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2015年2月7日土曜日

普楽寺(ふらくじう,pǔ lè sì,普乐寺) 外八廟 1766 ★★


安遠廟から坂を下り、再度同じような坂を上りながら歩くことまさに20分。たどり着いたのはこの度最後の目的である普楽寺(ふらくじう,pǔ lè sì,普乐寺)。

さすがに身体もクタクタで、見学後駅まで向かう手段を段取りしてしまおうと係の人に「タクシーを捕まえるにはどこまで降りていかなければいけない?」と聞くと、「山を降りて線路を越えて幹線道路に出ないと難しいね」というので、さすがにげんなりして、「それならタクシーを呼んでくれないか?」と頼むと、「そういうサービスはしてないんだけど、特別に個人として電話してみるから、先に見学して、帰りにここに寄ってくれ」と優しい言葉をかけてくれる。

「まぁこんな冬場に、しかもマイナーなこの寺院にやってくる物好きもそう多くは無いのだろうな・・・」と思いながら、すっかり重くなった足を引きずるようにして境内を巡ることにする。

午前中に巡ってきた寺院同様、これも南側が中国様式、北側がチベット様式の折衷タイプ。清王朝と各地の少数民族との関係が安定し、頻繁に欠く民族の代表がこの地に皇帝に謁見するために訪れるようになり、それに伴い彼らを受け入れる施設として建設された寺院の一つである。

承徳市東部を流れる武烈河の東岸に建ち、境内からは避暑山荘を初め、街の構成が良く見て取れる。

境内の一番後ろの壇上にだった場所に建てられているのは馴染みのある建物そっくりで、調べてみるとやはり北京の天壇公園内部にある祈年殿を真似て造ったという大きな円形の建造物が特徴的である。この円形からこの寺院の俗称は「まるい亭」というらしく、先ほどの安遠廟の四角とよい対比を描き出している。

見学を終えて先ほどの係員事務所に戻って聞いてみると、「タクシー会社に電話したけど、呼び出しのサービスはまだやっていないから無理だって言うんだ。申し訳ないね」と。あふれ出そうな様々な言葉をグッと飲み込み、「その代わりじゃないけど、お湯を水筒にもらえるかな?」と空になった水筒にお湯を注ぎ足して貰い、お礼を言って坂を下りていくことにする。

坂を折りきり、線路をくぐろうとするとちょうど先ほどの安遠廟方面から一台のタクシーが下りてくる。「この好運を逃すまい」とタクシーを停め、夜の22時過ぎ発の電車のチケットをどうにか早められないかと一度駅に向かうことにする。

朝から歩き回ってきた総距離は既に25キロにも達しており、それは疲れるわとウツラウツラしていると早朝の闇の中で到着した承德駅へ。脇に設置されているチケット販売所に行き、時刻をできるだけ早いものにしたい、来るときに硬座だったのでできれば横になれるような寝台に変えたい、そしてできるだけ短い時間で北京に戻れるようにと3つの要望を伝えると、「19時発の便が空いているからそれにしなよ」というのでチケットを変更してもらう。

これでなんとか今日中に家に戻れそうだと安心し、余裕ができたので今度はバスで市の中心部へと戻り遅めのランチを取り体力を回復させ、今度は市内中心部を歩きまわって現代のこの街を理解することにする。



















安遠廟(あんえんびょう,ān yuǎn miào,安远庙) 1764 ★★


やっと外八廟の3つ目のエリアである磬锤峰景区に向かうことにする。地図ではそんなに遠くないように見えるが、街の東側に南北に走る川の東側の山の麓に位置し、さらに鉄道路線を超えていかなければいけないかなりアクセスの悪い場所にあるために公共交通ではなかなかたどり着くことができない。

その為に避暑山荘を含めた4つの景観地区の中でも一番マイナーな位置付けにされ、朝にチケットを買ったときにも当たり前の様にここ以外の3つのエリアを回るチケットを買うかの様に扱われた意味がやっと理解できる。

普寧寺エリアからタクシーにのり、早朝のタクシー同様に客を乗せているのにもかかわらずお構いなしに携帯でしかも耳が痛くなるような大声でプライベートな用事を伝えている運転手に、「河北省のタクシーは全部こうなのだろうか?」と少々げんなりしながら砂埃を巻き上げて舗装もされていない道を進み到着するのが磬锤峰景区に位置する二つの寺院の一つ安遠廟(あんえんびょう,ān yuǎn miào,安远庙) 。

エリアの中心に小さなレストランなどがあり、ここから先に見える丘の上に鎮座する特徴的な巨石を中心とした磬锤峰と呼ばれる景観地が広がっている。その左の丘の上に位置するのがこの安遠廟で、逆に右の丘の上に位置するのがもう一つの普楽寺である。

この安遠廟は乾隆帝時代の1764年に建立された寺院であり外八廟の中でも一番規模の小さなものだという。これももちろん他の場所のオリジナルを模して造られたものであるために、その元となったものは新疆地区のグルジャ寺だという。

配置は避暑山庄向けた明快な直線状に主要建造物が配置され、先ほどまでの寺院の様にいちいち横に回りこむことをせずにいい心地のよい配置となっている。折り返してくると、既に朝から歩き回りすっかり身体として街の配置が理解できているので、避暑山庄から他の寺院の配置がしっかりと見下ろすことができ非常に心地のよい風景を見ることができる。

しかし身体に蓄積した疲労は容易には回復せず、係のおばさんに「普楽寺に行くには徒歩でどれくらいかかるか?」と聞くと、「20分くらいじゃない。すぐに着くよ」とあっさり返されるので、「タクシーを呼んでもらえないか」などという甘い考えを飲み込みながら、もう一分張りと坂道を下っていくことにする。















普佑寺(ふゆうじ,pǔ yòu sì) 外八廟 1760 ★


普佑寺は河北省承徳市避暑山庄の内に位置して、宗教で内陸とモンゴル、チベットの統治を固めて、ラマ文化素質を高めて、清政府は乾隆二十五年(1760年)に普寧寺の東にはラマの誦経する寺院の附属学院を建て、これが普佑寺である。

一時は相当数の僧侶がここで寝起きをし、仏教を学んだようであるが、侵略戦争の折にその材が戦争で使用され、残念ながら現在はその跡地のみが残ることになる。冬なのでそれほど活気のない土産物屋が軒を並べる道を抜け次なる目的地へと向かうことにする。








普寧寺(ふねいじ,pǔ níng sì,普宁寺) 外八廟 1755 ★


やっと外八廟の一つ目のエリアである布达拉行官景区の3つの寺院を見終わり、ヘトヘトになりながら午前中に何とか二つ目を終えてしまおうと、地図を頼りにバス停にたどり着き、目的のバスに乗って到着するのが外八廟の3つのエリアの二つ目である普寧寺景区。

このエリアには普寧寺(ふねいじ,pǔ níng sì,普宁寺)と普佑寺(ふゆうじ,pǔ yòu sì)の二つの寺院が集まっている。地図を見ながらまずは奥の普佑寺から訪れようといかにも係っぽい人に聞いてみると、普佑寺は一般に公開されていないという。

この時点でピンとくる。初めに訪れた殊像寺は工事中だっただけではなくて元々一般に公開されていないのではないかと。12あるという外八廟の寺院全てが一般に公開されているのではなく、その中のいくつかだけが整備されて公開されているのかと、ややぞっとしながら係の人に聞いてみると、やはりそうだと言う・・・・

布达拉行官景区:普陀宗乗之廟、須弥福寿之廟の二つの寺院
普寧寺景区:普寧寺、普佑寺の二つの寺院
磬锤峰景区:安遠廟、普楽寺の二つの寺院と磬锤峰と呼ばれる景観地

これらが現在一般公開されている場所だという。全部で12だと思ってここまで飛ばしてきたのに・・・とスタミナ分配に失敗したのを感じながら、とぼとぼと隣の普寧寺へと戻りチケットを購入して中に入ることに。

この寺院も山というか小さな丘の地形を利用して奥にいくに連れ徐々に上昇するように建物が配置されており、その前半は中国様式で、後半がチベット様式を採用されている。

その中でも大乘之閣と呼ばれる6層の巨大な建築物はその高さが36mにもなり、内部には世界最大級だといわれる22mに高さを誇る木彫りの千眼千手観音像が安置されている。ヘトヘトの体にもやはりこれはなかなかの迫力であり、「ほぅ」と息をつきながらさらに奥へと進む。

登るということは、登りきった時に振り返り、見下ろすという素晴らしい風景によって報われることであるが、最後は石畳の蹴上の大きな階段をこの時期にも関わらず汗をかきながら上りきり、すっかりお馴染みとなったように頂上から先ほど自らが登ってきた道のりを見下ろしながら少なからぬ達成感を感じて横に見える普佑寺に向かって降りていくことにする。