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2016年11月10日木曜日

ブラジル学生館(Maison du Brésil) ル・コルビュジェ(Le Corbusier) ルシオ・コスタ(Lucio Costa) 1959 ★★★



RERとメトロを乗り継ぎ、パリを縦断して次に向かうのはパリの南に位置するパリ14区の最南部。14区といえば、モンパルナス墓地が属する区であるが、モンパルナス墓地は区の一番北に位置し、対するこちらは区の最南端に位置し、国際大学都市(Cité Universitaire)と呼ばれ、パリで学ぶ留学生のために建てられた巨大な学生寮が集中するエリアである。

広大な敷地には各国の名が冠せられた寮が全部で37つあり、非常に緑豊かで快適な住空間が守られている。その中の二つ、ブラジルとスイス学生館が、20世紀の巨匠・ル・コルビュジェ(Le Corbusier)によって設計され、今も使われているということで、ぜひとも見学したいと足を運んだ次第である。

地下鉄の駅Cité Universitaireから隣接するモンスリ公園(Parc Montsouris)の脇を抜け、5分ほどで敷地の中へと入ることができる。途中不思議な単語をカタカナで並べた日本学生館の脇を通り、足元に転がる銀杏の実を拾うおばさんとすれ違い、目の前に現れるのがブラジル学生館(Maison du Brésil) 。1959年の完成であるからすでに半世紀使われ続けていることになる。

ピロティの下の空間からうねりとあふれ出るようにしてゴツゴツとした岩肌を感じさせる素材で覆われているボリュームをまわり込み正面に出る。ピロティの空間もエントランスも、目に入る一つ一つのエレメントがまずは構成としてしっかりとデザインされており、なおかつその一つ一つが素材や形、さわり心地など、しっかりと考えられ、時間をかけて設計されたというのが伝わるものになっている。これは本当に感動することであり、現在の我々が身をおく、現代の設計事情では何かを犠牲にしないとたどり着くことは難しい実感のあるデザインの数々に、我々は情報を得て豊かになったのだろうかと強く考えさせられる。

ちょうどタバコを吸う為に外に出てきた管理者が「見学かい?」と聞いてくるので、その旨を伝えると、数ユーロを支払って1階のエントランスホールのみ見学が許された。外光の取り込み方とそれに対応した色の配置、直線と曲線の組み合わせ、背の低いホールに対しての家具の高さ、手に触れるすべてのものに対して、何か個性を感じさせるデザインの数々。そして降りてきた学生の姿や張られた写真の数々で、そこに住まう学生が生き生きと生活を営んでいるのが手に取るように分かる。

きっと技術的には当時としては最先端であったであろうが、今で考えれば非常にベーシックな言語を使っており、ここの部位に対してしっかりとスケールをあげて設計がされていれば、こうして半世紀が過ぎていようとも、しっかりと愛されながら使われ続けることができるのだと改めて実感し、建築の中で変わる必要の無い普遍的な部分と、そしてデザインが時代を超えて人をひきつけることができること、そして現代の建築家が陥っている底の見えない穴のような状態にも改めて目を向けさせてくれる傑作の建築であろう。




パリ14区











































2016年2月17日水曜日

音と光に快適性

中国での日常から離れ、日本でしばらく過ごしてみると、日常の中での圧倒的な快適性の違いが身に沁みる。それが一体何に現れているかと考えをめぐらせて見ると、人々の振る舞いはもちろんであるが、それよりも音と光という目に見えないものへの気配り、制御が大きな影響を与えているのだと改めて実感することになる。

例えば空港について、入国審査を終えるまでに通る通路でも、ガラスなど硬く音を反射する素材が多く使われている空間の中で、歩きやすくそして音を吸収してくれる絨毯が大きく作用し、習慣の異なる様々な国の人が訪れ、時に周りの人を気にせず大声で話す人々がいても、柔らかな吸音面のお陰で落ち着いた空間が迎えてくれる。

どこかの空港であれば、ピカピカに磨かれた大理石の床にダウンライトが反射して目に痛い思いながら、大声でしゃべる人々の声が反響してさらに身体を刺すかのように迫ってくるのだろうが、ここでは窮屈な機内から解放されて、ほっとする空間が身体にも優しい。

夜になれば自分の存在を誇示するかのように、ギラギラと照らしつけるだけの照明ではなく、間接照明を多用し、必要充分な照度を確保しつつも快適な空間になるようにとの配慮が感じられる照明計画がいたるところで感じられる。

「自分、自分」と前にでるよりも、全体としてどのような落ち着いた空間にできるか、その周囲への配慮を、どれか一つの建物が無視することであっという間に壊されてしまうその雰囲気。そのような暗黙の了解がある種の風景を創り出しているのだと改めて実感する。

目に見えないものだからこそ、その後ろにある気配りや配慮がより差を生むことになり、モノが溢れ、そこの豊かさの差異化が見えづらくなったからこそ、音と光の快適性がより重要性を持ち出したのだろうと思わずにいられない。

2016年2月12日金曜日

宿のクオリティ

数日間、違う温泉地で、異なるタイプの宿泊施設に泊まってみると、それぞれの宿が何に重きを置いているのか、どこまで細かく気を配って接客をしているのか、もしくは商売っ気たっぷりにできるだけコストカットをし、それがサービスの質として出てしまっているのかが見えていないのかなどなど、様々なところを比較することができ、それぞれのサービスが価格に適しているのかどうか判断できることになる。

例えば、昨今の隣国から押し寄せる空気汚染に対応してのことだと思うが、旅館の各部屋に設置された空気洗浄機。もちろんこれもある意味現代における宿側の気配りであり、ありがたいことは間違いなのだが、その音がゴゥゴゥ鳴り響き、静かな宿での時間は見事に壊されることになる。

またこの空気洗浄機。ピカピカと青色に光ったり赤色に光ったりと、吸い込んでいる汚染物質の量によって自らのパフォーマンスを知らせてくれようとしているのだろうが、日常のリビングにあるならまだしも、こうして非日常の旅館に来て、夜寝ようと思っても視界の端でチカチカと光り続けるのはなんとしたものか。

恐らくこうしたことは宿側にとっては、日常の風景であるから気がつくのは難しく、そうなると客側の視点を踏まえて選ぶ機器を選択していくかというところまで気を回すのは、そうとうなレベルということになってしまう。宿のメンバーが客としてどこかで宿泊し、そのときにどんなサービスが心地よく、どんなサービスが過剰であり、どのようにして自らの宿泊施設に取り入れることができるか?そんな不断の努力を積み重ねていくしか、変化の激しい現代社会においては「サービスの質」を向上ではなく維持していくことすら難しい。そしてそこにどれだけ投資をすることができるか。

本日宿泊するのは阿蘇に向かい奥まったところにある温泉街、湯平温泉。その中でも随分おくに位置する旅館に宿泊したのだが、部屋数もスタッフで無理の無いように対処できるだけに留めておいて、自分たちが思う心地よいサービスを提供することができるようなシステムをどうやって作ることができるか。それをじっくりと考え込んだということがひしひしと感じることができる非常に気持ちの良い宿である。

それに比べ昨日宿泊したのは中津市の八面山金色温泉の宿。こちらはコストカットの影響なのか、全体的な商業主義の雰囲気は漂うにもかかわらず、全体的に手と視線が届ききっていないのが見てとれ、数度受付にいっても誰もおらず、頼んだものも部屋には届かず、食堂に食事にいっても係りの人はバックヤードから出てこず、食事の説明を頼むと厨房まで聞きに戻る始末。恐らく地元のパートのおばさん中心に運営が賄われており、正社員でないから宿泊客に快適な時間を過ごすためのサービスを教え込むための教育にも時間がかけられていないのが感じ取れる。

それならばこの二つの宿の価格が違うはずであるのだろうが、そういう訳ではない。そう考えると、湯平温泉の宿の経営努力は素晴らしいものだと思わずにいられないし、また何かの機会で宿泊する機会があるのなら間違いなく湯平温泉を選ぶであろう。

これは高級だからとか、大衆向けだからとか、働く人の質の問題だとかそういうことなのかと、そんなことを思いながらこれは建築の設計の現場でも同じであり、例えば、アマンや星野やの様な快適なサービスを提供することに対して高額な対価を貰うような宿があり、そういう場所で、客の要望を深く考え、一挙手一投足まで考えてサービスを提供し、それに対して喜びを感じるような若者が多くこぞってその様な高級志向のホテル産業へと就職をしていく。もちろん彼らは熱意を持っているから向上心も高く、学ぶことを繰り返して元々高い意識を持っていたのを更に高めていくことになる。

それに対して、最低限のサービスを提供し、安い宿泊料を売りにする施設では、ただただ給料の為に働き、そこでの喜びや自らの向上などはまったく気にせず、与えられた仕事を与えられた時間だけ行い、クビにならないようにこなして毎日を繰り返す。そんなスタッフが集まってくる。

これは異なるニーズをもつ宿泊客がいる限り、それに対応するバラエティをハード側が持つために必然なのであるが、今回のポイントはどの宿もいわゆる同じ価格帯であるにも関わらず、その実は酷い差があるということ。そしてその差はネットで見た限りでは見破ることはできず、そして恐らく一見の客が満足してリピーターとなるよりも、地元の客が気楽にこられるような場所にしていたほうがビジネス的にも都合がいいということなのだろう。

外からの見てくれは非常に良いが、クオリティという意味では大きな差があり、快適さという部分では比べ物にならない。そしてその質というのは、いくら一人ががんばったところで保てるものや達することのできるものではなく、そこで働く一人ひとりの意識の奥まで何を求めるのかが浸透して、付け焼刃ではなく長い時間の末ににじみ出てくるのものであろう。

2016年2月11日木曜日

風の丘葬斎場 槇文彦 1997 ★★★★


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所在地  大分県中津市大字相原
設計   槇文彦
ランドスケープ オンサイト計画設計事務所
施工   飛鳥建設
竣工   1997
機能   火葬場・斎場
規模   地上2階
建築面積 2,514m2
延床面積 2,259m2
構造   RC造・S造
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第11回 村野藤吾賞
1998年(第39回) 建築業協会賞(BCS賞)
2002年度 公共建築賞優秀賞
2003年度 グッドデザイン賞金賞(ランドスケープデザイン)
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事前に訪問の予約を入れていたので、なんとしても時間通りに辿り着かないとと、途中予定していた他の訪問地を飛ばして向かったのが日本で建築を学んだものなら一度は足を運んで見たいと夢見るこの風の丘葬斎場。

時間通りに到着して訪問の旨を伝えると、多くの来訪者があるのが感じられるように、非常に快い対応をしてください、案内を渡される。昨日としては市営の火葬場と斎場ということで、他の家族と鉢合わせにならないように、動線は一筆書きで回れるようになっており、島根県立出雲歴史博物館でも使われていたコールテン鋼パネルによる入り口サインの脇を通って、火葬棟から巡っていく。

「死」と向き合い、大切な人を送り出す場所として、静謐な光と闇の感じられる空間が大きさを変えながら迎えてくれる非常に素晴らしい空間の連続。線と面がそれぞれの接する場所で様々な処置により見切られ、要素として独立し、様々な表情の光を内部に取り入れる。外部の人工性の感じされる風景は決して見えることなく視線を制御され、動線を巡るにつれで、徐々に奥に奥にと誘われる感じ。

火葬棟を抜けると木の内装で落ち着いた雰囲気の待合棟。それぞれのコーナーに、人がどう触れるか、どうあれば移動を助けるのかを感じさせる様々なディテールがアクセントをつけている。そしてこの中心にはかの有名な階段が鎮座する。

先に進むと左手に古墳を含む広大なランドスケープが広がる。そちらから見るとこの建物自体がある種の古墳の様に、風景の中に溶け込んでいるのがよく分かる。ランドスケープ・デザインを手がけたのは島根県立出雲歴史博物館でも協同することになるオンサイト計画設計事務所。

ガラスのルーバーを左手に見てさらに進むと、突き出したキャノピーが空間への入り口を指し示し、促されるままに内部に入ると高さを持った斎場が広がる。天窓と足元だけの外光により、最後のお別れと行う場所として浮遊感を与えてくれる。一人でこの空間を巡れることは非常に幸せなことだと思いながら受付に挨拶をして建物を離れる。

槇文彦氏の作品を見てみると、40年以上の実務の後に手がけられた作品だというのが見て取れる。

1969年 代官山集合住宅(ヒルサイドテラス)第1期(41歳)
1973年 代官山集合住宅(ヒルサイドテラス)第2期(44歳)
1985年 スパイラル(57歳)
1989年 テピア(61歳)
1989年 幕張メッセ(61歳)
1990年 東京体育館(62歳)
1997年 風の丘葬斎場(69歳)
2003年 テレビ朝日(75歳)
2013年 フォー・ワールド・トレード・センター(85歳)

これだけ濃密でありながら、過剰な表現にならず、なおかつ風景に溶け込み、そして葬祭場としての機能を見事に果たしている姿を見ると、数十年後にこれほどまでに建築を巧みに操作できるかどうか、学ぶことは沢山あるなと少々嬉しくなりながら宿へと向かうことにする。