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所在地 鳥取県米子市彦名町
主祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)
様式 流造
社格 別格官幣社
創建 不詳
機能 寺社
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雪が降りしきる夕暮れ時に、本日最後の最後目的地。完全なるトワイライトの時刻に神域に踏み入れるのはかなり怖い気もするが、明日の天気を考えるとここにこれるのはこれが最後のチャンスとばかりに気をつけながら車を飛ばして米子市内を北上する。
左手にうっすらと見えてくるのはこんもりと繁った森。細い道に入り込み鳥居脇の駐車場に車を停めると既に日没は過ぎて当たりはうっすらと見えるくらいの暗さに包まれている。雪に埋もれた足元に注意しながら、鳥居をくぐると目の前に見えてくるのは果てしなく上まで伸びるかの様に見える石階段。
これを登っている間に完全に闇に包まれてしまうのでは・・・と思いながらも、ここまできて登らないのはないだろうと、手すりにつかまりながら、雪の積もる滑りやすい急勾配の階段を意識を保つ為に数えながら上がっていく。
もちろん踊り場などあるわけもなく、休みまもなくノンストップで登っていく。息は切れるが止まったら日が暮れてしまうしと心は焦りながらも足はフラフラ。びちゃびちゃになった雪のお陰でさらに滑りやすくなった石段を傘をさしながら何とか登りきる。その段数なんと187段。
肩で息をしながらも休む暇は無いと足を前に進めるとそれほど広くは無いが十分な奥行きのある空間が開けている。地上から持ち上げられ、水平に整えられた儀式の空間。まさに神域と思えるなんとも不思議な空気が流れている。
それもそのはず、この粟島神社(あわしまじんじゃ)は主祭神を少彦名命(すくなひこなのみこと)とし、「一寸法師」のモデルと言われる小さな身体のこの神様は、その身体の小ささから栗の穂にはじかれて「常世の国(とこよのくに)」に渡ったということから、この地が「粟島」と名づけられたという。
そしてその「常世の国」とは、古代に信仰された、海の彼方に存在するという異世界のことであり、不老不死をさすと共に、死者の国も意味した。その為ではないだろうが、決して規模が大きいわけでも無い境内はそれでもしっかりと人の手入れが届いた雰囲気を保ちながら、非常に整った感じと、そして何か得たいの知れない不思議な空気が混在する。
朝から緊張感を感じながら、それでもカメラを覗き込んできたためか既に左目の筋力は失われかなり目がショボショボするのも手伝って余計に周囲の不思議な空気に圧倒される。如何にもこの世の境の様な雰囲気を示す本殿にまずは手を合わし、その後ろのうっそうとした森を除くのはなんとなく気が引けると同時に、日が完全に落ちた闇の中でこの境内にいるのはどうしても避けたいとすごすごと引き返すことにする。
階段に残る自分の足跡を見ながら、足を踏み外さないようにと気をつけてサイド187段の階段を下りていく。下についたときには完全に周囲は闇に包まれて、車に到着するとどっと疲労が身体を襲う。
後々調べてみると、この神社には他にも様々な伝説があるらしく、一つは「八百比丘尼(やおびくに)の伝説」というもので、神社脇には人魚の肉を食べて不老不死になった18歳の少女が逃げ込んだといわれる粟島洞窟があったり、この神社で祈った88歳の老婆が子供を授かった為に八十八からくる米の子として、米子の地名になったとか、なんとも不思議な曰くがついてくるのも納得できる雰囲気を持った神社である。
とにかく足を滑らせ怪我をすることなく一日を終えられたことに感謝し、折角なので米子市中心の繁華街でチェックしていた食事処を除いて食事を済ませて宿に帰ろうと、先程やってきた産業道路を南下することにする。
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