2011年2月27日日曜日

「風林火山」 井上靖 新潮文庫 2005 ★★★★
















「疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、
侵し掠めること火の如く、動かざること山の如し」

ふと気になって、名だたる武将の年齢差を調べてみた。

武田信玄 1521年生まれ
上杉謙信 1530年生まれ
織田信長 1534年生まれ
豊臣秀吉 1537年生まれ
徳川家康 1543年生まれ
伊達政宗 1567年生まれ

早く生まれすぎた信玄。その信玄の法体前の若き日の名・晴信を愛した異相の男・山本勘助。そしてその勘助が命を懸けて愛し続けた諏訪の由布姫とその稚児・勝頼。時代よりも早くこの世に産み落とされた為、宿命のライバル謙信の存在の為に天下まで手が届かなかった稀代の英雄・信玄。

一戦の経験も無いにも関わらず、非凡な記憶力と想像力によって城取りに圧倒的な自信を持ち、自らを取り上げてくれた信玄に対し、どこまでも慮りながら半生を尽くす勘助の物語。

若き日の謙信・長尾景虎との永きに渡る戦いの日々の中、勘助すらも欺く好色の信玄に振り回され、側室に迎えた於琴を由布姫に知られる前に斬ろうと、一人古府に馬を走らせる勘助の後ろ、3騎のみで同じく駆けて来る晴信の姿は、いかにも風林火山にふさわしい。

雌雄を決すべく千曲川と犀川の間に挟まれた川中島を見下ろす海津城から、最後の川中島の戦いに討って出る武田軍とひっそりと霧の中で待ち受ける上杉軍。謙信を討つことを願いとした勘助も激しい戦いの中でその最後を迎える。

日蓮詣でに身延山久遠寺を目指しながら、甲府で武田神社にお参りするのを次の建築ツアーリストに妄想しながら、信長と家康の年の差と、信玄と謙信の年の差が同じく9歳で、家康の狸っぷりに思いを馳せる。

2011年2月23日水曜日

大谷資料館 ★★


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所在地  栃木県宇都宮市
設計   xxxx
竣工   xxxx
機能   採石場
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フランク・ロイド・ライトが好んで使用し、そのイメージを決定付けるように帝国ホテルにて使用されたのが大谷石。柔らかくて加工しやすい為に石壁などに良く使われる石材で、ポロポロと剥がれおいたようにその断面に孔がよく見られるのが特徴的。

その大谷石の採掘場として非常に良く知られているのがこの大谷資料館。資料館に近づくほど、街並みは徐々に圧倒的な量の石が視界を多い、住宅の石壁も大谷石へと変わっていく。

こういう風景を見ている、やはりその土地で取れる材料が風景を決定付けてきたということになんら異論は挟めないと思わずにいられない。

地下へ降りる階段を進むと、数度下がる室温を肌で感じ、建材として機械で加工できるサイズ、現場で持ち運びができるサイズと、人間が勝手に決めた経済的サイズに分化される前の他だの塊としての石。そしての削り取られ剥き出しにされたその断面。

この面の奥にも、ほぼ無限に石が続いているんだと思うその重さ。現代建築に多用される薄っぺらい一枚の面ではなく、塊を後ろに控えた重さを伴った面。その存在感と豊かさ。

そんなことを感じながら触れるその手触りに、石を正しく使うことが大地につながる建築をちゃんと着地させることになるんだろうと考える。










旧イタリア大使館別荘 アントニン・レーモンド 1928 ★★★

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所在地  栃木県日光市
設計   アントニン・レーモンド
竣工   1928
機能   別荘
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鎌倉以来、東国の仏教拠点だけあって、やはりよい気が流れているんだろうと思わせてくれる日光。明治の外国人たちもそれを敏感に感じたのであろう、やはり夏の高湿時期にはこんな心地の良い場所を選んで住むべきだと納得。

霧霞む中禅寺の夕暮れを目にするとなんとも贅沢だと感じずにいられない。

「地元の材を配することに妙味がある」

それはなんたって、その土地の気候に耐えうるというのが保障されているからであり、建物が建つその土地の材料に注目するレーモンドらしくこの地方の特産である杉、それもその皮を外壁から内部まで徹底して使っている。

横縞や市松模様の外壁面。杉皮張りされたその壁面は一枚でペラッと白く仕上げる昨今の軽さとははるかに遠く、手で触ることを誘発する。

搬入やバリアフリーなどという言葉で包まれて、玄関までできるだけ近く車でアクセスできる様にされた現代建築とは違って、そのアクセス、配置も含めたセッティング自体が建築なのだと言わんばかりに、車で近づくことはできないそのロケーション。

決して冬に心地よいとは思えないが、季節によって住まう場所を変えることができた次代の夏にもってこいの空間だと納得の一作。








2011年2月20日日曜日

「日蓮」 山岡荘八 山岡荘八歴史文庫 1987 ★★















お腹の中で、小さな一点からおたまじゃくしを経て、蛙を経て、猿を経て、10ヶ月で人間としてこの世に届ける。それは永い永い人類の進化をたった10ヶ月でやってしまう。だから人間は誰でもとても大きな時間を背負っており、ただ与えられた生を全うすることがまずは何よりも役目。

そう語ってくれた幼き日の父の言葉。

諸宗開祖のまた弟子になりたくない。自分は釈尊直接の弟子でありたいと、一心に悩み、学び、獅子吼し、ひたすらに南無妙法蓮華経の七字に願いを託し、蓮華経こそは釈尊第一の教えと、既存勢力である八宗十宗にとことんダメ出しし、もちろんのこと猛烈な弾劾に遇いながらも、真の釈尊の教えは法華経にありと唱え続ける激しき日蓮。

釈尊の教えは一つのはずなのに、どうして今の仏教はこんなにも分派し、しかもそれが民衆の救済になっていないではないか・・・奈良仏教、平安仏教もその起源は衆生救済のために経典に救いを求めていたはずなのに、今では比叡山、高野山、南都七大寺、近江の円城寺と、どれも権力にすり寄り、ともに本当の釈尊の教えを学ぼうと、どんんなに向かって言ってもまともに相手にしてくれない。そんな中さらに最新の中国仏教からの流れを受けて、生まれ行く鎌倉仏教を同時代として感じながら、それでも払拭されない違和感。

生きとし生けるもの皆、悲劇の傀儡であり、道徳教義も一切が空であるこの世。人がなぜ不仕合せになっていくか知りたいと志して入った仏の道。

乱立する現在の仏教世界の中で、誰が本当の釈尊の弟子か?教えが曖昧か、それとも正しく読み解けない知恵無しか?一体釈尊は何宗なのか?

と、誠実さゆえに一心不乱に学び、国の乱れの基は思想の分裂とし、誰からも迫害される覚悟を持って立宗に至る日蓮。

一つ間違えば、また一つ乱立する分派を増やすのみで終わってしまう恐れもありながら、それでも信念を貫き、煮えたぎるような激しさによって、迷うことのない境地までたどり着いたからこそできる決断。800年前の人も、我々と同様に、悩み、恐れ、哀しみを感じる人であった日々の中、ぶれない道へと導くのは情熱・努力・行動力であるのは変わらないということか。

そのマグマのような激しさを感じに、迫害の末に日蓮が選んだ身延山久遠寺の地に近々訪れることを胸に思い、その激しさを持つためにも、狂気を感じる位の学びの時間に思いを馳せる。

2011年2月16日水曜日

「功名が辻 1・2・3・4」 司馬遼太郎 文春文庫 1965 ★★★




























鳴かぬなら・・・と、それぞれ散々な目に合わされるホトトギス。大人しく「ホーホケキョ」と鳴いてしまえばよいものを、決して目立つ鳥類ではないはずなのに、その特徴的な泣き声のお陰で、三傑を後世に伝えるスポットライトを浴びる舞台へと押し上げられる。

それにしても、ホトトギスに代表されるまでもなく、信長、秀吉、家康ほど、日本の歴史上、性格の特徴も、生涯も理解され、物語られた人物もいないのではないだろうか。三国志しかり、英雄が輩出される時代の必要条件として、三人であることの重要性。何かにつけ、常に比較が明確になり、誰か一人ではなくて、三人として語り告げられる。

その三人の時代、織田、豊臣、徳川を生き延びたのは、その後の時代を作る家康と、ひたすら律儀に生きる山内一豊。司馬にしては珍しく女性中心の物語。律義者の山内伊右衛門と賢夫人の代名詞・千代。数年前、仲間由紀恵主演で大河にもなっていたが、全く見ていなかったなと思いながら読んでみる。

西遊記の三蔵法師と孫悟空。
功名が辻の千代と一豊。
もしドラのマネージャーと野球部員達。

古今東西、少し抜けて人の良い男が名を残すには、やはりその後ろで転がす女性が必ずいるということだろう。

知られたいという望みを擽りながら、一国一城の主になれると自信を持たせ、二流も一流仕えれば幸運に合えると、秀吉を早い段階で品定めする千代。

なんとかうまい事、妻に読んでもらおうと頭を悩ませながら、そういえば今年の大河も3姉妹かと思いを馳せる。

雪に想う

一昨日は東京での久々の雪。

足元のおぼつかない中を、道路にできる車の轍を選んでび、バランスをとって歩く。裏道を自慢げに走ってくるタクシーが通るたびに、一々雪が積もり、ツルツル滑りそうになる歩道を歩くことになる。

その中でも最悪なのが、ちょっと感じの良いマンションのエントランスあたりに敷いてある、ピカピカの水磨きした石材。体重増加に悩まされる身体は、いとも簡単にツルッといってしまいそうになる。こういう素材を選ぶ設計者は、よっぽどバランス感覚に自信があるのだろうと思いながら、恐る恐る足を進める。

そんな歩道を足元を注視しながら歩いていると、相当歩き易さが違っている。場所によってかなり雪解けの状態が違うことに気付かされる。

建物の高さと風の向きの関係かな・・・、とか思っているとそうでもないようで、恐らく舗装面の素材の違いによって、雪解け、水はけの状態に影響してるようだ。それも数種類の違いではなく、微妙だがかなりの違いがあるようだ。

ゲリラ豪雨に苛まれた昨年によく耳にした多孔性舗装材。土という保水性に富んだ大地が失われ、同時的に降り注いだ分だけの雨水を排水する保水性が低いアスファルト舗装によって河川に注がれた水量は、許容能力をはるかに超えてオーバーフロー。そんなゲリラに時間差攻撃と、一躍注目をあびた多孔性舗装材。

普段見えないモノが思いもよらない雪によって見えてくる。きっと今日、ツルツル滑る地域は、自分のバランスの悪さか、行政の予算の無さか、それとも違うところに税が投入されているのか。

そんなことを想いながら、歩き易い方に方にと歩を進めていると、とんでもない方向にでてしまう。ななんだか迷路に迷い込んだ蟻のよう。それもまた、楽しいものだ。

2011年2月15日火曜日

早稲田大学芸術学校 卒業設計展「WAA DIPLOMA2010」













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年明けから暫く体調を崩し、気がついたら一ヶ月近くアップをしてないと思い、毎日ブログをアップし続ける人たちは本当に健康な人なんだと思わずにいられない。

そんなこんなで今年も春を目の前にして、受け持っている早稲田大学芸術学校でも学生最後の作品となる卒業設計の課題が終わり、学生の作品を校外の人にも見てもらう機会を設けようと、卒業設計展「WAA DIPLOMA2010」が開催され、現・前校長のギャラリー・トークの合わせて顔を出して来る。

社会人学校ということもあり、仕事を追えてから学校に足を運び、夜遅くまで授業を受け、そしてまた翌日会社に向かうという生活をしている学生もいれば、退職を向かえ、第二の人生として建築を学びに来られる方もいたり、または文系の学部に通いながら、建築を志すダブル・スクール型の学生もいたりと、10人いれば10通りのバックグラウンドがあり、大学生とは違って時間を作る苦悩の中、学校に通い続ける生徒達と毎週向き合う時間を過ごしていると、やはりそれだけ思い入れも大きくなるのが人情。

この展覧会が終われば、学生と合うのは卒業式を残すのみで、学生の作品について話をするのはこの日が最後と思うと、少しでも労ってあげたいと思い、想いが大きかっただけにこみ上げてくる小言を何とか押さえ込み、特に担当した学生にはできるだけ声をかけて回る。

毎週のようにうるさく言い続けた甲斐があったのか、それぞれに建築が成り立つ社会性に対していろいろと頭を悩ませながら作ってきたので、模型やプレゼンだけでは伝わりにくい部分も多々あるが、そういう眼差しを持つことが、何よりも設計に必要だと思って卒業していってくれれば何よりである。

これから建築に携わる人、そうでない人それぞれだと思うが、この学校で過ごし、手を動かした時間が、学生達のその後の人生を少しでも豊かにする助けになることを期待して、とにかくお疲れ様と声をかけてあげたく、小言はまた卒業式に取っておく。

早稲田大学芸術学校 卒業設計展「WAA DIPLOMA2010」
http://www.waseda-aaschool.jp/2011/893.html

2月22日(火)まで行っているので、興味がある人は是非。
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2011年2月1日火曜日

「梟の城」 司馬遼太郎 ★★



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建築を職にするものにとって「聚楽」とは、できれば選択したい和室壁の仕上げ。秀吉の築いた聚楽第跡地で取れる土を使うためにそう呼ばれるが、今はなきその聚楽第が歴史の中で数多くの舞台を演じさせてきたのだろうが、その主役の一人である風間五平。

信長、秀吉、家康と天下の首領が変わるにつれて同じように変化していった戦国時代。表ではできない仕事を実行するものとしての忍びは主人に仕えるものである以上、天下という最大事を目指す主人達の力関係を反映しながら、忍びの世界の勢力図も日に日に変化する。

商の世界も同じ様に、信長がその代名詞でもある鉄砲を依頼したのが宗久であれば、信長はまた別の商人を優遇する。栄枯盛衰が恐ろしいほど短いスパンで入れ替わり、誰が最後の椅子を取り合うのか。

本能寺の変で堺から消えた家康の姿が伊賀地侍に守られ峠を越え、その間にも関白、太閤とこの世を階位を駆け上がり、年老いてもうけたその世子・鶴松が鬼籍に入ったことで急速に狂い始める秀吉。世間を翻弄する権力者の愚行に耐えかね、どれだけの人間が殺してやりたいと願っただろうか。

そして忍び込んだ伏見城の天守閣。寝息を立てる布団の中に見たのは、年老いて痩せこけたどこにでもいるただの老人。その姿が五平の目にどう映ったか。

第42回 直木三十五賞受賞の司馬遼太郎らしい一冊。
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第42回 直木三十五賞
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