2011年6月23日木曜日

身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ) 日蓮宗 1281 ★★★★★

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所在地  山梨県南巨摩郡身延町身延七面山参道
宗派   日蓮宗
寺格   総本山
創建   1281
開山   日蓮
機能   寺社
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「百寺巡礼 第五巻 関東・信州」 五木 寛之
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病気療養の為に生まれ故郷の常陸の国に戻る途中、立ち寄った武蔵野国の池上にて亡くなった日蓮聖人。それまで過ごし、法華経が仏教最上の教えであるという信念の基に築き上げ、晩年を過ごしたこの地にに、「どこで死のうとも墓は建ててくれ」という日蓮自身の遺言に沿って遺骨を祀ったという身延山。日蓮宗にとっては唯一の聖地である場所である。

有名な樹齢400年を超えるしだれ桜を見ながらアプローチから左に折れると、大らかに広がる空間が広がる。山麓に配置された幾つかの建物が揃って南に正面を向け、その前に市街地では考えられないような広い空間が水平に伸びていく。これを見ただけで今回の旅の意味があったというものだ。

本堂から日本三大門の一つに数えられる三門まで伸びる長い長い階段を見下ろし、その下に広がる寺町を眺める。その後ロープウェーを使って、山頂に位置する奥之院間であがると、周囲はすっかり霧に覆われ、いかにも日蓮が毎日登ってきてはお経を上げていたといわれる当時の風景が思わず浮かんできそうな、幻想的な雰囲気に呑み込まれる。

山麓部よりも数度低いと思われる温度を感じ、時代が流れても、この地を包む空間の質というものが今でも変化していないんだと理解し、このような豊かな空間構成をできるだけ身体に取り込むことが、日本人の建築家が世界で闘う大きな武器になるのは間違いないと確信する。
























2011年6月8日水曜日

あそこにいけば、彼がいる

昔好きだった映画に、

"If you build it, he will come."

という印象的なフレーズがあった。


近所にある老舗のバー。その近くにある馴染みの靴の職人さんは、ほとんど毎日そのバーに現れる。

用事がある時は、電話をするよりも、そのバーで待ってた方が確実。

マスターに「◯◯さん、来てないです?」と聞くと、「そろそろじゃないですかね。」と。

「じゃあ、ちょっと飲んで待ってます」てな感じ。

そして思うのは昔好きだった映画。

これは「あそこに行けば、彼が来る」だなと思いつつ、きっちりこなす毎日を持ってる大人の優雅さと、そんな人がいる街の素晴らしさに思いを馳せながら、もう一杯おかわりをする。

2011年6月7日火曜日

砂時計




















小学生の頃、家族旅行で行った鳥取砂丘。その風景にびっくりして、母親にせがんで買ってもらった砂時計。

20年以上の時を超えて、今では風呂場にてじっとり汗をかく3分をしめしてくれる。

そのサラサラと落ちる砂に思う。

春。

新入生の季節。

教室という生徒と教師の二つの時間が出会う場所。

生徒にとっては、いったいどんな一年になるのだろうか、どんな先生がくるのだろうか、そんな期待にあふれた一回きりのリニアな時間。

たとえるならば、砂時計。

上にある砂は未来。
下にある砂は過去。
サラサラと流れるものは現在。

それに対して、教師の時間は、生徒との関係においては一回きりのリニアな時間だが、学校というものの中では、4月に始まり3月に終わる、その一年のサイクルを再度今年も繰り返す。いわば壁掛け時計のように、グルリと一周して、元の場所に戻ってくる円環。

秋を過ぎるころには、何年か前の学園祭を思い出したり、
冬を過ぎるころには、昨年の学生の最後の発表を思い出したりと、
円環には、重ねた年月の匂いが染みつく。

そんな二つの時間が交わる場所が春の教室。
異なるシステムの混在が醸し出す緊張感。
それをテンションを保って一年を走り切って欲しいと思う春。

異なる軸やスパンで区切れる、一年だけではない自分なりの時間のオーダーを持つのも悪くないのではとふと思う。

そしてきっかり3分間。

砂時計をひっくり返す。

2011年6月6日月曜日

走ることの原罪

嫌で嫌でしょうがない。

大人になってなんでこんな思いをしなければいけないのか、と思いつつも、ぬけることも許される空気では無く、嫌だ嫌だといいながら暫く続けるとそれなりに愉しくなって来る毎年一回の駅伝大会の出場。

自分がその様な運動に向いてないのも充分理解するが、まぁしょうがないので、毎年2月くらいから走り出す。

毎朝、起き抜けに5キロ程走るのが習慣化してきた時にやってきた大震災。風景から一気に減ったランナーが恐れたのは、目に見えない放射能。

マスクをしながら走ってみたが、蒸れるし眼鏡は曇るしでギブアップ。

そんなこんなで走れない日々が続くと、溜まってくるのはストレスと体内脂肪。

これはいかんと、意を決して内部被爆を覚悟し走りにいくと、数週間のうちに増加した体重を支える足首への負担は相当なものなのか、3キロ過ぎから、左足首への鈍痛が起こり、怠けたせいだ、と根性論で走り続けるが、5キロを過ぎるととてもじゃないが走れるような痛みではなく、張り切り過ぎてきて辿り着いてしまった皇居から、足を引きづりながらトボトボ1時間かけて歩いて帰宅。

足首をかばったせいか、翌日は左右の股関節も一緒に激しい痛みを伴い、びっこを引きながら整形外科へ。

診断されるのは

【シンスプリント】

思わず頭の中で当て字によって翻訳し

【走ることの原罪??】

日本人特有の発音も手伝って、
向こう脛(Shin)より、原罪(Sin)を。
当て木(splints)よりも、全力疾走(sprint)を選択し、海馬を騙し脳に原罪を認知させ、

「背負うのは十字架では無く、肥大した体重ということか」

などとただの骨膜炎を自己ドラマタイズし、ゴルゴタの丘を目指すかのごとく足をひきづる生活を続けはや2ヶ月。そろそろいいだろうと走ってみると響く鈍痛。

恐るべし原罪・・・

復活の日はまだ遠そうだ。

2011年6月5日日曜日

グーグル・カレンダーの検索能力

読書メモも、仕事の予定も、見てきた建築の感想も、とにかくグーグル・カレンダーに一元的に保存していると、他のシステム同様の検索能力を期待して、「あの本の感想は、どこにあったかな・・・」とカレンダーの検索をしてみるが、トンチンカンな結果がでてしまう。

ウェブで調べてみると、やはり多数の同様の書き込みがなされてはいるが、根本的な解決にはなっていないようである。

検索が上手いこと機能しないことと、グーグル・カレンダーでクラウド的にライフ・ログを貯めていくこと、その両方を天秤にかけて、例えば別の方式を探し出すのも手なのかもしれないが、現代の巨人がこのような問題を解決するのは時間の問題だという信頼感で不自由を許容する現在。

つまり何が問題か?

それは、信頼と安心。

グーグルという大手かつ先駆者なら、ボトムアップ的に問題を吸い上げ、解決していくという青図が描けるという信頼感。

では、建築家の職に対しての信頼感とは何か?

この人に頼んでおけば、必ず最後は自分にとって良いものを、自分の現状を把握していて、現実的な金額で折り合いをつけてくれる、不足する経験を補うだけの心遣いとその美学に信頼をおいて任せることができ、それによって得られる安心感。それに尽きると思う。

「信頼される建築家になれるか」、なんて本ではないが、建築家の先生が言ってることだから間違いない、と盲信されるよりも、迷ったらあの建築家が良いと言ったものにしておこう、と信頼されることの方がよっぽど大切だと思いながら、見つからない昔の読書メモをひたすら追いかける・・・

2011年6月4日土曜日

熊本日帰り

早朝4;30。

携帯のアラームにてムクリと起きる。あまりに睡眠時間が短いために、ここがどこなのか、今が何時なのか、しばらく分からずぼーっとする。いかんいかん、飛行機に乗り遅れると気合を入れて、シャワーを浴びて、家を飛び出し、早朝のモノレールから見える、起き出す東京の街の表情を眺めながら、第一ターミナルの端っこで乗り込むスカイマーク第一便。

離陸前に眠りに落ち、着陸の衝撃で起きる。空気の質の違いを肌に感じながら、休み間も無くリムジンバスに乗り継ぎ、のんびりした風景を見ながら45分。敷地近くのバス停で降りて歩いて現場に。

一日がかりで現場で現場監督と打ち合わせ、職人さんたちにも声をかけて回り、夕方くらいから郷土料理の上手い店で、馴染みになった女将さん相手に「もうすぐ完成ですかー」なんて言われながら、ビールでも飲みながら、「畑のキャビア」でも食べて、ちょっと気分良くして空港行きのバスに揺られ、乗り込む最終のスカイマーク便。

しめて25000円程。結構いけるものだと思う。大阪出張よりもむしろ安くあがる。競争にさらされる事無く、楽市楽座なんて俗世の原理はなんのその、ひたすら保護に甘んじる某鉄道会社のせいで、どんどん空洞化が進み行き着く先は本当のガラパゴスなのかもしれないが、体力さえあれば結構いけると自信を持つ。

朝一の便で行くのと、その次の便でちょっと朝ゆっくりして行くのでは、それこそ数千円の違い。

出張経費は最終的にはお施主さんが支払っていただくのだが、数千円、数百円をどう削るかという、とてもシビアなレベルで現場監督さんと膝を付き合わせ日々設計を進めている身としては、少し位朝大変でも、その積み重ねで一本でも素敵なモミジの植栽が外構に入るなら、喜んでそうする。本当にそう思う。

建築なんてヤクザな世界に身を投じ、いわゆる有名企業で働く経験を持たないと、「会社の経費でおとすから」とか、「お客さん持ちだから」なんていう発想には触れることも無く、いわや事務所の死活問題。

これ一つ売れれば、このブロックを一つ積めば、そんな単純経済ではいかないが、少なくともこのエクセルの表を一枚作る事で、この図面を一枚描くことが、いったい会社が提供する業務のどの部分に位置をして、それに対してお客さんがどれくらいの対価を払ってくれるのか?自分だったらどれくらい払うのか?適正価格を頭に入れて、また自らの労働価値を頭に入れて、それに対して報酬がどのように払われるのか、そんなセンスを持ち合わせていない従業員がいる会社は、これからの時代を乗り切るのは厳しくなっていくのだろうと思いながら、モノレールから眠りに入る東京の姿を眺める。


2011年6月2日木曜日

じゅらくでドン

建築の現場というところにいくと、なかなか面白い言葉に出会うことになる。

例えば、「ツライチ」。

それぞれに厚みの違う建材同士と貼り合わせる場合に、そこに段差をつけずにフラットに仕上げる状態をいい、段差がない分見栄えもよろしく、どこかの若手芸人のような調子のよい語感と合わせて、結構お客さんに好評な言葉である。

「知らないと恥をかく現場用語のすべて」なんて感じで、一冊本が出てしまうくらい多種な言葉があり、知ってるからなんだんだ・・・と逆に思わないでもないが、とにかくふと思うと結構面白い言葉が多いのは確かだと思う。

和室の仕上げでよく見られるじゅらくなどの土壁は京都風の和室に仕上げる塗り壁材のこと。元は秀吉が京都の西本願寺付近に作った聚楽第の池の色に似た色の塗り壁で、日本庭園の深い緑色をした塗り壁が語源だとか、その聚楽第の跡地の土を使った塗り壁だとか言われる、いわば京風和室と共に日本全国に上質な和室の壁の呼び名である。

扱いのとても難しいじゅらく壁が、襖などの建具と絡む部分に枠などで見切りをつけずに、そのままぶつけて仕上げて欲しい、という内容を現場監督さんが建具屋さんに、「難しいのはわかるけど、あの建築家の先生がそう言っているので、なんとかやってくれないかな・・・」みたいなニュアンスを醸し出しながらの「じゅらくでドン」。

「ドンか・・・」と建具屋さん。
「ドンです」と現場監督と建築家。
そして、みんなで苦笑い。

そんな現場で生まれるものは、やはり手の痕跡を内包した上質の空間。

きっと良い住宅になるだろうと確信できる瞬間でもある。