ラベル 境界線 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 境界線 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年3月5日水曜日

そこまでして

数日前から下血が止まらず病院で見てもらうが、どす黒いその血の色から恐らく過度の疲労とストレスからの胃潰瘍ではと診断される。できるだけ負担をかけない様にして様子を見ようと言われるが、微熱と偏頭痛、そして少々ふらつく様な感じがどうにも全身がだるい。

流石にやりすぎたと思い、パートナーとオフィスに伝えて自宅で静養する事に。

読書をするにも焦点を合わせるのが辛いので、流すように映画を見ながら横になる。普段土日でも昼間に家でゆっくりすることなどまず無いので、いろいろと考える。体調を崩してまで仕事をするのは流石にまずいなと。

30代半ば。一時的というよりも、慢性的に疲労とストレスを抱えながら日常を過ごすこと。「ここまでなら大丈夫だろう」と自分でそうていしている境界線。筋肉の様に負荷を与え続けると耐性が強くなるものだと思っていたが、どうやらこの歳になるとその考え方は通用しないらしい。

「そこまでして仕事しなくても・・・」と言えるほど何かを成し遂げている訳でもないので、そんなに簡単に自分を持ち上げることはできないので、問題が疲労とストレスだというのをハッキリさせ、それぞれに対してどうのように対応すればその影響を低下させられるか考えることにする。

2014年1月12日日曜日

日本人の建築家

日本人として建築を学んでいるだけ、実はとてつもなく多くのものを学んでいるんだと、海外で仕事をするようになって初めて気がつく。

生活を営むすぐ近くに、建築の歴史の中でも大変意味を持つ傑作から、現代建築の最先端のディテールや素材の扱い方をする建物などを、直に体験し、見て、学ぶ事ができる。

日常の中に最高レベルの教科書がごろごろ転がっているようなものである。

六本木ヒルズなどは、世界中のディベロッパーが参考の為に視察に来る様な世界最高峰のショッピングセンターの在り方を提示するだけでなく、地形と動線を立体的に処理する高度な設計や、過度にならずに統一感を与えるショップ・フロントの設計など、実際に自分で設計をしてみると、「あれ?」と思う事が見事に処理されている例である。

そうかと思えば、モダニズムの開始から、前川、丹下、菊竹、と重厚な建築とそのディテールを実際に見ることができ、それに続き安藤、伊東などの世界的に評価された建築に入る事ができ、そしてSANNAや隈研吾など、伝統とモダンを融合させる繊細な建築ディテールと空間を学ぶ事ができる。

それが意識することなく、ただただ生きているだけで身体に染み付いていること。見ていること。その環境がどれだけ恵まれているか。そして望めば、何百年前の木造建築まで同様に体験でき、同様にディテールを実際に見ることが出来る。

人の想像力がどれだけ凄かろうとも、やはり知っているものをベースに広がっていく。つまりは建築家として身体の中にどれだけ建築体験が入っているか、蓄積されているかがその境界線となってしまう。

そう考えれば考えるほど、特に若い建築を志す人や学生は、できるだけ上質な日本の建築を実際に見て回ることをするべきだと思う。それを出来るだけ自分の身体に取り込むことが将来に大きく身になって返ってくるのだと、大学などでもっと伝えるべきだと思いながら、自分の身体にももっともっと良いものを吸収していかないとと思わずにいられない。

2013年7月20日土曜日

熊野古道なかへち美術館 SANAA 1997 ★


--------------------------------------------------------
所在地 和歌山県田辺市中辺路町近露
設計  SANAA
竣工  1997
機能  美術館
--------------------------------------------------------
南に下ってそこから東に向かうこちらのルートを選択した理由は、一つは道が整備されていて距離は遠いが時間的に早いことともう一つは龍神温泉で汗を流すこと。そしてもう一つがこのプリツカー賞受賞建築家の作品が見れること。

龍神温泉から走ること数十分。本宮まで続く道から脇に入ってのどかな集落を見ながら走ると、すぐに左手に見えてくるのが、この町立の美術館。この地ゆかりの日本画家作品を展示している施設だという。

一体どういう経緯で、この国にとって大きな意味を持つ熊野の地でのプロジェクトを手がけることになったのかと興味が湧く。


建築家本人が言うように、これだけのどかな風景の中の敷地に建物を建てるときに、如何にその風景に溶け込めるようなものを作れるかと考えたら、「なんでもないようなものを敷地に置くというような方法をとりました」という方法にたどり着くのも納得。

前年ながら次の展示の準備ということで中には入れなかったが、閉まって様があまり関係なく内部が体験できるのもまたこの建物のコンセプトが体現されているということだろう。横に広い風景のなか、半透明なガラスで曖昧に境界付けられた空間が、曲線を使われ自然の一部としてそこに置かれているような建物。

軽い軽い境界線を持った建築が、ふと敷地に自然に置かれている。プリツカー賞を受賞するまでになった建築家のずっと追い求めている空間が、何となく雰囲気として感じられる場所になっている。

しかし「それがどういいのか?」となるとまた難しい。ただしやり続けることが強さにつながるのだろうとまた納得して、再度本宮に向かうことにする。










2013年4月14日日曜日

鎖国

国際競争と多様なニーズに応える中でイノベーションが行われるグローバル世界。

その対局にあるのが、一般性を省みず、とことんある一部の需要を満たし、外部との接触を断ちながら独自の価値観に磨きをかけて、新しい価値を創造する。

イヴの時間」、「ベクシル」、「雲のむこう」など最近そんな内容の近未来の日本を描いたアニメを立て続けに見ることなった。

かつて世界第二位の経済大国まで上り詰め、緻密さと質の良さから持て囃されたメイド・イン・ジャパン。極東という文化の河の最果てに位置することから、ひたすらに蓄積し自ら更新してきたその文化的土壌も助け、世界からも高い評価を受ける様々な文化遺産。

それが少子高齢化という人口減少の波に揉まれ、それでもかつての繁栄と謳歌した時間を忘れられず、負の遺産を抱えながらも新しい国の姿を見出せられずにいる日本。

アトムやガンダムといった想像力とそれを可能にするテクノロジー。更に加速する近年の技術進歩を一方で目にし、またある一方ではこれだけグローバル化が叫ばれながらも、かつての繁栄が足かせになって、周辺ではどんどん進む国際化に乗り切れず、またそれでもどうにかなるかと思っているかの様な現状。

ちょっと外に出ると、世界を見渡し自分がどう生きたいかによって一番合った場所を選び住まう場所を決めて行き、世界の動向を感じながらしたたかに自分の能力と価値を高めながら生きるグローブ・トロッター達。

それに対して国境が本当の身体的な境界線として存在してしまう日本。

今の教育システムではその境界線を跨ぐ為には、個人として大変努力をするのと同時に、跨がずに国内に留まっていたら得られる様々な安心という甘い果実を捨てることになる。

もしくは、格差社会の上位に位置する両親に連れられ幼少期より国際性と馴染みながら成長するかだが、それでもその中から本当の意味での国際人、つまり国際舞台の舞台で一個人として競争力を持ち、求められる人材として自分の足で立つことができる人がどれだけでてくるだろうか。

休みを利用して日本に足を運んだ外国人の友人は帰ってくると皆揃って興奮しながら口にしてくれる言葉達。街は綺麗でシステマチックっで、清潔でディテールも完璧で、なんて素晴らしい国なんだ日本はと。

外から訪れる彼らには、そこに存在する境界線が見えてない。それは中の野菜を守るビニールハウスの様に、さまざまな外部からの刺激を遮断する。と同時に隔離する。

国際企業として成長した幾つもの巨大な日本企業として様々な国に進出する流れは今後一層加速するであろうが、世界の他の国でみられるように、個人がチャンスを求め、より快適な環境を求め、より自分にあった職場を求め大陸を移動する流動性のなかに、当たり前の様に日本人が含まれるには一体あとどれくらいの時間が必要なのだろうか。

そんなことを考えていると、そうして世界の流れに乗っていくのも一つだが、きっと日本という国柄、そしてその国民性を考えると、世界から忘れ去られたガラパゴスではなく、意識的に外部との交渉を断絶し、その中での差異化によって自らの価値を高めていく現代的な積極的鎖国の方が、きっと日本らしい未来の社会をつくっていくのかもと思わずにいられない。

その時に、「またかつてのように経済大国に・・・」などど願わずに、人口1億を切る社会に相応しい、中央と地方のバランスの取れたゆったりとした風景の中で、世代のバランスの取れた暮らし方ができるような、大きな都市計画の変革が必要だろうと想いをめぐらす。

2013年4月3日水曜日

旧国地図



寺社や公園、名湯や昔ながらの風景を残す街並みなどを目的地としてマッピングしていくと、地図の中に密度をもったある種の分布図が見えてくる。

それを見ていると、東京や大阪を筆頭とする現代都市の勢力図と比例しない、明らかに昔に現代と異なる勢力をもった都市や街があったのだと思わずにいられない。それが奈良や京都といったかつての都がおかれ権力の頂点に位置する都市ならまだしも、そうでない高密度な場所に見えてくるある種の共通項。

出雲、伊勢、伊豆、志摩、近江、土佐、佐渡、豊後・・・・

その多くが旧国名が冠された地名であり、かつての日本で各地方において堂々たる地位を確保していた場所である。自動車や鉄道といった高速陸路移動手段をもとに、近代に東京を中心として再編された都市分布。経済効率性ともともとの地勢とのバランスをとりながら、徐々に新たに浮き上がってきた地勢は次第に現代国家の基盤として定着していく。

日本全国にその地方地方の中心が存在し、多中心な地勢を誇っていたかつての日本。資金も労働力も必要とする建築が中心に閉める寺社。その歴史の中でも、権威を誇り、他より立派な建築物を持つに至った寺社には、やはりそれ相応のバックグラウンドが存在するはずである。

アースダイバーとは違うが、そんな寺社たちを一つ一つ訪ねていくことで、現代人の様にみみっちく貯金を貯めて土地を購入し、ささやかな家を建てるというプロセスを踏まなくてよく、気が良さそうだ、と思える場所を探し出し、かなり自由に建築を作ることが出来ていた、古代の日本人達が、この日本という地形にどのような気やゲニウスロキを感じ取ったのか?それが見えてくることになるはずである。

そしてそれは、国家としての統治をより効率的にするために敷かれた都道府県という境界線よりも、多中心の重なりのなかで生き生きとグラデーションを見せていた旧国での地図の方が、より日本人の歴史の中での地形の読み取りに対応しやすいのであろうと考える。

そんな訳で現代の都道府県地図に対応するような、旧国地図をネットで探してみるが、どうにも分かりやすいものがないので、折角だからと自分で作成してみることにする。

変わらない国家という外形線の中、一つ一つ旧国の境界線を引いていき、一つ一つ旧国名を入れていく。始めは東山道がなぜ東北地方と、群馬、長野、岐阜などを一緒くたにしてしまっているのだろうかと頭を悩ませていたが、これは京都が都として君臨していた永きに渡る日本の歴史の中で作り上げられて地図なのだと理解すると、後は比較的すんなりと頭に入るようになる。

都から伸びる数々の道。火山列島である地形の中心に位置する都から、各地に向かうには中央を走る山脈の北側をいくか、南側をいくか、それとも山の中を進んでいくかに分かれていく。

都から東に向かい山の中をいく東山道。
都から東に海を眺めながら進む東海道。
都から北に陸路を進む北陸道。
都から西に陽のあたりやすい南側を行くのが山陽道。
そして北側をいくのが山陰道。
南に向かって海に沿っていくのが南海道。
西に向かって海を行くのが西海道。
そして都を抱え込むのが5つのエリアからなる畿内。
この7つの道と5つのエリアを合わせて「五畿七道」。

こうしてマッピングだけでなく自ら地図を作っていくと、小説などで度々遭遇する近江や摂津、肥後や備前といった旧国表記がいまいちぴんと来てなかったが、ようやく少しながら場所と実態を持った場所として頭の中に浮かび始める。

それぞれ小さな中心として地形を読み解きながら長い時間をかけてつくりあげられてきた旧国は、地形だけでなくその土地の気候や風土をより色濃く反映されたものであり、それは同時にその土地に住まう人々の性格や考え方の基盤をつくっていくものである。

現代に育った自分たちですら気がついてない自らの性格のもとをつくった地域のDNA。それを読み解くためにも、現代を旧国と重ねてかつてあったであろう風景を想像しながら日本を歩くこと。

島根、宮崎、三重といった、経済性が上位に位置せざるを得ない現代日本においては、なかなか一線に躍り出ない場所たちが教えてくれる日本の源泉。一生つきあうことになるこの国に生まれた自分だからこそ、この国で多くの人たちが見守ってきた多くの風景を見ながら少しでも多くの道を歩くことができるようにと、ワクワクしながら自らの地図眺めて想像を膨らませる。




2013年3月21日木曜日

中国 省


日本ならどんな人に出会っても大体「どちらのご出身ですか?」みたいな会話から始まり、「秋田の生まれなんです」なんて言われればしんしんんと降り積もる雪の彼方に見える日本海を想像し、「鹿児島出身です」なんて言われれば、江戸から明治へと時代を動かす原動力になった周縁の地の男気をついつい想像してしまう。

日本に生まれ、日本で育てば必然の様に身に染み付く郷土の感覚。旧国名から都道府県に変わっても、簡単に変わることがないのがその土地に住み続けてきた祖先のDNA。気候や地形によって養われる地域の性格。それが「どちらのご出身ですか?」に凝縮される。

そう考えるとその国の人を少しでも理解する為には、その国の中に存在する地域性を理解し、「出身は?」の返答に込められる様々な意味が分かる様になるのは、遅かれ早かれ通る道であろう。

その理解が無いので、いつまで経っても場所が点として理解され、白紙の地図の上に浮遊する感覚。点から少しでも線を引き出し、それを繋げて面にしていく、そんな作業。

そんな訳で昨年北京に拠点を移すのを機会に、自分で地図をトレースし、各省の境界線を描き込んでみた。その中に一つ一つ省名を入れていくがまだまだその文字が意味を持って頭に入って来るには程遠い。

仕事や旅行で行ったことのある都市があるのは、雲南や内モンゴルとかなりキャラの立っているところが多いので、必然に頭の中でも地図の上で場所が分かるが、読み方すら危ういマイナーどころもしっかり抑えていかないとということで、各省毎に地図を書き出し、出張で足を運んだ街は出来るだけ自分なりのマッピングをしていく様にと準備をしていた。

が、すっかりやりっ放しで時間は過ぎて早一年が経とうとしている折に足を運んだ遼寧省の省都・瀋陽。大連も遼寧省の都市なのかと、久々に増えたマッピングにまたやる気が立ち上がり、この省と接すののは・・・なども直感的に分かる様まで地図を身体に染み込ませるかと心に決める。

2010年12月4日土曜日

「街並みの美学」 芦原義信 1979 ★★★











武蔵野美術大学図書館(藤本壮介)を見に行って、印象に残っていたのはその横の芦原義信による武蔵野美術大学アトリエ棟。グリッド状に上下2層に配された中庭空間を学生達が自由に使って、声の聞こえてくるとても穏やかな空間だった。そんな空間を見た後に、名著「街並みの美学」を読み返す。学生の時に読んだ痕跡が残っているから、10年振りというとこだが、やはり含蓄深いよい本である。

1 空間領域に関する考察
・内部と外部では「建築とは自然から切り取られた内部の空間を含む実態のこと」と定義し、床、壁、天井という3要素によって実態的に限定され、限定された大きさを有する内部空間としての建築の宿命として際立った境界線を必要とする。無限の大きさの建築というものがありえないように、建築の本質に境界の存在がある。つまり建築の歴史とは「内部」と「外部」とを区別する技術であり、境界から内に向かって求心的に空間を秩序立てる方法とする。

日本では、靴を掃いている空間は「外部」、靴を脱いでいる空間は「内部」でそこに現れる重要な違い。和辻哲郎『風土』を引きながら、西洋式ホテルと旅館での「内部」と「外部」との境界の置き方に注目し、西欧的雰囲気は独立した個の対立による外的秩序の空間で、日本的雰囲気は個の集合による内的秩序の空間とする。

・壁の意義では、最も大切な境界は「壁」の存在であり、ヨーロッパの住まいにおける庇護性としての壁の意義を描く。組積造と軸組み構造に現れる壁の厚みの違い。真壁造りに代表される日本の壁は柱の寸法より小さく、柱より飛び出しているのは長押と天井回り縁のみ。熱伝導率の小さい畳式の家屋では、床面にじかに布団をひき、組積造の家の熱伝導率が畳より大きい石では、身体と床面を離す事が必要とする。組積造でが窓や出入り口は厚い重い壁からくりぬいたものであり、軸組み構造では柱と柱の間を以下に埋めて壁を作るか。

・都市の囲いでは、都市においても「境界」が存在する。アッシジ、サンジミニャーノのような城壁都市では、一軒の建築のように都市が存在する。L・マンフォードの「誰でも都市の中にいるか、外にいるかのどちらか」という言葉をひき、境界が無いと不安というサン・テグジュペリの「城砦」に言及しながら、日本と西欧の秩序空間の境界線の違いを描く。

2 街並みの構成
・街路と建築との関係では、イタリア人は出会いの場としてピアッツァを、イギリス人は出会わない休息の場としてパークをもち、「はじめて訪れる時は地図をもつ。そこに描かれている街路が退屈であれば都市も退屈」という、ジェーン・ジェイコブスの言葉より、田圃とあぜ道との関係の様に、人が歩いて道になるという自然発生的村落形態の延長としての日本の街路の成り立ちと、起点・終点はっきりした西欧の街路の違いを論じる。街の中に誰かがなんとなく見張っている・ストリート・ウォッチャーの不在する日本の街路を描き、かつての京都の木格子では、暗いほうから明るいほうをみることができるが、明るいほうから暗いほうは見えないという内部からの母親の領域性を発見する。

・街路の構成では、イタリアでは外壁の足元まできちっと舗装されているのに対し、残部空間として現れる日本の街路から、
ゲシュタルト心理学のエドガー・ルビン「盃の図」を経由し、メッツガー『視覚の法則』の実際に見ることが出来るのは 「立体」とかの印象を与えるものだけ、という言葉を介して、境界線はどちらか一方、同時に両者の輪郭線となることはない、とし、「図」と「地」になりうる西欧の街路に対し、曖昧な日本の街路を対比させる。

・D/H幅と高さの比率では、ダ・ヴィンチが理想としたD/H=1に対して、バロックのD/H=2、京都のD/H=1.3の意味を描く。

・広場の美学では、ヴェローナのエルベとシニョーリ広場、シエナのカンポ広場、ボローニャのマジョーレ広場、ヴェネツィアのサン・マルコ広、ローマのカンピドリオ広場、バロック期のローマのサン・ピエトロ広場、ナヴォーナ広場を紹介し、広場が広場として成立する条件として
①境界線がはっきりしていて「図」となりうること、それは建築の外壁がのぞましい
②閉鎖条件をよくするような「入り隅」のコーナーをもつこと
③境界まで舗装が完備、空間領域が明瞭 
④統一と調和 D/Hが良い比率
とする。

・入り隅みの空間では、元来なかなか成立しにくい都市における入り隅の空間を開設し、「図」としてより見やすくなり、水の流れがよどむ様に、人々がたむろする空間として都市への導入を進言する。

・サンクン・ガーデンの技法とインメディアシーの原理では、質の高い閉鎖的な外部空間として、一部を道路面より下げて、低い庭としてのサンクン・ガーデンの例としてロックフェラー・センターを挙げる。外部に開かれたその例に対し、自己完結的な独立した空間、環境から遮断として日本の新宿御苑、六義園、小石川植物園が挙げられ、半閉鎖式の例として、日比谷公園が挙げられる。

・建築の外観の見え方に関する考察 -第一次輪郭線と第二次輪郭線ーでは、外壁から突出しているものが街並みを形成している日本の現状より、建築の本来の外観を決定している形態を第一次輪郭線。突出物や一時的な付加物による形態を第二次輪郭線とし、アジア諸国の街並みは主に、第二次輪郭線で決定されている。それはつまり、ゲシュタルト的な「図」となることを不可能とする。

・俯瞰景 - 見下ろすことの意味では、モンマルトルの丘のサクレ・クール教会、ローマの7つの丘など都市における見下ろすの重要性を説く。俯瞰景を増やすこと、坂のある街、階段のある街、丘のある街、港の見える丘がある街が魅力的だということを解説する。

3 住いや都市環境への提言と工夫
・小さな空間の価値では、都市における「小さい空間」にはどのような意味がるか再考し、便利さ、スピード感、匿名性という都市の魅力に対し、その逆として、個人的、静寂、創造的、誌的、人間的が求められるとする。代表的な例として、「庭付きの住まい」のスケールとして、実際自分が手をだせる自然があることが重要とする。

・夜景-「図」と「地」の逆転では、郷愁とかあるいは逆に生きがいなどは夕暮れから夜にかけて感ずるのかもしれない、という言葉から始まり、夜景における窓の意味を、反射光でモノを見る場合、透過光でモノを見る場合の反転としてとらえる。開口部の大きい和風建築は昼の建築であるに対して、北欧などの空間は反射光による室内の構成とする。

・記憶に残る空間では、ケヴィン・リンチの「都市のイメージ」より、都市は人々によってイメージされるものである、それゆえに、わかりやすさは、パス paths, エッジ edges ディストリクト districts ノード nodes ランドマーク landmarkより決定され、日本に都市における威厳や気品、沈着、忍耐を現す樹木の少なさを嘆く。同時に、日本の都市を小説に書くことは困難とし、対極にブラジルの新首都・ブラジリアを解説する。

4 世界の景観の分析
・いくつかの問題点では、土地所有者の私権の擁護がはるかに優先された東京の街並みの、重要道路沿いの商業地区の指定は、一体どのような都市のイメージでできているのか?この土地とは関係ない通過交通が通り過ぎてゆくのは無残極まりないとする。

・パディントンのテラス・ハウスと京都の町家では、ヴィクトリアン・スタイルのテラス・ハウスが建ち並んだシドニーの古い住宅地の装飾的なすかし模様のある駐鉄製の手摺が街並みとして統一感を与える例を紹介。

・チステルニーノとエーゲ海の島々では、一軒の大きな建築のような都市の例を紹介する。

・ペルシャの街 - イスファハンでは、テヘランをイランの東京、イスファハンを京都となぞらえ、「メイダン・イ・シャー」王の広場前の線状のバザール街・ナダール・アルダランの建築空間的には焦点がないことを解説し、扉とか間仕切りというものがなく、全ての空間は連続している空間性を紹介する。

・チャンディガールとブラジリアでは、ル・コルビュジェの図面の美しさ、一枚の図面によって表現されることを大切にしている姿に対して、その建物の使いにくさ、住みにくさを率直に表現し、それに対して、ルチオ・コスタのブラジリアの可能性を説く。

5 結び—近代建築のゆくえ
・あとがきでは、和辻哲郎の言葉、塀は町の周囲につくるものであって、庭園の周囲につくるものではない。ということで締める。