2012年11月27日火曜日

指の間から流れ落ちていく水

人大(人民代表大会)が終わり次第Google関係の復活かと思っていたが、想像以上に接続の不安定な状態が続いている。その為にブログにアップすることもままならなければ、googleカレンダーにメモを取ることすら困難な日々が続く。

そんな時間を過ごしていると、それこそ毎日の忙しなさに身を任せ、過ごした時間を振り返ることなく日々が過ぎ去っていく。手にすくった水が、指の間から零れ落ちていくのを眺めるように、何も自分の身体に定着することなくただただ流れていく様に。

恐らくこんなブログを書くのは10分くらいの時間であろうが、その10分がどうやっても取れない、探し出せない毎日を過ごしていれば、どんどんどんどんと水は流れていってしまう。考えたことも、思ったことも、感じたことも、見たことも、完全に忘れることは無いだろうが、どんどん新鮮さを失いながら指の間を過ぎ去っていく。

びしゃびしゃに水浸しになった足元に映る自分の顔を見つけて、何とかせねばと心に思う。

2012年11月26日月曜日

<キャリア別>動画クリップ

子供の将来を危惧し少しでも小さい時から英語に馴染ませようとし、英語脳なるものを発達させる教育を施す親が増えているという日本のテレビ番組を見た。

発音は本当に綺麗だが、問題はどんなことを話せるようになるかであり、その為には何よりも母国語での思考能力が必要で、それが無ければいくら言葉が喋れても世界で一プロフェッショナルとして働いていくことは厳しいだろうと想いを馳せる。

そんな流れではないが、友人の頼みに乗って、英語が毎日の仕事上でどのような位置づけになっているかをあるホームページで綴ってみた。


<キャリア別>動画クリップ
http://teachers.eigonochikara.com/video/clip05/


それでも毎日、理解不能な英語の単語に出くわすと、いちいちメモを取りながら少しでも海馬に生存の為の必要情報だと植えつけようとばかりだが、自分と違うバックグランド、育ち、考え方を持った人と、あーだこーだと言いながら、ワイワイ楽しく食事をできるのもまた、英語のおかげだと思わずにいられない。


2012年11月24日土曜日

nice to have you back google.


世界中で新しいリーダーが決まっていく中、この国も11月に入ってから始まった人民代表会というもので、次の十年どころかその次の十年の担い手の顔も見えてきた。

が、その会議に伴い、先行きを不安にさせるような言論が蔓延するのを防ぐためかはしらないが、goggleの検索およびgoogle関連のサービスへのネットアクセスがシャットダウンされてしまった。

VPNを通しての接続でもつながらず、通常のPC環境ではGmailもgoogleカレンダーどころか、googleのアカウントにアクセスすることすら出来ずにいう状態がずっと続いている。

もちろんfacebookやbloggerにもアクセスできるはずもなく、完全なるgoogle難民の生活をしいられる。google主体にネット生活をカスタマイズしてきている身にとっては、これはほとんど死活問題。

なぜだかそれでもアイフォン上でなら設定してあるgmailは閲覧できたり、オフィスなどの高速接続の場ではPC上でもGmailが使えたり出来るので、相当不自由を感じながらもなんとか生き延びているというところである。

話は変わるが、オフィスで各プロジェクトを担当してくれ、チームメンバーをまとめてくれているプロジェクト・アーキテクトと呼ばれるポジションがあるのだが、30歳前後で経験があり、スケジュールと各チームメンバーの能力を見ながら毎日の仕事を進行していくのだが、そんな彼らもやはりホリデーに行く。そんな時期は彼らのやっている日常業務もこちらでカバーしなければいけないので、大きなプロジェクトのプロジェクト・アーキテクトが二人そろってホリデーに行かれると、それはそれは毎日オフィスの中で走り回り、神経をすり減らしながら、各チームメンバーが時間を無駄にすることなく滞りなく進行ができるようにと気を遣うことになる。

そんな時間が一週間続けばすっかり心身ともに磨耗するのだが、そこに返ってきたプロジェクト・アーキテクトたちの姿を見ると、こう声をかける。

「it's nice to have you back.」

そんな中、先日オフィスでフェイスブックを開いているスタッフがいたので、聞いてみると、やっとgoogleが使えるようになって、フリーのVPNソフトも入手したということ。それを聞いて思わず心の中で叫んだのは、

「nice to have you back google.」

しかしそれもつかの間だったようで、またまたgoogleの接続が悪化し、この状態はしばらく続きそうであるが、なぜだか今日はVPNの調子が良いようで久々にブロガーへとアクセスが出来ている。

根本的な解決法を見つけ、ネット上の自由を得ないことにはストレスは溜まるばかりだとしばらく情報収集に励むことにする。

2012年11月22日木曜日

墨の匂い


世の多くの夫婦に違わず、我々夫婦も末永く仲良くという願いをこめて、数年前のこの日に入籍を決めた「いい夫婦の日」。恐らく今朝も多くのカップルが書類を手にして、役所の窓口を訪れたことだろうと想像する。

妻の通う語学学校は短期留学の外国人生徒が多いためか、そんな彼らの関心を引くような課外活動が豊富である。前回は河底村へのツアーに参加したが、折角の結婚記念日だからということで、たまたま重なった「中国書道」のクラスへと妻が申し込みをしてくれていた。

妻のスペイン人のクラスメイトとその友人と一緒に参加するということで、近くのレストランで待ち合わせをし、一緒に夕飯を終えて会場である学校へ向かう。その女性は弁護士をしていたらしく、旦那さんはドイツ人で建築家だという。今回は仕事で来れなかったが次回は一緒に日本料理屋にでも行こうという話しに。友人の彼は気のいいスペイン人で、地元のバレンシアの産物を輸入するお店を経営しているという。

そんな話を聞きながらやっと到着した会場はすでにほぼ満員。文化の香りのする習い物に惹かれるのはどの国の女性も同じようで、定員20名のクラスの9割が女性。時間が無いというので、実際に書道の段保有者であるという課外活動の担当先生が流暢な英語で、中国書道の成り立ちや、基本的な道具の説明を行いながらも、時間が無いので早速8つあるという基本のストロークを勉強する。

配られる用紙を前にし、硯に墨をたらして、筆に吸い込ませると、遠き小学校の時の風景がバァッと蘇えってくるから不思議である。手首を曲げて、指の一本一本に意識を向けて筆を固定し、日本の様に流すのではなく、最後の最後まで繊細に筆を紙から剥がしていくようなストロークは先生が言うように、一種の瞑想のようなものである。

止めては動き戻しては跳ねて、白紙の中に細さと太さ、空虚と黒などの陰陽を描いていくという。水墨画とルーツを共にするという説明どおり、どちらかというと文字を描いているような感覚になる。そして最終的に描いたのは

「持之以恒」

一本の線を描いているときには、頭の中はその先にどう筆を動かすかだけ。

今朝も寝言で「まだレンダリングは準備できてない・・・」と唸っていたと妻から指摘されたように、あまりのストレスにさらされ、常に頭の中を回転させることを強いられている時間が数ヶ月続きっぱなしだったので、そんなところから数時間だけでも強引に解放させ、頭の中を空っぽにしようとしてくれた妻に感謝し、墨の匂いのする結婚記念日を終える。

2012年11月20日火曜日

伸びきったゴム

「I'm very stretched....」

stretch;〈神経などを〉極度に緊張させる, 張りつめる;((〜 -selfまたは受身))〈人が〉能力[限度]いっぱいに働く

頭の中に思い浮かべるのは、ダラダラに伸び切ったゴムのイメージ。これ以上どんだけ引っ張っても何も出てこない感じか。


朝一から大連市の海辺に計画している新しい文化複合コミュニティアイランドの打ち合わせを、チームとパートナーと一緒に行う。約一時間かけ大きく二つの方向性を確認し、チーム内で各メンバーがどうやって進めていくか、フルタイムのスタッフがスタディをし、インターンがリサーチをしていく。30万平米の敷地に35万平米の延床面積の巨大プロジェクトで陸地からの見え方や高さ方向の決定方法など、検討項目は山ほどになる。

いくらオフィスでこなすプロジェクトが増えようとも、同じメンバーでこなさなければならず、出来るのはその効率を如何に向上させれるか。オフィスにいるすべてのメンバーがやることが無い時間をなくすこと、何をやっていいか分からずに無為に過ごす時間をなくすこと、それが至上課題。多くのプロジェクトが同時に進行中なので、少ない人数で明確な進行をはかること、それがオフィスを回していく上で非常に重要になる。

一時間の打ち合わせを終えると、昨日(日曜)の夜に、こちらも二人のパートナーとチームと一緒にレビューをした南京で進行しているプロジェクト、38万平米の敷地に、こちらも38万平米の延床面積という都市計画レベルのプロジェクト。夏に行ったコンペを勝ち抜き、来年度の施工開始に向けてものすごい勢いで進んでいくプロジェクトには、フルタイムが5人とインターンが2人の計7人体制。商業、オフィス、住居、文化と機能的にもかなり複雑であり、更に空中都市を夢見るクライアントの要求に応えるべくさまざまな挑戦が求められる。明日の夜までにまとめないといけない資料に向けて、誰が何と担当して進めていくか?それを明確にして、誰もが悩まないように、どんなダイアグラムを作り、どんな図面を作成し、何を3次元で立ち上げ、どんな角度で、どんな色合いのパースをつくるのか、一人一人に指示を出していく。

それが終わるとこれもハルビンで現在建設中の文化施設周辺のランドスケープデザインのための照明を担当する照明コンサルタントに、プロジェクトの概要を説明し、どのような照明効果を期待しているかを共有していく。質疑をあげてもらって問題が無いようにしたら、求める資料をいつまでに、どのように仕上げてもらうかを協議する。

それが終わると、アモイで進行中のアパレル会社の新社屋のプロジェクトのプロジェクト・アーキテクトとマネージャーと一緒に、迫ってきているSDパッケージの提出について、どのような進行状況かを確認して、何を準備するかを指示。それと共に、プランニングと平行して進んでいるファサードのデザインの方向性がオフィスとして固まってきたので、再度パースを作り直し、ファサード、構造、環境の各コンサルタントに伝えるようにお願いする。

下階の会議室では、ハルビンで建設中のオペラハウスのクライアントが来ていて、ランドスケープ・デザイナーの進行中の案を精査しており、オペラハウス周辺を担当するオーストラリア人のデザイナーと、全体を担当している中国の会社との調整をいsている。各コンサルタント会社から担当している3-5人が来ているので総勢40人近い人数になってしまうのだが、昼食時になったので打ち合わせの状況を知る為に、オフィスの担当マネージャーを連れ出して一緒にランチに。

ランチを食べに行く間も、注文する間も、食事が運ばれてきて食べている間もずっとそのマネージャーの携帯はなりっぱなしで、「こういうコミュニケーション関係の仕事は本当にしんどい・・・」と愚痴をこぼすのを、「君しかこれはできないからさ。」と励ましながらランチをかきこむ。

つかの間のランチを終えてオフィスに戻ると、そのマネージャーはまた始まっているオペラの打ち合わせに消えていき、こちらは毎週月曜日の恒例行事となってしまっている、応募して来てくれているインターンのポートフォリトとCVをチェックし、どの国のどの学校のどの学年で、どのレベルの学生が精査し、現在進行中のプロジェクトのスケジュールと、彼らが来れる時期を考慮し、現在いるインターンとこれから来るインターンの男女比や国籍比などを考慮して、返事を送る数人をオフィスのマネージャーと一緒になってピックアップしていく。

それが終わると日本で始まった保育所兼住宅の設計のために、中国で進行するような大きなディベロッパーがやる大規模のプロジェクトではなく、数百平米で内装まですべてを手がけて、法規的な理解も必要になってくるので、元フォスター事務所で細かいところまで手の届くドイツ人のスタッフを担当にして、日本人のインターンを翻訳担当として入れて、もう一人ハンガリーからのインターンと一緒にチームを組んで、プロジェクトの概要を説明し、最初のリサーチと設計の前段階になる資料の準備をお願いする。

このくらいの時間になると、午前に打ち合わせをした各プロジェクトごとにテーブルを回って、進行を確認し、方向性に間違いが無いか確認していく。スケッチや言葉ではどうしても逸脱していってしまう方向性を画面を指差しながら修正してもらう。各チームは3-7人構成なので、それを5-7プロジェクト見ていたらそれこそ数時間後とに様々なデスクを走り回ることになる。

それが終わると、今度はオペラハウスの外装材とランドスケープデザインに関して、二人のパートナーと一緒にプロジェクト・アーキテクトとマネージャー、そしてファサードを担当している担当者を交えて議論をする。どうしても、中国の現在の施工精度を考慮して、その現場施行性の悪さすら飲み込んで、滑らかなファサードを実現するディテールを作り出そうと、何が一番いい方法かそれこそ言い争うように必死に議論する。

最後は8時からまた二人のパートナーと一緒に、昨日レビューをした南京のプロジェクトの進行状況を再度確認し、デザインの方向性をまた決めていく。明後日の上海でのプレゼンのために、どういう資料を揃えていくか議論し、再度打ち合わせを踏まえてチームメンバーと誰が具体的に何を作っていくのか話し合い、それが終わったらほぼ10時前。

こんな時間の過ごし方をした一日は、「どのプロジェクトのどのコンサルタントに連絡しようと思っていたのか?」すら分からなくなり、「どのプロジェクトのどのことを話し合って、何を変えなければいけないのか?」それすら分からなくなる。

苦しいといっても何も解決されないわけだから、ただただ出来るのは、自分の能力が足りないからだと自らに言い聞かせる。さっさっと指示して、みんなにスムースに動いてもらって、正確に無駄なく、良い設計を作っていける。そんな一個の生命体の用に事務所が動いていけるように何をできるか、考えながら完全に神経のゴムを伸びきらせて、また頭を働かせながら自転車を飛ばして家路に着く。

2012年11月17日土曜日

胸の痛み

この数日左胸に痛みが走り、どうもフラフラしてしまい頭痛も止まらず、どうにもこうにも息苦しさに苦しまされているので、さすがにこれはまずいと妻に病院への予約をお願いし、心臓関係の先生がいるというので土曜の朝一から病院に足を運ぶ。

自然気胸が再発したのでは、太りすぎによる血管梗塞では、冬になってはき始めたヒートテックのせいで血管の締め付けがきついのか、それともただただストレスと過労のせいなのか?

思い当たる可能性をとにかく先生にぶつけてみて、原因を知るためにと心電図、血液検査、X線検査に問診と一通りの検査を行ってもらい、付き添ってもらった妻と一緒に結果を聞くと、「すべての数値はいたって健康的ですので、考えられるのはお仕事のストレスが原因による自律神経的なものかと思いますので、音楽を聴くとか、できるだけご自身でリラックスするように努めるとかされたほうがいいと思いますが、何か治療が必要とかということはとりあえず無いですので安心してください」と言われる。

そんな結果を待っている間にも、手がけている一つのプロジェクトの担当者から資料が準備できているけど何時くらいに来ますか?と連絡が。

どんなに嫌でも辛くても、それから逃げることもできなければ、誰も代わりにやってくるわけでもなく、ただただできるのは、自らそれを取り除くために、少しでも効率的に、少しでも早く仕事を段取りして片付けていくしかなく、もっともっととそのスピードを上げていくしかないのかと胸を押さえながら自転車を飛ばすことにする。

2012年11月10日土曜日

「銀座ブルース」 柴田哲孝 2009 ★



ワイルドな作者の作風が好きで、今まで何冊か読んできたが、どうにもこの一冊は過去の作品からの継ぎ接ぎだらけの印象で残念である。

「下山事件」をかすめながら、逞しくあった戦後の混乱期の日本に置いて、最も活気を呈していたであろう銀座。そこを我が物顔で闊歩するGHQの米兵達と、彼らに群がり生きていく女達。

街全体が持っていたエネルギーが目に見えるかのような時代。現代の日本からは羨ましく映るであろうその風景。

女・金・力。

生きることの目的が明確であった時代に生きる男と女。

それはいいのだが、昨今のワイルドな時代の波に流されて、UMAシリーズの様なブレない軸が見つからないうちに書いてしまったのだろうと想像せずにいられない一作。



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/Ⅰ 銀座ブルース
/Ⅱ 殺人鬼
/Ⅲ 青いダイヤモンド
/Ⅳ 帝銀事件
/Ⅴ 尾行
/Ⅵ 国鉄総裁変死事件
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2012年11月9日金曜日

「悪の教典 上・下」貴志祐介 ★★★★

「人を殺してはなぜいけないのか?」

そんな根源的な問いに対して、

「法によって罰せられることが決められていて、その後社会での生活が困難になるため」

と、何の躊躇いも無く答える人間が同じ社会の中に住んでいるとしたらどんな恐怖であろうか。

道徳やルールといった社会が成立するための前提として我々が共有していると思われる感覚をまったく持ち合わせていないのに、それを微塵も滲ませること無く、高い知性とそれを成し遂げる意思と身体能力を持ち合わせ、心理学や刑法に精通し、人心をいとも簡単に操り、良心の呵責の欠片もなく、自己の欲望の実現の邪魔になるものは排除する。

そんなサイコパスが日常に紛れ込んでいるかもしれない現代の恐怖。

「長い腕」にしても、どうも作者はサイコパスという、常識をいとも簡単に逸脱するほどの明確な自己内論理を持ちうる主人公の狂気に惹かれるようではあるが、どうしても映画「アメリカン・サイコ」の冷たいエリート殺人鬼のイメージを超えていかない。


世の中に衝撃を与える小説として、そのストーリーの前提となる軸をどれだけ歪めることができるかが重要であり、それが日常のすぐ近くにあればあるほど、差異の効果は抜群になる。

たとえば「バトル・ロワイヤル」。未来の平和な日本の中学校の風景だが、たった一点のゆがみ;中学校の一クラスが殺し合いをして生き残ったもののみが生還できる。というルールが挿入されることで、パラレル・ワールドが成立する。

そんな歪みとして用意されたのは頭脳明晰で容姿端麗、生徒想いで上司同僚からの支持も抜群という理想的な高校教師。そしてその舞台は半ば閉鎖された空間としての高校。

学校という規律と管理が支配する空間で、小学校や中学生のように圧倒的な子供でもなく、ましてや大人でもない高校生という群を相手に、自らも顔のある人間として苦しみ日常を送る教師としての大人たち。

学校が狂っているのは、生徒が狂っているだけでなく、その親も、そして教師も共に狂っている現代。誰もが過度のストレスに圧迫され、鬱憤を溜め込んで、ネットという非現実の世界でもう一人の自分を見出して加速させたその欲望を飼いならすことが出来ないままに、また現実社会のなかで徘徊し、欲望を垂れ流す。

ネットという匿名の武器を手に入れた大人以前の高校生たちが、一番近しい大人としての教師の選別を始め、学校の中に出来上がる新たなる秩序。

その中に圧倒的な知性を備えた主人公が、支配・非支配の潜在的な世界を構築し、自らの理想郷を築いていく。その設定はなかなかスリリングであり、前半はかなりよいテンポで読ませてくれるが、いかんせん、いきなりデウス・エクス・マキナで「木を隠すなら森に」と、クラス全員を一夜にして殺してしまおうというのはいただけない。ここまで積み上げてきたロジカルな展開を随分泡にしてしまう。生徒一人に一つの伏線では流石に薄っぺらくならざるを得ない。

しかし、ネットやモンスター・ペアレンツの登場によって聖職者として境界線を守り続けてきていた教師という人格も、当たり前の様に弱さや脆さを抱え、逃げることの出来ない閉鎖社会の中で苦しみを表現することなく蓄積させて、さまざまな犯罪行為に走るほどのゆがんだ欲望へと走る教師たち。

そんな犯罪者にならないまでも、頭の中で想像したことは誰にも言えないというほどの煮えたぎる悪意を抱えて今日も教壇に立っている教師は恐らく数え切れないほどこの社会の中にいるはずで、そんな彼らこそ心の中で拍手喝采を送りながら、「いいぞ、ハスミン!」と唱えているのではないだろうか。

2012年11月8日木曜日

大野城 ★

手元の資料では「日本百名城」に選定されている。というので、これは足を伸ばさないとということで、ナビで検索してもどうにもこうにも現れない。

百名城くらいだから、現存しなくてもその跡くらいはしっかりと保存されていて、近くまで行けばどうにか分かるだろうと、楽観して現地に向かうが、標識も一向に現れず、辿り着いたのは人里はなれた山道。

運転しながら酔いそうになる山道ですっかり眠気が冷めたのは吉報だが、結局その跡すら見つけることができずに跡にする大野城・・・

太宰府天満宮 919 ★★★



一年検査を終え、半日空いた時間を過ごすために熊本から九州道を北に飛ばして向かったのは大宰府。

恐らく日本で「行きたい寺社仏閣は?」というアンケートを取ったら、10位くらいには入ってくるくらい有名なのに、そのロケーションからなかなか手が出ないでいた意外と来る機会の少ないメジャー選手とういところか。

学問の神様と知られる菅原道真がその死後、天神(天満大自在天神)として崇められるようになり、その霊廟として建立(919)された大宰府天満宮は全国の天満宮の総本社として、数多くの人の参拝地となっている。

近代に入っての都市化の中心地からは外れた場所にあるために、街全体として横に広がる田園風景との融合を残しながら、建物も広々とゆったりとした雰囲気を醸し出し、おおらかな平安の風景を残しているかのようである。

「情報の歴史」を開いてみると、ほぼ同時期にヨーロッパで建てられたのがクリュニー修道院だという。この構成ならば、平安も世界に負けてないなと嬉しくなって参拝する。




観世音寺 746 ★★★


大宰府政庁跡から少し離れた場所にポツネンと建っている観世音寺は、奈良時代に建立された天台宗の古刹。

ついつい見逃してしまいそうな細い並木道の参道を入り、生い茂る木々のトンネルを抜けて門を過ぎると、ぽっかりと空間が広がり、小高くなった地盤面の演出も手伝い、正面の講堂が奥行きをもってその姿を見せてくれる。

中心軸に沿って、講堂の前に灯篭が一つ立っているので、講堂への視線が遮られるのが不思議な気分になるが、左に構える金堂(阿弥陀堂)の効果もあって、かつてあった右側の五重の塔を頭の中で再現し、法隆寺並みとはいかないが、それでも十分荘厳な求心性を持った空間に思いを馳せる。

講堂の後ろに回れば、かつての僧坊の跡地があったりと、やはり奈良・平安の面影を残すように、全体的にゆったりとした平面計画がおおらかな空間をつくりだす。

右の観世音寺宝蔵の裏手には、菜の花とコスモス畑が広がり、地元の人が気ままに土手に座っては時間を過ごす姿を見ていると、やはり都市でもなく、奥地でもない規模の街に残る古刹の風景こそ、本来の日本の風景なんだとなんだか納得する。










柳川 ★


大宰府を離れ、日が暮れる前になんとか辿り着こうと高速から外れている立地を恨みながらも田舎の一本道をひた走り、ところどころに見えてきた水郷の姿にエリアに入ったことを感じる。

恩田陸ファンならば、「月の裏側」で描かれるなんともミステリアスでありながら、何かが起こりそうな何とも言えない独特の雰囲気を持った街の風景を頭にインプットしているはず。

事前にチェックしておいた航空写真でも、明らかに普通の都市とは違った構成に心を躍らせて、これは何か見たことの無い風景が待っているはずだと心を躍らせアクセルを踏みしめる。

街の一割が掘割と言われる水路で覆われ、その水路をゆたりゆたりといく船の上では船頭が竹竿を巧妙に操る川下り。水面に反射した光が照らし出すのはまめこ壁のテクスチャーと、ベニスや蘇州とは違った日本の水の都としての風景への妄想が止まらない。そして町中に漂う名物「うなぎ」の匂い・・・

そんな訳で完全に妄想が現実を追い越してしまい、辿り着いたのは現代日本を体現するような観光資源を持ちながらもある時期に成熟を止めてしまったような地方都市の代表の様な姿。首都圏の校外に広がるのっぺりした平坦さとは違って、その先に海原の広がりを感じさせる独特の平坦さがその寂れをより広げるかのように。

徐々に暮れる夕日が照らす川の水を眺めながら、それでもかつて日常であったはずの保存された街並みを歩いていると、下校途中の小学生や中学生がおしゃべりしながら、川辺を歩いていく姿を目で追うと、道を曲がった先に見えてくるのは日本でどこでも見るコンビニのある風景。

ここにしかない風景にどこにでもある風景が挿入されて、美しい街並みは観光客を呼ぶための舞台として「保存」され、生きることを止めてしまった日本の街並み。便利になることを経験してしまった人類に、後戻りすることは強制できないが、この静かに流れる水のある平坦な風景に見合う現代の風景が本当は作れるはずだと思いながら、ディズニーランドとして北原白秋がいたころの街並みに戻すのではなく、人口が減っていくからこそできる、この街の本当の意味での現代の街並みがいつか現れることに期待する。











御花 ★


かつての藩主の立花家のお屋敷の別邸だったというこの建物が「御花(おはな)」と呼ばれ、地元では随分有名な料亭として利用され、現在は結婚式場としても使われているようである。

見所はやはり屋敷の裏に広がる庭園で、国の名勝にも指定されているという「松濤園(しょうとうえん)」。池の水は外の水路から引いているようで、しっかりと生態系の一部として生きている庭園になっているようである。

柳川といえば、この「御花」と「北原白秋生家」が二大観光スポットの様で、観光案内所でも閉館時間を間違えないようにと念を押され、ささっと出て行こうとすると、受付のおばちゃんに2階からの庭園の景色も絶景ですので・・・と進められ、上がってみるとなるほどと納得。

終わりにとってつけたように併設されている美術館で立花家の甲冑の展示を見ながら、こういうポイント、ポイントをつなげた形の観光は、恐らくもっと新しい形に変化していかないとこれから若い人を惹きつけるには厳しいのだろうと想像する。








大宰府政厅遺跡 ★★★★


昨年の夏に訪れたイギリスのストーンヘンジ。その車中で大学院時代の親友が運転をしながら教えてくれたのが、イギリス政府はストーンヘンジ周辺の施設をすべて地下に埋める計画をしているという。それはストーンヘンジそのもの以外の人工物は何も目に入らないようにして、当時の風景を本当の意味で再現するためだという。

それと同じことがこの大宰府ですでに実現しており、奈良・平安時代に九州の中心として栄えた当時の風景を想起させるに十分な広がりを与えてくれて、当時の人々が見たであろう同じ自然の風景を感じられる独特の空間。

平城京、平安京という国の中心地より当時の外国である朝鮮・中国に接する場として、実務としての外交や防衛として役所が定めれた場の遺跡が残る。万葉集に「遠の朝廷(みかど)」と呼ばれたのに相応しいほどの、懐の大きなその風景を良く見ると、決して自然の姿だけではなく、長い年月確実に人の手が入ることによって保たれた人工的な自然の平地の存在が歴史の重さを感じさせてくれ、赤く染まり行く頭上に広がる空を見上げながら、その風景の中で遊ぶ子供達はとても心の大きな人に育っていくのだろうと想像を馳せる。







光明禅寺(苔寺) 1273 ★★


九州でも有数な紅葉のスポットでもある光明禅寺。大宰府天満宮の参道の脇にあるので、ぜひともついでに立ち寄りたい名刹である。

趣を異にする前と後の二つの寺は九州唯一という枯山水の庭園。

山門をくぐって右手に広がるのは七・五・三の十五石で光の字に配石されているという仏光石庭。心が表れるような静寂の空間を抜けて後ろに回ると、今度は「苔寺」の通称通りに苔むした地面に広がる白砂の大海に、大陸と島を描くように広がる苔の絨毯のように表現された一滴海庭。その上にこれでもかと力強く広がる自然の色々が目の前に広がり、その構成の美しさにはまさに圧倒される。

人口と自然。その二つを変換させては無限の世界を表現する枯山水の世界に満足して、次の目的地へと足を向ける。









2012年11月7日水曜日

一年検査


設計・監理を行わせてもらった住宅の竣工後一年を過ぎたということもあり、季節ごとの様々な負荷にさらされて出てきた改善点や、実際に生活してみて分かってきたところなど、毎日この家と時間を共にするお施主さんからの正直な意見を聞かせていただき、担当していただいた工務店の担当者の方と共に、どのような対応策が一番効果的かを検討するために熊本にやってくる。

住宅の設計というのは、住むための家を想定して設計を行うことであり、本来の目的は建てることではなく、住まうことであるということをつくづく再認識させてくれる瞬間である。

設計の時には実際にお施主さんもその家に住んではいないので、できるだけ細かい部分まで想像しながら、こうなるのでは?と想定をベースとして設計を進めていく。しかし、人の生活とは想定どおりいかないもので、ましては日々変化する自然に晒される建築の宿命から、理想的な青図からの徐々に徐々にづれていってしまう。

そのズレを修正し、施主の生活に合わせてカスタマイズしていきながら、実際に住宅という建物が、その人たちだけの「家」と成長していく。その過程を見守りながら、そして一緒に悩みながら、より良い「家」を作っていくことこそが、建築家の仕事なのだと痛感する。

引渡しとしてとりあえず、社会的な職責は果たすことになるが、工事を担当した工務店と共にその後の成長がいかに自らの頭の中にあった青図を完成させていけるか。それが同じ必要もなければ、もっと良いように描きなおすことだって可能だということ。

そんなことを思いながら、建築が物理的な存在で、一つ一つの部材の組み合わせであり、自然素材はソリや膨れで日々形状を変えて、日の光によってはげてきた塗装や、鉄から出てくる錆びなどを見て、時間の先を見据える力の大切さを再度思い、それと共に時間と共に色あいを変え、より周囲の環境に溶け込み始めたその姿に喜びを感じる。

想像する青図の中から聞こえてくる沢山の喜びに満ちた声が、実際にこの家の風景になっていけるように建築家としてできることは沢山あるのだと心に誓う。