2013年12月31日火曜日

New Year's Eve


早朝7:30に南国から極寒の北京に到着すると、進行中のプロジェクトの進みがよくないとSNSで怒り狂っているパートナーのコメントをみつけ、しょうがないので一度家に帰り、体調を気遣う妻をおいてそのまま出勤する事に。

何とか軌道修正し、結局通常出勤の様に夜の8時まで仕事をしてしまい、フラフラになりながら帰宅する。約束していた友人の家でのカウントダウンの為に、束の間の睡眠も取れずに他の友人と合流して中心地の景山公园近くの胡同に位置する友人の家に。

一緒に行ったドイツ国籍のインドネシア人の建築家の友人。伺ったのはオペラのメンターご夫妻のお宅。まだ他のゲストが来ていないということだったので、早速屋上のテラスにあがり、話をつけてあるというお隣のフランス人のテラスへとフェンスをよじ登りあがっていく。

鍋で熱々にしていてくれていた様々なスパイスを入れたホットワインをいただきながら、すぐ近くに見える景山公园など大晦日だというのに何とも静かな周囲を監察していると、徐々に他のゲストの方も到着。

医者をされている奥さんの同僚のアメリカ人医師とそのガールフレンド。以前にそのアメリカ人とはご飯を食べていたので、久しぶりと挨拶をし、以前つれていた「高校生の娘さんは?」と聞くと「どこかで踊りまわっているよ」と嬉しそう。

続いて同じくアメリカ人ドクターが来て、他にも病院で通訳などをされているという日本人、韓国人、中国人の女性達も合流し、再度テラスにてホットワインとライス・プディングをいただき、メンターの生まれであるスコットランドのしきたりだと言う。

カウントダウンまでそれぞれ気ままに話をして、深夜間際に再度テラスに上がり、英語、日本語、韓国語、中国語での「蛍の光」斉唱。もともとはスコットランドの民謡だとはじめて知る。

そんなこんなでカウントダウン。一通りお祝いしたら、皆ぞろぞろと家路についていく。そんな中最後に残った我々は気の置けないメンターご夫妻と4人だけで、様々な話に華を咲かせ、そろそろ丑三つ時も近づいてきたのでということでお暇し、眠気がすっかり冷めるような凍てつく寒さの中をスクーターで家路につくことにする。







プーケット ★

「一年、しっかり働いたから、束の間でも身体を精神をゆっくり休めて英気を養う」

自分が納得できるくらいよく働いたと思えるような一年をなかなか過ごすことなくこの歳まできたが、流石に今年は身体も精神もへとへとになるくらい働き詰めだったと思うので、思い切って休みを取り足を伸ばしたプーケット。

普段はどうしても安易な方へと流れてしまう読書の傾向なので、一年を締めくくるにはやはり少々ハードめな専門書をと悩みに悩んで選んだ二冊の建築本。想像していたような「波の音だけしか聞こえない静かな夕闇の中、お茶を飲みながらゆっくり本のページをめくる」というような、如何にも村上作品に出てきそうな時間の過ごし方は叶わず、結局行きの飛行機の中で読み進めただけで、リュックのなかの重しとしてしか機能しなかった重いその二冊を罰ゲームの様に持ち帰ってくることになるのだが、緩んだ神経には緩い内容が丁度いいと言わんばかりに、一緒に持っていった小説はサクサク読み進めることができた。

ワクワク感を感じながら、職業的刺激を探しあてるように向かう巡礼のような旅ではないこのような旅は、その段取りを全て妻にお任せしていたので、ホテルや行き先などの重要項目以外はほとんど知らずに当日を迎える。

現地での移動を楽にする為に、空港でレンタカーをしてホテルに向かう。という段取りだったようであるが、どうもホテルがあまりプロフェッショナルなやり取りをできず、情報が間違っていて、深夜に到着した空港のレンタカー・カウンターはしっかり閉まっているので、あれやこれやと手を尽くして結局タクシーでホテルに。

空港から1時間ほど、ビーチごとに町になっているプーケットの様子を見ながら、「これは初日にカーナビのない車を借りたところで、どうせ運転して到着するのは無理だったな・・・」と思いなおしながらホテル到着。

深夜にチェックインということで、余り英語が得意ではないスタッフに部屋に案内されながら、「この部屋の後ろの敷地で建築作業をしているので、ちょっと騒音がうるさいかもしれません」と飄々と言うので、「明日にでも他の空いている部屋を調べて変えて貰えるように頼んでおいてください」と伝えるが、どうもうまく伝わらない様子。その様子に一抹の不安を感じながら眠りにつく。

翌朝、早速ビーチに足を運ぶことにし、北京に行くからということで、水着を持ってきていなかった妻の為に水着を物色しに近くのマーケットへ。道から外れた奥にあるお店で陽気に話してくる女性の店員に話をすると、なんでも「ビルマ(ミャンマー)から来ている」と。今回の滞在中に何人ものミャンマー人に出会ったが、タイ南部にはかなりの亡命ミャンマー人がいるようである。

なんでも彼女が言うには、ビルマの情勢がやっと安定してきたから、2015年には国に戻るのだと言う。日本にもかなり多いミャンマー人。「いつかぜひ行って見たいんだ」なんて言いながら「今日最初のお客なんだから・・・」なんて中国式の値段交渉で水着とパレオを安く購入してビーチに向かう。

街中では多くの外国人がスクーターをレンタルして足としているようなので、ついでに道すがらのレンタルバイク屋を覗いてみると、上のフィットネスクラブに入って来い。という看板が。

入っていくと、筋肉が盛り上がったシベリアンハスキーのような獰猛な目をし、頭の上からびっしりと刺青の入った軍曹の様なロシア人が対応してくる。普通こういう人は見かけと裏腹に優しいものだと思うがいやはや。「スクーターに乗った事があるか?」と聞いてくるので、「電動スクーターだけど毎日乗っている」と答えると、「俺は、乗った事があるかとだけ聞いたんだ」と、「YesかNoだけで十分だ」と言わんばかりの圧迫感。「満タン返しを忘れるな」と言う言葉を聞きながら、逃げるように外にでる。

外にでて、「あれはどこかの傭兵だったに違いない。絶対に人を殺している目をしている。」なんて勝手に想像を膨らませ、近くのレストランで本場のトムヤンクンのスパイスに舌を痛めながらプーケット生活を開始する。

街中がロシア人とロシア語に覆われているのに驚きを感じツーリズムの恐ろしさを実感しながらも、滞在したカロンビーチからスクーターで南に足を伸ばして、プロンテープ岬やラワイビーチ、プーケットタウンなどを巡りながら妻の調べたレストランなどに向かう。

ガソリンスタンドのおじさんに「これで満タンだよ」と言われて夜に軍曹にスクーターを返却しに行くと、貸し出しの時には何の確認も無かったくせに、無言のままに隅々まで傷をチェックしだし、ガソリンタンクに指をつっこみ、「貸したときは第二関節だったが、今は第一関節だ。満タンといったのに満タンではないので追加料金だ」と何とも理不尽な事を言われるが、こんなところで殺され熱帯魚の餌にされるのも癪なので、さっさと払って後にする。

翌日はホテルで紹介しているツアーに参加し、ピピ島にも足を伸ばしたりしながら、それなりにツーリストらしい時間を過ごし、よくよく考えると野菜が非常に少なく、一辺倒なタイ料理にそろそろ胃腸と舌がやられはじめていく。

軍曹とは違って感じのいいタイ人のレンタル屋でスクーターを借りて、更にいろいろと足を伸ばしては、「今年は一体何日、夕日を見ることがあっただろうか」と思いながら沈む夕日を見ながらレモンジュースで喉を潤す。

何もしない事を目的にするならば、プーケットの様に開発の入ったところで、ビーチ・アクティビティーや色んなツアーのあるようなところではなく、本当に何もする事がないくらいの僻地に行かない限り無理だろうと思い知りながら、押し寄せるツーリズムの波の強烈さを身にしみて大晦日の北京に向かって帰ることにする。















「九月が永遠に続けば」 沼田まほかる 2004 ★

----------------------------------------------------------
第5回(2004年) ホラーサスペンス大賞受賞
----------------------------------------------------------
「グロテスク」

そんな言葉を何度も頭に浮かべながらページをめくったこの一冊。非常に嫌な感じのする、全編を通して付きまとうネットリした性の気配。

登場人物がその年齢や役割に関係なく、常に「男と女」というむき出しの欲望を社会性という表面のすぐ下に隠し持ちながら役割を演じているような気にさせるほど、「性」の気配が常に見え隠れする。

「グロテスク」なものが、その差異性の為に何からしらの「魅力」を携えてしまうように、痛みを感じる描写やえぐいほどに壊れやすい美しい登場人物達は、不思議な魅力を持っているのは確かであろう。

それがいいのか悪いのか、小説として何か心に残るのかどうかは別にして、それでも目を覆う指の間から、「グロテスク」をちらりと見てみたい人間の欲望の様に、先のページに何が待ち受けるのか気になって読み進めてしまう。

よりグロテスクなものを求める。それが人間の本性だと言わんばかりに。


登場人物は決して多くは無いがその中で複雑にそしてドロドロに絡み合う人間関係。41歳のバツイチの主人公を中心にして、一見普通に見えながら、何とも心に闇を抱えた登場人物たちに絶対的に惹きつけられしまう。現実にもいる、そこに居るだけで周りをひきつけてしまう人間達。

「グロテスク」と言えば、東電OL殺人事件を元にした桐野夏生の小説を思い出すが、それとはまた違った意味の「グロテスク」の魅力と恐ろしさを描いた内容で、新しいだけにどう消化するのに戸惑う一冊。


2013年12月30日月曜日

「殺人鬼フジコの衝動」 真梨幸子 2008 ★

「貧困は連鎖する」

それを実感を持って理解させてくれる一冊。これを読めば、「なぜ貧困が連鎖してしまうのか?」を痛いほど理解でき、問題は「貧困そのものよりも、そのメンタリティーが連鎖する事」であると実感する。

貧乏はお金が無いから貧乏なのではなく、どんなにお金があろうとも、計画性も無く散在してしまえばいつまでも貧しい生活から抜け出せない。

と本書の中でも書かれるように、どんなに収入が少なくとも、しっかりと計画をして欲望を抑制し、分相応な生活を規律を持って続けられる人はいつかは豊かな生活にたどり着ける。

まさに真実。

その規律。計画性。メンタリティーを誰からも教わることなく、良い手本を一度も見ることなく大人になってしまう。刹那的な目の前の喜びだけを追う生活。

「将来、どんな大人になればいいか?」

の問いに対して、かつては「誰かの役にたつ人。社会に必要とされる人。人から尊敬される人」という答えが暗黙の了解として共有されていたが、いつの間にか「お金を稼ぎ、自分の欲望を満足できればそれでいい」になってしまった日本。

そのお手本の様に、小さな時からどう生きるべきかを教えられず、常に自分の視線から物を判断し、周囲に受け入れれらる為に小さな嘘を重ね、自分の心の中で大きくなる小さな欲望に振り回され、大人になっても欲望ばかりが大きくなる一方で何も大人になっていかない。

テレビをつければアイドル志望の数多の若い女の子が次から次へと出てきている。いくらネットの出現と共に、消費者にも多様化が進んだと言っても、これほどの多くの若い女の子が将来芸能界で生きていけるんだという思いだけで、大量に生産され消費されていくのは本当にいいのだろうかと思ってしまう。彼女達の中のほんの数人だけが、その後も光の当たる舞台にい続けることが出来るだろうが、それ以外の多くの子達は、それでも生きていかなければいけない。

虚構の世界で評価される自分を追い求めてきた光の当たる若かりし時代。恐らく世間よりも厳しい規律の中で日常を生きるということもあるだろうが、それでもやはり大人になるステップを何段か踏まずに時間を過ごしていることも事実であろう。

よほどしっかりした親や、周囲の大人がケアしない限り、用無しになって放り出されて、どうしていいか分からなくなってしまう子達も大勢いるのだろうと勝手に想像する。

同時に、現代日本ほど風俗産業やアダルト産業が肥大化し、様々なジャンルに枝分かれした社会も珍しいのだと思う。それだけ巨大化した産業で働く女性達。それを求める男性がいるから、という事ももちろんあるだろうが、それにしても、世間とはまったく違った労働と報酬がまかり通るその世界に、小さな自分の欲望を満足させる為に安易に足を踏み入れていく若い女性達。

そこから再生産されるように生み出される貧困が連鎖した子供達。そんな事をイメージさせる何とも嫌な気分になる一冊。「嫌われ松子の一生」を連鎖させるが、より一般性と現代性を持ちえているといえ、こういう世界は、実は自らの日常のすぐ隣に潜んでいるんだと少々ゾッとする一冊である。

2013年12月29日日曜日

「新世界より 上・中・下」 貴志祐介 2008 ★★★

----------------------------------------------------------
第29回(2008年) 日本SF大賞受賞
PLAYBOYミステリー大賞2008年 第1位
2009年本屋大賞 6位
第30回(2008年度)吉川英治文学新人賞 候補 
----------------------------------------------------------
目次
I.若葉の季節
II.夏闇
III.深秋
IV.冬の遠雷
V.劫火
VI.闇に燃えし篝火は
----------------------------------------------------------
まぁ書店の店頭でも良く見かけた本であるし、様々なメディアでも持ち上げられ、著者の次回作に当たる「悪の教典」が「サイコパス」を題材に映画化までされる大ヒットのお陰もあり、その下地になっている本作にも改めてスポットライトが当たったということだろう。

日常を生きていれば、むかつくこともそれはそれは多々あるのが人間である。誰でも頭の中では、「こんな奴死んでしまえばいいのに」と思う事くらいあるだろう。「こいつがいなくなればどれだけせいせいするか」そんなことを思いながらも、しかし多くの人間がそれを実行はしない。

何故か?

それは法が許さないから。
社会が許さないから。
それをした後の自分の人生がどんなものか想像できるから。

なんとか我慢し、気持ちと折り合いをつけながら、周囲と調和して生きていく。それが社会で生きる人間の日常。

つまり理性が恐ろしい欲望を制御している。
では、それを制御する必要が無かったらどうなるか?
もしくは制御する理性を持ち合わせずに、思いのままに殺戮を繰り返しても何も感じないどころか、それを快感と感じるようであれば、どうだろうか?

本能のままの殺戮や殺害を実現させる為に、圧倒的な能力や技能が必要となる。「ハスミン」は高い知性と専門知識に高い身体能力も持ち合わせ、それに加えて高度な心理学の知識を使い周囲の人間を操っていった。

それに対して今回登場人物達に与えられる武器は何か?なんと念動力である。そう「ハンド・パワー」のようなものである。人間が「念」の力で自由に物理世界に影響を与える事ができるそんな魔法の様な世界が舞台。

「そんなバカな・・・」と口をあんぐりしてしまい、「ハリーポッターの世界みたいなもの?」とツッコミたくなってしまうが、それをつっこませないくらい世界観に説得力を持たせるためにどんな設定を持ってくるか、その答えが1000年後。

「恐るべし京都大学」と今度はその発想の転換を可能にした著者の出身大学につっこみたくなるが、現在の社会の痕跡を残しつつ、ハリーポッターやドラゴンボール並みの「念」の力が可能だと説得力を持つほど現在とは様変わりした社会を描くために必要な距離と時間。それが1000年。

常識が別の常識へと取って代わられるには相当な時間を必要とし、現在が古代として風化するにもそれなりの時間を要するということだろう。なによりも、人を人としてでないかのように、滅茶苦茶に殺しまくる姿に投影されたある種の心地よさや快感を現代人の良心や常識を頭の片すみに残していたら、それに共感する自分の心に一抹の罪悪感を感じずにいられないだろうが、常識的なセッティングでは甘っちょろくて、それすら白紙還元してくれるくらいな極端な舞台変換。それが1000年後。当たり前を当たり前としない未来のお話。

そんな風に著者自ら投げた時間のボール。しかし1000年というのは生半可な時間ではなく、それを物語の背景とするには、相当な作りこみが必要になるほどの時間である。

考えても見ればいい。今から1000年前、この国ではまだ鎌倉幕府すら設立しておらず、平安の都で貴族が朗らかに和歌でも詠んでいた時代に、どうやって1000年後のこの国で関東の田舎に移された首都の首長が、年の瀬に冷や汗流しながら札束に見立てた箱をバックにどう詰めれるかに四苦八苦しているなんて想像し得ただろうか?

その時間を埋めるのに引っ張り出されたのが物語のあちこちに登場する現在の我々の価値観から見ると「奇形」に映る動植物たち。様々なSF映画などでも常套句の様に使われてきたが、我々の世界とは違った進化の過程を経るか、もしくは地球という重力や環境の少しのパラメーターが変化したりすると、そこにはまったく異なった形態をした動植物が出現するはずである。

同じ重力場を持つ地球上でも、数千万年前には温熱環境の違いからあれほど巨大に成長した爬虫類である恐竜が闊歩していたという事実から、ちょっとの変化でまったく違った世界が現われるというのは誰でも小さな頃から夢想することであるが、それを1000年という進化の過程からいうと極めて短い時間で成し遂げるには何かしらのトリックが必要になる。

しかも、「奇形」を出現させつつも、人間は現在と同じ姿かたちのままに遺しておかないといけない。この二律背反を成し遂げないと、誰も感情移入して詠んでくれるような「お話」にはなりえない。なるほど難しい課題に助け舟を出すのはいつの時も終末戦争で押された核のボタン。放射能の影響を免れた人間と、影響を受けつつも進化の過程を変化させていった動物達。

兎にも角にも、今まで見たことのある生物とは明らかにかけ離れた生物の姿を見ると感じるある種の興奮をもたらし、生物の生存というより根源的な部分で直接脳に働きかけるような効果をもたらしつつ、トンでもないセッティングへのつっこみなどどうでもよくしていくその手法は流石と言える。

そして何よりも、現在の世界のように、科学を手中におさめ、弱肉強食の頂点に人間が立つ世界から、恐ろしいほど強力な「念」の力を持ちながらもそれが絶対的な優位を約束しない、人間が圧倒的に強いものではなく、人にとって危害を与えるような恐ろしい動物達が蠢きあう世界。

バケネズミ、ミノシロ、ミノシロモドキ、風船犬、ネコダマシ、フクロウシ、カヤノスヅクリ、トラバサミ、オオオニイソメ、クロゴケダニ、イッタンハエトリガミ、トラフクガビル、チスイナメクジ、スミフキ・・・

まるで荒俣宏の「世界大博物図鑑」をイメージするように、それぞれの想像上の動物にもどんな生態を持ち、どんな骨格で、どんな動きをするか。天敵が何で、どんな捕食をするのか。そしてどんな生殖活動をし、種を残していくのか。そんなことまで一つ一つ細かく詰められたのが良く分かるディテールのぶれない世界観。

それを見たことのない人に、どうやってその生き物をイメージさせるか?どうやって闇の中で目で追えないほど早く動くそれらの動物の恐ろしさを伝えるか?ヌメリとしたそれらの動物の体液をどう感じさせるか?恐怖を伝えるその描写力とそれを生み出した想像力、そしてそれを世界に定着させるディテールへのこだわりはひたすら素晴らしい。

そこまで詰めて構築していく未来の姿。そんな異様な世界の中に挿入されるのがびっくりするくらいのノスタルジー。異物の背景に恐ろしいほどの日常がかぶさった時の不思議な感覚。その並列の効用は新海誠でも多用されるようであるが、著者によって持ち出されたのは「夏祭り」「注連縄」ドヴォルザークの『新世界より』と「家路」など。

驚くほどあっけない現在のものに、束の間「あれ、これって今の時代の話なの?」と錯綜する効果もたっぷりなノスタルジーを纏わされたキーワードたち。


建築を職としていると、必ず向き合うのが「未来の姿とは何か?」の問い。その時に科学の進歩だけの安易な未来ではない未来を誰が描けるか?「アバター」で描かれたのも良き例であるが、ピカピカした冷たい未来から一気に舵を切って自然に回帰する未来。そしてそれではない、まったく違った物理ではないものが支配する未来を描いた著者。

とんでもない設定をとんでもないディテールと想像力でその未来をとりあえず成立させて豪腕。


物語の最初に語られる「悪鬼」と「業魔」の物語。あまりにも示唆的でいろんなことを暗示するその物語が、著者が発するメッセージであるようであるが、「社会というものは本当はギリギリのバランスで成り立っており、何かの拍子にとてつもなくそのバランスが崩れ、人間の欲望が物凄い世界を描いてしまうかもしれない」という危うさを伝えているようにしか聞こえない。

それが「サイコパス」となるのか、「悪鬼」や「業魔」となるのか。

そして同時に、「人は誰でもその心の中に、悪鬼や業魔を飼っている」という著者の思いがこの長編を最後まで書き終わらせるエネルギーとなったのだろうと勝手に想像する。

ツーリズム

ロシア語で埋め尽くされたプーケットの街に、「ツーリズム」という名のイナゴに襲われ荒廃した風景を重ねてしまう。

日本でかつて起こったように、巨大な人口を抱える中国とロシアにおいても「中流の夢」として生み出された中産階級と、彼らが実現し始めた「ツーリズムへの欲望」。

恐らく国内のメディアで大々的に煽られて、脳内に刷り込まれている「ちょっと上の休暇の過ごし方」。そこそこの家庭が向かう先としてのタイのリゾート地。その少し上のクラスが向かうタイの孤島や、インドネシアのリゾート。更にグレードが上がるとカリブのリゾートへと。その欲望の受け皿になる為に、開発は止まる事をせず、際限なく地球に手を入れ続ける。

一つの街がその国の母国語以外の多言語に覆われる状態。それはなぜか女性への暴力を思わせる。圧倒的な力を持ち、押し寄せるように強制する。それを拒めば、「多くの外貨」という甘い汁を与えられることなく、他の候補地に流れていく。つまりは生き残る為に拒否できない強要。

それは観光という、他者によって生活が成り立つ都市にとっては受け入れるしかないものであり、英語やロシア語などの街中での比率が上がれば上がるほど、地元言語の世界的優劣を表しているようである。

誰もが無意識に強制参加させられている世界的競争。それによって終わる事のない開発。少しでも他の都市と差異化し、少しでも同じ年の中の競合者と差異化する。普通のホテルには少しでも写真栄えのするプールを設置し、少しでも海への眺望が望めるなら景色を売りにする。差異化の為に、全ては食べつくされ、もっともっとと限界を知らない。

星野リゾートの様に、自ら価値を生み出せる会社にとっては、逆にどこの場所にいってもそのサービスとノウハウで、十分に周囲と差異化をなしえる価値を創り出せる時代でもある。

「中流の夢」が世界中に撒き散らされ、開発の手が世界の隅々まで延びきった後には、今まで雑誌で取り上げられてきた一般的なリゾート地では膨れ上がった欲望は満足しきれなくなり、次に目が向けられるのは今までアクセスが悪い為に手が入ることなく守られてきた北海道や宮古島など毛細血管の先ともいえる場所場所。

そんな場所まで、いつかは中国語やロシア語で覆われる時代が来るのもそう遠くは無いかもしれない。それによってその土地に落とされる外貨。それによって失われる何か。それでは、何処かで「ツーリズム」に対してノーと言うか?まるで「リーガルハイ2」で描かれた一場面の様であるが、これも都市間競争の成れの果ての今の世界の実体。

やらなければ他の都市にとって代わられる。
自分がやらなければ、結局誰かがやる。

この状況は建築もまったく同じ。自分がやらなければ、結局誰かがやってしまう。その資本主義の流れは止められない。なら自分が必死に最善と思えるものをやるしかない。

ツーリズムの片棒を安易に担ぐのではなく、問題を見据え、どこもが「one of them」の世界にならないように、場所のゲニウス・ロキを見据え、何を成すかに意識を払い、日々の設計に向かいなおすしかないんだと改めて理解する。

2013年12月28日土曜日

水面ルンバ

タイのプーケット。朝食を取っていると、ホテルのプールに置いた葉っぱを拾うスタッフの姿が目に入る。

それを眺めていると、「恐らく何年後かには、水面をアメンボの様にスイスイ這っては葉っぱを自動的に片付けてくれるような、ルンバの様な機械が生み出されるんだろうな・・・」と想像する。

そうすると、今葉っぱを網ですくっているあのスタッフは仕事を失うことになるのだろう。そうしたら彼はどうするのだろうか?タクシーの運転手などになるのだろうか?しかしそういうある仕事が無くなったから、別の仕事を探して、別の仕事があるうちはいいけれどもそれがいつまで続くのだろうか?と勝手に想像は膨らんでいく。

単純労働であればあるほど、機械などに取って替わられていくのは避けがたい事実。その機会の出現で失われた雇用機会と、その機械の出現によって生み出された新たなる雇用機会を比べても、明らかに失われたものの方が多いであろう。

つまり新たなる発明は間違いなく人間の仕事を少なくしていく。人類に残された仕事量はいったいどれくらいなんだろうと。

Iphoneの登場によって間違いなく人類の時間の過ごし方は変わった。それを思いついたときにジョブスが見た未来は間違いなく輝かしいものだったであろう。そのビジョンへの想像力、それを可能にする実行力、それを支える経済力。様々な要因を持ちえて今世界中の人の手に彼のビジョンが届けられている。

そのビジョンのお陰でどれだけ生活が豊かになり、どれだけ仕事が効率化されたか。

しかし、それと同時に世界の何処かで誰かがそのせいで仕事を失ったこともあったに違いないと想像する。

「風が吹けば桶屋が儲かる」

ではないが、これだけ大きな社会的インパクトを与えた道具は同じくらいの大きな単純労働を無くしてしまったに違いない。その代りにアプリ制作や様々な広告など新しい業態の労働が生まれたのももちろんであるし、歴史なんていうのは多かれ少なかれ同じような事を経験しながら現在に繋がっていると言う事も事実であろう。

しかしこれほどある場所から発せられた事象の影響力が世界の隅々まで届くようになったグローバル世界においては、新しい事の輝かしい面だけを見て進めてしまうことにより、多くの無意識の格差の皺寄せを受ける人々を生み出してしまうのだと改めて感じながら朝食を終えることにする。

2013年12月27日金曜日

都市間競争

プーケットに来て驚くのが、圧倒的なロシア人の多さ。それにもまして、街自体がロシア人用にフォーマットされてしまっていること。

街のいたるところの看板は、ロシア語でかかれ、レストランに入れば自分達以外はほぼロシア人家族。メニューを見ればまず最初にロシア語で、その次に英語、中国語でタイ語。

そのロシア人が特別裕福そうな感じではなく、如何にも中流という雰囲気なのもまた驚く。普通の家庭が年末にタイにバケーションで数日滞在できる。それほどの経済水準に国自体が成長しているという事実。

それに対して受け入れる側のこのプーケットの街。資本主義というものがそもそもそういう性質のものだからであるが、タイの街であるにも拘らず、街中がロシア人の為にフォーマットされ、共通言語のタイ語は見かけることなく、ロシア語、英語で街が覆われる。

恐らくレストランのメニューも地元民が普通に暮らす単価より明らかに高く設定されており、その理由となるような特別なサービスや特別な材料は使われておらず、「これくらいのマージンを乗っけても、街全体として価格破壊を起こさなければツーリスト達は払うはずだ」という思惑が透けてしまっているのは否めない。

かつてはアメリカ人やイギリス人相手、その後一時期日本人が大量に押しかけ、中国人とロシア人に人口移動の重点が移動しているという事だろう。その度に新しい言語のメニューを作り直し、同じことを繰り返して生きていくこの街。

このプーケットが相手にしているのは、決してロシア人ではなく、バリ島やフィリピンの小さな島など、同じように経済の後ろ盾を得て、大量のマネーを落として要ってくれるツーリスト達の受け皿になろうとする南のリゾート地達。

彼らなりの努力をし、なんとか要望に応えることで、街が生存でき、そこで生きる人たちの生活も成り立っていく。明らかなる都市間競争の一シーンがそこで繰り広げられているわけである。

少し前に日本国内の都市の勝ち組、負け組について考えた「吸い上げる都市」だったが、結局ここプーケットでも同じことが行われているわけである。飽くなき都市間競争。リゾート都市として負けることはここに住まう人の生活が成り立たなくなるだけであり、新規参入し新しいツーリズムの価値を携えてくる新たなる新興都市に対して常に優位に立たなければいけない。

ツーリズムではなく、人の流れ、経済の流れ、ビジネスの流れ、文化の流れにおいても、それはひたすら加速し、際限なく国際化し、全世界を舞台にして繰り広げられる。

今の日常でも接する数々の外国人。彼ら一人一人に「何故ここにいるんだ?」と聞いたら間違いなく、「より良い機会と仕事と人が集まっているからだ」と答えるだろう。国境という見えない線を越えて、限られた都市へ、更にその上の都市へとつながって行くモノとヒトの流れ。

東京の相手は、大阪や名古屋ではなく、ましてやマドリッドやイスタンブールなどでもなく、今や北京、上海、シンガポール、香港となっており、これは誰も止められない。

アジアに向かう優秀な人材が、東京に向かわずに上海に向かえば、それは都市の魅力においての負けを意味している。

優秀な人材であればあるほど、その上限は無い。より上の条件、良い機会、良い生活とキャリアアップにつながる場所。その能力を発揮できる場所へと人は動き続ける。

それがどこまでいくか?国の中での負け組都市を大量に作り出すだけではなく、国家間でも古く新しい社会に対応できないままのかつて繁栄した都市は衰退しながら臨界点で自ら変革を受け入れていくことになる。

かつて言われた地元回帰。「なぜ戻る必要があるか?」を考えると、それは家族であり、友人であり、自ら育てくれた故郷であるが、都市間の移動がより容易になり、生活圏の拡大によってある程度の距離と時間が問題にならないようになれば、それすら意味を変えてくる。

緩やかな階級社会の次に来るのは、明らかなる都市間格差。

徹底した効率化でもそれでも必要となる単純労働力を提供する低金銀労働者と共存しながらも都市の衰退に敏感な都市間ノマドとして生きる人々。やがて都市が多国籍の特権的場所に成り代わる日も遠くは無い。

競争に勝ち抜けなかった、
競争に参加しなかった
過去の栄光に胡坐をかいていた都市は取って代わられる

しかし、新しい都市が簡単に生まれるわけにはいかない。それが都市の難しいところであり、何故ならそれは都市は歴史を下書きにして作られているからである。

問題は都市の行く末を決定する力を持った人々が、どれほど敏感にこの世界の潮流を感じ取り、どれだけその圧力に恐怖を感じているかどうかである。

恐らく魅力を失いながらも、それでもある種の需要には応えつづけていくであろうプーケットの姿を見て、その奥に日本の様々な都市がこの先100年、どのような時間を過ごしていくのかに想いを馳せずにいられない。

2013年12月25日水曜日

「再会」 横関大 2010 ★★

----------------------------------------------------------
第56回(2010年)江戸川乱歩賞受賞作
----------------------------------------------------------
日常に戻るとなかなか読書の時間がとれないもので、なかなか消費されていかない本が本棚から恨めしくこちらを眺めているようでどうも罪悪感に苛まれながら日常を過ごすことになる。

年末だということで、中国ではカレンダーが違うから年末年始も普通に仕事だが、そこは外国人という特権を行使し、仕事への影響を最小限に抑えて数日だけ激寒の北京から暖かいタイへと向かう事にする。

寒さとストレスと疲労で、とことん緊張しきった身体中の神経を少し和らげ、「何もしない事」を目標にただただ好きに読書をする時間を過ごそうと妻に言われ、旅のお供に何を持っていこうかと本棚の前に立つのはなんともいえない至福の時間。

流石に長いこと専門書を読んでないのはまずいだろうと数冊の建築本。こういう時間に新書を持っていくのもなんともさもしい気がして、できることなら物語を読もうを文庫を漁る。

「できる事なら脳のアイドリングの為に、軽めにサラッと読めるものは・・・」と手にした一冊。「江戸川乱歩賞受賞作」とくれば、抜群の安定感に違いないとほくそ笑む。

空港にて搭乗を待つ間に読み出すのだが、なかなかペースが掴めない。どうも素人臭い展開だなと思ってしまうありがちな構成かと思わされる前半戦。それに追い討ちをかけるのが珍しく小説の登場人物として採用された建築家の設定。

国立大学の建築科を卒業し、建築事務所に入所して早速設計を任されてしまったり、30代中頃にして、大学の先輩に誘われて事務所を設立し、他にも忙しくプロジェクトを抱えながらも地元の大きな開発を受注したりと、「ないない」とツッコミを入れたくなるばかりでどうも物語りに集中できない。

一体どんな時代の建築事務所をモデルとしているのか知らないが、現代日本で建築事務所を経営していくとしたら、そんな簡単に仕事は回ってこないし、マンションを購入し、車を乗り回し、打ち合わせや現場確認に飛び回る。平日にも関わらず夜の8時には地元に車で戻ってこれるというから、恐らくそんなに忙しくないか、建築家の日常がどんなものかをよく調査せずにイメージ先行で書かれたのだろうと一人更につっこむことになる。

まぁ小説だから・・・ということだろうが、そんなにうまい事いかないもんだし、これが建築家の生活だと世の中の人は思ってしまうのかとなんだか要らぬ心配をしながらやや不満げにページをめくる。

それにしてもなかなか小説の登場人物としては選ばれない建築家というのは、なんとも退屈な日常を送る職業なのか。それとも普通に生きていれば、なかなか出合う機会もないので、登場人物として利用しようとも思いが回らないのだと更に勝手に想像する。

この「登場人物に建築家がいる」という事と同じくらい、ひっかかって中々先に進めなくなった要因の一つが「女性への暴行」。物語の肝になる部分だが、地方都市のやさぐれた金持ち息子が、高校生相手に山の中でレイプをし、更にいい大人になった相手に再度身体を要求する。

「何ともチープな設定だな・・・」と思ってしまうが、テレビの報道を見ていると、どこかの都市で女性を車に拉致し、暴行をし、更にお金を獲った人間が逃げているというニュースを目にし、ひょっとしてこの設定もあながち絵空事ではなく、実はそういうことに巻き込まれ、心と身体に傷を負った女性が沢山いるのでは?と思わずにいられない。

そんな訳で、最初はなんとも退屈な展開なのだが、徐々に物語は進み、現在が23年前の事件と繋がり、徐々に4人の幼馴染が誰でも犯人になりうる展開になるとそこそこ引き込まれながら読み進める。小学校の校庭に幼馴染4人で埋めたタイムカプセル。

日本人であれば誰でも自分をその中の誰かに投影できるのではという分かりやすい登場人物の役割分担。事件をすらすらと解いてしまうやり手の警察官が23年前に流れ弾を受けた主婦の子というのはやや無茶な気がするなど、ところどころにツッコみどころ満載だが、アイドリングには丁度良かった一冊である。


一番怖いのは学ぶ人

「ごちそうさん」を見ていると、様々な事を思わされる。

「あなたは凄いですね」とめ以子を褒める悠太郎。

「あなたは始め何にもできなかったのに、ご飯が炊けるようになり、おにぎりできるようになり、美味しい料理もできるようになり、大阪にきても馴染んで上手くやっていけてる。ほんま凄いですね」

と。そして。

「僕も変わらないかんですね」

「変わる」ということは、「学ぶ」ということでもある。変われる人というのは、学ぶことが出来る人である。人の持つ能力の中でそれが一番すごいいのではと思う。

元々能力がある人よりも、そこでどう学ぶか、どうやって学べばいいか、それを考えることが出来る人。そして着実に向上できる人が一番すごいと思う。

一番最初は誰でも一番下。何の知識も無ければ、経験も無い。それは当たり前。回り皆が自分よりも優れていると見えてしまい、気持ちも竦んでしまう。それでも、自分に何が足りないかを分析し、上手い人がどうやっているのかを良く観察し、どうすれば自分が向上できるかを考える。

どんな環境に飛び込んでも、焦ることなく状況を把握し、どこでも学んで、一つずつクリアして、何よりもそれを止めない人。

人は誰でも楽をする。働かなくても生きていくのに不自由しないお金があれば、きっと誰でも楽をしようとする。働いていてもそれは同じで、ある程度努力をすれば気持ちの中で「ここでいいや」と勝手にラインを引いてしまう。

「大学に入るために勉強するんじゃない」と声高に叫びながらも、大学、会社と日常を目の前にし、誰も「次に何を勉強すべきか」を教えてくれない環境で生きているといつの間にか学ぶことを止めてしまう。

常に満足しないこと。
常に謙虚でいること。
常に学び続けることを楽しむこと。

若いスタッフやインターンを相手にしていても、偶に出くわす「学べる人」。その子がその時点でどんな能力や技能を持っているかではなく、向き合う課題を理解し、その仕事の目的を把握し、何をすればいいのか分析し、自分に何が足りてないのか向き合い、そして着実に学び成長していく。

そういう姿を見るとやはり自分も学ぶことを止めたら、あっという間にこういう子達に追いつき追い越されていくのだろうと恐怖を感じる。

幾つになっても学ぶことへの好奇心を失わずに、職能の向上に繋げながらより世界を楽しむ視点を身につけていかなければと気持ちを引き締める。

2013年12月23日月曜日

人は楽をする

色んなところで言われるように、日本では正規と非正規の格差が留まる事を知らずに広がり続けている。

それは「今見える格差」だけでなく、将来的、40代50代になった時の格差。病気や看護など「何かあった時」の格差。退職時の退職金など老後に備えた格差。退職後の国民年金だけに対して厚生年金や企業年金などの老後の格差など、様々な「見えない格差」が先に控えていることは随分と認知されてきた。

それほどの格差が圧倒的に自分の人生だけでなく、子供などにも大きな影響を与えてしまうからこそ、誰もが格差の負け組みになりたくなく、なんとしても格差の上部構造にしがみつこうとする。

その構造が明確であればあるほど、会社員はどんな過酷な労働でも会社に残る為に、正社員の椅子を掴み続ける為に必死に会社に奉仕する。その構造をより確固たるものにする為に、会社は一度その傘から外れたものに対しては敷居を高くし、「一度こぼれ落ちたら、二度とこの特権は得られない」という状況を作り出す。そして、一部の特権階級とその他の大勢の格差負け組という絵が明瞭に描かれていく。

それが今の世界。これが「キャリアラダーの無い」状況であり、「一度降りたら二度と戻れない」現在の仕組みである。

と良く言われているが、本当にそうであろうか?

張り詰めた日常を生きるのは相当に大変である。毎日楽しいばかりではない仕事に、朝早くから起きて、身動きの取れない電車内では他の人の迷惑にならないように気を遣いながら一時間近く我慢して出勤するのは確かに辛い。

健康でいる為に、体調を管理する為に、睡眠時間やのんびりする時間を削ってジムに行き、汗を流してランニングしたり筋トレするのは確かに辛い。

厳しい競争原理の働く市場の中で、新しく出てくる競走相手に対しても常に自らの職能的価値を高めていく為に、新しい知識を学び、様々な技能を身に就けていく為に、自分の時間を割いてでも勉強や読書、セミナーなどに足を運ぶのは確かに辛い。

能力があるだけでは仕事が来るわけも無く、会社を知ってもらって仕事を貰えるように、今までまったくやったことのない営業の為にあちこちに出て行かないといけないのは確かに辛い。

そんな日常の中から少しだけ楽をしていく。

睡眠を削って、辛い運動をして体調管理するためのジムに行かずに、その分温かい布団の中で余分に眠るのは確かに楽だ。

眠い朝、朝ごはんをしっかりと料理する時間がめんどくさいので、簡単なもので済ませてしまうのは確かに楽だ。

電車の中で新聞や読書で小難しい内容に向かうよりは、周りも気にせずPSPで恐竜でも追っていたら確かに楽しいだろう。

職業的能力とは関係なく、仲間内の関係性、お付き合いの深さで仕事が回ってくればさぞストレスも無いだろう。

自分で稼いで、少ない収入でもその中でやりくりして生活をするよりは、親にパラサイトして稼いだ分を家に入れることなく好きなだけ自分の欲望に使えたら、さぞ楽しいだろう。

努力する事を止め、会社のブランドや社内での立場を利用し、人間関係の波をうまく立ち回ることで出世していければどれだけ楽であろう。

親のストックで自分の一生ストレスに晒されずに済むような遺産や何もしないで定期的な家賃収入が望めるような家業があれば、さぞ楽だろう。

自分の欲望を抑えることなく、収入よりも多く支出をし、足りない分は親や扶養者、行政などに頼るか、もしくは安易に稼げるような夜の仕事へと足を踏み入れたり、犯罪行為へと手をそめていけば、さぞ楽であろう。

手に入れた政治家と言う権力を利用して、何千万もの大金を簡単に手中に収め、「アマチュアだった」の一言で過ごせてしまえば、さぞや楽であろう。

こうして人は少しずつ、日常の中で楽をしようとしていく。

そして一度楽をしたら、一度階段を降りたら、そこに待っているのは今までよりも快適な日常。自ら「楽をした」と認識して時間を過ごしても、それはあっという間に新たなる日常へと変わっていく。そうすると、再度階段を上り、また張り詰めた日常に戻るのはほとんど無理になる。そんな気力は無くなっていく。


最初はほんの少しの休憩。
ほんの一段だけ。

そんなつもりが、気づけは何段も降りていることに。そこからも振り返ると、元いた場所がどれだけ上にあるかに唖然とする。かつての仲間がどれだけ先に進んでしまっているか。その距離と、そこに戻るまでの労力を嫌というほど思い知る。

「日本では一度レールから外れると、また戻ってくるのは相当に難しい」

そんな風に言われるが、問題はレールから外れてどの道を歩くかに違いない。レールから外れたのは、実は無意識に階段を降りてしまうことは多々ある。

それほど、組織から離れ、自らの意思で自らを成長させ続けるような時間の過ごし方をし続けるのは途方も無く難しいことであり、同時に組織の中にいれば、意識の高くない普通の人間でもそれなりに成長をし続ける事ができるという事であろう。

楽をする為に、階段を下りる為にレールから外れるのではなく、自分だけの階段を上る為に歩を進める。意識を高く持ち、欲望とうまく折り合いを付けながら、自らがした選択に対して意識的に時間を過ごしていく。

そんなことが出来る人とそうでない人との差がより一層大きくなっていく世の中になっていくのだろうと想像し、本当の格差とはそこに生まれるものだと思わずにいられない。

「日本人へ 国家と歴史篇」 塩野七生 2010 ★

人生を生きる上で、価値判断の基準となる物差しを持つことは素晴らしい事である。物差しは英語で「スケール」というが、その価値の物差しのスケールもまた長ければ長いほうが良いと思う。

自身が学生の頃に教えていただき、その後教える立場として一緒に学生を受け持たせていただいた恩師の建築家はとにかく古代ローマを専門としており、何かものを考える時のスケールが常に古代ローマ基準。良い建築を選ぶ時も1000年単位で選んでくる。

何かの良し悪しを判断するときにも、「こういう時古代ローマの建築家ならこういう処理をするのではないかな」と言われてしまうと、もう敵わないと思ってしまう。

長い歴史を経て現代でもなお生き続ける古代ローマの建築達。建築や都市という更新される分野の中で基礎となる価値を創り出した時代でもある。そして古代ローマから1000年以上を経った今、物事を思考する時間の起点をローマに持ってくる。

短いスケールでモノを見れば見るほど、あっちこっちに気持ちがブレる。しかし、1000年単位でもモノを考えれば、その間に何が消え、何が残るかが良く見えてくる。そして残るもの。モノの原理原則が何かを見据え、判断し設計する心構え。その姿にはいつも感銘を受けていた。

その建築家と同じ物差しをもって現代を生きる人がこの著者だと思っていた。現代社会にとっては何とも長い年月をかけてローマの物語を書き続けるその姿はやはりブレない姿勢を見て取れる。

そんな著者の新書でかなり売れ行きも良かったと聞いているのでブックオフで手にとって、暫く本棚に放ってあったら、珍しく妻が手を伸ばして読み出したようである。なんでも、「考え方が共感できて今年の一番かもしれない」と絶賛のご様子。

「そうか、そうか。やはり時間の物差しの長い人の見るものはそれなりに時間を遅くしてくれるのだろう」と、相対性理論のようなものの見方など期待してページを開いてみる事に。


1章あたりはところどころに引用されるローマの英雄。ローマ人の物語にものの見方のスケールの大きさを感じながら線を引きながら読み進めるが、徐々に期待していたようなものとのギャップに疑問符を持ちながら進めるので、徐々にページをめくるのが遅くなる。

妻に「何が面白かった?」と聞いても、「ものの見方」と返ってくるが、どうもその視線は古代ローマという悠久の歴史を背景に支えられているというよりも、長いこと日本を離れて海外に住んでいる品の良いおばちゃんのものの様に見えてきて、あれやこれやと外から見た日本へのダメだしばかりに見えてきてしまう。

その度に、「違う違う。これは古代ローマを旅した一人の淑女の思慮深い言葉に違いないんだ」と自分を励ましページをめくる。そんなことをしているので、新書にも関わらず3週間ほど時間をかけてなんとか終えた一冊である。

人には人の受け取り方があり、男女にもまたその差があるのだと思うが、自分にはどうもこれくらいの内容なら、本として出版するよりもブログなどで社会派を気取って発言している多くの人と変わりないと思うのにと思えてしまってしょうがない。

エッセイ集という芯の無い本であるからその印象はなおさらなのだろうが、それでもこういう本が結構売れると言うのは一定の読者がついており、期待して本を手にする層がいるということで、それは間違いなく筆者の今までのブレない執筆活動の賜物なのだと思いながらページを閉じる事にする。

----------------------------------------------------------
目次
Ⅰ    
/後継人事について
/葡萄酒三昧
/「ローマ人の物語」を書き終えて
/女には冷たいという非難に答えて
/世界史が未履修と知って
/遺跡と語る
/「硫黄島からの手紙」を観て
/戦争の本質
/靖國に行ってきました
/読者に助けられて
/夏の夜のおしゃべり
/安倍首相擁護論
/美神のいる場所
/歴史ことはじめ    葡萄酒篇
/歴史ことはじめ    チーズ篇
 
Ⅱ  
/滞日三題噺   
/ブランド品には御注意を
/バカになることの大切さ
/ローマで成瀬を観る
/夢の内閣・ローマ篇
/夢の内閣・ローマ篇(続)  
/漢字の美しさ 
/福田首相のローマの一日
/サミット・雑感
/オリンピック・雑感  
/“劣性”遺伝 
/開国もクールに!
/雑種の時代 

/一人ぽっちの日本
/海賊について
/拝啓 小沢一郎様
/イタリアが元気な理由   
/地震国・日本ができること
/昔・海賊、今・難民
/現代の「アポリア」
/ソフト・パワーについて
/八月十五日に考えたこと
/円の盛衰
/戦略なくしてチェンジなし
/価格破壊に追従しない理由
/「仕分け」されちゃった私
/仕分けで鍛える説得力   
/「密約」に想う

----------------------------------------------------------


2013年12月22日日曜日

絵を完成させる

年末だと言うのに、今年の干支の木彫りも終わらず、読み終えた本などのブログも大量に残っている。この状況は、自分にとって今年一年過ごした時間がある種の絵を描くとしたら、その至る所に多くの穴が空いているようなもである。

下手くそがやるジグゾーパズルのように、部分部分に白い部分が残ってしまい、何とも全体像を結べない。「ぼやぁ」としてなんとも気持ち悪いものである。

そんな凹凸だらけの穴に、一つ一つ絵の具を詰めていくように、時間がかかっても丁寧に消化し、外部化し、穴を埋めていく。

そうしておけば、何十年経った後も明確に自分にとっての2013年という絵を見返すことが出来るのだろうと自分を励ましてまた一つ絵の具を埋めていく。

「絶望の国の幸福な若者たち」 古市憲寿 2011 ★

最近様々なメディアでも目にするようになった若き社会学者。何冊か本が売れているという様子は知っていたが、どうにも腰が引けながら数年を過ごしてしまったが、どうやらこの世代のトップランナーであることは間違いないらしいので、とにかく知っておこうと手にした一冊。

若者である筆者自身が、おじさんが勝手に「最近の若者は・・・」とグチグチ言っているのに対して、「若者が若者の本当の姿を描いてやろう。彼らの視線が捉える現代の日本を描いてやろう。」という意欲作であり、そのためにはあまりにも曖昧に使われている「若者」という定義と「現代の」という定義をしっかりと統計学に沿って浮かび上がらせて、根本的には第六章の「絶望の国の幸福な若者たち」の内容が言いたかったこのという構成のようである。

もう既に「若者」というカテゴリーから足を抜いて、着実に「おじさん」のカテゴリーへと移り始めている自分であるが、「建築家」という職業的年齢ではまだまだ「若者」という払拭し得ない矛盾を抱える為に、社会学が捉える若者語りはどういう方向へ進んでいるのか見ていくことにする。

1章から5章までかけて語られるのは、「そもそも「最近の若者は・・・」と語られる、内向き、不幸、地元化、貧困、モノを買わないなどのそれぞれの要因について実際数字で検証すると何が見えてくるのか?」とおじさん世代が偉そうに言っている事が実は余りにも曖昧なイメージを元にしているということを論証し、そもそもそのおじさん達が若者であった時代と比べて若者自体が何か大きく変わったわけではなく、時代と国が変わったのだと一つ一つ論を進めていく。


--------------------
1950年の時点で日本の都市人口は4割に満たなかった。日本人のほとんどは農村に住んでいたのである。農村に住む若者と、都市に住む若者の生活スタイルはまるで違った。
企業としては一番人口が多い年代をお客様にするのが賢い。
--------------------
高度成長期を終え、右肩上がりの時代だから共有できた「中流の夢」が崩壊した後、生きる為に中央に向かわなければいけない人が減り、地元に残りながらも、それなりに楽しく、そこそこ幸せな日々が送れる現代。

縮小社会に向かう日本の今後を見据えるからこそ、その「幸せ」を支える生活の基礎自体が徐々に腐り始めていながらも、「今」の自分の状況をそれなりに「幸せ」だと定義して地元化の中で終わりなき日常を生きる現代の「若者」。

--------------------
なぜ車の販売台数が大きく減ったのか。日本の人口構造が変わって、高齢者が増えて若者が減ったからである。
--------------------

--------------------
安全で確実な道を選んで生きる。
英語力が足りないために自由な交流ができているわけでもない
他人を押しのけてまでは成功を求めず、むしろ身近な仲間達を大切にする。
--------------------

--------------------
不況だ、格差だと叫ばれている最近のほうが、バブル時代よりもよっぽどみんな留学しているのだ
「1マイル族」
「お金を使わない20代の若者」
「自宅から半径1.6キロ以内で暮らす若者」が増えている
--------------------

--------------------
あくまでも高度成長期と比べた時の話だ。当時は農村人口が多く、地元で働き口の無い「二男三男」たちは都市にでるしかなかった。いわゆる「金の卵」というやつだ。
都会の企業は安価な労働力として農村出身の若者を求めた。その利害の一致が起こした人口移動。
大学も働き先も無い「本当の田舎」が減って、「そこそこの都市」が増えた
--------------------

--------------------
自動車・家電・海外旅行離れ
若者は決してモノを買わなくなったわけではない。買うモノとそのスケールが変わっただけのこと
--------------------

--------------------
これからの人生に「希望」がある人にとって、「今は不幸」だといっても自分を全否定したことにはならない
「今日よりも明日がよくならない」と思う時、人は「今が幸せ」と答えるのである。
自分達の目の前に広がるのは、ただの「終わり無き日常」だ
コンサマトリーというのは自己充足的
社会という大きな世界に不満はあるけれど、自分達の小さな世界には満足している
「今、ここ」の身近な幸せを大事にする感性のこと
--------------------

--------------------
大学卒業後、一つの企業だけで働き、出世レースに明け暮れて、趣味と言えばゴルフとマージャンくらいしか知らない「お父さん」のほうが、僕から見ればよっぽど「内向き」に見える。
ムラに住む人の様に、「仲間」がいる、「小さな世界」で日常を送る若者たち。これこそが、現代に生きる若者達が幸せな理由の本質である。
多くの人が「仲間」と暮らすのは、何も起こらない退屈な日常だからだ。
日常の閉塞感を打ち破ってくれるような魅力的でわかりやすい「出口」がなかなか転がってはいないからだ
自分のつまらない日常を変えくれるくらいの「非日常」
--------------------

--------------------
世界中何処にいても「故郷」とともに暮らしていけることを意味する
世界中を自由に移動できるのも、実際には限られた人だけだ
--------------------

--------------------
おそらく若者を含めた、平均的な日本人はルイ14世よりも豊かな暮らしを送っている。
家の近所のレストランで世界中の料理を食べることが出来る
--------------------

--------------------
原子力を受け入れたムラは活性化した。雇用は創出され、出稼ぎ労働の必要は無くなった。喫茶店や飲み屋、下宿宿などが出来てムラは活気付いた。電源三法交付金や固定資産税などにより、ムラには図書館や福祉施設などの立派な箱物ができるようになった。

原発を止めることは、原子力ムラの人々の生活の基盤を脅かすことになりかねない。
--------------------

ざっとこのようなことが5章までに語られる。その前提を踏まえ進むのが第六章の「絶望の国の幸福な若者たち」。

今の日本で叫ばれる「格差」や「貧困」の実の正体が見えにくくなってしまっているのは、日本が「社会福祉」で成り立っている国ではなく、実は「家族福祉」と「会社福祉」で生活が保護されているからだという点はとてもすんなり納得する。

「既得権益に居座る高齢者の勝ち逃げ」状態になっている現代の少子高齢化社会。「足りない労働力は解雇しやすい契約労働者や派遣労働者で補おう」という企業の勝ち残りのための已む無き選択の幅寄せは、ダイレクトに現役世代の若者へと向かう事になる。

会社への忠誠を誓わせる為に、終身雇用制と年功序列制で若いうちは給与は低いが、長く会社に奉公すればするほど将来的な給与も、様々な付加的な待遇や福祉も手厚くいただけるという制度は、必然的に雇用の流動化を妨げる。

社会を支えるエリート養成の場としての役割から、全入時代を経て、「大学進学率が急上昇してしまい」、そのあおりを受けて起こる「若者の就職難」。

--------------------
WiiやPSPを買えるくらいの経済状況で、それを一緒に楽しむことが出来る社会関係資本「つながり」を持っていれば、大体の人は幸せなんじゃないか
--------------------
というように、現代に生きるためには「経済的な問題」と「承認の問題」をクリアしさえすれば、そこそこ幸せな日常をおくれ、そのために「わかりやすい貧困者」がなかなか見えてこない。

--------------------
若者の貧困問題が見えにくい理由、それは若者にとって「貧困」が現在の問題と言うよりも、これからの未来の問題だからだ。若年層ほど世代内格差は少ない。20代のうちは給与格差があまりないからだ。

しかし正社員と非正社員の違い、優良企業の社員とブラック企業の社員の違いは、彼らに「何か」あった時に明らかになる。

病気なった時、結婚や子育てを考えた時、親の介護が必要になった時、社会保険に入っていたか、貯金があったかなどによって、取れる選択肢は変わってくる。

若者の貧困が顕在化しない大きな理由の一つに「家族福祉」がある。若者自身の収入がどんなに低くても、労働形態がどんなに不安定でも、ある程度裕福な親と同居していれば何の問題もないからだ。50代の家の平均貯蓄は1593万円、60代だと1952万円になる

働いている子供が家にお金を入れている場合もあるが、たいていの場合、その額は家族を支えるほどのものではない。家事をほとんど分担しないケースも多い。また親と同居している未婚者のほうが、同居していない人よりも生活満足度が高いという調査もある

日本の経済成長と共にストックを形成してきた親世代にパラサイト
--------------------

自分の近くの誰かの姿が思い浮かんできそうな表現だが、相当多くの若者が以上の通りにかなり親に「甘え」、自らの経済性以上のレベルの生活を享受し、それに何の疑問を持たず、自分で稼ぎ、その中でやりくりするという当たり前のステップを踏むことなく大人になってきている。すぐそばまで迫っている、「親がいなくなった後」の自分の生活に想像が及ばないのか、それとも怖くて目が向けられないのか。

--------------------
一度「いい学校、いい会社」というトラックから降りてしまうと、再びそこに戻るのは難しい。

かつての若者には貧困から抜け出すチャンスも多かった
現在はフリーターから抜け出すのが二重の意味で難しくなっている
フリーター経験者を正社員採用することを躊躇する企業が多い
当の若者が必ずしも正社員になりたがっているわけではない
--------------------
と描写される現代社会。確かにその理由は間違っていないだろうが、それは同時にその本人が、皆と同じように苦しみながらも、楽しくない毎日の仕事を我慢しながらもこなしていくというストレスのかかる生活から下りて、責任もストレスも少ない生活に入る事で確実に「気力」も下がることになる。それは、「生きる」ことへの「気力」でもあり、「がんばること」への「気力」でもあるだろうが、一度そこから下り、楽を覚えた身体と精神には、また元の場所に戻ることも、元の場所での仕事や生活で責任とストレスを抱えながら生きる事は、続けるよりもより大きな「気力」が必要になる。

つまり一度階段を下りると、なかなか戻れないのは社会だけでなく、人間の性でもあるのだろうと思わずにいられない。


--------------------
未来の「貧しさ」よりも、今現在の「寂しさ」のほうが多くの人にとっては切実な問題だからだ。恋人がいればいい。
「無いと不幸なもの」の一位は「友人」
「ブスなら化粧で化けられるし、仕事が無くても、不景気だからと言い訳できる。でも、「友達がいない」は言い訳が出来ない。幼少期から形成されてきた全人格を否定されるように思ってしまう。
--------------------

--------------------
若者達の「二級市民」化は進んできている。「夢」とか「やりがい」という言葉で適当に誤魔化しておけば、若者が安く、クビにしやすい労働力だってことは周知の事実だ。
緩やかな階級社会へ姿を変えていくだろう。

Googleは「Googleで何を検索したらいいか」までは教えてくれない。提示される膨大な検索結果の中から自分で「正しい」情報を選ばないとならない。
そのうち、Googleから検索ウィンドウが消える日が来るかもしれない。過去の自分の行動履歴を元に、あらゆる情報はリコメンドされる。Amazonは、本の読むべき箇所までを推薦してくれるかもしれない。

一部のエリートは難解なNHKニュースを見続けるかもしれないが、多くの人はリコメンドされるままに「合コンで印象に残る自己紹介パターン」などのニュースを見続ける。
もうここまで来たら、江戸時代とあまり変わりが無い
--------------------
現代の情報社会に生きていると、情報革命が起こった初期の頃は、「ネット革命によって全ての人へ可能性がひらけた」とか、「生まれ持った経済性などの格差を取り除く可能性が生まれた」などと思われていたが、慣れてくるとそのツールをどう使いこなせるかによって、より格差を助長する役割を果たしてしまうものだと誰もが理解し始めた。

恐らく著者は、現代の日本の若者を見ていくにつれた、結局はそれも現代の社会の一現象に過ぎず、結局は世界全体で起こっている二極化の現象に他ならず、「緩やかな階級社会へ姿を変えていく」世界の中で、若者自らが「二級市民」化しているということを自覚せず、それでも「そこそこ幸せな終わりなき日常」を生きていることを指摘したいのだと次の言葉から読み取る。

--------------------
「日本」にこだわるのか、世界中どこでも生きていけるような自分になるのか、難しいことは考えずにとりあえず毎日を過ごしていくのか
--------------------

本来ならば、「日本」にこだわりながらも、世界中のどこでも生きていけるような職能を身につけて、常にその職能を向上させる日常を生きる事が出来る人か、それとも上記に示されたような「二級市民」化して終わる事なき若者として生きていくのか。

牙を剥いたグローバル資本主義世界が我々に突きつけているのはそれほど厳しい現実だと言う事だろう。

----------------------------------------------------------
目次
はじめに

第一章 「若者」の誕生と終焉
 1 「若者」って誰だろう?
 2 若者論前夜
 3 焼け野原からの若者論
 4 「一億総中流」と「若者」の誕生
 5 そして若者論は続く

第二章 ムラムラする若者たち
 1 「内向き」な若者たち
 2 社会貢献したい若者たち
 3 ガラパゴスな若者たち
 4 モノを買わない若者たち
 5 「幸せ」な日本の若者たち
 6 村々する若者たち

第三章 崩壊する「日本」?
 1 ワールドカップ限定国家
 2 ナショナリズムという魔法
 3 「日本」なんていらない

第四章 「日本」のために立ち上がる若者たち
 1 行楽日和に掲げる日の丸
 2 お祭り気分のデモ
 3 僕たちはいつ立ち上がるのか?
 4 革命では変わらない「社会」

第五章 東日本大震災と「想定内」の若者たち
 1 ニホンブーム
 2 反原発というお祭りの中で
 3 災害ディストピア

第六章 絶望の国の幸福な若者たち
 1 絶望の国を生きるということ
 2 なんとなく幸せな社会
 3 僕たちはどこへ向かうのか?

補 章 佐藤健(二二歳、埼玉県)との対話

あとがき
----------------------------------------------------------


2013年12月21日土曜日

鍼灸(しんきゅう)


我々の「食」のメンターであったインドネシア系アメリカ人の友人が、アメリカに戻る前に行ったフェアウェルで、彼女がかかっていたと言う「鍼灸」の先生を紹介してもらう。

妻も最近、自らお灸をやったりと東洋医学に何かと興味津々らしく、こちらも長年苦しむ肩こりと偏頭痛が取れるのでは?と期待をこめて電話して診てもらうことにする。

土曜日の早朝。指定されたのは胡同の一角の四合院。指定された住所の前で電話をすると「こっちこっち」と中から呼んでくれる人のよさそうなおばさん。一般的な胡同の家屋に招き入れられ、早速お茶を入れてもらいながら紹介してくれた友人のことなどあれやこれやと話をしながら、それぞれの症状を説明する。

「では、こっちのベッドで」と言われるままに薄着になりベッドに横になるが、なんといっても人生初の「鍼灸」。緊張しながら待つが、やはり針をさされた瞬間は「ビリビリ」とかなり刺激が走ったが、思ったよりも痛みは感じることはない。

「何時に寝ているか?」

と聞かれるので、

「大体24時から1時の間」

と答えると、「アイヤー、それは徹夜だよ。何て恐ろしいんだ。」と。

なんでも、人間の身体にとっては夜の11時から1時は一番大事な休息の時間であり、昼間活動して夜は休む。中国語で「排毒」といういわゆる「デトックス」の時間だと言う。つまりは身体がしっかりと休めてない状態を何年を続けているらしい。

10年以上続いた「頭痛」。日本の病院にいけば、首や肩甲骨に注射を打って筋肉を弛緩させても改善されず、中国の病院にいけば「体型不好」と言われ、週に何度もマッサージにいって何とかごまかしていたが、そのマッサージも「マッサージは一時的にリラックスされるだけで根本的な解決ではない」とのこと・・・

ちなみに「ツボ」は中国語で「穴位 xuéwèi」というらしく、頭や首が痛いと言っても、足や肘のツボを押して、「どう?痛みが無くなった?」と聞いてくるのを見ると、流石は悠久の歴史を持つ東洋医学だと思わずにいられない。

40分ほど針をしてもらい、その後ところどころマッサージされ、なんとか頭が軽くなった気がしながら、「仕事してストレスかかった時にも頭痛がなければいいけどな」と思いながら、変わりに針をされている妻を待ちながら読書をする土曜の早朝。

2013年12月20日金曜日

ごちそうさんの時代から


「あまちゃん」にどっぷりはまり、すっかり「あまロス」になっている妻を横目に、高視聴率をたたき出しているという「ごちそうさん」もやはり何かしら多くの人の心を打つメッセージが込められており、「食わず嫌い」だけはよくないと思いついに見てみることにする。

最初の1週だけはなかなかストーリに入り込めなかったが、その後はなんとも面白い。どちらかというと、女子的要素が多い身にとっては、女学校でキャピキャピしているシーンなど見るとなんとも、「分かるわぁ」となってしまう。

さてこの「ごちそうさん」の時代。明治後期から大正時代の様であるが、何とものんびりした感じの時代描写。女学校で花嫁修業のような学科を受けては、授業後に学友と「かふぇ」でおしゃべりに明け暮れながら甘味を味わう。帰宅しても家事を手伝うわけでもなく、女中さんがあれやこれやと手伝いをしてくれる。

恐らく現代に生きる多くの女性、「中流の夢」の果てに大量生産された自分は「お嬢さん」ととんでもない勘違いをしている女性がまさに夢見る日常。ストレスも無く、ただ毎日欲望と共に生き、決して辛い事はやらず、いつまでも子供のままで、独立した女性として果たすべきことも学ばないままに、このモラトリアム状態を持続させてくれる経済力と包容力を持ち合わせた男性との出会いだけを求める受身の日常。

そんなことが許される何とも贅沢な時代であると思わずにいられない。テレビも無いので、ランプを灯して本でも読むが、基本的には暗くなったら寝るという何とも健康的な生活。

そんな何とも暇そうな主人公に比べて大変そうなお母さん。ご飯を炊くのも、洗濯するのも、それを取り込むのも、掃除をするのも全て人の手でやらなければならない。それに比べて現代は、何でもボタン一つ「ピッ」とすればできてしまう。何とも楽になったものである。

本来、人が生きていく。家族が生活をしていくというのは大変手間がかかり、それを役割分担で負担しながら、誰かが家族の生活がうまく回っていくようにサポートをしてくれていた時代。その為に大変手間のかかる様々な家事があった時代。

それを理解せずに生まれたときからボタン一つで何でも済ませてしまい、本来の「手間」を忘れて生きる現代人。何でもかんでも「楽」をしようとし、「効率」だけを追い求め、果てない自らの「欲望」に押しつぶされそうに生きている。

本来大変手間のかかる家事から、ボタン一つで解放されたはずの現代の人類。かつてに比べて恐ろしいほど自由な時間が出来、余裕のある日常を過ごすはずが、どうにもそうならず、どう考えても当時の方が精神的に余裕を持って日常を過ごしているように描写される。

現代人は、朝起きた時から真夜中に寝るまで、当時の人の何倍ものことをこなさなければならくなってしまった。やる事もストレスとも人間関係も増えてしまい、精神的余裕を感じることなくただただ日々は過ぎていく。それほど現代社会で生きていくのは大変なことである。

人という生物が一日に処理しきれる事象やストレスというものがあれば、恐らく人類史上を考えても、現代人ほどそのリミットに近づいている人はいないのではないだろうか。恐らくある一定の人にとっては、これ以上負荷が高まると、一気に爆発してしまう。そんな臨界点の現代社会。

「手間」から解放する為に発展した技術のはずが、果てなく人を追い詰める。それは人の欲望が同じく果てしなく膨らむからであるに違いないが、毎日ご飯を食べたくなる朝ドラを見ながら思うのは、「手間」の大切さということか。

年代の多様性と触れ合う大切さ

先日妻が友人に誘われて、その友人の通うキリスト教の教会の活動として、北京郊外にある孤児院にクリスマスの飾り付けの手伝いに行ってきた。主に障害を持つなどして親が養育できないとされた幼児達が生活をする施設で、海外からの養子縁組などを受けているという。

その時は妻の友人が通う教会からだけでなく、中国人の大学生グループも訪れて幼児の遊びの相手などをしていたようであるが、妻が言うにはどの子も皆性格がとにかくオープンで、知らない人に対しても積極的に身体を預けているというのに驚いたと言う。

恐らく、養子縁組に出される子供たちなので、訪れる人に対してできるだけの愛嬌を振りまいた方がより養子に引き取られやすいというのを小さいながらに感じ取っているという点もあるのだろうが、何よりも毎週違う大人たちが100%の愛情を持って接しに来てくれて自分を可愛がってくれるという環境に慣れているからの性格なのだろうと妻と結論付ける。

こういう話を聞いて思う事。現代社会の都市生活では特に顕著になってきた、ある一定の層としか交流せずに繰り返す日常。特に日本の社会ではそれが顕著だと思うが、自分の生活水準に近しい限られた人としか接することなく、ストレンジャー達に出会うことなく時間が過ぎていく。

この教会の活動の様に、絶対的に自分がケアを与えてあげる事のできる幼児達に日常の中で触れ合うこと、それぞれの人の様々な意識を変えるのではと思わずにいられない。

中国の街を歩いていると、小さい子がお尻がぱっくり割れているズボンを穿きながら、母親に抱きかかえられておしっこをしている姿をよく見かける。もちろんあそこも丸見え状態。

そんな風景を眺めながら妻と話す。「そういう趣味の人にはたまらないんだろうね」と。そう思うが、そういう風景が当たり前に日常に溶け込んでいる方が、よっぽど変な趣向が芽生えないのかもとも思わずにいられない。

現代社会の過酷なストレスと、誰でも誰とでも繋がる事ができるようになったインターネットの出現で、女子高生や幼女など歪んだ性の趣向が渦巻く現代日本。それがこの国独特なもので異常なものであるのかどうかが気にかかり、スタッフの中国人に聞いてみるが、やはりそういうのは聞かないという。

日常の中に当たり前に年代の多様性と接すること。それが輪切りにされてしまった今の社会の硬直性を打開するのと同時に、少しでも健全な精神を取り戻す事にも繋がる事なんだろうと思わずにいられない。

ストレス発散

北京生活の長いグラフィック・デザイナーの友人と久々に食事にでかける。

ストレスと過労から最近体調を崩されたと言う話から、「どうやってストレス発散をしているか?」という話に。

なんでもその方は、バブル絶頂時にグラフィック・デザイナーとして活躍し始めたので、忙しくて使う時間がなく、気がつくと相当な額の貯金が出来ていたという。ストレス発散の為に、通常1冊2万円などする洋書などの専門書を値段を見ることなく次から次へと購入する。服も好きなだけ買うなどし、ストレスを発散していたという。もちろんお酒もその一つだという。

「なにでストレスを発散してるんですか?」

と聞かれて、いろいろ考えてみるが、とてもじゃないがその方のような潤沢な収入が望める職業でもなく、一般書店で好きなだけ専門書を買うなんてもってのほか。文庫本ですら気が引けて、気になったものはメモを取り、アマゾンと近くのブックオフで調べてから購入するというなんともさもしい購買行動を取っていると説明すると、

「倹約家なんですね」

と言われるが、そうでもない。

こちらでは初乗りが200円ほどのタクシーも、できるだけ乗ることなくいつも電動スクーターで移動するのは、確かに節約と言う面もあるし、日本よりも高額なスターバックスのコーヒーなどは絶対に自分からは買おうと思わないのは、それが節約に繋がると言うよりもむしろ自分から見て、原価率などを考慮してそのものやサービスがその価格に合っているかどうかがより重要でありと思われる。

直に社会に向き合い、自分の行うサービスに対して報酬をいただくという生き方を長く続けていると、どれくらいの費用がかかり、どのくらいの労力がかかり、どれだけの報酬を得る事ができるかにとても敏感にならざるを得ない。

そんな中でできることは、必死に自らの職能を高め、そのサービスに意味と付加価値をつけて報酬をいただくことである。その額に納得してもらえるようになんとか自分の能力とサービスを向上させ続ける事でしか、この競争社会の中では生き残れない。それほど、競争社会の中で自分の職能で一万円でも対価を支払ってもらえるようになるのは大変なことである。

そういう風に時間を過ごすと、世の中の大抵のものの適正価格はなんとなく分かる様になってくる。どこで生産され、どういう風に運ばれてきて、どのような流通経路を経て、どれくらいの手間がかかりこの場所にあるのか。

そうして自ら想定する金額と、提供されている商品の金額が明らかに開きがあるのはやはりおかしいことである。それはどこかの段階で、誰かが多くのマージンを得ているとしか考えられない。

利益を上げるにに一番安易で楽なのは、マージンを多くかけて、原価率を低く抑えて利益を上げること。何かしらの付加価値をつけて価格を上げるならまだしも、競争原理の働かないような市場において、同じ商品に対して適正でない価格をつけること。

できるだけそういうものにはお金を払うことなく生きていきたいと願う。それは決して贅沢ではなく、ただただ適正ではない価格だから。その様に物事を見ていかないと、100円、1000円単位の施工会社からの見積もりに対して、シビアに要求を返せなくなってしまう。

だからタクシーに乗らないのは、タクシーを待つ時間の無駄も、つかまらないストレスも感じずに、自宅で充電をしておけば、後は少々寒いのさえ我慢すればタダで市内を行き来できる電動スクーターは現在のところ最上の移動手段だと思うからそうしているということをよく理解してもらえた。

これは適正価格に対する価値観の問題。

もう一つはバブル時代を生きた人に比べ、やはり我々世代は厳しい収入の世界で生きているし、どんなに頑張っても好きなだけ書店で本を選べる金銭感覚には到底ならないと思われる。しかも現在の様にアマゾン、ブックオフと様々な手段で同じ商品を手に出来る方法があり、ただただそれには手間がかかるだけであるなら、喜んで手間をかけ、より安く手に入れ、その代りより多くの良質な本に出会いたいものである。

これもよくよく理解してもらえたようである。で、戻ってくるのが「ストレス発散の方法」。お酒はたまに気持ちよく飲めればいい程度だし、服も靴も気に入ったものがあれば数年ずっと同じような格好でもかまわないし、夜のお店にはまるような性分でもないし、では何かと考える。

振り返るとやはりブックオフの100円コーナーで欲しかった本を見つけたときにはやはりある種ストレスが発散されているし、アマゾンで欲しい本を安く見つけ、うまい事組み合わせて発送料も安くやりくりすると喜びを感じている。そう考えると「本を買う事」と、「自分の思う適正価格でそれを手に入れること」が両方揃うと自分はストレスを発散するようである。


納得顔で聞いている横の妻に「何がストレス発散方法?」と聞いてみると、「旦那と話をすること」と楽しげに答えてくるが、普通は「倹約家の妻に浪費家の夫」という家庭が多いのに、我が家はどちらかといえば逆だな・・・と思いながらそのまま会話を続ける事にする。

2013年12月19日木曜日

わざと間違えておく

服部真澄の「エクサバイト」で美術品の修復理論の三原則として紹介されるブランディの三原則。

1 修復に際して加える処置 その後に見たとき、明確に修復だと確認できるものでなくてはならない。
2 作品の見かけ上の仕上がりを変えてはならない
3 修復処置は容易に元に戻せるものでなくてはならない

チェーザレ・ブランディ「修復の理論」

修復というのはオリジナルに戻すことではない。
あくまでも時間を経た現在の美術品の状態を修復することである。
つまりはそれが修復された作品であるという証拠を残すこと。


読書をしてそれを纏めるために、まずは目次を書き出すことになるが、これだけネットに情報が溢れていても、新書などで全ての目次項目がネットで見つかるものはやはり少ない。そうなるとしょうがないので自分で打ち込むことになる。

この作業をすると、大体その本が何を言おうとして、その内容を分かりやすく伝えるためにどう構成されていったか、作り手の思考を追うことが出来るので、読む前に行う作業としてなかなか有効であると思っている。

そして読み終えた後、読みながら引いていた蛍光ペンの跡を打ち込むことになる。本を横に置いてみながら打ち込むのは、膨大な時間がかかるために、線が引かれたページをカメラでとってデータとして画面に表示しながら打ち込んでいくのだが、この時に気をつけていることがある。

それが上記の原則。ネット上のどこかからまるまるコピーしてきたのではなく、実体のある本を経由して、その中から自ら取捨選択した部分を打ち込んだという身体の痕跡を残すために、打ち込んだ文のどこかに小さな揺らぎを紛れ込ませること。

自分なりの方法で筆者が強い想いを持って発した言葉を身体の中に入れていく。内容を纏めるようなことは、星の数ほどある様々なブログで腐るほど見つけることが出来るので、それと同じにならないように、自分の身体の中で消化し、自分なりの言葉で外部化する。

これが自分なりの筆者への敬意。いつの日か自分が本を書く機会に恵まれて、その想いを誰かが受け取り、その人が出来るだけ多くのページを今の自分と同じように手を動かして自分で消化するために打ち込んでくれるとしたらそれは幸福に違いない。そしてそのようなブログを見たら自分はきっと深く感動するのではと思う。

そんな小さな小さな自ら立てた揺らぎが反響し合い、いつか自らの思考の中に大きな波紋が生まれ、美しいさざ波を作り出してくれることを期待して、また今日も小さな間違いを埋めておく。

処理速度

建築家の仕事と言われてもさまざまな事がある。設計事務所というのは一つの会社組織である以上、会社が持ち合わせる「営業」「人事」「総務」「経理」などの各業務内容に加えて、もちろん一番重要な「設計」という業務もこなしていかないといけない。

その「設計」業務も、あげれば切りが無いほど多岐に渡った内容が含まれる。新しいプロジェクトの敷地の中に条件を考慮してどのような建築を作り出すかのコンセプト段階から、現場でコンクリートの打設が10センチずれてしまったので、構造体を覆う断熱材を入れるスペースを確保できずにコールド・ブリッジになる部分の処理をどうするか?という現場処理まで、本当に幅広い知識と経験が必要となる職能である。

一つの建築の一つの平面図を決定するのにも、構造、面積、機能、規制、眺め。多様な要因を同時にバランスしながら、ベストの解答を見つけていかなければならない。このような作業に関しては、もちろん何人ものチームが何日もかけてやっても、ある一人が一時間でやったほうが良い結果がでるということもあったりする。それはエンジニア的な経験と知識と共に、建築家としての美的センスを同時に要する非常にバランスを要する作業であるからである。

しかし、建築事務所の日々の業務の中の大半は、上記のような作業とは別に、それでも「処理速度」が必要となる仕事が占めることとなる。

毎日必ず何かのプロジェクトのある部分に関して問題が起こる。施工図を担当するLDIから「空調の関係から、構造の荷重の問題で、地下の駐車場のレイアウトから、外装材の施工性から・・・」などと様々な理由と合わせて、「この部分はできないから設計を変えてくれ。この部分はどう処理すればいい?」と何十という問題点が送られてくる。それらは「今日中に返答をもらわないとこちらが処理しきれない」というリミットと共に。

これらの問題を如何に事務所が望むデザインを確保しながらも、条件と折り合いをつけながらどうやって解決していいか?その「処理」をするのに多くの時間が費やされる。

その問題ががどんな要因が絡み合って発生しているのか?
コスト、施行、設備、構造。何を考慮し可能性を探らなければいけないのか?
条件を把握し、可能性を洗い出し、それらの上にデザインを考慮してスケッチをしていく。
それらを与えられた時間の中で、どう仕事を進めるのか?
チームの中の誰に伝えて、どう処理するかを伝えて、いつチェックが必要かを考える。
どの部分が、外部のどのコンサルタントや協力会社とのコミュニケーションが必要になるのか?
最終的にどのような資料を誰にいつまでに渡さないといけないのか。

毎日発生し、毎日過ぎ去っていくこれらの業務は、ほぼ処理すべき仕事である。
アーティスティックな側面では決して無く建築事務所の中のエンジニア的な仕事。
そしてこの業務が建築事務所を支えるとても大切な業務でもある。
それだけに日々の多くの時間がこれらの仕事に割かれることになる。

決して指の間からこぼれ落とすことができない業務であるからこそ、どれだけ効率的に、どうやってこなしていくかを真剣に考える。与えられた時間は変わらず、その間にもたらされる問題は加速度的に増加する中で、諦めることができないのなら、唯一できるのは自らの処理速度を高めること。

毎日朝にやるべき仕事内容と、その考慮すべき項目を書き出し、カレンダーの中でスケジュール化。それぞれのプロジェクトのそれぞれの問題部分をスケッチして、何度も何度も描き直し、描いてみてはじめてて見えてくる別の問題を考慮して、再度スケッチを描いていく。

それを元に、プロジェクト・アーキテクトと話し合い、修正を加えてパートナーと確認。それをもってチームに割り振る。プロジェクトの数とその規模を考えると、毎日やるべき作業はものすごい量となる。

自分の手からこぼれ落ちてもオフィスの中のどこかの網に引っかかるようなシステムを作ることはもちろん平行して行っていくが、何よりも自らの職業的能力を高め、処理速度を加速度的に向上させていくことでしか、満足する建築への近道は無いのだと改めて認識する2013年の暮れ。

2013年12月18日水曜日

すぐ忘れる

何かを思いついてメモを取ろうと思ってグーグル・カレンダーを開く。その瞬間にカレンダーに表示されている他の項目が目に入り、それを数秒考える。

すると、何を打ち込もうとしていたか忘れてしまい、思い出そうとするが全然思い出せない。

「そんなはずはないだろう・・・」

と少々おかしくなりながら考えるが、まったく出てこない。こういう時の焦りと恐怖は本当に嫌なものである。

どうしようも無いので、放っておく。

暫くするとたまにではあるが、ふっと思い出す時がある。まさに「アハッ」体験。しかし、それは非常に稀なケース。恐らく70%ほどは、記憶の彼方に忘れ去れ、一生思い出されること無く生きていくのだと思うと、怖いと思わずにいられない。

確かに生きていく上でどうしても必要な情報や考えでは無いのだから忘れてしまうのだろうが、そういう「必要でないもの」にこそ、豊かさや意味が多く含まれているのだろうとこの歳にもなると分かってくるものである。

そういう自分が感じた「価値」を忘れてしまうことなく、途中で余計なことを考えることなくとにかくメモとして外部化し、いつか分からないがそれが他の「価値」と化学反応を起こす可能性を残しておくこと。それだけが「忘れる生物」としての自らに対抗しうるせめてもの方策かと改めて思う年の暮れ。

やり残し

年末が近づくといくら太陽暦を使わないこの国で生活をしていて、元旦が大きな意味を持たない日常の中にいても、やはり身体にしみこんだ習慣からはなかなか脱却できず、どうしても今年一年を振り返ることになる。

その視線の向かう先は当然のことながら、毎年同様に、「できたこと」よりも「出来なかった」ことになる。

この一年で購入した建築関係の専門書の中で読んだ本は恐らく3分の1にも達していないだろうし、文庫や新書などを含めたその他の本を合わせても、購入したものの半分以下しか読みきってないかと思われる。

その読みきった中でどれだけ自分なりにまとめて言葉として外部化できたかを考えると、恐らく3分の2がいいところだろう。

同じように見た映画、実際に見にいった建築、足を運んだ展覧会や舞台などを考えてもやはりほとんどが遣り残しているものばかり。

残りも後何日とカウントダウンできるようになってしまった2013。何か新しいものを身体に入れて過ごすのではなく、身体に入ったものをしっかりと消化する事の方がよっぽど重要だと自分を嗜めながら時間を過ごすこととする。

2013年12月17日火曜日

フィルタリングとセレクション

出来るだけ仕事に関する事は、この場では書かないでおこうと心に決めている。もちろんまだ外に出せない事項などがあるから不用意に言葉にするのも憚られるというものもあるのだが、何よりも一度仕事の事を書き出すとどうしても愚痴や忙しいことへの文句など、「グチグチ・・・」と自分のできない事へのへたれっぷりを晒す事になりそうなのが怖いというのと、それが止まることなく加速していくのも怖いという理由から。

そしてもう一つは、オフィスをオフィスをするのは人であり、仕事について書くというのは、どうしても「人」について書く事になってしまう。なので、ある特定のスタッフの個人的評価に繋がってしまうような事が無いようにと気をつけるとどうしても仕事についてかけなくなってしまうという訳である。

しかし、年間330日以上オフィスに居て、一日のほとんどを仕事関係のことを考えながら過ごしていると、どうしても仕事と日常の境目が曖昧化してしまう。

そして建築事務所なんていう「ノウハウ」が伝わりにくい日常を過ごしていると、随分長い年月をかけて「あーでもない、こーでもない」と考えてやってみてはうまくいかず、やり方を変えてみてのトライ・アンド・エラーの末になんとか自分達なりの方法論を見つけていく。

しかしポイントさえ理解していれば、そんな無駄な時間をすっ飛ばし、もっと建築家として大切な事に時間を割けるだろうと毎日思いながら過ごしている身としては、少しでも現在の体験が未来の有望な建築家達の貴重な時間を有効利用するのに役立ってもらえればと思わない訳も無い。

そんなことを考えると、やはり少しだけでも「建築家の仕事」についてなんらか記録を残しておく事がベターだと自分を納得させることにして、日常を吐露する言い訳として使用する。

50人を超える所帯となり、10カ国を超える多国籍のスタッフを抱え、国内外でプロジェクトを進めるようになると、幸いな事に沢山のインターン希望の学生や学校を終えたばかりの人材から多くのCVが送られてくるようになる。

自分が学生の時はそんなことを思いもしなかった。どうやって応募していいのか?どうやって建築事務所で経験を積むことができるのか?どうやって建築事務所の門をくぐることができるのか?きっと知り合いやツテがなければいけないのでは・・・。コンペなどで名を馳せてそれが目に止まって声をかけられないといけないのでは?と勝手に想像を膨らませていた。

今の学生は、気軽にHPを見て、「インターン募集を見ました。どこどこ大学の何年生です。添付のCVとポートフォリオ。」

なんとも手軽なものである。かつての自分の気負いっぷりが恥ずかしくなるくらいの軽さ。「カルヴィーノが次のミレニアムに残そうとした「軽さ」もこれと同じものであろうか?」と首を傾げたくなるほどである。

月曜の朝。アウトルックに入れてある個人とは別のHRのアカウントのを開くと、黒く未読になっている膨大な数のメール。特に今週は建築系のサイトに募集を掲載した事もあり、いつもの倍ほどのメールが届いている様子。げんなりしながらも、お茶を用意し先週チェックしたところまで遡って一つ一つ開けていく。

どうチェックするかというと、まずざっと文面に目を通す。細かく追っている時間は無いので、添付されているCVを開きまずはどこの国、どこの大学、大学院かどうか、何年生なのか、どんなソフトウェアが使えるか、インターンとして建築の実務の経験があるか、どこのオフィスでインターンをしたか等々を理解する。

その後別途添付されているポートフォリオを開いて学校やコンペなどに参加して、どのような作品を作っているか。それが個人の作品なのか、それともチームとして誰かと一緒にやった作品なのかを見て、実際にCVで書かれている事と照らし合わせながら、応募者が何ができるのか?を見て取っていく。

年間軽く1000以上ものポートフォリオを見て、その中から何人かは実際にオフィスに来て一緒に仕事するようになると、ポートフォリオの中から、図面の描き方、レイアウトなどからどれくらい建築的理解度があり、どれくらい美的センスをもった設計能力があるのかくらいは分かるようになる。

同時に、どこかの雑誌に載っているような派手なパースだけ載せていてもまったく建築として成り立ってないものもあれば、自分達が学生だった時代の様に、手描きの図面に模型写真という古風なポートフォリオもあったりする。

「これは」と思う応募者は再度CVに戻ってチェックをし、よさげだなと思えばHRの担当者にチェック済みで選択済みと転送する。その後は担当者が人数などを調整しながら、各応募者にコンタクトをとり調整をする手はずとなっている。

この選択する時に注意することは、以下の項目。

男女比
国籍比
CADなのか3Dなのか得意な分野のバランス
中国人の比率
常に10人以上のインターンがオフィスに在籍するようなスケジュール


国籍別のバランスをとる目的は、グローバル化を果たした建築世界において、世界中様々なところで行われるコンペティションはより良いプロジェクトを得るための大切な機会。ほとんどのページが英語表記されているといっても、どうしてもその地に出身の人物で、その地の事情を知るもので無いとそれが良い機会が否かは中々判断が出来ないし、その地出身のものがオフィスにいないと、そもそもそういう情報をキャッチするアンテナを持たないことになる。

なのでオフィスとしてはできるだけマルチ国籍のチームをオフィス内に持ち、母国語でなければ知りえないコンペ情報などをできるだけインターンに拾ってもらう。情報が網に引っかかるようなシステムをオフィス内に持ち、各インターンはそれぞれの国、もしくは地域でこれはというコンペがあればオフィスに知らせるように」と言っている。

それでなければ、このグローバル化した世界といえども、グローカルの情報はやはりローカルを取り込んでいかないと視界に入ってこない

が、これはなかなか徹底しなくて、結局は長く付き合っているコンサルタントや外部の人から情報を聞いたりしてコンペに応募する事が多いのだが、システムが機能するまでは時間がかかると少し見守っている状況である。


それとは別のこうして様々な国からの応募を見ていると、色々な事が見えてくる。その一つが各国の建築水準。そしてその国でどこの大学が良い建築教育をしているか。そしてなんといっても各国の経済状況と若者がその国の未来に何を見ているか。

最近の傾向としては応募者の内訳は圧倒的に、イタリア、スペイン、ポルトガルとなっている。普通に選んでいたらイタリア人、スペイン人、ポルトガル人ばかりになってしまうが、その中でも作品のレベルが高いのはイタリア人であり、それぞれの国でどういう建築教育がなされているのかが良く分かる。そうして選んでいくとオフィスにイタリア人ばかりになるのも困るので、その中でもバランスをとりながら選択することになる。

その他にも中国各地はもちろんアルゼンチン、インド、イラン、レバノン、ロシア、アメリカ、バングラディッシュ、エジプトなど様々な国から届き、やっている事もやはり国柄が出ると言うか、水準がバラバラなのを新鮮に見ていくことになる。

しかし、100以上のメールをこのようにしてチェックするというのはかなり体力と集中力を使う事だけでなく、同時に貴重な時間を消費してしまう。なので、HR担当者に上記のポイントを伝え、最初のセレクションは自分がやらなくても、世界の建築大学のレベルが大体分かり、CVの見方が分かっているフルタイムのスタッフに、セレクションのバランスとポイントを理解させてフィルタリングさせる。そのフィルターをくぐってきたものを最終的にこちらが目を通して最終の選択をするようにする。

それがHR担当者と自分の時間のロスを少なくしてくれるはずである。何の為に行い、どういう意図の元、どうすれば一番効率的に行えるか。それを常に考えていかないと、現代社会で生きているとあっという間に高齢者へとなってしまう。フィルタリングとセレクション。その違いに思いを馳せながら、来週は1時間ほどで終わる事を願って通常業務へと戻っていくことにする。