2012年10月25日木曜日

「サハラ」 笹本稜平 ★



「私は誰なのか どうしてここにいるのか?」

自分の記憶がないまま、手にAK47持ちサハラ砂漠の真ん中で意識を取り戻したのは、元傭兵檜垣耀二。「フォックス・ストーン」、「マングースの尻尾」に続いて登場するハードボイルドな主人公。

傭兵という非正規のプロフェッショナルが活躍する為には、様々な謀略が絡み合う紛争が舞台となり、かつての作品ではアンゴラやジンバブエなどアフリカ大陸という日本人にとってはまだまだ謎に満ちた世界を舞台にしていたが、今度はその大陸をずっと北に移動して西サハラの独立問題と絡めて話は展開していく。

モロッコから独立をもくろむポリサリオ戦線と、西サハラの地下に埋まっているとされる大規模油田を巡っての各国の駆け引き。いつもどおり絡んでくる大国アメリカの国内政治の勢力図。それに踊らされ指をつっこむ日本の政治家と外務省。

毎度のように、マルセイユの盟友アラン・ピカールの助けを借りて、商社崩れの武器商人・戸崎真人に情報をもらい、PTSDに苦しむ妻・ミランダとのすったもんだを繰り返し、徐々に蘇る記憶と共に、断片的に謀略のベールが剥がされる。

モロッコの港都・カサブランカのある場所に監禁された妻がいるとされたのは、カサブランカの西に広がるリゾート地・アイン・ディアブ。昔立ち寄ったカサブランカのこの海岸で、大西洋に沈み行く夕日を眺めていたのを懐かしく思い出す。

当たり前の様に世界を飛び回り、世界中の一級のプロ達と仕事をし、ものすごい緊張感のなか自らの力で大仕事を成し遂げる。そんな姿がかっこよく映っていた前作に比べてどうしても既視感が否めないのがとても残念。

2012年10月18日木曜日

メンター

暫く前に仕事で東京のある場所に若者向けの共同生活の場を作る提案を作成していた。

その時にアート・フェア東京のエグゼクティブ・ディレクターでもある金島隆弘氏とかなり細かい内容まで提案書を詰めていたのだが、その時多用していたあるキーワードが先日のクローズアップ現代の中でもこれからのキーワードとして使われていた。

メンター

仕事や人生に効果的なアドバイスをしてくれる相談者のことだが、アートや建築と言ったキャリアを体系立てて考えて人生を過ごしていくのが非常に難しい世界に身をおいていると、その時々に出会う自分よりやや年上、およそ5-10歳ほど上の同業者、つまり先輩にどのような接し方をしてもらったかによって、その後の進み方は大きく変わるということである。

これは年齢よりもキャリアで考えたほうが良いようで、これよりも近いと同年代ということになり差がなくなってしまい、それより上過ぎると一世代違ってしまって、やや価値観や考え方にズレが出てきてしまう。

そう考えると大学などで出会う、比較的若手の先生もこの「メンター」のカテゴリーに入るのだろうが、つまり自分よりも長くその世界に身を置き、楽しいことも苦しいことも少しだけよく知っていて、技術的なことを含めた圧倒的に多くの知識を持っていると思える人。

そういう人がどうやって、自分よりも若くて希望を持って成長していく人たちに、「どのような接し方ができるか?」、「どういう距離感をとれるか?」、それによっては、若い人の才能を大きく伸ばしたり、逆に若い目を摘むことにもなってしまう。

今だから分かるが、幸いなことに自分の場合は20代の中ごろに出会った人が、とても優しい形で接してくれて建築を教えてくれたのだと思う。本当にその時は、「この人は建築のことを何でも知っているな」と思っていたし、とても大きく見えたが、でも「そんなことは大した事ではなくて、もっと自分の好きな様に進めばいいし、こんな知識は誰でもやれば身に付くことなので、心配しなくていいですよ」と励ましてくれもした。

まさに自分にとってのメンターだったと思うし、その無償の付き合いにただただ感謝しかない。

若者なりに必死になってやっている建築を、「お絵かき、楽しそうだね」と、とても心無い言葉をかけていった人もいたように、自分の中で若い人との適切な距離を保てずに、大変みみっちい姿を曝すこともあるだろう。

そうかと思えば日本でお世話になった先輩達は、何の見返りも無いにも関わらず、同じ建築仲間として何でも教えてくれた。そしてそれを一緒に楽しんでくれた。そういう姿を見ると、いつになってもこの人をメンターだと思い続けるのだろうと思うのと共に、自分も同じように若い世代に分け与えていかないとと思わずにいられない。

そうかと言って、すぐに勘違いする若者は、何でも考える前に「楽」をするために年上の人に聞いてしまう傾向があるが、これはとんでもなく失礼に当たることを皆経験で学んでいくのだろうが、まずは、自分で考えて、苦しんで、作り出してから相談するべきだろう。

日本の様にとても狭いニッチな市場で活動をしていると、下手をすれば利益を争うことになるからと本来あるべき同業での良き上下の交流が損なわれるが、一つの学問として建築が存在する以上、全体として進歩を続けていく為には必ず必要なことである。

ふと見渡すと、かつて出会ったメンターの年頃に差し掛かり、オフィスでもその当時の自分の年齢位のスタッフに囲まれていることに気がついて、自分はおおらかに適切な距離を取って構えられているかどうか?自問自答せずにいられない。

建築写真家

建築というものが敷地を持ち、大地に根ざすものである以上、そこから移動できないという宿命を背負うことになる。だからこそ、そこを訪れることができない人に、その建築を体験し、知ってもらう為にはどうしてもメディアに頼ることにある。20世紀の近代建築がグローバルに波及したのは、普及し始めた「写真」というメディアと幸福なる共存を成し得たためで、建築家にとってはその建築をメディアに載せる上で、意図する空間をより理想的に表現してくれる建築写真家の存在が欠かせなくなる。

MADのオルドス博物館やアブソリュート・タワーの写真を撮ってもらっている、建築写真家のイワン・バーンがザハ・ハディドのギャラクシー・ソーホーの撮影の為に北京に来るというので、一緒に夕食に行くことになる。

彼と会うのは、昨年のこの時期に東京の藤本壮介氏の事務所を訪れた時に、たまたま来ていた時以来。他のパートナーはもっと会っているのですっかり気が知れた中で、PR担当者を含め近くの鬼街で火鍋をつつく。

ベネズエラの高層スラムビルを彼が撮影し、それを建築家とキュレーターと一緒に展示した、現在開催中のベニス・ビエンナーレ建築展では、見事ゴールデン・ライオンを受賞したことをお祝いする。

彼のホームページをこまめにチェックしていたほうが、世界の建築業界がどう動いているのか?が良く分かるほど、現代の建築家に愛され、その作品をとにかくよく撮影している現代を代表する建築写真家である。

今回も、重慶でスティーブン・ホールの作品を撮影し、北京でザハ・ハディドを一日撮って、急遽入ったパリのSANAAの作品をとって、来週にはNYで別の撮影といい、家のあるアムステルダムはほとんど空けっぱなしという状態らしい。

建築写真家だけあって、やはり出版社や雑誌社とのコネクションは非常に硬いようで、危機に瀕したスペインの出版社のことや、我々のアブソリュート・タワーを掲載するイギリスの雑誌社の現在の動向など、とにかく詳しいだけでなく、BIGが天津の高層ビルのプロジェクトの為に設立する北京事務所の状況などなど、一体どうやって情報収集をしているのか?と思うほどに建築の世界情勢に精通している。

そんな話を聞きな自分もたまにはアンテナを伸ばして、世界がどう動いているのかキャッチしないと思いつつも、それでもまずやるべきは毎日の設計活動だなとブレを修正し、火鍋で汗だくになりながら、中国南部と北部で進行中の我々の作品の撮影も今年後半で行ってもらう為に彼のスケジュールに入れておいてもらって、またの再会を楽しみして明日の撮影の幸運を祈って別れる。

2012年10月15日月曜日

新学期

国慶節という大型連休の始まる前に授業の進め方で先生とやり合い、数日の登校拒否のままに国慶節に入ってしまい、その最後に患った風邪と歯痛の為に一週間も授業に出れずにいたので、久々に登校した学校はなんだか新学期の気分。

クラスは新しい生徒が3人も増えており、前からの学生もいてかなりの大所帯に。なんだか軽いクラス替えの気分を味わう。新入生のレベルもかなり高いので、授業の進みもスムースでとてもやる気が上がる新学期一日目。

新入生のイタリア人のおじさんに教科書を見せてあげる為に机を近づけて授業を受けるとなんだか学生時代に戻ったようで懐かしい。東京にも住んでいたことがあるらしく、「待遇」という時を見ては、「たいぐうね」と理解するのを姿になんだか不思議な気分になりつつも、兎にも角にも連休で堕落した日常に再度「学習」をインプットすべくと気持ちを引き締める。

2012年10月14日日曜日

「International Highrise Award」ファイナリスト


MADが設計を手がけたカナダ・トロントの「The Absolute World Towers」がドイツ・フランクフルト市が二年おきに主催する「The International Highrise Award」のファイナリストに選ばれました。


フォスターのクアラルンプールの「The Troika」やゲーリーのNYの「Eight Spruce Street」などそうそうたる顔ぶれですが、どうか良い結果がもたらされる事を期待しています。


H24 2012 一級建築士製図試験 「地域図書館」


毎年この季節を前にすると、街中で大きな製図版を持ち歩いている人の姿が見かける。恐らく一般の人は何も気にすることが無いのだろうが、経験者達は皆「がんばっているんだな」と、かつての自分の姿をダブらせることだろう。

姉歯事件以降改正された建築基準法や関連法と共に、厳しくなった試験内容に苦しめられた世代にとっては、あの試験前の苦しみの日々は決して忘れることは無く、目の前の大きな黒い製図版バッグは初心を思い出させてくれる秋の風物詩となった映る。

昨年の老人介護施設に続き、今年は市町村レベルで住民に直接サービスする図書館である「地域図書館」という地域の中で重要性を増してきた機能を持つ内容が出題された。

出題内容と模範解答を見て、今年の傾向と最新の技術的傾向を研究しようとネットをいろいろと探してみるが、どこもなかなかケツの穴が小さいというか、何でもかんでも「会員のみに閲覧可能」などと、やたらと商売っ気を出してくるところばかり。

模範解答をいち早く正々堂々と無料で掲載することの方が、本当は一番の宣伝効果になるのでは・・・と思いながらこちらは偉くキップのいい下記のサイトより資料を集める。

一級とるぞ!.Net

日建学院

基本的には2方向道路接地、2方向公園接地の敷地で条件は南メインの西側サブのエントランスで、東の道路に面して通用口。図書館と言う公共性の高いプログラムだけに公園からのアプローチ考慮。

一般開架スペースを含めた図書部門、小ホールを含めた集会部門、カフェを含めた共用部門の3部門のゾーニングをごっちゃにしないようにして、吹き抜けを適切な位置に配置してそれに絡めて空調計画するのと、指定のない小ホールを1,2階どちらに振り分けるかをゾーニングを連動して考えるくらいで、環境に考慮した記述面と、構造に対する理解をしっかり示すことができていれば、これといって難しいような内容ではなかったようである。

世間には決して気づかれることは無いが、今年もまたクリスマス前後に、足の裏の米粒に泣き笑う人たちが様々な思いを胸に来年を迎えると思うと、気持ちを引き締めずにいられない。

2012年10月13日土曜日

抜歯

国慶節が始まるころ、なんだかモノを噛むたびに左の上の歯に痛みを感じる。なんだか嫌な予感はしていたが、体調を崩しているのでそのせいだろうと楽観的観測を持っていたが、休みは終わりに近づけど一向に引く様子を見せない痛みに観念をし、休み明けに奥さんが歯医者さんというオフィスのスタッフに相談をする。

こちらの健康保険の仕組みや、日本の海外保険が適応できるかなど、いろいろ相談しながら・・・と思っていたが、とにかくまずは見てもらって来ては?ということで早速、その日のうちに彼女が勤める歯医者に出向く。

こちらでは結構有名なチェーン展開をしているような歯医者で、裕福層相手だと暗示するような内装に不安を感じながら診療をしてもらう。レントゲンを取ってもイマイチ分かりにくいので、薬を塗って明後日再度診察をすることに。

とにかく専門家に診てもらうということは、安心感を得るということなんだと再確認し、引かない痛みに緊張感は増しながら最来院。今度はレントゲンに3次元スキャナーでの立体映像も撮ってみるがやっぱり中で折れているのかどうなのか、はっきりとした判断がつかないという。

こちらはできるだけ抜かずに済ませたいが、中で折れているのなら抜かずにはいられないという説明。こちらが中国語を解すると知ったら容赦なく中国語のみで説明をしてくれるので、かなり曖昧な理解になるのを恐れながら一つ一つ質問を重ねて状況を理解していく。

まとめると、中国では病院内での歯科での診療では一般的な医療保険が適用できるが、ここのような個人経営の診療所では保険適用外となり、これは中国人であろうが、中国で働き、中国の健康保険が適応されている外国人でもおなじことだという。

そして、調べると日本の海外保険でもやはり事故などの不慮の自体以外での治療では保険の対象外となるという。

日本に戻ったときにタイミングを合わせて治療をしていくという可能性を検討しても、この状況だと1ヶ月に一度は来院しないといけないので、とてもじゃないがコストが合わないだろうという判断に。

抜いたら抜いたでインプラントなら1万元以上はかかり、それ以外ならブリッジなどの方法を検討しなければいけないと、こちらの歯医者事情を疑いたくなるような値段設定に腰は引けまくりで、抜かなくて良い可能性にかける為に日本でかかっていた歯医者ならより詳しく分かるかもということで、レントゲンの写真をデータでもらって帰宅することにする。

早速日本のかかり付けの歯医者に電話し常用を説明するが、残念ながらその歯は自分は治療しておらず詳しく分からないが、状況を聞く限り中国の歯医者の判断は正しいだろうということで、ジ・エンド。

方向性が限られると今度はいかにもその判断が正しいと自分に言い聞かせるかで、今思えば、慢性的な頭痛も、首こりも、脚の痛みをすべて今回の歯痛と同じ左側。これは根本的な原因をつくっていたのはこいつだったのでは?と容疑者Xに仕立て上げ、とにかく抜いてもらう決断をくだして電話で予約。

こちらでは各先生の個人の裁量が結構大きいようで、早速週末に予約を取ってくれて、朝一番から覚悟を決めて歯医者に向かう。以前夫婦揃って一緒にサッカーの試合を観戦した縁で妻も知り合いなので一緒に同行してもらう。

中国語ということで、認識に間違いが無いか最後の確認をし麻酔を受け入れたら、あっという間に抜いてしまって、やはり根元が折れていたということ。友人ということで、特別な待遇をしてくれて、持つべきものは心の許せる友人だということを再認識しながら、痛みに悩まされたこの2週間と少し軽くなったはずの体重を思いながら帰りのバスに揺られる。

2012年10月11日木曜日

「National Art Museum Of China; NAMOC」 MAD



でも書いたが、我々も参加したNAMOC(National Art Museum of China)コンペへの我々の提出案がdesignboomに掲載されています。


今回は縁がなかったですが、いつか実力を蓄え必ず我々らしい空間をもった文化施設をこの街に設計できる様にまた明日から頑張ります。





「命の遺伝子」 高嶋哲夫 ★★


最先端の遺伝子研究、
暗殺、
ナチスの残党、
第4帝国の秘密を残す南米、
細胞の分裂回数を決める遺伝子:テロメア、
バチカンの陰謀、
驚異的な回復力を備える文明と隔離された民族。

これだけ見ると笹本稜平の本かと思ってしまうが、原発、自然災害、エネルギーとその活動を広げる作者の新しいフィールド。

「ES細胞―万能細胞への夢と禁忌」ではないが、ノーベル賞の受賞で一気に加速するであろうIPS細胞の研究が突きつけるであろう、究極の選択。それは自らのクローン製作と拒絶反応を起こさない若い細胞に満ちた「自らの」身体への移植を通して見られる不死の世界。

その時に人類に求められるのは、「神の炎」と呼ばれた原発の技術を手にした時と同様に、「どこで止めるか」の勇気と自制を持つことであるだろう。

こんなにせちがなく閉塞感に漂う世界でも、そこに生きる生命たちは未だ「たった一度の」命を生きている。そして皮膚の後ろには誰もが真っ赤な血を循環させて、フラジャイルなその存在を支えているからこそ、人生は悪くないと言えるのだろうと思いを馳せるにいられない。


2012年10月9日火曜日

ハガネの雨


午前5:30。

いつもより一時間ほど早めにセットされたアラームで目が覚めた脳は、いつもと違うパターンに一瞬何がどうなっているのか、ここがどこなのか分からなくなるようで、今日は朝一の便でハルビンに出張だと理解するまでに数秒かかることとなる。

進めているオペラハウスの仕事で、空調やら音響やらと問題が山積している細かい部分を、それぞれの担当者を集めて現地にて打ち合わせをするというので、担当の中国人マネージャーと二人でハルビンに向かう。

妻を起こさないようにと家を抜け出し、秋の冷え込みを肌に感じるようになってきた早朝の市内を抜け到着する空港で、一緒に北京から向かう内装会社の担当者と、施工図を担当する日本のスーパーゼネコンに相当するBIADの担当者と合流し、2時間のフライトで少しでも睡眠を確保しながら早くも冬を感じる北の街・ハルビン到着。

先日大きなニュースとして報道されていた崩落した橋の横を通り、クライアントのオフィスで各施工会社の担当者や音響の担当者なども合流して打ち合わせの開始。


オーディトリアム上部のキャットウォークの構造の状況と、それが現状の意匠と問題が無いかどうか。そして照明コンサルから十分なスペースと効果的な角度が確保できているかの確認など、それぞれの担当者がどんどん意見を出し合って誰が何をいつまでにするかを決めていく。

誰も外国人がいるからといって会話のスピードを緩めたり、わざわざ英語で言ってくれる訳も無いので、必死に耳を傾けながらポイントをつかみつつ意見を発していく。

それが終わると、今度はオペラハウスとして致命的な音響の問題に関して、新たに分かってきた問題点をどう解決するかを議論する。問題を見つけるのと、問題を解決する。その二つの相反する能力が建築家に必要な能力の中で大きな位置を占めるのだと改めて感じながら、また必死に耳を働かせる。

そんなこんなであっという間に昼になり、地方政府であるクライアントの事務所だけに、上の階の食堂で給食の様にみんなで一緒に食事を取り、その後は各座席からの視界の問題など、実際に作りながら見えてきた問題を解決する為に車で現場に向かう。

馴染みになっているクライアントの主任と一緒に車に乗り、建築物に辿り着くまでの敷地自体に渡る橋の現場にまずは到着し、一部完成したモックアップを見ながら具体的な寸法の調整を議論し、数日中に問題を解決する新しい案を送ることを約束する。

コンクリートの構造体に対して、がっちりと殻を被せるような鉄骨造の構造体が絡み合い、徐々に新たなる地形が生まれるように建築の姿が見え始めている現場で、それぞれの空間で見えてきた問題を話し合うのだが、内部を歩く間にどこからともなく、

「パチパチ」

と、天井を雨が叩くような音が聞こえてくる。

暗くなり始めた空の為に、夕立が襲ってきたのか?と空を見えげるが、雨の様子は見られない。よくよく見てみると、巨大な鉄骨増の接合部に張り付き、梁と接合部を溶接で繋ぐ作業員の手元で光る溶接の火花とそこから弾け、下に落ちていく小さな火花を見つける。そんな風景があちらこちらで見かけられ、それぞれに「バチバチ」、「パチパチ」なんてやっているので、全体としてはステレオで雨が降ってきているかのような音になる。

そんなハガネの雨音を聞きながら、今は内部も外部も無いこの建築化以前の構築物が、内部を持ち、建築となった時に、自分がどんな想いを感じるのか、今から楽しみだと心を弾ませる。







「小説 後藤新平―行革と都市政策の先駆者」郷仙太郎 ★★


近代都市の大きな成功例といえば、オスマンとナポレオン3世のパリの都市改造と、ヒトラーとシュペーアによるベルリンの都市改造がすぐに上がるものだが、その次にくるのはどれかと頭を悩ませると結構いい位置で上がるであろう大連。北海の真珠と呼ばれ、最も美しい都市に数えられる都市を作った男・後藤新平。

明治5年の太陽暦採用に象徴されるように、近代化を一気に駆け抜けた時代を牽引した男。

日本の力になる為に、学ぶ為にはまずは英語が必要という時代。つねに公の心を心がけ、世界を見るのが進歩につながる日々。

19歳で立派な医者になった新平に対して、現代人の我々は一体いつまで勉強を続けるのか?学んだことを真っ直ぐに実践に移せる予期時代で、腕試しをしながら技術を磨けた時代で、新しい前提を元にした社会の上に立つ人が不足していたパラダイム・シフトの真っ只中、学習後側実践が適った時代ではあるだろうが、それにしても現代における糞詰まり感はどうにかしなければいけないこと間違いない。

横井小楠の

「政治には王道と覇道がある。王道は人民ための政治であり、覇道は権力者自身の為の政治である。富国強兵士道が必要な近代化であるが、士道こそ滅私奉公であり、文武両道の心である」

という言葉を現代ほど耳に痛い時代は無いのではないだろうか。

滅公奉私の心で、誰もが「自分が、自分が」と近隣との境界線を争って殺し合い、SNSで退屈な日常をドラマタイズして自我を満足させる。

当時の官費留学というものは不足分は自分で補うのが常識で、それだからこそか貪欲に知識を吸収していく新平。それこそ学びのあるべき姿で、学ぶことへの出費こそは広げても家族の枠でまかなうべきだと再認識。

「何を語り、何を戦っているかだ」

と、浪人になっても志を曲げることをせず、

台湾、満州と渡り歩いても、原理原則で物事を見据え、鉄道、築港を基にした近代都市の骨格を作り上げていく。

そしてそこに投入されたのは、まだこれからのという無名30歳代の男達。 

東京市長に請われて就任し、郵便ポストを朱塗りにし、関東大震災の焼け野原から「復旧より復興を」と新しい東京をつくり上げた名首長。

かつての麻布の自宅跡は今では中国大使館が建っており、新平によって朱に染められたポストに投函された、彼の領土問題への様々な意見が、今またこの地に届いていることだろうと想像せずにいられない。

「人のお世話にならないように・人のお世話をするように ・そしてむくいを求めぬように」

自治三訣を掲げ、ボーイスカウトでもNHKでも総裁を勤めたその晩年。総理となることなく71歳にて永眠した青山霊園に足を運ぶごとに、次世代を育てることも立派な政治家の役割で、今の東京市長はじめ、「俺が俺が」の滅公奉私ではなくて、士道をもって、スッと身を引く真の滅私奉公の体現者が新しい時代の都市を作っていって欲しいと、心から思わずにいられない。


2012年10月7日日曜日

暑さ寒さも彼岸まで

「暑さ寒さも彼岸まで」とはうまい事を言ったもんだと思う。

夏から秋へ、そして冬へと一日一日確実に季節は移り行くということを感じる長期休暇の最後の日。朝晩の気温差は油断ならず、薄手の布団をかぶって寝ようものならば、胃腸と扁桃腺の弱い自分はあっというまに風邪をこじらすことになる。

二日前から風邪を引いた様子の妻は、どこかに出かけていなくて帰って良かったかもねといいながら、休みが終わるにつれて調子もよくなってきていたのだが、最終日に自分がかかるとは、まさに間抜けとはこのこと・・・

なんとかここで止めないと・・・

喉に広がる前にと行きつけのマッサージ店に行き、担当してもらってるマッサージ師に相談して、結局カッピング(拔罐)をしてもらって、タコのようになりながら、喉鼻に行きませんようにと祈りながら家路を急ぐ国慶節最終日。


2012年10月2日火曜日

「プロメテウス」リドリー・スコット 2012 ★★★★


1979年に「エイリアン」で描いたドロドロの未来。


その世界から30年以上の時間を経て、マトリックスもアバターも見せられた後に、それでもリドリー・スコットの描く未来はどんな姿をしているのか?その興味は尽きない。

「人類はどこから来たのか?」

遺伝子工学が発達し、人類のDNAが解明されればされるほど、人類の誕生のシュミレーションが行われれば行われるほど、どこかで見つかるミッシング・リンク。それは誰かの恣意性。それの答えにあげられるのは「リング・らせん」の鈴木光司の世界か、それとも地球外生命体か。

至る所に自作に繋げようとする作為性が感じられ、単作としてはあまりにもひっかかるところが多すぎるが、30年前には想像しきれなかった未来が何だったのか?

より皮膚との距離を縮めた宇宙スーツや3次元的液晶スクリーンなど、30年前に捕らえ切れなかったのは、身体と環境とのインターフェイスが厚みを消していき、身体の拡張機能として役割がより加速することぐらいで、30年前に描いた未来がそれほど古びることなく成立していることはただただ驚くのみ。

構造物に未来性をもたらす為にはやはり巨大性に頼りつつ、古代的な単純幾何学に頼るしかないのはやや残念だったが、シリーズとしてのイメージを踏襲するのに仕方が無いのかと受け入れつつ、もう一度エイリアン・シリーズを見直さなければいけないとなと、なんだか嬉しい宿題を与えられたような一本。

これを見せられたジェームス・キャメロンは今度はどんな未来で自作のアバターに挑むのか楽しみだ。















2012年10月1日月曜日

違和感


長いことモヤモヤしていた違和感。それが少しだけ晴れたような気がする。

海外に住んでいると、日本で出会う人というのは本当に限られた階層の人だけだということに気がつかされる。ひょんなことから、いろんな国のいろんなバックグランドを抱えた人間に出会うことになる。そんな訳だから出会う日本人もまた、日本ではなかなか知り合う機会が無いような人とも知り合うことになる。

この国のエネルギーに触れたいとたった一人で国を飛び出し、完全に一個人としてこちらの社会に溶け込んでいる人もいれば、常に日本を見ながらこちらの生活が嫌で嫌でしょうがないという人もいれば、誰が耳にしても知っている一流と呼ばれる会社から期間限定で語学研修というとても恵まれた待遇を与えられて来ている人もいる。

そんないろんな人と話していると、それぞれの人が「何を当たり前」と思って話しているのかによって、会話のがとても違う方向に流れていくのを感じる。

我々が通う様な語学学校で出会う数少ない日本人は、何かしら自分の興味や趣味などに惹かれてかしれないが、個人として海を渡った人が多く見られ、自分も含めてだがその人たちにとっても、この学校を選んだ理由の一つとしてあげられるのが、授業内容のレベルに対して比較的リーズナブルといえる授業料であるだろう。

そんな人にとってはできるだけ短い時間で、中国人と変わらないくらいの語学力をつけて、語学でデメリットを受けないようにし、仕事を見つけたり仕事の幅を広くしていくことが主な目的となる。もちろん授業料も実費で払っているわけだから、一日でも早く支出を止めて、収入を増やせるようにするのは死活問題となる。そんな訳だから一時間の授業にどれだけ払い、それからどれだけ自分の語学のレベルが向上したか?そのコスト・パフォーマンスへの眼差しは否が応でも厳しくなるのは当然。

それに対し、有名な語学学校でマンツーマンの授業をコスト感覚無しで好きなだけ受けることができ、しかも一年や一年半などという長期に渡って計画的に学習だけの時間が持てるような人の立場からでは、上記の様な人々の姿は決して視界に入らない。そして暗に聞こえてきそうなのが、「自分はそれを得るだけの努力をしたから当然だ」ということ。「会社が費用を出してくれて、海外経験ができて、語学も勉強できその後のキャリアアップにつながる。こんなラッキーなことない。」と。

決してその立場に立っていない自分たちへの愚痴でもないし、彼らへの羨望からくるのでもないが、いつもこういう状況に出くわすとなぜだか感じる違和感。そして一度高みの視点を手に入れてしまうと、それよりも低い位置からの風景は決して頭の中に蘇ることがないという現実。

組織として守られながら必ず戻る場所としての日本を視界に捉えてすごすその時間と、一人の個人として世界で生きるために必然として過ごすその時間。その二つに違いがあるのかと言えば、多くの人は効率がよければいいだろというのだろうし、誰もがその違いを明確に言いえなくても、それでも残る違和感。

かつて読んだ本の中の一言で、援助交際する女子高生が
「誰にも迷惑かけていないのに、何が悪いのか?」
という問いかけに似て聞こえる歪んだ論理立て。

「 それは自分自身の魂を傷つける 一番ひどい暴力なんだ。」
その問いに対して返された答え。

近年見えてきた日本のひずみ。「上には上の理論があるんだ」と、庶民の感覚からはとても理解ができない抜け穴を見つけ、それによって誰かが膨大な利益を得るように便宜を図る匿名の官僚機構。「日本の為にやっている」、「自分にはその権利がある」と。この権利を行使する為に、今までの人生で大きな努力を費やし、競争に勝ち残り、それで大きな国益を守る為に汗を流したその結果として、少しくらい自らが豊かになっても何が悪いと。

本当に努力をして権利を勝ち得た人というのは、本当にその境遇に感謝し、得るべきものを公に還元する真の滅私奉公を体言できる人のことだと思わずにいられない。それに対して今の日本を動かすべき立ち位置にいる人々は、すべて日本と言う国に依存して生きながら、決して一個人としての力では立つことなく「私」をむさぼる。

大人になるということは、大人のフリをすることで、少しでも賢く生きることが必要なのだろうが、そうして国から公が消え、「自分」だけが残り、「家族」すら崩壊し、徐々に全体が朽ちていく。そんな国では子供達にどんな「明日」を語るのだろうか。

そんなことを思いながら、「誇りに思うよ」と言葉を投げかけると、ポカンとした妻の表情を見ながら、少しだけ晴れた違和感の中せめて自分が二本の足で立つその場所だけは見失わずにいたいと願う。