建物の見えない夜のうちにできるだけ移動距離を稼ごうとするさもしい気持ちがばれたのか、島根の西の果てに位置する津和野から、山を越えて中国自動車道へとたどり着き、ひたすら東に向かって津山までの300キロにも及ぶ行程を200キロほど走った一日の終わりの疲れた身体に課そうとするのはそれだけでも酷なのに、生憎の空模様で周囲には濃い霧が漂うなか、本格的に降り出す前にせめて高速までたどり着けばと焦る気持ちを抑えながら津和野を出発する。
焦る気持ちを抑えるように、道はひたすら山に沿って右へ左へとうねり、海抜を上がれば上がるほど濃くなり視界を遮る霧。ライトをつけて、対向車に気をつけながら、できるだけ注意をしてハンドルを握る。
それでも一箇所、山の頂上付近で通りがかったトンネルで、入り口に完全に霧に塞がれ、ゆっくり中に入ると出口までまるで雲の上を走っているように靄が続いていく。まるで出口がそのまま黄泉の国に繋がっているかのような雰囲気である。
前方からも後方からも車が来ない事を確認し、ゆっくりと車を進める。何とも幻想的な風景に写真に収めたい欲望に駆られるが、ここで車を停めたら二度と発進できないのではと無駄な想像力を働かせてしまい、アクセルを踏み続ける。
フワッと開ける出口からの景色に焦らないように気をつけ、まだまだ続く深い霧の中のドライブを続ける事1時間近く。やっと中国自動車道六日町入り口に到着。ここまでくれば後は気合を入れてなんとか時間を短縮できるだろうとナビの到着時間を睨みながら、SAで休憩してはひたすら東へ。
最近のナビはなんとも優秀で、がんばったつもりだが、やはり当初の示された到着時間とほぼ変わることなく4時間をかけて津山へ到着。その頃には周囲はすっかり暗くなり、一日長時間ドライブした身体には相当な疲労が蓄積している。山陰地方に高速道路の整備をと叫ばれているのが良く理解できるドライブとなった。
さてこの津山市。岡山県において、岡山、倉敷に続く第3の都市であり、人口は10万人程度。旧国表記では美作国(みまさかのくに)となり、この美作国は山陽道に属し、伯耆国(ほうきのくに)、因幡国(いなばのくに)、播磨国(はりまのくに)に接していた。その美作国の大半を領有した津山藩(つやまはん)が藩庁を津山城(岡山県津山市)に置いたために発展した城下町である。
21時過ぎにホテルにチェックインし、早速周囲の美味しい店を聞き出して散策へ。城付近ということもあり、周囲には如何にも商店街という街並みが広がっているが、夜にはすっかりしまってしまって人通りの無い雰囲気。
「ここも寂れてしまった郊外の街か?」と思いながら渡された地図を頼りに進んでいくと、チラホラよさげな雰囲気を漂わせるこじんまりとしたお店が顔を見せる。「これは?」と思いながら、暫く歩き回り、津山の新名物であり、B級グルメでも上位に食い込んだという「ホルモンうどん」が名物のど井鉄板焼の暖簾を潜る。
店内はカウンターといくつかのテーブル席。その狭さも程よく、地元の人で賑わっている。お勧めを聞いてつまみを頼み、ビールを楽しみながら「田崎つくる」を読みながら良いお店の雰囲気を味わう。如何にも常連という客が挨拶を交わしながら適正価格といってよい値段のつまみを楽しみながらワイワイとやっている。
そんな雰囲気を見ながら、恐らくこの街は歴史の中でしっかりと自らの立ち位置を見つめ、自らに適した規模を保ち、過度な繁栄を求めずとも、しっかりとした豊かさを持ち続けている。そんな街にその街を愛する人達が残る。そんな雰囲気が十分に感じられた。
これは明日からの津山めぐりが楽しみだと、天気予報で言われているように雪にならなければと願いながらホテルに戻ることにする。
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