2015年12月31日木曜日

マカオ(Macao,澳門,Àomén) ★


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世界遺産
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香港にはビザの延長や仕事の打ち合わせなどで来ていたので、なかなかゆっくり過ごす機会がなかったが、今回は手元にパスポートもあり、かつ時間もそこそこあるというので、せっかくだからとマカオまで足を伸ばすことに。

セントラル駅のマカオ行き専用のフェリー乗り場で出国の手続きなどをして、船に揺られること1時間近く。到着したマカオのフェリーターミナルで入国チェックなどを行い、観光案内所で中心部へいくバスを聞いて乗り込むことに。

どうやらマカオでは中国の携帯がつながらないようで、いきなり手足をもがれたような気分になりながらも、いかにも中心地という場所でバスを降りる。

どうやらここはマカオ歴史地区の中心に位置するセナド広場(Senado Square)らしく、ポルトガルによる統治時代の街並みを色濃く残し、またマカオ一番の観光スポットのセント・ポール寺院( Ruins of St. Paul's)までもここから歩いていくのが便利と言うこともあり、初めてマカオに来た観光客はとりあえずここに来るという場所らしい。

事前調査もほとんどなしに、ガイドブックなども持ってこなかった上に、携帯がつながらないという三重苦の為、久々に勘に頼ってメインの観光地を巡ろうということで、なんとなく路地を巡りながら道を進む。

その勘が随分外れていたようで、途中かなり大回りをしながら坂を上り見えてきたのはモンテの砦(Monte Fort)。上に上り、高くなった丘の上からマカオ市内を見下ろしながら、脇のマカオ博物館には立ち寄らず、隣の世界遺産にも登録されているというセント・ポール寺院( Ruins of St. Paul's)へと向かうことに。

1600年当たりにイエズス会にて建設されたというこの教会。当時のアジアにおいては最大のカトリック教会だったというが、時代が下って1835年の台風によって発生した火事の際に大部分が消失し、現在は正面のファサードのみが残る形となっている。

完成当時のこの教会には、日本でも馴染みの深く、カトリック教会の宣教師でイエズス会の創設メンバーの1人であるフランシスコ・ザビエルが、この場を拠点にアジアでの布教活動を行っていたという。日本国内でどこにいっても「○○立ち寄りの地」として名前が挙がる、空海や蓮如上人、それに松尾芭蕉のようにフットワークの軽い宣教師だったのだろうと想像を膨らませる。

そんな教会脇でマカオのB級グルメとして知られるポークチョップバーガー(豬扒包)でお腹を満たし、中国における歴史地区としての観光地であれば、こんなもんだろうと納得し、「007 スカイフォール」で描かれた水上カジノのように華やかな夜のマカオの顔は見なくて良いだろうと、さっさと香港に戻るために行きに乗ってきたバスのバス停へと向かうことにする。

行きのバスの終点として表示されているターミナルと同じ行き先のバスが来たので、焦って乗り込むが、やたらと乗車時間が長く、「あれ」と思いながら到着した終点で多くの人が降りていくので、その流れに乗って進んでいくと、「なんか、来た時と雰囲気が違うな・・・」と思いながらも出口と入り口は違うのだろうと思いながら、先を進み切符を買うことなく出国手続きの波にのまれる。明らかにおかしいと思ったときには既に逆側に到着してしまっており、そこには大量の中国人。これは明らかに何かがおかしいと、警備員らしき中国人に聞いてみると、明らかに中国人らしい横柄な態度と中国語で「すでに珠海市に入っているという」。

かなり混乱しながらも、どうやらマカオから香港に渡るフェリー乗り場ではなく、マカオと地続きの中国側の珠海市に渡る国境を越えてしまったようである。「これが携帯がつながらない場所での危険性か」と思いながら聞いてみるが、珠海市から香港に行くにはかなりの距離にあるフェリーターミナルにいってフェリーに乗るか、再度マカオに入ってマカオから香港に渡るフェリーターミナルに行くかだというので、悔しいが間違いがないように再度マカオへと入ることにする。

早めに観光を切り上げていたので良かったが、かなり時間をロスしてまた入ったマカオで、今度は節約のためにとバスになど乗らず、タクシーを捕まえてフェリーターミナルに向かってもらう。

20分ほどついたターミナルはやはり朝来たときの面影があり、フェリーチケットを買い込んで出国手続きをし、無事に香港へ向かうフェリーに乗り込み、安心しながら再度ウツラウツラとしながら、香港に比べ思った以上に中国だったマカオに別れを告げる。



















2015年12月30日水曜日

PMQ元創方(Police Married Quarters) 2013 ★



MTRの上環駅からヴィクトリア・ピークに向かって歩いていくあたりは、かなり急勾配の坂に小さな建物がひしめく様にして建っている以下にも日本人が抱く香港のイメージが味わえる。

そんなエリアの中に、かつての警察宿舎を改修し、デザイナーの工房やショップ、レストランとして新たな商業施設として蘇った建物がかなり話題を呼んでいるということで、妻もいくつか店を見てみたいというので坂をトコトコ上って訪れることに。

PMQ元創方(Police Married Quarters) と呼ばれるこの建物は、坂に対して建つスラブタイプの建物の両端にトイレやキッチンなどの共有機能と階段が設置されており、その間は標準化された部屋となっていたようである。

地上とつながる下層部には洋食のレストランがはいっており、上階はアクセサリーやファッションのショップとなっているようである。東京でも良く見られるストックを利用し安い賃貸で若者に貸し出す中心部活性化運動の一部のようで、多くの若いデザイナーやショップ定員の姿が見える。

ざっと見ると、おしゃれっぽいかと気になって中に入ってみるが、よくよく見てみると結構似ている商品を置いていたり、それほどクオリティーが高いということではないようであるが、それでもかなりの値段をつけていながら、結構な人で賑わっているのに驚く。

それでもここが注目スポットとして海外の雑誌にも掲載されるところを見ても、「文化の砂漠」という言葉もあながち間違っていないのか・・・と思いながらここを後にする。







ラマ島(Lamma Island,南丫島) ★★



普段から仲良くしている香港人の旦那さんと韓国人の奥さんが経営している韓国料理のレストラン。そこに勤めるアメリカ人の若い女の子が先日香港に行った際に、中心部を観光したがあまりピンと来ないとそのオーナーにメールを送ったところ、「それなら足を伸ばしていってみたほうが良い」とアドバイスしたのがこのラマ島(Lamma Island,南丫島) 。

群島である香港の、最大の島がいわゆる香港島。地図を見ても分かるように、その周辺にはいくつもの島が存在し、セントラルからフェリーで30分などでいけてしまい、香港に住む人も休みにビーチで憩いの時間をすごしたりする場所だという。

「中心部より断然良かった」というそのスタッフの女の子の声に推され、せっかくだからと自然の残る香港の風景も見ておこうと足を伸ばすことにする。朝早く出発し、セントラル駅周辺の有名なお粥屋さんでいかにも広東というおいしいお粥で腹を満たし、セントラルからフェリーに揺られ、ウツラウツラとしているうちに到着したのは島の北西部の溶樹湾(ヨンシーワン)と呼ばれるフェリー乗り場。

このラマ島には二つのフェリー乗り場があり、この溶樹湾と島の南東部に位置する索罟湾(ソッグワン)。それぞれの乗り場から歩いて40分くらいで南西に位置するビーチに辿り着き、そこからまた30分ほど歩くとそれぞれのフェリー乗り場に到着し、その周辺には港町が開けており、海鮮料理が食べられるレストランや土産屋が軒を並べるという訳である。

このハイキング道、なんと言っても特徴的なのは島の西側に位置する巨大な火力発電所に立つ3本の巨大な煙突。それが大体どの場所からも良く見えて、さすがに「場所によっては2本に見える」なんてことはないが、徐々に遠くなるその姿は香港の夜景を支えるエネルギー供給地としての姿はなんともシュールである。

それほど高低差はないといっても、さすがにところどころでは汗が噴出すような坂道があり、その代わりではないが、中心部と打って変わってほとんどすれ違う人もいなく、自然と海の眺めをゆっくり楽しめる。

途中で名物だという豆腐花で糖分を補給し、ゆっくりと約1時間半、長い間変わらず昔のままの風景を残しているこの島の景色を楽しむことにする。
















2015年12月29日火曜日

ヴィクトリア・ピーク(Victoria Peak,太平山)★★★



2015年、日本で一躍時の人となった建築家のザハ・ハディド。彼女を建築界において有名にしたきっかけが、香港の夜景を眺めることができる高級住宅街でもあるヴィクトリア・ピーク(Victoria Peak,太平山) の山頂に計画された、住居付き高級クラブのコンペティション。そこで当時無名といってよかったザハの斬新な案を、審査員の一員であった磯崎新が大変評価し500を超える応募案の中から一等を与えた香港ピーク(Hong Kong Peak)と呼ばれる1983年に開催された建築コンペ。

結局その後クライアントの経済的な問題のために実現することはなく終わったが、「アンビルドの女王」と呼ばれるザハのキャリアの輝かしいスタート地点として、一気に彼女の存在を建築界の中心へと押しやった事件である。

そんな訳で、かつてザハ・ハディド事務所に在籍していたものとしてやはり思い入れのあるのがこの香港ピーク。標高は552メートル。香港の島側である「香港島」における最高峰の為に、古くイギリス租借時代より、港を見下ろす景勝地として親しまれ、元々は太平山と呼ばれていた山に対し、ヴィクトリア女王の名にちなんだ名前をつけたためにそう呼ばれている。

今回は旅の主導権を握っている妻が、どこから見る夜景がすばらしいかなど随分と細かくリサーチをしていたために、セントラルからとことこ歩いてやっと辿り着いた花園道駅で、山頂まで急斜面を駆け上がるトラムに並ぶために行列に並び、車内も斜面にあわせて段上になっている特注的な床面でかつて乗った時のことを思い出し、山頂駅ともなっている テリー・ファレル(Terry Farrell) 設計によるピーク・タワー(凌霄閣)へと到着する。

ピーク・タワーの屋上にある展望台には上がらず、人通りの少ない少々寂しく思える脇の遊歩道を歩くこと15分で到着した視界が開けた場所からは眼下に広がる100万ドルの夜景が見事に眺めることができ、少々もやがかかっていたが妻も十分に満足した様子でご満悦。

下りもトラムという手もあるが、恐ろしいほどの人が並んでいるために、ピーク・ギャレリア裏にあるバスターミナルから、タクシーを待つかバスを待つかで迷いながらもコスパと待ち時間を秤にかけて路線バスで坂道を下ることにする。