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2014年2月2日日曜日

須我神社(すがじんじゃ) 不詳 ★★

朝早くから神社めぐりをするのは何とも清清しいと、霧立ち込める山間部を一人悠々と車を走らせ、これまた随分山深い地域の街中に鎮座する須我神社(すがじんじゃ)に到着。

一の鳥居から階段を上り神門をくぐり、再度階段を上って到着する社殿。その両隣には綺麗にシンメトリーを描くかのような背の高い杉の木。左手の杉は特に幹が太くこの神社の神木のようである。昨年以来、神木をさわりながらふと上を見上げるとフクロウでもいるのでは?と期待しながらいつもの様に神木に触れる。

この須我神社(すがじんじゃ)。主祭神である須佐之男命(スサノオ)が八岐大蛇を胎児した後に妻の稲田比売命(クシナダヒメ)と居住地を探している時にこの地に訪れ、「気分がすがすがしくなった」として「須賀」と命名したと言われているらしい。

という訳で日本初の宮殿ということから「日本初之宮」と呼ばれており、この時に須佐之男命が詠んだ歌が日本初の和歌ということで、「和歌発祥の地」とされているらしい。これもどこかで聞いた気がするな・・・と再度境内に下りてくる。

そういう訳で主祭神の最後は須佐之男命と稲田比売命の子である清之湯山主三名狭漏彦八島野命(スガノユマヤヌシミナサロヒコヤシマノミコト)となっている。

境内右手は山の斜面に沿って配置されている境内摂社に向かって空地が取られており、それを順に参拝していくと、一番奥に背後に聳える八雲山の上にある御親神社、社日神社、義綱神社へと続く参道の入り口が見えてくる。

これが一番恐ろしい。もちろん登ることには登るのだが、一体どれくらい時間がかかるのか、距離がどれくらいあるのか、行程がどれほどハードなのかの情報が無い中で山に入っていくのは大変チャレンジングである。その後のスケジュールにも大きく影響してくるので、気合を入れてぬかるむ足元に気をつけながら木製の階段を一つずつ上がっていく。

登れば登るほど霧が濃くなり、昔の人がここに神の存在を感じ取ったのが理解できる。思ったよりも急勾配で、なかなか目的地が見えてこない。徐々にじっとり汗をかき始めた事、ぽっかりと広場のようなスペースにでて、右側の中心に一つ、左に一つとサイズの違った社が祀られている。

「あれ、三つじゃなかったのか?」とキョロキョロしてみると、更に先を指し示す看板が・・・

がっくり肩を落としながらも、「登りますよ」と自分に言い聞かせ更に坂道を進んでいくと今度は数分で最後の義綱神社が見えてくる。霧濃い朝の空気の中、まさに聖域を感じながら一人静かに手を合わせる。森に響く拍手を聞きながらなかなか良い参拝だったと車に戻る為に山道を降りていくことにする。





























2013年7月19日金曜日

日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう) 131 ★★


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所在地  滋賀県近江八幡市宮内町
主祭神 誉田別尊(ほんたわけのみこと)・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・比賣神(ひめかみ)
社格  県社・別表神社
本殿の様式 三間社流造
創建   131
機能   寺社
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昨晩、夜にも見えるかと期待して車で見にきたが、やはり建築物として太陽の日の下で見るべきだと痛感するほどまったく見えず、写真も取れず、諦めて朝7時過ぎにホテルをチェックアウトし、一番に訪れたのが近江八幡の観光の中心地でもあるこの神社。

朝の清清しい空気の中、一の鳥居をくぐり、背後の八幡山を眺めながら気持ちのよい参道を歩いていくと、右手に見えてくるのが堂々とした楼門。色合いもとても落ち着いており、山を背景とした風景によく馴染む。

楼門をくぐってから拝殿に向かう参道の軸がちょっと触れているのが珍しい。拝殿後ろに向かう石畳の道が楼門の軸に沿っているだけに、拝殿への軸のズレがやけに強調されることになる。

朝一番ということで、手水でしっかりと手と口を清め、拝殿に向かって境内によく響く拍手を打ち参拝。

後ろの本殿と、さらに奥に鎮座する摂社に参拝すると、地元の方と思われるおばさんが頭を下げて挨拶をしてくれる。こんな早朝から境内に足を運び、それぞれの神様にお参りをする人に悪い人はいないだろうなと想像する。

境内に戻ると拝殿に向かってかなり若い女性が拍手を打っている。こういう風景を見ると、この神社がこの土地の一部として人々から愛され、人々を守護しているのかを垣間見た気になる。


日牟禮と書いて「ひむれ」。

全く読める気がしない。それだけ起源が古いと想像させる。

なんでも伝承によれば、131年成務天皇が高穴穂の宮に即位の時、武内宿禰(たけうちのすくね)に命じてこの地に大嶋大神を祀ったのが草創とされている。その後、275年に応神天皇が奥津嶋神社から還幸の時、社の近辺に御座所が設けられ休憩し、その仮屋跡に日輪の形を2つ見るという不思議な現象を経験し、祠を建て日群之社八幡宮と名付けられたという。日が群になっている社と言う訳だ。

そして691年、藤原不比等(ふじわらのふひと)が参拝し、詠んだ和歌に因んで比牟禮社と改められた。和歌に詠んだら名前が変わってしまうのもまたすごいと思うが、やっと現在の名称に近づいてくる。1590年に豊臣秀吉の甥で秀吉の養子となった豊臣秀次が、後ろの山頂に八幡山城を築城するために、上の八幡宮を下の社に合祀する。そして昭和の1966年、神社名を日牟禮八幡宮と改称し、現在の名前となるという。

八幡山城の城下町は近江商人の町として栄え、その守護神としてこの日牟禮八幡宮は多くの近江商人の信仰を集めることとなったという。














2013年7月18日木曜日

兵主大社(ひょうずたいしゃ) 717 ★★★

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所在地  滋賀県野洲市五条
主祭神 八千矛神(やちほこのかみ)
社格  式内社(名神大)・県社
本殿の様式 一間社切妻造
創建   717
機能   寺社
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琵琶湖大橋を渡り、辿りついた琵琶湖の南東。右手に見えてきた佐川美術館は明日の朝に茶室見学を予約してあるので、「ここまで戻ってくるのか・・・」と思いながら、のどかで、横に広い近江の田園風景を眺めながら守山市から野洲市へ入る。

そんな田園風景のど真ん中。突然現れる巨大な鳥居。その先に見える参道は果てが見えないほどの長さ・・・「この時間にこれだけ行って帰ってくるとなるともう他のところは無理じゃないか・・・」と思いながら、参道にそってる田んぼ道を走っていくと、参道の果てに二の鳥居と駐車スペースが。

駐車場に車を停めて、見上げる二の鳥居の後ろの朱色の楼門は1550年の建立。遮るものがない水平な地平で、沈みかけた太陽は容赦なく西の空から照りつける。ちょうどそのラインが楼門も後ろに位置し、手で目を覆いながら楼門をくぐることになる。

楼門をくぐると、これまたかなり長い砂利の参道が広がる。拝殿までのその砂利道、真正面から照りつける厳しい夕日を避けるように左右の楓の陰に隠れながら、相当深い砂利のお陰で足への負担も溜まりつつ、この時間でも滴り落ちる汗を拭きながら、一日の行程を思い出して歩を進める。

拝殿は広い参道を大らかに受け止めながら、立体的な美しい姿で迎えてくれる。その前に鎮座する狛犬はとても特徴的で、体中を包帯でぐるぐる巻かれている。この後他の場所でも見ることになるのだが、なんでも参拝者の身体の痛みを和らげてくれるご利益があるという。

この兵主大社(ひょうずたいしゃ)。今日三つ目の大社となるわけだが、「ひょうず」とはどう考ええも読めないその「兵主」が、「つわものぬし」と読むこともできるために、鎌倉・室町期には武将たちの尊崇を集めたという。先ほどくぐって来た朱塗りの楼門も足利尊氏の寄進と伝えられているという。

主祭神の八千矛神はかつて日吉大社から亀に乗って琵琶湖を渡り、鹿に乗ってこの神社に来られたといわれているという。その呼び名や、緑豊かなこの広大な境内を見ていると、そんな穏やかな話もなんだか信じられるような気がしてくる。

今度は西日を浴びて綺麗に輝く楼門を見ながら、再度「ザッザッ」と響く自らの足音を耳にしながら、残り少なくなってきた今日の時間を終了すべく次の目的地へと足を向ける。