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所在地 岐阜県恵那市岩村町城山
城郭構造 梯郭式山城
別名 霧ヶ城(かすみがじょう)
築城主 遠山景朝
築城 1185年
機能 城郭
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6日間の自由行動を終了し、最寄り駅で東京の実家でゆっくりしていた妻と合流し、実家で久々の両親との水入らず。折角なのでと企画していた岐阜地方への温泉旅行の為に京は朝早くから出発することに。
折角その地方に行くのなら、行程上にマッピングされている他の目的地に寄っていったほうが皆も退屈しなくていいじゃないかという理論で、幾つか設定された立ち寄り地の最初の目的地がここ岩村城(いわむらじょう)。
GoogleのCMのせいで「日本のマチュピチュ」のイメージをすっかり竹田城(たけだじょう)に持っていってしまわれた感があるが、その竹田城よりはるかに昔に険しい地形を利用し、その地形を拡張するかのように張り巡らされた石垣によって守られたこの岩村城は付近に霧が多く発生するために、別名・霧ヶ城(かすみがじょう)とも呼ばれ、「元祖日本のマチュピチュ」と呼ぶに恥じない城である。
戦国時代に防御の為に、木曽山脈の深い山の中に築かれたこの城は、全国でももっとも高いところに築かれた城として知られ、日本三大山城に名を連ねている。因みに他の二つの日本三大山城とは、下記の二つ。
備中松山城 (岡山県高梁市)
高取城での酷い経験を思い出しながら、今回は同行4人ということもあり、簡単に城に到着できることを祈りながら山道を進む。かつての城下町と思われる開けた観光地まで到着するが、どうやったら城までいけるのかあまり丁寧に案内がされていない。しょうがないので車を停めて地元の人に聞いてみると、まだ暫くまっすぐ道を進むという。
言われたままに車を進めると、数分もするうちに脇道への案内がでて、細い山道に入っていくとがけ崩れの為にこの先通行止めという看板が見えてくる。しょうがないので車と停めて、この先どのくらい歩けば城の到着できるのか説明してない案内板にイラつきながらも山道を上がることにする。
車に残る母親を置いて、着いてくるという父親と妻と一緒にかなり急な山道を上がっていく。暫くカーブを進んでも一向に見えてこない城の姿に、少々怪しい雰囲気になり始めた後ろの二人・・・しょうがないので、「どれくらいで着くのかちょっと先に行ってみてくる」と小走りで坂を駆け上がる。
するとすぐに石垣の一部と思われるものが見えてきて、その横には矢印を案内板が。「あったよー」と後ろの二人に声をかけ、その場で待っていると、暫くしてゆっくりと上がってくる二人。「どうやら、この先に石垣に登れる場所があるらしい」と説明する場、二人はここで引き返すというので、「ちゃちゃと見てくるよ」と言い残し先へ進むことに。
するとすぐに開けた場所が現われ、右手に回っていくと縦に切り立った石垣沿いに上がっていける石階段。「ほぅ、なるほど」と納得しながら、かなり立派な地形を上手く利用した石垣郡の間をすり抜けながら上に上がる。
するとパッと景色が開け木曽山脈が遠くに見えるようになる。岐阜圏内では岐阜城とこの岩村城跡の2箇所だけが100名城に選定されているが、それも納得の名城である。城跡で整備されていなくても、これだけ周囲の地形に適応しながら、この場に大きな勢力があったことをその跡からも理解させてくれる力を持った城跡である。
同行の三人を退屈させないようにと、さっさと見学を切り上げて、帰りも駆け足で石垣を下りていくことにする。
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