2009年11月5日木曜日

「THE ハプスブルク」 国立新美術館 ★★★

写真の誕生までの人類史において、ビジュアル・メディアとして圧倒的地位を確立してきた絵画・肖像画。

娘の叔父で許嫁でもあるオーストリア・レオポルド公へ、マルガリータ・テレサの成長の様子をディエゴ・ベラスケスに描かせ、送り届けさせたスペイン国王フェリペ4世。

産業革命以前の時代、最速の移動手段であった馬車ですら、当時のスペインからオーストリアまでは何日間もかかったであろう。一枚の絵が描かれ、旅し、最後に届けるのは想像力。時間と距離と空間にしっかりと人が介在し、描かれる人物の視線、それを見つめる画家の視点、そしてそれを贈られ受け取るものが絵の中の少女に向ける視線。もの語らぬ一枚の絵が、様々な想いと想像力を身に纏い、何百年もの時間の中で、多様な意味を発し続ける。

インターネットによってもたらされた時間と距離と空間の零への収束。多木浩二が『都市の政治学』で言うように、現代を表象するのは拘束された無能な身体によって行程を切り落とされた飛行機による旅。その目的地は都市のリズムが変速される駅ではなく、どこでもない場所としての空港。

そんな零近辺の時間と距離と空間の感覚を身につけた現代に訪れるのは、ライフスタイルや美的意識の変容ではなくて、零をとなりに見つめる肖像画のもたらす新たなる想像力なのだろうか。


2009年11月4日水曜日

『銀の匙』から『チタンの匙』へ

普段何げなく使うテーブルに並ぶナイフやフォーク。それを手に取ると「これは何々さんとこで作ってる」とはぼ判るという鉄職人の街、燕・三条。「自分達は生まれてずっと鉄に囲まれて生きてきましたから」という職人気質な人達と一緒に携わってきたプロダクトが開催中のデザインタイドに出展されている。

企画は日本の工芸と技術を融合させて、世界に誇れるデザイン・プロダクトを世に出していこうという、日本をこよなく愛する丸若屋さん。http://maru-waka.com/

iPhoneというクラウドの世界に君臨するボーダーレスな商品に日本の伝統工芸と職人技を駆使した新しいカバーを創ろうというのが発端。

ひぐらの鳴く頃、関越道を北上し、磨き技術があまりにすごく、注いだ泡が壊れないために発泡酒がビールになるというエコカップでも知られる職人の街、燕・三条到着。煙管などの街の成り立ちを市の歴史博物館で見学していると、丸若屋さんの携帯にこれから向かう工場の方から電話がはいり「着かれたみたいですね」と。あるいみ町中監視状態の怖るべし職人ネットワーク。 街に入ると、板金、プレス、磨き、挽き物と、業種に分かれた様々なサイズの工場があちこちにみうけられる。お世話になってる工場で内部を見学させて頂き、今回肝になる工程をお願いしようとする別の工場に移動し、チタンによる今回のデザインの打合わせ。形状が複雑な為、なかなかこれという製作方法が思い浮かずにいると、二人の社長は「何々さんとこならできるかもね」と、おもむろに電話をかけだす。すると10分もしないうちに、また別の工場から人がやって来て、「うーん、難しいね」とあーだこーだと相談。そのうちまた電話を取り出し、別のとこから一人来ますからと、今度は叩きでやってくれる人が登場。ネットワーク社会というのを、人レベルで実現している姿に驚かされる。

頭を抱える皆を前に、最初に取り持ってくれた社長さんが言ったのは「見た瞬間、これはあーやって作ってるんだって分かる物をこの街で創っても何も面白く無い。俺達職人が悩んで、アイデア考えて、他の奴らがこれをチタンでどう作ったんだ?って思わせる物作らなきゃつまんないだろ?」と。モノ作りと消費されるように使われる言葉の先には、こうして日本を支える人達が沢山いることを目にして、何だか熱くなる思いがする。 その後、試行錯誤をしながらも、当初のデザイン案はプロトタイプ製作まで間に合わず、別案の展示となった訳だが、その過程の中で、モノ作りの街が、生産拠点が東アジアに移る時勢にどう翻弄されたか、一つのネジの意味や、若手職員の教育方針、街の今後の在り方など様々な話を聞かせて貰えた。

ご飯を食べながらだったが、この街の人は兎に角よく食べる。普通に夕飯を食べ、その後飲みに行き、じゃあ軽くと寿司をつまみ、最後にとラーメンを平らげる。どんなに遅くなろうとも、次の日の朝8時には工場での朝礼を欠かさない。豪快なほど日々しっかりとエネルギーを消費していく。

そんな社長さんが、「鉄というのは豊かさのバロメーターなんですよ。世界には限られた量の鉄しかないなかで、いろんな国がそれを買ったり売ったりして、製品に変えて、使わなくなったらまた再利用していく。国民一人当たりの鉄所要量はホントは豊かさの一番判る基準で、それで見たら日本は世界一なんですよ」と。『銃・病原菌・鉄』で展開される理論で見ても間違いないのであれば、こんどは鉄の再利用から生み出される新しい価値観をもった商品が、この職人の街からどんどん世に出ていき、日本の豊かさを実感させてくれるのだろうと楽しみは尽きない。

「存在感の無い匙を作りたいんです」と、くだんの社長が嬉しそうに見せてくれたのは今製作中という「チタンの匙」。人体に影響の少ない非鉄で作られた匙で食事をすると、なるほどモノの味がよく分かる。「ただ一番機能的に、食感を大切に作っただけです」と言われるが、そこから生まれる数ミリの厚みの違いや形状は間違いなく美しい。

中勘助の『銀の匙』の美しい存在感に対抗する『チタンの匙』の「軽さ」が21世紀の日本の食卓に並ぶ日も遠くはないだろう。


2009年10月26日月曜日

「教育力」 齋藤孝 2007 ★★★

学生相手に建築を教えることが日常として時間を過ごすようになると、出来るだけ多くのことを伝えようと良い本を探し、自分なりに理解した内容や、今まで自ら経験してきた様々なことをできるだけ分かりやすく、それでいて彼らの知的好奇心を刺激できるようにと毎週緊張感を持って生徒に対峙することになる。

しかしある時にそれが、自分がいろんなところで吸収してきた栄養素を大きな巨木が吸い上げていくように、「はい、次は何?」と自分が枯れ果てるまで無限にしゃぶりつくされれてしまうのではないだろうかという恐怖にかられる。

そんな時に「人に何かを教える」とは一体どんなことなのか?と真剣に悩んで手にした一冊。そして読み終えたときに、目から鱗の様な思いを持ち、なんて恥ずかしい考えをしてしまっていたのだろうと猛省させられた。

そんな思いを持つ人間はすぐさま教壇から降りるべきで、教師であるならば、永遠にエネルギーを大地に向かって降り注ぐ太陽の様な明るい存在であるべきで、そこには何からの見返りなどを求めたりはしてはならないということ。エネルギーを取ってくれという人間しか教えるなという。

膝から崩れ落ちるほどのショック。

先生曰く、「教育の根底には憧れを伝染させる力があり、何ものかを目指して飛ぶ、何々がしたい、という願望から学ぶ意欲を掻き立てること」だという。それには教師自身が常に学び続けることが必要であり、学びとはある種の祝祭的瞬間 だという。

小さな頃、全ての授業が好きな本の新しい一ページをめくる様なワクワクした気持ちをもたらしてくれた記憶。夢中だったあの時間の様に生徒にどれだけの影響力をもてるか。専門的力量と人間的魅力をバランスよく運転しながら生徒に対峙する。

「これを知らないと恥ずかしい」という気持ち。それがもたらす更なる向上心と向学心。他人の視線が自己コントロールとして作用する社会性。

「学ぶ」ということをしっかり考えること。闇雲に学ぶよりも、まずは上手い人を「真似る」から始める。では、何が上手いのか?、自分に何が足りてないのか?を分析する。そしてそれらのやるべきことを整理する。その段取り力。スポーツで言う監督やコーチと選手の関係が、教師と生徒でもあるように。

仕事でもそうだが、重要なポイントはメモを取ることが基本。メモができないということは、必要だということが見えていないということ。

「天才」とは上達の達人である。それは意識できるとこまで自分を追い込む。イチロー選手が全てのヒットの理由を言えるように、その準備ができていること。自分が向上する為の段取り力が備わっていること。

全体が見えているということは安心感を与えてくれる。この部屋がどれだけ広いかを知っていると、自分がどこに居たら心地よいかが把握できる。このコースがどれだけ長いかを知らずに走り続けるのは、精神的にもとてもきつい。その為に学び続けること。それは科学的な精神を身に着けること。「失敗」ではなく、「ダメだということが分かったという成功」として次に向かう精神。

世阿弥の 「離見の見(りけんのけん)」の様に、「見所は観客席のことなので客席で見ている観客の目で自分をみよ」ということ。つまり演じる自分とそれを見る自分の二つの時間を同時に生きることの必要性。

こんなにもあっけらかんと、そして圧倒的な知性を持ってなおかつストイックに向上心を忘れない。心臓が脈打つのを終えるときまできっと学ぼうとするのだろうと思えるその姿勢。昨日までの自分の姿勢が恥ずかしくなるのと同時に、すぐにでもアマゾンで紹介された本の大量購入に走らせる一冊。

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本文中で紹介される本や映画など
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谷崎潤一郎「春琴抄」
世阿弥「風姿花伝」「花鏡」
ルース・ベネディクト「菊と刀」
宮沢賢治「学者アラムハラドに見た着物」
中島敦「名人伝」
音楽 吉田秀和
ピーター・アトキンス 「ガリレオの指」
ウェンディ・ベケット「シスター・ウェンディの名画物語―はじめて出会う西洋絵画史」
ファン・エイク「アルノルフィニ夫妻」
イグナシオ・アグェーロ『100人の子供たちが列車を待っている』
リュミエール 『列車の到着』
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■目次
まえがき
序章
教えること、学ぶこと
1教育力の基本とは
2真似る力と段取り力
3研究者性、関係の力、テキストさがし
4試験について考え直す
5見抜く力、見守る力
6文化遺産を継承する力
7応答できる体
8アイデンティティを育てる教育
9ノートの本質、プリントの役割
10呼吸、身体、学ぶ構え
あとがき
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2009年10月19日月曜日

「読書力」齋藤孝 2002 ★★★

テレビでもおなじみの、非常に優しい笑顔が印象的で如何にも「日本の良心」と呼べるような知識人。その斉藤先生が兼ねてからいい続ける「読書」の大切さ。

「読書力がある」の基準はどこかというと、「文庫本を100冊、新書を50冊読んだこと」だと言う。なおかつこの有効期間は4年とする。そうすると月2冊で年24冊。4年で96冊という計算になる。つまりは月に文庫を2冊、新書を1冊読むのが読書力と生きる生活の最低ラインと設定される。それを反復していく中で、倍の月に4冊となれば、2年で1サイクルをクリアしていくことになる。

逆にこう考えると、読書体験を始める10歳くらいから寿命と呼ばれる80歳あたりとして、70年前後の時間を4年で割ってみると17サイクルあたり。それから生涯の読書量を換算すると、文庫が1700冊に新書が850冊。びっくりするほど多くは無い。しかもそのペースからはるかに遅れて過ごしてしまった過去の30年以上は取り戻すべくもなく、できるのは今後の人生をできるだけ読書力のある生活スタイルに変えていけるかどうか。

ただし文庫とは推理小説や娯楽本を除く文学的作品ということで、ほとんどの本がこの段階でふるいにかけられる。精神の緊張を伴う読書でなければ意味が無く、司馬遼太郎あたりが境界線となるだろう。

そして「読んだ」というラインは、「要約を言えること」とする。「読みっぱなし」ではもちろん意味が無く、読書を通して著者と一対一での会話をし、その中で自分なりの意味をつかんでいく過程が重要である。

新書が必要なのは、「ある程度室の高い知識情報がコンパクトにまとめられているから」とする。また新書は「要約力を鍛える 」と言う。今を生きる現代人として、今何か起こっているかをある程度深く知るためには、新書は一番適切な手段というところか。

複雑さを共存させる幅広い読書は自分を作り、総合的判断の能力を養ってくれる。それと同時に他者を受け入れる柔軟さを培うことにつながる。 また読書というのはスポーツ同様で身体的な行為であるとする。つまりはある一定の身体的苦痛を耐えて、同じ姿勢を保つ筋力が必要で、内容を追っていく精神的な持続力が必要。その為には部活同様に練習が必要だという。

読書をする生活というのは、時間の管理を能動的にすること。自分と向き合う厳しさとしての自ら自分に読書を課す。その中で新しい言葉を知っていく。

そして自分の本棚を持つ喜び。日常の風景の中に複数の優れた他者を持つ喜び。それぞれの著者と繋がりながら、それを糧にして自らズレていく。本は背表紙が大事とし、日常の中でそれを目にする度にその読書を思い出すことが重要だとする。その為に、本は借りるものではなく買うもの。一生に一度の出会い。

三色ボールペンで線を引き、数冊の本を並行して読むことで脳のギアチェンジを行う。読書は会話を受け止め、応答する力を養う。会話に脈絡を見つけ、要点を掴み、自分の角度からの言い換え力を培う。

兎にも角にも、小さな頃のイメージしていた正しい先生の言葉。頭がよく優しくそして強い先生は、そのままそういう大人になりたいという憧れの存在でもあった。これだけ物事を知っていて、広い視点から物事を判断し、どの時代になってもストイックに学び続け、絶対的に信頼できる大人。

「これだけ本を読んだんだから」という自信を持って日常を生きること。手当たり次第ではなく、大きな時間の流れを理解したうえで、毎日の中で本に向き合うこと。その意味。

ゲーテの言葉通り、「人は努力する限り迷うものだ」ならば、深いところまで悩みつくした先達達の言葉に耳を傾け、少しでも道しるべを見つけながら生きていく。「若いときに読んでいれば・・・」ではなくて、今から読んでも遅くはない。そう思って今日もまたページをめくる。
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本文中で紹介される本
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E.H.カー「歴史とは何か」
島崎敏樹「感情の世界」
霜山徳繭「人間の限界」
丸山真男「日本の思想」
朝永振一郎「物理学とは何だろうか」
アドルフ・ポルトマン「人間はどこまで動物か」
内田義彦「社会認識の歩み」
浅田彰「構造と力」
塩野七生「ローマ人の物語」
武者小路実篤「友情」
山本周五郎「さぶ」
ヘッセ「車輪の下」
吉野源三郎「君たちはどう生きるか」
芥川龍之介「地獄編・」
辺見庸「もの食う人々」
めじめ正一「高円寺純情商店街」
山田詠美「ぼくは勉強ができない」
太宰治「パンドラの箱」
倉田百三「出家とその弟子」
椎名誠「麦の道」
遠藤周作「沈黙」
宮本輝「春の夢」
島崎藤村「破戒」
夏目漱石「坊ちゃん」
サリンジャー「フラニーとゾーイ」
三島由紀夫「金閣寺」
内田義彦「読書と社会科学」
シェイクスピア「ハムレット」
ドストエフスキー「罪と罰」
加藤秀俊「取材学」
ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」
アンドレ・ジッド「狭き門」
阿部次郎「三太郎の日記」
倉田百三「出家とその弟子」
和辻哲郎「古寺巡礼」
倉田百三「愛と認識との出発」
西田幾太郎「善の研究」
藤原新也「印度放浪」
高史明「生きることの意味」
フランクル「夜と霧」
「ギルガメッシュ」三部作
江戸川乱歩「怪人20面相」
宮沢賢治「よだかの星」
唐木順三「現代史の試み」
オング「声の文化と文字の文化」
九鬼周造 「いきの構造」
梅原猛「隠された十字架」
井上靖「天平の甍」
岡潔「春宵十話」

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巻末「文庫百選」
1 まずは気楽に本に慣れてみる
 ① 北杜夫『どくとるマンボウ青春記』新潮文庫
 ② 町田康『くっすん大黒』文春文庫
 ③ 椎名誠『哀愁の町に霧が降るのだ』新潮文庫
 ④ 『O・ヘンリ短編集』新潮文庫(大久保康雄訳)
 ⑤ 内田百閒『百鬼園随筆』新潮文庫
 ⑥ 『古典落語』講談社文庫(興津要編)
 ⑦ 森鴎外『山椒大夫・高瀬舟』新潮文庫
 ⑧ 菊池寛『恩讐の彼方に/忠直卿行状記』岩波文庫
2 この関係性は,ほれぼれする
 ① 山本周五郎『さぶ』新潮文庫
 ② スタインベック『ハツカネズミと人間』新潮文庫(大浦暁生訳)
 ③ スティーヴン・キング『スタンド・バイ・ミー』新潮文庫(山田順子訳)
 ④ 幸田文『父・こんなこと』新潮文庫
 ⑤ サローヤン『パパ・ユーア クレイジー』新潮文庫(伊丹十三訳)
 ⑥ 大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』講談社文庫
 ⑦ 下村湖人『論語物語』講談社学術文庫
 ⑧ ドルトン・トランボ『ジョニーは戦場へ行った』角川文庫(信太英男訳)
3 味のある人の話を聞く
 ① 宮本常一『忘れられた日本人』岩波文庫
 ② 宇野千代『生きて行く私』角川文庫
 ③ 白洲正子『白洲正子自伝』新潮文庫
 ④ 野口晴哉『整体入門』ちくま文庫
 ⑤ エッカーマン『ゲーテとの対話』岩波文庫(山下肇訳)
 ⑥ 小林秀雄『考えるヒント』文春文庫
 ⑦ 福沢諭吉『福翁自伝』岩波文庫
4 道を極める熱い心
 ① 吉川英治『宮本武蔵』講談社文庫
 ② 志村ふくみ『色を奏でる』ちくま文庫
 ③ ロマン・ロラン『べートーヴェンの生涯』岩波文庫(片山敏彦訳)
 ④ 棟方志功『板極道』中公文庫
 ⑤ 『ゴッホの手紙』岩波文庫(硲伊之助訳)
 ⑥ 司馬遼太郎『世に棲む日日』文春文庫
 ⑦ 『宮沢賢治詩集』岩波文庫
 ⑧ 栗田勇『道元の読み方』祥伝社黄金文庫
5 ういういしい青春・向上心があるのは美しきことかな
 ① 藤原正彦『若き数学者のアメリカ』新潮文庫
 ② アラン・シリトー『長距離走者の孤独』新潮文庫(丸谷才一・河野一郎訳)
 ③ 浮谷東次郎『俺様の宝石さ』ちくま文庫
 ④ 藤沢周平『蝉しぐれ』文春文庫
 ⑤ トーマス・マン『魔の山』新潮文庫(高橋義孝訳)
 ⑥ 井上靖『天平の甍』新潮文庫
 ⑦ ヘッセ『デミアン』新潮文庫(高橋健二訳)
6 つい声に出して読みたくなる歯ごたえのある名文
 ① 中島敦『山月記/李陵』岩波文庫
 ② 幸田露伴『五重塔』岩波文庫
 ③ 樋口一葉『にごりえ/たけくらべ』岩波文庫
 ④ 泉鏡花『高野聖/眉かくしの霊』岩波文庫
 ⑤ 『歎異抄』岩波文庫
 ⑥ ニーチェ『ツァラトゥストラ』中公文庫(手塚富雄訳)
 ⑦ 川端康成『山の音』岩波文庫
7 厳しい現実と向き合う強さ
 ① 辺見庸『もの食う人びと』角川文庫
 ② 島崎藤村『破戒』岩波文庫
 ③ 井伏鱒二『黒い雨』新潮文庫
 ④ 石牟礼道子『苦海浄土』講談社文庫
 ⑤ ジョージ・オーウェル『1984年』ハヤカワ文庫(新庄哲夫訳)
 ⑥ 梁石日『タクシー狂操曲』ちくま文庫
 ⑦ 大岡昇平『野火』新潮文庫
8 死を前にして信じるものとは
 ① 三浦綾子『塩狩峠』新潮文庫
 ② 深沢七郎『楢山節考』新潮文庫
 ③ 柳田邦男『犠牲(サクリファイス)』文春文庫
 ④ 遠藤周作『沈黙』新潮文庫
 ⑤ プラトン『ソクラテスの弁明/クリトン』岩波文庫(久保勉訳)
9 不思議な話
 ① 安部公房『砂の女』新潮文庫
 ② 芥川竜之介『地獄変/邪宗門/好色/藪の中』岩波文庫
 ③ 夏目漱石『夢十夜』岩波文庫
 ④ 蒲松齢『聊斎志異』岩波文庫(立間祥介編訳)
 ⑤ ソポクレス『オイディプス王・アンティゴネ』新潮文庫(福田恆存訳)
10 学識があるのも楽しい
 ① 和辻哲郎『風土』岩波文庫
 ② ルース・ベネディクト『菊と刀』現代教養文庫(長谷川松治訳)
 ③ 大野晋『日本語の年輪』新潮文庫
 ④ 柳田國男『明治大正史 世相篇』講談社学術文庫
 ⑤ コンラート・ローレンツ『ソロモンの指環』ハヤカワ文庫(日高敏隆訳)
 ⑥ 『ジンメル・コレクション』ちくま学芸文庫(北川東子編訳、鈴木直訳)
 ⑦ 山崎正和『不機嫌の時代』講談社学術文庫
11 強烈な個性に出会って器量を大きくする
 ① シェイクスピア『マクベス』新潮文庫(福田恆存訳)
 ② 坂口安吾『坂口安吾全集4 「風と光と二十の私と」ほか』ちくま文庫
 ③ パール・バック『大地』新潮文庫(新居格訳・中野好夫補訳)
 ④ シュテファン・ツワイク『ジョセフ・フーシェ』岩波文庫(高橋禎二・秋山英夫訳)
 ⑤ ゲーテ『ファウスト』中公文庫(手塚富雄訳)
 ⑥ ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』新潮文庫(原卓也訳)
 ⑦ アゴタ・クリストフ『悪童日記』ハヤカワepi文庫(堀茂樹訳)
 ⑧ 塩野七生『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』新潮文庫
12 生き方の美学・スタイル
 ① 向田邦子『父の詫び状』文春文庫
 ② リチャード・バック『かもめのジョナサン』新潮文庫(五木寛之訳)
 ③ 藤原新也『印度放浪』朝日文庫
 ④ 村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』中公文庫
 ⑤ マックス・ヴェーバー『職業としての政治』岩波文庫(脇圭平訳)
 ⑥ 九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫
 ⑦ 石原吉郎『望郷と海』ちくま学芸文庫
 ⑧ サン・テクジュペリ『人間の土地』新潮文庫(堀口大學訳)
 ⑨ 須賀敦子『ヴェネツィアの宿』文春文庫
 ⑩ 谷崎潤一郎『陰翳礼讃』中公文庫
13 はかないものには心が惹きつけられる
 ① 中勘助『銀の匙』岩波文庫
 ② デュマ・フィス『椿姫』新潮文庫(新庄嘉章訳)
 ③ チェーホフ『かもめ・ワーニャ伯父さん』新潮文庫(神西清訳)
 ④ 太宰治『斜陽』新潮文庫
 ⑤ ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』集英社文庫(千野栄一訳)
 ⑥ トルストイ『アンナ・カレーニナ』新潮文庫(木村浩訳)
14 こんな私でも泣けました・感涙は人を強くする
 ① 高史明『生きることの意味 ある少年のおいたち』ちくま文庫
 ② 宮本輝『泥の河・螢川・道頓堀川』ちくま文庫
 ③ 灰谷健次郎『太陽の子』角川文庫
 ④ 藤原てい『流れる星は生きている』中公文庫
 ⑤ 井村和清『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』祥伝社黄金文庫
 ⑥ 竹内敏晴『ことばが劈かれるとき』ちくま文庫
 ⑦ 林尹夫『わがいのち月明に燃ゆ』ちくま文庫
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目次
序 読書力とは何か

/「本を読む読まないは自由」か
/読書してきた人間が「本は読まなくてもいい」というのはファウル
/「読書力がある」の基準は?
/精神の緊張を伴う読書
/文庫のスタイルに慣れる
/新書五十冊
/本は高いか
/要約を言えることが読んだということ
/新書は要約力を鍛える
/読書力検定がもしあったら
/社会で求められる実践的読書力
/なぜ百冊なのか
/有効期限は四年
/本は「知能指数」で読むものではない
/「小学校時代は本を読んだけど」の謎
/定期試験に読書問題を入れる
/顎を鍛える食らうべき書
/歯が生え替わった本
/「私はこの本で永久歯に生え替わりました」
/日本は読書立国
/総ルビ文化・世界文学の威力
/読書力は日本の含み資産
/the Book がないから Booksが必要だった

(1) 自分をつくる――自己形成としての読書
 1 複雑さを共存させる幅広い読書
 2 ビルドゥング(自己形成としての教養)
 3 「一人になる」時間の楽しさを知る
 4 自分と向き合う厳しさとしての読書
 5 単独者として門を叩く
 6 言葉を知る
 7 自分の本棚を持つ喜び
 8 繋がりながらずれていく読書
 9 本は背表紙が大事
 10 本は並べ方が大事
 11 図書館はマップづくりの場所
 12 経験を確認する
 13 辛い経験を乗り越える
 14 人間劇場
 15 読書自体が体験となる読書
 16 伝記の効用
 17 ためらう=溜めること
 18 「満足できるわからなさ」を味わう

(2) 自分を鍛える――読書はスポーツだ
 1 技としての読書
 2 読み聞かせの効用【ステップ1】
 3 宮沢賢治の作品が持つイメージ喚起力
 4 自分で声に出して読む【ステップ2】
 5 音読の技化
 6 音読で読書力をチェックする
 7 読書は身体的行為である
 8 線を引きながら読む【ステップ3】
 9 三色ボールペンで線を引く
 10 読書のギアチェンジ【ステップ4】
 11 脳のギアチェンジ

(3) 自分を広げる――読書はコミュニケーション力の基礎だ
 1 会話を受けとめ、応答する
 2 書き言葉で話す
 3 漢語と言葉を絡ませる
 4 口語体と文語体を絡み合わせる
 5 ピンポンと卓球
 6 本を引用する会話
 7 読書会文化の復権
 8 マッピング・コミュニケーション
 9 みんなで読書クイズをつくる
 10 本を読んだら人に話す
 11 好きな文章を書き写して作文につなげる
 12 読書トレーナー
 13 本のプレゼント
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2009年10月11日日曜日

「グリズリー」 笹本稜平 2004 ★★★

非常に壮大なハードボイルド小説。ただただストイックに自分の信念に正直に、誰にも分かられることなくとも、その孤独の日々の中で自分を刃物の様に研ぎ澄ましていく。そんな男達が山を通してつながっていく。

アメリカを相手にたった一人で戦いを挑む元エリート自衛官である折本敬一。テロリスト「グリズリー」と名付けられながらも、自分の信念に従いアメリカ合衆国副大統領の姪であるフィービ・クロフォードに近づいていく。

そしてもう一人の主人公は元北海道警SAT狙撃班で将来有望なスナイパーだった城戸口道彦 。その時代に札幌市の消費者金融を襲った二人組みの一人を射殺するが、その事件の影響で一線から身を引き、今では地元の山で山岳救助隊員を務める。

そんな二人が雪山の中で出会う。そして折本がかつての事件の生き残りの一人であったことを知る。

その折本が今でも一人で実行に移そうとしているある計画。それはこの国の安全を根底から覆すことになる真実を表の世界にあぶりだすこと。

相変わらずにあまりも不器用で、それでいてかっこいい男の姿を書く作者。一人で何ができるのかを嘆くのではなく、たった一人でも真剣に世界を相手に立ち向かおうとする姿。そこに国境などは存在しないのだろうとは思いながらも、それでも現実には、同じ苦しみを理解する為には、 言葉を理解しなければ本当に同じ想像力を共有することは難しいのだろうと、母国語ではない言語を使い生活する日常の中で思いながらページを閉じることにする。

2009年10月10日土曜日

「ODA 援助の現実」 鷲見一夫 1989 ★



人の為に何か出来ないかと真剣に考える人が、別の何かを犠牲にしなくても良い、それが援助の本当の形ではないかと思う。

人体が多様性のバランスによって成り立つように、都市や国家、そして世界自体も様々な力のバランスによって成り立つ。

パワー・オブ・テンの様に異なるスケールで異なる世界が広がる様に、この世を成立させる力にも異なるスケールで異なる欲望が支配する。

一つのスケールの欲望は異なるスケールにおいては、時に暴力として現れる。しかも見えない力として。

同じ時間に生まれたにも関わらず、国を追われて、祖国を思い、今日一日を必死に生きる人々。その人たちの為に「微力ながらも自分にも何かできないか?」と想いを持って援助の世界に飛び込んでくる若者。

その反面、国家予算から捻出される巨大な予算に群がる様々な思惑。そしてできるだけ自国の自分達の利益へと繋がるように仕組まれたそのシステム。

世の中は決して綺麗事では回らないが、それでも援助を冠された税金であるからこそ思い描く、貧しい国の人々が少しでも良い暮らしを得られるようになるイメージ。そんな生ぬるい世界で無いと分かるからこそ、いっそ今はやりの仕分事業にODAも入れてほしいと願わずにはいられない。

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1 援助―その多面的な顔
2 霞のなかのODA
3 何が行われているのか
4 受け入れ国側の事情
5 誰のための援助か
6 新しい発想、多様な試み
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2009年10月5日月曜日

メキシコ ルチャリブレ














シルバーウィークを利用して、現地で働く彼女を訪ねてメキシコまで足を伸ばしてきた。仕事のついででなくて行く海外旅行はほんとに何年ぶりだろうか、と思いながらもほんとに楽しい時間になった。
メキシコ・シティではイギリスの大学院時代のクラスメートが合流してくれ、まるまる二日間、こちらの出したかなり無茶なリストをこなすために、車であっちこっちにつれまわしてくれ、お陰で遺跡も建築もルチャリブレも漏れなく堪能することができた。ほんとに感謝。
メキシコ・シティではバラガン、キャンデラ、オゴルマンを中心に現代を見て、どうしても見たかったホセ・ヴァスコンセロス図書館に行くことができて、数少ないメキシコ近代建築を見れてすっかり満足してしまった。本の物量との出会いに、このような方法があったのかと非常に感動し、マイ・ベスト・図書館ランキングのトップ10にランクイン。
ちなみにメキシコ・シティで見てきたのは、
バラガン邸、ヒラルディ邸、カプチーナス修道院(共にルイス・バラガン)
ラ・メダージャ・ミラグロッサ教会、地下鉄「キャンデラリア」駅、San José del Altillo、サンタモニカ教会(共にフェリックス・キャンデラ)
カーロとリベラの家(フアン・オゴルマン)
ホセ・ヴァスコンセロス図書館
メキシコ国立自治大学(UNAM
国立人類学博物館
メトロポリタン・カテドラル
はやりバラガンが圧倒的に愉しめた。全ての空間が他の何かの要素との関係性で成り立っていて、時間と共に常に異なる風景が建物の中に充満している、そんな印象だった。
そして最終日に、現地の友達の友達の彼氏になぜか付き添ってもらい、アリーナ・メヒコにてルチャリブレ観戦。ミル・マスカラスはいないが、ダンプ松本みたいな悪玉女子プロがダイブすると、会場全体が飛び上がりといった、とても分かりやすいショーを、ビール片手にとても汚い言葉をかけながら楽しむ姿は、「ああ、ドリフなんだな」と、なんだか納得しながら楽しんできた。
そんな分けでルチャリブレの写真を一枚。。

2009年9月29日火曜日

「華栄の丘」 宮城谷昌光 2003 ★★★

相変わらずなんともマイナーな主人公である。

春秋時代という孔子を始め多くの才能を世に送り出したカラフルな時代にも関わらず著者がスポットライトを当てるのは、歴史の中で舞台の中心にいた人物の隣に立って歴史が作られるのを手助けしてきた人々。なんとも謙虚なその姿。

今回も急にスポットライトを当てられたのは春秋時代の決して大国ではない、「宋」の宰相として活躍した「華元」。出目が特徴ななんとも可愛らしい姿の主人公は飄々と時代の中を駆け抜け、北の晋に南の楚という大国に囲まれながらも「負けることで最終的に勝つ」ことに国の存続を成し遂げた逸材。

現在の河南省を中心とし、商丘を首都として斉・晋・秦・魯などとともに、春秋時代の重要な役割を与えれれた国・宋。

「沙中の回廊」で描かれた同時代の隣国・晋。その国で名君・重耳に見出され、同じく宰相まで上り詰め、カラフルな春秋時代の1ページを描き出した士会同様、約3000年もの前の時代に生きた人々の息遣いが聞こえてきそうな著者の力量に圧倒される一冊である。

2009年8月21日金曜日

「時の渚」 笹本稜平 2001 ★★★★

「夏が終わろうとしていた」

と始まる相変わらずのハードボイルド小説。今回の舞台はいつもの山岳小説ではなく、事故で妻と息子を亡くし職を失った元刑事が、ホスピスで人生の最後の時間を過ごす老人から、35年前に生き別れた息子を探して欲しいと頼まれるとこから始まる。

老人が赤ん坊を託した女性を追うことで生き別れた息子へと辿りつこうとしやってくるのは信州の鬼無里村(きなさむら)。同時にかつて自分の妻子をひき殺した犯人を追う主人公。その家庭で向き合う様々な家族の絆。

しっかりと練られたプロットに、育ってきた背景まで見えてきそうな登場人物たち。35歳という年齢で交差する登場人物達のそれぞれの人生をその年齢にあと少しの時期に読むことができ幸せだと思える一冊である。
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第18回(2001年)サントリーミステリー大賞
第18回(2001年)サントリーミステリー読者賞
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2009年8月5日水曜日

「龍の契り」 服部真澄 2001 ★★★★

香港がイギリスから中国へ返還される1997年前夜。世界の一大経済拠点として西洋と東洋の中継地として成長した香港をみすみす中国に渡すのを快く思わなかった英国の中で、「香港を中国に返還しなくて良い」という密約が交わされていたとする秘密文書が見つかったとしたら?

そんな時代の雰囲気を呼んだ国際エンターテイメント小説。著者はこれがデビュー作という服部真澄。それにも関わらず第114回の直木賞候補までなったというからその後の活躍が納得というもの。

時代を遡ると中国からイギリスに香港が譲渡されたのが1842年。戦後の中国の発展により当時の書記長である鄧小平とイギリスのサッチャー首相との交渉により、段階的に香港を中国に返還していくことが決められ、その期日として定められたのが1997年7月1日。

香港におけるイギリス統治の象徴的な存在でもある上海香港銀行(HSBC)。

アメリカ・ハリウッド
イギリス・ロンドン
香港
アメリカ・ワシントン
中国・北京

スポーツヴィジョンという動きの中でも情報を的確に捉える視覚機能の訓練や、速読によって情報を切捨てす術を得た日本の外交官沢木喬が何十にも重なる陰謀と策略の網の中を掻い潜っていく。

その姿を見ると、やはりこれだけ世界が小さくなった現代において、能力のある人間はどんどん世界を駆けめぐりながら日常を過ごしていくのだろうと思いながらページを閉じる。
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東洋の富の一大拠点・香港。その返還を前に、永い眠りから覚醒するかのように突如浮上した、返還に関する謎の密約。いつ、誰が締結し、誰を利するものなのか―。全焼したロンドンのスタジオから忽然と消えた機密文書をめぐる英・中・米・日の熾烈な争奪戦が、世紀末の北京でついにクライマックスを迎えるとき、いにしえの密約文書は果たして誰の手に落ち、何を開示するのか。
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2009年7月29日水曜日

「TENGU」 柴田哲孝 2006 ★★



「大気が動き出した。 奴はやってくる。」

そんな書き出しから想像させるのは、十分なハードボイルドと如何にも怪しげなUMAの世界。

20年以上も前に起こった群馬の小さなマタギの村で起こった殺人事件。現在は中央通信記者を努める道平慶一がその事件の真相を追うという展開。

明らかに人間の力を超えた何者かの仕業であったその殺人事件。圧倒的な力と残虐性。そして伝説から想起される天狗の存在。

事件の陰で暗躍する米軍の動きと、事件の鍵を握る盲目の美人・彩恵子の存在。

そのオチにはぶっ飛ばされるが、UMA、謀略好きには堪らないハードボイルド作品。



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第9回(2007年) 大藪春彦賞受賞
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「KAPPA」 柴田哲孝 2007 ★★★

UMA好きで、川口浩探検隊に胸を躍らせて小学校時代を送った年代の男性には堪らない内容の小説。

ライターの有賀雄二郎が、ランドクルーザーを飛ばして茨城県牛久沼へ。追ってきたのは噂される「河童伝説」・・・

コールマンのカナディアン・カヌー。
プラノのタックルボックス。
ガーバーのサバイバルナイフ 。

まったく分からないが、アウトドアに憧憬を覚える世代にはこんな大人になりたいと思わずにいられないような単語が飛び交う。

ポークというルアー
ラインは14ポンドテスト リールもABU3500C タックル
小麦粉をまぶしてムニエルに
バスロッド ベイト スピニング
スウェーデンのABU社

などと、兎に角作者の自己満足、自己顕示欲の様な描写が続き、釣り自慢を書きたかったからこの主題を選んだのか、それとも・・・と卵が先か、鶏が先か考えながらも読み続けることになる。

外来種による生態系破壊の深刻さという、全うなオチで終わりながらも、伝説とUMAを絡ませ、ドキドキハラハラさせて最後まで飽きさせないその手法に納得し、自作を期待させるに十分な一冊。

「RYU」 柴田哲孝 2009 ★★

ハードボイルド好きには堪らない作者のUMAシリーズ第二弾。今度のモチーフは「竜」。

ジャックと有賀雄二郎が今度は沖縄を舞台に、失踪をする米兵と、原因不明ながら殺される家畜から、噂される沖縄の伝説の双頭の竜「クチフラチャ」の存在を追うことに。

謎の米軍の行動に、遺伝子操作で恐竜を蘇らせたのでは?という疑惑と、送りつけられてくる謎の巨大生物の写真。

巨大生物好きで、UMA好きで、謎の冒険好きな男性には堪らない展開。いくらフィクションだと分かりながらも、かつての水曜スペシャル・川口浩探検隊を思い出しながら、存分に楽しめる内容。

2009年7月15日水曜日

「建築の四層構造 サステイナブル・デザインをめぐる思考」 難波和彦 ★★★



『箱の家』で知られる建築家;難波和彦。

東京大学の建築学部を卒業して、師である教授の研究室でモダニズムをしっかりと学び、クリストファー・アレグザンダーという建築理論のバックグラウンドとなる対象をしっかりと視界に収め、東京大学というアカデミズムに根を張りながら、決してぶれることのない建築思想と建築活動を行き来し、世間でどれだけ建築家がもてはやされ様とも、決してその立ち位置を間違えることなく、ただ一心に建築に進化の方向があるのなら、1mmでもいいから自分がその推進に力になりたいと言わんばかりの良心の建築家像。建築家と学者の二つのイメージを正面きって受け止める数少ない現代の建築家。

その人が人生をかけて考えてきたこと、そして「環境」というあたらなるパラダイムに入らなければいけない現代の建築に対して、どのような方向性をつけることができるか、技術の力を信じ、建築家が技術者であることを体現し、新しい社会要請に対して、新しい建築の技術の表現を模索する。様々な考えの上澄みを吸い取ったような良質本。

その中でも強烈に作者のキャラクターを現しているのが

『エイリアン』と『タイムレス』

H.R.ギーガーによって描かれた新たなる未来のイメージ。リドリー・スコットによって映像化されたバイオ・メカニズムの未来。かつて想像したピカピカ光る金属製の未来のイメージが、スターウォーズの登場によって、未来もまた汚れることを目の当たりにした人類に対して、更にバイオ・メカニズムの未来は、ハードエッジでなくドロドロとし、曖昧であるというまったく新しい未来の形を見せつける。

こういう洞察はなかなかできるものではないが、さすがは難波先生!と言わざるを得ない。

エイリアンはドロドロした未来だと指摘された後の世界を創造する我々は、一体どんな未来を頭に描きながら明日の建築を設計するのだろうか。ワクワクせずにはいられない。
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建築の四層構造 サステイナブル・デザインをめぐる思考
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2009年5月31日日曜日

「向日葵の咲かない夏」 道尾秀介 2005 ★★★★

数年前とにかく話題に上がり、ものすごい勢いで売れていた本。第6回(2006年)本格ミステリ大賞候補にもなり、その大どんでん返しの展開と不可解なラストによってネットでも様々な批評を受けているということで手にした一冊。

その噂にたがわぬなかなかのレトリック。毎回物語の設定として読者の頭の中に刷り込んだ何かを、後半にて一気に逆手に取り世界観をひっくり返す。そんな手法を得意とする作者。近作はその手法が見事にはまったといってよいのであろう。

今作品では逃した本格ミステリ大賞もしっかりと2007年に『シャドウ』で第7回(2007年)本格ミステリ大賞を受賞するあたり、やはり作者の技量を伺わせる。

物語はこれも作者の得意とする日本人の多くが原風景として共有できそうなのどかな田舎の幼少時代の世界。夏休みの始まる終業式の日に、欠席した友人の家に書類を届けにいった主人公が見つけるのは首を吊って死んでいる友人の姿。

小学生が友人の自殺姿を見つけてしまうということが、どれだけ衝撃の強い体験になるかという描写もそうであるが、いつもついて回る妹のミカの存在や、不思議な存在のトコお婆さん、そして生まれ変わって蜘蛛となった自殺した友人など、現実なのか、それともファンタジーなのか、それとも何かが狂っているのかと、微妙なところで世界観を崩さずに話を紡いでいくのもまた作者の力の成すところ。

後半に一気に明かされるネタバラシ。それでも解釈が何重にでも可能なラストをもってくるところ、やはり並みの小説家でないと思わされる。これくらいサクサク読めてなおかつ、頭に刺激がある娯楽小説が日常の時間の脇にあることのありがたさを感じる一冊であろう。

2009年5月30日土曜日

「クラインの壺」 岡嶋二人 1993 ★★★ 

1989年に刊行された本とはとても思えない内容である。

幾何学と日常的に向き合っている建築家という職業についているものなら、題名である「クラインの壺」は「メビウスの輪」と同じくらい馴染みの深いものであり、そこに新しい空間の可能性を一度ならずとも思い描いた対象でもある。

「メビウスの輪」がわっか状にに繋げられたリボンの一部を切り取り、それをひねって再度くっつけることによって、わっかの外をなぞっていたらいつの間にか内側をなぞることになるという幾何学の不思議を表すものであるが、それに対して「クラインの壺」はより複雑で、如雨露のような内と外を持った立体の一部が伸び、曲がり、もともとの立体に貫入していきもともとの立体の内壁とくっついて幾何学を閉じるというもの。つまり「面」の「表と裏」の操作ではなく、立体の「内と外」が捩れるという一次元高い幾何学の不思議を表すものである。

そのタイトルから分かるように、空間の捩れを指し、コンピューターの発達によって様々なところで問われている「リアルとバーチャルの世界」の線引きとその相互貫入の問題を主題においている。

イプシロン・プロジェクトと呼ばれるバーチャルリアリティを利用した新たなゲームであるブレイン・シンドローム開発。それは人間自体がカプセルに入り、液体につかることで視覚や触覚だけでなく、それぞれの感覚を同時に仮想現実の世界に入り込ませるという設定であり、その先に訪れるのは現実とバーチャルの世界の曖昧化。

それにしても、やっとVR(バーチャルリアリティ、Virtual Reality)やのAR(Artificial Reality)が現実の世界での利用が始まった昨今から考えて、20年前にすでにここまでこの技術が発展し、その後に人類が向き合うことにある根源的な問題を主題におくとは、著者の考察の深さに頭が下がるばかりである。

小説内の象徴的な一節

「はじめのところから始めて、終わりにきたらやめればいい 」

それが示すのはまさにタイトルの「クラウンの壷」のように、一体どこかがはじめでどこまが終わりなのか?という問題。

著者の岡嶋二人は徳山諄一と井上夢人の二人の共著での著者名であるが、この一作を最後にコンビを解散してしまうことになるのが、これほどの作品を残すのは相当な関係性があってのことだろうと想像するだけに、非常にもったいないと思いながらも彼らのその後の作品も追っていかないと思わせる名作である。
クラインの壺
メビウスの輪

2009年5月29日金曜日

「天使のナイフ」 薬丸岳 2005 ★★★

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第51回(2005年)江戸川乱歩賞受賞作
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人が作る社会の秩序を守るために作られる様々な法律。社会が変わり、その中で生きる人も変われば求められる法律も変わるべきだが、性善説、性悪説と人類の歴史と同じ長さを持つ「人が人を裁くこと」への矛盾。そしてその線引きを何処におくかによる葛藤。その揺らぎによって傷つけられる人々の物語。

その社会と法律の矛盾に光を当てて、現代の抱える問題を浮かび上がらせようとする作者の試み。そのライトが当てられるのは、少年事件と少年法の問題点。

子供は純粋であるはずだ。
子供はまだ分別がつかないだけだ。
ちゃんと更正させれば、まともな大人になれるはずだ。

という性善説に支えられた思い込み。それに反比例するように頻発する少年犯罪。現代を代弁するかのようなその事件が「なぜ起きたのか?」に注目してやりだまにあげられる「郊外」や「ネット世界」。それに対して、犯罪を起こした子供に対する「刑罰」をどうするかを対処するのが「少年法」。

現行の少年法では、未成年者の人格の可塑性、つまり「更正すればまともになる。こうなってしまったのは、それまでの環境のせいだ!」という建前とも呼んでいいような人類の飽くなき願いに沿って制定されており、刑法41条によっても「十四歳に満たない者の行為は、罰しない」とされている。

そしてそれを裏手にとって、14歳まではなにをしても刑罰に処されないと開き直る子供がいたらどうするのか?

そして少年事件に巻き込まれ、妻を殺された被害者である主人公。少年Aや少年Bと名づけられた子供達。更正施設からあっという間に社会に戻され、過去を消して生きていく彼ら。その周囲で起こる殺人事件とかつての被害者の主人公の姿。そして徐々に明かされる過去の事実。

「目には目を」

ではないが、人が人を裁くことの永遠なる人類の葛藤。そして社会を構成する一員として現行の法令に縛られる自らの感情。その網の目を潜り抜けていく子供達。その矛盾を見事に描ききった傑作といってよいだろう。


2009年2月21日土曜日

早稲田大学芸術学校 卒業設計展 「WAA DIPLOMA 2008」


 「WAA DIPLOMA 2008」 のギャラリー・トークを聞きに行って来た。

一年間受け持った学生達にとって、自分達が一生懸命作ってきた作品を外部に向かって発表できる数少ない晴れ舞台。その晴れ姿を逃すまいと、夕方より会場に駆けつける。

毎年恒例となった鈴木了二氏×赤坂喜顕氏による各プロジェクトの解説には、学生が考えていたよりも深く、またより知的に語られることで、学生に「ああ、自分はこんなことをやっていたんだ」という発見をもたらす。

卒業設計という、それぞれの学生が自分にしか出来ない作品を作るために、必死になって探し上げてきた敷地。その思いがこもった敷地に毎年10箇所近く出会うことが出来ることに感謝する。

今年また知ることができたポテンシャルの高い豊かな場所を思い出すようにして、一年間の終わりを感じる。









2009年2月9日月曜日

住吉の長屋 安藤忠雄 ★★★★






新年快楽


















中華新年も明けて、久々に北京に戻ってくると、仕事のパートナー二人が一緒にやろうと花火を用意してくれていた。お粥の海鮮火鍋を食べた足で、近くの公園に向かい、佇むカップルに了解を得て、いざ花火。何が入っているのだろうと開けそうになる大きな箱の横には申し訳なさそうに点火線。火をつけると16連発の立派な打ち上げ花火。こんな花火が市販されているのも凄いが、火薬量に比例してかなりの音量。近くに停めてある車の防犯装置が反応するだけでなく、もちろん近くにいた管理者も注意を言いにくるのだが、春節最後の花火に一緒になって見上げる。さすがは中国。

「玉屋、鍵屋」の掛け声はないが、寒空に広がる打ち上げ花火の輪と、警察がやってきそうになって、一緒に大笑いしながら逃げるパートナー達の顔を見て、この地でどれだけ大きなものをもらっているかと改めて実感。そして、新しい年の新しい挑戦に気合いを入れなおす。

2009年1月26日月曜日

阿佐ヶ谷住宅













この冬に計画されている建替えが始まる前に、阿佐ヶ谷住宅を見に行って来た。 50年前に計画された総戸数350戸の団地で前川國男設計事務所によって設計された2階建てのテラスハウスなども残っている日本住宅公団(現在の都市再生機構)による初期のものです。













一緒に行った友人は、アメリカ軍の持ち物だと思っていたというように、塀等で仕切られること無く十分な緑地空間に囲まれて、低層住居が配置される。













モザイク・タイルを切り出した各棟番号表示。













幾つかのテラスハウス南面に付随する一層部は、地盤沈下のせいなのか、かなりの部分でひび割れが目立つ。













建替えに向けて住民数もかなり減り、残された遊具が放置された広場をみると、ここが東京のど真ん中とは到底思えない。













小道を入ると、ふと現れる非常に豊かな中庭空間。

採光条件からの隣地棟間隔と南面配置から導き出された画一的な配置計画に、公共の緑地空間が低層住宅を囲うことで、みごとに空間に奥性が加味されている。

集まって住まう場所として、現在では考えることができないほどの良好な住環境。機能劣化した建築をうまく再生し、現代性に対応できるインフラを整備すれば、ディベロッパー先導の都市開発と異なる、公共空間をとりこんだ、新しい都市部での集住することの表情が東京に生み出すことができるのではないだろうか。