2010年8月9日月曜日

「ドッグヴィル」 ラース・フォン・トリアー 2003 ★★★★★

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スタッフ
監督・脚本 ラース・フォン・トリアー
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キャスト
ニコール・キッドマン
ポール・ベタニー
クロエ・セビニー
ローレン・バコール
パトリシア・クラークソン
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作品データ
原題 Dogville
製作年 2003年
製作国 デンマーク
上映時間 177分
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監督のトリアーは「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の監督と言えばよく知られているかと思うが、芸術性の高い作品を撮るデンマークの映画監督が今度はニコール・キッドマンを主演に向かえ、アメリカの現代を描く3部作の第1作という位置づけ。

後の「マンダレイ」は近作の続編という位置づけらしいが、とにかくこの作品、ハリウッド映画に慣れきった我々には何とも新鮮に映り、映画の可能性がこれほどまで広いのかと教えてくれる良作である。

何と言っても最初の驚きは、その描写方法。まるで舞台芸術の様に、舞台の上に白いチョークで建物の輪郭を描かれ、登場人物達はまるでそこに物質の壁があり、扉があり、窓があるかのように「演じて」いく。

それゆえに真上から見下ろしたショットが何度も使われ、壁すらないセットの中で、まるで「そこに壁があるかのように」片側では団欒し、もう一方では眠っている登場人物たちの対比。それが壁が無い事によって「透けて」見えることによって、都市が様々な人が「同時に」様々な事を行っている総体なのだと強く印象付ける。

このような描写の仕方を強調すべく、多くの舞台は用意せず、敢えて一つの村という設定に抑制し、そのために登場人物も極めて少ない15人前後とされている。15人の住民の住まう村。その狭く濃密な人間関係。そしてそこに飛び込んでいく異邦人。

教室や村という閉鎖された社会の中でも、誰一人として同じ性格や人格を持った人間がいない様に、どんなに少ない構成人数の社会でも、その中でしっかりと役割分担が出来上がるのが社会動物としての人間の特性。

どんなに小さな社会や組織でも、必ずその中でリーダーが現れ、荒くれ者が現れ、偽善者が現れるのが人間社会。それを壁の無い世界で、本当は見えない壁の向こう側でどれだけ偽善面をした隣人が自分を罵っているのかを見事に描き、「現代」を語る。

そして全編を通して、閉鎖社会に現れた異邦人が、村人それぞれの鬱憤のはけ口にされて、さげずまれ、陵辱され、首輪をつけられていく姿に留まる事のない人間の心の闇を映し出す。

そんな暗い雰囲気の裏側には、「許すこと」の主題が見え隠れする。人間のさが。それを受け止め、愛し、許す。キリストの教えを身をもって示そうとする主人公。そしてその主人公を追っていたマフィアのボスは実はその主人公の父親であり、逃亡者と思っていた主人公が「デウス・エクス・マキナ」的にその意味を変え、村人の本性を焼き尽くすかのように村に火が放たれる。

まるで素晴らしい舞台を見ていたかのように気分にさせてくれる、何とも深く、何とも儚い一作である。