2015年4月27日月曜日

貧困の原因

「貧困」や「格差」が叫ばれて久しくなった現代の日本。

「絶対的貧困率」「貧困線」などそれを定義するには様々な数字が並べられ、みんな自分が「社会の中でどのあたりにいるのか?」を知るために気をもむことになる。

収入は少なくとも、多くの友達に囲まれ十分に幸福そうに日常を過ごす若者がいたり、大きな会社で勤め上げたにも関わらず、老後一人で社会とのつながりを持たず、苦しみながら過ごす人がいたりと、「貧困」の定義はなかなか見えづらい。

「最貧困女子」の中でも語られるように、同じような低収入しかなくとも、ある女性は社会から孤立し、性風俗業界を渡り歩くことでなんとか人生を紡ぎ続ける貧困の日常にいるが、ある女性は地方で中学からの友達とつるみながら、お金が無いなりにうまくやりくりをしながらそこそこ幸せな日常を暮らしている。

その違いは何なのかと考える折に、作家の橘玲が非常に分かりやすく「貧困に陥る」とはどういうことかを説明している。



経済通の作者らしく、人の持ちうる「資本」を「人的資本」「金融資本」「社会資本」の三つとし、「人的資本」は如何にその人自身が社会の中で活躍する能力があり、仕事をこなし報酬を得る力を身につけているかとし、「金融資本」は収入や資産など、その人が持っているお金の多さを意味し、最後に「社会資本」とは、友人や地域とのつながりの強さや、困った時に助けてくれる家族や親類の多さを示す。

こうしてみると、地方でマイルドヤンキーと呼ばれる収入は決して高くは無いが、多くの友達に囲まれ、地域のつながりを強固に持っている人々は「人的資本」や「金融資本」は低いけれども「社会資本」は非常の高いので、貧困に陥ることなく幸せな日常を過ごせるとする。

今はまだまだ社会で認められてお金を稼げる段階ではないが、一生懸命勉強をし修行をしながら自らの技術や知識を磨いている若い世代は「金融資本」は将来的な「人的資本」への投資を行っている段階だとする。

そしてこれらの三つの資本をすべて失っている状態が「貧困に陥る」状態だと定義する。
と同時に資本を一つしか持っていないと、何らかの拍子にそれも失って「貧困」に陥るリスクが高いとする。

仕事を一生懸命しても、それがプロフェッショナルとして「人的資本」に繋がっていなければ、頑張って収入が上がっても、それは他の「資本」を構築していないので、何かしらの原因でその仕事を失ったら「貧困」に陥る可能性がある。

同じように、必死に仕事をして友達や家族とのつながりをないがしろにし、徐々に身の回りから近しい人がいなくっていると、これも何かの拍子に仕事を失ったりとする際に「貧困」に陥る可能性が高いという訳である。

つねに二つ以上、できれば三つの資本をバランスよく向上していくこと。適齢期に結婚をし、子供を作り、両方の親とも程よりつながりを持ち、昔からの友達とも友人関係を続けながら、仕事も自らの職業人としてのキャリアを意識しながら能力を向上させつつ、それが収入の向上と同調する。

そんなスーパーリア充「超充」がベストだということになる。そうはっきり言われるとハードルの高さにげんなりし、なんとも億劫になってしまう。

まぁなんだかんだ言いながら、「貧困」なんて相対的なもので、最終的には「自分がどう捉えるか?」によってしまうかなり主観的なものである。例えば同じものでも、ある人にしたら「こんな素晴らしいものを得られてなんて自分は幸福なんだ」と思う一方、ある人にとっては「こんなものしか得られない自分はなんて不幸なんだ」と。

旅行や、ファッション、食事、生活。すべてにおいてこの心理的な受け取り方の違いは発生する。それはその人が何をスタンダードとして捉えるか、どれだけのことを知り、経験して、物事のレベルを詳しく知っているかに拠ることになる。本や映画による疑似体験やそれによって養われた想像力によって補完されることもあるだろう。

それに自分の身の丈を十分に理解し、無理をして背伸びをしないこと。それによって、同じ量でも「これだけか・・・」と思うのか、それとも「こんなにも・・・」と思えるのか、それで幸福度は変わり、心理的な「貧困」からの距離を変化する。

そんな訳で「人」「金」「社会」という三つの資本を高める意識を忘れずに、なおかつ身の丈にあった日常を生きつつ「想像力」を養いながら生きるのが、あっちにもこっちにも潜む「貧困」の落とし穴に嵌らずに生き残る術なのだと納得することにする。

2015年4月26日日曜日

「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」 瀬田なつき 2010 ★

見終わって「???」となって調べると、なるほど人気ライトノベルの映画化という訳で少々理解できた気になる。

美人だけれども、周りと協調性を一切持たず、ワガママで凶暴な如何にも「壊れた女の子」と、如何にも訳あり気味で、普通の高校生とはまったく違った日常を過ごす主人公。

その二人は10年前の誘拐監禁事件の被害者どうしてで、固い絆で結びついていると分かると少し物語が見えてくる。

それにしても、ところどころで放り込まれる「嘘だけど」というカメラ目線での台詞や、空を飛んで、落ちて死んだのか、それとも夢なのかと良く分からない演出が続くことも、これがライトノベルを実写化したと聞けばピンとくる。

活字ではある程度完結できていた世界観をあえて破綻が見える実写にすることによって、何か得られるものがあったのだろうかと疑問を思いながらも、何でも間でもどこかのメディアで人気を得たら、多メディア展開して少しでも稼がなければいけなくなってしまった現代の負の側面だと思うことでなんとか納得することにする。
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スタッフ
監督 瀬田なつき
原作 入間人間『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』
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キャスト
僕 / みーくん:染谷将太
御園 マユ / まーちゃん:大政絢
菅原道真 :宇治清高
上社奈月 :田畑智子
坂下恋日:鈴木京香
刑事:三浦誠己
誘拐犯の妻:山田キヌヲ
誘拐犯:鈴木卓爾
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2015年4月21日火曜日

定常状態での準備

立命館大学が学部を草津から大阪へと移転することに伴って、草津市での不動産価格の下落が止まらないという。


変化が起きたときに顕在化するのは、しっかりと市場を見据え、需要と供給を理解しながら競合に負けないだけの市場競争力を磨いてきたところか、それともただただ需要があることに胡坐をかき、何も考えることなく適正価格以上の暴利を得ていたところか。

どんな業界においても、定常状態は人の思考を鈍化させる。

市場のパイを独占しようとするアグレッシブなプレイヤーがいない限り、それぞれが十分な利益を得られるだけの市場価格操作を行い、売り手優位な安定した市場を守り、「持てる者」たちを守るように独占が行われる。

ユーザーの全体数が減っても、それでもそこに市場があり、一定のユーザーがいるのは変わりなく、圧倒的多数のユーザーがいるからとサービスをないがしろにした売り手価格で商売をしてきた人が焦る姿は如何にも自業自得と思わずにいられない。

このニュースを見て、如何に状況に流されず、うまくいっている時こそ自分を省みて、市場の動向と自ら市場に提供するサービスの質とその価格のマッチィングがかみ合っているかに常に意識を払っておくことが変化の読めないこの時代を生き抜くことに繋がるのだと思わずにいられない。

2015年4月19日日曜日

月の花 5月 薔薇(バラ)


「薔薇(バラ)」と聞いて想像することは人によって様々であろう。そして浮かんできたことによって、その人が過ごしてきた人生もまた透かし見えることができるであろう。

「バラが咲いた バラが咲いた真赤なバラが淋しかった ぼくの庭にバラが咲いた」

なんとも懐かしい気持ちにさせてくれるマイク眞木によるフォークソング。様々な年代の人々に親しまれているこの曲は、サン=テグジュペリの「星の王子さま」のあの印象的な挿絵が思い出される薔薇をテーマにして作られたという。

花の中でももっとも多いと言われるその花言葉。「愛」「美」「情熱」「愛情」「あなたを愛します」「貞節」「模範的」「熱烈な恋」「私を射止めて」。そのすべては恋愛に関するもの。これは古代から人へ想いを伝える花として用いられてきたその歴史によるものである。

都内での名所としては鳩山会館や神代植物公園。初夏の日差しを感じ、ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」でも思い出しながら、様々な色に咲き誇る薔薇の高貴な姿を鑑賞したいものである。

1月  / 水仙
2月 梅 / 椿 / シクラメン
3月 桃 / 沈丁花 / 白木蓮 
4月 
5月 バラ
6月 紫陽花 / 花菖蒲 
7月 向日葵 / 朝顔 / 蓮
8月 コスモス / 向日葵
9月 彼岸花  / 金木犀
10月 シクラメン / 山茶花 / 金木犀
11月 
12月 水仙




2015年4月18日土曜日

「「悩み」の正体」 香山リカ 2007 ★★

大人になるほど、
仕事の責任が大きくなるほど、
家庭を持ち、家族が増えるほど、
日々の「悩み」は右肩上がりに増えていく。

人と接するから摩擦は起こり、仕事を頑張るからできないことで悩み、そんなことならいっそ、社会から離れ、上昇志向を待たず、できるだけ人との関係を絶って生きていく。そんな日常のほうがどれほど楽か。

なんて考えることも少ない無いが、それでもこの世の中で生きていくためにはどうしても、社会の中でストレスに晒されながらも生きるために、生活するために働いてお金を得ていかなければいけない。

自分一人がこの社会の中で生きていくだけでも、相当なお金がかかるのに、ましてや家族を養っていくとなるとどれだけ頑張って外で働かなければいけなくなるのかは想像に難くない。

そんな社会と、自分の感情との葛藤で生まれるのが悩み。複雑に絡み合い、様々な人たちの参加によって運営される社会であるからこそ、自分一人の思いのままに物事は運ばず、嫌な思いをしながら、不条理なことだと思いながらも、ぐっと心の中に溜め込み顔は笑顔を保たなければいけない。

そんな「悩み」だらけの現代社会。余裕があれば、それを「悩み」と取れることなく、うまく消化できるのかもしれないが、そんな時間的余裕を与えられるわけでもなく、ひたすら「悩み」に負けそうになりながらも、なんとか心を定常状態に保って今日も生きていく。

現代に生きるものとしてその状況から逃げ出すことができないならば、せめてその「悩み」に立ち向かい、分析し理解して消化を良くすること。そんな思いで手に取るが、中には出るわ出るわ、身の回りにもなんだか会ったことがありそうな人たちが。それぞれがそれぞれの「悩み」を抱えて生きている今、どこかの暗い路地裏で喪黒福造に「ドーン!」とされて悩みをリセットしたいと悶々としていそうな同志達。

これを読んでも悩みは解決しないのは、そのタイトルを見れば分かるけど、それよりも他の皆が自分と同じように悩み、もがいている姿を第三者の視点で眺めることで、結局は世阿弥の 「離見の見」 の様に自分を距離を置いて捉えることができる。

以下、本文より一部抜粋
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その「悩み」は悩みとして正当なのだろうか
そもそも、「世話になった祖父が恒例になったことに伴う介護」が、個人だけが抱える、「悩み」にならなければならないと言うこと自体が、おかしいのではないか

本書で取り上げる「悩み」の多くは、恐らく10年前、20年前だったら、「悩み」にならなかったようなもの、あるいは「悩み」になったとしても、ちょっとした生活の知恵や工夫、まわりの人の手助けで重症にならずにクリアできたようなもの

嫌われるのがこわい――人間関係編
/場の空気を読めなかったらどうしよう
優先されるのは、自分の意見や考えを主張することではなく、周囲の空気を読み取り、自分に期待されている役割をこなすことなのだ
自分の気持ちよりもまわりの秩序を大切にする

/他人の失敗が許せない
「いじめ」に加担する子供たちは、「次は自分が標的になるのではないか」という不安やおびえを抱え、「とりあえずこの子をいじめているうちは、自分はいじめられることはない」と目の前の「いけにえ」を激しく攻撃することで、その不安などを隠蔽している場合が多い

/若い人の要領のよさについていけない
自分自身が何かに真剣に取り組み、はっきり評価を下されるのを恐れている場合が多い

/暴力にどう対処したらよいか
日本社会が全体的に他人への寛容な気持ちが薄れ、他者への攻撃的あるいは暴力的態度を強める方向に向かいつつある

「自分がやられるかもしれない」とうい不安にかられ、プライドも恥も捨てて、生き残るために「社内いじめ」に象徴されるような他者への攻撃、さらには暴力に走る人が増え続ければ、この先、社会はどうなるのだろうか

/家族どうしなのに気持ちが通じない
子供にとって、人生の早い時期に一度は、「親は自分の命よりも僕を大切だと思ってくれているんだ」などと実感することが大切だ

/働いても生活できない
廃棄処分になる「無料バーガー」を求めて、夜のファストフード店の前に集合する若者たち
自分も富裕層の一部かもしれないと錯覚するようになる
自己イメージはセレブ、実質下流

/効率がすべてなのか
素直で優秀な人材が見つかるまで、何度でも交換することができます
モノ以下 堂々と「何度でも交換可能」などとうたう
効率や生産性がすべて

/地方にいても展望がない
「どこでもできる」はずのIT産業が振興すればするほど東京への一極集中が進む、という皮肉な現象
/恋愛したいけれど出会いがない
失望されたり軽蔑されたりして傷つくよりも、何も起こらないほうがまだいい。そういう無自覚の計算が、彼の心の中で働いているのだと思う。
恋愛もまた、心の境界を超えて相手が侵入してくる体験に他ならない

/結婚は失敗だったのだろうか
いったん結婚してしまうと、シングル時代に「どんな人でもいいから、誰か私を選んでくれないだろうか」と思ったことなどはすっかり忘れてしまい、「こんな人と結婚するんじゃなかった」と今の状況の不遇にばかり目が行く

人間には、いったんある状況に置かれると、比較する対象が同じ状況の中の人ーそれも自分より幸福そうな人ーだけに限れれ、自分が前にいた状況、他の状況の人たちのことはきれいさっぱり忘れてしまう

/病気になっても医者に診てもらえない
なぜ医学部が人気なのか
「医師免許」と言う資格を取れるから
医学部を卒業することが必須 医学部さえ卒業していれば、合格率は約9割と高い
意思志望者が増加しているのに、地方の医療は衰退し、小児科医や産婦人科医のなり手がいない
小児かも産婦人科 重労働の割りに収入が低い
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■目次  
まえがき
嫌われるのがこわい――人間関係編
/場の空気を読めなかったらどうしよう
/他人の失敗が許せない
/若い人の要領のよさについていけない
/暴力にどう対処したらよいか
/家族どうしなのに気持ちが通じない

無駄が許せない――仕事・経済編  
/忙しく働いていないと不安だ
/働いても生活できない
/効率がすべてなのか
/やりがいを感じられない
/地方にいても展望がない

このままで幸せなのだろうか――恋愛・結婚・子育て編  
/恋愛したいけれど出会いがない
/結婚できないかもしれない
/子どもがいないと不幸せなのか
/親になったが自信がない
/結婚は失敗だったのだろうか

老いたくない、きれいでいたい――身体・健康編  
/自分の顔、からだを変えたい
/健康のために何かしないと不安だ
/老いたくない、病気になりたくない
/病気になっても医者に診てもらえない
/現代の医療に信頼がもてない
 
いつも不安が消えない――こころ編
/自信が持てない
/前向きな気持ちになれない
/気分に浮き沈みがある
/「ありがとう」が息苦しい
/自分は誰にも大切にされていない

 
まじめに生きてきたのに――社会・人生編  
/まじめに生きて損をした
/「便利な世の中」についていけない
/自分は何の役にも立っていない
/おとなになりたくない
/この先、楽しいことはない
 
/あとがき
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2015年4月16日木曜日

「百万円と苦虫女」 タナダユキ 2008 ★★★

ハッピーエンドではないが、非常にラストシーンが心に残る映画である。

普通の家庭に育ち、団地に住まい、クラスでも決して目立つことの無い、これと言って取りえの無い女の子。まさに主演の蒼井優の為のような役柄。

目立つ派手な綺麗さではないが、顔が小さくスタイルが良く、よく見るととても可愛く見える。クラスで皆の共通認識となるモテかたは決してしないが、良く考えると気になる存在。そんなどこの学校でもいるような存在。その微妙なポジションを描く素晴らしい演技。

ひょんなことから生まれ育った街にいることが難しくなり、自分のことを誰も知らない街に行き、そこで次の引越し代と生活を始めるための準備金として100万円を貯めるまで滞在する。それが貯まったらまたそこで貯められた自分という記憶を断ち切るかのように次の街へと姿を消す。

そんなふわふわとした存在の姉を地元につなぎ止めるのは弟の存在。そしてその弟は不条理ないじめを受け、これもまた日本中どこでもあるような、ただただターゲットとなってしまったために出口が無く、エスカレートするだけのいじめを永遠と受け続け、どうすればいいのか全く分からない日々を送る少年。

戦うのか、逃げるのか。

そんな部分を切り取れば、日本中に溢れかえっている物語。
将来に希望を描けない姉と弟。そんな何とも無い物語。

そんな漂う姉をその場所に留めるための理由となる希望としての存在として現れる森山未来。

これがまた秀逸。何ともダメ男の演技が上手いと思わされていたら、どっこい。

お互いが投げかけた視線が、交差したものと思わされたいたら、まさか交わることなく過ぎ去っていくとは。日常とは映画の様にドラマチックではないと現実と突きつけてくる、まさに映画的なラストシーン。悪くない。

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スタッフ
監督 タナダユキ
脚本 タナダユキ
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キャスト
佐藤鈴子:蒼井優
中島亮平:森山未來
鈴子の弟(佐藤拓也):齋藤隆成
海の家の主人(黒澤祐三):斎藤歩
海の家のおかみさん(黒澤広美):安藤玉恵
海の家でナンパする男・ユウキ:竹財輝之助
桃農家の絹さん(藤井絹):佐々木すみ江
桃農家の長男(藤井春夫):ピエール瀧
喫茶店のマスター・白石:笹野高史
仕事先の小暮主任:堀部圭亮
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2015年4月14日火曜日

仕事量と仕事の質

世に氾濫する「仕事ができる」とはどういうことなのかと、日々のほとんどの時間を費やす仕事に向き合う上で考えなければならない。

一つはその人がある一定の時間に処理できる「仕事量」の問題。一日に一つしか物事を処理できない人間と、一日に5つの事柄を処理する人間では明らかに後者のほうが優秀となる。

そこに今度は質の問題が加わる。5つ処理しても、4つに問題があり、明日やり直しをするのなら、1日に一つ処理しても完璧に仕上げ、次の日にまた別の一つを処理する人間のほうがある一定の時間の枠内にては優秀となる。さらに後者が正確さを失わずに徐々に手際を高め、処理速度を上げていくことができればなお素晴らしいとなる。

つまりは、量と質を同時に高めていける人間が優秀といえる。
ミスによって重複を起こすのではなく、5つを確実に処理していく。

また仕事内容によっては、質と速度の求められるバランスが違う。できるだけ早く対応すべき内容。それともじっくり確実にミスの無いように対応すべき内容。今自分が向き合う事柄がどちらに属するのか理解して物事に当たる。

そこまでのベースが出来た上で次に向かうのは、一つの時間に何重もの意味を重ねること。つまり複数の事柄を同時進行していくこと。

時間には限界がある。一人の人間が一日に仕事に費やせる時間は、プライベートを犠牲にしてもせいぜい15時間前後。それ以上は持続することが困難となる。ならその時間をフル
につかっていくのだが、それでもたどり着ける限界がある。

では、それ以上を目指すとなると今度は一つの時間の中で何個も仕事を平行してこなしていくしかなくなる。メールを打ちながら次の段取りを考える。会議をしながらSNSで指示をする。移動の時間に資料をチェックする。

量と質を高め、時間を複層化する。

そういう風にどうすれば「効率化」をはかり「プロフェッショナル」として如何に自分の職業人としての技能を高めるかを考えながら日々に向かうものがいる一方、ただただ就労時間が終わるのを待つ人間がいるのも否めない。

効率や自分の能力を高め、少しでも目の前の作業を早く終え次に向かう、と言う意欲は無く、ただただ就業時間を苦痛の時間として捉え、なんとか仕事をしている様に見せかけ、注意を受けないようにやり過ごす。そういう労働者がいることもまた確か。

そういう人間を管理して、ちゃんと仕事をさせていくのは非常に手間と時間がかかり非効率である。なぜなら根本的な意欲と見据える先が違うため。職業人としての人生を生きる訳ではなく、あくまでも給与をもらう為に働いている。これは恐らくどの時代、どの社会においても起こること。

そこでも一番の不幸は、誰かれ構わず、同じ意欲と意識にて仕事に向き合うだろうという前提で人と仕事に向き合うこと。これが不幸を拡大させ、交わることなき平行線にて自らがさらに苦しむことになるだけである。

そんな訳で少なくとも自分の中で一つの結論に達し、次の事柄へと頭を切り替えることにする。

2015年4月12日日曜日

「地方消滅の罠: 「増田レポート」と人口減少社会の正体」 山下祐介 2014 ★★

最近どの書店に行っても店頭に積まれているのが増田寛也著の「地方消滅 - 東京一極集中が招く人口急減」 。「消滅可能性都市」として地方の多くの都市が今後この日本から消えていくだろうと縮小社会に現れる現象の一つをセンセーショナルに世間に突きつけた話題の一冊。装丁も赤く警告色を使うようになり、日本の未来に迫る暗い影として十分に世間に浸透したと思われる。

通称「増田リポート」と呼ばれるこの本の基となった報告書。地方の効率の悪い地域や都市は今度どんどん成り立たなくなるから、国として大胆な「選択と集中」によって、「地方中核都市」に人材と投資を行い、大都市圏の一極集中による極点社会を防いでいくべきだというその論調。

その本の影響力があまりに凄いので、そのカウンターとして出されたのがこの一冊。「ちょっとまって、ちょっとまって」と流行のフレーズの様に、「選択と集中」が規定路線として論を進めるのはちょっとおかしいんじゃないか。もっと他の未来の形だってあるんじゃないか。という内容。

まさに「今」を語る内容で、「今」に読むべき本であろう。

話題になった本の後追いや、そのおこぼれにあずかろうとした商業主義丸出しの本かと思ったが、建築家として日々向き合う内容でもあるし、できるだけ多方面からの考え方は見ておいたほうが良いだろうと自分にしては珍しく本屋にて購入した一冊。

新書を読むとその出版元によって、字の大きさが違い、行間の幅が違い、それによって一冊といっても総文字数においては圧倒的な違いが出てしまうと疑問に思ってしまうが、この一冊に関しては著者の想いが溢れんばかりにものすごい文字量。

ただし、文字量が多ければ多くの内容が伝わるという訳ではなく、それが学者という調べる人と、本と言う物事を専門以外の人も含めた多くの人に伝えるものとして、必要な能力が決して一緒ではないということも大きい。

それに比べ前述の「地方消滅」は、問題、論点、方法論が非常にはっきりしており、誰が呼んでもすんなりその内容が入ってくると思われたが、この本に関しては、局部の話が多すぎで全体の筋が見えないまま新書としては相当な頁数を進んだ後に著者のポイントが示される。

本を書いていれば、「これもあれも伝いたい。本に入れたほうがより分かりやすくなるのかも」と思ってしまうのだろうが、それでもスリム化して全体の筋をはっきりし、「地方消滅」と同等かそれより薄い本として必要なところだけで世間に問うた方が、カウンター本としての位置づけが明確になったのではと思わずにいられない。

そんな訳でなんどか挫折しそうになりながらも、「何か職業としてこれからの日本の社会に向き合う上でヒントがあるのかも」と期待して読み進めることに。それが二重住民票とは・・・と少々がっかりせずを得ない。

やはりこの問題は複雑系に属する問題で、何か一つの専門分野に留まる人にはその全体像を捉えることは非常に難しい問題だと改めて理解する。社会という様々なパラメーターが複雑に絡み合い、その中において人口減少という新たなる局面が与えた国の形の変化いう一大事件に伴って、様々な事象が付随して発生する。

著者の言うことはほとんど正しいのだと思う。どれも全うな正論である。しかし、社会には多様な人々が多様なスタンスで参加しており、複雑に絡まった利権が現状からの変化を拒むかのように膠着化させ、その遅延が将来の国づくりにとって大きなマイナスとなっている。

必要なことは決して背伸びをせず、自分の利益を守ることから距離をおき、この国にとって、この国に30年50年後に生きる人たちにとって、どういう国の形が相応しいのか本気で考えることができる人を集め、明確な国のビジョンを策定し、それに移行するためにはどんな手順を踏まえてどんなことを変えていかなければいけないのかを、たとえそれがどんな痛みをもたらそうとも、どんなに多くの人の既得権益を奪おうともやり遂げること。

そんな未来からの視点とともに、現在から目標と定めて先に向かって引かれた線の上で、今日より明日が少しでも前に進んでいるために、現在の視点からできることを少しでも進めていくこと。

こういう大きな方向を決めるためには複雑系を理解する本当に優秀な数名くらいに半年くらい根をつめてもらってビジョンを作ってもらい、個人の利益がその地に依存しない政治家や専門家が都市を変えていく権利を思い切って与えていく。

かつてこの国で起こった「維新」という動きは、人気取りではなくその様な大きな改革のムーブメントだったのではと思いながら本を閉じることにする。

2015年4月5日日曜日

「鬼神伝」 川崎博嗣 2011 ★

現代に住まう中学生が、ある日謎の鬼に追われ、そこを救ってくれた僧侶に連れられ時空を超えて1200年前の平安の都である京都にタイム・トラベルし、そこで人と鬼の戦いに巻き込まれる。

というストーリー。

最初の「鬼」の描き方が何かもやもやとして気になったので見てみたが、ことごとくつくりが浅い一作。平安の都の描き方がアニメーションだからこそできる特別な表現になっているかといえばそうでもなく、「鬼」として虐げられる部族と貴族の戦いで何が正義かを悩む主人公の姿も「どこかで見た設定・・・」と思わされるだけ。

なぜこの主人公がわざわざ時空を超えて平安から現代までやってきて呼び寄せられたかの深い設定も感じられず、平安という文献がそれほど残されていないだけにまだ不思議な世界観が通用する距離感とそこにアニメの手法を被せることでの期待感は分からなくも無いが、それがうまく融合されなかったという感じだろうか。

八百万の神々がもっと身近であったはずの日本の日常を、ぜひともアニメの力で説得力を持って描き出す。そんな作品を期待せずにいられない。
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スタッフ
監督 川崎博嗣
著者 高田崇史
脚本 荒川稔久、川崎博嗣
イラスト 村上豊
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キャスト
天童純:小野賢章
水葉:石原さとみ
源雲:中村獅童
源頼光:近藤隆
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2015年4月4日土曜日

月の花 4月 桜 サクラ

4月。新学期の季節である。

街には学生や社会人など頭に「新」のつくフレッシュな人々で溢れかえる。学校や会社など迎え入れる側も、彼らを迎えることで一年が環を閉じで、新しいサイクルが始まるのを感じる時である。

そんな日本の季節を飾るのが街をピンクに染め、あっという間に消えていく4月の花・桜。

1月 / 水仙
2月 梅 / 椿 
3月 桃 / 沈丁花 / 白木蓮 
4月 桜
5月 バラ
6月 紫陽花 / 花菖蒲 
7月 向日葵 / 朝顔 / 蓮
8月 コスモス / 向日葵
9月 彼岸花  / 金木犀
10月 シクラメン / 山茶花 / 金木犀
11月 菊
12月 水仙

4月といえば、どんな花もその対抗馬にはならないほど、日本人にとっては心の花となっている桜。山の斜面に咲き誇る桜、城の周りに咲く桜。川沿いに水面を花弁で埋め尽くす桜。

それぞれに人生の中で記憶に残る桜の景色があるはずである。毎年見て、毎年感動しているにも関わらず、それでもやはりまた新しい一年が来て、ピンクと白に染められた風景を見ると、「わぁ」と感動が湧き上がる。

そんな桜を一ヶ月部屋にとどめる贅沢を思い、フォトフレームへとしまい込むことにする。