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2015年1月4日日曜日

魯迅故里 ★★


かつて事故が起きた為に埋められてしまった高速鉄道である和諧号(和谐号、わかいごう、hé xié hào)に揺られ到着したのは紹興(绍兴、しょうこう、Shào xīng)の街の北に位置する駅。

比較的新しい路線なので、旧市街中心を避けて、随分と距離のあるこの場所に到着するために、観光地の密集する市街地までタクシーで向かうことにする。タクシーから眺める風景は市の外縁部に100メートルと超える高層ビルが立ち並び、日本とはまったく違った開発が作り出す風景を超えると、徐々に水郷の街らしくあちこちに運河が見えてくる。

明らかに密度が上がったと思える旧市街地に到着すると、事前の調査でいまいちスケール感が分からなかったが、思っていたよりも整備され新しい街の雰囲気が漂う一角に、「魯迅故里(lǔ xùn gù jū)」が見えてくる。ネット情報では良く理解できなかったが、車両の入場を規制した道沿いに、魯迅の生家である魯迅故居、魯迅の書籍などを展示している迅紀念館、魯迅が子供の頃に通った塾である三味書屋、魯迅が子供の頃遊んだ畑である百草園などが保存されており、一般に公開されている。

入場にチケットが必要なところとそうでないところがある様で、エリアの入口付近にあるチケットオフィスで訪ねていると、日本語でのガイドもできるということなので、せっかくなら詳しく理解しようと依頼することにする。

生まれ育った魯迅故居から始まり、その向かいに位置する三味書屋、少し離れた親戚の家、その裏にある百草園をめぐりながら、「もし魯迅が長く生きたなら、彼は共産党に入党したのだろうか?」などとなかなか興味深い会話をメンターご夫妻としながら、古都・紹興観光が始まったことを実感する。









































紹興 ★★★


杭州に来たのだからぜひとも訪れたいと思っていたのが杭州の東に位置し、電車で30分で行くことができる水郷の都市・紹興(绍兴、しょうこう、Shào xīng)。あの魯迅(鲁迅、ろじん、Lǔ Xùn)の出身地でもある都市である。

かつての名称は会稽(かいけい、huì jī)といい、歴史にも登場する春秋時代の「越(えつ、yuè)」の国の都でもあった場所である。この「会稽」の名は、「会稽の恥」ということわざが有名で、その由来もまた春秋時代に争っていた越と呉(ご、Wú)の間で、争いに敗れた越の越王・勾践(こうせん、Gōu Jiàn)が、呉王・夫差(ふさ、Fū chā)に終われ、この紹興(会稽)の街の南に位置する会稽山において屈辱的な講話を結んだという故事より、「恨みを晴らすこと」を「会稽の恥を雪(すす)ぐ」という様になったという。ぜひとも今度、誰かとの会話の中で使ってみたいことわざである。

現在の市区人口は64 万人と言われ静岡市や岡山市の70万人よりやや少なく、船橋市や鹿児島市の60万人よりやや多いという規模である。やはり何といっても日本にも留学をして縁の深い魯迅の出身地ということで、旧市街地に位置する魯迅の故居を中心とした観光地を中心として多くの観光客が訪れる街であるが、水郷の街が現代においてどのように姿を変えて生き残り、魯迅の小説の世界がどのような場所で生まれたのか、それを感じるために朝早くホテルを出発して駅へと向かうことにする。