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2016年11月7日月曜日

ギャルリ・ヴィヴィエンヌ (Galerie Vivienne) フランソワ・ジャン・ドゥラノワ 1823 ★★★



パサージュ・パノラマまで来たので、せっかくならば前回の訪問では、まだ閉まっている門の間から中を覗いて雰囲気を感じるだけに終わったギャルリ・ヴィヴィエンヌ (Galerie Vivienne) を覗いていくことに。

このパサージュはパリでもっとも美しいパサージュだといわれているもので、1823年に建築家ドラノワ(Delemoy)によって設計されたものである。床にはモザイク模様のタイルが美しく張られ、様々な彫刻が施された壁や、エレガントな曲線を描く螺旋階段、そしてガラスと鉄の天井から差し込む光に目を向ければ、天井から吊るされた美しい照明器具。19世紀初頭のパリの空間がそのまま保存されたような宝箱の様な空間が連なる。

パサージュ・パノラマよりもより長く、仕立屋、靴屋、ワイン商、レストラン、本屋、手芸材商、菓子屋などなど、様々な業種の商店が立ち並び、店頭に並ぶ品々をひやかしながら歩いていくだけでも半日でも過ごせそうな雰囲気。

特に南側の一段と背の高い空間には、下に広々とした空間にレストランのテーブルでは優雅な昼食を楽しむ地元の人々が。次回はぜひとも妻と一緒にのんびりと時間を過ごすために訪れたいものだと思いながら、ホテルへと足を向けることにする。


パリ2区










パサージュ・パノラマ ((Passage des Panoramas) 1800 ★★★



テュイルリー公園を北に抜け、少し遅めのお昼を取ろうと、マドレーヌ寺院付近の賑わっているカフェに入り、何とか見真似で注文に成功してお腹を満たし、途中で購入しておいたラデュレのマカロンをおやつとして楽しみながら、せっかくだからと北に位置する8区のギャラリー・ラファイエットの地下でつまみの適したお土産を物色し、一気に東に歩いて向かう先は2区に位置するパサージュ・パノラマ (Passage Panoramas) 。前回来た際にはあまりに早朝の為にまだ門が開いてなかったので、「ぜひとも今回は」と思っていた場所である。

建築をやっていれば、「パリといえばパッサージュ」と連想されるが、世界有数の大都市であったパリの雑踏の中に生まれたのが新しい商業空間であり、都市の産物でもあったこのパッサージュ。建物の外部空間にガラスの覆いをかけ半屋外空間として、様々な商店をリニアな空間に沿いながら楽しめることができる。

その後このモデルを一つの建物に押し込んでしまえという発想で生まれたデパート、つまり百貨店が生まれ広まっていくのはこのパサージュが生まれてからおよそ100年の歳月のち。そしてその百貨店の誕生からさらに100年がたった2000年前後には、世界の商業空間の新たなるトレンドとして巨大なショッピング・モールが世界を席巻することになる訳である。

しかし何かしらの建築における空間の祖形が生まれ、それが標準形として世界に広まっていくのには、間違いなく人々が惹きつけられる何かしらの快適性があり、そしてそれを波及させていく使いやすいフォーマットが存在しており、時代のニーズと技術的な発展に支えられていることは間違いなく、その誕生の場に身をおいて、当時この場所に惹きつけられた人々が何を求め、そして感じていたのかを少しでも理解することは、これからさらに多様化しつつも、確実にまた新しい祖形を生み出していく現代の商業空間を理解するうえにおいてもきっと役立つはずである。

このパサージュ・パノラマは子のあたらいに集まっていた切手商や絵葉書商、そして何軒かのレストランがこのパサージュに面して店を開いたことで人気となったと言うが、何と言ってもその名を世に知らしめたのは、パサージュの名前にもなっているパノラマ。今で言えば、iphoneのカメラ機能かと思われるが、当時のパリにおいては、パノラマとは、窓を持たない円形の建物の壁にそって360度展開する写真を展示し、それを中心から眺めることであたかも自分が実際にその場にいるかのような新しい空間体験をさせてくれる見世物小屋ということであり、自分も学生時代に、ある教授がこの建物の説明をしてくれ、その断面図を見せてくれた時のことも今でも鮮明に覚えている。

気になってその画像をgoogleで検索してみるが、見つけることはできず、アナログの記録凄さを改めて感じるとともに、ぜひともあの教授と再会し、このパサージュの魅力について語ってみたいと思いながら、狭い路地の様な空間に張り出した広告や、脇で食事を楽しむ人々の脇を通り抜けながら、何ともいえない心地よさを感じつつ、上部から降り注ぐ日の光を楽しみながら南へと抜けていくことにする。




パリ2区





オランジュリー美術館(Orangerie Museum, Musée de l'Orangerie) フィルマン・ブルジョワ 1852 2006 ★★★★★



すっかり訪れたことがあるつもりになっていたが、よくよく考えたら初めて訪れた大学生時代には1999年に開始された改修工事がすでに始まっており、ロンドンに住んでいた時代にもその改修工事は終わらず、2006年に改修終了した後に訪れた際には結局足を運ぶことが無く、噂に聞くモネの睡蓮の為に作られたという空間を体験していないのかとはっとして、「今回こそは」と訪れたのがオランジュリー美術館(Orangerie Museum, Musée de l'Orangerie)。

アンヴァリッドから北に向かいセーヌ川を渡り、黄色に色づいた川沿いの並木道を落ち葉を踏みしめながらコンコルド広場の観覧車を見上げ、目の前に見えてくるテュイルリー公園(Jardin des Tuileries)にどこから入れるのだろうか・・・と思っていると、角の柵に「オランジュリー美術館はこちらから」と垂幕が張られており、それに促されてゲートを潜ると目の前にかつてテュイルリー宮殿のオレンジ温室だったという建物を改修してつくられたというオランジュリー美術館が待ち受ける。パリのど真ん中の1区に足を踏み入れたのがひしひしと感じられる。

建物自体はオレンジを貯蔵するための建物として建築家フィルマン・ブルジョワの設計によって1852年に建設され、その後紆余曲折を経て、美術館へと設計変更が行われたのが1921年。そしてその美術館の中にすでに巨匠として世に認められていたクロード・モネが、連作の「睡蓮」を描くために、「自然の光の差し込むパノラマの展示室がほしい」という要望に応えるために大々的な改修が行われ、1927年に改修が完成することになる。

しかし、その後寄贈された更なるコレクションを展示する空間を二階部分に増設する工事が1960年代に執り行われたために、モネの「睡蓮の間」に差し込む自然光は失われてしまうことになる。

モネが望んだ当初の自然の光が差し込む空間へ再度改修を行おうと、大々的な改修工事が始まったのが1999年。7年という長い年月をかけつつも、見事に均質で柔らかい自然光の差し込む大パノラマの空間が並列する空間として2006年に世界に向けて公開されたという訳である。

かつて睡蓮への光をさえぎったコレクションの数々は、今度は地下空間へと場所を移動し、所々天窓から差し込む自然光に照らされながらも、ルノワール、セザンヌ、ルソー、マティス、ピカソ、モディリアーニと、近代絵画の歴史を彩る様々な巨匠の作品で迎えてくれる。

建築家という職業上、様々な場所に足を運ぶわけであるが、それでも「どれだけ長い時間でもい続けることができる」。そんな思いを感じられる場所はやはり多くは無く、そしてこのモネの「睡蓮の間」の展示室は、間違いなくその中に入る場所であると感じながら、また美術館を設計する仕事に携わる上で、この場所を体験することができたのは、美術館という建築の力を再認識する上でも大きな意味を持つと思いを馳せながら美術館を後にする。


パリ1区