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2016年10月27日木曜日

「ミュージアム」 巴亮介 2013-2014 ★★★★★


「人気コミック実写化」として2016年秋の話題になっており、「ここ数年の面白い漫画とは何か?」と調べた際にもその名前が挙がってきていたので、「それならば」と手にしたみたが、「なるほど」となっとくしてしまうほどの衝撃作。

なかなかグロテスクなその内容から、恐らく一般的にうけているのかどうかは分からないが、物語の展開や人物像の作りこみは相当なものでありつつ、漫画だからこそできる常軌を逸した表現も助けて、もの凄いスピード感で読みきってしまう作品であり、3巻完結という潔さも非常に好感が持てる作品である。

「新世界より」「悪の教典」が描く様な、サイコパスという常識がまったく通じない異物が世界を壊していく中で起こるある種のカタルシス。ネットの登場によって欲望が拡張され、そして見えにくくなった現代だからこそ逆に不思議な現実味を帯びてしまうそんな世界を描いた見事な作品であろう。

2016年2月4日木曜日

Grotto 芦澤竜一 2009 ★★


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所在地 兵庫県芦屋市
設計   芦澤竜一
竣工   2009
機能   商業ビル
規模   地上5階 地下1階
建築面積 322m2
延床面積 1431m2
構造   鉄筋コンクリート造 一部鉄骨造
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関西を拠点とし確実にその存在感を高めている印象のある芦澤竜一。横浜出身で早稲田にて建築を学んだが、その後大阪の安藤忠雄事務所にて勤めることをきっかけに、独立後も大阪を拠点として建築活動を展開しており、いくつかの作品が「訪れてみたいな」と思うリストに入っていた建築家である。

そして作品があるのは日本有数の高級住宅地というイメージの芦屋市。神戸や大阪のように都市化が進むわけでもなく、かといって田園風景が広がるわけでもなく、のっぺらな住宅地がダラダラとスプロールするなく、しっかりと計画・区画された住宅地が、市の条例によって敷地を小分けにして、小さな家が密集するように大衆化せずに、しっかりと住みよい街というイメージを保つ努力の甲斐もあり、東京の田園調布などと並び、全国的にも有数の高級住宅地として名を轟かしている。

田園調布は渋沢栄一がエドワード・ハワードの「田園都市」の理念に共感し、都市と田園生活の両方のメリットを兼ね備えた都市型住宅地を目指して作り上げられ、都市というものは骨格がしっかりしていれば、長い年月でも壊されることなく生き残ることを見事に証明しているエリアであるが、こちらは北は六甲山が聳え、南に大阪湾へ続く緩やかな傾斜地に南の海に向けての眺望を確保しながら、香港の九龍半島やそ香港島の白人専用街区をモデルにして都市計画が作られたという。その中でも特に高級住宅街「六麓荘町」が有名らしく、小説でも谷崎潤一郎の「細雪」や、山崎豊子の「華麗なる一族」といった物語の舞台にもなっている街である。

東京に残る、江戸の御屋敷を源とする高級住宅街、たとえば紀州徳川家の下屋敷を元にした渋谷の松濤。伊達家や南部家の下屋敷を元とした麻布などの、「アースダイバー」で描かれるような地形の力を見せる住宅街の流れではなく、あくまでも明治以降の都市計画の学問から生まれた計画都市。建築に身をおく者として、その街並みはぜひとも一度見てみたいと思っていた場所である。

この街で目指すもう一つの建築である芦屋市民センターもすぐそばにあり、車を止めて徒歩で実際の場所を探すことにすると、少し歩いた場所に切り立った崖のように現れるコンクリートの量塊をすぐに見つけることができる。「小さな洞穴」というような意味を持つ「グロット」と名づけられたこの建物は、幹線道路沿いに建蔽率一杯に建てたのではないかと思うほどに巨大なスケールをもって現れる圧迫感を持ったコンクリートの塊に、大小異なる正方形の開口部が開けられ、部分的にガラスが嵌め殺しで内部空間に接している部分と、開口部がそのまま外部につながりその後ろに半屋外空間を持つ黒い影の二つの表情を異にする開口部がリズムをつけている。

やはり安東忠雄事務所出身者ということで、コンクリートを利用する場合は、どうしても新たなる意味づけを意識するものだろうか、梁を逆さにして天井面から構造の表現を消し去って、がらんとした表情を作り出したり、いろいろな手法を用いて、建築が機能する建物としてまとってしまう様々なスケールをあらわす要素を排除しようとする意図を様々なところで感じることができる。

複合商業施設としてクリアしなければいけない様々な条件がへばりついていたプロジェクトであるのは容易に想像できるが、それでもある挑戦を成した痕跡がこれだけ見えるのは、強い志を持って設計に向き合った結果なのだろうと、強い納得感を感じで次へと向かうことにする。













2016年1月10日日曜日

「四月は君の嘘」 新川直司 2011-2015 ★★★★★


この数年、いろいろなところでその噂を目にすることの多いこの漫画。とにかく評価が高いのと、既に完結していると言うことも手伝って入手して読んでみることに。

なるほど確かに凄い漫画だと納得。今までの漫画のフォーマットを飛び越えて、音楽を使ってすばらしい時間やリズムの感覚をコマ割の間に挿入してくるその方法は、多くの高評価を得ているのも十分にうなづける。

漫画で描かれるすべての要素が濃縮されたそんな物語。ピアノコンクールという多くの人に馴染みの無い世界での熱狂を、リズム、スピード、そしてゾワゾワする感じを駆使して描きながら、その舞台に立っている主人公たちも、普段の生活では普通の中学生であり、その年代の子供たちが感じるどうしようもない恋の気持ちに振り回されながら、一日を棒に振り、誰かと一緒にいても、本当に好きな誰かがはっきりしてしまっている、そんな気持ちにうまく向き合えないままに日々を過ごす。

そんないくつもの物語が非常に良いバランスで複層されており、ショパンからラフマニノフへ、そしてチャイコフスキーへと曲とともにテンポを変化させながらページをめくっていく体験を強いられる。

なんとも独特な音楽を、時間の感覚を伴った漫画体験。人気に推されてズルズルと引きずらず、11巻でスパッと終えたのも、曲の長さには適切な時間があるのだと言わんばかりの心地よさを感じることになる。

2015年11月29日日曜日

「蜩ノ記 」 小泉堯史 2014 ★

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スタッフ
監督 小泉堯史
原作 葉室麟『蜩ノ記』
脚本 小泉堯史・古田求
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戸田秋谷:役所広司
檀野庄三郎:岡田准一
戸田薫:堀北真希
水上信吾:青木崇高
松吟尼(お由の方):寺島しのぶ
三浦兼通:三船史郎
慶仙:井川比佐志
中根兵右衛門:串田和美
戸田織江:原田美枝子
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日本アカデミー賞で岡田准一の最優秀助演男優賞など数々の賞を受賞したと様々なメディアで報じていたのをよく覚えている。直木賞受賞作品の「蜩ノ記(ひぐらしのき)」の映画化ということもあり、間違いない作品だろうと見てみることに。

描かれたのは江戸時代。城内にて問題を起こした役所広司演じる戸田秋谷は、10年の歳月後に切腹を言い渡され、その間に藩の歴史である「家譜」を完成させることを命じられる。その目付け役として岡田准一演じる檀野庄三郎が住み込みで見張りをしながら生活を共にするという物語。

江戸の風景を再現するためにロケ地として選ばれたのは、岩手県遠野市など多くの東北の地。ベテラン監督である小泉堯史だけあって、映像もやはりフィルム撮りで行われ、役者たちにも書や舞踊を学ばせ、江戸時代の人々の動きを習得させたと言うこだわり。

命の残り時間が決められているにも関わらず、毎日同じように生活を営む秋谷の姿。そしてそれを見守る家族たち。大地に触れながら、自然の中に溶け込むようにして生きていく人々の生活をゆったりとした時間の流れと共に描き出す。武士と農民、その階級格差を生める祭という共同のハレの場。その場で舞われた踊りなど、日本の中で育まれた様々な生活の知恵や文化が至る所に散りばめられている作品である。

そのゆったりとしたリズムは深い森の中に響く蜩の鳴き声に共鳴する。

そういう意味では放映時間という枠に捉われ、30分や1時間という時間から逆算されるテレビ番組や、そこ派生したテレビの手法を使った映画作品に比べたら、非常に映画というメディアの特性を感じさせてくれる一作であることは間違いない。










小泉堯史

2014年8月21日木曜日

「サウスバウンド 上・下」 奥田英朗 2005 ★★★★

丁度いい本というのがある。出張や旅行に出かける時に、かならず持っていくのは、ハードカバーの建築の専門書数冊。そしてブックオフなどで買い求めた数冊の新書。それに少々難しいめの文庫数冊。そこにプラスで持っていくのが、読むのに頭を使わなくてすむ娯楽文庫。読んでいてただただ楽しいこれらの本。ほうっておけばどんどん読み進めてしまうので、自分で「今日はここまで」と決めなければいけないタイプの本である。

そんな本の一つとして最近やたらと気にいっているのがこの奥田英朗。「最悪」「イン・ザ・プール」「空中ブランコ」「オリンピックの身代金」と最近立て続けに読んでいるが、テンポの良さと時代背景を巧く繁栄したストーリー展開、それにテーマごとに良く取材をしてあるのか、破綻をきたさない人物と物語の設定で、「あるある」と共感をしながらサクサクとページを進めてしまうので、仕事で疲れた脳の疲労回復にももってこいと重宝している。

そんな訳で通りがかった恵比寿の古本屋が閉店セールをしている為に立ち寄って手に取ったのがこの一冊。あまりタイトルを気にして読み始めなかったが、読み終えて始めて「サウスバウンド」が「South Bound」であり、つまりは「南行き」を意味していることが良く理解できる。

恐らく休暇で訪れた沖縄、しかも離島で時間を過ごす中で、驚くような忙しなさで一分一秒が進んでいく都会とはまったくかけ離れた時間が流れているこの場所の在り方、空気を物語りにしたいと思い始めたのが最初だったのではと勝手に空想してしまう。

その対極におかれるのが、東京の中でも下町でも山の手でもない場所として描かれる「中野」。ブロードウェイやサンプラザといった名所が日常の中に溶け込んで、そこで幼少時代を過ごす子供の視点で物語りは描かれる。ビルの屋上から銭湯を覗き、自転車で汗をかきながら到着する山手線の内側。そんな決して都会っ子ではないが田舎育ちでもない普通な東京の子供達の姿が描かれる。

そんな二つの風景を繋ぐのは、かつては過激派として名を馳せた父親。その父親と駆け落ちしてずっと寄り添う母親。過去のことはあまり多くを語らないが、いわゆる普通のサラリーマンのお父さんでは無い父は自分の思想に忠実に毎日を生きていく。その父が都会の中と、沖縄の地ではまったく違って子供の目に映るものまた「南行き」の成せる業であろう。

これといって物語の大きな流れが最初から提示されることも無いので、話についていくのがしんどいかと思えばそんなことはなく、ただただ面白い。「子供時代のことをよくこれだけ生き生きと書けるな」と関心してしまうほど、子供時代の気持ちの動きの描写が優れている。

ちょっとしたことが面白かった毎日。執拗に絡んでくる不良など、どうしようもなく不条理なことがあったこと。決して逃げられなず、自分が生きることのできる世界には範囲があったこと。そしてそれは成長と共に、徒歩から自転車、そしてバスや電車と徐々に広がっていったこと。その中でも大人の存在と言うのは圧倒的であったこと。

子供には大人からは決して見えない世界のルールがあり、その中で嫉妬や羨望が絡まりあり、様々な感情に振り回される。暴力という不条理に物を言わせ、無茶な要求を迫る不良。そこからはどうやっても逃げられない無力さ。年上に助けたもらったとしても、「チクッた」として更に執拗な不条理が襲ってくる。そんな終わりの無い世界。

主人公が住んでいるのは、東京の中にポツンと浮かぶ島。それがたまたま中野周辺にあっただけである。あるきっかけで母親の実家があるという四谷に足を運ぶが、そこは自分達とはまったく違ったお金持ちの生活が待っている。距離だけではない心理的な差も含め、そこはまた別の島が漂っている訳である。

そんな主観的な島が幾つも浮かんでいるので現在の東京であり、それを縦断的、横断的に理解し、使いこなし、楽しむのは、この都市に何十年も住みながら、常に色々なところへと足を運ばない限り無理であろうと思えるほどの規模まで成長したのが現代の東京である。

そんな東京に浮かぶ中野の島から、今度は物理的にも島だと実感できる沖縄の西表へと移住する主人公家族。結局子供は親の決断に巻き込まれる形で人生のスタートを切ることになるという、現代の「貧困の連鎖」を思わせるような展開であるが、そこに待っていたのは広大な自然と、助け合い、支えあうことで生活が成り立つ、資本主義が支配する都会の生活とはまったく違った風景。

そんな島に吹き抜ける風や、真っ白なビーチ、好きなことを好きなだけ喋ることができるゆったりとした生活のリズムが十分に伝わってくる文章を読んだ後には、妻に「来年には沖縄の島に行こう」と提案せずにいられなくなる。

それにしても、これだけふり幅のある人生を体験することは、子供の人生にとって大きな財産になるのだろうと想像する。知っているものからしか判断を下せない人間の宿命。ならば当たり前が少しの角度を変えたら当たり前にならないということをどれだけ体験として蓄積しているのか。それを多く持っている人間のほうが恐らく変化の激しいこれからの世の中で強く逞しく生きていくことが出来るのだろうと想像する。

来年に、そんな沖縄のゆったりとした時間と空間を経験していることを願って本を閉じることにする。

2014年2月1日土曜日

島根県立図書館 菊竹清訓 1968 ★★

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所在地  島根県松江市中原町
設計   菊竹清訓
竣工   1968
機能   図書館
施工   竹中工務店
構造   地上2階、地下2階 鉄筋コンクリート造
面積   約5,865平米 (建面積約2,919平米)
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開館時間 
<11-2> 火-金曜日 9:00-18:00
<通年> 土・日・祝 9:00-17:00 
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島根県立美術館を基準として始まった現代建築巡り。20世紀の終わりに出来上がった先ほどの作品に比べてこちらは少々時間を遡って竣工は1965年。

敷地は松江城のほとりで、行政関係の施設の立ち並ぶ中心地でありながら、60年代に町が整備されただけあって、空間に余裕を持って建物が配置されている。

1965年というのは、設計者である菊竹清訓が40歳だったということで、1965年の徳雲寺納骨堂や東光園と、1970年前後の萩市民会館、久留米市民会館、島根県立武道館の中間に完成した作品となる。

平面を見てみるとお堀にそって敷地北東部分が雁行し、お堀に向けての眺望を1,2階の閲覧室から確保できるような構成になっている。壁式コンクリート造のモデュールによってリズムを強調され、それがアプローチ側のファサードに出てくると垂直に切断され、あたかも2層の洒落た集合住宅かな?と思ってしまう特徴的なのは外壁を露にする。

その二層のコンクリート造に被さるようにして3角形の鉄骨で組まれた屋根が架かってくる。雁行して作り出された3角形平面の一番真ん中に向かってエントランスが取られ、折屋根で組まれたトップサイドから光を取り込む構成となっている。

必然的に良好な眺望を持った両ウイングはパブリックな空間に当てられて、事務室や館長室などの常時使われる空間は南側に寄せられて日照を確保する。三角形上に回廊が2階の各機能を接合する。

その雁行を違うスケールで意識つけるかのように、打ちっぱなしのコンクリート壁はギザギザの型枠で打たれ、印影をつけているが、残念ながらその型枠が焼き杉で無い為に、コンクリートの表面まで木の木目がつくまでには至っていなく、パターンとして留まっている。

スケールも松江の市の規模にとてもマッチしているように感じられ、当日も多くの人が利用しており、松江の象徴である松江城のお堀沿いというロケーションとしい、地域図書館としてこの街の重要な公共施設として機能しているのが伝わってくる好感の持てる建築である。











2013年5月15日水曜日

「さよならドビュッシー」 中山七里 2010 ★★★★


このミステリーがすごい大賞受賞作の中では圧倒的な作品だと思わずにいられない、圧倒的な言葉と内容。そしてピアノという世界の疾走感とリズム感。読み終えた後に、久々にショパンとドビュッシーでも聞くような週末を過ごしたくなるような一作。

ミステリーとしての伏線のしき方。楽譜の上に置かれた音符が連なることで音楽を奏でるかのように、前半から散りばめられた伏線たちが一つ一つ絡み合いながら、徐々に一つのメロディをつむぎだす。時に強く、時に速く、時に優しくとリズムを変えながら。

「楽器を奏でるのはもっと楽しいはずなのに、何でこんなに苦痛なのだろう?音楽ってこんなに気まずい思いをしなきゃいけないモノだろうか?」

バレエでもピアノで、どの世界でも上を目指そうと決めたときから開始する痛みを伴うような苦痛の日々。ピアノという10代の時間の過ごし方がその後のキャリアに直結するような世界。

「夢を見る夢、お前が追っているのは起きて見る夢。そいつが現実の中でどれだけ足掻いておるか」

自我が芽生え始めた時代に、これだけストイックに自分を追い詰め、楽譜に向き合いながら、それでも努力した誰でもが評価される訳ではなく、そこには厳しい優劣が決められ、勝敗が決定される。そして勝ち残ったものだけが次のステージに上がっていける厳しい世界。

「ピアノ弾きとピアニストという言葉があって、この二つは似ているけど全く違うものなんだ。ピアノ弾きは譜面通りに鍵盤を叩くだけ。しかしピアニストは作曲家の精神を受け継ぎ、演奏に自らの生命を吹き込む。もちろん、そのためには血の滲むような努力が必要だ。」

好きで足を踏み入れた世界。気がつかないうちに目を送ることになった上の世界。限られた席を目指す数多のライバル。より高いところからの風景が見たければ、他の誰にも負けない実力を身につけるしかない。

「重要なのはその人物が何者かじゃなくて、何を成し遂げたか」

誰もが口には出さないが、一日でも早く「勝負」で優劣が決まる、勝敗が決まる日々から解放され、自分の立場、自分のポジション、安定した生活が保障されてほしいと願うものである。それは楽だから。常に自分を追い込み、ストイックに時間を過ごし、周りが楽しそうに過ごす姿を横目に見ながらも、それでもまた自分自身に向き合うことになる。

「称賛と興奮は一瞬で治まるが、嫉妬と冷笑はいつまでも持続する」

ネット社会に突入し、無制限の刺激に晒された人類は、その欲望の消費活動も加速させ、一つの刺激に飽きてはすぐに次の刺激をさ迷い歩く。

「我が身を不幸と信じる人間が嘆き悲しんだ後に思いつくことは、自分以上に不幸な人間を見つけ、その不幸度合いを確認することだ」

人生はいい時もあれば、悪いときもある。良い時は上を見て歩けるが、悪いときは必ず下を向くことになる。その時にどういう風に時間を過ごすかがその人の人格を決定させる。

「その職業を選択した時点でその道のプロになろうと努力するのは最低限に義務だと僕は思います」

生きる糧なのか、それともプロフェッショナルとして二本の足で立ち、社会に対して正々堂々と生きていくのか。

「皆と違う道を歩いているのは、皆と一緒に歩くことが怖いからじゃないか。表現者だとかクリエイターだとか、自分は一般大衆とは違うんだと気取っても、結局は闘うことから逃げている只の臆病者じゃないかと思ったんだ。他人と違う道を歩けば、確かに違う景色を見られる。しかし、その道は未舗装の曲がりくねった道だ。泥沼もあって足を取られる。どこに到達するのか道標もない。自分のことは棚にあげておいて卑怯なようだけど・・・自分だけが特別な存在だというのは傲慢で、そして臆病な者の虚勢に過ぎない。」

人が社会的存在であるならば、その存在意義もまた社会なくしては成り立たない。自分の本来の姿を見ることを恐れ、また見られることを恐れるあまり、「競争」や「勝負」から避けているうちに、社会からどんどん距離を置くことになる。

「大事なのはどんな道を歩くかではなく、どう歩くかである。」

「逃げるのは確かに楽だ。でも、それだけだ。楽をして得られるものは怠惰と死にゆくまでの時間しかない。」

「すべての闘いはつまるところ自分との闘いだ。そして逃げることを覚えると余計に闘うのが怖くなる。」

とことんストイックな言葉達。中高生の部活動の先生が読んだらよっぽど意味があるだろうと思わずにいられない。

「技術は必要だけど聴衆はそんなものを聴きたいわけでない。聴衆はどんな超絶技巧をみせられても、感心はしても感動はしてくれない。人が感動するのはいつだって人の想いだからね。その想いを形にしたものが芸術性だ。」

建築の世界でも陥りやすいこの穴。技術という積み重ねが聞く分野に足を踏み入れ、費やした時間の長さで評価を得ようとするのに対して、いつまでも潔く、自らの信念と感性によって負けるのも厭わずに勝負し続けること。その中でしか、見えてこない本当の自らの想い。それを見つめられるまで時間を費やせるかどうか。

「現代は不寛容の時代だ。誰もが自分以外の人間を許そうとしない。咎人には極刑を、穢れた者、五体満足でない者は陰に隠れよ。周囲に染まらぬ異分子は抹殺せよ。今の日本はきっとそういう国なんだろう。いつころからか社会も個人も希望を失って皆が不安がっている。不安が閉塞感を生み、その閉塞感が人を保身に走らせる。保身は卑屈さの元凶だ。卑屈さは人の内部を腐食させ、そのうち鬱屈した感情が自分と毛色の違う者や少数派に向けられる。彼らを攻撃し排斥しようとする。そうしているうちは自分の卑屈さを感じなくて済むからだ。立場の弱いものを虐めたり差別するのもたぶんにそういう理由だろう。不正を糾弾された人間に問答無用で罵声を浴びせる、頂上を極めて者の転落を悦ぶ・・・全部同じ構造だ。」

日本全国を覆う閉塞感。誰もが感じるその圧迫感。いつからこんな国になってしまったのか。その「空気」を代弁する作者。

「逃げることを覚えるな。闘いをやめたいと思う自分に負けるな」

なんともかんとも、ミステリーという形を借りた作者の人生論が散りばめられた言葉達。それらがどれもストイックで、そしてまっすぐ。啓蒙本のように借りてきた言葉ではなく、自分で見つけた言葉だからこそ物語の中で彩りを放つ。恐らくとてつもなく物事を考えながら、密度の濃い時間を過ごしているのに違いないと思わずにいられない。


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『このミステリーがすごい!』大賞第8回(2010年)大賞受賞作
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2011年1月4日火曜日

「トーク・トゥ・ハー」 ペドロ・アルモドバル 2002 ★★★★★

一体どれくらい前に見た映画なのかよく覚えていないが、とにかく印象的だったのは作品の中で非常に強いキーワードとなる「ダンス」。

冒頭から世界的な振付師でありダンサーであるピナ・バウシュ(Pina Bausch)の独創的なコンテンポラリー・ダンスの迫力に心をあっさり奪われる。「人間の身体とはこういう風に動くものなのか・・・」と思わせてくれるその舞いの一つ一つの動作まで緊張と緩和を計算されつくされた美しさに心を奪われる。

ロンドンのAA Achoolという前衛的な大学院に足を踏み入れた時、前年度のあるユニットの成果報告の中に、アメリカ出身のバレエ振付家である、ウィリアム・フォーサイス(William Forsythe)の動きをマッピングし、そこから建築空間へと翻訳をするという内容のスタディが行われていた。

バレエの動きを解体し、再構築することで新しいコンテンポラリー・ダンスの高みへと挑戦していたフォーサイスのことを知ったのもその時が初めてであったが、建築という学問が水平に様々な分野に開き、同様に新しいことにチャレンジする同時代に生きるクリエイターから何かしらのヒントと建築への可能性を見つけようとするその姿勢になんとも度肝を抜かれたのを今でも覚えている。

空気を切り裂くようなバイオリンの音楽を背景に、一人舞台の上で今まで見たことも無いような身体の動きを見せてくれるコンテンポラリー・ダンス。何も言葉を発せずとも、それでも身体中を使って表現されるのは人間の心の動き。その姿を見ているだけで、言語と言う声帯による空気振動を通さずに、身体によって震わされた空気の振動を自らの身体が直接受け取ることにより、視覚と言語に頼りすぎている現代に生きる我々にはまったく新しい刺激を与えてくれることになる。

舞台の上で見たことのない、しかし何か訴えるものを表現するダンサーの姿と同じくらいに印象的なのが、それを客席で見ている中年のおっさん。あまり正確には覚えていないが、頭も禿げ上がり始めたそのおじさんは、確か建築家の設定だったのではと記憶する。

家庭で居場所を失うのでもなく、心を殺して平日を乗り切るのでもなく、自分が何を求めているのか知り、一人でも劇場に足を運び、自らの強い感受性で、誰が見ていようとも関係なく、心の叫びの様な舞いを身体で感じ取り、一人静かに涙する。そんな中年のおっさんになりたいなと望んだことを思い出す。

自分が何をしたいのか、なんてことを考えることを無しに日常を生き、行きたいのかも分からない飲み会に、ただただ空気を読み、自分の居場所を無くさないために足を運ぶ。そんな生きにくい社会となった現代の日本。誰もが横並びで、誰もがそこそこの生活を送る中では、自分の心の声に耳を澄ますこと、自分の感情が何を求めているのか向き合うことすらままならない。

そんな日本に生きるからこそ、都会の夜という誰にでも公平に与えられた時間の使い方を、自分の感情にとって必要なものを探し出し、それに対価を払い、そして一人足を運び自分なりの受け取り方をする。そして自然と流れる涙。そんな当たり前のことがなんとも羨ましく感じる。

ストーリーも絵も見慣れたアメリカ映画からはかなり遠い場所にあるのは間違いないが、作中でも歌われるカエターノ・ヴェローゾ (Caetano Veloso)の歌の独特なゆったりしたリズムの様に、時代に寄り添うのではなく、自らの感性を信じるその映画のあり方に、やはりアルモドバルの凄さを感じる一作。

見え終えた後さっそくサントラを入手し、いつか自分も一人夜の闇に紛れ、コンテンポラリー・ダンスの舞に自分の心の奥から湧き上がる感動に耳を傾けるような日を楽しみに「トゥトゥトゥ」と口ずさみながら思いを馳せる。
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スタッフ
監督・脚本 ペドロ・アルモドバル

キャスト
レオノール・ワトリング
ハビエル・カマラ
ダリオ・グランディネッティ
ロサリオ・フローレス
ジェラルディン・チャップリン
パス・ベガ
ピナ・バウシュ
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作品データ
原題 Talk to Her
製作年 2002年
製作国 スペイン
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2010年6月16日水曜日

「タイトルマッチ」 岡嶋二人 講談社文庫 1993 ★★★















ボクシングの階級はこのようになっている。

ジュニア・フライ級      48,9Kg以下
フライ級            50.8以下
バンタム級          53.5以下
ジュニア・フェザー級    57.1以下
ジュニア・ライト級      61.2以下
ジュニア・ウェルター級   63.5以下
ウェルター級         66.6以下
ジュニア・ミドル級      69.8以下
ミドル級            72.5以下
ライト・ヘビー級        79.3以下
ヘビー級            79.3以上

自分がライト・ヘビー級に属すると思うと、ダイエットの必要性を感じる・・・

元・世界王者の息子が誘拐される。その対戦相手に、同じジム所属で、義弟である琴川が世界戦に挑む。
犯人からの要求はその世界戦で、相手をノックアウトで倒せというもの。

華やかに見えるボクシングの世界の裏にある、ジム同士の政治パワーバランス。
そしてそれに翻弄される、実力だけでは世界に挑戦できないボクサー達の思い。
前日の会見、当日の軽量と刻一刻と試合開始が近づいてくる中、なかなか見えない犯人像。

本人と特定できないまま鳴らされる、試合開始のゴング。
そんな中繰り広げられる名試合。

3分という時間で刻まれるリズム。
全編に渡ってそのリズムがもたらす緊張感の感じられるテンポの良いミステリー。