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2021年11月3日水曜日

Studio Dwelling at Rajagiriya ラジャギリヤのスタジオ兼自邸_ Palinda Kannangara パリンダ・カンナンガラ_ 2015 ★★★★★

Palinda Kannangara パリンダ・カンナンガラ

自邸をテーマに巡ってきたが、そんな中でも鮮明に記憶に残っているのが、以前このブログでも紹介した、現代のスリランカ建築界を牽引するパリンダ・カンナンガラ(Palinda Kannangara)の自宅兼スタジオであろう。
 
コロンボから30分ほどの場所で、 新首都のスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテに近い郊外に位置し、北側には川沿いの湿地が広がり、夏には蛍も見られるという自然が豊かに残るエリアに、安い時に土地を購入し、お金が入るたびに建設を続けながら、長い年月をかけて少しづつ住みながら完成させたという建築。
 
2019年のスリランカ建築学会の国際会議に、パリンダさんの紹介にて講演をさせてもらうなどの縁もあり、ちょうど滞在中にあたった妻の誕生日をお祝いさせてほしいと、風通しの良い4階のテラスで手料理を笑顔で振舞ってくれる彼の姿は、自然との境目をほとんど感じないおおらかな彼の建築そのものだと感じた。
 
 深夜を回る頃、明日にでも近くにある釈迦が訪れたと言われる仏教寺院のマハー・ラジャ・ヴィハーラを訪れる予定だというと、「それなら今から一緒に行こう」と、深夜の暗い道を愛車で飛ばし、教えられるままに靴を脱ぎ、裸足で境内に到着すると、深夜にも関わらず沐浴をする多くの人々の姿に、日常の中に溶け込むこの国の宗教の息遣いを感じた気がする。
 
「自分が実感を持てる範囲でしか仕事はしない」ということで、スリランカと南部インドでだけ、設計活動を展開するパリンダ氏だが、ジェフリー・バワの作り上げたスリランカ独特の建築の在り方をしっかりと現代において受け継ぎ、そして発展させる素晴らしい建築の数々は、ぜひ日本でもより多くの人の目に届く機会があればと切に願う。



2020年4月23日木曜日

春の雪景色


実家での仮住まいの時間が長くなり、かつての自らの子供部屋がリモートワークのオフィスとなるなか、本棚に置かれっぱなしの小説の背表紙を眺めると、読書に没頭していた時期を思い出す。

そんな気持ちを取り戻すべく、読んでない本を探して一時期随分読み漁った吉田修一の「初恋温泉」を見つけ出す。恐らく読んでなかったはずと、一日一篇読み始める。

それぞれの篇には具体的な温泉と旅館名が書かれており、そこを訪れるカップルの話が納められているのだが、 青森の青荷温泉を舞台とした「白雪温泉」では、空港を出た際に感じる違和感が、雪景色に覆われた風景で音がなくなったような感覚から来るのだと始まり、雪深い宿に訪れた夫婦の一夜の物語が書かれている。

その話が印象深く、夜に妻に語って聞かせた次の朝、日課となった庭木の片付けを終えて市のクリーンセンターに向かう途中、前の車が少し不安定な運転をしているのに気が付く。「危ないな・・・」と思ってみていると、どうやら高齢の女性ドライバー。しかも、目的地が同じ様である。「なんとかかわして先につきたいな・・・」と思いつつも結局前後関係は変わらず到着。

最初の計量に際して、係の人から「何を持ってきたぁ?」と聞かれて、「ちょっと見せてくれる?」と通常のやり取りが行われているのを後ろから何気なしに眺めていると、運転席から降りてきたマスク姿のおばあさんが、トランクを開けて指を折りながら数を数えている。「ここは不燃は取れないよ。可燃しかダメだよ」という係の人の言葉に、窓口に向かうおばあさん。

「ここは不燃がダメなのを知らない人が多いからなぁ」と思いつつ眺めていると、どうやらうまくやり取りが進まない様子で、係の人が「あぁ、耳が聞こえないのかね」と。

昨晩の小説が頭の中で甦り、携帯をもって車を降りて駆けつける。携帯に「不燃」と打ちこみ、おばあさんに見せて、腕でバツを作って伝える。それでもうまく伝わらない様子なので、係の人が「中央センターなら全部取ってくれるから」と言うように、中央クリーンセンターを地図で表示して、「可燃と不燃」とタイプしてマルを作って見せると、どうやら分かった様子でトランクを閉めようとする。

大丈夫かな?と思いつつ、「市民病院の近く」と再度打ちこみ画面を見せると、ポンポンと腕を叩いて、マスクの上からでもそれと分かる笑顔でにっこりとうなずく姿からは「大丈夫だよ。ありがとう」と言ってくれているのが伝わってくる。

植木を出し終え、家に向かいながら、こんな状況でも力強く新緑に覆われ始める春の風景を眺めながら、昨晩白雪温泉」を読んで妻に話していなければ、恐らく気が付くことがなかったであろうことが、意味のある景色として見えたことに感謝しつつ、音がすべて吸収されてしまう雪景色のような世界でも、あんなに温かい笑顔と感謝があることに思いを寄せて、ごみを出しに来たのに、それ以上に大きなものをいただいた気がせずにいられない。

2019年1月1日火曜日

Studio Dwelling at Rajagiriya_パリンダ・カンナンガラ(Palinda Kannangara)_2015 ★ ★ ★ ★ ★


今回、思い切ってスリランカまで足を伸ばそうと思った理由は二つあった。一つはジェフリー・バワ(Geoffrey Bawa)の建築を実際に観て体験すること。そしてもう一つは2018年のRIBAアワードを受賞したスリランカの建築家パリンダ・カンナンガラ(Palinda Kannangara) さんのオフィスを訪れること。

How I Live  Sri Lankan architect Palinda Kannangara

RIBA Award for International Excellence 2018
スリランカの現代建築を調べているうちに、とても質の高い住宅の作品が多くあるのを知ったが、その中でも特に内部と外部がうまい具合に接合し、とても心地よさそうな空間で微笑んでいるパリンダさんの写真が気になり、思い切ってオフィスにコンタクトを取ってみると、快く訪問を受け入れてくれた。

スリランカは正月が4月になり、年末年始といえども通常通りとはいえども、まさか1月1日を指定されるとはなんとも驚いたが、その日のアポイントから逆算し旅程を立てて、スリランカを反時計回りに巡り、大晦日にコロンボに戻ってきた。そして元旦の午前中にバワのNumber 11を訪問し、午後にパリンダさんのオフィスを訪れるという、なんとも建築色の強い一年の始まりとなった。

コロンボから東に向かい、小さい頃その特色のある響きのために何度も友達と言い合ったスリジャヤワルダナプラコッテに入る手前に位置するラジャギリヤ (Rajagiriya)。分かりづらいだろうからと、オフィスの若いスタッフの子とやり取りをして、近くの交差点で合流する。

バラックのような商店が道沿いにならび、緑の生い茂った中にポツポツと住宅が立ち並ぶ風景のなか、少し脇道に入ってしばらく進むと、それらしき建物が右手に見えてくる。非常にシンプルなコンクリートのフレームに日焼レンガを嵌め込んだファサードの下には、ピロティを利用した駐車場が敷地の反対側に広がる湿地帯からの風を運んでくれる。

駐車場脇の扉を抜けると右手にこちらも風の抜ける大きな階段が広がり、上りきると切り取られた湿地の風景が待ち受けてくれる。脇に置かれたベンチに座り、靴を脱いでガラスの扉を抜けると、巨大なアコーディオンタイプのガラスサッシを左手にもった、とても気持ちの良い吹き抜け空間。そこで、髭に覆われた大きな笑顔で迎えてくれるパリンダさん。簡単な挨拶を終えると、すぐにオフィスを案内してくれる。二階はオフィスとして使用していて、数名のスタッフが進行中のプロジェクトの設計を行っているという。3階から上は自宅で、仕事の間は上にいて、時折下に降りてきては打ち合わせや指示をしているという。

3階の寝室も両開きの大きな窓が湿地に向けられ気持ちのよい風が抜けていく。南のレンガのスクリーンの後ろも吹き抜けになっており、ここから風が上に抜けるようになっているようだ。

4階は南北に狭い空間が、3枚引きのガラス戸で翠いっぱいのテラスにつながっており、自然の中のパヴィリオンといった雰囲気。風も虫も流れて、自然に溶け出すようなとても心地よい空間。真ん中に置かれた大きなアイランドキッチンで甘いお菓子とお茶を用意してくれ、あるアーティストの家のために作ったというソファーテーブルの周りに座りながら様々な話を聞かせてくれる。音楽好きだというので、あちこちに組み込まれたスピーカーから流れる音楽もまた、外の自然の中に消えていくような気がする。

裸足のままテラスに降りて、湿地に広がる自然を眺めながら、この国の状況やバワを経て現在のスリランカの建築事情など話をしている中でとても印象的だったのが、「自分は自分の手の届く範囲で仕事がしたい。だからスリランカと南インドでプロジェクトをするだけにしている。その方が自分が幸せに仕事をできるから」というパリンダさんの言葉。

この住宅兼スタジオも、土地を購入してから、資金がなかったのでなかなか建設ができなかったが、お金が入っては進めてと時間をかけながら建てたんだと教えてくれ、裸足であちこちを動き回る姿そのもので、とても地に足の着いた建築家との印象を受ける。

気が付けば数時間が経過しており、元旦の日の快く受け入れて得くれたことに感謝を伝え、妻と二人、とても強い幸福感に包まれながらコロンボへの帰路に就く。建築とはどうあるべきか。自分が信じていることが設計にどう反映されるのか。人生の多くを過ごす場所がどうあるべきか。いろんなことを考える貴重なきっかけになる、そんな重要な訪問であったと、今後の人生で何度も思いなおすことになるだろうと思いながら。














2015年6月3日水曜日

月の花 6月 紫陽花 アジサイ

妻が一番好きな花・紫陽花。その中でも一番お気に入りなのは濃い紫から青の色のもののようである。旅先で紫陽花を見つけるために、あれこれと構図を考えてはカメラで撮るようにお願いされる。そんな紫陽花。

露が始まる嫌な季節だけれども、この紫陽花が見れると思うと少しだけ気分が癒される。そんな訳で6月の花として描いてみる。

1月 / 水仙
2月 梅 / 椿 
3月 桃 / 沈丁花 / 白木蓮 
4月
5月 バラ
6月 紫陽花 / 花菖蒲 
7月 向日葵 / 朝顔 / 蓮
8月 コスモス / 向日葵
9月 彼岸花  / 金木犀
10月 シクラメン / 山茶花 / 金木犀
11月 菊
12月 水仙

こうしてじっくり描いてみると、何枚もの花が重なり、いくつもの花が集合して我々が「紫陽花」として認識する一塊になっているのだと理解する。その重なりの為に、微妙なグラデーションの上にさらに、微妙か影が何十にも重なって、それを細かく描いていくには相当に忍耐が必要である。

そんな姿を見て、「なんだか楽しそうね。私もやってみようかな」と画用紙を要求してくる妻。少し大人しくしているなと思っていたら、数分後に「できた」と見せてくるのは子供のお絵かきのような外形線のみ。

「やはり、才能無いみたい」というので、「何ならあるのかな・・・」という言葉をグッと飲み込み、再度紫の色鉛筆に向き合うことにする。




2014年3月16日日曜日

オペラ 「エフゲニー・オネーギン (Eugene Onegin)」 NCPA 2014 ★★

「オネーギン、オネーゲン、オネーギン、オネーゲン」

なんとも響きが気持ちいいので、妻と二人で互いに「オネーギン」と言い合っては笑いあう。いつもの通りメンター夫妻に勧められて購入したオペラ。「コンサートよりも視覚的にも楽しめるオペラのほうがいい」という妻の要望もあり、久々に足を運んだ大きなオペラ用のホール。

この「エフゲニー・オネーギン (Eugene Onegin)」。チャイコフスキーの代表的オペラだという。チャイコフスキーといえば、「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」という3大バレエかと思っていたが、オペラも手がけていたとは知らなかった。

ではその「エフゲニー・オネーギン」の原作はというと、ロシアの作家、アレクサンドル・プーシキンの韻文小説であるという。モスクワ生まれのプーシキン。19世紀初頭のロシア近代文学を支える大作家という。なんでもロシアでは最も人々に愛されている詩人であり、「我々のすべて」と言われているという。

そしてプロダクションはもちろんロシアはサンクトペテルブルクを拠点とするマリインスキー劇場(Mariinsky Theatre)。そしてオーケストラを指揮するのは現代ロシアの英雄、ワレリー・ゲルギエフ。例の小さな爪楊枝のような指揮棒の指揮者で、先日の措置・オリンピックの開会式に、オリンピックの旗を持って更新した最後の6人の一人。

そんな小さな指揮棒に導かれるように響き渡るアルファ波。その後ろから押し寄せるような睡魔と闘いながら、「一体どうしたらそんな風に遊んで暮らせるのだろうか?」とついつい疑問に思ってしまうイケメンのオネーギンの一生を見ていく。

やはり貴族が貴族として存在していた時代には、必然的にその生活を支える下部組織が存在していたことも事実であり、友人を撃ち殺してしまった事に傷つきヨーロッパを放浪したといっても、綺麗な格好で先々でパーティーに参加したりと、その放浪のイメージがまったく違う様子に、村上春樹の言葉を思い出さずにいられない。

昨年秋からどっぷりと身体と脳と浸してきたロシア文化。進めているコンペの為ではあったが、それが少しずつ点から線へと繋がってきた感じがする。次はモスクワでその線を面へと広げてできるだけ身体の中へと吸収する事にする。




マリインスキー劇場
チャイコフスキー
アレクサンドル・プーシキン
ワレリー・ゲルギエフ


2014年3月11日火曜日

「The Walking Dead」フランク・ダラボン 2010 ★

体調を崩したことと、数日前に「ワールド・ウォー Z」を見て久々に「ゾンビ」の快感を覚えてしまったことで、数年前からやたらと流行っているアメリカのゾンビ・ドラマに手を出すことになる。

妻からは「そうやってすぐひきこもる」と詰られながら、同じパターンで押し寄せてくるゾンビ達に続々しながらついつい何話も見続ける。

そこで思うのは同じ質問。

「ゾンビの何が怖いのか?」

決して動きが速いわけでもない。
頭が良い訳でもなさそうである。
それなのに、なぜ捕まってしまうのだろう?
ウイルスによって力がもの凄く強くなるのだろうか?

なぜ?
なぜゾンビが現れる街では、車がひっくり返っているのだろう?
誰がやったのだろうか?
なんで戦車が放置されているのだろうか?
圧倒的な量ということと、一部を破壊しないと死なないという特性以外は、それといって特別な生物ではないように思われるゾンビ達。それに軍隊もやられてしまうのか?

そんなことに気が付くまでにすでにシーズン3まで来てしまった・・・
そしてそんな質問が頭の中で響きあうということは、すでにゾンビへの興味がなくなったということであろう。

そこにたどり着くまでに、随分無駄にした計算になる。結局同じパターンの繰り返しである、このようなドラマ。これを見ることで自分の人生にとって何かしらプラスの意味があるのかどうか。そんなことを考えてしまう時点ですでに動画を再生する気はすでにない。

このような娯楽映像。「今」は何もしなくても目に入ってきて刺激を与えてくれて、面白いかもしれないが、結局のところ何も残らない。しかし、それでも見続けてしまうのが堕落する生物である人間。本当に危険である。

「危ない危ない」と言ってIpadを閉じて寝室から出ていくと、

「ゾンビ死んだの?」と聞いてくる妻。

やはりこっちで「今」を生きなければと思わずにいられない。


2014年3月7日金曜日

「横道世之介」沖田修一 2012 ★★★★

iPadで見ていると、横から妻が覗いてくる。
「今度は何見ているの?」と。

映像を停止し、ざっくり話を伝えてあげる。我々が大学に通ったのと同時代的な雰囲気と、登場人物の設定が魅力的なことを伝えると、

「面白そうじゃない。なんで見始める時に誘ってくれないの。すぐにそうして自分だけの世界に閉じこもるんだから」と何やらご機嫌斜め。「家にいるときくらいは私の相手をしろ」ということらしい。

「まだ始まったばかりだから一緒に見る?」と聞いても、「もういい」ということらしい。「最初に誘ったんだけどな・・・」と思いながら、しょうがないので続きから見ることにする。

春を迎えると、大学が集まる東京の街は「新」がつく人がごったがえす。その中の新入生。地元を離れ始めて一人暮らしをして、大都会の東京での新しい大学生活に胸を含ませ、どんな出会いがあるのだろう、どんな楽しい生活が始まるのだろうとドキドキしながら、着慣れないスーツに身を包み大学の門をくぐる。

そこには様々なサークルの勧誘とチラシ。なんだか分からないが物凄く歓迎してくれるし、なんだかどこも楽しげである。そして参加する新歓コンパ。こんな風に楽しくお酒を飲んで、こんなに多くの人が集まっているんだと、改めて大学の、そして東京の凄さに驚くことになる。

毎日毎日が新鮮で、毎日が可能性に満ちている大学一年生の4月。幾つものサークルを比較し、その度々に重宝される、そんな日々。その中でいろんな友達や異性にも出会い、その後の4年間の大学生活の基礎となる人間関係を構築していく。そしてその4年間というのは、その後の人生の基礎でもあるということは、この時期にはなかなか気がつかないものである。

原作者の吉田修一は1968年生まれ。長崎出身で大学は法政大学に通っているので、ほとんど自身の私小説ということになる。

そんなとにかく楽しかったあの時代の雰囲気をもたらしてくれるこの映画。田舎から出てきたなんてことはないが明るく無邪気な主人公。気さくで威張ったり、誰かをけなしたりもせず、とにかく強い印象は残さないが、のちのちふと、「そういやあんなやついたな。あいつに会えてよかったな」と思い出すような人間。

不思議なもので、あれだけ集中的に時間を共に過ごした大学時代にもかかわらず、そのほとんどが社会人になると滅多に顔を合わせることなく、互いの人生にとって重要な役割を果たすことなく過ごしていく。まるでかつての恋人ほどではないにせよ徐々にその距離は徐々に離れていく。

どんなに日本の大学の質が落ちたといわれようとも、やはりこうして地方から東京に向かい、様々な人間関係の中で少しずつ大人になっていく時間と言うのは、一見無駄にも見えるが、その実大きな意味を持っているのだと改めて自分の過ごした時間を振り返ることをさせてくれる大変素晴らしい作品である。
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スタッフ
監督 沖田修一
原作 吉田修一
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キャスト
高良健吾 横道世之介
吉高由里子 与謝野祥子
池松壮亮 倉持一平
伊藤歩 片瀬千春
綾野剛 加藤雄介
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作品データ
製作年 2012年
製作国 日本
配給 ショウゲート
上映時間 160分
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2014年2月8日土曜日

スーパー銭湯の公共性

風呂好きの父親が、「最近できたスーパー銭湯の割引券があるから一緒にいかないか?」と誘ってくる。折角だからと風呂嫌いを公言している母親をおいて、妻と三人で出かける事にする。

地元には昔からあるスーパー銭湯があり、いつもはそこに足を運ぶのだが、今回は少し方角が外れた方向にできたという新しい施設。到着すると広い駐車場にはほとんど満車の車。

スーパー銭湯が郊外生活の一つのプチ贅沢に定着したのがモータリゼーションと融和したこの風景からよく感じ取る事ができる。日常の夜。夕食を食べた後の家庭で、「今日お風呂行くか?」と子供をつれてやってくる家族の姿。大人一人700円くらいなので、決して安くは無い金額であるが、毎日ではないからと少しだけ贅沢な気分になれて、なおかつ身体を伸ばしてお湯に浸かって、疲れが取れると自分に十分な言い訳を与えられる。

子供連れの家族が月に2,3回、一度につき2000円ほどの出費をすることで、恐らく十分施設的には利益を上げることができる仕組みになっているのだろうが、外食同様、通常家庭の中にあるものを外で行う事で少し豊かな気分に浸れるという、必要な日常の一部を外に持ち出すビジネスである限り、今後共間違いなく広まっていくだろうと思える業態であろう。

そんな間違いの無いビジネスだけに今後は競争が激しくなってくるはずであるが、そこに現れたのが二番手が、一体どんな手を使って差異化をしてくるのかと期待して暖簾をくぐる。

「500円の割引券をもらった」という父親がなにやら入口で戸惑っているようなので聞いてみると、これは通常700円のところ500円で入れますという割引券で、それを父親は500円割り引かれる券だと理解していたという。確かに分かりにくい表記をしてあるのでなにやら怪しいなと思いつつも料金を支払い妻と待ち合わせ時間を決めて中に入る。

脱衣場に入って気がつくのが、あちこちに張ってある「盗難注意」の張り紙。そして同時に張ってあるのが、「盗難については一切の責任を負いません」の文字。オープンから既に、何かしらのトラブルが発生したのかどうかは知らないが、明らかにトラブルに巻き込まれる事を回避することを目的とした張り紙。「忠告しましたからね。後はこちらは責任を負いませんよ」といわんばかりのその張り紙は見ていて少々気分が萎える。

流石に新しい施設だけあって風呂はなかなか綺麗で多様で、しかもそれぞれの風呂で共用のテレビが見れて、長く浸かっても飽きないようになっている。身体を洗い、一頻りそれぞれの風呂を楽しんで外に出て妻を待っていると、どうやら待合場所にはたくさんの子供向けのゲーム機が用意してある。どうやら甥っ子がはまっているという、魚釣りゲームもおいてあるようである。なんでも、お金を払うとより良い竿が手に入り、より大きな魚がつれるという課金方式のあれである・・・

見ていると浅はかなゲーム会社の姑息な手段にまんまと踊らされている無垢な子供達がダダをこねて親を困らせているようである。恐らくここに来ている家族の中には、子供があのゲームをやりたいが為に親にねだってこの銭湯に来ている人たちもいるのだろうと思わずにいられない。

自分で理性をコントロールできない子供をゲームで釣って、それをだしに家族を引き付けると言うなんとも古典的といえばあれであるが、そのようなビジネスモデルはますます下流化の流れを加速するだけでは?と思いながらなかなか出てこない妻を捜しに入口に。

カウンターを越えたところにも簡単な座れる場所があるので、ひょっとしたらそこで待っているのかも、と思い受付の人にそこまで人を探しに行きたいのですが・・・と聞いてみるが、「再入場は一切お断りですので」と頑なな態度。さっき中から出てきたところを見ていたはずだし、そこまでなら視界に入っているのでチェックもできると思うのだが、一切の例外は認めない方針のようである。

つまりは全てが性悪説に基づいて運営されており、「人は悪い事をするはずだ。だから先手を打って、こちらに迷惑がかからないようにしておこう。あとはそちらの責任です」というなんとも味気のない場所になっている。きっとそれでも十分利益がでているのだろうが、スーパー銭湯という少々わびしいが、残念ながらこれからの地方都市の地域の公共の場となる場所であるならば、少しは人間を信頼し、大らかな空間を作り出すことで問題を防ぐことができないのだろうかと思ってしまう。

どちらにせよ、二度と来る事は無いだろうし、またそんなに遠くない時期にここはつぶれるのではないだろうかと想像しながら、出てきた妻を連れ立って家路につくことにする。

2014年2月7日金曜日

岩村城(いわむらじょう) 1185 遠山景朝 ★★



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所在地  岐阜県恵那市岩村町城山
城郭構造 梯郭式山城
別名   霧ヶ城(かすみがじょう)
築城主  遠山景朝
築城   1185年
機能   城郭
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6日間の自由行動を終了し、最寄り駅で東京の実家でゆっくりしていた妻と合流し、実家で久々の両親との水入らず。折角なのでと企画していた岐阜地方への温泉旅行の為に京は朝早くから出発することに。

折角その地方に行くのなら、行程上にマッピングされている他の目的地に寄っていったほうが皆も退屈しなくていいじゃないかという理論で、幾つか設定された立ち寄り地の最初の目的地がここ岩村城(いわむらじょう)。

GoogleのCMのせいで「日本のマチュピチュ」のイメージをすっかり竹田城(たけだじょう)に持っていってしまわれた感があるが、その竹田城よりはるかに昔に険しい地形を利用し、その地形を拡張するかのように張り巡らされた石垣によって守られたこの岩村城は付近に霧が多く発生するために、別名・霧ヶ城(かすみがじょう)とも呼ばれ、「元祖日本のマチュピチュ」と呼ぶに恥じない城である。

戦国時代に防御の為に、木曽山脈の深い山の中に築かれたこの城は、全国でももっとも高いところに築かれた城として知られ、日本三大山城に名を連ねている。因みに他の二つの日本三大山城とは、下記の二つ。

備中松山城 (岡山県高梁市)

高取城での酷い経験を思い出しながら、今回は同行4人ということもあり、簡単に城に到着できることを祈りながら山道を進む。かつての城下町と思われる開けた観光地まで到着するが、どうやったら城までいけるのかあまり丁寧に案内がされていない。しょうがないので車を停めて地元の人に聞いてみると、まだ暫くまっすぐ道を進むという。

言われたままに車を進めると、数分もするうちに脇道への案内がでて、細い山道に入っていくとがけ崩れの為にこの先通行止めという看板が見えてくる。しょうがないので車と停めて、この先どのくらい歩けば城の到着できるのか説明してない案内板にイラつきながらも山道を上がることにする。

車に残る母親を置いて、着いてくるという父親と妻と一緒にかなり急な山道を上がっていく。暫くカーブを進んでも一向に見えてこない城の姿に、少々怪しい雰囲気になり始めた後ろの二人・・・しょうがないので、「どれくらいで着くのかちょっと先に行ってみてくる」と小走りで坂を駆け上がる。

するとすぐに石垣の一部と思われるものが見えてきて、その横には矢印を案内板が。「あったよー」と後ろの二人に声をかけ、その場で待っていると、暫くしてゆっくりと上がってくる二人。「どうやら、この先に石垣に登れる場所があるらしい」と説明する場、二人はここで引き返すというので、「ちゃちゃと見てくるよ」と言い残し先へ進むことに。

するとすぐに開けた場所が現われ、右手に回っていくと縦に切り立った石垣沿いに上がっていける石階段。「ほぅ、なるほど」と納得しながら、かなり立派な地形を上手く利用した石垣郡の間をすり抜けながら上に上がる。

するとパッと景色が開け木曽山脈が遠くに見えるようになる。岐阜圏内では岐阜城とこの岩村城跡の2箇所だけが100名城に選定されているが、それも納得の名城である。城跡で整備されていなくても、これだけ周囲の地形に適応しながら、この場に大きな勢力があったことをその跡からも理解させてくれる力を持った城跡である。

同行の三人を退屈させないようにと、さっさと見学を切り上げて、帰りも駆け足で石垣を下りていくことにする。










2014年2月2日日曜日

温泉津温泉(ゆのつ) ★★★★★



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世界遺産
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温泉津温泉(ゆのつ)。温泉に津と書いて、「ゆのつ」。
絶対に知らなければ読めない読み方である。

日本百名湯に選ばれる温泉であるが、なんと言ってもよいのは温泉街であるということ。良質の温泉に人が集まり、そこに街道が通り繁栄し、そのまま廃れることなく現代まで街並みを残し、現在も形骸化した観光地ではなく、しっかりとした地元の生活が感じられる温泉街。

この後車を運転し、更に目的を廻る必要もなく、街中まで食事にでて、車で返ってこないといけないからお酒を飲めないという心配をすることなく、温泉街の中を歩き回って昼から表情を変えた夜の温泉街を十分に楽しむだけというなんとも贅沢な宿泊地である。

そんな温泉街に泊まるなら、食事つきの宿泊にするのではなく、浴衣に着替え、宿の人から様々な情報を手に入れ、下駄をつっかけ外湯に浸かりに行き、地元の人から情報を聞いては何処か美味しいお店で酒をいただきながら、地元の美味しい料理をいただく。それが一番であろう。

その食事時に隣に居合わせた地元の人と「どこからですか?」なんて話が弾めば最高である。そうして旅の出会いを満喫し、ほろ酔いで宿にもどって内湯に入り、畳の上の布団でぐっすり眠って翌朝は早朝から内湯の朝風呂で身体と脳を温める。

これが宿で食事を取り、風呂に入り、酒を飲んでご飯を食べてしまったら、温泉街に一銭もお金が回らない。なおかつ温泉街の街としての雰囲気を味わうことなく終わってしまう。それでは意味が無い。街を楽しむために、歩き、人に出会う。それが温泉街の正しい楽しみ方であろう。

そんな風に素泊まりする自分を正当化し、運転と小走りでの参拝の繰り返しで緊張した身体と頭を弛緩させ、「千と千尋」の世界の様に、一晩温泉街の魅惑の世界にどっぷりと浸かる事を夢想し到着する温泉津温泉(ゆのつ)。

石見銀山でも書いたように、ここは石見銀山で取り出された銀を大森町から街道を通ってこの温泉津港に運ばれて、そこから博多に船により輸送された事から発展し、石見銀山周辺地域として揃って世界遺産に登録されたため、温泉街全体が世界遺産という珍しい温泉街である。

石見銀山の閉鎖に伴い廃れた事に伴うのか、過度に観光地化されておらず、あくまでも鄙びた地元の生活を漂わせる中心どおり。左右に古い日本家屋の旅館が並び、中心には温泉の源泉を提供する2軒の湯元。その「元湯泉薬湯」と「薬師湯」の湯元が共同浴場となり、地元の人と観光客の身体を癒してくれる。

レトロな西洋建築で如何にも「千と千尋」感を出してくれるのは「薬師湯」。こちらは女性を始め多くの観光客を惹き付けているようである。それにたいして「薬師湯」は、どちらかというと地元の人が利用する浴場で、その開湯は1300年前と言われ、伝説では大狸が入浴しているところを発見したものとされるらしい。

ちなみに入浴料は

元湯泉薬湯 大人300円
薬師湯   大人350円

となぜか50円の差。これは入りにいった「元湯泉薬湯」の番台に座っていたおばちゃんに聞いたところ、「薬師湯はシャワーがついていて若い人には身体を洗いやすいから」とのこと。

そんな訳でなんとも雰囲気のある宿泊宿にチェックインし、案内されるのは素泊まりなんで一番奥の部屋。しょうがないと荷物を広げてカメラのデータをパソコンに写し、カメラの電池と携帯の充電を始めながら明日の立ち寄り地の復習をし、一息ついたところで浴衣に着替え、宿の主人に色々と情報を聞いて夕闇に沈み始めた温泉街の中心通りを一通り散策しに下駄を履いて出かける事にする。

中心通りを一通り散策したら、今度は聞いておいたお勧めの食事どころを一つ一つ回ってみる。そんなに何軒もある訳ではないので、それぞれの店先でメニューを眺め、まだ日が暮れない温泉街をあっちこっち足を運んでみる。浜辺では地元の子供が遊んでいる
何とものどかな風景を目にすると、普段生きている忙しない日常と同じ世界の姿なのかと思わずにいられない。

お勧めだと言われた食事処に入ってみて、メニューを見せてもらうが、なかなか良さそうであるので、「また後ほど来ます」と言い残して再度宿に戻って風呂セットを持って内湯に向かう事にする。

カランコロンと石畳の道に良く響く音をさせながら、軽く坂になっている道を上がっていくと、左右に街と共に生きるような神社のこじんまりとした境内。小さな商店などを冷やかしながら10分ほど歩くと右に西洋建築の「薬師湯」、その先の左手に「元湯」が見えてくる。どちらに入ろうかと迷っているが、例の50円の差が気になって「元湯」のおばちゃんに話を聞き、できることならローカルの経験をとこちらに決める。

そうすると、おばちゃんが、色々と入り方を教えてくれる。なんでも、「真ん中にざばっと入ってすぐに上がって、それを5回繰り返して。詳しいことは中にいるおじさんが教えてくれるよ。」と。「はぁ?」と分かったような分からないような返事をし、300円を支払い中へ。

中に入ると、如何にも年季の入った温泉地らしいお風呂。珍しいのはその周りに裸のおじさん達が床に座って話をしている。そうかと思えば、風呂から桶で湯をすくい、ざばーっと身体にかけている。一人のおじさんは、その姿勢で石鹸で泡立てたタオルで顔を洗っている。つまり洗い場が無いわけである。

「これは少し観察だな・・・」と、猿の群れに紛れてしまったかのように周りを刺激しないようにとこっそり同じように床に座ってみる。暫く監察していると、三つに分かれた湯船は左から水、温かい湯、熱い湯という構成のようで、韓流ドラマの話で盛り上がっているおじさんが、数分建つとふと真ん中の温かい湯船に浸かってすぐに上がってきている。

「なるほど、これがおばちゃんが言っていたことか」と理解し、かけ湯をして自分も真ん中に入ってみる。しかしこの温度がかなり高い。数分耐えられずに上がる事にする。するとおじさんが、「熱いだろ」とうれしそう。

なんでも湯治場のスタイルで、さっと浸かってあがっては、暫くしてまたさっと入るのを繰り替えるのが身体にいいということらしい。こういう湯治の温泉は、2-3週間滞在して集中的にお湯に入り体質を変えるというらしい。

如何にも地元の漁師という40代とおぼしきおじさんも入ってきて「今日は何の魚が獲れた」だとか話をし始めるのを聞いて、港町の日常に舞い込んだ気分になり、せっかくだからと「熱い湯」に挑戦してみるが、とんでもなく熱すぎて、一瞬で低温火傷のようになりギブアップ。それを見ていたおじさんが、「チャレンジャーだな」とまた嬉しそう。

そんなこんなで何度か浸かり、すっかり身体を温めて外に出ると、番台のおばちゃんが嬉しそうに、「どうだった?良かったでしょ?」と聞いてくるので、「熱い湯」に入って酷い目にあったことを伝えると、「だから真ん中だっていったでしょ」とまた嬉しそう。

徐々に「千と千尋」の世界に紛れ込んだ気分に浸りながら今度は坂道をカランコロンと下りて行く。慣れない下駄で少々足が痛くなりながら、我慢するかと宿を通り越し、先ほど覗いた食事どころに向かう事にする。一度温泉に浸かり、これでもう今日は運転もしないので、後はお酒を飲んで美味しいものを食べてと、何とも幸福な時間である。

カウンターの席につき、つまみとビールを注文し、如何にも地元の良いお店という感じの店の雰囲気を楽しみながら食事をいただく。カウンターの逆サイドでは、60歳前後と見られるご夫婦が。如何にも豪快で、地元のどこかの企業の社長風情の旦那さんはお店の常連らしく、なんでも今日は30年目の結婚記念日と言う事で、女将さんにもビールを振舞いながら楽しそう。

そんなセッティングなのでなんとなしに話をするようになり、日本酒をご馳走になり、説教されたり褒められたりと、なんだか良くわからないが楽しく一緒に酒を飲む事になる。なんでか分からないが締めに干瓢巻きを注文し、「これは手で契って食べるのが一番美味しいんだ」と一本いただくことに。

「なんだ奥さんはおいてきたのか?」と尋ねられるので、「仲はいいですよ」ということで、なぜか妻に電話する事に。もちろん突然の酔っ払いからの電話で事情が分からない妻に、簡単に状況を説明し電話を変わる。「なんだか楽しそうね」と電話口の妻。

お酒を飲まされたすっかり酔っ払い始めている女将さんから聞いた情報によると、地元の板金会社の社長さんというその旦那さんは上機嫌の様子で、「君は我が家に泊まればいい」と二人しか乗れない車で来ているという奥さんに、「俺は歩いて帰るから彼を送っていってやれ」と一人フラフラしながら歩いて帰っていってしまう。

ポカンとしてみていると、それを追う様に軽トラで追っかけていく奥さん。「そりゃ二人しか乗れないな・・・」と思いながら、久々に大量に飲んだ為にこちらもフラフラしながらお会計をしてもらい、ほとんど記憶をなくしながら、カランコロンさせながら夜の温泉街を一人歩いて宿まで戻る。

温泉街。千と千尋ではないが、夢の世界に迷い込んだようなとても素敵な時間である。