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所在地 鳥取県西伯郡大山町名和
主祭神 名和長年
様式 流造
社格 別格官幣社
創建 1652年-1658年
機能 寺社
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「楠木正成」を読んだばかりなので、なおさらこの伯耆国(ほうきのくに)に思い入れが強くなる。
暗く厳しい目の前の日本海。その先に浮かぶのは隠岐島。鎌倉時代末期。長きにわたる武士の支配から天皇へと権限を取り戻そうと、1331年の元弘の乱で鎌倉幕府を討幕しようと企て、その罪の為に天皇でありながら隠岐島に流された後醍醐天皇。
それでもその意志を継ぐもの達と新たな時代に頭角を現した楠正成を代表とする悪党達によって時代の針は進められ、1333年に隠岐島を脱出した後醍醐天皇を迎えたのはこの地の英雄である名和長年(なわながとし)。
楠木正成が河内国の悪党であるならば、この名和長年は伯耆国の悪党。正成らが南から京に向かい、天皇を迎えた長年は西から京へとのぼり、南北分裂後には南朝について戦うことになる。
その名和長年と一族郎党42人の英魂を祀るのがこの名和神社(なわじんじゃ) 。そのまっすぐと伸びた参道は、あたかも隠岐の島へと視線を送るかのようである。山陰有数の花の名所と言われるのが納得の整った参道。その参道を覆いつくすかのように枝を伸ばす両脇の大木。その枝のスクリーンの先に見えてくる本殿。
境内を巡って戻ってくるときには先ほど歩いてきた自分の足跡さえも雪に覆われてしまうほどの強さになってきた天候。厳しいこの地の天気の下で、コツコツと商業にて蓄財をし、一緒に一度の来るべきに備えていた名和一族の心意気が伝わってくるような参拝である。
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