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2013年12月30日月曜日

「殺人鬼フジコの衝動」 真梨幸子 2008 ★

「貧困は連鎖する」

それを実感を持って理解させてくれる一冊。これを読めば、「なぜ貧困が連鎖してしまうのか?」を痛いほど理解でき、問題は「貧困そのものよりも、そのメンタリティーが連鎖する事」であると実感する。

貧乏はお金が無いから貧乏なのではなく、どんなにお金があろうとも、計画性も無く散在してしまえばいつまでも貧しい生活から抜け出せない。

と本書の中でも書かれるように、どんなに収入が少なくとも、しっかりと計画をして欲望を抑制し、分相応な生活を規律を持って続けられる人はいつかは豊かな生活にたどり着ける。

まさに真実。

その規律。計画性。メンタリティーを誰からも教わることなく、良い手本を一度も見ることなく大人になってしまう。刹那的な目の前の喜びだけを追う生活。

「将来、どんな大人になればいいか?」

の問いに対して、かつては「誰かの役にたつ人。社会に必要とされる人。人から尊敬される人」という答えが暗黙の了解として共有されていたが、いつの間にか「お金を稼ぎ、自分の欲望を満足できればそれでいい」になってしまった日本。

そのお手本の様に、小さな時からどう生きるべきかを教えられず、常に自分の視線から物を判断し、周囲に受け入れれらる為に小さな嘘を重ね、自分の心の中で大きくなる小さな欲望に振り回され、大人になっても欲望ばかりが大きくなる一方で何も大人になっていかない。

テレビをつければアイドル志望の数多の若い女の子が次から次へと出てきている。いくらネットの出現と共に、消費者にも多様化が進んだと言っても、これほどの多くの若い女の子が将来芸能界で生きていけるんだという思いだけで、大量に生産され消費されていくのは本当にいいのだろうかと思ってしまう。彼女達の中のほんの数人だけが、その後も光の当たる舞台にい続けることが出来るだろうが、それ以外の多くの子達は、それでも生きていかなければいけない。

虚構の世界で評価される自分を追い求めてきた光の当たる若かりし時代。恐らく世間よりも厳しい規律の中で日常を生きるということもあるだろうが、それでもやはり大人になるステップを何段か踏まずに時間を過ごしていることも事実であろう。

よほどしっかりした親や、周囲の大人がケアしない限り、用無しになって放り出されて、どうしていいか分からなくなってしまう子達も大勢いるのだろうと勝手に想像する。

同時に、現代日本ほど風俗産業やアダルト産業が肥大化し、様々なジャンルに枝分かれした社会も珍しいのだと思う。それだけ巨大化した産業で働く女性達。それを求める男性がいるから、という事ももちろんあるだろうが、それにしても、世間とはまったく違った労働と報酬がまかり通るその世界に、小さな自分の欲望を満足させる為に安易に足を踏み入れていく若い女性達。

そこから再生産されるように生み出される貧困が連鎖した子供達。そんな事をイメージさせる何とも嫌な気分になる一冊。「嫌われ松子の一生」を連鎖させるが、より一般性と現代性を持ちえているといえ、こういう世界は、実は自らの日常のすぐ隣に潜んでいるんだと少々ゾッとする一冊である。

2013年6月23日日曜日

「神様のカルテ」 夏川草介 2011 ★★

北京で開催されている半年間の「园博会」。ガーデンの博覧会というが、半年間弱の開催にも関わらず相当な規模のものになっている。せっかくだからと妻と妻が相互学習をしている中国人の友人カップルと一緒に足を運ぶことにする。

しかし、会場が北京西部の相当遠い場所にあるから、家からたっぷり2時間ほど電車に揺られながら行くことになるのだが、早起きにも関わらず、揺れる社内で眠りをむさぼることも出来ずに、しょうがないのでとほとんど社内で読みきってしまった一冊。

「専門職」に就いている人間が、現場の現実と理想の狭間の苦悩を、自分を投影しつつ作り上げた第三者としての主人公の口を借り、世に問いかけるのはよくあるパターン。

作家としてではなく、一人の読書人として、今までの人生の文学的蓄積を存分に発揮し、「仕事」としてではなく、「喜び」として書き上げる一冊。それが感じられる、人生が濃縮されたような豊穣さを感じる。

1978年生まれという現役のお医者さんという作者。2009年に刊行されたということは、2007年には十分に書きあがっていたと想定すると、当時は29歳。順風満帆に24歳から研修医を終え数年を経たであろうその時期は、まさに主人公と同じように医者としてのキャリアとしても無我夢中な時期からやや抜け出した時期に違いない。

その年齢で医者としてどれだけの技能レベルに立っているのかは分からないが、もし建築家であるならば、社会にでて建築の実務に就くようになって6-7年。働く場所にもよって違うであろうが、まともに働く人なら、木造やRC造の住宅くらいなら一人で何とか設計から確認申請、現場監理までなんとか見れるようになっている頃かと思うが、同時に自分がどれだけ建築家として能力が足りていないか、建築のことをどれだけ知らないかを思い知りながら毎日を過ごしているころでもあるだろう。

それでも見えてくるかつて抱えていた理想と、毎日見つめる現実の風景とのギャップ。それに葛藤する気持ちと、グルグルと中々前に進まない自分のキャリアへの苛立ち。自らの職能を理系と文系の幸福なる融合を体現するものだと偏ったスター建築家崇拝に染まった教育をどっぷり受けながら、それなりに社会学や哲学なんかの文学体験も経てきているので、らしい文章は書けるようになっている頃合。

その時期に心の中を閉めつくす青臭い気持ちを建築の世界を舞台とした小説で表現するとしたら、一体どれだけ職能人としての自らの無能さを呈してしまうのだろうと感じるであろう恐怖。

しかし、職業人として感じる思いはその時々に変化して、その気持ちに向き合うことができるのは人生にその時しかないのであれば、そんな恐怖に絡められるよりも、思いに突き動かされながら言葉を紡ぐことは決して悪いことでもないのだろうと思える、心が暖かくなり、また松本城が見たくなる信州の物語。




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第10回(2009年)小学館文庫小説賞受賞作
第7回(2010年)本屋大賞第2位
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2010年5月26日水曜日

「生きることの意味―ある少年のおいたち」 高史明 ちくま文庫 1986 ★★★★






















ある日、長屋の家に帰ると、居間の真ん中にウンコがしてある。

帰ってきた兄と父に言うと、「きっと、泥棒が入ったんだ」という。なぜ、ウンコが泥棒につながるか。それは、昔の朝鮮の諺に、「泥棒がウンコを残すと、その泥棒は決して捕まらない」というのがあるという。

こんな盗むものもない貧しい部落の家に盗みに入って、捕まるのが恐ろしいという思いから、狭い家のなかで戸口に向かって必死にウンコをしている泥棒の姿を想像し、親子3人、笑いが止まらなくなる。

「流れる星は生きている」に描かれた敗戦後の朝鮮に生き、祖国を目指す日本人。
これは敗戦の日本に生きるまなざしを祖国に向けながらも、日本に生き続ける在日朝鮮人の家族の物語。

1910年の日韓併合に伴い、急増した朝鮮からの移民。土地調査事業によって、持ち主不明の土地として、それまで慣習に沿って土地を所有していた人が持ち土地なしの流民として日本に労働力として移住させられ、さらに文化の象徴でもある、言葉を強制的に奪われた35年間の間に、移民一世の子として、父と兄のまなざしに見守られながら、「人はなぜ生きるのか?」の問いに答えをだそうと、そして、「どうしたら日本人と朝鮮人が仲良く暮らせるか?」を子供なりにひたむきに考え、悩み、苦しむ日々。

片言の日本語しか話せなく、酒飲みでばくち打ちの移民一世の父のまなざし。

勉強が好きだけど、父の反対のために進学をあきらめる兄のまなざし。

移民二世として、朝鮮人としての自我と争い続ける自分のまなざし。

困難に立ち向かう勇気を教えようとしてくれた阪井先生のまなざし。

敗戦によって依るべくものを失い、どうした態度をとっていいのか迷う先生達のまなざし。

様々なまなざしに囲まれながら、死によって終わる苦しみではなく、立ち向かうことで見えてくる生きることの喜びを、自分なりにどう見つけていけるか。

子供時代の気持ちを、その時の言葉で書いていて、毎日揺れ動く感情がストレートにあらわされているだけに、ぜひ子どもに読んでほしい一冊。