギリス、北欧館と見て周り、中心に用意されたカフェエリアで休憩を挟んで、目の前に大きな「ドミノ・モデル」が展示されたメイン館へと足を運ぶ。ちょうど入り口でクールハースとすれ違う。床、天井、開口部など細分化され過ぎ建築家の手からコンサルタントの手へと移ったしまった数々の建築の要素。それらを再度見つめなおすことで、建築の本質をあぶりだそうとする展示。途中であったOMAのスタッフによると、この展覧会の為にOMAから50人のスタッフが借り出されたという。

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三日目の午後、前日見切れなかったパヴィリオンを訪れる。ここら辺になると、「どのパヴィリオンが面白い」という噂が耳に入ってくる。その内の一つであるアメリカ館は「オフィス」をテーマに抱え、これまた「面白い」と噂を聞いたイスラエル館はレーザーカッターが砂の上に都市計画のパターンを描いては消していく姿を展示する。

スペイン館を巡ってデンマーク館前にたどり着くと、現在のグローバル化した建築世界の申し子といってよい、BIGのビャルケ・インゲルス(Bjarke Ingels)達に出くわす。なんでも、アゼルバイジャンの大統領を待っているのだという。ちなみにこちらも元OMA。

そろそろアーセナーレに移動しようと、徒歩にて住宅地の中の公園を歩いていると、前方から建築写真家のイワン・バーン(Iwan Baan)がやってくる。足を止めて少しの挨拶。ビエンナーレに来るということは、元気にやっているということを知り合いと確認しあう場所でもあるのだと思わずにいられない。







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三日目
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HK