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2012年8月20日月曜日

「ベイジン 上・下」 真山仁 ★★


比較的長くに渡ってはまっている作家・真山仁。毎回違う分野において、世界のトップで闘う男の肌がヒリヒリするような生き様を描いてくれる。

原発と中国というタイムリーなトピックに誘われて、帰国したときにブックオフで一冊350円にも関わらず購入する。

あとがきを読んで納得だったが、えらく北京の詳しい街並みや、生活事情に精通しているな、と思っていたら、加藤喜一氏が取材の手伝いをしたということらしい。

それにしても、これほどこの国の表も裏も深く描けるには相当な知識と理解が必要になるだろうととにかく関心してしまう。

毎夜それは生まれ、毎夜それは消えるのの  
それは希望
歌劇『トゥーランドット』より

ロンドン・オリンピックが終わったばかりだが、オリンピックの開幕式と言う、世界的な戦争が無くなった現代社会において、唯一国家が大手を振って国家予算をつぎ込める4年に一度のハレのイベント。

一点の収束点に向かって加速する狂気的な熱狂の中に一体何が含まれているのか?

先進国に名を連ねるターニング・ポイントだった2008/8/8日の北京。そこに先進国として虚も実も必要とされる世界最大級の原発の開発および運転という試金石。そこに技術責任者として日本から赴く主人公。

「能力もなく努力もせずにヌクヌクと生きている連中が生理的に許せない」

と、コンプレックスをもてあまし、激しいまでの正義感に燃えるもう一人の主人公。


「希望とは、人が生きる原動力だ。どんな酷い目に遭っても、どんなに貧しくても、希望を失ってはならない。そして、人々から希望を奪う者がいれば、我々は勇気を持って闘わなければならない。」

という全体と通してのメッセージ。

序章 開幕一時間前
第1章 ミッション
第2章 郷に入っては
第3章 嵐の中で
第4章 柳絮は風に
第5章 鉄飯椀
第6章 カウントダウン
第7章 ブラックアウト

というなかなかよろしい章題に沿ってテンションもピークに達していくのだが、どう描いてもいろんな問題を起こすか消化不良におちいるか、という悩みを抱えて挙句、そこまで描かないと決断したかのような断絶のような終わり方だけは納得いかないというところか。

2011年11月21日月曜日

「上と外 上・下」 恩田陸 2003 ★★★★★



「フリーダム」と「リバティ」の違いを学んだ中学生時代に読んでいた漫画の舞台は南米で、インカやマヤといった南米大陸の奥に忘れ去られたかのような古代文明を通して繰り広げられた物語は、若い自分に南米を十分すぎるほど冒険の舞台としての印象を与えた。

大人になってもまだまだ異国としての響きを失わない、遠い国としての南米を舞台として、中学生を主人公としてマヤ文明を描く物語となれば、何故もっと早く読まなかったのかと悔やまれずにはいられない。

「科学の進歩は必ずしも人間を幸福にするわけではない」

自然との共存のイメージとして現代文明に対して対比の位置づけで使われ古されたマヤとはまったく違った切り口で描く下の世界。

「後悔ってのは一番くだらない。人生は無為に過ごすには長すぎ、何かをしようと思えば短すぎ」

地球の裏の南米と、職人が油にまみれる日本の工場を繋げる現代のグローバル世界の描き方。

「いいか、いつも自分の手を動かしておけ。いつも動かしておけば手はお前を裏切らない。楽しようとしたり、誰かに押し付けようと思ったりして動かさなくなったら、その瞬間にお前の手はお前を裏切るようになる。自分の手を動かさなくなった奴に限って偉そうなことを言う。キチンと自分の手を動かして、なおかつそれに見合うだけのことを言っているのは相当立派な人物だと思っていい。」

アマゾンの熱帯雨林にヘリコプターから落っこちて、もの凄いスピード感で展開される新世界。生命に恵みを与える森が、獰猛な姿を見せだす夜に感じる不安を主人公と共有しながらめくるページ。

「料理というのはじっくり作るのも大切だが、時には何よりスピードが優先される時があるんだ。今にも死にそうな人がいて、一刻も早く病院に運ばなければいけない時に救急車を作り始めるバカはいない。リヤカー 担いででも運んでいかないといけない。質は悪くなってもどうしても速さを優先し、期限に間に合わせることが一番大事な時がある。何かをする時、それがどういう仕事か考えるんだ。質が大事か、速さが大事か。今やらなければならないのか、長い時間をかけてやった方がいいのか。それを常に考えていないと時間は無駄にどんどん過ぎて行く。」

こういう話を読んでいると、学校の教室で学ぶことよりも一日の冒険が与えることが如何に多いかを痛感し、冒険を可能にする舞台がどれだけ残されているのかに想いを馳せる。

「面倒がらずに自分の知っていることを説明してくれる」

描かれるとても魅力的な男たち。

「心配も喜びのうち。怒ったり、嫌になったり、そういう相手がいるっていうのも喜びの中に含まれる」

同じくらい魅力的に描かれる女たち。

「不安というのは膨れるのが速い。恐れや恐怖を吸い込み、目の前のものを何も見えなくする。」

そして何よりも中学生という最も多感で、不安定で、そして向う見ずなことが可能であった「あの時」の気持ちを見事に描き、引き込む作者。息子を持つことになったら、ぜひ中学生になるくらいに読ませたいと思える一冊。

2011年11月14日月曜日

「趣都の誕生―萌える都市アキハバラ」 森川嘉一郎 ★★★













多くの人にとって、秋葉原というのは、
「電気街で部品を売っているお店がたくさん集まっているけど、オタク系の人が集まる様なお店も沢山あって、ちょっとよく分からない」
というのが一般的な捉え方だろう。それを著者は
「趣味が、都市を変える力を持ち始めたのである。」
として一連の考察をスタートさせる。
秋葉原の電気街としての成り立ちは、下町だったという歴史的な要因、東京電機大学の学生がラジオの組み立て販売を始めたという電気系専門学校が近かったという地理的な要因、そして戦後にGHQによる露天撤廃令という行政的要因が絡みあってできたが、それはあくまで需要が先行した大企業的などの介在によらない自然発生的なものだった。
その後、所得倍増計画が描いていた家庭像の蜃気楼として家電販売店が中心となるが、コジマなどの郊外型の量販店の台頭により、ガレージキット専門店の集中し、街は家族連れの街からオタクの街へと変化していく。
オタク趣味の店は目立つ位置に出るのは抵抗があり、裏通りの専門店の中に隠匿されていたものが、個室空間の都市への延長として一気に都市空間の表に躍り出る。
一般の人のオタクと呼ばれる人への視線は、「退行的で社会性に乏しく、アニメから卒業できないまま大人になった。」
「対人的コミュニケーションが不得手で現実の女の子と付き合えないから、架空のキャラクターを代償にしているのではないか」という内容のものが多いのだろうが、ディズニーオタクというのは基本的に存在しないことによって、性的対象としてのアニメ絵の存在が否定し得ないことをあげる。
アニメの王道といえる「性と暴力」、つまり「美少女とロボット」が混成してできたのが、セーラームーンなどに代表される「戦闘的美少女」。2大モチーフのキメラとしての存在。その美少女の眼は異様なほど巨大化し、それは西欧文化の影響に伴う美人観の変化と、また赤子や幼児の顔のプロポーションの特徴を兼ね備える。
そして欲望を風景としてみることができるコミックマーケットは趣味が空間を分節しているのであるとし、「すべてのサークルがほぼ同じ大きさのスペースを割り当てられて並列的に並べられる。階層性のないレイアウト」の特徴を挙げる。
ラブコメ都市東京 ―マンガが描く現代の〈華の都〉ではあらゆる街がミニ東京と化した現代においては、東京ラブストーリーに代表されるように東京は、地方出身の同窓生の再会というドライな機能のみがかろうじて残されているに過ぎず、リアルなディテールに乏しいマンガの世界は、特記なき限り東京であり、特別な場所的描写がなされない場合にそこが東京なのである。として半径1kmの日常と化した東京を描き出す。
オウム真理教の山梨県上九一色村・サティアンがデザインがほとんど施されず、工場や倉庫に近い外観を呈していたという点において、宗教建築のイメージから大きく逸脱するものであったことより、その圧倒的なデザインの欠落に対してデザインされたものに対する無力感、あらゆるメディアを駆使して信者にマインドコントロールを施そうとした教団が、建築意匠をこれに動員しなかったことへの驚きをえがく。
オタクという人格類型の呼称を定着させた宮崎勤のオタクの空間感覚。我々世代が共有するテレビに映されたあの個室の異常性。
東京という首都自体が高度成長期の頃のような進歩的な活力を失ったことの事実。現在東京に建っている高層オフィスビルのほとんどはミースの甘いコピーであり、組織設計事務所がコピーし、日本のゼネコンが移植してきた風景であり、逆にル・コルビュジェのユニテ・ダビタシオンが郊外の団地郡の風景として移植された。
東京の戦後の都市風景の第一フェーズは西新宿のような60年代的な作られ方とし、第二フェーズは民主導で渋谷と池袋に代表される西武的空間。それはテーマパーク的で無印良品という西武が作り上げた総合ブランドに代表されるようにライフスタイルそのものが街のコンテンツとする。そのモデルの標的は、ディズニーランドに変わったとする。それはロバート・バンチューリの「ラスベガスに学べ」の文脈にのっとるもので、その先にくるのが秋葉原的趣味の都市風景。この一連の流れは「官」→「民」→「個」だとする。渋谷が建物がどんどん透明化するのに対して、趣味の都市、秋葉原は不透明化するのも特徴としてあげる。
韓国などはアニメやゲームを国家的戦略産業として国をあげてのバックアップ体制をとっているが、ドラゴンボールやポケモン、スーパーマリオなどの特大の外貨獲得商品をほっておいた腰の重い日本もそろそろ動きだすようだが、あくまでもサブカルとして上から目線を取り払い、すっかり韓国勢にやられた家電に変わる一大産業へと育てあげてくれることを期待する。
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目次
序章 萌える都市
第1章 オタク街化する秋葉原
2章 なぜパソコンマニアはアニメ絵の美少女を好むのか
                 ―オタク趣味の構造―
3章 なぜ家電はキャラクター商品と交替したか
            ―〈未来〉の喪失が生んだ聖地―
4章 なぜ《趣味》が都市を変える力になりつつあるのか
             ―技術の個人化が起こす革命―
5章 趣都の誕生
6章 趣味の対立
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2011年10月10日月曜日

「骸の爪」 道尾秀介 ★












「背の眼」の続編で、作家がモデルの主人公が今度は滋賀県の田舎の仏を彫る工房に取材にいくのだが、そこでまたまた不思議な現象に巻き込まれ、友人の心霊研究家の真備とその助手の凛の三人で再度時間を解き明かすという流れ。

目次も

第1章 笑う仏
第2章 血を流す仏
第3章 殺す仏
第4章 消える仏
第5章 生きている仏
第6章 宿る仏
第7章 最後の仏
終章 仏人を殺すか

となかなか期待を高めてくれ、明王というのは全部バラモン教の神様で、それがヒンズー教に取り入れられて、それを最澄・空海が持ち帰りそれぞれの密教の中への融合していく。

真言の五大明王である不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王。
天台の五大明王になると金剛夜叉が鳥枢沙摩(うすさま)明王に変わる。

なんてことは、仏像マニアでない限りなかなかとっかかりが無いので、またしてもフムフムと読んでしまう。


しかし、この設定。いつまでも続けられるな・・・と思いながら、安定感はあるが、それ以上のワクワク感はなくなってきたと思わずにいられない。

2011年9月28日水曜日

「背の眼 上・下」 道尾秀介 ★★★












ここ数年の文学賞を総ナメにしている勢いのある作家で、「向日葵の咲かない夏」もそこそこ楽しめたので、最近作が文庫化される前に以前の作品を読んでおこうと手にした第5回ホラーサスペンス大賞特別賞受賞作。

自分自身と言える作家が主人公で、福島の田舎で遭遇した不思議な現象を心霊研究をしている大学時代の友人に相談に行き、そのアシスタントと3人で事件の謎を解いていく、という分かりやすいストーリー。

天狗のルーツは、古代中国で彗星を見た人が、それを尾だと思い、天を駆ける狐、天の狗そして天狗へと変化し、それが日本古来の山岳信仰に組み込まれ、役小角(えんのおづぬ)を開祖とする修験道に仏教が融合し、天台宗、真言宗の山岳仏教へと発展し、その山伏の姿がいつしか天狗のイメージへと定着していく。

という話はなかなか面白かった。

「在るものを見るのではなく、見えるものを在るとする」という心霊の本質をつく言葉にふむふむとし、駱駝の背中に藁を乗せ、その一本を乗せると背中がポキリと折れる最後の一本があるという「ラストストロー現象」も、ほぉーっと聞いてしまう。

そんなわけで、流石に物語を読ませる安定感は感じられ安心して読めるが、大きな期待にこたえるほどではなかったのが率直な感想か。