2010年6月23日水曜日

「東京島」 桐野夏生 2008 ★

一時期、随分とはまった桐野夏生。描きだす人間のドロドロとした本性。社会の中で生きるという暗黙のルールが外れた途端に、そのグロテスクな獣性、汚らわしいまでの自己保身の為の行動など、結局人間も動物であるということをこれでもかと描くその非日常性にずっぷりと埋もれていた時期から暫く時間が空いていたが、どうもこれは凄いらしいという評判を聞きつけて手に取った一冊。

「東電OL殺人事件」を基にした「グロテスク」同様、本作も実際にあった事件を基にした創作だという。その事件とは太平洋のマリアナ諸島に浮かぶ島・アナタハン島に1945年に漂着した日本人の間でおこった「アナタハンの女王事件」と呼ばれる事件。その内容はまさに本作の下敷きになったといってよいであろう。

夫二人で参加したクルーズ旅行から一転、流れ着いた無人島での生活。その後、同じく漂着してきた若い男の集団。そして生きる力を失い、死んでいく夫。そこで生まれる状況は男31人に対して、女1人の無人島での生活。

生きていく為の食料などの確保は比較的容易に出来るだけに生まれる男と女という社会性。その中で「一人」という希少性が持つ価値を利用して、この新たに生まれた世界で権力を独占しようとする主人公「清子」。

「今年で46歳」というその設定もまた絶妙であるが、「これほど男に焦がれられた女は世界に何人」と自ら言うように、自らの「女性」が圧倒的な価値となる場を手に入れた清子はその価値を最大化する為に一定期間、自分を独占できる「夫」をくじ引きで決めることとする。

そのくじ引きの行われる場所は「コウキョ」と呼ばれ、この島を「トウキョウ」と呼び、無人島の中にも一定の人数の人間だ共同して住まうことの中で生まれる社会性を入れ込んでくるのもまた絶妙。

そこに流れ着いてきて、力強いサバイバビリティーを見せる中国人の集団。日本人の集団の中にも様々なグループが出来てきて、リーダーも生まれてくるなか発覚する自らの妊娠。島からの脱出、その失敗を経ての出産。そしてチキとチータと名づけられる、男と女の双子。

調べるとスペイン語で少女を「チカ」と呼び、それが「チキータ」と変形し、それが更に変形して「チキチータ」となってアバの名曲の中でも歌われるようになったというが、どういう繋がりかは分からないがそんな名前を付けられた二人の運命はその後、島のプリンスと東京に戻って普通の中学生へとまったく異なってしまう。

設定の強烈さ。そして極限状況における人間が徐々に現す獣性。そして社会的動物である人間の行動と、その中でも異彩を放つ個人のエゴという、基本的に著者の作品の中で形を変えては搭乗する要素が「無人島」と「圧倒的多数の男に対して一人の女」という「非日常」の舞台を与えられテンポ良く読み進める。

それで中盤まではぐいぐい引き込まれていくのだが、人間の本能的な汚さと社会性の中での揺らぐ葛藤という構図を別にすると、「汚い、怖いものを見てみたい」という娯楽性を超えて何かあるかと考えると、これといって何も見えてこないままにページを閉じることになる。

2010年6月18日金曜日

「イントゥルーダー」 高嶋哲夫 文春文庫 2002 ★★★★★



イントゥルーダー, Intruder : 侵入者

デジタル時代の侵入者は扉を蹴破ってくるような物理的な存在だけではなく、ひっそりと0と1のデジットの隙間に入り込んできて、そして侵入者すべてが悪意を持ってやってくるとは限らなく、その動機は見つけてもらいたいが為に、憧れの存在に近づくが為に、そしてそれが父と呼べない父の存在だったとしたら。

そんな現代性とそれでも変わらぬ父と子の絆を教えてくれる、サントリーミステリー大賞と読者賞のダブル受賞も納得の一冊。


「なんで援助交際がだめなの?誰も傷つけないし、誰にも迷惑はかけてないし、お互いがハッピーになる為の手段だからかまわないじゃない。」

と言い張る高校生の娘に対して、理論や道徳では反論できないが、

「その行為は自分自身の魂を傷つける。そしてそれが一番ひどい暴力なんだ。」

と、心からのメッセージを送る父親。

それが一番大切なことで、こういう言葉を子に言ってあげられる親がもっと居れば、きっと世の中はもっとましになっているのだろうと思わずにいられない。

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第16回サントリーミステリー大賞(1999年)
第16回サントリーミステリー読者賞受賞(1999年)
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2010年6月17日木曜日

「ペトロバグ―禁断の石油生成菌」 高嶋哲夫 ★★★



この本を読む為にともされた光。現在はそれが電気でともっているが、時代が変わればそのエネルギー源もまた変わってきた。

「オイルを握ったものが世界を制する」

この世がエネルギーに頼っている以上、それを握ったものがこの世の派遣を握るのはどの次代も変わらない。そしてどんなに他のエネルギー源がその存在感を増大してきたといっても、やはり現代を支配するのは石油。

この事実を元に構成されている現在の世界の秩序。もしこの石油の立場を怪しくさせるような新たなるエネルギー源が見つかったら一体どうなるのだろうか?しかもそれが石油のような環境に不可を与えるものでもなければ、炭素資源のような生成までに膨大な時間を要し、その埋蔵量に限りがあるものでもなければどうなるだろうか?

それは、人類にとっては新たなるパラダイムの幕開けで、誰でも安価でエネルギーを手に入れることができ、少数の産油国に左右されることなく経済活動を行える世界にとっては朗報でしかないことが、現在の利権を握っている権力者にとっては永遠に安泰だと思っていた自分の座る椅子をいきなり取り上げられる事に変わらない。そして人類の利益よりも、如何に現在の自分の利権を守りぬくか?それが至上命令へと変わっていくのに時間はかからない。

歴史上人類が繰り返してきた戦争はイデオロギーの対立か、もしくは資源を巡っての争いでしかなかったのならば、新たなるエネルギー源の発見は新たなる争いの始まりで他ならない。

「持続可能な世界へ」

その言葉が踊る昨今、必読の一冊。

2010年6月16日水曜日

「コールドゲーム」 荻原浩 新潮文庫 2005 ★★★
















高校卒業からはや15年経ち、たまたまあった高校の同級生の結婚式がきっかけで、
この夏に全学年での同窓会を開こうと世話人なるものをやりだした。
改めて卒業アルバムを開いてみると、普段は絶対に思い出すことの無い時間が、
ブワッと目の前に蘇る、そんな不思議な気分になる。


長い登り坂がいつまでも続いている。しかも向かい風。

というシーンで始まる高校3年の夏。
その先にある下り坂をイメージしながら、必死に自転車のペダルを漕ぐ。
地方の高校生なら誰でも自分とオーバーラップできそうな高校の日常。

社会人になる前のギリギリの数ヶ月。
学生という時間に終止符を打つ前に、けじめをつけなければいけない事件が起こる。
それは中学生の時の、どこの教室でもあったかもしれないイジメが発端となっている。

積極的にイジメに参加する悪ガキと女生徒達。
生徒との距離が近い、面白い先生を演じる為に、間接的にイジメを容認する教師。
自分に飛び火しないようにと見てみぬ振りを決め込んだ生徒達。

中学から高校と日常の場所を変えることで、あっさりと記憶から消していたその日々。
その時間が正体の見えない復讐として、突然ブワッと日常に引き戻される。

「もう止めろよ」と言うまでにかかった3年間。
その勇気を持って大人になるために、
取り返しのつかないコールドゲームになる前に、
前を向いてばかりでなく、たまには記憶のアルバムを開くことが、
実はとても大切なんだと感じさせてくれる青春ミステリー。

15年ぶりの同窓会。
いろんな想いがブワッ、ブワッを花を咲かせる、そんな時間を楽しみにして夏を迎えることにする。

「タイトルマッチ」 岡嶋二人 講談社文庫 1993 ★★★















ボクシングの階級はこのようになっている。

ジュニア・フライ級      48,9Kg以下
フライ級            50.8以下
バンタム級          53.5以下
ジュニア・フェザー級    57.1以下
ジュニア・ライト級      61.2以下
ジュニア・ウェルター級   63.5以下
ウェルター級         66.6以下
ジュニア・ミドル級      69.8以下
ミドル級            72.5以下
ライト・ヘビー級        79.3以下
ヘビー級            79.3以上

自分がライト・ヘビー級に属すると思うと、ダイエットの必要性を感じる・・・

元・世界王者の息子が誘拐される。その対戦相手に、同じジム所属で、義弟である琴川が世界戦に挑む。
犯人からの要求はその世界戦で、相手をノックアウトで倒せというもの。

華やかに見えるボクシングの世界の裏にある、ジム同士の政治パワーバランス。
そしてそれに翻弄される、実力だけでは世界に挑戦できないボクサー達の思い。
前日の会見、当日の軽量と刻一刻と試合開始が近づいてくる中、なかなか見えない犯人像。

本人と特定できないまま鳴らされる、試合開始のゴング。
そんな中繰り広げられる名試合。

3分という時間で刻まれるリズム。
全編に渡ってそのリズムがもたらす緊張感の感じられるテンポの良いミステリー。

2010年6月15日火曜日

後半39分

4年前の地獄の様な6分間。
時計が後半39分をさすと、どうしても息が詰まるような気がする。

本田の献身的な前線でのボールキープ。
長谷部のいい時間でのシュートで終わる展開。
松井・大久保の突っかけっぷり。
4年間に無かった二枚目の長身CB。
かつての川口を思わせる、川島の神がかりセーブ。

きっと、日本とカメルーン以外の国の人にとっては、
何も面白みの無い試合だったんだろうが、
巧いチームが勝つのではなく、強いチームが勝つというワールド・カップで、
4年前に取れなかった勝ち点3をもぎ取ったのは、すこぶる気分が良い。

掌返しでほめ出すマスコミはどうかと思うけど、
後半39分からロスタイムを含めての10分間。
日本は決してできそうもない、カメルーンのパワープレーを弾き返しつづけた日本代表。
トゥーリオの言うように、へたくそなりにがんばらないと、という言葉通り、
今までにない、がむしゃらな想いが伝わってくる試合に元気付けられ、
心からの拍手を送りたい。

さて、オランダ戦が楽しみだ。

2010年6月14日月曜日

「シャトゥーン ヒグマの森」 増田俊也 宝島社文庫 2007 ★★
















陸上最強生物は何か?
アフリカゾウ、ライオン、トラ、カバ、サイ・・・

その問いにかなりの説得力をもって答えてくれる小説。

そしてその答えは

「冬眠に失敗し凶暴化した子連れのヒグマ」

「赤カブト vs 銀牙」にピンと来る少年ジャンプ世代にとっては、
すんなりと納得できる答えかも知れないが、
次々と襲われ、意識を持ったまま食われていく登場人物の描写は圧巻。
自分の獲物はどこまでも追って来るその執念たるや、ひたすら恐怖。

幻の鳥でアイヌがヒグマと並び崇める空の王者・シマフクロウ。
ネズミの天敵として、森の微妙な植物連鎖の要を務める絶滅危惧種が、
登場人物の関係の中でも微妙な要を演じる。

広く深い森の奥には、人の無力さを感じさせる、大きな力がまだまだ残されていると、
改めて感じさせてくれる、とても恐い第5回このミステリーがすごい!大賞優秀賞受賞作。

恐い動物の姿が見たい人にはお勧めです。
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「滅びの笛」西村寿行
「熊嵐」吉村昭
「黄色い牙」志茂田景樹

2010年6月12日土曜日

「カルヴィーノの文学講義 新たな千年紀のための六つのメモ」 イタロ・カルヴィーノ 1999 ★★★★

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目次
まえがき
1 軽さ  Lightness
2 速さ Quickness
3 正確さ Exactitude
4 視覚性 Visibility
5 多様性 Multiplicity
あとがき
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学校で一緒に授業を担当させてもらっている、古代ローマについて大変お詳しい先生が他の先生と「カルヴィーノのあの本、読みましたか?」と珍しく興奮気味に話しているのを聞いて、「これはさっそく手に入れないと」と注文した一冊。

イタロ・カルヴィーノ(Italo Calvino, 1923年 - 1985)はイタリアの小説家で、建築の世界でもよく引用される非常に想像力に満ちた空間を描く作家であり、建築の世界では学生の時期からも「読んでおかなければいけない作家」の一人にあげられる一人である。

そんな流れに漏れないように、自宅の本棚にも下記の本が並んでいる。

まっぷたつの子爵 1952年
木のぼり男爵 1957年
遠ざかる家 1957年
柔かい月 1967年
見えない都市 1972年
宿命の交わる城 1973年
冬の夜ひとりの旅人が 1979年

どれだけ読みきったか既に曖昧だが、とにかく早速手に入れたこの一冊。1980年代にアメリカのハーバード大学で「新たな千年紀のために」遺すべき文学的価値について準備された講義の記録。その途中で病で倒れたために全6回で準備されていた最後の講義は絶筆となっているが、その講義の記録が出版された一冊。


1 軽さ  Lightness
建築の歴史は重力との格闘の歴史であり、まさに「重さ」にどう向かっていくか。そしてその対極にある「軽さ」は現代を表すキーワード。さて、その「軽さ」をカルヴィーノがどう語るのか?

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〈軽さー重み〉 重さからの離脱。物語の構造と言語から重さを取り除く。

我々の生きている時代の表現。世界は完全に石になって行く。ゆっくりとした石化。メドゥーサ。ペルセウス。ゴルゴーンの顔。青銅の盾に映る像。最も軽いもの。風と雲。間接的なヴィジョン。

メドゥーサの血から翼を持った馬。ペガサスが生まれる。石の重さから軽さ。ヘリコーン山。

オウディウス「変身物語」。海の怪獣。アンドロメダを解放。手を洗う。首を優しく置く。小枝。珊瑚に。現代詩人エウジェーニオ・モンターレ「小さな遺書」。ミラン・クンデラ「存在の耐えがたい軽さ」。生きることの避けがたい重苦しさ。強制。

ソフトウェアはハードウェアの重さを通してでしか軽さを発揮できない。

文体 エクリチュール。思慮深い軽さ。軽薄さ。

アルファベットの組み合わせ。物質の手に触れることのできない原子構造のモデルをみる。

非常に軽いもの。動いているもの。情報の担い手になっているもの。

軽さ。明確さと確定 「鳥のように軽くあらねばならぬ、羽根のようにではなく」
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2 速さ Quickness
技術の進歩がもたらしたのは時間と距離の縮小。かつてのあちら側をあっという間に日常の中へと引き込んでいく。物語の中に現れた移動手段、その時間、見えた風景。全ては「速さ」が投影されたもの。その「速さ」をどう見つめるのか。

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物語の秩序 出来事 継続する時間から自由に点のように休むことのない動きに一致するジグザグの図形を描きながら直線で結ばれているだけ

王様が病気 医者 「鬼の羽根 鬼はキリスト教徒を見ると食べる」 家来 「山の上に7つの洞窟。その一つに鬼住んでる」 イタリア民話集

表現の無駄のなさ 時間の相対性 

シェヘラザーデ 物語の中で物語を語る 入れ子 物語に物語を連鎖 連続性と非連続性の操作

物語は馬 乗り物 交通手段 行き着くまでの道のり次第 速歩トロットだったり全速力ギャロップ 心理的スピード 適応の機敏さ 表現や思考の機敏さ

交通や情報におけるスピードの時代 イギリス文学もっとも美しいエッセイ トマス・ド・クィンシー「イギリスの郵便馬車」 深夜の旅 右側走行 物理的な速度と精神的な速度の関係 

馬の精神的なスピードの比喩 ガリレオ・ガリレイ「贋金鑑定官」 論じることは走ることに似ている

「天文対話」 思考の速さ サグレードに擬人化 「このうえなく速い話し方」

情報化の時代 文学の機能 異なるもの同士の、まさにその差異を薄めたりすることのない、それどころか差異を強調し、差異に土台をおくコミュニケーションである

モータリゼーションの時代 測定可能な価値としてのスピードを押し付け、その記録が進歩の刻印

ロレンス・スターンの小説 脱線で成り立つ 時代の増殖 永遠の遁走 
宿命的で避けがたい二点の間の最短距離が直線であるのなら、脱線がこれを引き伸ばしてくれる

ラテン語のモットー 「ゆっくりいそげ」 海豚と錨 正しい語の一つ一つが置き換えられない 

必要で唯一で密度が高く簡素で記憶に残る表現

「レ・コスミコミケ」「柔らかい月」 空間と時代の抽象的な観念に明瞭な語りの効果を与える操作 

短章的名人 ホルへ・ルイス・ボルヘス 語り手としての自らを発見 自分が書こうとする書物は実は、すでに書かれてしまった、他人によって書かれているのだという想定 「アル・ムターシを求めて」「可能態としての文学」「虚構の物語集」

グアテマラの作家アウグスト・モンテローソ「目を覚ますと、それでも恐竜(ディノサウルス)はそこにいた」
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3 正確さ Exactitude
加速度的に解像度を増す現代。見たものを如何に「正確に」再現するか。それは同時に如何に頭の中で創造したものを現実の世界に「正確に」再現することができるか?それは文学の世界も建築の世界も同じ課題に向かい合い、言葉以外のもので創造されたイメージをどうやって現実の物理世界に持ち込むのか?イメージと実物との間の「正確さ」とは?
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古代エジプト 霊魂の目方 量る重し 秤に載せる一本の羽毛 正確さの象徴 マアトMaat 秤の女神 長さの単位 統一規格煉瓦の33センチ 
ジョルジョ・デ・サンティリャーナ 古代人の精密さの講演 
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4 視覚性 Visibility
目の前のものが物体として認識できるのは、その物体が太陽の光を反射し、異なる特性を持った光が網膜へと届きそこで立体物として世界を認識する。陰があるから光を感じることができ、反射光によって辛うじて身の回りを認識することが出来る我々の視覚性。その視覚が文学の中で捉えたものは何だったのか?
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ダンテ
想像力二つ 視覚的なイメージから言語的表現へ
言葉から視覚的なイメージへ
イメージによって考える能力を失っている
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5 多様性 Multiplicity
同質のものから新たなる価値が生まれるよりも、圧倒的に多様性の中から新たなる価値が生まれる可能性は高い。新たなる価値とならずに埋もれていくものもあるかもしれないが、何かしらの化学反応を起こし、新しいものが生みだす多様性。
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「超=小説」 ジョルジュ・ペルック 「人生 使用法」 バルザック流円環的 パリの典型的な住宅建築の断面図 5回建ての住宅のアパルトマンの一室ごとに一章ずつ展開 カタログへの熱中 想像上の文献目録
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あとがき
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「くもの巣の小道」パルチザン戦争の血生臭 殺伐を少年の眼差し
「まっぷたつの子爵」善と悪に引き裂かれた人間 お伽噺に牧歌的物語
関節的な視像、鏡が捉えた映像 によって 世界の正体を明かす
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カルヴィーノがどれだけ意図的に自らの小説の世界を構築し、どの様な意図を持って物語を綴っていたかが垣間見れるそれらのキーワード。6回目に予定されていたものは「一貫性」 だという。

1000年という長いスパンの時間を見つめた時に始めた浮かび上がってくる価値がある。カルヴィーノの視線が捕らえたその理想の姿。「軽さ」を体現し、「速さ」を手なずけ、「正確さ」を獲得し、「視覚性」を理解し、「多様性」を生み出しながら、ブレることない「一貫性」を持ち続ける。恐らくこれは建築の世界を考えてもそんなに離れては無いのだろうと思われる。

「今」を追い求めるのも現代の生きるものとして確かに大切かもしれない。しかし1000年というスパンを飛ばした時にそれでも語り継がれるであろう価値を視界に捉え、それだけ息の長い時間を生きる作品を作ることを目標に「今」を生きること。それもまたカルヴィーノが目指したことであったのではと思わずにいられない一冊である。

2010年6月8日火曜日

「パーク・ライフ」 吉田修一 文春文庫 2004 ★★★★
















イタロ・カルヴィーノ が書き遺した保存すべき文学的価値、「軽さ」、「速さ」、「正確さ」、「視覚性」、「多様性」、「一貫性」 。

その一つ、「正確さ」。

これが吉田修一の文章の最も特徴的な部分なんだと改めて思わされる。

小説を読むことは、ついつい分かりやすい筋道、物語を期待してしまう。通常、始めの数十ページで段々と形を見せ始める物語の大枠を掴めると、すっと話に入っていくことが出来るが、「パーク・ライフ」ではその道筋がはっきりと示されない。決して大きなドラマが起こる訳ではなく、淡々と、しかし驚くほどの洞察力で描かれる正確性をもってある男の日常を書き連ねる。

日比谷公園という都市の大きな空虚を俯瞰の視点と、思いっきりズーム・インした身体の視点を切り替えながら、人生ですれ違うくらいの人々との距離感を描く。

名前さえ知らない男の女が織り成す、現代の物語。

さすがは第127回芥川賞受賞。

「DANCER ダンサー」 柴田哲孝 2007 ★★★


「河童」、「天狗」、「竜」と徹底して日本の伝説上の古代説をモチーフにして、現代の時事問題と絡めながら、ハードボイルドな物語を展開していく作者なだけに、どうにかもう一絞りして、なんとか上記の列に加われるような生物を見つけ出してもらいたかった。恐らく「ツチノコ」も考えたが、どうも品位にかけるので諦めざるを得なかったのだろうと勝手に想像するが、「ダンサー」はないだろうとややがっかりするタイトル。

物語は昨今話題のキメラ(Chimera)に関するもの。二個以上の胚に由来する細胞集団から形成された個体であり、ギリシャ神話に登場する生物キマイラを語源にする、いわゆる遺伝子操作によって生まれた生物という意味。

ES細胞―万能細胞への夢と禁忌」にも描かれるように、臓器移植など無限の可能性を秘めるのと同時に、恐ろしい方向性へと動き出す可能性も秘めている遺伝子操作技術。その危険性をお決まりのUMAと絡め、もう一つ人間ドラマを絡めさせて物語りは展開する。

トランス・ジェニック動物と呼ばれる人間の遺伝子を持つマウス。体細胞核移植によるヒトES細胞株を植えつけられ、免疫システムの拒否反応を検査される。喧々諤々の議論が繰り返され、論理的な意見から、宗教的見解、医学的な可能性まで様々な立場からの議論がなされるその技術の在り方。人が生物の創造主になりうるという可能性。

「愛するものができるとその愛の重さの分だけ確実に弱くなる」

「嗜好品に贅沢を怠ると男は精神が枯渇する」

如何にもアウトドアタイプの作者らいし、肉食系の一冊。そして相変わらず「モノ」にこだわりを見せる主人公の様々な台詞。

トランスジェニック動物とキメラの違いを、ダンサーに人格を与えるかの様に説明する終盤。UMAからまた新しい生物へとその世界観を広げたという一冊なのだろうか。