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2016年11月7日月曜日

「アートは資本主義の行方を予言する」 山本豊津 2015 ★★★



アートの世界で生きる友人と食事に行くと、如何に世界の各国が文化やアートを国家的戦略として見据えて育てているか、そして世界を俯瞰した際に現代におけるアート市場がどの都市を中心として回っているのかが話題にあがる。

そんな彼が「山本さんの本、読み終えたからどうぞ」と貸してくれた一冊。著者は日本で最初に現代アートを扱い始め、「もの派」などを世界に紹介した画廊として知られる銀座の東京画廊のオーナー。東京画廊は現在のように経済の過熱する前から中国でのアート市場とアーティストの可能性を信じ、世界に先駆けて北京の798アート地区にBTAPとしてギャラリースペースをオープンした画廊でもあり、世界を俯瞰する視点を持った数少ない画廊の一つでもある。

自分も東京画廊には縁があることもあり、ぜひとも読んでみたいものだと思っていたタイミングであったので、早速読み進めることにするが、ポイントとしては一般的にはよくその価値が分かりづらいと囚われがちなアートの世界が、実は非常に資本主義の本質を体現しており、希少性がいかに価値を決めていくか、そして中心に対する周縁の意味など、才能を持った限られた人間によって作り出される今まで存在しなかった作品に、いかに資本が流れていくのかをとてもわかりやすく解説する。

その脇で、東京で初めて現代アートを扱うようになった初代オーナーである自らの父親と、黎明期の画廊と社会の姿、そして海外から日本へ、そして日本から海外へと様々なアーティストが自らの画廊を通して社会に知られていくようになった様々な展覧会の意味。現在のアートの世界を動かす力までなった中国人アーティストとその市場にいち早く参与し、その現在の姿などなど、画廊という視点を通して見えてくる社会の姿を描いていく。

「美」とはなにか?

という喉元に突きつけられるような厳しい自問自答を毎日繰り返して長年過ごしてくる画廊主であるからこそ、最後は文化と美の本来的な意味に立ち返り本を締めくくるが、年々加速するネットショッピングのなかで見受けられる値下げ競争の姿に対し、まったく対極にあるように見えるアートの世界がいかに同じ資本主義の概念で説明でき、かつ存続しうるのかをすんなりと消化できるようになる、現代を生きる上でとても意味のある一冊であろう。

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■目次
第1章:資本主義の行方と現代アート――絵画に見る価値のカラクリ
第2章:戦後の日本とアート――東京画廊の誕生とフォンタナの衝撃
第3章:日本発のアートと東京画廊の歩み――脱欧米と「もの派」
第4章:時代は西欧からアジアへ――周縁がもたらす価値
第5章:グローバル化と「もの派」の再考――世界と日本の関係
第6章:「武器」としての文化――美の本当の力とは?

あとがき
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2015年11月27日金曜日

「虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜 」 宇田鋼之介 2012 ★★

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スタッフ
監督 宇田鋼之介
原作 川口雅幸
脚本 国井桂
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ユウタ:武井証 / 櫻井孝宏(大人)
さえ子:木村彩由実 / 能登麻美子(大人)
ケンゾー :新田海統 / 中井和哉(大人)
青天狗: 大塚周夫
蛍じい:石田太郎
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作品の中で、高畑勲 の「かぐや姫の物語」 の映像に似た、アニメーションでしか出来ないような絵が流れるような表現がされているのに気になって調べてみると、やはり作画にはCGは一切使用しなかったという。

CGの技術がここまで高度になり、使用するコンピューターの能力と投入する人員や時間によってそのクオリティが決まってしまうこの時代。その中で同じ土俵に立つことなく、独自の表現を模索する。どの世界でも同じように、様々な葛藤の末に新しい表現や価値が生まれてくるのだと改めて感心する。

それはさておき、ネットで公開された小説が人気となり、アニメ化、映画化となった背景もまた如何にも現代らしい作品である。

突然30年以上も前にタイム・トラベルして現代ではダムの底に沈んだ村でひと夏を過ごす少年の物語。まさに夏休みの大冒険という少年の永遠の憧れのファンタジーもの。長閑な風景の舞台となっているのは、埼玉県秩父市の二瀬ダム(秩父湖)ということらしい。

30年という時間と、美しかった自然を繋ぐ道具として重要な役割を演じるのがタイトルにもなっている「ホタル」。見終わった後に、今でもホタルの見える場所がどこなのかとついつい調べたくなる一作である。









2015年2月21日土曜日

沢田マンション 沢田嘉農 沢田裕江 1972 ★★


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所在地  高知県高知市薊野北町
設計   沢田嘉農+沢田裕江 
竣工   1972
機能   集合住宅 
規模   地上5階
構造   SRC造
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朝の早い時間に訪れる場所として、寺社や駅舎とともにあげられるのが、人の営みを表現する住宅建築。高知駅の北側の住宅地に建つのが建築を専門とする人以外にもよく知られたこの集合住宅・沢田マンション。

世の中には建築家という建築を設計するために専門的な教育を受け、国家資格という背負って社会に向き合う人たち以外に、自分の感性を信じて、自ら学んで建築物を作り上げてしまう人が歴史の中でごくまれであるが出てくる。

一人の人間の意志と人生を反映するかのように、建物は機能や経済活動、法規などが透けて見えるような明快な構成は見て取れず、あたかも増殖するような巨大な生物のような様相を見せてくれる。

この建物のように全体を統括する一人の建築家という存在がなく、むしろ個人もしくは不特定多数の人間が、その場その場での判断や個人的意思によって作られる建物はかつて香港に存在した「九龍城(くーろんじょう)」や、南米の丘の裾野に広がるファベーラなどと呼ばれるスラム街の様に、ボトムアップによる全体像を持たない常に変容する姿は、いつでもある種の魅惑的な魅力を身にまとう。

この建築もそれに違わず、建設者である沢田嘉農に同調する人々が賃貸として移り住み、ギャラリーやカフェなど、あたかも商店街がこの中に埋め込まれたかのような、なんとも言えない不思議な風景を作り出している。それでいて小さなころに読んだ何かの小説の中の一ページのように、個性的な住民がそれぞれの朝を過ごしに今にも顔を出しそうな、なんともワクワクする様な気持ちにさせられる。

どんなに人と違っても、自分の信じたことをやり通す。結局はそういう人がこうして新しい価値を作り出していくのだと、すでに40年以上経った今もこうしてそこに住まう人の愛情が感じられる建築の姿に思うことになる。







高知駅 内藤廣 2009 ★★★


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所在地  高知県高知市栄田町
設計   内藤廣
竣工   2009
機能   駅舎
規模   地上3階
構造   木造・S造(大屋根)・SRC造(北口キャノピー)
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日のある内に建築をできるだけ回ろうとするとなると、朝の時間を活用することになる。図書館や美術館などの公共建築はどうしても開館が9時や10時となり、日の出からそこまでの数時間を無為に過ごすのはどうしても許されない。

そんな訳で、その時間でも建築を体験できる場所に足を向けることになる。それが寺社などであるが、建築の中でも人の営みと時を同じくして時間を動かし始めるタイポロジーがこれに入る。その一つが駅舎。

現代社会においては、駅という国に引かれた都市を繋ぐ線分が人と物の移動を促進し、繋がることが価値を作り出すと言う鉄道網が国の地勢図を大きく書き換えた。中世までの徒歩や馬といった限られたスピードからもたらされる移動距離で長く保たれた地勢図は、圧倒的な動力に支えられたスピードを持った鉄道の前に、多くの地域がその存在感を消していったのは間違いない。

縮小社会を向かえ、コンパクトシティの必要性が叫ばれる現代日本においては、地域拠点としとなる有力な地方都市の中でも、その地域活動の拠点となる場所が全体としてネットワークに結束するこの駅舎。

その駅舎をどう街の中で位置づけていくか。その駅舎を中心としてどうやって新しいこれからの都市像を描いていくか。利権にまみれて、何もしなくても困ることの無い収入を得ることを覚えた駅前商店街の地主たち。高齢を迎えた彼らが自らの利権を守るために、本当は人を呼び込み、人を動かす活力としてあるべき都市の魅力である駅前空間が廃れて久しいのは、日本全国どこでも見られる光景である。コンビニと同じくらいに風景の一部となったその駅前の空間と、いったいどこの都市が変えることができるのか?

そんな期待感がありながら、どこの都市も答えを見せることができないままに、建築を、都市を相手にする建築家が自らの職能の限界を感じながら忸怩たる思いをしてすごしていたこの10年。

そんな中、先見の明のある行政のリーダーと、自分の世代よりも子供たちの世代にこの都市が魅力的な場所であることを願う地域の人々の行動力があり、はじめてその本丸である駅舎の改築という都市の顔を変える大事業が動き出す。

鉄道が線である限り、都市という面の広がりを持つ空間をどうしても二つに分断してしまう。それが現在の技術においては、駅舎を地面から持ち上げることにより、地面レベルを自由にし、水平方向のつながりを再度都市の中に取り戻すことが可能となった。

駅の北/南、駅の東/西という分断から、線分による制限が無くなった都市が繋がることにより、どれだけ大きなインパクトを都市にもたらすか。その価値をしっかりと分析することができ、今までとは全く違った都市の未来、都市の玄関口の価値を作り出すことに一歩踏み出したこのプロジェクトの関係者の勇気を感じずにいられない。

そんな訳で、朝の6時に起きてホテルをチェックアウトし、都市に生きる様々な人間模様が交錯する早朝の駅に向かい、入場券を購入してプラットフォームに。県産材の木材を利用して作られた木造の大屋根と杉板型枠で統一感をもたらしている足元の打ち放しコンクリート。「日本の駅」というイメージを全く覆す風の通り抜ける街に開かれた駅舎。こんな場所から、新たに生活を営む都市へと向かう電車に乗り込むのは、きっと素晴らしいイメージとして地元を記憶させるのだろうと想像しながら、階段を下りていくことにする。

1984年 ギャラリーTOM(東京都)(34歳)
1992年 海の博物館(三重県)(42歳)
1997年 安曇野ちひろ美術館(長野県)(47歳)
1997年 うしぶか海彩館(熊本県)
1999年 十日町情報館(新潟県)(49歳)
2002年 フォレスト益子(栃木県)(52歳)
2002年 ちひろ美術館・東京(東京都)
2002年 九谷焼窯跡展示館(石川県)
2004年 みなとみらい線馬車道駅(神奈川県)(54歳)
2005年 島根県芸術文化センター(島根県)(55歳)
2006年 二期倶楽部 七石舞台【かがみ】
2008年 日向市駅と駅前広場(宮崎県)(58歳)
2009年 高知駅(高知県)(59歳)
2009年 山代温泉「新総湯」(石川県)
2010年 和光大学E棟(東京都)(60歳)
2010年 練馬区立牧野記念庭園(東京都)
2011年 旭川駅(北海道)






















2014年10月28日火曜日

学ぶことが目的の時間の価値

フランクフルトにてポルシェ・デザインのためのタワーを設計する国際コンペが始まる。世界各国からいくつかの設計事務所が招待され、数ヶ月に渡って案を練って提出することになる。

Porsche Design  Frankfurt

プロジェクトの数だけクライアントがいて、同じ数だけプロジェクトの要綱がある。どんな場所の敷地に、どのような規模の、どんな機能を持った建物が要求されて、どんな条件の中、何が求められ、何ができないのか。そして最終的にどんな提出資料を求められるのか。

クライアントが何を評価し、何を求めているのか。複雑な事象を平衡しながら進めていく建築設計の作業の中で、それぞれの与件を理解し、その間の関係性を見つけ出し、優先事項を自分達の中で整理していく。

と同時に、敷地固有の条件である方位や眺望、環境条件や周囲の開発状況などの経済による影響を読み解いていく。

そんな細かい情報を見落とさないようにと、英語で書かれた要綱に目を通すことが一番最初の作業となるのだが、英語を母国語としない我々にとっては、毎回のことであるが、この要綱の読み込みもまたかなりの作業となってしまう。

毎回必ず意味が不安な単語にぶつかり、その度にネットにて意味を調べる、文脈と確認していくことになる。その時に文脈だけ理解するレベルで流してしまうと、次に出会ったときに再度同じ作業を繰り返さなければいけないために、面倒でもメモを残して、後に見直し、記憶に焼き付けるようにしていく。

colloquiumやvicinityといった、何度か見かけたことがあるはずの単語は二度と調べる手間を取らせないようになんとか覚えようとするが、やはりこの歳での暗記はそれほど効率的にいかないこともあり、少なくとも数度見直して海馬に引っかかるように努力をする。

そんなことを繰り返している折に、英単語を覚えるために時間が費やせた学生時代が、どれだけ贅沢な時間であったかとふと思う。こうして仕事を進めなければいけない中で、同時に英単語も覚えなければいけない社会人には、覚えることが目的となる時間が過ごせることがどれだけ得がたいモノか。

そんなことを考えながら、少なくとも何年後かに同じ単語を調べるという無駄を犯さないように、少なくともこの中の幾つかは確実に記憶に取り込んでしまおうと気を奮わすことにする。

2014年4月25日金曜日

「風立ちぬ」宮崎駿 2013 ★

衝撃的な引退発表の場で発せられた、「創造的人生の持ち時間は10年だ。自分の場合、そのピークの10年間はずいぶん前に終わったんだ」という宮崎駿の言葉。

本当にそうだったんだと思わずにいられない一作。

毎回新しいものを作る時に、歴史の中で誰もやってこなかった、それでいて面白くワクワクして価値のあるものと作り出そうと必死に考えて、突き詰めて、壊して、それでも作っていくのは本当に辛い作業である。

一度世間から評価を得たとしても、世間は「もっと、もっと」と貪欲である。自らももっと違う世界を、もっと違う価値観をと自分を追い詰めていく。世界中の様々な場所からインスピレーションの元となるものを探し、それを何とか昇華させ自分の言語としていく作業。

その作業を何年も、何十年も繰り返していくのは本当につらい仕事であるし、誰でも右肩上がりでいける訳ではない。何か新しい価値を作り出そうという職種についている人間であれば、誰でも必ず自覚していることである、「クリエイティブにはピークがある」という事実。そしてそれが自分にとってそのピークがいつくるかという恐怖。

誰もがそのピークをできるだけキャリアの後ろにもってこようと、様々なものを読み、様々な知識を手に入れ、様々な角度からのものの見方を習得していく。しかし一番恐ろしいのはそのピークが自分にとってすでに過ぎてしまったということ。つまり自分はすでに降りていく坂道に差し掛かっているということを認めること。

それを認めるのは恐怖以外の何者でもない。プロフェッショナルとして、クリテイターとして過去の自分にすでに適わないと理解すること。

それを避けるために一番楽なのは作らないこと。創作に向き合わないこと。

そしてかつての栄光にすがること。かつて作ったものの焼きまわしや小手先の勝負でやりくりし、地位や名誉に胡坐をかいてその地位を確保し続ける。

または別の価値観にすがりだす。アカデミックを採用し、「これが分からないからお前らにはこの価値が分からないんだ」という態度により、高みに自分を置いてしまうこと。つまり世間との距離を置くことで自らを神格化して批判が起こる可能性を削除する。

こんな風に大体の人が途中でやめる。途中で戦うことから降りる。そして高みに上がってし誰も責めてこないし批判もしない場所で地位を確保しながら時間を過ごす。自らは気がついていながらも。

昔は怖くなかったはずである。新しい企画、新しいアイデアを考える時に用意した真っ白な紙。目の前のその白紙を目にして、今は何をしていいのか分からない。手が動かない。下手なものを書いてかつての栄光を失ってしまうのではという恐怖に駆られる。

建築家もそうである。若い時代、建築を学んで学んで、寝る間も惜しんで修行して、その時間の中で次第に考えを纏めていく自分なりの建築の在り方。それをやっと自分の好きに形にできる独立したての若い頃の小さな作品。すべて自分の手で、オフィスの経営や自分の生活などの経済性を度外視してまでつぎ込んだエネルギーと情熱。

だからこそ熱い思いが込められた不器用でも何か人に伝わるものをもった建築が生まれる。それを見た人に何か伝わるものが作れる時代である。そんな表現したいと思う内容が溢れるように出てくる時期というのは確かにある。

そして繰り返すうちに、徐々に技能もあがり、様々な状況にも対応できるようになり、向き合う内容もより大きな社会へと視界を広げ、クリエイティブの活動はより活発となる。これもやりたい、これもこうやってたら面白くなるのでは、そんなことを考えながら毎日の一分一秒を過ごしていく。それがピークであろう。

アイデアを実現していくにはものすごいエネルギーが必要となる。クライアントや関係者を説得することは、情熱だけではねじ伏せることができない。経済性や機能性など様々な要因をカバーしていく必要が求められる。

どんなに時間や手間を使ってでもなんとかアイデアを実現させたいと駆り立てるエネルギーと情熱。しかしいつの間にか、それを続けていけなくなる時がくる。いつからか出来なくなる時がくる。楽をしているわけではないがそうして一つ一つに全力を傾けるよりも、全体を眺めてやれることを増やしていくことの方が大切だと思うターニングポイント。

時間とともに知識や経験は増えていく。技能で見たらそれで設計がうまくなるだろう。設計なんてまさにその通りである。熱くガリガリやっていても、それよりも大きなスケールでの決定に影響を及ぼす方がよっぽど意味があるだろう。

しかしそれではプロジェクトをスムースに進めることになるが、プロジェクトを良くすることと同意ではない。これが難しい。知識や経験がある人が作った作品が良いとは限らないと同じように、そりゃ機能的だったり、毎日使うのに適していて、世の中の主婦は喜ぶとしても、しかしそれだけでは評価できないことがあるのが建築である。

建築家のエゴだといわれるのかも知れないが、ゴツゴツして不器用であるが、何か新しい可能性、新しい思いを感じられる建築空間。その手触りがプロジェクトの中から感じられなくなった時に恐らくピークが過ぎた時なのだろうと思わずにいれれない。

宮崎駿が言った言葉の意味もそうだったに違いないと想像する。

映画も同じ。ゼロ戦に生涯をかけたとかそういうことではなく、何かこの人で無ければ作り出すことのできない世界観というのが画面上に現れたかどうか。それが映画のゴツゴツ感であろう。そしてこの映画からはそれが一切感じられなかった。

誰もが見たことの無い絵を思い描き、それが他の誰かにとっても美しかったり 感動を呼び起こすものだと信じ、情熱に突き動かされ、頼まれても無いのに何枚も絵コンテを描き続け、オフィス内で何度も激しいやり取りを繰り返しながら徐々に生まれてくる特別な世界観。

ナウシカやラピュタが持っていたあまりに新鮮な世界観。それがファンタジーであるかどうかではなく、そこにその人が介在したからこそこの世の中に生み出された新しい価値があるということ。

そんなことを思いながら、自らの建築家のピークを感じることなくいつまでもゴツゴツ感のある建築を作り続けていけるようにと机のスケッチに向き合うことにする。
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スタッフ
監督 宮崎駿 
プロデューサー 鈴木敏夫
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キャスト
庵野秀明 堀越二郎
瀧本美織 里見菜穂子
西島秀俊 本庄
西村雅彦 黒川
スティーブン・アルパート カストルプ
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作品データ
製作年 2013年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 126分
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2013年12月29日日曜日

ツーリズム

ロシア語で埋め尽くされたプーケットの街に、「ツーリズム」という名のイナゴに襲われ荒廃した風景を重ねてしまう。

日本でかつて起こったように、巨大な人口を抱える中国とロシアにおいても「中流の夢」として生み出された中産階級と、彼らが実現し始めた「ツーリズムへの欲望」。

恐らく国内のメディアで大々的に煽られて、脳内に刷り込まれている「ちょっと上の休暇の過ごし方」。そこそこの家庭が向かう先としてのタイのリゾート地。その少し上のクラスが向かうタイの孤島や、インドネシアのリゾート。更にグレードが上がるとカリブのリゾートへと。その欲望の受け皿になる為に、開発は止まる事をせず、際限なく地球に手を入れ続ける。

一つの街がその国の母国語以外の多言語に覆われる状態。それはなぜか女性への暴力を思わせる。圧倒的な力を持ち、押し寄せるように強制する。それを拒めば、「多くの外貨」という甘い汁を与えられることなく、他の候補地に流れていく。つまりは生き残る為に拒否できない強要。

それは観光という、他者によって生活が成り立つ都市にとっては受け入れるしかないものであり、英語やロシア語などの街中での比率が上がれば上がるほど、地元言語の世界的優劣を表しているようである。

誰もが無意識に強制参加させられている世界的競争。それによって終わる事のない開発。少しでも他の都市と差異化し、少しでも同じ年の中の競合者と差異化する。普通のホテルには少しでも写真栄えのするプールを設置し、少しでも海への眺望が望めるなら景色を売りにする。差異化の為に、全ては食べつくされ、もっともっとと限界を知らない。

星野リゾートの様に、自ら価値を生み出せる会社にとっては、逆にどこの場所にいってもそのサービスとノウハウで、十分に周囲と差異化をなしえる価値を創り出せる時代でもある。

「中流の夢」が世界中に撒き散らされ、開発の手が世界の隅々まで延びきった後には、今まで雑誌で取り上げられてきた一般的なリゾート地では膨れ上がった欲望は満足しきれなくなり、次に目が向けられるのは今までアクセスが悪い為に手が入ることなく守られてきた北海道や宮古島など毛細血管の先ともいえる場所場所。

そんな場所まで、いつかは中国語やロシア語で覆われる時代が来るのもそう遠くは無いかもしれない。それによってその土地に落とされる外貨。それによって失われる何か。それでは、何処かで「ツーリズム」に対してノーと言うか?まるで「リーガルハイ2」で描かれた一場面の様であるが、これも都市間競争の成れの果ての今の世界の実体。

やらなければ他の都市にとって代わられる。
自分がやらなければ、結局誰かがやる。

この状況は建築もまったく同じ。自分がやらなければ、結局誰かがやってしまう。その資本主義の流れは止められない。なら自分が必死に最善と思えるものをやるしかない。

ツーリズムの片棒を安易に担ぐのではなく、問題を見据え、どこもが「one of them」の世界にならないように、場所のゲニウス・ロキを見据え、何を成すかに意識を払い、日々の設計に向かいなおすしかないんだと改めて理解する。

2013年12月27日金曜日

都市間競争

プーケットに来て驚くのが、圧倒的なロシア人の多さ。それにもまして、街自体がロシア人用にフォーマットされてしまっていること。

街のいたるところの看板は、ロシア語でかかれ、レストランに入れば自分達以外はほぼロシア人家族。メニューを見ればまず最初にロシア語で、その次に英語、中国語でタイ語。

そのロシア人が特別裕福そうな感じではなく、如何にも中流という雰囲気なのもまた驚く。普通の家庭が年末にタイにバケーションで数日滞在できる。それほどの経済水準に国自体が成長しているという事実。

それに対して受け入れる側のこのプーケットの街。資本主義というものがそもそもそういう性質のものだからであるが、タイの街であるにも拘らず、街中がロシア人の為にフォーマットされ、共通言語のタイ語は見かけることなく、ロシア語、英語で街が覆われる。

恐らくレストランのメニューも地元民が普通に暮らす単価より明らかに高く設定されており、その理由となるような特別なサービスや特別な材料は使われておらず、「これくらいのマージンを乗っけても、街全体として価格破壊を起こさなければツーリスト達は払うはずだ」という思惑が透けてしまっているのは否めない。

かつてはアメリカ人やイギリス人相手、その後一時期日本人が大量に押しかけ、中国人とロシア人に人口移動の重点が移動しているという事だろう。その度に新しい言語のメニューを作り直し、同じことを繰り返して生きていくこの街。

このプーケットが相手にしているのは、決してロシア人ではなく、バリ島やフィリピンの小さな島など、同じように経済の後ろ盾を得て、大量のマネーを落として要ってくれるツーリスト達の受け皿になろうとする南のリゾート地達。

彼らなりの努力をし、なんとか要望に応えることで、街が生存でき、そこで生きる人たちの生活も成り立っていく。明らかなる都市間競争の一シーンがそこで繰り広げられているわけである。

少し前に日本国内の都市の勝ち組、負け組について考えた「吸い上げる都市」だったが、結局ここプーケットでも同じことが行われているわけである。飽くなき都市間競争。リゾート都市として負けることはここに住まう人の生活が成り立たなくなるだけであり、新規参入し新しいツーリズムの価値を携えてくる新たなる新興都市に対して常に優位に立たなければいけない。

ツーリズムではなく、人の流れ、経済の流れ、ビジネスの流れ、文化の流れにおいても、それはひたすら加速し、際限なく国際化し、全世界を舞台にして繰り広げられる。

今の日常でも接する数々の外国人。彼ら一人一人に「何故ここにいるんだ?」と聞いたら間違いなく、「より良い機会と仕事と人が集まっているからだ」と答えるだろう。国境という見えない線を越えて、限られた都市へ、更にその上の都市へとつながって行くモノとヒトの流れ。

東京の相手は、大阪や名古屋ではなく、ましてやマドリッドやイスタンブールなどでもなく、今や北京、上海、シンガポール、香港となっており、これは誰も止められない。

アジアに向かう優秀な人材が、東京に向かわずに上海に向かえば、それは都市の魅力においての負けを意味している。

優秀な人材であればあるほど、その上限は無い。より上の条件、良い機会、良い生活とキャリアアップにつながる場所。その能力を発揮できる場所へと人は動き続ける。

それがどこまでいくか?国の中での負け組都市を大量に作り出すだけではなく、国家間でも古く新しい社会に対応できないままのかつて繁栄した都市は衰退しながら臨界点で自ら変革を受け入れていくことになる。

かつて言われた地元回帰。「なぜ戻る必要があるか?」を考えると、それは家族であり、友人であり、自ら育てくれた故郷であるが、都市間の移動がより容易になり、生活圏の拡大によってある程度の距離と時間が問題にならないようになれば、それすら意味を変えてくる。

緩やかな階級社会の次に来るのは、明らかなる都市間格差。

徹底した効率化でもそれでも必要となる単純労働力を提供する低金銀労働者と共存しながらも都市の衰退に敏感な都市間ノマドとして生きる人々。やがて都市が多国籍の特権的場所に成り代わる日も遠くは無い。

競争に勝ち抜けなかった、
競争に参加しなかった
過去の栄光に胡坐をかいていた都市は取って代わられる

しかし、新しい都市が簡単に生まれるわけにはいかない。それが都市の難しいところであり、何故ならそれは都市は歴史を下書きにして作られているからである。

問題は都市の行く末を決定する力を持った人々が、どれほど敏感にこの世界の潮流を感じ取り、どれだけその圧力に恐怖を感じているかどうかである。

恐らく魅力を失いながらも、それでもある種の需要には応えつづけていくであろうプーケットの姿を見て、その奥に日本の様々な都市がこの先100年、どのような時間を過ごしていくのかに想いを馳せずにいられない。

2013年12月18日水曜日

すぐ忘れる

何かを思いついてメモを取ろうと思ってグーグル・カレンダーを開く。その瞬間にカレンダーに表示されている他の項目が目に入り、それを数秒考える。

すると、何を打ち込もうとしていたか忘れてしまい、思い出そうとするが全然思い出せない。

「そんなはずはないだろう・・・」

と少々おかしくなりながら考えるが、まったく出てこない。こういう時の焦りと恐怖は本当に嫌なものである。

どうしようも無いので、放っておく。

暫くするとたまにではあるが、ふっと思い出す時がある。まさに「アハッ」体験。しかし、それは非常に稀なケース。恐らく70%ほどは、記憶の彼方に忘れ去れ、一生思い出されること無く生きていくのだと思うと、怖いと思わずにいられない。

確かに生きていく上でどうしても必要な情報や考えでは無いのだから忘れてしまうのだろうが、そういう「必要でないもの」にこそ、豊かさや意味が多く含まれているのだろうとこの歳にもなると分かってくるものである。

そういう自分が感じた「価値」を忘れてしまうことなく、途中で余計なことを考えることなくとにかくメモとして外部化し、いつか分からないがそれが他の「価値」と化学反応を起こす可能性を残しておくこと。それだけが「忘れる生物」としての自らに対抗しうるせめてもの方策かと改めて思う年の暮れ。

2013年7月19日金曜日

佐川美術館 樂吉左衞門館 竹中工務店 本館 1998 / 別館 2007 ★★★★★


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所在地  滋賀県守山市水保町
設計   竹中工務店
竣工   本館 1998 / 別館 2007
機能   美術館
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日本有数の食品会社の会長であり、同時に日本有数のアートコレクターでもあるイセ食品の伊勢会長に、アート関係の友人のつながりから何度かご一緒させていただいた折に、「今まで足を運んだ美術館の中で、どこが印象的でしたか?」という質問に、「佐川美術館は凄かったねぇ」という言葉を聞いて以来、ずっと足を運びたかったこの美術館。


I.M.ペイ設計の「MIHO MUSEUM」を諦めてまでも優先させたこの美術館の茶室見学。湖南市からの戻りの道、一車線道路にでスピードを出そうにも抜けない前ののんびりした軽にイライラしながらも10時15分前に到着し、予約時に言われたように入口脇の受付で入館料¥1,000を支払い、それとは別途茶室見学料の¥1,000円を支払い、撮影禁止ということで、手荷物をロッカーに預け暫く待つことに。

この佐川美術館。創立40周年を記念して1998年に日本画家・平山郁夫と彫刻家・佐藤忠良の作品を中心に竹中工務店の設計で設計される。そして2007年には十五代樂吉左衞門の陶芸(樂茶碗)作品を展示する「樂吉左衞門館」を敷地内に新館として建設された美術館。

画家と彫刻家はイメージできるが、楽茶碗となると少々勉強不足であり、渡される説明文によると樂吉左衞門(らくきちざえもん)は、千家十職の一つである茶碗師らしい。

楽焼の茶碗を作る樂家が代々襲名している名称が樂吉左衞門だという訳である。ちなみに現在は15代当主となっている。

茶道に関係することは分かるが、では「千家十職とは?」というと、千家十職(せんけじっそく)とは、千利休を始祖とする茶道の三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする業者の十の職家を表す尊称であるという。いわゆる「千家好み」の茶道具を作る為に必要なプロフェッショナルの集団といったところだろう。

茶碗師 − 樂吉左衛門
釜師 − 大西清右衛門
塗師 − 中村宗哲
指物師 − 駒沢利斎
金物師 − 中川浄益
袋師 − 土田友湖
表具師 − 奥村吉兵衛
一閑張細工師 − 飛来一閑
竹細工・柄杓師 − 黒田正玄
土風炉・焼物師 − 西村(永樂)善五郎

そしてその樂家の名が冠されたのが楽焼(らくやき)で、素焼きの陶器に絵付けをする焼き物という。主に鉄釉を利用して黒く変色させる黒楽と、赤土を使う赤焼があるが、映画などにもみられるように秀吉は黒楽を嫌い赤楽を好んだとされる。

そんな訳で、この美術館自体も一級品なのだが、伊勢会長も唸ったと言うその樂吉左衞門館とその中の茶室は当代の樂吉左衞門氏自らが設計の創案を行われたというように、超一級品。これが文化の粋をいうのを痛感させられるような空間が待っている。

琵琶湖のほとりの広大な敷地に大きくはられた水庭。地面とツラに合わせられた水面を緩やかな橋を渡りアプローチしていくが、その中で本館の蔵のような切妻屋根の二つのボリュームが如何に巨大かを体感する。

建物側は同じく水面と同じレベルで合わせられた石張りで、水面下の目地から、排水溝の目地、石床の目地ときて、壁面下部の照明用蹴込みを通って、杉板コンクリート型枠に凹凸をつけられた壁面の目地。それを辿って視線を揚げていくと、軒下に使われるコンクリート板の目地、そして細い庇下の金属板の目地と、どの段階で何を決めていたのか?と思わずにいられない徹底振り。そこまでするから初めてそこに存在しないかのような背景となりうる。素晴らしいと唸る。

穏やかな広い水面を右手に長いアプローチを進み、左に開けたスペースを折れると迎えるのが「佐川美術館」の文字。床も壁も天井も、ばっちり目地が通っているので、5文字の真ん中の美の縦線を揃っていないのが返って気になってしまうほど。

中に入ると天井の高いホールがチケット売り場とインフォメーションセンターとなっていて、ここで入館料と茶室見学料を支払い、人数が揃うまで待っていて下さいとのこと。ホールから中庭方面に向かうと中心に待ち受けるのがギリシャの様に彫りを深くされたコンクリートの柱。この空間の中心を担うシンボルだけあって、床の目地はもちろんこの柱の中心から始まる。

そうしてホールの端まで追っていくとやはり半端な大きさの石となるわけだが、それはこの空間の主題とは成りえない。逆に柱を超えると、中庭の水庭の中心に佐藤忠良の作品が展示されているのだが、もちろんこちらの空間に来ると、この作品が空間の中心となるわけで、床の目地もここをセンターに始まる。そうして追っていくと、先ほどのホールの空間から始まる目地と、こちらのセンターから始まる目地での食い違いを間の壁の厚みで違うパターンを挿入して吸収。

「そうだよな・・・」と思いながらも、「何と何が、どの段階で分かってないとこれは実現できないな・・・」と、このレベルのことを今の中国で進んでいるプロジェクトで行うことの困難さに頭が痛くなってくる。

荷物をロッカーに置いて、予約の10時になると、受付から女性の係員の方が出てきて、今回の時間に見学する自分を含めて三人を案内してくれる。本館から長い廊下を進んでいくと、新館との見切りラインが見えてくる。壁の仕上げも粗い杉板から凹凸を抑えられた仕上げに代わり、床も黒い石張りへと変わっていく。

壁に設けられたスリットから入る光を見ると、足元と天井にしっかりと納められた空調吹き出し口に目がいき、その中心にばっちり揃う目地に感服。「まさか・・・?」と思って外の水庭を見てみると、流石にその床目地はマリオンとは揃わないようである。

新館側の水庭には島のような植栽が植えられよく実ったヨシが風になびいている。本館へのアプローチではそれが見えないようにするためか、目隠しの壁が世界を分けるように低くだが確実に建てられている。ヨシの後ろには、地下の展示室に光を届ける長方形の天窓が設けられているが、その上にも水がはられている。

http://www.lago.co.jp/works/operation3.html

地下の「樂吉左衞門館」にたどり着くまでに、様々なディテールと素材感に唸りながら、「本物の質は違うな・・・」と今の自分との距離を実感し、少々悲しくなりながら足を進めると、先ほどの水を張った天窓を通しての揺らめく光が壁を照らす。

特別な入口から茶室空間へと案内してもらうのだが、茶事についての教養が無いために、説明していただいた内容の恐らく半分も本当の意味で理解できてないのだろうと悔しい思いをしながら耳を傾ける。

まずは「路(ろ)」と呼ばれる通路を通る。壁面は先ほど同様杉板型枠コンクリート。床と天井は、オーストラリアの鉄道の枕木として使われていたものをわざわざ持ってきて敷いているために、年月を経て風化した味のある表情を見せている。壁面下部の間接照明だけで照らされるために、よりその凹凸が足の裏に感じられる気がする。

その先に待ち受けるのは、「寄付(よりつき)」と呼ばれる、いわゆる茶会の時に客がまず集まる場所の空間に出る。真ん中に置かれるのは大きな一枚板のテーブル。なんでもインドネシアで探し出してきた銘木らしく、テーブルを照らすスポットライトと、壁面下部の間接照明だけの落ち着いた空間でテーブルの木目が存在感を発揮する。

その先は「水露地(みずろじ)」という空間で、上部の水庭の中に接地された円筒形のコンクリートの壁が地下レベルまで達して中庭を作っている。その壁面は今度は段々になるように設計されており、上の縁から注ぐ水が壁面の段々で跳ねてはよい音を反響させる。

床は水が張られ、円形に切り取られた空を見るように待合(まちあい)の為の腰掛板が壁から張り出しており、この板もまたどこかから手に入れてきたものだと言う。そして床面は飛び石として不整形に切り出されたジンバブエ産の石が敷かれる。切り出すときに使用したドリルの跡もわざと見せるようにしているのだという。粗い表面に水がかかるとまるで墨石のような黒色になる。

その水露地を折れるようして進むと見えてくるのが「中潜(なかくぐり)」。腰を屈めて頭をぶつけないようにして再度室内空間へ。暗い空間にいくつかの天窓からの光が差し込み、なんとか何があるのかを認識できる程度。右手の階段を登り見えてくるのは「埋蹲(うめつくばい)」。蹲踞(つくばい)とは茶事の時、客が茶室に入る前に手を濡らし、口をすすいで、身を清めるために置かれた手水鉢と役石などのことらしいが、ここでは床面に1m角程の正方形の穴が掘られ、その中に先ほどのジンバブエ産の黒い石が床とツラになるように置かれ、その真ん中に直径20cn程の円形に穴が抉られ、手水鉢となっている。

その左手には「小間・盤陀庵(こま・ばんだあん)。空間を覆うのは特殊な越前和紙で、まるで大理石のような紋様が走り、揺らめく水面のような雰囲気を作り出す。躙口(にじりぐち)から中を覗くと目に入るものどれもがこだわりの味のある素材ばかり。床の間の2面の壁は杉板型枠のコンクリートだがそのピッチが細かく変えられ繊細な表情を出すかと思えば、残りの一面は先ほどの枕木の荒々しい表情。床柱はバリの古材を使用したという。まさに柱や壁が荒々しさと繊細さの共存のオンパレード。

ますます、長い年月の中で身体に染み付いていく所作と素材に関する感性の素晴らしさを痛感し、それと同時に自分が学ばなければいけないことの多さに目がくらむ思いを感じながらも先へと進む。

階段を上がり地上レベルに達して中に入るのは「広間・俯仰軒(ひろま・ふぎょうけん)」。水庭と同じレベルに合わせられ、畳の空間の外には、再度ジンバブエ産の粗い表情の黒い床の縁側空間。そしてその外は水面が広がり、ヨシの緑が視線を遮ってくれる。

床の間に目を向けると、床框(とこかまち)は漆黒の怪しい光を放つ石。「これはひょっとして・・・」と質問すると、やはり例のジンバブエ産の石だと言う。磨くと先ほどまでの荒々しさからは想像できないほど、艶やかな黒の面となる。

空間を仕切る障子は敷居が無く下がすっきりした表情で、上部の鴨居から吊られるようにして設置される。この鴨居も長押(なげし)と一体化されできるだけ線を消去され、更に角に柱を立てずに上部から束で吊られるようにして、空間に開放感を与えるように気を使われて設計されている。外部の蔀戸(しとみど)をつるす長押を吊るのも細い丸鋼だが、これも酸化処理をかけられたのか、周囲の材に溶け込むような色となっている。

畳に座り、しばし風にたなびくヨシを眺める。ガラスの存在も、屋根を支える細い鉄骨柱もできるだけ存在を消すように、技術を駆使して繊細に設計されている。目に入ってくるものはすべてが自然素材かのように。

その風景を眺めながら考える。建築とは、空間とは、こうも奥が深いものかと。

15代もかけて培われてきた素材への感性。それを空間に拡張されてできあがってものに身をおくと、すべての角まで神経が配られ、すべての線まで意識して配置されている設計の細やかさと、あくまでも人が素材に触れることで空間が生まれることを熟知した素材への意識。

贅沢とは、行き着くところ、如何に手間と知識と技術を使って、新しい価値を作り出すか、それを分かり合えるものだけで堪能するかに尽きるのだと思うが、その為に建築に関わるものとして何を理解し、何を身に着けないといけないのかを激しく教えられるような空間体験。

見えないように存在を消す為に、ディテールを把握し、素材を使いこなし、施工まで理解した上での設計で目地を合わせるのは基本中の基本。表現するものを表現する為には、如何にその他を背景へと沈み込ませられるか。その為への建築家としての職能は相当高いものになる。

水も光も風も音も素材の一つとして扱えるようになって、始めて挑戦できるその上の高み。先は長いが、少なくともそこへの距離感はしっかりと測ることができたことに満足して、琵琶湖の地から奈良へと向かうことにする。