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2016年2月17日水曜日

「格付けしあう女たち: 「女子カースト」の実態」 白河桃子 2013 ★★


白河桃子
柳原可奈子のネタを見ていると、「女同士のマウンティング」がいかにして行われているのかとてもよく分かる。

かつては、大人になって付き合うのは、出身大学や勤め先、住んでいる街や子供を通わせている学校などで緩やかに色分けされていた「階級」とまではいかずとも、ある種の生活レベルを反映した所属クラスの中で、似たような家庭環境、育ち方をし、似たような考え方をもった人と付き合っていれば良かった。

しかし、これだけSNSがインフラ化し、今までは考えもしなかったような形で人と知り合い、そして交流を持つようになった現代。それが多様な人間関係をもたらすのと同時に、今までなら付き合う必要のなかったタイプの人間とも向き合っていかなければいけないことになる。

かつては、限られた人間関係の中で、教養の多寡や地域の中での人望など、時間をかけて養われてきた暗黙の了解で互いの関係性やポジションなどが理解でき、それをやんわりと保持しながら関係性を守っていたが、今は西部劇のように撃つか撃たれるか、もしくは江戸時代の果し合いのように、背景の分からない人とひょんなことで付き合うことになり、しかもその中でどうにか上下関係をはっきりさせるために作り出された様々なルール。

男性のように社会の中でどんな職業に就いているか、また会社の中でどのようなポジションについているのかが明確に分かるのく対して、女性はまたそれで様々なコミュニティの中で様々な人間関係の中でこの格付けが発生し「ルールを作ったもの勝ち」というゲーム理論同様に、様々なルールが決められていく。

そのなんとも生きにくい空気が完全に日本を埋め尽くした現代。学歴や仕事という自分の能力によって決定される要素ではなく、「結婚」という選んだ相手の社会的ステイタスによっていきなり「リボーン」と呼ばれる逆転現象が起こりうるのが女性の性。それによって得られるもの、自分が人生の中で一つずつ得てきたものでないからこそ、相対的に自らの立ち位置を確認し、周囲からの承認によって欲求を満たしていく。

SNSに頻繁にアップする子供の写真。
素敵なレストランで美味しそうな料理を旦那と楽しむ様子。
優雅な海外旅行の写真。
ママ友といくランチの値段。
子供を乗せるベビーカーのブランド。

様々なところで、少しだけ満足感を得ながら日常を生きるなかで生み出されていく多様な「女子カースト」。そんなのは昔からあったことで、ネットのお陰でより外に見えやすくなっただけとも思えるし、ネットの出現によって今までの限られた交友関係から開放され、エゴとうまく付き合えない人間が迷惑を撒き散らしている、とも思える現状。

「生きにくさ」を感じるのは間違いなく、それはネットの出現で今までになかった「便利さ」を得た人類の宿命なのかと受け入れるのか、それともこれはネットの出現によって開拓された新たなる人間の社会的行動であり、あくまでもそれは一過性のものであり、徐々に「生きにくさ」を軽減する方向に収束していく何かしらの方策があり、既に社会の中にその発芽が見えているのかどうか。

そんなことを知ることを期待して手にした一冊であるが、どうも社会に起こる現象を紹介するにとどもあり、言葉にはしないが、誰もが感じていたもやもやした感じを、「ああ、こういうことか」と言葉にしてくれて、納得するための「共感」を世の中にもたらしているのだろうと理解する。


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■目次  
はじめに 

第1章 なぜ女性は格付けをしたがるのか?
/見えない線が引かれる時
/「女子カースト」とは何か
/「女子カースト」のものさし
1-恋愛カースト/彼氏がいる、いない。また、どんな彼氏か。
2ー外見カースト/どれだけ自分に手をかけているか
3-社会的ステータス/自分だけでなく夫や子供
/女同士のマウンティング
/「女子カースト」が生まれる四つの原因
1-ヒマがある集団
2-狭くてぬるい均質な集団
3-逃れられない集団(会社、ママ友など)
4-「悪の種」が集団に紛れ込んだ場合
/外資金融で経験した悪の種

 第2章 「女子カースト」の実態
/ママカースト
・同じような年収・同じような家庭で集まる「ママ友」
・「子供が人質」の交友関係
・夫から生まれるカースト
・ママ達の苦しさの根本にあるものは自分の武器で戦えないこと
・評価されづらい専業主婦の仕事
・独身女性との比較
・「VERY」見て焦る
・ママカーストとは別の世界がある
・いずれは滅びる専業主婦というカースト

/恋愛・婚活カースト
・早く結婚する人、遅く結婚する人
・待ちうけ20代男子と恋愛しない女子大生
・決めきれない40代「センミツ女」
・40代はミスマッチゾーン
・年上女性X年下君の「格差婚」は普及するか
・理想のタイプと現実の相手のギャップ
・100対100のお見合いの婚活カースト
・年齢で振り分けられるお見合いサイト
・婚活カーストにおけるカーストは女子同士じゃない!?
・本当のミスマッチの原因
・女子会は恋愛カーストの確認の場?

/女子大生カースト
・女子大生カーストを決めるのは「コミュ力」
・周囲から浮かないファッションが第一
・SNSの振る舞いもチェックされる
・恋愛経験の有無
・女子会でのカースト
・金銭感覚の違いによる序列
・ブランドによる女子大間カースト
・SNSの利用法
・女子大生カーストは就活の「勝ち負け」につながる
・高学歴女子大生はなぜカーストを感じないのか?
・今の女子大生はいじめとスクールカースト経験世代
・女子高から共学へ「男子に重いモノを持ってもらえない」
・世間に出た後の同窓会の息苦しさ
・女子たちの分岐点

/オフィスカースト
・ワーキングマザーが作る、新しい働き方
・時短で広がる様々な働き方
・働くママでも、スタイルに差が出る
・ダメなのはママではなく上司
・仕事の評価とは違うところにあるオフィスカースト
・立場を守るための威嚇行為
・業務でマウンティングするな!
・男性社員のヒエラルキーとはどう違う?
・従来の上下関係に「男性からの目線」が絡む
・美人が出生すると必ず出る陰口は?
・働く女性は二重の土俵に乗せられている
・カーストに苦しむのは、女性自身に罪がある!?

第3章 今の日本は多様性社会への過渡期
/人を許せない国
/多様化の作法 
・すでに多様性は始まっている
・女子のカーストをサバイバルするための三つの技術
1-複数の足場を持つこと
2-問題解決能力を持つこと
ー集団の居心地に敏感になる
3-自分を肯定すること
ー自分を嫌いな人とは仕事できない

第4章 「女子カースト」のその先に
/なぜ女同士はつながれないのか?
/自分の子育て観を否定されると傷つく
/女性は自分の生き方を否定できない
/たとえば、女子と言う可能性
/鍵は多様性と未来志向
/生きやすい社会とは何か?

おわりに 
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2014年6月7日土曜日

「愛を売るふたり」西川美和 2012 ★★★★★

「ゆれる」の監督である西川美和。早稲田大学文学部出身の彼女は自ら作る映画はほとんどがオリジナルの脚本である。「ゆれる」に「ディア・ドクター」も脚本・監督を務めて世に送り出した作品である。つまり物語を作り出した人と、その物語を映像化した人が同一であることによる、物語独自の表現方法が追求されている。

そして今回の「愛を売るふたり」もまた監督自らによる脚本の映画化作品。そうなると、監督がこの映画を構想し始めたであろう瞬間に、どの登場人物を中心に物語が織り成されていったのか、誰の視線を中心に物語が進んでいったのか。徐々に具体的になるストーリーと登場人物達。その過程で、一人の想像の中で膨らんだイメージの積み重ねが、作品として他の多くの人に伝えられるために共通理解を得るための「映像」というメディアに投射する必要に迫られる。

その為に、登場人物が現実の世界の中のある役者さんに徐々に置き換えられ、イメージの中の風景が具体的な地名を持った場所へと同化する。

その個人のイメージからの写し取りが破綻無く上手く行うには、恐らく映像を扱う職業人として相当な技量を必要とし、その為には長い年月の絶え間ない努力と、想像力だけではなく、映画産業の仕組みを理解するプロフェッショナルとしての知識と経験が必要になるのだろうと想像する。

映画の企画からその予算。それでキャスティングできる役者のレベルとどれだけの時間と場所で撮影ができるかというやりくりの感覚。そんな現実味が無く頭の中で膨らんだ妄想との折り合いをつけながら徐々に現実の世界へとイメージを落とし込む。

恐らくその能力が非常に高い映画監督なのだろうと想像する。自ら構築した世界観を、社会に届けるために必要な画面の作り方。見たことありそうで、見たことのない画面。そんな力のある画面を作り出せるのは、世界でも本当に少数の才能だけであろう。

そんなことを書きながら思い出すのは、「ハッシュパピー バスタブ島の少女」の強烈な画面。完全に個人の妄想から出発したその力強さのある画面は、小手先のテクニックで商業的に成功する作品を狙っては決して辿りつけない作り手のしての手触りを感じさせる。

そんな彼女が選んだ今回の物語。夫婦で小料理屋を営む仲の良い二人。しっかりもので気が利く妻に松たか子。真面目で人はいいが、不器用な阿部サダヲ。真面目に生きてきた二人の姿が滲むような繁盛した店内の様子。客に愛される二人の客に愛されるお店の様子。

あまりの繁盛振りに、二人では手が回らず、そこに夫のミスが重なって火災が起こり、一瞬にして全てを失う二人。失ったのは店だけでなく、金も生きる気力も失ってしまう。くさる夫に励ます妻。徐々にすれ違う二人の気持ち。そんな時に起こる夫の浮気とその相手からのお礼金。

普通にしていたらまた店を持つための再起の資金を貯めることは叶わないと理解している二人だからこそ、寂しい思いをしている女性の懐に入り込み、結婚を餌に詐欺を働くことで出展資金を画策する夫婦。

この世の中には決して負け組みでも不細工と呼ばれるような容姿でもなく、周囲から見れば十分に恵まれている状況や仕事についていると思われるにも関わらず、自らは真面目で、何かのきっかけが外から無い限り自分から行動を起こすことができず、寂しさを抱えながら誰かに自らの支えになってもらいたく、そして自らも誰かの支えになりたいと望んでいる女性の数は、この映画で描かれるように相当数いるのだろうと理解する。

生きていくには十分の収入を得て、将来の為に貯蓄もしていて、真面目に、ちゃんと日常を生きている。友達もいて、たまには楽しく飲みに行く。仕事のストレスの解消法も知っている。しかし本当に心を許せるパートナーや彼氏はいない。

そんな多くの女性に対し、主人公の男性は、決してイケメンではないが「すっ」とそんな女性の心の奥に入り込む。向かい合ってたっているのではなく、いつの間にか横に並んで座っている。そんな違和感の無い空気を作り出す。そんな才能が夫になることを発見してしまう妻。そして自らも「自分」を無くして夫のやりたい事を応援することのみが生きがいとなってしまっている事実を心の中でひた隠しながら、夫婦でありながら、他の女性と恋愛関係になっては金を受け取る夫の帰りを待つ妻。

そんな複雑な心情を見事に演じきる松たか子。決して綺麗ではない女優さんであると思うが、それでもその存在感は圧倒的。どんなしぐさにも品を感じさせ、近くにいると恐らくとてつもなく魅力的なんだろうと思わせてくれる女優である。

人類史上最も刺激を受けながら日常を過ごす現代の我々。家族から離れ、個としてダイレクトに社会に向き合わなければいけない日々。そんな中で人が一番恐れるのが寂しさ。自分のことを理解し、必要としてくれる人がいること。それがすべてが他人の様な殺伐とした世界で生きていくためのせめてもの救い。

どんなに騙されたとしても、「私にだけは本当に愛してくれていたはずだ」と、信じることを諦めない女性達。その言葉に真実味を与えるのが人の良さげな阿部サダヲの演技。

どんなに成功しようと、どんなにお金を持とうと、どんなに高い地位を得ようと、現代に生きる人間であれば、自分を理解し必要としてくれる人と過ごせることがどれだけ重要であるかを理解する。そしてその関係性が相互に当てはまることがどれだけ貴重であるかも同時に理解する。

日々変化する生物である人間が、日常の中で様々な刺激を受けて感情を変化させる。そんな個の体験によって生きているもの同士が、同じように感情を共有しながら時間を共にするという夫婦の過ごし方。その根源的な難しさにも光を当てるこの作品。

考えれば考えるほど様々な意味が隠されていると思いながら、ぜひとも次の作品も予想を裏切り期待を超える良作を生み出して欲しいと切に思わずにいられない。

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スタッフ
監督 西川美和
プロデューサー 松田広子
原案 西川美和
脚本 西川美和
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キャスト
松たか子 市澤里子
阿部サダヲ 市澤貫也
田中麗奈 棚橋咲月
鈴木砂羽 睦島玲子
安藤玉恵 太田紀代
江原由夏 皆川ひとみ
木村多江 木下滝子
やべきょうすけ 岡山晃一郎
大堀こういち 中野健一
倉科カナ 佐伯綾芽
伊勢谷友介 太田治郎
古舘寛治 東山義徳
小林勝也 金山寿夫
香川照之 外ノ池俊作/明浩
笑福亭鶴瓶 堂島哲治
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作品データ
製作年 2012年
製作国 日本
配給 アスミック・エース
上映時間 137分
映倫区分 R15+ 
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2014年2月6日木曜日

今時の女の子

大山から米子を突っ切り、途中でガソリンを補給し米子鬼太郎空港で何とか時間通りにレンタカーを返却する。6日間における長距離運転からやっと解放され、実家に戻る為に電車に乗る為に最寄り駅まで歩いていく。

山陰から電車を使って名古屋地方まで行くためにはどうしても中国山脈を突っ切って岡山に到着し、そこから新幹線に乗ることになる。あまり乗ることの無いローカル線の旅でも楽しみながら帰ろうかと思って到着したJR境線の米子空港駅。思っていたのを遥かに超えるほのぼのとした単線路線の無人駅。小さな時刻表を見るとなんと一時間に一本のみ。

ネットの乗り換え検索で時間だけ調べていると、その駅や路線の規模や、どれだけの頻度で電車が来るのかというのが見えてこないので、「少し早めに手続きが終わったので、予定の時刻よりも一本早めに乗って米子か岡山で美味しい駅弁でも・・・・」と軽く思っていたのを完全に打ち砕かれる。

しょうがないので寒い中予定通りの時刻の電車を待っていると、同じように旅行用のトランクを引いた20代と思しき女性二人組がやってくる。時刻表を見て同じようなリアクションを取っており、「暫く来なそうですね」と話をしてみると、この雪の為にレンタカーを返却するのが遅れて、予約していた成田空港行きのスカイマークに寸でのところで乗れなくて、次の便への振り替えもさせてもらえず、次に開いている夕方18時便のチケットを購入するか、それとも電車を乗り継いで地元の千葉まで帰るかという選択肢で、時間を考えて電車で帰るところだという。

途中まで同じ道中ということで、あれやこれやと話を聞くと、化粧品販売会社の先輩後輩という二人は、千葉生まれ千葉育ち。二人とも付き合っている彼氏はいるが、どうもその相手が煮え切らないので、何か良い方向に進みますようにと休みをあわせて出雲大社にお参りに来たという、なんとも現代っ子らしい話である。

そんなこんなしているうちに、米子行きの電車が到着し、暫く乗車して米子到着。そこからは岡山行きの特急「やくも」に乗り換えるのだが、雪の為に少しずつダイヤが乱れていたが、チケットを購入していたら丁度列車が到着し、なんとか乗り込む。

雪景色から中国山脈を越える約二時間の旅。折角の機会だからと今時の若者の生活がどんなものかと色々聞いてみるが、まさにメディアで報道される現代の若者の姿。地元が大好きで、多くを望まず、専業主婦になりたいがそれは無理だと理解しており、付き合っている彼氏には結婚願望がまだ湧いてきては無いようであり、だからといって別れても他にあてがある訳でもなく、女社会の職場での人間関係に気を遣いながら、こうしてたまには旅行などで息抜きをする。

今の収入から考えても一人暮らしは考えられず、実家暮らしだが問題はなく、家族との関係は良好で、友人・交友関係と職場も全て地元を中心とした千葉圏で完結している。彼氏を始めとした同年代の男友達にはこれといった向上心はなく、今の職場で不満が無いわけではないがかといってガツガツやるようなタイプもいない。彼氏とのデートは数週間に一度休みがあった時。二人とも今の彼氏は随分長いこと付き合っているらしく、デートといってもこれといって何か特別なところに行くようなことも無いという。

若くして結婚して子供を生んだが離婚して、シングルマザーになった友達も沢山いるとか、自分の周りも大概自分と同じようなもので、皆それなりに今の生活に不満は感じていないという。

結婚相手に求めるものはと聞いてみると、二人揃って何よりも「安定」だと言う。「奥さんと結婚しようと思ったのは何がきっかけですか?」と熱心に聞いてくるその姿に、「結婚」がこういう女の子達にとって大きな意味を持つ変化であることと、それがもたらしてくれる生活と精神的な二つの「安定」がどれだけの意味を持つのかを会話の中から良く理解できた。

そんなことを話しているうちに到着する岡山駅。弁当を買い込んで駆け足で乗り込む新幹線。弁当で空腹を満たし、ウツラウツラしながら到着する名古屋。ここでお別れとなる二人に、「出雲大社のご利益があるといいね」と挨拶をし在来線に乗り換える為にホームを後にする。

2014年1月22日水曜日

「すーちゃん、まいちゃん、さわ子さん」御法川修 2012 ★★★

なんだかとてもホッとする作品。

人気マンガの映画化だというから、なるほどと納得してしまう、なんら大きな事件も起こらない凡庸なる日常を描いた、なんとも「ほんわか」してしまう一作。

かつてのバイト仲間で、今は恋愛や結婚、仕事に悩むアラサー女性のなんともない日常を描いていく。好きだと思える男性に出会えるかどうか、このままで結婚できるのだろうか、家族などの世話で忙しいのにどうやったら出会いに出くわせるのかなど、世の誰もが同じように悩み、過ごしてきた日常を描き、それでも生きていかないといけない、その為に仕事もしていかないといけないという葛藤と、それらの日常の悩みや蓄積する鬱憤を友人との会話で「ザーッ」と洗い流して明日を生きている日常を見せられると、なぜかホッとする。

恐らくマンションの各フロアに一人は、同じように悩み同じような日常を送る女性がいるのだろうと想像する。真面目に生きてきて、決して派手でも、浪費家でもなく、しっかりと毎日を生きていく。

親心からの心配も、逆にプレッシャーとなりすぎて「もう、そのことはいいから」と邪険に扱いながらも、時々に届く仕送りなどに親の子を思う気持ちを受け止める。

そんな風に真面目に、しっかりと人生を生きていて、それほど高望みをしている訳でもないから、きっと自分がいいなと思える男性に出会い、恋愛を始められるはずだと願って何が悪い。と言っても、自分が好意を寄せる男性は、同じように他の多くの女性も好意を寄せるのだという事実にぶち当たる。

「この人かな?」と思った出会いでも、ちょっとしたことだけど、自分にとっては大切な価値観の相違でやっぱり運命の相手ではないのだと思ってしまう。

人生というのは、本当は限られた数人の人と共に歩くもので、決してドラマがある訳でもなく、平凡な中でもそれなりに波風が立ち、心が揺れ動き、そして波が去るまで一緒にいてくれるのは友人なんだと教えてくれる作品。

見終わってから妻に、「女友達と旅行に行きたくなったら、遠慮しないで行っていいんだよ」と声をかけると、なんだかポカンとしながら、「ありがとう」という妻の顔を見て、これが自分の日常なのだと改めて認識する。
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スタッフ
監督 御法川修
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キャスト
柴咲コウ 森本好子(すーちゃん)
真木よう子 岡村まい子(まいちゃん)
寺島しのぶ 林さわ子(さわ子さん)
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作品データ
製作年 2012年
製作国 日本
配給 スールキートス
上映時間 106分
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2013年8月17日土曜日

人は今の自分を肯定しないと生きていけない

人は誰でも今の自分を肯定しない限り、とてもじゃないが生きていけない。

「では何故肯定しないといけないのか?」

それは人が100%の満足感を得ながら生きていくのは無理な生物であるからであろう。動物であれば、食が足り、危険を避けることができ、快適な暮らしがあれば問題ないのかもしれないが、「悩む生物」である人間は、人生のどんな段階においても何かと悩みを抱え、それを自分なりに処理しつつ生きていく。

大きな会社で働く人間にとっては、小さくとも自営で自分の好きにやっている人間が羨ましく見えるだろうし、逆に自営でやっている人間にとれば、安定した毎日が送れる会社員が羨ましく見えるものだ。

結婚している人間にとっては、独身は気を遣わなくて自由を謳歌しているように映るだろうし、独身の人間にとっては誰かと過ごす時間がある所帯持ちが羨ましく映るもの。

知的労働をする人間にとっては、肉体労働者が直接的な労働でストレスが少ないだろうと羨ましく思い、逆は肉体的苦痛を伴わなくていいなとやっかむ。

つまりは、人間はどんな場所で、どんな風に生きていようとも、必ず社会の中での自分の立ち位置を直視し、他の人の立ち位置を眺め、どうしても比べてしまう。そして自分が持ってないものを羨ましく思うものである。

しかし立場立場によって、羨ましいと思えるものもまた変わってしまう。

つまりは、一番大切なのは何を羨ましいと思うかではなく、今の自分が持っているものをちゃんと知り、その価値を理解することである。そして自分の人生にとって何を肯定すべきなのかを再度見つめることであろう。

安定なのか、
刺激なのか、
収入なのか、
家族なのか、
やりがいなのか、
名声なのか、
生活なのか、
羨望なのか、
嗜好品なのか。

全てを得られない訳でもないが、優先順位がつまりはその人の人生。

「誰か」の価値観で肯定をするよりも、自らの肯定を積み重ねていくことが必要なのだとつくづく感じるこの頃である。

2013年5月5日日曜日

醜いもの

この世で一番醜いものの一つに男の嫉妬があげられる。

「誰もが自分を肯定しないと生きていけない」

歳を重ねれば重ねるほど、身にしみてくるこの言葉。
ならばその肯定する為に、どう今の自分を評価してやるのか?

その時に往々にして相対的な評価、何かや誰かと比較することで満足感を得ようとしてしまうのが人の性。家族を持っても毎日社会の中で、厳しい競争とストレスに晒されている男性には特にその傾向が強く現れるであろうし、同時に少しでも安心感を得ようとする気持ちも生まれてくるだろう。


その比較対象が自分自身、例えば一年前の自分や、かつて想像していた将来の自分像であるなら問題ないのだろうが、どうしてもついつい目が向いてしまうのは、曖昧模糊な世間に出回る同年代の姿。

「この年齢なら・・・」
「社会人何年目なら・・・」

仕事、結婚、家族、人間関係、子供、収入、家、趣味・・・

自分を肯定するために、今の自分を構成する様々なパラメーターを探し出し、それを虚実入り乱れるネットの世界で自分が納得できる内容だけ拾い集める。

2ちゃんねるなど見ては、自分の相対的な位置を確認し、それは同時に下を見ることで安心するということ。

現在の自分の努力が足りていないと理解していながらも、生活を変えるほどの努力は辛いと思いながら、努力することなく今のままでも自分はまだまだ大丈夫だと納得させる。下降線に乗っているにも関わらず、ただただ現状でいることを肯定していく確認作業。

その裏に見えるのは、そんな自らも心の奥に認めるどす黒い嫉妬心。

成功体験を得にくくなる30代以降に如何にこの嫉妬を抱えることなく、かつて想定した未来の自分像を確実に超えていけるか?その為に支払う犠牲と努力を惜しむことなく、少しでもいいので、毎日確実に前に足を進めること。

それが手を止め、足を止め、脳を止めてしまうネット世界の甘い誘惑から逃れ、現実の世界で胸を張って絶対的に生きていく為の方法なのだと思いながら自転車を飛ばしながら家路を急ぐ皐月の夕暮れ。