2011年5月31日火曜日

一冊

作品集でなく、その思想となると、一人の建築家にとって一冊で充分だと思う。

文章自体が作品となる磯崎クラスになれば話は別だが、自分が何をやっているかすら微妙な時期に消費の波にのまれる必要はなく、じっくりと時間をかけて、真摯に自分に向き合ってきた建築家が、作品を作ってきた過程を整理し、ブレることなく暗闇の中で一つ一つ、言葉と、図面の上に散りばめられた手の痕跡を積み重ね、その想いが詰まった一冊に出会うのは至極の喜びである。

本屋の中でそんな一冊を見つけても、決して安くはない建築本だけに簡単に手を伸ばすことはできず、プロジェクトを終えていただいた報酬をもって、やっとそのページを開き、その著者が自分に向かって語ってくれる時間を過ごすことは何よりの贅沢である。

学校を出て希望にあふれて実務の世界に飛び込んでも、日々の業務に追われ、いつしか昔、心を震わせた本の中のあの建築家の言葉達から遠くなっていってしまう日常に溺れることなく、孤高の路を行き続けた人たちだけがたどり着いたその一冊は、自分たちへの叱咤でもあるということ。

一つのプロジェクトに区切りがついた時に、今の自分に何が必要かを真剣に考えて選んだ5冊の重さをしっかりと手に感じ、今度はどんな世界が広がるのかと想像力を逞しくしながら家路につく。

2011年5月30日月曜日

椅子の祖型  / アーロンチェアー・プロジェクト





















椅子の祖型  / アーロンチェアー・プロジェクト
早野洋介 (MAD)
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それは大地から身体を切り離し
もう一つの皮膚として
再び身体を大地へと繋ぎ止める装置

文明の収束点として
必然と現れる幾何学や数学などと
いわや併置されるべき
身体の拡張としての第二の被膜

そして身体に与えられたのは
自由と拘束

身体の文化活動の舞台として
歴史の中で様々な形態を伴って現れる椅子

その舞台の上で
舞い踊った
数え切れない身体を
椅子はネガの被膜として写し取ってきた

そして現代における生産活動:
オフィス・ワークにおける
身体の拡張として生み出された
アーロン・チェアは
近代の社会に生きる身体の投影

拡張された身体に与えられた新たなる動き
その動きをさらに加速し
引きちぎられそうな表情を見せる
臨界点寸前の第二の皮膚

悶えるように
素材感を失い
狂えるように
時間を剥ぎ取られた
第二の被膜の重なりの中で向き合うのは
人類の歴史の中の座る身体と椅子の祖型のみ

祖型に座る身体として浮かぶのは
1000年後の我々の姿
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ハーマンミラー社のベストセラー製品アーロンチェアを5人のアーティスト・建築家がカスタマイズし、新たなる価値が加えられた、1点もの作品の販売収益が、東北復興へのチャリティーとして使われるというプロジェクトに参加する機会をいただきました。

参加アーティストは

東信(フラワーアーティスト)
鈴木康広(現代美術作家)
永山祐子(建築家)
名和晃平(現代美術作家)
早野洋介(建築家)

となっております。

各メディアにおいてもニュース発信が行われております。
http://www.fashionsnap.com/news/2011-05-23/hermanmiller-aeron-with-art/

7月28日には「アートフェア東京 2011」(http://www.artfairtokyo.com/)で作品の公開をし、
7月29日にはハーマンミラーストア(http://hermanmiller.co.jp/storetokyo/)を会場として、
作家によるトークイベントもありますので、お近くまでお越しの際は是非足を運んでいただければと思っております。

間接的ではありますが、少しでも東北の力になれればと思い、願いを込めて作った作品に仕上がっておりますので、ぜひ会場にて実際に見ていただければ幸いです。


早野洋介/MAD
プロジェクト・チーム;早野洋介、二ツ木玄、原田晃平、小林将司
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2011年5月7日土曜日

「リピート」 乾くるみ 文春文庫 2007 ★★★



タイム・トラベル系の話だが、従来のものよりも一歩踏み込んだ設定。

現在の記憶を持ちながら、過去に戻れるとしたらどうするか?

そんな設定は掃いて捨てるほど作られてきたが、過去に戻る(ジャンプ)できるのは時間の中の一点のみで、それを逃せば二度と過去へは戻れない。という条件。

そして、過去に着くのは常に一定の時間ということ。

更に、戻った過去でも、また決まった時間に来ればまた過去に向かってジャンプできるということ。

これだけ詳しく設定が付け加えられるのは、過去に戻った人間が一体どの様に時間を過ごすのか?に対して作者が膨大なシミュレーションを頭の中で行って、実際の一人の人間としてその世界を体験し、時間を過ごし、何度も何度も葛藤しながらジャンプを繰り返し、果てのない自らの欲望に向き合ったからこその賜物だと思わずにいられない。

ミステリー好きならば読んできたであろう過去の金字塔作品。使い古された「タイム・トレベル」という題材にそれでも敢えて挑戦しようと思ったのは、自分にその準備、使い古された世界に新たなる息吹を与えられるという確認が心の中で生れたからに違いない。

違った時間を過ごした人間にとって、現実をリセットし、過去へ戻れるというのはまったく違った意味を持つ。受験に失敗した高校生。就職活動中の大学生。どこにでも居そうなOL。そしてタイム・トラベルを繰り返し、クローズド・サークルを知り尽くし、退屈しないようにと毎回違ったメンバーを募集する中心人物。

多様な視点を取り込み横の広がりを与え、入れ子の入れ子となるサークルから螺旋へと発展するクローズド・サークルを描き、物語に立体的な奥行きを与える。

そんな話を読んだ後は、過去へと戻れる時空の裂け目が自らの目の前に現れたとしても、ジャンプをすることなくそれを見送ることが出来るだけの、現在に対する満足度をどれだけ高めておけるのか?それに向き合うしかないんだと痛感する一作。

2011年5月5日木曜日

端午の節句














今年の節句も既に半分を過ぎたかと思いながら、
夕方思い出したように柏餅を買いに走り、
なんとか最後の一つだというのを手に入れて、
菖蒲を買い込み、
風呂にお湯を張りつつ写真をパチパチ。


来年か再来年か、
このセットに鯉のぼりがメンバー入りしていることを願いながら、
柏餅を頬張る。