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2021年11月3日水曜日

Studio Dwelling at Rajagiriya ラジャギリヤのスタジオ兼自邸_ Palinda Kannangara パリンダ・カンナンガラ_ 2015 ★★★★★

Palinda Kannangara パリンダ・カンナンガラ

自邸をテーマに巡ってきたが、そんな中でも鮮明に記憶に残っているのが、以前このブログでも紹介した、現代のスリランカ建築界を牽引するパリンダ・カンナンガラ(Palinda Kannangara)の自宅兼スタジオであろう。
 
コロンボから30分ほどの場所で、 新首都のスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテに近い郊外に位置し、北側には川沿いの湿地が広がり、夏には蛍も見られるという自然が豊かに残るエリアに、安い時に土地を購入し、お金が入るたびに建設を続けながら、長い年月をかけて少しづつ住みながら完成させたという建築。
 
2019年のスリランカ建築学会の国際会議に、パリンダさんの紹介にて講演をさせてもらうなどの縁もあり、ちょうど滞在中にあたった妻の誕生日をお祝いさせてほしいと、風通しの良い4階のテラスで手料理を笑顔で振舞ってくれる彼の姿は、自然との境目をほとんど感じないおおらかな彼の建築そのものだと感じた。
 
 深夜を回る頃、明日にでも近くにある釈迦が訪れたと言われる仏教寺院のマハー・ラジャ・ヴィハーラを訪れる予定だというと、「それなら今から一緒に行こう」と、深夜の暗い道を愛車で飛ばし、教えられるままに靴を脱ぎ、裸足で境内に到着すると、深夜にも関わらず沐浴をする多くの人々の姿に、日常の中に溶け込むこの国の宗教の息遣いを感じた気がする。
 
「自分が実感を持てる範囲でしか仕事はしない」ということで、スリランカと南部インドでだけ、設計活動を展開するパリンダ氏だが、ジェフリー・バワの作り上げたスリランカ独特の建築の在り方をしっかりと現代において受け継ぎ、そして発展させる素晴らしい建築の数々は、ぜひ日本でもより多くの人の目に届く機会があればと切に願う。



2019年1月1日火曜日

Studio Dwelling at Rajagiriya_パリンダ・カンナンガラ(Palinda Kannangara)_2015 ★ ★ ★ ★ ★


今回、思い切ってスリランカまで足を伸ばそうと思った理由は二つあった。一つはジェフリー・バワ(Geoffrey Bawa)の建築を実際に観て体験すること。そしてもう一つは2018年のRIBAアワードを受賞したスリランカの建築家パリンダ・カンナンガラ(Palinda Kannangara) さんのオフィスを訪れること。

How I Live  Sri Lankan architect Palinda Kannangara

RIBA Award for International Excellence 2018
スリランカの現代建築を調べているうちに、とても質の高い住宅の作品が多くあるのを知ったが、その中でも特に内部と外部がうまい具合に接合し、とても心地よさそうな空間で微笑んでいるパリンダさんの写真が気になり、思い切ってオフィスにコンタクトを取ってみると、快く訪問を受け入れてくれた。

スリランカは正月が4月になり、年末年始といえども通常通りとはいえども、まさか1月1日を指定されるとはなんとも驚いたが、その日のアポイントから逆算し旅程を立てて、スリランカを反時計回りに巡り、大晦日にコロンボに戻ってきた。そして元旦の午前中にバワのNumber 11を訪問し、午後にパリンダさんのオフィスを訪れるという、なんとも建築色の強い一年の始まりとなった。

コロンボから東に向かい、小さい頃その特色のある響きのために何度も友達と言い合ったスリジャヤワルダナプラコッテに入る手前に位置するラジャギリヤ (Rajagiriya)。分かりづらいだろうからと、オフィスの若いスタッフの子とやり取りをして、近くの交差点で合流する。

バラックのような商店が道沿いにならび、緑の生い茂った中にポツポツと住宅が立ち並ぶ風景のなか、少し脇道に入ってしばらく進むと、それらしき建物が右手に見えてくる。非常にシンプルなコンクリートのフレームに日焼レンガを嵌め込んだファサードの下には、ピロティを利用した駐車場が敷地の反対側に広がる湿地帯からの風を運んでくれる。

駐車場脇の扉を抜けると右手にこちらも風の抜ける大きな階段が広がり、上りきると切り取られた湿地の風景が待ち受けてくれる。脇に置かれたベンチに座り、靴を脱いでガラスの扉を抜けると、巨大なアコーディオンタイプのガラスサッシを左手にもった、とても気持ちの良い吹き抜け空間。そこで、髭に覆われた大きな笑顔で迎えてくれるパリンダさん。簡単な挨拶を終えると、すぐにオフィスを案内してくれる。二階はオフィスとして使用していて、数名のスタッフが進行中のプロジェクトの設計を行っているという。3階から上は自宅で、仕事の間は上にいて、時折下に降りてきては打ち合わせや指示をしているという。

3階の寝室も両開きの大きな窓が湿地に向けられ気持ちのよい風が抜けていく。南のレンガのスクリーンの後ろも吹き抜けになっており、ここから風が上に抜けるようになっているようだ。

4階は南北に狭い空間が、3枚引きのガラス戸で翠いっぱいのテラスにつながっており、自然の中のパヴィリオンといった雰囲気。風も虫も流れて、自然に溶け出すようなとても心地よい空間。真ん中に置かれた大きなアイランドキッチンで甘いお菓子とお茶を用意してくれ、あるアーティストの家のために作ったというソファーテーブルの周りに座りながら様々な話を聞かせてくれる。音楽好きだというので、あちこちに組み込まれたスピーカーから流れる音楽もまた、外の自然の中に消えていくような気がする。

裸足のままテラスに降りて、湿地に広がる自然を眺めながら、この国の状況やバワを経て現在のスリランカの建築事情など話をしている中でとても印象的だったのが、「自分は自分の手の届く範囲で仕事がしたい。だからスリランカと南インドでプロジェクトをするだけにしている。その方が自分が幸せに仕事をできるから」というパリンダさんの言葉。

この住宅兼スタジオも、土地を購入してから、資金がなかったのでなかなか建設ができなかったが、お金が入っては進めてと時間をかけながら建てたんだと教えてくれ、裸足であちこちを動き回る姿そのもので、とても地に足の着いた建築家との印象を受ける。

気が付けば数時間が経過しており、元旦の日の快く受け入れて得くれたことに感謝を伝え、妻と二人、とても強い幸福感に包まれながらコロンボへの帰路に就く。建築とはどうあるべきか。自分が信じていることが設計にどう反映されるのか。人生の多くを過ごす場所がどうあるべきか。いろんなことを考える貴重なきっかけになる、そんな重要な訪問であったと、今後の人生で何度も思いなおすことになるだろうと思いながら。














2017年8月12日土曜日

「ルーム」 レニー・アブラハムソン 2015 ★★


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スタッフ
監督: レニー・エイブラハムソン(Lenny Abrahamson)
原題: Room
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スタッフ
ジョイ・ニューサム(ママ) : ブリー・ラーソン(Brie Larson)
ジャック : ジェイコブ・トレンブレイ
ナンシー・ニューサム、ジャックの実の祖母 : ジョアン・アレン(Joan Allen)
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オーストリアで実際に起こった父と娘の間の監禁事件を元にしてかかれた小説の実写化。日本でも新潟で同様な事件が起こったことは記憶に新しいが、関わるすべての人を傷つけ、観るものにどうしようもない気持ちにさせる、何とも痛ましい事件である。

ある男の暴力によって天窓一つしかない外界と隔離された部屋の監禁され続ける一人の女性。その監禁生活の中で、妊娠をし産み落とした息子は、その部屋が世界のすべてとして成長していく。

部屋の中で行われる母と息子のつつましい生活。そこに時折訪れる男。シングルマザーと荒っぽいボーイフレンドなのかと思ってしまう前半部分。そこにひたひたと忍び寄るようにして感じられる違和感。それが監禁された部屋であること。そして息子が監禁生活の中で生まれ、世界を知らずに育つという事実が徐々に顔を出してくる。

監禁から脱出する部分でピークに達するのかと思えば、本質はその後。長期の監禁生活から生きて戻ってきた娘と新たに現れたその息子に対して、初めは喜びで迎える家族が徐々にどう接していいのかという戸惑いを感じだす。メディアや社会は、特殊な時間を過ごしてきた親子に対し、時に容赦のない言葉を投げかける。

そして親子自身もまた、平常な環境に戻ってきたにも関わらず、以上であったはずのあの「部屋」で過ごした時間が、如何に自分たちにとって日常となっていたのかを、徐々に認識し、そしてそれを乗り越えようと葛藤し、ぶつかりながらも二人で手をとりながら前えと向かっていく。

やるせないほどつらい映画であるからこそ、多くの人が観る事で二度とこのような事件が起こらないことを期待するだけである。






2017年8月8日火曜日

「さようなら、オレンジ」 岩城けい 2015 ★★★


第29回(2013年)太宰治賞受賞
第150回(2013年下半期)芥川賞候補作 (受賞小山田浩子「穴」)

ということで数年前に随分メディアで紹介されていた一冊。オーストラリア在住の専業主婦である著者の私小説的な物語の様であったが気になって購入し、少しずつ読み進めた一冊をやっと読みきる。

オーストリアの田舎町に住むアフリカからの難民である女性と、夫とともに移住してきた日本人女性を中心に、「母国語ではない言葉で生活が行われる場所で生きるとは」というテーマを主題に淡々と物語りは進んでいく。

恐らく、様々な理由で海外で生活をする日本人は現在世界中に数えられないほどいるだろう。望んでなのか、それともそうでなくとも、自分がその言葉以外で思考し教育を受けてきたことが、言葉という大きな壁のせいで自らのアイデンティティーを揺さぶるような経験は、誰もが必ず通ってくる道であろう。

外国に旅行に行った際に不自由なくやりとりができればいい。
語学留学などで、同じように第三国から来た人々と会話ができればいい。
仕事でやりとりができるくらい喋りたい。

求めるレベルと、そこに達するまでの厳しさは、人によってそれぞれだ。しかし、その言葉の環境で生活していれば、時間とともに上達するというのはまったくの希望的観測で、レベルを上げるためにはどうしても、学習と実践が必要だということも、外に出たすべての人が、どこかでぶち当たる事実。

それが「英語」という、どこの国でも外国語として真っ先に習い、そして成長とともに教育課程の中で触れてきた言語ではなく、それ以外の言語であるならなおさらのこと。

恐らく、オーストラリアに移り住み、20年近い時間をそこで過ごしたという著者は、きっと外国語と母国語、いつになってもネイティブの様には言葉を使いこなせない現実、その国の言葉でその国の人と交流しても、母国語で思考する自分の感情との間で必ず発生するギャップなど、「言葉」に派生する様々な葛藤に丁寧に向き合って生きてきたのだろうと想像する。

村上春樹の「遠い太鼓」や「やがて哀しき外国語」もまた、日本語で育った人々が、海外で生活する上でどこまでいっても付き纏うどうしようもない感情をうまく表現した本であったが、グローバル化を終え、国境を越えて生活することが人類史上かつて無いほど活発に行われる現代。その中でオーストラリア、日本人、アフリカ難民を「言葉」で紡ぎ、人が生きるとはどういうことか、人と交流するために言葉は何を助けるのかを丁寧に描いた一冊ではないかと思う。

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第29回(2013年)太宰治賞受賞
第150回(2013年下半期)芥川賞候補作
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岩城けい

2017年6月18日日曜日

ニューポート・ストリート・ギャラリー(Newport Street Gallery) カルソ・セント・ジョン(Caruso St John Architects) 2015 ★★★


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90年代にヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBAs)の筆頭として一躍時の人となったイギリスの現代美術家、ダミアン・ハースト(Damien Hirst)。

サメを丸々一匹ぶつ切りにしてホルマリン漬けにした作品などで知られる彼が長くスタジオとして利用していたテムズ川の南に、彼の作品を展示するのではなく、彼のアートコレクションを展示するギャラリーとして2015年にオープンしたのがこのニューポート・ストリート・ギャラリー(Newport Street Gallery) 。設計をしたのはカルソ・セント・ジョン(Caruso St John Architects)。ちなみにこのニューポート・ストリート・ギャラリーは2016年のスターリング賞(RIBA Stirling Prize)を受賞している。

ここもまたアドミッション・フリーなのがさすがイギリスだと思うところであるが、行われていたのはバルバドス出身のアーティスト、アシュリー・ビッカートン(Ashley Bickerton)の展覧会。


アート関係の建築を多く手がける設計事務所だけに、非常にシンプルであるが、展示空間としてしっかり機能しつつ、階段周りのディテールや天窓もしっかりとデザインがされており、スターリング賞受賞というのも納得させられる。

このギャラリーが面白いのはその展示だけでなく、ダミアン・ハーストによる「薬」をテーマにしたレストランがあること。立ち寄ってみると、壁紙も近寄ってみればすべてカプセルの表示でなりたっており、椅子やランプもビーカーが使われていたりと徹底して薬をモチーフにした空間となっている。ハーストらしい、社会に対してのブラックなメッセージが底辺にあるのだろうが、それでもなんとも発見に満ち溢れたワクワクした空間となっている。

ギャラリーをでて道沿いに少しいくとショップが併設されており、展覧会やダミアン・ハーストのグッズなどを購入することができる。スタッフに話を聞くと、この場所がハーストのキャリアにとってどんな意味を持っていたのかなど、なかなか詳しく話をしてくれるのもまた魅力的。

こうして周縁部に広がる都市としての魅力に、じっとりとロンドンの文化の力を感じながらホテルへと帰路に着く。


















2016年11月7日月曜日

「アートは資本主義の行方を予言する」 山本豊津 2015 ★★★



アートの世界で生きる友人と食事に行くと、如何に世界の各国が文化やアートを国家的戦略として見据えて育てているか、そして世界を俯瞰した際に現代におけるアート市場がどの都市を中心として回っているのかが話題にあがる。

そんな彼が「山本さんの本、読み終えたからどうぞ」と貸してくれた一冊。著者は日本で最初に現代アートを扱い始め、「もの派」などを世界に紹介した画廊として知られる銀座の東京画廊のオーナー。東京画廊は現在のように経済の過熱する前から中国でのアート市場とアーティストの可能性を信じ、世界に先駆けて北京の798アート地区にBTAPとしてギャラリースペースをオープンした画廊でもあり、世界を俯瞰する視点を持った数少ない画廊の一つでもある。

自分も東京画廊には縁があることもあり、ぜひとも読んでみたいものだと思っていたタイミングであったので、早速読み進めることにするが、ポイントとしては一般的にはよくその価値が分かりづらいと囚われがちなアートの世界が、実は非常に資本主義の本質を体現しており、希少性がいかに価値を決めていくか、そして中心に対する周縁の意味など、才能を持った限られた人間によって作り出される今まで存在しなかった作品に、いかに資本が流れていくのかをとてもわかりやすく解説する。

その脇で、東京で初めて現代アートを扱うようになった初代オーナーである自らの父親と、黎明期の画廊と社会の姿、そして海外から日本へ、そして日本から海外へと様々なアーティストが自らの画廊を通して社会に知られていくようになった様々な展覧会の意味。現在のアートの世界を動かす力までなった中国人アーティストとその市場にいち早く参与し、その現在の姿などなど、画廊という視点を通して見えてくる社会の姿を描いていく。

「美」とはなにか?

という喉元に突きつけられるような厳しい自問自答を毎日繰り返して長年過ごしてくる画廊主であるからこそ、最後は文化と美の本来的な意味に立ち返り本を締めくくるが、年々加速するネットショッピングのなかで見受けられる値下げ競争の姿に対し、まったく対極にあるように見えるアートの世界がいかに同じ資本主義の概念で説明でき、かつ存続しうるのかをすんなりと消化できるようになる、現代を生きる上でとても意味のある一冊であろう。

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■目次
第1章:資本主義の行方と現代アート――絵画に見る価値のカラクリ
第2章:戦後の日本とアート――東京画廊の誕生とフォンタナの衝撃
第3章:日本発のアートと東京画廊の歩み――脱欧米と「もの派」
第4章:時代は西欧からアジアへ――周縁がもたらす価値
第5章:グローバル化と「もの派」の再考――世界と日本の関係
第6章:「武器」としての文化――美の本当の力とは?

あとがき
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