2008年11月13日木曜日

シナプス

最近、どうしてもやりたいことを暫く口にしていたら、そんな話が舞い込んできた。

言葉というのは声帯で空気を震わせ、その振動が鼓膜に到着し身体反応を起こさせる空気振動の問題である限り、受け手に信号を意味として変換する為の共通認識がない限りそこにシナプスは生成されない。

悠久の歴史を費やして人類が辿りついたのが、クオリアに充ち溢れた個々の身体という、なんとも儚く不安定なインターフェイスに頼るコミュニケーション。「いま、ここ」にある一回性を纏う身体だからこそ、創造という人類のみに許されたエレガントな脳内行為が誘発される。

情報化社会を漂うデジタルな身体において、「アップデート」や「コメント」という行為が、電子に振動を与え、電子のさざ波を対岸へと送り届け、不可視のインターフェイスを構築する。そんな空間で言葉を発して生み出されたこの振動は一体どこに流れ着き、どんな身体に反応を喚起するのか?そこに生成されるシナプスは、より複雑な偶有性に満ち、アナログ身体に思いもしない刺激を送り返すのだろう。

デジタル身体からもやりたいことを言い続けたら、きっと不思議な振動が舞い込んでくるのでは?ということで徒然なるままに書き綴ってみることにした。

今、会って話がしたい人
千利休を解ったと言い切り、小林秀雄を同士と呼ぶ、茂木健一郎氏。最近非常に興味が出てきたので、何冊かまとめて読んでみたが、やはりこの人はプラトンの言うように話し言葉が書き言葉を凌駕する人なんだと思う。脳科学がどうのとかはいいから、普通に話がしたい。したい。したい。