2012年12月31日月曜日

「リターン」リザ・ジョンスン 2011 ★★★


Return

ある場所に戻ってくること。つまりある時間にはそこに居なかったということ。

隊に従軍し、戦場での勤務より帰還する一人の中年女性。
空港で笑顔で迎える家族。
馴染みの仲間と馴染みの場所で過ごす心休まる時間。

の、はずだが、戦場で体験した事柄によって、当たり前に過ごしていた時間、当たり前にそれを過ごし続けている周りの人々、それに感じる違和感。

酒を飲んで、バカ話に興じる女友達。
ヴァラエティー番組をひたすら見続ける夫。
単純労働をただただ繰り返すだけの毎日。

それに嫌気がさして、「やってられない。こんなの無駄だ。」と、
何の理由も伝えずに職場放棄。

戦争というシビアな現実を過ごしたことが、
周囲とのギャップとなって、それがより上位の時間だとすり返られる。

ある場所に居なかったということは、別の場所で時間を過ごすということで、
それはもともと居た場所で同じように過ごしていた人々は、
それでも同じ時間を過ごしている。

違う場所で時間を過ごせば、当たり前の様に見るものも考えることも変わってくる。
違うものを見たからこそ元のものも別の様に見えるのは当たり前。

だからといって偉くなった訳ではないのに、それを受け入れられずに、
マイノリティーであるにもかかわらず、
自分の考え方を強制し、自分の方が優れていると勘違いする。

周囲との摩擦は強まるだけで、
そしてそのギャップに苦しむのは自分であり、
受け入れることができずに、どんどん偏差は広がるだけ。

それが元の場所に戻るということ。

これだけグローバル化が進んだ現代。
生まれた場所から離れて住まうことも日常化してきている中で、
往々にして自分にも訪れうるリターン。

その時に自分が何を受け入れるか、それを強く突きつけられる一本。

2012年12月29日土曜日

クアラルンプール Kuala Lumpur


小さい頃は、「クアラルン・プール」だと疑わなかったので、「クアラ・ルンプール」だと知った時は少々の衝撃だったが、マレーシアでも「KL」と約して使うと聞いて、この気持ちはどこに持っていけばいいのだろうと思いながらマレーシア随一の都市へと着陸。

マレーシアの首都なのだが、人口約160万人ということで神戸市あたりと同じ規模だと考えると、なんとなくスケール感がつかめるが、それから考えると、世界最高の位置に君臨していたペトロナスツインタワーを始め多くの超高層ビルが建ちながる中心部の風景には、やはり一国の首都としての威厳を感じずにいられない。

地元の建築家の友人も、ペトロナスツインタワー建設時はツインタワーということもあり、タワー1を日本のハザマが、タワー2を韓国のサムスンが施工し、競わせることでより良いものができたんだと、笑いを交えながら教えてくれたが、パリにエッフェル塔があり、ロンドンにビッグ・ベンがあるように、KLにはこのペトロナスツインタワーがあるという、都市のイメージとして君臨するまさにアイコニック建築。

結婚式を控えた地元の建築家友達から薦められたホテルは「12歳以下はお断り」という、日本でやったらものすごいクレームが飛んできそうなクールなポリシーを掲げるホテルで、東南アジアにやってきたと感じさせてくれるような空間構成をした、とても心地のよい宿泊施設で、数日の滞在の幸先の良さを感じながら荷物を解く。

バチェラー・パーティー(Bachelor party)ということではないが、新郎新婦の近しい友人で前祝をということで、二人の手配で指定されたバーに向かうが、中心街の高層ビルの一つの屋上で、ペトロナスツインタワーを目の前にしたバー。プールもありで、いかにもこの街の「今」若者が集まりそうな雰囲気。久々の再開の喜びを伝え合い、そしてウィッシュ・リストが分からなかったのでということで、KLで見繕った結婚祝いを手渡し、こういうバーにありがちな如何にもすぐに悪酔いしそうなウイスキー割りをチビチビ飲みながら、香港、北京、東京、シンガポールそしてKLと、二人のこれまでの人生をトレースするような場所から駆けつけた友人たちをそれぞれ紹介されて、ボーダーレスな生き方を再認識する。

が、なんといっても外国独特のものすごい爆音の音楽のために、横にいる妻に話をするのも大声を張り上げなければいけなく、とてもじゃないが初対面の人と話が盛り上がるのは無理。しかも風邪で喉がやられているもので、二人そろって声を失い始めたので、一番手だが先にお暇することに。

朝起きてみると、少し喉の調子が良いようで、一年通して大きく気候の変化がおきない地域だからこそ可能だと思われる空間で遅めの朝食を取り、大きなショッピング・モールが立ち並び、どこのモールにも同じようなブランドのお店が金太郎飴の用に現れる、そんな取ってつけたようではあるが、それでも今一番KLで賑わいを見せて、多くの若者があつまるブキッ・ビンタンのショッピング・モール内のレストランで行われる披露宴に向かう。

昨日は結局3時近くまで飲んでいた・・・という着飾ってきた顔見知りたちと話をしながら、中華系マレーシア人の花嫁と、中華系シンガポール人の新郎ということで、しかもシンガポールでは新郎の親戚と友人を中心に一度披露宴をやってあるので、今回は花嫁中心の披露宴ということで、KLに住む花嫁側の親戚と、小さいころからの仲の良い友人たちに混じって、各国から集まったバラエティ豊かな出席者。

日本では考えられないくらい、「ゆるい」進行に沿いながら、のんびりと4時間くらいかけてすべての料理を味わって、クライマックスは親戚一同が舞台に上がって、みんなで「ヤーーーーン。セン!」と叫びながらの乾杯。長く息を続ければ続けるほど、幸せになれるという、中国の慣習だという。

東京に遊びに来ていたシンガポールで働くタイ人のランドスケープ・アーキテクトとも久々の対面に喜びを伝え、相変わらず「どの本がお勧め?」という質問攻めにタジタジし、OMAで働くという花嫁の従兄弟と今年のビエンナーレのキュレーションの行方について話をし、東京に遊びに来ていた時に何度か遊んだ花嫁の友人たちとも久々の再開を喜び合い、結婚式という幸せが溢れる時間をみなと共有する。

華僑ということもあり、会の主要言語は、客家語か福建語よく分からないが、普通語ではない中国語だったかと思えば、ちょっと特徴のある英語、そしてマレー語が入ったりと、多言語をボーダーレスで行ったりきたり。誰もそれに疑問を持たないようで、単一民族単一言語の日本人の頭は聞いてるだけで煙が出てきそうになるが、昔から人も物も流れる場所に住む人たちにとっては、20世紀の国家の境界線というのはまさに便宜上のもの以外の何者でもなく、当たり前の様に言語の壁を飛び越え、言語の壁が無いからこそ、生きる場所の壁も軽く跳躍していくのだと妙に納得。

それにしても、この国の人は本当に楽しむために生きていると言ってもいいように、ちょっとした会話でもかならず冗談を挟みこんでくるのだが、それが誰も傷つけない感じの良いジョークで、人も社会も自分も切り刻むかのようなブラックなブリティッシュのような暗さが無いので、時間を共有するのがとても心地いい。改めて日本人の人生の楽しみ方の下手さを痛感する。なによりも楽しむことが何よりの上位に来る。その豊かさを2012の終わりに感じることができて改めて感謝。

結婚式が終わって街をブラブラし、まだまだ続くクリスマスの雰囲気に包まれて、賑わいに誰もがウキウキしている雰囲気を共有し、この街のリズムを楽しむ。

大晦日である次の日は、朝から観光だということでペトロナスツインタワーに向かい、その足元にある水族館で、やはり日本の水族館とはちょっと違った演出を楽しみ、夕方からは新郎新婦が手配してくれた住宅街に地位する貸し別荘で、皆でワイワイしながらカウントダウンをするということで、我々も参加するために向かうのだが、昨日はめかし込んでいた女の子たちが今日はラフな格好でマレーシア料理を振舞ってくれる。

北京であったことのある知り合いが来ていて懐かしあったり、日本から来ていた知り合いの彼氏と木彫りについて盛り上がったりと、思い思いの時間を過ごしながら調子に乗ってワインを飲んでいたら、咳止め薬との相性が悪かったのかすっかり足元がおぼつかなくなり、カウントダウンまですっかりダウン。

後30分ほどでというところで起こされて、屋上のテラスに上がってきた皆と一緒にポツポツと上がり始めた花火を見ながらワイワイいってカウントダウン。

「Happy 2013!!」

と、叫んでいると、ずっと地元民だと思っていた飛び跳ねるようにはしゃいでいた女性が、実はこちらに住んでる日本人だということが発覚し、男子に比べてやはり女性はぴょいぴょいとボーダーを簡単に飛び越えて、しかも行き先でちゃんと馴染んで楽しんでいくんだなと、心から感心してしまう。

カウントダウンは終えたが流石に疲労困憊ということで、別れを惜しみながらまたの再会を約束して、すっかりウツラウツラ状態でホテルへと。

元旦の朝はゆっくり寝坊をし、別れを惜しむようにパッキングを終えて南のバスターミナルへ向かって、バスにゆれながら次に向かうは世界遺産の街マラッカ。



































「The Kid with the Bike」Jean-Pierre Dardenne 2011 ★★



父親に育児放棄された少年。

自分を捨てるはずはないと、孤児院から抜け出してはひたすらに父親を探し回り、自分を愛してると疑わない。

その想いは純粋だけに、目的以外の人間に対してはひたすらに獰猛。

ありふれた貧困物語だが、ひょんなことから少年に遭遇し、里親として少年を週末だけ預かる美容院の女性。彼女から捧げられる無償の愛が少年に、徐々に希望を与えていく。

愛する人と生きること、そして愛を捧げる対象を持って生きること。

ささやかだけれども、それがどれだけ人生に意味を与えるのかを教えてくれる一本。

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第64回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作品
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原題:Le Gamin Au Vélo
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2012年12月28日金曜日

「30代が覇権を握る! 日本経済 」冨山和彦 PHPビジネス新書 2012 ★


現代の社会構造の基本は、戦後生まれの日本では「団塊」と呼ばれる世代を中心に形成されてきており、その当時にこれからの社会の前提とされたことが崩れ、システムとして成り立たなくなっているのに関わらず、「大多数」であるその中心世代の既得権を守るために、「歪な形」で社会が持続させられ、既に労働という社会を支える役割から退き、社会に支えられる側に回っている団塊世代が、高度成長という時代に乗って蓄え保持する3分の2を超える個人資産を市場に回す形で現役労働世代に再分配することなく、むしろ歪な社会保障制度と年金制度を楯にして、十分な蓄えがあるにも関わらずさらに年金という現役世代の給与よりもはるかに多い給付金を、資産もなく、所得も少ない貧困現役世代からそれでも搾取しつづける。

こんな仕組みがある限り、この国は破滅に向かって一直線であり、生まれた時代という選択の余地のないまま「負け組」世代の先頭を走り、苦しみながら、それでも歩き続けなければいけない30代に、いい加減無理をするのをやめて「革命」を薦め、逆に団塊世代には、十分おいしい思いはしてきたのだから、これから先は「自分だけはもっとお金を・・・」と国から、引いては自分の子供や孫たちに負担をかけて死んでいくのではなくて、この国の未来のために美しい自ら進んで犠牲になる「品格のある」振る舞いを要求する。

構造改革だ、規制緩和だと叫ばれて、なんとなしに時代の空気に誘われて「頑張ったものが報われる社会になるのなら、それで貧乏になっても自己責任だ」と新しい社会の在り方を肯定してみたものの、個人の力がはるかに及ばないところで起き始めた世界経済の構造変化。ウォール街で声を上げた人の中に、派遣村で寒さを凌いだ人の中に、どれだけの年金受給者がいただろうか?絶縁社会や、孤独死、消えた100歳老人や生活保護の不正受給。この5年でポツポツと湧き出した諸々の事象はその下に流れるマグマの様な根本的な問題の一側面に過ぎなかったことが明らかになりだした10年代。

その最大にして最強の原因が、かつての青図とすっかり逸脱してしまった歪な社会構造。世代間の人口がこれほど異なるという人類史上初めて経験する事態にも関わらず、1票の格差を遥かに超える世代間の不平等がまかり通る社会保障や年金制度が維持されて、若者がその力を発揮しようにも、「まだまだ現役で」と暴走老人が社会の真ん中で既得権を抱きしめながら仰け反っており、自分のお金を出すのはいやだと、個人資産はひっそりと金融商品につぎ込んで、まったく機会すら若者に与えない現代。「最近の若者は元気がないから。戦って勝ち取らないと」と既得権の土俵の上でほえ続ける老人達を白い目で眺める若者達。

現状と想定のギャップの大きさは誰もが理解するが、それを補正するためには誰もが血を流す必要があるけれど、若者に対してより大量の血を流すことになる団塊世代が社会の舵取りをする限り、どんなに頑張っても構造改革は行われず、個別論としてすりかえられて結局は問題を後送り。そんなことを繰り返すこの10年。

それでも未だに「姥捨て」や「老人狩り」が行われないのは、やはり日本人としての良心のなせる業だと思わずにいられない。

本当はもっと怒るべきである現在の若者。その中でも最も声高に、もっとも激しく行動に出るべきは、逆風を一番受けて生きる現在その職業人として一番心技体の能力が高まる時期を迎えようとする30代。どんなに怒っても、一番苦労する世代。

人口1億程度の国土と現状に合致した日本らしい新しい次の社会構造に変化するのに少なくとも30年はかかる。その時には職業人としてのプライムタイプを既に過ぎ、今度は次のプライムタイムを謳歌する世代のために品格ある行動で道を譲り、迷惑をかけないように山をおり、たまに必要なときには求められれば助言をして生きる世代。

報われない世代だと誰もが理解し、それでも自分達の子供たちのために、新しい日本のあるべき社会構造への変革期を、想いを持った同年代の同志達と連携しながら、誰かが力を抜くのでは無く、誰かが倒れたら方を貸すように助け合いながら人類史上最も激しい逆風を生き抜こうと決めた寡黙な世代。

あまりの勢いに足がよろけそうになった時に、そっと後ろから支えてくれるのが、品位ある退き方を見せてくれた団塊の世代であってほしいと願うのは自分だけではないだろう。


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目次
第一章 若い世代の活力を甦らせるために
――団塊世代よ「悠久の日本国民」の声を聞け!

[1.下山するなら自力で下りろ!]
/日本は本当に下り坂に入ったのか?
/若い世代に負担をかけるな、登る人の邪魔をするな
/経済力の低下、その先にくる本当の悲劇とは?
/自力で下りられる財力はあるはずだ

[2.多数派は自ら決断せよ!]
/世代間の闘争は起きるか
/「悠久の日本国民」の声なき声は反映されない
/「ティーパーティ」と「ウォール街を占拠せよ」
/政治的思惑と打算で動く日本政治
/「市民」不在の「市民運動」
/TPP問題、東電問題への対応
/「都会vs地方」という論点も曖昧に
/「大阪維新の会」のアジェンダを見よ
/真っ先に超高齢社会になる日本が見本に
/まず世代間の不利益の再分配が必要

[3.決断が遅れると、痛みはどんどん大きくなる]
/高齢者の医療費をどこまで負担するのか
/最終局面で決断したJALのOB
/NTTが負けた年金額の削減問題/裁判所の判断は絶対ではない
/既得権も、もとをたどれば取得権
/一律カットでは改革にならない
/「みんなで一緒に」の建前は吹っ飛ぶ
/心ある「上の世代」の人々へ

第二章 塩漬け預金を社会に還元する方法
──年金と医療の見直しで上の世代のストックを吐き出させる

[4.国のお金は自分たちの税金だ!]
/なぜ世代間賦課方式になったのか?
/社会保険料も税金も国民のポケットから出ている
/負担を上げて、給付を下げるしかない
/AIJ事件も根っこにあるのは、公的年金の制度破綻
/国のお金は納税者のお金
/年金の再分配では国はエージェントにすぎない

[5.手持ちのストックで老後を過ごしてもらう]
/どうやって所得移転をはかるか
/資産課税は有効か?
/資産や所得のある人には年金の支払いをストップする
/死は避けられない。ならばどう死ぬか

[6.「あるだけ解散」と「長生き保険」創設で年金問題は一気に解決!]
/もそも年金保険とは何なのか
/最低限の保障を公的年金で
/既存の公的年金は「あるだけ解散」でご破算にする
/よくある反論は反論になっていない
/憲法違反論もナンセンス
/長生き保険で、給付も負担も劇的に減る
/理想は目的税としての「社会保障税」

[7.ふくらむ医療費をどう抑えるか]
/どこまで保険でカバーすべきか
/すべて自由診療か、自由診療は一切禁止か
/医療費の上限は自分で決められるべき
/高齢者の一割負担は是か非か
/団塊の世代以降は「もらうに値しない」
/ 大人は年齢に関係なく三割自己負担にせよ
/長生きし、年を取ること自体は、もはやかわいそうでも不幸でもない

第三章 日本人に合った税体系と働き方
──労働市場改革で若年層へ雇用と所得を移転する

[8.より公正な税金のあり方とは?]
/税による再分配には限界がある
/借金財政もじつは若者からの搾取
/寄付を活用できないか
/「たとえば貧困対策に使われるなら納得」

[9.定年廃止、解雇規制緩和、完全能力給の導入]
/定年制は年齢による差別だ
/労働市場の三位一体改革で若年層雇用の再生を
/日本的雇用は経済合理性から生まれた
/35歳を過ぎたらあとは落ちるばかり!?
/知的労働的な仕事が増える時代の雇われ方
/厚労省と文科省の仕事を民間企業が代行してきた
/労働者の生産性に応じて公平に賃金を支払う責任
/生産性を省みないもう一つの不幸……人材流出

[10.働き者の日本人は“生涯現役”が理想]
/仕事が最大のエンターテイメント
/関係性を断ち切られることは苦痛でしかない
/ソーシャルネットワークが「関係性」を強化した
/カイシャ延命政策よりNPOなどのサブコミュニティ支援を
/「関係性」は働くことで維持される
/幸せな老人だから税金を払う

第四章 グローバル時代の人材育成──
大学再生と格差解消のための教育システム

[11.大学を職業訓練校へ]
/学生に対してまともな教育ができていない
/オリンピアンとジョギング好きを一緒にするな
/そもそもビジネススクール、ロースクールは高等職業訓練校
/企業が教育にお金をかけなくなってきた
/文系の学生には必ず簿記の勉強を
/英語の入試も大学の評価もTOEICで一本化
/プロフェッショナルとアカデミックの垣根が低い米国
/司法試験ってどうよ?
/実学、プロフェッショナルスクールで真に一流の先生とは?
/教えるプロを育てる

[12.格差固定・貧困の連鎖を断ち切るために]
/正社員の枠から漏れた人の「ハンディキャップ」とは
/収入の差が子どもの世代まで受け継がれる
/教育バウチャーで格差解消
/単なるバラマキではなく、評価と一体に

[13.教育サービスには競争原理を]
/アジアの人たち、コンピュータとの競争
/格差拡大のもう一つの現代的な要因
/実質的「機会の平等」……何を規制し何を緩和するのか
/職業訓練能力でレーティングを
/東大が改革の先頭に立つべし!

第五章 日本の強みを生かした成長戦略
──医療とエネルギー分野でイノベーションを

[14.超高齢社会にフォーカスせよ!]
/高齢医療、福祉、介護の分野にイノベーション!
/日本得意のすり合わせ技術の世界なのに……
/遠隔医療がつくる新しい産業
/人間の可能性を信じるか、信じないか
/過疎化+人口減が先行する地方でシミュレーション
/復興特区と「なんちゃって規制緩和」
/「抜けている」リーダーの決断力

[15.電力不足がイノベーションを生む]
/オイルショックと日本の「エネルギー革命」
/通信イノベーションの歴史と電力産業の未来
/電力自由化からスマートグリッドへ
/最新の技術が最も信頼性が高くなる
/エネルギー分野でアドバンテージがある日本
/電力会社こそ市場改革、産業イノベーションの旗手となれ!

[16.グローバル競争に打ち勝つために]
/ソフト面の売り込みが課題
/経営トップの多国籍化が必須
/GDP(国内総生産)からGNI(国民総所得)へ
/九割以上がアウェイの市場で戦う
/本社自体がグローバル化しなければ戦えない
/「日本生まれの企業は日本の会社」
/国内向けB2Bでも稼げなくなる
/ケイパビリティとシェアード・バリュー

第六章 リアル革命のススメ
──近未来、いまの三〇代がこの国の覇権を握るために

[17.日本的革命の論理とタイミングを理解せよ]
/まだ十分に悪くなっていない日本!?
/5年後ぐらいが一つの分水嶺
/ムラ人たちの革命はいつも曖昧
/イデオロギーで革命は起きない
/「リアル未来主義」を武器に、弁証法的に身をかわせ!
/科学の神話で命を落とす人を減らすために

[18.世代の戦闘能力を高めよ!]
/親子の対話が一つの鍵
/「名誉革命のススメ」をしつこく繰り返せ!
/革命の練習は職場から
/世代的な団結を強めることの重要性
/固有名詞と集合名詞の使い分け

[19.選挙に行くことはとっても大事]
/政治家はとても選挙の結果に敏感
/こういう政治家には投票するな!
/最高裁判所裁判官国民審査で×をつけることの重要性
/若い世代の投票行動が新しい政治構造を生み出す

[20.若い革命家が老練な抵抗勢力に足をすくわれないために]
/上の世代の悪魔のささやき
/マスコミに加わる宿命的なバイアス
/インフレタックス論vs財政再建論
/改革派が内部分裂を起こしやすい理由
/名声、権力、お金のすべてを手に入れてはいけない
/課題最先進国ニッポンの30代よ、世界のさきがけとなれ!
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2012年12月27日木曜日

「The Dinosaur Project」Sid Bennett 2012 ★


手持ちのカメラと備え付けられたカメラからの映像で臨場感を出すタイプの映画を見ると、どうしえも「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」を想起してしまうが、音声までそのクオリティーにされると、何度もパソコンが壊れたのかとチェックをする羽目になるのでやめてほしい・・・


カメラが壊れてブラックアウトしたり、恐竜につけたカメラからの映像が水に潜ったり、上下に揺れたりと、飛行機の中で見るとなおさら酔いそうになるだけで、とても集中して話についていけなかったが、コンゴのジャングルの中で恐竜らしきUMAの目撃談を追って組織された探索チームが森の中に向かうと、こうもあっさり恐竜が出てきちゃうのもなんとも気が抜けるが、なぜ現代まで発見されなかったか、どういう生態系になっているのか?なんていう理論的な背景はぶっ飛ばし、首長竜に見とれていると急に濁った自ら飛び出してくるシーンは、しばらく夢に見そうになりそうなくらいのインパクト。

ただしこれでは、日本での公開は無いだろうなと納得する一本。

新しい時代にあった飛行機の乗り方

年末年始。様々なところから家族で過ごす故郷に向けて、いろんな人が移動する時期。

北京からKLまでの6時間強のフライト。3人がけの席の後ろに陣取ったのは、夫婦と小さな女の子と赤ん坊。チケットが必要な年齢に達していないためか、その席の横にはもう一人若い女性が陣取って、3人がけに5人が座るという事態になり、航空会社のスタッフが「これはありえない」となにやら揉めている様子。「この子達は2歳に達してないから。」という夫婦の説明によって、なんとか横の女性が我々の座る席の間に移動して落ち着く。

そんな訳で、その夫婦、早速空いた席に上の子を座らせてスペースを確保するが、飛び立ちもしないうちからその上の子が泣き叫ぶ。周囲の乗客(正月を国で過ごすと思われる、マレーシア人や正月休暇をあったかい場所で過ごそうとしている外国人)も、さすがに子供だからと、みな困ったなぁという視線は送るがそれ以上何も要求できずという状態。

せめてあやして泣き終えるようにするとか、何かしゃぶるものを与えるとか、少しは周囲に迷惑がかかってしまって申し訳ない的な行動を取るのかと思っていたが、心の相当強い夫婦なのか、それともまったく社会性をどこかに置いてきてしまったのか、それとも自分たちだって困っているんだと開き直ってしまったのか、それとも子供を持つ親というのは大変なんだという方向に行ってしまったのか、とにかく何らかの対応を取る気配はない。

それどころか後ろをチラッと眺めると、泣き叫ぶ二人の子供はほったらかしに、ウトウトと眠りに落ちる夫婦の姿が目に入る。しかしこの子供達は更に激しく泣き叫び、まさに阿鼻叫喚の様。しかもそれが日本人というオチ。

用意しておいた耳栓を奥まで詰めても、アイフォンに入れておいた激しい音楽を最大ボリュームでイヤホンに流しても、その声は鼓膜まで届きBGMとして成り続ける。どうせ眠ることは無理そうだからと激しい音楽を聴きながら、この問題について考えをめぐらせる。

年末年始、ネット上でこの問題に対してあーだこーだと問題になるが、子供は泣くものだとか、子連れでは飛行機に乗るなとか、泣く子供連れならビジネスに乗れとか、逆にそれだとより高いお金を払って苦痛を感じずに旅をするはずのビジネスシートの意味が下がってしまうとか、子供を持った親じゃないとこの苦しみは分からないとか、その場の感情論的な意見は多々あるが、恐らくこれは時代が変わりインフラがその変化について来れていない歪の現れである。

昔の親は子供が自制が効くまでは、このような空間を他人と共有する行動はしていなかった。泣いてしまう子供がいるのなら、時間がかかっても車で高速道路を使って里帰りし、車内で泣いてしまう子供でも、家族としてその時間を受け入れていた。それに比べて今の親は、公共性や他の人に気を遣わず、便利であることだけで公共交通を利用して、迷惑の押し付けが多すぎるという意見も聞く。

しかし、やはり公への気の遣い方のモラルハザードはあるとしても、グローバル化が進んだ世の中において、どうしても個人で所有できる移動手段では辿りつけないほど、家族と自分たちの住まう場所の間に距離ができてしまったことは間違いなく、そうなると公共交通手段に依存をしなければいけなくなるのはしょうがない。

だからといって、「私も大変なんですよ。困ってしまっているんです。だから文句は一切受け付けません」的な雰囲気を醸し出す親たちの姿が正しいのかといえば、それもまたそうとも言えない。

そうならば、そういう抵抗することのできない社会の変化に対応すべく、公共のほうもシステムの在り方を柔軟に変化させていくほかない。数年前に「女性専用」という摩訶不思議な車両を東京の鉄道会社が導入し、世界に日本の異常性を見せ付けたが、今こそこのような空での時間の過ごし方に対して、独自の対策を採用する航空会社が現れるべき時代に入ってきているのだろう。

それなら何が可能かというと、やはり子供連れの乗客にはある一定のシートを「優先して」割り振り、他の乗客と距離をとって空間を分離する方法しかなくなってくるように思える。KLで宿泊予定のホテルも、明確に「12歳以下の子供はお断り」とうたっているように、これは「差別」ではなく「区別」であり、たとえ自分の子供が泣かなかったとしても、同じ子供を持つ親としてそのリスクを共有し、その空間を共有すること。そんなことを実行する航空会社がでてきてもおかしくない時代に来ているのだろう。

後部の座席は子供連れが座るようにして、前に来るにつれて、ところどころに防音の良く効くカーテンで仕切っていく。泣いた子供をあやす姿を横の親が「大変ですねぇ」という言葉にも、これならより一層の重みが加わるというもの。

グローバルに展開する世界では、如何に「差異」化するかが生き残りの道であり、その中では逆に子供連れの乗客はお断り、という航空会社が出てくるかも知れない。そうすれば、子供連れもOKですというチケットはもう少し安くなって差異化が加速し、後は顧客の「選択」次第ということになる。リスクを知り、自らが「選択」をした結果であれば誰も文句は言えないが、「選択」が与えられない中で、ただ「偶然」に乗り合わせてそれを強制されるよりははるかに納得感が増えることになる。

自分の立場によって意見がブレまくるこの問題だが、時代の流れを考えると、上記のような勇気ある航空会社が現れるのもそう遠くは無いなと確信する。

どんな時代に入っていっても、公共性というココロを失うことはしたくないなと心に誓う空の上。

ランカウイ Langkawi


建築というのはどちらかというと国境に関係なく仕事ができる分野の一つだと思っているが、それを反映するかのように建築家の友人も同じく世界中に広がることになる。

20代を海外で過ごすことの大きなメリットの一つは、独り身の気軽さから出歩くことも多くなり、その出歩く先々で知り合う様々な友人と人生に渡って付き合いができることもある。仕事・結婚・出産など人生を彩る様々な場面を共有することができる可能性があるということだが、かつて北京で知り合って、その後東京大学に国費で博士号を取得しに来た中華系マレーシア人の友人が、中華系シンガポール人と結婚するというので、半年前以上より招待を頂いていた。

こうした機会でもないと、年末年始に海外で過ごすということをなかなか正当化できないどちらかといえば古典的な家庭で育った自分に、重い腰を上げるのに十分な言い訳を与えてくれる。

そんな訳で数年前から日本でも広く知られるようになってきたマレーシア発のLCCラインAir ASIAでチケットを数ヶ月前に予約し、機内サービス無しの6時間の中距離フライトに戦々恐々としながらも、Wish Listはどうしよう?ご祝儀はどうしよう?と、文化圏の違う国の結婚式に出席する楽しさを味わいながら迎える年末。

仕事納めの日の深夜北京発の便なので、逃げるようにオフィスを抜け出し、パッキングを終わらせて、深夜1時過ぎの便目指して北京空港へ。これでもか、と言うくらいに手際の悪いチェックイン・カウンターのスタッフのせいなのか、ネットで予めチェック・インをしてこない乗客のせいなのか、どちらかは分からないが昨今まれに見るほど恐ろしく待たされたチェックイン手続きを済ませ、後ろの席で、子供二人が泣き叫び続けると言う地獄のような6時間を経て到着する早朝のマレーシアの首都クアラルンプール。

そのまま国内線へと乗り換えて向かうは、現地の友人から東海岸はこの時期はモンスーンで雨が多いからと逆に進められた西海岸北部、タイとの国境近くに浮かぶランカウイ島。

見るべき建築が無いと分かった瞬間から、旅の主導権を妻に譲渡してあったので、海とジャングルに囲まれる島で、夫婦そろって旅行直前でかかってしまった風邪が悪化し、完全にグロッキー状態だったが、マングローブをめぐったり、香辛料の強いマレーシア料理を楽しんだりと、珍しくのんびりと過ごす3日間。

熱すぎずも無く、湿気も高くもなく、じんわりと身体も頭もほぐしてくれるような空気に囲まれて、一年の疲れがほぐれて行くのを感じながらマレーシアのアイドリングに丁度よろしい島滞在。