2016年2月4日木曜日

六甲の集合住宅 安藤忠雄 1983 ★★★


--------------------------------------------------------
所在地  兵庫県神戸市灘区篠原北町
設計   安藤忠雄 
竣工   Ⅰ:1983,Ⅱ:1993,Ⅲ:1999,Ⅳ:2009
機能   集合住宅
規模   地上3階
建築面積 668m2
延床面積 1779m2
構造   RC造
--------------------------------------------------------
日本で建築を学んだものにとって、恐らく一度はぜひ訪れてみたいと夢焦がれたのがこの建物。世界的な建築家・安藤忠雄の名声を確固たるものとした集合住宅で、著書でも何度も語られるように、急勾配の敷地を自分の足で何度も歩き回り、勾配に沿って地形に寝そべるように全面をテラスとして、段球状にセットバックしながら、何度もその後何度も繰り返されていく「階段」のモチーフが明確に建築の表現の全面に出てきた建物であり、それ以前の住吉の長屋などの個人住宅の作品から一気にスケールを上げて集合住宅に立ち向かい、新しい建築の型を作り上げた作品である。

年表を見ていくと、住吉の長屋から7年。その間、大阪から徐々に兵庫や奈良などの周辺地域に活躍の場を広げ、個人住宅を主としながらも商業施設やオフィスなどを手がけ、ついに手に入れた集合住宅の仕事といった感が見えてくる。

1976年(35歳) 住吉の長屋
1977年(36歳) ローズガーデン
1977年(36歳) 北野アレイ
1981年(40歳) 小篠邸
1981年(40歳) リンズギャラリー
1983年(42歳) 六甲の集合住宅Ⅰ
1984年(43歳) TIME'S
1986年(45歳) 風の教会(六甲の教会)
1988年(47歳) 水の教会
1989年(48歳) 光の教会
1989年(48歳) コレッツィオーネ
1991年(50歳) 本福寺水御堂
1992年(51歳) ベネッセハウス ミュージアム
1993年(52歳) 六甲の集合住宅Ⅱ
1994年(53歳) 大阪府立近つ飛鳥博物館
1994年(53歳) 京都府立陶板名画の庭
1997年(56歳) 横倉山自然の森博物館
1999年(58歳) 六甲の集合住宅Ⅲ
2000年(59歳) 淡路夢舞台
2001年(60歳) 大阪府立狭山池博物館
2001年(60歳) 司馬遼太郎記念館
2002年(61歳) 国際子ども図書館
2004年(63歳) 地中美術館
2004年(63歳) 県立ぐんま昆虫の森
2006年(65歳) 表参道ヒルズ
2008年(67歳) 東京大学大学院情報学環 福武ホール
2008年(67歳) JR竜王駅
2008年(67歳) 東京地下鉄副都心線・東京急行電鉄東横線渋谷駅
2009年(68歳) プンタ・デラ・ドガーナ再生計画
2009年(68歳) 六甲の集合住宅Ⅳ(病院+老人医療施設)
2010年(69歳) 李禹煥美術館
2012年(71歳) 秋田県立美術館
2013年(72歳) ANDO MUSEUM
2014年(73歳) 21世紀キリスト教会広尾チャペル
2015年(74歳) 真駒内滝野霊園 頭大仏

地形にそって段球状になっているために、床が重なっている部分の一番多い階数を数える建築基準法によれば、この高さをもってしても3階建ての建築ということになるが、これだけの急勾配に建設することは、施工的にも目に見えない地中の部分に基礎や土留めなど大きなお金がかかってしまい、経済効率性が低いというのは建築の実務に長く携わっていれば分かってくるだけに、それだけの投資をもってしても建築として、また賃貸物件として価値を持つとクライアントを納得させた建築家の情熱と、それを受け止めたクライアントの決断がどれほど凄いものだったかと想いを馳せずにいられない。

一番手前で一番規模が小さく、袖壁が屋上まで立ち上がっている意匠が特徴的なのが一番初期の六甲の集合住宅Ⅰ(1983)。その奥にやや規模を大きくして、ラーメンのフレームがくっきりと外形を縁取っているのが六甲の集合住宅Ⅱ(1993)。斜面のさらに上、相当大きな規模でスラブタイプの建物に大きなヴォイドが空いているのが六甲の集合住宅Ⅲ(1999)。今度は一期の左、少々離れた位置に見えている弧を描く巨大な壁といった印象のものが病院と老人医療施設となっている六甲の集合住宅Ⅳ(2009)。

実際に見てみると、3期以降の建物のスケールの巨大さがあまりに凄すぎて、道を歩いていても、まるで上から押さえ込まれるような圧迫感を感じることになる。その原因を作っているのが第4期となっている神戸海星病院と老人ホームであるコンフォートヒルズ六甲の建物の高さ。弧とすることでできるだけ各部屋に眺望を確保しつつも、なんとか下の地域への圧迫感を軽減しようとしたのだろうが、一期にてあれだけ大地に寄り添うようにして環境の一部としての建築をつくりだしたのに、その最後に斜面の上で、巨大な壁が聳え立つ風景はやはりどうもよろしくない。

恐らく入居のためには相当高額な入居費が必要とされると想像される非常にきれいな病院と老人ホームの建物郡。程よいサイズの住居が立ち並び、落ち着いた住宅街を形成していたのに、その最上部に経済的余裕を持った高齢者が街を見下ろしながら生活をし、その視線を心の中で感じながら生きていく人々の日常に想いを馳せると、なんともいえない気持ちになりながら、坂を下りることにする。



六甲の集合住宅Ⅳ(病院+老人医療施設)

六甲の集合住宅Ⅰ 1983
六甲の集合住宅Ⅱ 1993





0 件のコメント: