2014年5月30日金曜日

コンサート 「チョン・ミョンフン (Chung Myung-Whun) Conducts Verdi Requiem」 NCPA 2014 ★★★


チョン・ミョンフン (Chung Myung-Whun)
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Programme
Messa da Requiem Verdi
  I. Requiem & Kyrie Requiem aeternam  
  II. Sequence (Dies irae) Dies irae  
  III. Offertorio Domine Jesu Christe  
  IV. Sanctus  
  V. Agnus Dei  
  VI. Lux aeterna  
  VII. Libera me Libera me-Dies irae  
   Vocalists: Sun Xiuwei, Yang Guang, Li Xiaoliang, Xu Chang
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春のヴェルディ祭りの最後を飾るのは、韓国人指揮者・チョン・ミョンフン(Chung Myung-Whun 鄭明勳)によるヴェルディの「レクイエム」。

この「レクイエム」。日本では「新世紀エヴァンゲリオン」の曲と言った方が分かりやすいかもしれないが、あの大合唱による大迫力の曲である。

その為にいつものコンサートとは違い、後部座席が観客に解放されておらず、男女の多くのコーラスのメンバーが陣取っている。そしてオーケストラの一番前には、ソプラノ、メゾ・ソプラノ、テノール、バリトンを担当する中国人の声楽陣。それぞれなかなか個性的な容貌である。特にソプラノは妖怪人間のベラにしか見えない・・・

そして指揮者のチョン・ミョンフン(Chung Myung-Whun 鄭明勳)。韓国人で音楽一家で苗字がチョン。どこかで聞いたことが・・・と思って後日オフィスでそんな話をしていると、韓国人スタッフが、「ああ、その指揮者。Yosukeが好きだって言っていたバイオリニストと兄弟だよ」と。

なるほど。以前見に行ったチョン・キョンファ(Kyung Wha Chung 鄭京和)のお兄さんということらしい。こうして徐々に点が線になって繋がって、音楽体験が面へと広がっていくのだろうとなんだか楽しくなる。

そして今日の主役のヴェルディの「レクイエム(原題:Messa da Requiem)」。カトリックのミサ曲でもあるといい、イタリアの文豪アレッサンドロ・マンゾーニを追悼する目的で作曲されたという。モーツァルト、フォーレの作品とともに「三大レクイエム」の一つに数えれ、その中でも「最も華麗なレクイエム」と評される作品だという。

楽章構成は以下の通り

第1曲: Requiem e Kyrie(レクイエムとキリエ)
第2曲: Dies irae(怒りの日)
第3曲: Offertorio(奉納唱)
第4曲: Sanctus(聖なるかな)
第5曲: Agnus Dei(神の小羊)
第6曲: Lux aeterna(永遠の光)
第7曲: Libera me(私を解き放ってください)

百人近くいるのではと思われるコーラスの大合唱はまさに大迫力。あまり観客が居なかったために中央のいい席へと移動させてくれたため、その音量を真正面から体感することになる。

音楽が身体体験だと理解できる魂に響いてくるコンサート。少しだけヴェルディを理解できた春になったかと高揚感を感じながら家路に付くことにする。


ヴェルディ


2014年5月26日月曜日

「忘れられた日本人」 宮本常一 1984 ★★★★

いつも「法隆寺を支えた木」の著者である宮大工の西岡常一と名前が混乱してしまうが、こちらは民俗学と言えば必ず名前が挙がる宮本常一。

日本全国、いたるところを歩き回り、実際に自らその地に入り込み、そしてその土地に住まう人々から話を聞く。決して自分が前に出はしない。ただじっくりと耳を傾ける。

それは作者が炙り出そうとしたのが「無字社会の日本」であるから。様々な事柄や出来事を「記録」として「文字」という媒体を利用して後世に伝えていく文化の継承。しかしその一方、文字が普及せず、ひたすら口伝によって継承される「記憶」の文化もある。そして文字を持たない農村部に住まう人々がどのような文化を継承してきたかをその場に入り込み、その場で生きてきた人々がどのような話を受け継いできているのかに耳を傾ける。

「記録」に残らない、つまり「記録」の積み重ねで作られる歴史の中からは「忘れられて」しまった人々の中にあるのもまた間違いない「日本」であり、彼らもまた「日本人」の一面であるということを描きだす。

その為に、自分の意見をどうのこうの書くのではなく、ただただその地にいる人たちがどのような日常を過ごしているのか、どんな話をするのかをただただそのまま描く。その地に伝わる「語り」と「継承」。そして四季折々に行われる行事の中に見える文化や踊り。そして歌。

アカデミー賞を受賞した、「それでも夜は明ける」を見てみても、奴隷として農作業に従事する黒人がその農作業の辛さを紛らわせるかのように皆で歌を歌いあう姿が何度も描かれる。

日本の農村で田植えに励む人々も「田植唄」という歌を田植え作業をしながら皆で歌いあう。そこに共通するのは時間が過ぎるのを紛らわせるという、単純作業、辛い農作業を少しでも皆で軽くしたいという思い。これはどの時代、どの場所でも同じなのだと理解する。

若い頃いった「夜這い」の話を懐かしい思い出として話す各地の人々。女性もまたそれを一つの楽しみとして話している姿から、娯楽が非常に限られていた時代に、限られた人間関係の中で生きていた人々が長い年月の中である種のルールを構築しながら日常の中にハレの場を作っていたことが良く見て取れる。

「村の寄り合い」の場面で、どんなに時間がかかろうと、皆が納得するまで話し合い、村の将来の為に最後は代表者の判断を信用する。そんなコミュニティのあり方。そのプロセスに参加している為に、自分も強い所属意識を持ちながら日常を過ごすことになる。

「利便さ」という「価値観」によって、ズタズタに切り裂かれることになった現代日本。自分達の祖先がどのような日常を過ごして来たか、ほんの少し前の日本では、どれだけ日常を過ごすのが大変だったのか、如何に今の自分達が様々な技術の進歩の恩恵を受け、楽な時間を過ごしているのか、それすら知ろうともしない多くの現代の日本人。

日本人が住まう場所に広がるのが日本の風景。現代の日本人が一体何を考え、何を語り、何を感じて生きているのか。それを見て、知らない限り、現代日本の風景は見えてこないのだろうと思いながら、できるだけ多くの日本人に出会い、話を聞くことが今後の日本を作る建築家にも必要なことなのだと理解する。

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■目次  
/対馬にて
/村の寄りあい
/名倉談義
/子供をさがす
/女の世間
/土佐源氏
/土佐寺川夜話
/梶田富五郎翁
/私の祖父
/世間師(一)
/世間師(二)
/文字をもつ伝承者(一)
/文字をもつ伝承者(二)
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2014年5月24日土曜日

オペラ 「イル・トロヴァトーレ Il Trovatore」 NCPA 2014 ★★★★


最近二回続けて購入しておいたオペラが、仕事が終わらず観にいけなかったために、何としても今回は・・・と気合を入れて会場に向かったオペラ。

恐らく今まで見た中で一番良かったオペラとなったかもしれない。恐らく多くの舞台を見ているメンター夫妻にとっては、あまりよくないプロダクションだというのかも知れないが、まだまだ素人の域を出ない自分にとっては、舞台と衣装と役者の歌声によって何度も身体がゾクゾクする瞬間を感じることが出来た。

今回は前回ほど仕事が立て込んでいなかったこともあり、開幕前にオフィス近くの中華料理屋で好物の辣子鸡とビールをいただいていたので、第一幕は完全に睡魔に負けてしまう。3階席の最後部で、少しでも身体を平行に出来るようにと足を投げ出しながら、楽な体勢を探しながら横目で舞台を追う。

恐らく少なく無い人がオペラの発するアルファ波によって眠気に抵抗することが出来ないのだろうと想像するので、幾つかのシートをもうフラットに出来るような仕様にすればいいのに、という訳の分からない思いを巡らしながら普段の生活では感じることの出来ないリラックスを身体中で感じながら一幕を終える。

なんといっても主演の男の役者が素晴らしい。恐らく声量でいったら、他の役者のほうが素晴らしかったり、テクニック的にはうぐれていたりするのだろうが、この主役の歌声はなんとも心に響く。そして会場も盛り上がる。

ヒロインもそのビブラートや声量は、主演に勝るとも劣らぬ技量なのだろうということは、自分でもなんとなく分かるが、それはあくまでも技術の一部。技に思えてしまう。如何にも「どう、私凄いでしょ?」と言わんばかりに聞こえてくるが、どうも響いてこない。これだけの役者がそれぞれの見せ場を繰り広げるが、それでも会場が「ブラボー!」と送る役者は決まっている。それが舞台芸術の面白さなんだろうと思わずにいられない。

幕間の20分の間に、目覚めの為にとレモンのアイスを食べてみると、急に腹痛を感じ、トイレに駆け込むことになる。しかしトイレの中では中国人が電話をしていて、一向に出てくる様子はない。腹を立てながら、しょうがないので一つ下の解へと向かう。損なこんなをしていたら、後半が始まってしまい、暗闇の中を足元を気にしながら席へと戻る。

その後半が特に良かったかと思われる。ストーリー時代は何度も複雑なので追いきれなかったが、舞台セットも美しく、衣装も綺麗である。恐らく過剰な演出だったところもあるのだろうが、それも含め気持ちを向上させてくれる都市の文化だと思わせてくれるに十分である。日常では感じられない高揚感。フワフワした気持ちを感じて家路に着く。それが巨大都市のみが持つことを塗るされる文化施設の魅力。

「イル・トロヴァトーレ(Il Trovatore )」はヴェルディがが作曲したオペラであり、ヴェルディがの中期の傑作の一つとして数えられている。日本語訳は「吟遊詩人」。幼い頃にゲームのファイナルファンタジーでこの言葉に出会った頃は、一体何が凄いのか良く分からない職業だと思っていたが、こうして舞台で見るとこのオペラに相応しい魅惑的な職業名だと思ってしまう。

こうして今夜も少しだけフワフワした高揚感を感じ、来た時よりも少しだけ身体を軽く感じながら家路につくことにする。




Lu Jia
ヴェルディ

「まひるの月を追いかけて」 恩田陸 2007 ★

出張で戻った実家で、折角だからと立ち寄ったブックオフ。そこで見つけた久々の恩田作品。紹介にあるのが、橿原神宮、藤原京跡、明日香と奈良の地名。古都と言えば京都が多いが、それ以前の奈良はなかなか取り上げられる機会は少ない。

平安以前のより古代の香りを残す奈良の都。藤原京に平城京。昨年、高野山まで奈良を縦断した際に、立ち寄り地として最後まで候補に挙がっていた橿原神宮(かしはらじんぐう)。初代天皇とされている神武天皇を祀る神社として奈良県内屈指の神社に数えられるこの神社。まさに万葉の時代の中心地である場所である。

そんな訳で、京都を舞台とした小説とはまた別に、様々な神話や歴史を重ね合わせる物語が描かれているのだろうと勝手に想像して購入した一冊。

しかし、残念ながらまったく期待とはかけ離れた物語。

古の都・奈良。京都には無い広がり、大らかさのある土地で、様々な土地を徒歩で巡り、ゆったりとした時間の中で物語が重なり合い、読み終わった後には、また奈良の足を運び、今度は車ではなく、じっくりと歩いてかつてそこに流れた時間を身体に感じたくなるのかと期待した。

恐らく作者も、奈良の地を旅し、ゆっくりと各地を巡り、東京とも京都とも違う、ゆっくりと、そしてゆったりとした時間の流れ方、風景の在り方に、なんとかそれを小説の世界の中で表現したいと筆をとったのだろうと想像する。

しかし、あまりに物語が練られていない。そして奈良の時間、風景の大きさがまったく表現されておらず、つっこみどころ満載のまま、なんどもつっかえながら読み進めることになる。恐らく一時期あまりにも短期に多くの作品を発表した時期に発表された中の一冊であるのだろうと想像する。多作な作家の作品は、やはり注意して手にとる事にしようと思わされる一冊である。

2014年5月22日木曜日

担当者と同化する

良い建築に足を運び、必死に建築を見ることは、設計に時間を費やし、自分の情熱も時間も全て捧げてきたその事務所の担当者と同化することと同じである。

建築ではどんなに小さな建物でも、通常一年以上かかる設計を経て、行政からの許可を得てから工事を開始し、様々なことが起こり、それを解決することが求められる現場の監理。そんな訳で少なくとも2年ほどはかかる行程の中で、事務所の中で進行する全てのプロジェクトを統括しなければいけない代表に代わって、最前線でプロジェクトに向き合い、全ての関係者との間に入り調整をし、やりたいこととやれることの中で自分の経験を総動員しながら、足りない知識や経験は学びながら全身全霊を傾けるのはその担当者。

プロジェクトの規模にも拠るだろうが、大学を出て何年か実務を経験し、一人でプロジェクトを統括できるようになってきた時代にまかせられるのが担当者。その担当者がどれだけの情熱や思いを持って向き合うか。そしてその過程でその担当者が何に悩み、何を苦しみ、何を学び、何を決定してきたか。その全ての時間と全ての苦難の結晶が、目の前に建っている建築である。

一つ一つのディテール、素材、照明、目地、サッシ周り、足元のデザイン、アプローチ等々、全てがその担当者がこの世の中で一番時間をかけてこの建物に向き合い、彼が一番良いと判断して事務所の代表のOKを取ってきたものの積み重ねがその建築である。

予算、法規、施行可能性、施主の要望、機能性、事務所の方向性等々、様々な要因がありながらも、やはり担当者の好みや個性が必ず出てくるのが建築。その必死に過ごした時間の結晶からは多くのことが学び取れる。

どうしてこの納まりはこうなっているのだろうか?
なにがその決定を後押ししたのだろうか?
そんなことを考えながら一つ一つその背景を読み解いていく。
建築を見ることは、ある種その設計過程を読み解くミステリーの様なものである。

しかも、その設計者の手を離れ、実際に使われるようになってから分かってきた様々な不具合。つまり設計者が想定しきれていなかった自然との折衝。それが生のものとしての、人間を相手にする建築の宿命。そのような「設計以後」の状態も見ることが出来る。

恐らく多くの設計者が、そして担当者が竣工後に月日を重ねて見えてくる現象に、不具合ではないが使われていく中で「ああ、あそこはああしていれば良かったな・・・」などと思うことがある。実際に使われている建築を見て、その「ああ・・・」という担当者の思いまで想像することで、更に設計能力を向上することが出来る。そうした未来に繋がる発見こそ、一番学ぶことが出来る部分である。

そんな担当者が血の滲むようにして過ごした何ヶ月、何年の月日を余すことなく出来るだけ吸収してしまうこと。掻っ攫ってしまうこと。一生の中で実際に設計に携われる物件の数は必然的に限られてしまう。しかしこういう見方を持って訪れることが出来る建築の数は、交通の便が向上した現代においては人類史上最も建築体験をすることが出来る時代に入っている。

つまり、古代から現代に至るまで、様々な人々が設計してきた建築を体験し、そこに蓄積された人類の英知を全て吸収してしまうことが可能なわけである。

その為にはその建築の前で、自分ならこの敷地条件においてどう設計を始めるか。どうボリュームを置いて、どう機能を解いていくか。どう動線を配置し、どんな素材を採用し、設備はどうしたか、その設計過程を想像してみることが必要になる。

設計の中で何処が難しかったのか。担当者としてどこがチャレンジをしている部分か、どこで悩み、苦しみ、先輩に聞いたのか、それに思いを馳せることが必要である。

いくら若いスタッフといえども、建築という道で学び、そして自分の人生をかけている人物が一年以上もの時間を必死に向き合ってきた設計。その力は凄いものがあるはずである。それを全部吸収してしまうことは一体どれだけの価値になるのだろうかと思わずにいられない。

その担当者が犯してしまったミスから学ぶこと。
人のミスを自分のミスとして悔しがること。
なぜ設計の過程でその要因を見ることが出来なかったのか。
今の自分は見えないなにを今見なければいけないのか。

そうして過ごす時間が建築家としての職業的能力の向上を加速させる。

コルビュジェから学ぶこと。
雪舟の視線を奪うこと。

彼らが感じた「しまったなぁ・・・」ということを感じること。

離見の見(りけんのけん)から更に先へ。
歴史の先達の視線を借りて、その先に何を見ていたのか、
その境地の先にあった更なる世界を見ること。

建築巡礼の旅に出て、数多の歴史上の建築家の視線と同化し、多くの担当者の時間を垣間見る。そうして戻ってきた時には何倍もの経験値を身体の中に蓄えるような旅を建築家は人生の中で何度も繰り返すべきである。

2014年5月18日日曜日

「希望の国」園子温 2012 ★★

「ヒトラー 〜最期の12日間〜」という映画がある。如何に追い詰められたヒトラーが最後の時間を過ごしていくのか。最後の拠点であるベルリンまで攻め込まれたナチの幹部達がどのような行動を取っていたのか。

こういう映画をドイツ自らが作ることが出来る。それにただただ凄いなと感じていたのを鮮烈に覚えている。自国の負の歴史。それを適切な距離をとりながら冷静にそして公正に描きだす。その難しさ。様々なしがらみ。それらを超えて、これだけの作品を世に送り出すことが出来るドイツという国のあり方。そしてその対極に位置する日本という国。

2011年3月11日に発生した東日本大震災。それに伴う福島の原発事故。その後に見えてきた、様々な面でのこの国の問題点。利権を守る為に本来的に行われなければいけない決断や政策がまったく違う視点を持って進行して行く。

その後分かったのは、如何に電力会社が日本の社会の中に深く、広く入り込んでおり、関係会社も含め、どれだけ多くの人がその恩恵を受けて生活をしているのか、それがある種この国のインフラとして変更が効かない強力な構造となってしまっている事実。

原子力に対して世界基準で考えたら全うな意見を発しても、原子力が巨大な電力会社という日本を支えるインフラともいえる権力の中の属している為に、常識的な正義が通用せず、当たり前の意見が消されていく。世間が感じたのはその違和感。そして虚無感。

本質を曖昧化する為に、何が本当か分からなくする為にテレビに登場する御用学者。政府の都合の良い見解を提示することで、そこには様々な意見が存在するという形に持っていき、本質的な問題である、正確で正しい情報が公開されてないという問題から世間の目を逸らすことになる。

人は分からないことに恐怖を覚える。

もしその恐ろしさが分かれば、何が原因かを知ることができ。そうすることで対策をとることができる。しかし一番怖いのは見えないこと、情報を得られないこと。

その時には、ただただ恐怖のみが増殖していく。

結局はその状況を維持することで、権力を握る側にとって都合のよい仕組みを維持する形でなし崩しに決定がされていく。

東日本大震災と福島の原発事故を見て多くの日本人が唯一期待したことは、この悲劇を契機にして、膠着した日本の社会構造が少しでもまともに、少しでも国民の為に働く国へと形を変えていくこと。既得権益を守ることよりも、正しい情報が手に入れれ、国の今よりも将来に向けた政策が取られていく国へと、たとえ痛みを伴おうが変化をし、前へと進む国の姿。

しかし現実に目の前に広がるのは、震災以前となんら変わらない国の姿。

そんな現状の中に世に送り出されたのがこの作品。恐らく映画という様々な人を巻き込んで作り出される産業なだけに、これが完成するということがどれだけのエネルギーが必要したのかと思わずにいられない。まずは監督のその実現力に敬意を感じずにいられない。

原発事故は全ての人を当事者にしてしまい、その立ち位置や、手にする情報によって、様々な価値観、対応を示してしまう。極度に放射能汚染を恐れる為に、宇宙防護服で身を纏い日常を過ごす妊婦。その姿を冷ややかな目で見る周囲の人。その狭間に揺れる夫。

ネットと言う情報が氾濫する時代に起きたこの事故は、その後の社会における人々の対応が多種多様になるという人類史上初めての経験を現代日本は経験しているということでもある。

物語としての完成度などの問題はもちろんあるのだろうが、現在の状況下の中で、少なくとも日本人が正面から原発事故に向き合い、一般市民がどのような視線を持って生きているのかを描き出した映画が生まれたということは、日本人として喜びを感じることなのだと思わずにいられない一作である。

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スタッフ
監督 園子温
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キャスト
夏八木勲 小野泰彦
大谷直子 小野智恵子
村上淳 小野洋一
神楽坂恵 小野いずみ
清水優 鈴木ミツル
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作品データ
製作年 2012年
製作国 日本・イギリス・台湾合作
配給 ビターズ・エンド
上映時間 133分
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2014年5月17日土曜日

ケース・ゼロ

インデックス・ケース、もしくはケース・ゼロと呼ばれる病原菌の発生ケース。つまりは一番最初に病原菌が生まれた患者のことを指す言葉。

エイズにしろエボラ熱にしろ、人間が何かしらの手を打たない限り、加速度的に広がりを見せていく病原菌。人間の持つ免疫では防ぎきれず増加のスピードを抑えきれない。

ゾンビ映画を観ていると、まさにそれを感じることになる。最初の感染源がある限り、あとは無限に増殖するばかり。どうやっても後戻りは出来ないし、駆逐することも不可能になってしまう。

それを止める手立てのヒントは、最初のケース、つまりケース・ゼロにある。なぜその病原菌が生まれたのか。どんな発生メカニズムを持っているのか。何が威力を弱める手立てとなるのか。

恐らくこれは現代日本の様々な場所で増殖する「ファスト風土」でも同じことが言えるのだろう。駅前に広がる様々な「消費者金融」が各階に入るテナントビル。群馬の太田市の様に、街の顔である駅前商店街が風俗店で埋め尽くされてしまった風景。どの地方都市でもモータリゼーションで開発された郊外に広がる、イオンモール、ブックオフ、ファミレスなどのレストラン・チェーン店が立ち並ぶ幹線道路脇の風景。

その土地の歴史や場所性とはまったく関係なく、今まで会ったはずのその土地独特の風景とは断絶した金太郎飴の様な無機質な風景。確かに便利である。車で手軽にいける場所に、大都市と変わらない商品が手ごろに手に入れることが出来る空間が広がっている。そして土地のオーナにも安定した家賃収益をもたらすのであろう。

このようなファスト風土にも堤防が決壊するように、必ず決定的なポイントとなるケース・ゼロがあるはずである。恐らくその土地に住まう人は、コミュニティを守るため、その土地の風景を守るために、そちらに移ってしまえば生活が楽になるということは心の中で理解しながらも、何とか横の連携をとりながら必死に食い止めていたはずである。

そんな状況の中で、徐々に地域のつながりが弱まり、ある日あるビルのオーナーがついに一歩足を踏み出し、風俗店にテナントを貸し出すことを決定する。周りに悪いなと思いながら、背に腹は変えられない。そんな状況を周囲は犯罪者でも見るように冷たい視線を送っていたが、二番目が現われるまでにはそんなに時間はかからなかったはずである。

一度決壊した堤防は、あっという間に崩壊が全体に及ぶように、風景が変わるのは一瞬である。その変化は止めようがなく、不可逆的な一方通行である。そしてその増殖は欲望が存在する限りエンドレスに増大する。風景が画一化することは、つまりはその地域社会が荒廃していくのと遠くは無い。

この様に、日本の現代の風景に潜む、さまざまなケース・ゼロ。「自分だけなら問題ないはずだ」と、そんなに重くは考えずに行う決断。その積み重ねがあっという間に日本の風景を変えていく。

様々な病原菌と同じように、この流れにもそれを防ぐヒントがあるのがやはりケース・ゼロであるのなら、ぜひともクローズアップ現代あたりに、太田市のケースや様々な地方都市のケースにおいて、誰がケース・ゼロとして働き、どんな状況で決断を行い、そして今はどのような変化を日常の中で享受しているのかを炙り出して欲しいと思わずにいられない。

2014年5月13日火曜日

コラボレーションの誘い

昨年のこの時期、シンポジウムに参加する為に訪れたオーストラリア。その時に挨拶に伺ったシドニーの組織設計事務所より、コンペでのコラボレーションのお誘いのメールが届く。詳しく聞くと、幾つかポテンシャルのあるコンペがあって、ぜひ一緒にチームを組んでやってみないかということ。

なんともありがたい話である。

もちろんどういう形でチームを組むのかなど、ビジネスとしてシビアな話は詰めていくことになるのであるが、ふと考える。

何かの機会があったとする。その時に自分達だけよりもどこかの会社とコラボレーションすることによりよりチャンスが広がると判断する。その時に誰とチームを組むのか?

その時に条件に合うような事務所をネットで探して、それからアプローチをして・・・と言うことよりも、やはりすでに誰かに紹介されていたり、互いに知っている中の事務所に話を持っていくことのほうが多いはずである。なぜならばそこには既に知っている、つまり知り合う為の土壌があるというある種の信頼が横たわっているからである。

恐らく彼らがコラボレーションを考えた時にもちろん幾つかの事務所の名前が挙がったはずである。その候補の中に我々がいること。つまり選択される可能性の中に入っていることがまず重要である。

そして彼らがその候補の中から最終的に選ぶだけの理由を事務所としてもっていること。それは何かに特化していることが一番の近道であろう。

今後どういう方向に進むか分からないこのコラボレーションの話。しかし昨年オーストラリアに行って、直接顔を向き合わせて互いにやっているプロジェクトを紹介し合い、どんな事務所かを理解したからこその一年後のお誘い。

世界がフラットになろうとも、結局は誰が何をやっているか、誰とどうやって繋がるかがこの世の中を動かしているのだと改めて実感する一日である。

2014年5月10日土曜日

「1973年のピンボール」 村上春樹 1980 ★

青春三部作の二作目と言われるこの作品。

デビュー作品の「風の歌を聴け」と、三部作を締めくくる「羊をめぐる冒険」にはさまれるようにして書かれたこの作品。

最初から三部作としての構想があって書かれたのか、それとも書いているうちに物語がつながって三部作になったのかは気になるが、どちらにせよ、他の二作に比べこの一冊はどうにも好きになれなかった。

恐らく刊行された当時の雰囲気の中では、とてもカッコいい、まるで外国の小説を飲んでいるような軽やかさとユーモアの含まれた小説だったのだろうと想像する。それを手に取った若者は新しい時代の到来を感じていたに違いない。

しかし「羊をめぐる冒険」の様にこちらは決して目次を自ら打ち込もうとは思わない。その差が何かは微妙なのだろうが、それが小説の面白いところでもあるのだろう。

主人公と鼠のダブル主役。ピンボールの「スペースシップ」をやっと探し出し、広い倉庫で暗い照明の中でプレイする場面はやたらと鮮明に目の前に浮かぶ感じであるが、物語を読み終えて何かを覚えているかと言われたら非常に微妙である。

「風の歌を聴け」を読んだ後に感じる風が吹き抜けたような爽やかさも、「羊をめぐる冒険」の後の疾走感も無く、ただただ断片が並べられたような印象を受ける一冊である。


2014年5月9日金曜日

何かやれば叩かれる

誰でもネットで発信者となることができるようになった現代。

今までなら目に届くことの無かった個人の思いが日々ネット社会に溢れるようになる。それがどれだけの根拠を持っているかに関わらずただただ垂れ流しのように言葉が流される。

そんな現代においては、何かをやろうとすれば、必ず叩かれることになる。匿名の特権で、人間の心の暗い部分が首をもたげ、批判の言葉となってネットを駆け巡る。

やることが多ければ多いほど、叩かれる回数もまた多い。
変化が大きければ大きいほど、批判の量も多くなる。

それが現代。

それならばいっそやらない方が楽じゃないかと思ってしまう。
新しい価値を作り出そうと努力しないもの達が、
何かに挑戦しようとするものをひたすら叩き、気力をそいで行くのが現代の図式。

しかしその言葉が何の意味を持つのかを考える。
ネガティブな言葉に明日を作る力があるはずもなく、
同じ土俵に立たずに発せられる言葉は空虚以外の何者でもない。

そうして考えると、ネガティブな言葉に遭遇するたびに、
落ち込んでいたり、凹んでいたりはできない。
それこそ時間の無駄以外の何者でもない。

という自分も建築や庭園を見に行っては、
「これは良かった」「あれは良くなかった」などといっているが、
これはあくまでも自分の設計活動に反映し、
自らの進む道をより明確化する作業の一つ。

それに対してネットではただただ軽い悪意が増殖するのみ。
それに反応するのも、またそういう悪意を眺めるのすら時間の無駄だということを、
これからの時代はよく理解して時間を過ごさないと、
人生にとって大きなロスをすることになってしまうのだと改めて認識する。

「羊をめぐる冒険 上・下」 村上春樹 1982 ★★★★

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第4回(1982年) 野間文芸新人賞受賞
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村上春樹の三部作と呼ばれるデビュー作でもある1979年の「風の歌を聴け」。1980年の「1973年のピンボール」、そして1982年の「羊をめぐる冒険」。

三部作だというのは後で知るものであるから、読んでいくと、「あれ、これあの本に出てきた人物だよな・・・」と気になる人物がチラホラ。主人公に、鼠に、バーテンのジェイ。

そこらへんで気になって見てみるとやはり三部作で、「風の歌」の後日談だという。「だよね」と思いながら読みすすめるが、村上春樹の本を読んでいると、ウイスキーも上手く飲めるようにならずに中年になってしまったのがとても恥ずかしく思われながら、冷蔵庫からロックアイスを取り出してウイスキーを片手に先を読みことにする。

村上春樹を読むと、生きることをじっくりと味わうことのない時間を過ごしてしまっている自分に悲しくなる。というよりも、人生の過ごし方というのは、いっぺん通りではなく、本の中の人物のように、非常にマイペースでゆっくりと生きている姿を見ると、それは自分らしく生きるとはどういうことだろうと思わずにいられない。

そしてそれは同時に背筋が伸びる思いをさせてくれる。人間は誰でもこの人に会うと背筋が伸びるという、ある種の尊敬を感じられる人がいるものである。もちろんそういう人がいない人もいるだろうが、そういう人は非常に不幸であるだろう。人生の中で常に背筋が伸びると思える人をそばに置いて時間を過ごすことは何よりも人生を豊かにしてくれる。

常に自分よりも先を行っている
常に自分よりも勉強している
常に自分よりも豊かな人生を送っている
と思えることは自分にとって学ぶことがある
いろいろなことに対して同じレベルで話し合うことが出来う

それは小説でもしかり。
この人の本を読めば背筋が伸びる。
ウイスキーと背筋。

マッチしないように見えるがそれが村上春樹。

ダラダラとした印象が3分の2過ぎまで続くが、その独特な世界観を持った章題に惹かれた読み続けると、いきなり物語が展開し始め、独特の世界観が破綻をきたすことなくスピードを加速させる。

素晴らしい。

前作も良かったが、それはデビュー作という今までの鬱々とした長い年月の間に身体の中にたまった言葉と妄想を吐き出した熱さを持った良さであったのに対して、近作は作家として生きていく決意を元に、程よい距離感を保ちながらキザに過ぎない台詞を選び抜いて紡いだ物語。

また別の意味での傑作であろう。

ネットを探しても何処にも目次が載ってない。しかし自分でタイプする価値は十分あるので、物語の復習がたてにとタイプしてみる。そうして再度物語を早足でかけていく。それでもいい。

順番を違えてしまったが三部作の二作目も読まなければと思わせてくれる一冊である。




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第一章 1970/11/25
・ 水曜の午後のピクニック

第二章 1978/7月
1 16歩歩くことについて
2 彼女の消滅・写真の消滅・スリップの消滅

第三章 1978/9月
1 鯨のペニス・三つの職業を持つ女
2 耳の開放について
3 続・耳の開放について

第四章 羊をめぐる冒険Ⅰ
1 奇妙な男のこと・序
2 奇妙な男のこと
3 「先生」のこと
4 羊を数える
5 車とその運転手(1)
6 いとみみず宇宙とは何か?

第五章 鼠からの手紙をその数日後譚
1 鼠の最初の手紙 1977年12月21日の消印
2 二番目の鼠の手紙 消印は1978年5月?日
3 歌は終りぬ
4 彼女はソルティー・ドッグを飲みながら波の音について語る

第六章 羊をめぐる冒険Ⅱ
1 奇妙な男の奇妙な話(1)
2 奇妙な男の奇妙な話(2)
3 車とその運転手(2)
4 夏の終わりと秋の始まり
5 1/5000
6 日曜の午後のピクニック
7 限定された執拗な考え方について
8 いわしの誕生

第七章 いるかホテルの冒険
1 映画館で移動が完成される。いるかホテルへ
2 羊博士登場
3 羊博士おおいに食べ、おおいに語る
4 さらばいるかホテル

第八章 羊をめぐる冒険(Ⅲ)
1 12滝町の誕生と発展と転落
2 12滝町の更なる転落と羊たち
3 12滝町の夜
4 不吉なカーブを回る
5 彼女は山を去る、そしておそう空腹感
6 ガレージの中で見つけたもの 草原の真ん中で考えたこと
7 羊男来る
8 風の特殊なとおり道
9 鏡に映るもの・鏡に映らないもの
10 闇の中に住む人々
11 時計のねじをまく鼠
12 緑のコードと赤のコード・凍えたかもめ
13 不吉なカーブ再訪
14 12時のお茶の会

エピローグ
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2014年5月8日木曜日

オペラの負担


今日もまた、仕事が長引き買っていたオペラのチケットを無駄にすることになった。誘ってくれていたメンター夫妻は、「もう始まってますよー」「もう終わっちゃいますよー」と実況中継してくれるが、残念ながら仕事は終わらない。

今日行く予定のオペラはNCPAでの「Shanghai Opera House Attila」。ちなみに先々週の4月27日にもチケットを買っていたが行けなかったのが、NCPAでの「Verdi´s Opera Nabucco」

この春はヴェルディ特集ということで、かなり楽しみにチケットをメンターに薦められるままに買っていたのだが、ここ最近2連続で無駄にしている。

しかし、こうしてチケットを無駄にしても、それでもチケットを購入することで、都市の中にオペラハウスを維持する負担を少しだけでも負担しているのだと思えることで、なんとか気持ちを盛り立てる。

多くの都市論でも語られるように、膨大な維持・運営費のかかる巨大な文化施設はその費用をチケット代として分担負担することができる多くの市民の存在が必須となり、これだけ良質なプログラムを「あーだこーだ」いいながらたまにでも鑑賞できるのは、それは文化施設を持つことができる規模の都市に住んでいる恩恵である。

そんな風に考えながら、徐々に行けなかった悔しさを自分の中で消化して次のコンサートこそはいければと淡い期待を膨らませる。

2014年5月6日火曜日

50年後に人口1億人程度を維持する


日経新聞に出た記事。

「50年後の日本の人口1億人維持」

先日のクローズアップ現代「極点社会」からの流れを見ていると、一体人口1億という数字に何の根拠があるのだろうかと思わずにいられない。

今後は加速度的に都市間での格差が広がっていくのは間違いない。

新たな流入人口を引き付けられる都市。
若い世代を引き止めておくことがある将来への希望を与えられる都市。
教育や職場などより良い機会を提供することができる都市。

そんな都市に人口がより集中するということは、その他の多くの地方都市が人口をどんどん失っていくということで、それは全世代的に同時に行われるのではなく、若い世代がどんどん都市へと流れて高齢者が地方に取り残される。

その状況を考えると、一体50年後の東京にはどれだけの人間が住んでいるのが適正なのか。

各地方の中核都市にどれだけの人間が集中し、どのような年齢分布となっているのか。

地方にはどんな産業を中心にして、どのような風景がつくられ、どんなコミュニティと暮らしを人々が享受しているのか。

そんな国の形。この国の近い未来の風景を想定しない限り、そこに与えられた「人口1億」という数字があまりにも空虚に思えて仕方がない。

この作業は簡単ではない。厳しい現実を踏まえてでも、誰かが自信を持って描かなければいけない。そうして枠組みを与えてこそ初めて数字が意味を持ち始める。

人口が8000万人でも幸せな日本の未来は描けるのかもしれない。
世界に誇れるような国の姿を提示することができるのかもしれない。

その為には利権を握って離そうとしないその手を緩め、将来の子供達のために必死にどんな国、どんな風景を残してあげることができるのかを考えることがどの分野にも必要になってきているのだと思わずにいられない。

2014年5月4日日曜日

「ホッタラケの島 遥と魔法の鏡」佐藤信介 2009 ★

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フジテレビ開局50周年記念作品
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フジテレビが開局50周年を記念して、「日本からもピクサーに匹敵するようなアニメーション作品を世界に!」と意気込んで制作された作品だという。

「それは期待できる」と見てみるが、10分持たないうちに止めようかと思うほどのクオリティ。さすがに長年ピクサーのユーモアとリアリティに溢れた映像に慣らされている身にとっては、以下にそこにチャレンジしたといってもやはり脚本から世界観の作りこみというクリエイティブの部分と、かけられた人員の差が物語の背景や人物の動きなどのクオリティに反映してしまう部分で、ともにやはりピクサーの力量が圧倒的なのだと改めて感じさせられるのみ。

こういう作品を見れば見るほど、やはり日本からは世界的な作品は出ないのかと落ち込んでしまうが、あえて同じ土俵で勝負する必要も無いのにとも思わずにいられない。

たとえば「パプリカ」。あんなトチ狂ったお祭り騒ぎの物語とそれを忠実に3次元に立ち上げるアニメの力はまさに日本だからこそできた作品なんだろうと思わずにいられない。

他にも第86回アカデミー賞の短編アニメ賞にノミネートされた森田修平監督の「九十九」。こんな作品もやはり日本人独特の完成がアニメという表現方法と見事に融合して今までに見たことのない映像作品を生み出したと納得させてくれる。

そうして見ると、「アキラ」も「ナウシカ」もやはり日本から生まれたアニメである意味があるように思えるが、それが「3Dアニメ」となったとたんに、一気に世界がフラットになってしまう必要もないはずで、きっと日本の「3Dアニメ」だからこそ描ける特別な世界観があるはずだし、恐らくそれを目指して日々頑張っている映像作家がいるのだろうと期待する。


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スタッフ
監督 佐藤信介
製作 亀山千広
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キャスト
綾瀬はるか
沢城みゆき
戸田菜穂
大森南朋
谷村美月
家弓家正
松元環季
うえだゆうじ
甲斐田裕子
宇垣秀成
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作品データ
製作年 2009年
製作国 日本
配給 東宝
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2014年5月3日土曜日

北京の城門 内城城門

北京で生活をしていると、いたるところで「何々門」という「門」の付く地名が多いのに気が付く。そして道の名前も「何々門内街」や「何々門北街」など、基本的に「何々門」がまずあっての地名となっている。

それほど重要な位置を占めていたと思われるこの「門」達。しかし実際の風景でその門を見ることはほとんどできない。それだけに何となく分かった気になっているが、全体としてしっかり理解することは北京人でもなかなか難しいのではと思われる。

この「門」もまた、北京に散らばる「都市の数」。「九壇八廟」めぐりを終えたしまった今となっては、持って来いの次なるターゲットだということで、今日は午前中をかけて北京の城門の内城城門をぐるっと巡ることにする。

天安門や建国門、とにかく多い北京の城壁。これは元がこの地を大都として都として定めたる。その後王朝が明朝へと変わり、一時都が南京に移されたが、再度1402年に都が移されそのとき以来北京という名がこの都市に与えられることになる。それらの元・明朝時代に当時の都市の必須条件として防御の観点から築き上げられたのがこの城壁という。

北京に来たことがある人なら分かるだろうが、いわゆる現在の2環道路に沿っていくつもの門が左右対称に建っており、ここがかつての城壁であったのは理解できる。よく見て見るとこの2環道路、長安街を南下したあたりで見事に左右対称でうねっと外側に曲がって幅を広くしている。そして天壇公園を越えたところで閉じるようになっている。

その「うねっ」と広がるところに走る道。前門東大街や前門西大街と呼ばれる道だが、この道と2環道路で囲まれたエリアを囲うのが、北京の城門の中でも内城城門(内城城门)と呼ばれ、いわゆるこの内部がかつての「北京」の街であったという。ポイントはあくまでも天安門などが立ち並ぶ長安街ではないということ。そうなるとこの道が作られた時期が気になるが、やはり近代中国の建国後、戦争などの有事に備え、飛行機の滑走路としても使えるようにと道幅は100メートル以上として作られたのがこの長安街だという。

そんな訳で一つ閉じられた内城城門。その下の先ほど「うねっ」と広がったところから南で天壇公園などを含んだ2環道路に囲まれたエリアは何かというと、外城城門と呼ばれ、昔から北京の下町として親しまれてきたエリアだという。

じゃあ天安門などは何なんだ?となると、これは内城城門の中に更に皇帝の居住エリアを囲う城壁があり、そこに設けられたのが皇城城門と呼ばれ、天安門や地安門などである。ちなみに天安門は正式には承天門と呼ばれ、地安門は厚载門と呼ばれる。非常にややこしい。

更に皇居エリアの中でも極めて神域度の高い皇帝のエリアとしてお堀に囲われている場所に入るための4つの門。それらを宫城城門といい、午門や玄武門などがそれらにあたる。

そんな訳で異なるエリアと囲う城壁があり、それぞれに様々な門がカテゴライズされている訳である。もちろん天安門や午門など故宮付近の極めて重要な皇帝に関係する門は現代の北京でも見かけることができるが、それ以外の内城城門や外城城門の門はなぜないのかというと、これらは毛沢東が城壁を撤去したと言われている。

これは別に何かタブーのようにも言われるが、そんなことは無く古い王朝の匂いを消して新しい時代の首都に作り変えるという意図も合ったに違いないが、それでも城壁都市が兵器の進化に伴った、城壁が都市の防御に意味を成さなくなった近代において、都市をより機能的に改築するために城壁を壊して環状道路に作り変えるなど、パリなどでも行われたきわめて一般的な都市計画の手法である。

そういう訳で今日は東直門(东直门)を開始点として反時計回りに内城城門をめぐっていくことにする。まず全体の構成を把握しておくが、基本的に東西南北にそれぞれ三つずつの門がほぼ対称に配されている。というのも東と西はそれぞれ三つずつなので対称を構成できるが北は二つに対して南は三つなのでここで対象がずれてくる。

では何ですべて三つずつの対称形にしないのかというと、それは南の三つの真ん中の門、つまり正陽門(正阳门)、通称では前門(前门)と呼ばれる門が特別であるからである。

ちなみにすべての城門には独特な用途が与えられており、異なる類型の車両が通っていたので、「九門には九車が出でる」と言われていたというくらい意味があるんである。地図を見て見ると九門のなかでこの正陽門(前門)だけが中心の故宮を突っ切る都市軸に乗っているのが見て取れる。それからも分かるようにこの門は北京城九門の正門、つまり北京の正門とされていたのである。

そのお陰でこの正陽門(前門)は常に一番位の高い門であり、皇帝だけがこの門の出入りが許されていたという。では皇帝はこの門を出てどこに向かっていったのかというと、それは年に二度。一度は冬に天壇(天坛)て天を祀る時に。そしてもう一度は啓蟄(けいちつ)の時に先農壇(先农坛 xiān nóng tán)にて豊作を祈願する為という。

そんな訳で9という割り切れない不思議な数字の意味が見えてくる。日本の柱間で見てみると、奇数間であれば真ん中の軸線に沿っていけばそのまま通り抜けられる構成だが、偶数間となるとまっすぐ歩いていくと軸戦上に柱が立っていて、必然的に身体をどちらか片方にずらすことになる。そこに内と外との境界への意識が生まれてくる。これをつかっているのが法隆寺の中門。人を中に入れるよりは、中に安置してある聖徳太子の御霊を外に出さないようにと言われているが、これが建築の面白いところ。

そんなことを思いながら家から最寄の門である東直門(东直门 dōng zhí mén)から開始する。現代においては空港からの高速鉄道の到着駅として北京市内の顔ともなっているこの門。空港から高速道路を通って更に市の中心に向かおうとすると必ずこの門を通ることになる。つまりは外国からの要人はかならずこの風景を見ることになるので、オリンピックに向けてかなり近代的な高層オフィスビルが立ち並ぶ綺麗な町並みに変わった場所でもあり、時折警察によって一般の進入が封鎖されている場所でもある。

九門の一番北東に位置するこの門は、かつてはその外側に建物に使用するレンガを焼く施設があったために、市内にそのレンガを運ぶ車両が通る門とされていたという。ちなみに東直門から反時計回りに内城城門を見ていくと下記の様になる。

東直門(东直门 dōng zhí mén)
安定門(安定门 ān dìng mén)
徳勝門(德胜门 dé shèng mén)
西直門(西直门 xī zhí mén)
阜成門(阜成门 fù chéng mén)
復興門(复兴门 fù xīng mén)  内城新辟城门
宣武門(宣武门 xuān wǔ mén)
和平門(和平门 hé píng mén) 内城新辟城门
正陽門(正阳门 zhēng yáng mén)・前門(前门 qián mén)
水関門(水关门 shuǐ guān mén) 内城新辟城门
崇文門(崇文门 chóng wén mén)
建国門(建国门 jiàn guó mén)  内城新辟城门
朝陽門(朝阳门 cháo yáng mén)

九門という割には13あるじゃないかということになるが、これは1900年代に作られた内城新辟城门という4つの門(水関門、和平門、建国門、復興門)を加えて9+4で13ということらしい。

続いては安定門(安定门 ān dìng mén)。安定門は元々安貞門と呼ばれ、それが「天下安定」の意味で現在の安定門に読み名を変えられたという。中国語の説明では、

安定门也叫“生门”,有“丰裕”之意,所以皇帝要从此门出去到地坛祈祷丰年。安定门外的粪场比较多,因此粪车多从安定门出入。

とあり、皇帝が地壇(地坛)で祈祷をする時に通ったのがこの門であり、この門の外には肥やし場が多くあった為に、その肥やしを城内に運ぶ車が多く通った門という意味の用である。しかし東直門同様現在は門の痕跡すら見ることは出来ない。

そのまままっすぐ西に進むと徳勝門(德胜门 dé shèng mén)が見えてくる。この門は数少ない現在もその姿を見せてくれる城門の一つである。北京から北に向かう長距離バスのターミナルが近くにある為に多くの人でごった返している。その中を掻き分けて下まで到着すると、博物館になっているようなので中に入ってみる。城門の上まで上がり、上部の櫓の中に展示がされており、北京の城門の歴史などを見ることが出来る。

この徳勝門(德胜门 dé shèng mén)は軍隊が出入りする門であり、戦に勝ち凱旋してくることを祈願した意味が込められているという。ちなみに中国語では下記の様に説明されている。

明清军队凯旋时从此门入城,仁义之师要从此门出入,因此此门多出入兵车。德胜门也叫“修门”,有品德高尚之意。

続いて進んでいくと、東直門と対極の位置にある西直門(西直门 xī zhí mén)に到着する。こちらも東直門同様、すっかり門の痕跡はなく、北京の北西側に延びる路線の駅と、特徴的な3つ頭のオフィスとして再開発されている。

由于北京城内水质不佳,皇宫用水皆取自玉泉山,每天清晨,水车从西直门入城。因此西直门多走水车,其标志也就是瓮城的一块刻着水纹的石头。

とあるように、元々北京は大きな川が通っている場所ではなく、水の確保が難しい場所であり、皇居で使用する水は全て北京の西にある玉泉山から運ばれてきたという。その為、毎日水を乗せた車がこの門を通って北京の市内に入っていったという。

そこから今度は西2環道路を南に下りだし、すぐに到着するのが阜成門(阜成门 fù chéng mén)。下記の説明にあるように、石炭を取り出す西山から一番近い門であり、石炭を積んだ車がこの門を通って市内に入っていったという。

由于此门离西山最近,而西山门头沟出产的煤又是北京城里必不可少的燃料,故煤车都从此门进城。也因此,阜成门之标志是瓮城墙壁上刻着的一朵梅花。由于标志“梅”“煤”同音,老北京间有“阜成梅花报春暖”的说法。阜成门也叫“惊门”,有“公正”之意。

次は、内城新辟城门である復興門(复兴门 fù xīng mén)。流石に新しい門だけあって、他の門の様な物語はあまり無いようである。

また東に進み到着するのが、宣武門(宣武门 xuān wǔ mén)。この門は俗に「死門」と呼ばれていたらしく、多くの囚人がこの門を通り、門外の処刑場に送られていたからだという。

宣武门俗称「死门」,多走囚车。其原因是当时北京的墓地多在今陶然亭一带,所以送葬的人多出宣武门,清代的刑场在菜市口,押送死囚的车也出宣武门。宣武门的标志是报时的宣武午炮。

更に東に進むと、再度内城新辟城门である和平門(和平门 hé píng mén)。ここは門があったということがまったく感じられない場所になっている。

その次に来るのが九門の正門であり、多くの観光客で賑わう正陽門(正阳门 zhēng yáng mén)・前門(前门 qián mén)。最初に説明したとおり、ここは皇帝のみが通ることが許された門である。

次には内城新辟城门である水関門(水关门 shuǐ guān mén)。そしてその次が崇文門(崇文门 chóng wén mén)。ここの近くにある寺に鉄の亀が置かれており、その亀が海を鎮め、平和を守っていたという言い伝えがあるらしい。

この崇文門から次の建国門の間にかつての城門の痕跡が比較的良い状態で保存されている史跡公園が城壁に沿って細長くのびている。市民が散歩したりベンチに座っておしゃべりしたりと思い思いの過ごし方をしている。その東の端には城門の上に登れ、そこにあるのはかつての櫓を利用したアートギャラリーが入っている。

次の門は内城新辟城门である建国門(建国门 jiàn guó mén)であるが、ここには古代の天文台である「北京古観象台」がある。ここは明の時代である1442年に検察され、中には天文台の歴史が様々な観測器具の模型と共に見ることが出来る。

そして最後は朝陽門(朝阳门 cháo yáng mén)。ここは食料を運ぶ車が通ったとされる門であったという。もちろん現在はその面影はなく、日本でも新国立競技場の設計で話題となったかつての所属したザハ・ハディドのギャラクシー・SOHOが現代的な風景を作り出している。

と言う訳で結局城門が残っているのは徳勝門と正陽門・前門のみ。折角だから次は外城城門めぐりでも行こうかと流石に疲労を感じながらオフィスへと向かうことにする。

東直門(东直门)
東直門(东直门)
安定門(安定门)
安定門(安定门)
徳勝門(德胜门)













西直門(西直门)

阜成門(阜成门)

復興門(复兴门)


宣武門(宣武门)
和平門(和平门)

正陽門(正阳门)



水関門(水关门)


崇文門(崇文门)



















建国門(建国门)
朝陽門(朝阳门)