2013年2月25日月曜日

他の場所でも

国土の中で養われてきた自然と建築との関わりをダイレクトに身体に感じるために、寺社仏閣などを回るのがかなり有効的だと思っているが、それと同じくらいに有効なのが時の権力者達の作り出した建築。

その際たるものが古の都・京都に鎮座する御所を筆頭とする天皇家一族に関連した建築郡。ブルーノ・タウトを驚愕させた桂離宮をこの中華新年に訪れたイタリア人スタッフは、「モダニズムよりも遥かにモダニズムだ」と、未だに興奮冷めやらない様子。

それだけに留まらず、日本の様に起伏に飛んだ地形の国で、戦乱の世を勝ち抜くために開発された城郭建築郡。日本のあちこちに散らばるこれらの城こそ日本独特の地形を読み解き、その地形を拡張させて建築化して、戦闘と防御に特化した建築様式を作り出していく過程で、まさにこと細かく地形を読み解き、場所の力を具現化されたものだったに違いない。

日本のあちこちで、戦略的意味だけでなく物流の拠点としても重要な意味を持つ特別な場所を押さえ、現代でいう都市計画の拠点となっていく城郭建築。山城から平城まで防御から領主の屋形、ひいては地域の拠点として役割を変遷していくなかで、寺社仏閣に劣らず地域の良質な場所をその建築場所に選定されたことは想像に難くない。

そう評価していくと、現代でも街の中心に城を構える都市は、かつて栄えた時から拠点を移すことなくそのまま土地の力を活用しながら現代まで発展を続けていることになる。つまりは昔の人々が感じた、そして見つけた土地の力を具現化して立てられた城の様に、力強い土地の力を受けつづけ現代を生きている都市ということになる。現代にとってつけたように、「開発」というかつての人にとっては価値を見出せなかった場所に、無理やり近代のシステムの最たるものである「鉄道」を敷き、価値を植え付け「作り出された」新しい都市とはその成り立ちにおいて確固たる差異があることになる。

そんな訳で百名城だけでなく、各地の名所となっている百景や、山登りのためにと100名山などの場所も含め、自らのGoogle Mapにマッピングしたのは既に6,7年前で、それらのアイコンも徐々に「既に訪れた」赤色へと多くが変わっていっている現在、さて次にマッピングすべきはどんな場所だろうと頭を巡らせる。

そして次にくるのは各地の風景の拠点ともなる「公園」空間。その土地土地に生まれ育った人ならば、遠足や遊びの中で当たり前の様に身体に取り込んでいるその風景は、その土地以外で育ち、移り住んできた人々にとってはなかなか入っていきにくいし、その場所が土地の中で持つ意味を捉えにくい。東京で言えば、大学あたりから移入してきた人々にとっても馴染みが深いものといえば、代々木公園、日比谷公園、井の頭公園程度で、生活レベルに合わせてそこに世田谷公園や砧公園、上野公園、芝公園、青山公園などが入ってくる程度で、水元公園や舎人公園などは何らかのきっかけでその地に住まない限りほとんど知られることのない存在であろう。

しかし城や寺社に負けず劣らず、アースダイバーではないが、川や池、森や丘が作り出し、近代以前の街づくりでも庭園や憩いの場として場所の心地よさを評価され整備された場所があり、近代になりより統計的かつ計画的に整備され、地域のコミュニティを形成する上で大きな意味を込められて作り出された特権的空間であったはずである。そう考えいけばいくほど、これは無視できない存在だということになり、東京中の有名公園をマッピングし、日本中に広げて「日本の都市公園100選」などもマッピング。

そうしてみるとやはりかなり知らないところが多いことに気がつかされる。グローバリゼーションで世界は狭くなったはずが、まだまだ深くなることが可能だということかと、今度は「にほんの里100選」などに手を伸ばし、まだまだ控える100選リストを頭に入れながら、これで次に行くべき場所の再選定が必要だと想いをめぐらせる。

2013年2月24日日曜日

学ぶ場所としての寺社


この歳にもなってくると、見に行く建築や場所と行ってもある程度ネタが尽きてきた感が出てくる。

地方の主要都市や東京近郊のアクセスが比較的良いところは徐々に網羅され、毛細血管の先まで足を伸ばしていくか、訪問先の質を変えていくかになる。

環境建築を学生と一緒に考える時間を持てたのも一つのきっかけかもしれないが、現代に住まう我々はたまたま土地が手に入ったのでその中でどう環境に対応して住むことができるかと、すでにスタートの時点で制約を受けながら住宅を設計しその土地に住まうことになる。

歴史的にみれば、それが如何に貧しい住まい方だったであろうかと考える。

時代を遡れば、その「ここに建てなければいけない」という制約の密度も薄まり、より心地いいという場所を選べる幅が広かったに違いない。森や小河、起伏に富んだ地形と自然の脅威、それらを考慮しながら風が流れ、日の光が差し込む、木漏れ日の下で、清々しいしい空気の中に住まう。そんな場所を選ぶ事を生業とした人がいたに違いない。

そして時代は変われど、その土地の一番良い場所を優先的に占拠してきたのはその土地を守る寺社仏閣であったはず。ヨーロッパの様に街の中心に位置して、風景の中にシンボルとして聳えるカセドラルの様な中心の在り方ではなく、街の外れのどん詰まりに位置し、後ろに聖なる山を控えて街に向き合う寺社。

街からアプローチしていくと徐々に草深くなり、温度も1・2度さがり、現代的に言えばマイナスイオンが溢れる中を、木々の木漏れ日を感じながら辿り着く山門。山の起伏から導かれた勾配の階段で自然の形を感じ取り、山岳信仰と一体化した様々な土地の守り神達にお参りに行く。そんなどの時代でも当たり前の様にあったはずの風景。

自然の力が感じられる場所の森を拓き、自然の恩恵を一番得られる様に配置を決めて、自然と調和して構築されて次第にそれ自体がその場の自然となる。そんな贅沢な土地の選び方。それに比べ以下に貧相な現代の土地の選び方。しかも現代でも利用可能として残っている土地は、歴代の人々が使ってきた土地の残りの部分の中での選択。だから現代では寺社の建つような場所に敵う快適な場所はなかなか見つからないのが自然の摂理。

現代に生きる建築家として、その当時にいたであろうゲニウスロキを感じ、場所を見つけ、配置を決めて、建築を主導していった人物。現代であれば建築家と呼ばれたであろうが、彼らは現代の建築家よりもよりもはるかに自然の要素に対しての洞察力や感受性が強く、建築と自然との関係をより良きものにする能力が優れていたであろうことは容易に想像がつく。何せ現代において、「この街で好きに場所を選んでいい」と言われて設計を始めることもなければ、そういうことに想像を馳せる時間も無い建築家は、設計の条件として与えられるものと思っている自然を読む訓練んど受けていないからであろう。

そんな思いで、古刹と呼ばれ、地域の中で重要な意味を持ち、かつ長い年月地域の人々に愛されてきた寺社仏閣の空間に備わる自然への眼差しや読みときを少しでも自分の体の中に入れるようにと、出来るだけ素晴らしい古刹には足を運ぶことになる。

総本山と言われるような一大事業であった空間に比べて現代の巨匠が設計した美術館を秤にかけたら、間違いなく体験すべきは前者であり、そういう眼差しを持って比較していくと、意外と訪れたいというリストに残る現代建築の少なさに、なんだか建築本質を見る気がする。

そんな訳で古刹名刹と呼ばれるような百寺や名の挙がる古寺というのは対外自らのGoggle Mapに網羅して、その土地に足を運ぶ度に、「こんなとこにも百寺があるのか・・・」と思いながら車を走らせると、やはり古刹と呼ばれるものであればあるほど徐々に期待感を高めるような空間配置をとっており、地形の良さを利用してアプローチを設定していたり、これでもかというくらいに山深いところに配置されており、これだけ豊かな空間体験はなかなか他ではできないだろうと自分で納得することになる。

言ってしまえば寺社仏閣の空間には、日本と言う場所で培われた様々な自然との関係性において建築をするという知恵がふんだんに詰まっており、どんな建築の教科書にも勝る教えを感じ取れるそんな場所が日本には多く残ると言うことを我々現代に生きる建築家はもっと感謝すべきだろうと思いながら、次に訪れる場所に想いを馳せる。

「ボーン・レガシー」トニー・ギルロイ 2012 ★



海外で仕事をしていると、やはり頼るのは英語が一番多くなる。幼少時代を海外で過ごした訳でもなく、基本は受験英語でその後は現地にて地道に英語を覚えてきた身にとっては、日々の仕事の場面でネイティブが何気なく発する英単語の中に、ハッとするほど耳に聞き覚えの無いものが多く含まれる。

言葉というのは様々な生活の場を通して身につけられるものであるならば、その言語圏で経験していない場面で使うような単語は、どうにかして自分でその場面を経験するようにするしかない訳で、そんな為にも様々な状況に入り込める映画は単語を増やすのみもってこい。

という訳で、先端医療を使ったスパイ映画。この映画を観ていなければクロムゾン(chromosome)が染色体だとはなかなか頭に入ってこない。そんな専門用語が幾つも出てくるので、それらをメモするのに集中力を取られるが、やはりボーンはマット・デイモンが一番だと思わずにいられない一作。


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監督トニー・ギルロイ

キャスト
ジェレミー・レナー アーロン・クロス
レイチェル・ワイズ マルタ・シェアリング博士
エドワード・ノートン リック・バイヤー
アルバート・フィニー アルバート・ハーシュ博士
ジョアン・アレン パメラ・ランディ

原題The Bourne Legacy
製作年2012年
製作国アメリカ
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2013年2月23日土曜日

「2005年のロケットボーイズ」 五十嵐貴久 ★★★


どうしてこんなところにいるのだろう。
胸のどこかで、小さな笑いが弾けた。
そうだ、あんなことがあったから、おれは今ここにいる。

おれたちはバカだったな。
本当に、おれたちはダメだった。
バカはバカなりに、ダメはダメなりに、よくやったじゃないか。
そうだ、俺達は間違ってなかった。


「僕らの7日間戦争」を思い出させる様な、なかなか憧れる様な回想シーンから始まる青春物語。全体的に現代らしい軽めのウィットが聞いていて、小気味のよいテンポで読みきれる。

新種子島宇宙センターから打ち上げられる日本初の友人探査機’のぞみ13’。それを見つける担当部長。17歳の夏に経験した仲間達との時間が彼を今この場所にいさせるのだが、近未来とされるその設定もまたなかなか洒落ており、エクサバイトばりに身体に埋め込む体内ユニットのおかげで、携帯電話を持ち歩くことが必要なくなり、部下は「SONYって何ですか?」何て聞いてくる、そんな未来。それでも持ち歩く、かつての折りたたみ式携帯電話。これも話といたるところにちりばめられる伏線の一つということか。

回想するかつての日本では、鳥人間コンテストで毎年優秀な成績を残す鳥人間部が支配的な地位を占める工業高校で彼は落ちぶれたダメ生徒として登場する。蒲田のつぶれそうな鉄工所だとか、ひきこもりになった親父、サヴァン症候群で他人とコミュニケーションができないレインマンなど、登場人物設定がなかなか凝っていて、話が展開していってもほつれが出てこない。

「どこかで一度くらい当事者になってみたいって思ってたんだ」

そんなのは17歳の夏だからゆるされる会話だ、と主人公が言うように、ほどよい具合に青春の青臭さが漂い、キューブサットの設計コンテストという理系の中でもかなり角の尖ったオタク・トピックにも関わらずサクサク読み進めること間違いなし。

「おれたちは少しずつ自分の居場所を見つけたような気になっていた。」

子供ができたらぜひとも読ませたいと思える一冊

2013年2月19日火曜日

「best housing project of 2012」受賞

共同主催するMAD Architectsが設計をおこなったカナダ・トロントに建つアブソリュート・タワー(Absolute Towers)が、世界的に認知される建築系ニュース・サイトArchdailyの読者投票によって、2012年の最優秀住宅プロジェクトに選ばれた。

他の受賞作も下記のサイトにて見ることができる。



今までの常識に囚われることなく、新しい時代に相応しい建築の姿を追い求める。そのプロセスで幾度と無くぶち当たる様々な困難。経済性や機能性など、決して後ろにおいてくることができない与件を、厳しい条件の中、アイデアによってクリアすること。

建築の世界に身をおいている人間なら、誰でも身にしみて理解している産みの苦しみ。

「美しい」だけでは建築は成立せず、その後ろ、一枚の竣工写真の裏側に隠れた様々な過程や困難。

身を切る思いで時間を過ごし、容赦のないやりあいを経て設計を前に進めていかなければいけない過程の中で学んだことは、いくら経験が足りなくとも、想いによって十分にそれを補えるということ。

「やらなければいけないこと」と「できないこと」の間で胸をギュウギュウと締付けながら、それでも三人のパートナーである、マ・ヤンソンとダン・チュンと一緒に必死に考え、自分達の信じるものを実現するために、何ができるか、何をしないといけないか、その為に闘い、葛藤し、言い合い、苦しみ、すべてを投げ打ってでしか、成しえないこと。

それほど、常識の範囲から飛び出るということがどれだけ難しいかということを身をもって実感したプロジェクトになった。

建築というのは、設計図として未来を思い描いた時から時間が進みだし、様々な思い、様々な経験を通してプロジェクトを体験し、それが完成し世の中に見ていただけるときにはすでに建築家は次のステージでより新しいことを考えているという建築というモノの集合体がもたらす時間のスパンの宿命を背負う。

現在も、同じように別のプロジェクトに毎日、毎時間、苦しみながら、何でこんなことをしているのだろうと思いながらも、それでも投げ出すことができない想いをもって建築に向かっていく。

いつの日か、そんな想いを持って生み出した建築を少しでも多くの人に実際に見てもらえるように、そして関係した多くの人間の必死に過ごした時間の密度を感じ取ってもらえるように、今日もまた前に向かって進んでいくことにする。

2013年2月18日月曜日

初日

中華新年の長期休暇とはいっても戻る先の日本で動いているプロジェクトは、当然の様に打ち合わせや現場での確認があり、この一週間で行った打ち合わせやお会いした人へのメールを内容を整理し必要書類などを添付したりと、休み明けはものすごい量のコミュニケーションワークに追われることになる。

それと同時に徐々にではあるが止まっていた中国でのプロジェクトが始動する。ギシギシと音をたてながら、まだ通常のスピードになる前の下段のギアという感じで、ゆっくりとだが確実にオフィスが動き出す、そんな感じの初日。

完全にスピードに乗る前にやるべき手配をしてしまう。そうでないと、スピードが速まってからではとてもじゃないが手遅れとなる。それぞれのプロジェクトのスケジュール確認に現状把握。チームメンバーがどれくらい戻っていると新しくやってきたインターンの把握。

オペラハウスのプロジェクトはインテリア・デザインの入札が終わり、これで待った無しの状況になるというので、内部のキーとなるスペースをどうやって予算内で実現させるか担当者と頭を抱え、照明や音響などまだ解決しきれていない項目を書き出してスケジュールと照らし合わせる。

南京で進めているプロジェクトは初日よりクライアント、協力事務所、LDI(Local Design Institute)が集まって、年明け前に提出した政府への資料に対するフィードバックと、変更になったクライアントからの要望をヒアリングし、今週、来週と何を修正しないといけないかを確認し、チームメンバーに担当を振り分ける。

構造部分へのコストが膨れすぎ、全体のコストにおさまり切らないというので遅れに遅れたSDの提出を年明け前に行ったアモイで進行中のアパレル会社の新社屋。政府からのフィードバックを受けてDDに突入して行くのだが、構造コストの問題は解決し切れておらず、PMと一緒になって根本的に新しいアプローチを検討しながら、ペンディングしていたランドスケープ、照明、サイン計画、キッチン、ファサード等の各コンサルとの共同作業も再開する必要があり、その段取りに追われる。

帰国中に行った日本で進行中のプロジェクトは、すぐに概算を出せるような図面を用意する必要があるので、事前相談で指摘された数点の法的要素の確認と共に、構造設計者と一緒になって案の具体化へと進み、必要図面のリスト化を始める。

年明けから始まる二つのプロジェクトの100ページに渡るブリーフを読み込み、求められる条件を把握し、設計のイメージを膨らませるが、そのボリュームからじっくり目を通していると簡単に数時間食われる事になる。

そんな合間を見計らい、日本でお会いした方の名刺データの整理と各人への挨拶メールを終わらせて、これまた日本で行った確定申告前の会計士さんとの打ち合わせに伴い必要資料を作成してメールで送付。

そんなわけで、初日はギシギシとオフィスが本来のスピードに乗る前に、自分は普段の何倍ものスピードで物事を処理して行く事になり、気付いた時にはすっかり暗くなり、首もガチガチに凝ってしまっている。

そんな疲れをせめてほぐして貰おうと足を運ぶ馴染みのマッサージ屋。いつもの担当者に新年の挨拶をし、首の状態を見て貰うがやはり「疲れとストレス」だと。ガチガチに凝った首の側面をマッサージしてもらう。痛くて余計に力が入ってしまうが、次第に慣れてほぐれて来るにを実感しながらついには眠りに中に・・・

そんな新年初日。

今年もこのスピードに乗せられるのではなく、乗りこなすようにと心に誓う。

2013年2月16日土曜日

法蔵寺(ほうぞうじ)浄土宗 701 ★★

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所在地  愛知県岡崎市本宿町寺山1
宗派   浄土宗 
本尊   阿弥陀如来
創建   701
機能   寺社
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リトル東京に成り下がるでもなく、どこにでもある地方都市と運命を同じくするかのように、市民の流れはイオンへと向かい、23時まで開いているその巨大店舗に、営業努力の賜物だと賛辞するだけが生き方ではないとコタツでぬくぬくする妻と両親を諭し、寒風吹き付ける中、どこに行けばこの地のゲニウスロキを感じられるかとスマホでリサーチ。

同じようなことを行って、数年前には岡座城も行ったし、昨年には大樹寺で松平家の墓も参ったしと、それ以外にどこが見どころかと地元を改めて俯瞰して見るが、なかなかこれといった決め手は無い。

詳しく調べてみると、家康が竹千代と呼ばれた幼少期に手習いに出された寺であり東海道の街道沿いに位置し様々な歴史の一ページを見てきたであろうお寺が存在し、なおかつ新撰組・近藤勇の首塚があるという。

本当か?と思いつつも、地元で足を運んでないなら、行くのに十分な理由はあると両親と妻と一緒に市の東部まで足を伸ばすことにする。

風の強い日でもあり、外はまだまだ肌寒い一日。車をでて山門まで到着するとピタリと止まる三人の気配。「あとは好きに見てきなよ」と、急階段を登ろうとする様子は全く感じられず、さっさと温かい車の中に戻ろうとする三人の姿を横目に、山裾に建てられただけあって、その傾斜がかなり急な階段を登り切り、後ろを振り返るとはるか下では車まで戻った三人の姿が。しょうがないので三人分も合わせてお参りしないとということで50円を投げ入れる。

更に左手からは登っていけるようになっており、墓所の入り口に例の近藤勇の首塚の由来が書かれている。徳川家に対する忠誠心がとにかく強く、最後まで徳川家を守るために新撰組として局長として京にて命を落とした彼だが、同志が彼の首を奪って、彼が整然から慕っていた住職の孫空義天に埋葬を依頼し、孫空義天がこの法蔵寺へ転任が決まっていたので、この地で埋葬をしてあげたという話らしい。

縁は人のためならずというが、徳川を想い散っていった近藤勇が、運命の糸に引かれてその徳川初代の家康が、幼少期を過ごした寺で埋葬されるとは、運命の悪戯とは恐ろしいなと思いながら、3人の待つ車に向かって階段を下りていく。
















2013年2月13日水曜日

乾徳寺 曹洞宗 ★


隈研吾設計の馬頭広重美術館のすぐ真裏に位置する曹洞宗の寺院。恐らく美術館に訪れた多くの人がついついその案内板につられて足を運んでいるのだろうと想像するのに難くないロケーション。

背後に聳える女体山えと続く幾つかの山を後ろに構え、道のどん詰まりに位置する寺だけあって、そのアプローチはなかなか期待をさせる。四季折々の花々も綺麗そうだし、たまに足を運ぶのには丁度良さそうな地域のお寺と言った風情。
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所在地  栃木県那須郡那珂川町馬頭114
宗派   曹洞宗
機能   寺社
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馬頭広重美術館 隈研吾 2000 ★★★



家庭でも職場でも一番外で社会を相手にする仕事はなんといっても辛い。誰もが自分や自分の仲間を守ろうとするから、どうしてもそのサークルに入ってこないものに対して厳しく当たることになる。その荒波をくぐりぬけて生きていかなければいけないからこそ、風当たりもきつくなる。

そんな実生活同様に、建築の外装材も環境からの様々な負荷を受けることになる。雨、風、雪、気温差、湿気に虫。最近ではゲリラ豪雨からPM2.5なんていう新キャラまで登場し、受けるストレスは上がりっぱなし。それでも何とか内部を守ろうと必死に戦う外装材。

違った敵にはにはに違った層が相手をするかの様に、まるで「アンタの相手はアタイだよ!」と言わんばかりに、敵の特徴にあった仕様を施された様々な層が用意されることになる。ここでは雨に対しては守るが湿気は逃す。なんていう戦略を持った重層防御が施される。

建築を生業として10年も過ぎると沸いてくる欲求。何とか仕上げを木でやりたいという日本人としての欲望。そんなの誰でもできるかの様に思えるが、そこに生まれるある種の葛藤。なぜなら現行の建築基準法は基本的に燃えない街を作るための法律であり、如何に都市内で火災を広げないようにその使用可能な素材が決定されている。もちろん木は燃える。乾燥した冬には特によく燃える。つまり現代化された都市の中では木は非常に使いづらい外装材となってしまったということである。

それでも、そんな木をつかってでしか作れなかった風景があったのだろうと想像する。「きっと建築家はこの風景を作りたかったに違いない」と思える風景にここに来るまでに多く出会った。その度に車を止め、カメラを向ける。どこまでも広がるような関東平野の水平線。田園の水平性が遥かに聳える那須高原の山並みへとつながっていく。

単純な水平線が空を切る。その風景。その為には、切る側の素材も自然素材の木である必然があったはず。時間の経過と共に日に焼けて、風景の一部へと溶けていく連続する木で作られた水平線。それが浮けいられるのが建築家が見た関東平野の原風景であったに違いない。

そんなことを思いながら、そこからこの風景を作り出すのはさすがだと感心しながら建築に近づいていく。そうするとあるものが目に飛び込んでくる。

「あれ?」

と思うほどに、当たり前にそれが「屋根」だとして捕らえてしまっていたが、それは極めて「現代的」な「屋根」であるという事実。

建築の一番外で、内部を守りながら、厳しい外の環境に晒されて、時間をかけて色を変えていく屋根。太陽の日も、嵐の雨も、冬の雪も、すべて受け止めて、一枚だけで建築と空を切る 、そんな直線としての屋根。

もちろんそう見えていた日本の民家の屋根もまた、その下には別の機能を持った層が隠されていて、人類の知恵を投影したかのようなその層たちが束になることで始めて、快適な内部空間がもたらされていたのだが、戦う相手が多ければ多いほど、受けた傷が多ければ多いほど、その風化した屋根は強く感じられてしまうのが日本人。

そんな気持ちが心のそこで芽生え始め、改めて目を向けるのは木のルーバーの下で縁の下の力持ちとして雨水を防ぎ、内部を内部たらしめている屋根材。

日本の屋根に使われたどの層には、必ず何かしらの意味があったように思われる。それと同様にこの木のルーバーの外装材はどんな意味を体現されているのだろうか?と思い始めると、それはつまり建築とは何かの問いを考えることになるかのようである。

この建物の更に奥。女体山の麓にたたずむ寺社建築。それらが風雪に耐えながら時間の中で色を変えていく。その変化とこの木のルーバーが変えていく色の意味は果たして同じであろうか?

それはつまり現代において、「機能」と「イメージ」を同時にデザインしないといけない建築家にとって、どの様に歴史の中で養われた風土として身体の中に埋め込まれたイメージにどうアプローチしていくかを突きつけているに違いないと思わずにいられない。

何を持って建物を評価するかによるのだろうが、最後までこのルーバーをうまく消化しきれずにいたが、建築にたいしてどこで勝負をするか?それを決めるのはやはり相当なセンスだと思わずにいられない。

がんばりすぎたら、結局何も実現できずに終わってしまし、それを見極めるセンスがとても意味を持つ。そういう意味で、やはりこの建築は凄いと思わざるを得ない。関東平野の中に現代の風景をこれほど見事に作り上げる。あるデザインに対する決定を持って建築を特別な作品に仕上げながら、なおかつ空間としてのクオリティーも保つ。その技能はやはり凄いのだろうと納得することにする。
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所在地  栃木県那須郡那珂川町馬頭116-9 
設計   隈研吾
竣工   2000
機能   美術館
施工   大林組
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