2005年2月25日金曜日

サロメ


中国の女性の多くは自らの英語名を持っている。
マリア、エンジェル、アリスなどなど。
いかにもな名前が殆どなのだが、友人の一人にサロメなる英語名を持つ子がいる。
ユダヤの王女にして、預言者の首を狩りその唇にくちづけをする舞姫サロメ。
そんなサロメに「ゴッホの絵を出すオークションがあるので行きましょう」と誘われた。

サロメならビアズリーに行けよ、と心の中で思ったがちょっと気になったので誘いにのってみた。

フランスのアート投資会社が中国の顧客を開拓するためのイベントだったのだが、アートへの投資が欧米でどのようなシステムの下行われているのか、各国におけるアート作品に対する税の違いなどのレクチャーが進み、世界で一番高額で取引された絵の話になった。ピカソかゴッホでしょ?と思って聞いていたら、両巨匠を抑え見事一位に輝いた画家の名前を聞いて「ほぅ」と納得。

グスタフ・クリムト。なるほど「接吻」か、とつっこみそうになったところ、「アデーレの肖像」ですと・・・。なんでも、かつてナチに没収されたいたコレクションを、最近競売にかけたところ最高額が出ましたとのこと。その額150億・・・

そしてこの話をうけ、会場の一人の中国人男性が質問を。
「ナチがしたように、大戦中に日本軍が大量の中国美術品を押収していったんだけど、それを返させるような国際法もしくは国際機関みたいなものはないのか?」と。

そういう風に繋げるか・・と聞いていると、オークション・ハウスは
「残念ながら今の段階ではそういう機関や法はありません。イラクを見てみなさい。米国や英国が全部持っていってしまったじゃないですか。それでも皆さん英国美術館いくでしょ?」と。

いや、大人な対応。
サロメなら首狩ってただろうな、
と一人で想像しながら会場を後にする。

2005年1月10日月曜日

サーフェイス・ライフ


多言語を習得するということは、いろんなことに気がつく機会を与えてくれる。

言語はもちろん同じ数の単語があるわけではなく、例えば日本語は動詞の数が少なく、副詞で「しとしと雨が降る」などと、雰囲気を補う言葉が発達している。逆に英語は名詞の数が多いのではと思う。道と歩道の段差の角を指し示す言葉があったりと、細かく世界を表記していこうという意思が感じられる気がする。

しかし最近思うのは、多言語習得は根気よくほんとうに細かいところまで気にかけて実につけないと逆に母国語のが手薄になるという欠点を持っている気がする。

他の人が母国語でいろいろな本を読む時間に、他の言語の基本単語を勉強し、他の人がいろいろな言い回しや、高次の思考を発展させているときに、日常会話を身に着けているということになる。しかも得てして雰囲気で覚えることが多く、それが実際何をさすのか、細かい発音や意味を飛ばして身に着けることとなる。つまり多言語を話す子供のようなものだ。

これがまずい。

論理的議論を交わすような場面で特にそれが顕著に現れる。表面的な教養はある場面で簡単にめっきをはがすと言うわけだ。

ちょっとまじめに勉強しなければ。と思い、インターネットを検索し、批評のページなどにアクセスするが、またサーフェイス。

コピーして読んだ気になっている。

ああ恥ずかしい。