2014年2月26日水曜日

欧米スタンダードの生活を求めてくる外国人

幾つものプロジェクトの締切りが同時に迫っている。それぞれのチームメンバーがストレスと疲労を抱えて時間を過ごす。オフィスに長い事在籍しているスタッフは締め切りを控えたプロジェクトがどの様なスピード感覚で進んでいくか、どの様にしてデザインを落とし込んでいくか、どのようにしてプレゼン資料を纏めていくのかをある程度理解している。

が、比較的新しくオフィスに来たメンバーは、ここでどの様に物事が進んでいくのか分からない中で、緊張感を持った時間を過ごすことになり、周りの見えない暗闇の中で手探りで歩くように余分な疲労を感じやすい。

そんな環境の中では、「このような短い時間では思うように設計ができない」ということを言ってくるスタッフが出てくる。

そういう言葉を耳にするたびに思うのが、欧米のしかもかなり恵まれた環境の設計事務所でのスタンダードを求めてこの中国にやってきている外国人がかなりいるということである。

先進国と呼ばれる国の建築家達からは「どうせ中国だから・・・」と呼ばれながら、そういうフィルターをかけることで本当に何が起こっているのかを見えなくしてしまう環境の中で、それでも必死にできることとを伸ばし、新しい建築の可能性を見出そうとし、ドロドロになりながら時間を過ごす者がいる。

この国で何を得るのか、そしてその為には何を犠牲にしなければいけないのか。

他の場所では手がける事ができない面白い可能性を秘めた建築プロジェクト。それに関与できることは、その代償として何を求めるのか。

一つのプロジェクトが安定した状態を保ち、建築家が望むような十分なスタディを行う時間を与えられるような環境がどこで得られると思うのか。夕方になればオフィスでワインでも開けて、皆でプロジェクトについて議論をする。そんな夢の中のスイスの建築事務所の様な時間の過ごし方ができると思うのか。

できないのは、時間の短さのせいではなく、自らの能力不足の為だとは思わないのだろうかと、不思議に思ってしまう。大学を出て数年の実務経験で、いきなり常識の違う国に来て働こうというのに、根拠の見えない自分の常識を押し付けようとするその身振りには、大国の身勝手さを感じないわけにはいかない。

グローバル化の進んだ建築業界。そこで求められる人材となるためには、まずは他人は自分と違う事を認識する、文化人類学の基礎をしっかり理解し、そして違う国には違う国の物事の進め方があり、自分に必要な事はその枠組みの中でも必要とされる、求められるだけの職業人としての能力を高める事ではないだろうか。

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