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所在地 島根県安来市広瀬町町帳
城郭構造 複郭式山城
築城主 佐々木義清
築城 1185年
機能 城郭
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日本100名城
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月山(がっさん)といえば、山形だが、この島根にも月山はあり、そこに造られたのがこの月山富田城。知らなければ、「つきやまとみたじょう」とでも読んでしまいそうだが、歴代の出雲国守護職の居城であり、尼子氏(あまごし)の本拠地でもあった城である。
尼子氏というからには、この山陰の地のスーパースターでもある山中鹿介幸盛(やまなかしかのすけゆきもり)が出自した城でもあり、島根の人間にとっては思い入れのある城の様である。ちなみにこの山中鹿介だが、先ほどの城名の様に、読み方に一クセあるのでは?と思ってみるが、意外とストレートに「やまなかしかすけ」である。山陰の街中には、「山中鹿介を大河に!」と地元の英雄を全国区に押し上げようとする機運が盛り上がっているようである。という自分も、今回までまったく知らなかった武将であるが。
とにかく、その地形を利用し、非常に攻め難い城として「天空の城」とも呼ばれていたというこの月山富田城。戦国時代の終わりには、尼子氏が広島の毛利氏によって滅ぼされ、城も毛利領となり、1600年以降には堀尾氏が城主となり、パックス・トクガワの時代にはより開けた松江城に拠点を移した為にこの城は廃城となった。
今では往時を偲ぶ建物は一つも残っておらず、中腹の山中御殿から山頂の本丸にかけて石垣が保存されているのみであるが、山城の代表例として日本100名城にも数えられている。
100名城と言われてみすみすスルーする訳にも行かず、足立美術館からすぐということも手伝って、とにかく近くまで行ってみることにする。こういう整備されていない城跡が一番厄介で、車でいけるところからメインの城跡まで歩いてどれくらいかかるのか?道がどれくらい整備されているのか?などは実際行って見ないと分からない。まぁそれが面白いところでもあるが、こういう大雪の日で無ければの話である。
そんな訳でナビに導かれ、山の麓の道の駅に車を停める。車から出ると既に足元は40センチ強の積雪。歩くのも一苦労。道の駅は営業をしておらず、誰にも情報を聞けず、しょうがないので案内板が指し示す方向に歩いてみる。
数百メートルの距離が、大雪の時にはこれほど体力を奪うものだと実感しながら、なんとか次の案内板に到着するが、どうもここから相当上まで登らなければいけなそう。そうなると本格的な命の危険を覚えそうということで、今回はここで断念する事に。恐らくこの決断はかなりの英断だと思いながら道を行くトラックのタイヤからの水しぶきを避けながら車への道のりを汗をかきながら戻る事にする。
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