2014年12月28日日曜日

「青い春」 豊田利晃 2001 ★★★

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スタッフ
監督 豊田利晃
原作 松本大洋
脚本 豊田利晃
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キャスト
九條:松田龍平
青木:新井浩文
雪男:高岡蒼佑 現:高岡奏輔
木村:大柴裕介
大田:山崎裕太
吉村:忍成修吾 
オバケ:EITA 現:瑛太
野球部の1年:塚本高
さぼーる(おばちゃん:小泉今日子
シンナー中毒の学生:ピース・又吉直樹
お礼参りする学生:佐久間一行
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父は俳優の松田優作で、弟も俳優の松田翔太という松田龍平。あまちゃんでの好演が懐かしいが、その彼のデビュー間もないころの作品。松本大洋の漫画を原作として実写からされたなんとも雰囲気のある不良モノの青春映画。

高校の屋上に集り、柵の外に立ち、手を離して倒れていくまでに何回手を叩けるかを競う「ベランダ・ゲーム」に興じる不良グループのメンバーは、松田龍平演じる九條、新井浩文演じる青木、高岡蒼佑演じる雪男と、不良モノといえばすっかり馴染みとなった役者たち。

「あっぱれさんま大先生」で人気者であった山崎裕太や、「リリイ・シュシュのすべて」で市原隼人を苛める役を演じた忍成修吾など、演技に定評のある役者を脇に揃え、昔の番長像とは一線をかくす、静かな中にも強い何かを感じさせる松田龍平の演技はその後の活躍を案じさせるのに十分なモノである。

挿入歌はミッシェル・ガン・エレファントの「赤毛のケリー」に「Drop」と、画面から音楽までなんとも雰囲気のある作品に仕上げられており、普通の不良映画と思って見始めるとそのクオリティの高さに度肝を抜かれる。どんなに刹那的であっても、それでも粋がって生きなければいけない青い春。悲しくなるくらいの刹那さが画面を覆う。

この作品からおよそ10年で映画「舟を編む」とテレビ小説「あまちゃん」と、世間の認める役者まで上り詰めた松田龍平。良い映画を観ることができたと気分がよくなり、「テレッテッテッテッテッテレテレ」とあまちゃんのテーマソングを口ずさみながら画面を閉じることにする。






2014年12月26日金曜日

「キサラギ」 佐藤祐市 2007 ★★


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スタッフ
監督 佐藤祐市
脚本 古沢良太
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キャスト
家元(いえもと)  小栗旬
オダ・ユージ  ユースケ・サンタマリア
スネーク  小出恵介
安男(やすお)  塚地武雅
いちご娘。(いちごむすめ)  香川照之 
如月ミキ   酒井香奈子
イベントの司会   宍戸錠
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第50回(2007年)ブルーリボン賞・作品賞
第31回(2008年)日本アカデミー賞・オールナイトニッポン話題賞(作品部門)
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「なんだか随分テレビっぽいな」と思って調べたら、どうやら監督は随分と長いことテレビドラマの監督を務めて、その後活躍の場を映画へと広げた人のようで、その印象は間違っていないようであるが、こういうテレビと映画の撮影と編集の違いとは何だろう?と考えてみると、やはり30分や1時間という限られた時間でマスに向けて物語を展開しなければいけないという制約の中で、やはりある程度分かりやすいコマ割りや編集に迫られるのがテレビであり、それに対し2時間近い幅を使って緩急を変えることができやすいのが映画なのかと考えをめぐらし、ぜひとも一度専門家に聞いてみたいものだと思いながら見終えた一作。

5人の登場人物が一つの部屋という限られた設定の中で物語を展開していく舞台劇のような映画。序盤から中盤、そして終盤とそれぞれの登場人物の人物像を変化さえ、関係性をコロコロと変えていくだけの演技の幅が要求されるだけに、俳優人へのハードルは相当高かっただろうと想像するが、この作品が様々な映画祭で賞を受賞しているのも納得できるくらい、長い時間を飽きさせることなく緩急を持った物語に仕上がっている。

それにしてもやはりこういう舞台劇のような作品を見ると、「ドッグヴィル」の出来の高さを改めて感じずにことになり、舞台に足を運ぶことが日常の一部になる生活に思いを焦がすことになる。
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佐藤祐市


2014年12月25日木曜日

Japanese Junction

年末が近づくと「Japanese Junction」という海外で建築を学ぶ学生の作品を紹介する展覧会がここ数年続いて開催されているなと思っていたら、今年はある縁からそのイベントにゲストとして参加する機会を頂いた。

イベントは二部から構成され、クリスマスの本日に行われるのが「Japanese Junction」といい、現在進行形で海外の大学などで学ぶ日本人の学生の作品を展示する展覧会に合わせて、既に独立をし海外を活躍の場としている上の世代の建築家を招いての講評会。

そして私が参加するのは年明けに開催される「Emerging Trajectories」という、かつて海外の大学で建築を学び、その後日本に戻り実務を積んだ後に事務所を立ち上げ、建築家として活躍を始めている4人の若い建築家の作品を紹介する展覧会。

その展覧会に合わせて、各展示者が留学前、留学中、留学後という流れに沿って各自の建築活動を発表し、それについてゲストの私がコメントをするのと同時に、我々MAD Architectsの活動についてもレクチャーを行うというもの。

日本で建築を学び始め、世界に出て建築に揉まれ、そして建築を生業として自らの足で前に踏み出そうとしている若い建築家の方々に、少しでも我々の経験から何か伝えられる機会になればと思いながら、レクチャー資料を作成することにする。


開催概要

Japanese Junction
会場:SHIBAURA HOUSE
住所:東京都港区 芝浦3-15-4
会期:2014年12月19日 - 26日 2015年1月13日 - 17日(日曜祝日休館)
開場時間:11:00 - 17:00 
[関連イベント Project Review]
日時:2014年12月25日 18:00 - 21:00
会場:SHIBAURA HOUSE
ゲスト:重松象平(OMA)、吉良森子(moriko kira architect)、豊田啓介(noiz)

Japanese Junction Emerging Trajectories
会場:ミーレ・センター表参道
住所:東京都港区南青山 4-23-8 
会期:2014年12月19日 - 26日 2015年1月6日 - 17日(月曜休館)
開場時間:11:00 - 17:30
[関連イベント Emerging Trajectories]
日時:2015年1月14日 18:00 - 21:00
会場:SHIBAURA HOUSE
ゲスト:早野洋介(MAD Architects)

2014年12月24日水曜日

2014年12月17日水曜日

ブルジュ・アル・アラブ Burj Al Arab Atkins 1999 ★


恐らく「世界で一番有名なホテル」として名前が挙がるとしたらこのホテルではないだろうかと思われるブルジュ・アル・アラブ(Burj Al Arab)。新興都市ドバイの経済成長のアイコンとして1999年の以降何度もメディアを賑わした7つ星ホテル。

一体何の基準で「7つ星」になるのかと調べてもなかなか明確な基準が出てこないが、まぁ兎にも角にも贅を尽くしたホテルだということであろう。

建物はペルシャ湾に面するビーチから300mほど沖合いに作られた人工島に建ち、そこまではホテル専用の橋によってアプローチをする形になっている。ホテルの高さは328mで、当時としては世界最高の高さを誇るホテルとしても有名になったが、周囲に比較する建物が無いので、それほど高い建物だとは思えないのが不思議である。

「設計は誰だっけ?」と同行人と話していると、「フォスターじゃなかった?」と答えが返ってきたので、「確かにありうるな・・・」と納得したが、その日の夜に食事をした協力会社の代表の人から聞くと、イギリスの組織設計のアトキンス(Atkins)だという。

やっと橋の入口に着くと多くの観光客らしき人たちが写真を撮っている。厭な予感がするなと思っていたら案の定セキュリティと思われる人に止められて、「宿泊客じゃなければここから先は入れない」と言う。「中のバーかレストランでお茶をしたいんだ」というと、「それなら予約が無ければ入れられない」というので、「では、ここで予約をとりたい」というと、「一人ミニマル・チャージが250AED」だという。

「何もかもがお金か・・・」とげんなりするが、ここまで来て内部を見ないのも癪なので、それでよいから予約をとりたいというと、「クレジットカードの番号を控えさせてもらう」と。上階のレストランは予約で一杯だから、空いているのは中華レストランだといわれ、しょうがないのでそこでいいから予約を取ってもらうことに。

待つこと暫く、やっと中と確認が取れたというので、ゲートを開けてもらい、ビーチに寝そべる観光客達を眺めながら、ペルシャ湾の水が以外に青いということに驚きながら、到着するロビーは、中に入ると左右にカラフルな魚たちが泳ぐ大きな壁面水槽の脇にエスカレーターが設置され、中央には段々状になったところに人形と噴水が設置されており、「これほど高級ホテルのロビーでこれだけ品疎な空間か?」といぶかしんで上を見上げると、背の高いアトリウムが北側のガラス面から白い布を通して光を取り入れ、三角形の吹き抜けに面した二面に面する各客室へと光を届けている設計になっているようである。

それにしても内部の設計もそして内装も、とても7つ星と銘打つようなクオリティには思えず、ロビーで大声で話しながら記念写真を取っている中国人の客の様に、どこかで見たことのあるデジャブ感は拭えない。

胡散臭さを感じながらエレベーターで上階へ。その先に廊下となっており、中国の地方のホテルに併設されているような安っぽくはあるがうっているものは、ビカビカのアクセサリーという如何にも成金趣味のショップが軒を並べ、その先に小さな受付。そしてその受付の脇からやっと外の海が眺められる構成。

ここまで建築空間としての豊かさは皆無。恐らくロビーや公共空間など、敷地との関係性でどの様な豊かな空間を作り出すのかが目的とされたのではなく、LEEDのプラチナムを取るにはどのような設計が必要かと考えるように、7つ星として認定されるにはどのような設計が必要か、世界の中で贅沢なホテルといわれるためには何が必要か、という視点で設計がされ、全体のないバラバラな局所のみの設計に終始した印象は否めない。

そんな訳で予約したレストランにどの様にたどり着けばいいのかを知るようなサイン計画がされている訳でもなく、建築的にどちらにいけば公共空間があるのかが分かるような明確な空間構成がされている訳でもないので、しょうがなく受付で予約したレストランの名前を告げると、エレベーターで下の階に行けと。

エレベーターホールもなんだかげんなりするような内装で、そこで一緒になった中国人客の話している言葉を聞いていた連れの上海人は、「恐らく福州人だろう」と言う。なるほどと、なんだか納得する。

エレベーターを待つ間に、ホテルのスタッフに「全部で何部屋あるのか?」と聞くと、「部屋じゃなく、全てスイートだ」と答えられ、サービスという概念よりも、ここに泊まるステイタスだけを求めてくるテイストの無い客相手にしているホテルマンらしい対応にまたまたげんなり。

中華レストランに着くと、窓辺の席に通され、「1ドリンクで2ディッシュか、2ドリンクで1ディッシュかを選べ」と言われ、お昼を取ることなく歩きとおしてきたので、喉の渇きを潤すために少々くつろぐことにする。

クライアントからの連絡を待ちながらも携帯の充電が乏しくなってきた連れが、「iPhone5の充電器を貸して欲しい」とリクエストするがそのウエイターは「了解」と言ったっきり全然戻ってこなく、別のスタッフに頼むと携帯をどこかへ持っていってしまい、その後何の報告も無い。こんな感じで様々なところにサービスとして疑問符がつく部分が余りに多く、とてもじゃないがリラックスして雰囲気を楽しむような場所ではないようである。

中国人と思われるスタッフに聞いたところ、今では宿泊客の多くが中国人観光客になっており、それに合わせたレストランなどに仕様を変えているという。

これ以上ここにいても、何かしら得るものは無いだろうとの判断で、そそくさとドリンクと軽食を平らげ、費用対効果をどう考えているのかと思われる金額を支払い外へ。ロビーでタクシーを拾おうとすると、例の高級レクサスタクシーしかないといわれ、「それなら外まで歩いて普通のタクシーを拾うよ」と先ほど歩いた橋を再度歩いていくことにする。

砂漠の中に生まれた蜃気楼のような都市に、世界一のアイコンを何としてでも冠する為に生み出されたキメラの様なホテル。「グランド・ブダペスト・ホテル」の様なホテルマンの愛の感じられるホテルとは対極に位置するホテルであろうと思いながら橋を渡りきる。















マディナ・ジュメイラ Madinat Jumeirah 2003 ★★


昨日クライアントに、「ドバイで半屋外空間を利用した空間で成功と呼べる、見ておいた方がいいプロジェクトは何か?」と尋ねたところあがったのがこのプロジェクト。

ダウンタウンとは違い、街の東側に位置し、有名な7つ星ホテルのブルジュ・アル・アラブと一体となり、ジュメイラ地区の中心施設として賑わっているという。

そんな訳でドバイ・モールからタクシーに乗り、機内ではパキスタンから来ているという運転手さんに、昨日起こったパキスタンのパシュワールでのタリバンによる学校襲撃の事件について意見を聞いてみる。あちらもイスラムであれば、これから向かうビーチリゾートもまたイスラムの一つの顔。そんなことを思いながら到着するジュメイラ地区。パーム・アイランドや上記のブルジュ・アル・アラブなど初期のドバイの開発が行われた地域であるために、その完成も急激な都市発展が始まる前の2003年。

マディナ・ジュメイラとはアラビア語で「ジュメイラの都市」という意味だといい、旧市街のドバイ運河沿いの街並みを商業施設の中で再現し、その中に様々なショップやレストラン、そしてホテルが複合されている。

建物自体は古いアラビアの建物を模しており、半屋外の空間で平面的繋がっており、回廊部分からは階下に流れる人工の運河が見受けられる。身体スケールで、日を遮られ心地よい影の中に上部から日が差し込み、迷路に迷い込んだような複雑な部分を歩き回るのは、先ほどのドバイ・モールとは違いなかなか好感の持てる空間になっている。

しかし徐々に海側に近づくと、そこはホテルのエリアのようで、ところどころでスタッフが、「宿泊客の方ですか?」と行く手を遮っては確認し、観光目的の客をリゾートエリアに入れないようにしている、なんとも排他的なオペレーションである。

その為に次の目的地のブルジュ・アル・アラブに向かうために、海を見ることなく、またしても歩道空間の無い道路の冷や冷やしながら迂回していくことになる。リゾートといっても、まだまだ総合的な設計が成されるまでには相当な時間がかかり、今の客は宿泊するホテルの中だけで時間を過ごすような客だけなのだろうと想像を巡らせながら道路を進むことにする。









ドバイ・モール Dubai Mall 2008 ★


今のドバイの中心である、ダウンタウンの中心に位置する世界一高い高層ビルであるブルジュ・ハリファ Burj Khalifa。そしてその足元に広がるのは、これまた世界一の規模を持つという商業施設である、ドバイ・モール(Dubai Mall)。

総面積は110万平米。屋内フロアは55万平米。そんな数字を並べられても建築関係以外の人ではピンと来ないであろうから比較の為に「東京ソラマチ」の商業面積はいくらかというと、およそ5万平米。森美術館などは7000平米ちょっとと言うから、いかにこのモールの規模が身体スケールを超越しているかが理解できる。

内部はショップのほかにも、水族館やスケートリンク、映画館、セガのゲームセンターなどが入り、とにかくここにくれば一日他に行かなくても良いように、欲望を喚起し消費を刺激しようとするなんともさもしい空間が広がる。

アラブの市場であるスークを再現したエリアがあったり、ロンドンのストリートを模したエリアがあったりと、まさにディズニーランダゼーションの空間である。ポチョムキンの書割空間のさらに先を行き、ユニバーサル・スペースとして世界中のどこのモールでも見られる有名ブランドが、それぞれの標準仕様のデザインで後を並べ、その先にアトラクションとしてディズニーランダゼーションが被せられる。この土地の気候も文化の空間体験も何も関係なく、ただただ消費へと人々を導く閑散とした空間が広がる。

「何もここに来なくてもこれらは買えるじゃないか。」

と思ってしまうのは、ショッピング・モールと言う建築タイポロジーの本質が「世界のどこでも同じものを手に入るようにする」というコンセプトなので、まったくナンセンスな疑問であり、と同時に、地方に引きこもり、車ベースのライフスタイルに適合したイオンモールで消費を満足させるマイルド・ヤンキー達が一番正しいのではと言う錯綜した答えをもたらすことになる。

「グローバリゼーションがもたらすのはこれほどまでに場所と乖離した寒々とした風景なのか」と肩を落としながらも、それでもこれを心地よいと思わず、それでもグローバリゼーション後の世界だからこそ実現することができる新たなる地域と文化を体現する建築空間が必ず現れるのだろうと信じて次の目的地へと足を向けることにする。





ブルジュ・ハリファ Burj Khalifa SOM 2010 ★★★


現在のドバイと言って一番イメージされるのは、恐らくこの建物であろう。それがどれだけバカらしく、数年後、数十年後には必ず追い越されると分かっていても、人類の富の結晶として、また欲望の具象化として、バベルの塔以来人類と世界一高いタワーとの関係性は今も続いている。

そして現代においてその冠を頂くのがこのブルジュ・ハリファ(Burj Khalifa)。地上162階建、高さ818mという規模は既に建築物というよりも、垂直の土木スケールを持つプロジェクトであり、その周囲には政治的な匂いが待ち散らされている。

建築関係者にはブルジュ・ドバイ(Burj Dubai)として、長く野心的なプロジェクトだと認識されてきたが、建設中に巻き起こった経済危機の為に、豊かな石油マネーを保持するお隣の首長国であるアブダビに融資の頼まざるを得ざる、アラビア語で「タワー」を意味する「ブルジュ(Burj)(どうしてもその表記からバージと発音してしまいがちになるが・・・)」の 後ろにつくのが、この都市の名称では無く、アブダビの首長であったハリファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン (Khalīfa bin Zāyid Āl Nuhayyān) の名前がつき、現在のブルジュ・ハリファ(Burj Khalifa)となったと言うから、まさに政治の産物と言う訳である。

敷地は現在のドバイの中心地であるダウンタウンと呼ばれる地区のど真ん中。足元にはこれまた世界一の規模で有名なドバイ・モールが広がり、その前には毎晩壮大な水のショーが繰り広げられる池が広がる。

設計はこちらも建築の世界に身を投じているものなら誰でも知っているアメリカ・シカゴの大手設計組織であるSOM(スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル)。主任建築家として名が挙がっているのがエイドリアン・スミスで、主任構造家として名が挙げられているのがウィリアム・F・ベーカーという。

そしてその建設には、残念ながら日本のゼネコンは名を連ねることができず、韓国のサムスン物産とベルギーおよび地元のUAEの建設会社のジョイント・ベンチャーとして行われたという。

平面系は三角形に伸びた花びらのような形をしており、それが上昇する度にそれぞれのウイングがセットバックしていく形を取っている。シカゴのシアーズ・タワーはグリッドによる9分割されたブロックが徐々にセットバックしていく形を取っていたが、21世紀になってよりオーガニックな形状へと進化したということだろう。

折角なので上に上り、世界最高、そして人類史上最高の眺めを体験しようとLAからやってきているアソシエイトの一人とタワーに向かう。その途中で気がつくが、街中を走るタクシーは全てトヨタ製。しかも普通のタクシーとは違い、高級タクシーとしてなんとレクサスのタクシーが待ちの彼方此方に見られる。なんとも贅沢な街だと思うとともに、この国でトヨタが見事にビジネスに入り込んだのだと実感しながら到着するのはタワーの下に入っているアルマーニ・ホテル。

1階から39階までは全てアルマーニ・ホテルが入っており、上の展望台に行くよりも、折角だからこのホテルのバーで一杯飲んで行こうと打ち合わせでもないのにジャケットを羽織ってきたが、残念ながら上のレストランに上がるにはドレスコードがあり、ジーンズは認められていないという。決まりならしょうがないとGFのラウンジなどを案内してもらい、「展望台にいくには、一度横のドバイ・モールに行って、そこからチケットを買って入らなければいけない」というので、外に出て殆ど鏡の様なステンレスの外装材を観察してモールへと移動する。

その際に、このドバイという街は石油が安いためか知らないが、車で点と点の移動が主流になっており、地面を歩くというような行為をする貧乏人はいないのか、それともあまりの暑さに外を歩ける環境に無いのか分からないが、とにかく歩行のための設計があまりにも酷いということに気がつく。

それぞれの高層ビルは点として設計され、そこには車でアクセスすることをメインとし、その間の歩行空間やランドスケープ、照明計画などは本当に目も当てられないものである。歩いてアルマーニ・ホテルからドバイモールまで行こうとすると、途中で歩道が無くなり、しょうがなく車道に出なければならなくなるが、後ろから車が来て冷や冷やしながら狭い歩道に戻ることになる。

そんな訳で、歩行者へのサイン計画もあったものでなく、どっちにいっていいのか不安になりながら所々で人に行き方を聞いては先に進むことになる。後にクライアントに聞くことになるのだが、やはり都市計画が上手く機能しておらず、計画局と開発の許可が上手くかみ合わず、コントロールしきれていないという。それにしても、国の歴史が40年、この都市が20年のうちに作り上げられたという、都市空間に対する知識と経験の浅さが都市のいたるところに見受けらられ、それと同時に如何に日本の都市空間が長い経験の上に作られているかが理解できる。

日常の都市生活を営む上で、歩行距離や信号の位置など、どれだけストレスを感じさせないか。そしてそのストレスを感じさせない相手が、車なのか歩行者なのか、それとも全ての人に対して公平に設計されているのか。そんなことを考慮されておらず、また考慮する気も無いという雰囲気が漂うこの街には、やはり長く住まうことは難しいだろうと思いながら坂を下る。

その途中、流石高級ホテルと言うだけあって、ズラリとならずレクサスの白のタクシーの姿を写真におさめ、歩くこと10分。やっとたどり着いたのはドバイモールへの入り口。こちらも完全に車で到着することを念頭においているためにか、歩行者は殆ど地下駐車場の入り口の脇から、車を避けるようにして内部に入る動線どなっている。とてもじゃないが、世界最大のモールと銘打つ高級商業施設の設計とは思えない空間である。

施設内に漂うなんともいえない香水の様な匂いに良いそうになりながら、分かりづらい案内を読み解きながらやっと到着するのが、ブルジュ・ハリファの展望台へと繋がる「At The Top」という施設。チケットカウンターで二人分を頼むと、なんと一人500AED(ディルハム)という。日本円にして16000円ほど・・・

「一生に一度の経験だから・・・」と連れのアソシエイトと自分達を言いくるめ、換金した現金をかき集めて支払うことにする。後で調べると、これは特別なチケットでディズニーランドのファストパスの様に、並ぶことも無く、しかも通常の展望台よりも上の特別展望台にいけるチケットだったようである。ちなみに通常のチケットは300AED。はっきりいって違いは殆ど無く、そちらのチケットで十分であろう。それにしてもそんな説明も無いとはなんとも上から目線の売り方だと思わずにいられない。


とにかく、その特別チケットを購入すると、脇の控え室に通され、非常に動作のゆっくりな民族衣装に身を包んだ現地民に説明を受けながら甘いコーヒーとお菓子を提供される。案内が終わると、そのガイドについて先に進んでいく。モールとタワーは地下で繋がっており、動く歩道を通りながら、ドバイの歴史やタワーの建設の様子などを見学する形になっている。それにしてもこのガイド、殆ど喋ることも無く、行く先々で知り合いにあっては抱き合って挨拶をしているだけで、「さすがはレンティア国家・・・。仕事への責任感が薄いな・・・」などと思いながら先に進む。

高速エレベーターで高層部に移動し、そこで一度エレベーターを乗り換え今度は少々小さいサイズのエレベーターで到着すると、ホテルのラウンジのような展望エリアに到着。ここでも何人ものスタッフが待ちうけ、お菓子や飲み物を提供してくれる。殆ど説明は無く、皆勝手に周囲の展望スペースから眼下に広がるドバイの風景を眺めることになる。

このドバイの構成は、海岸沿いに伸びるメインロードに沿って高層ビルが建ちならぶ非常にリニアな構成を取っている。だから海側から見ると一枚の壁の様な印象になる。なので一番高いこの展望台から見ると、西と東に壁が延びるようにして様々なデザインをまとった高層ビルが伸びている。

海側を見ると、有名な「ザ・ワールド」や、「パーム・アイランド」プロジェクトがうっすらと見えている。しかし中国でもそうであるが、砂漠の中に作られた都市だけあって、砂漠からの砂塵の影響か遠くはうっすらと視界が悪くなっているのが印象である。

屋外の展望スペースにでて、「ミッション・インポッシブル」でトム・クルーズが上ったこのタワーをシーンを思い出しながら、恐る恐る下の風景を見る。さすがに落下防止の為に、殆ど身体を外に出せない設計になっているが、それでも高さを感じるには十分な風景である。そしてこの屋外展望台は風を避けるためか海とは逆側に設置されているために、余計に街の外に広がる砂漠の風景が印象的である。

「これが人類史上一番高い場所からの風景か」と、感傷的になるようなものは無く、殆ど他の高層ビルから見る風景との違いは感じられない。それが歴史都市ではなく、新たに作り上げられた人工都市の虚しさであろうと想像しながら、展望台を後にする。