ラベル 宮城谷昌光 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 宮城谷昌光 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年2月16日月曜日

「沙中の回廊 上・下」 宮城谷昌光 2001 ★★★


「ちょっとここ読んでみて」と妻に蛍光ペンで引いた数行を見せる。

---------------
自分の精神が饐(す)えてゆくことは避けたい。世知や常識にくるまってしまう自分を憎悪し、みずみずしさの残った感覚の棘(とげ)で虚空を搔(か)きたい。傷ついた虚空から何が滴り落ちてくるのか、それをみたい。蒼天(そうてん)のしずくが地表に落ちて赤い花と化す、そのような時に接したい。

---自分はまだ何も成していない。

花と化せば、いつ滅んでもよい。感覚がそういっている。
---------------
「恐らく、この一節を世に届けることがかなり大きなモチベーションとなってこの小説を作らせたのではと思うんだ」と伝えると、「なかなか良い言葉だね」と妻。

そんな「これがこの本の後ろに見える著者の思想だろう」と思われる気合の入った数小節を見つけること、それが現代に生きながら、遥か時空を超えた日常を描く時代小説の一つの愉しみであることは間違いない。

冒頭に出てくる

---------------
たれも士会の懸命な姿をみていなくてもよい。自分がどういう気持ちで何をしたのかは、自分がもっともよく知っている。自分を裏切ることだけはしたくない。
---------------
この一節もまた著者の信念が滲み出る。

---------------
士会は戦場を局部とみなさない。一つの小さな戦いが伏流を発すると考える。その流れが必然をつくり、大きな何かを地上に出現させる。それゆえに士会の脳裏にあるのは空間の多角だけではなく、時間の多角もあろう。
---------------
碁盤の上に広がる無限の広がりを思わせるこの一節もまた、情報と技術が限られた時代に、戦場と言う広がりを持った状況を、時間と空間の広がりを持って理解し、分析し、対応することができた人間こそが、すぐれた将として歴史に名を刻んできたことを理解し、そこから何を学び、そして今我々が生きる時代に何を写し取るか。

そんな過去を生きた題材として向き合いながら、今の時間を生きていく。

そんな風に、生き生きとした「かつてそこにあった現実」として古代中国を捉え、そして少しずつでもその場に自らの身体を置いてみて、かつてそこで繰り広げられたであろう風景を、こんな歴史小説の想像力を借りながら自らの脳裡に再現してみる。

そんな実感を伴った歴史の楽しみ方。「晋(Jìn)」が山西省のナンバープレートだと思うのと同じくらいに、春秋時代の一角を担った様々な人材が描いた爽やかな風景を、荒涼とした大地の中に見つけていく、そんな旅に出かけようと思いながらページを閉じることにする。

2009年9月29日火曜日

「華栄の丘」 宮城谷昌光 2003 ★★★

相変わらずなんともマイナーな主人公である。

春秋時代という孔子を始め多くの才能を世に送り出したカラフルな時代にも関わらず著者がスポットライトを当てるのは、歴史の中で舞台の中心にいた人物の隣に立って歴史が作られるのを手助けしてきた人々。なんとも謙虚なその姿。

今回も急にスポットライトを当てられたのは春秋時代の決して大国ではない、「宋」の宰相として活躍した「華元」。出目が特徴ななんとも可愛らしい姿の主人公は飄々と時代の中を駆け抜け、北の晋に南の楚という大国に囲まれながらも「負けることで最終的に勝つ」ことに国の存続を成し遂げた逸材。

現在の河南省を中心とし、商丘を首都として斉・晋・秦・魯などとともに、春秋時代の重要な役割を与えれれた国・宋。

「沙中の回廊」で描かれた同時代の隣国・晋。その国で名君・重耳に見出され、同じく宰相まで上り詰め、カラフルな春秋時代の1ページを描き出した士会同様、約3000年もの前の時代に生きた人々の息遣いが聞こえてきそうな著者の力量に圧倒される一冊である。