ラベル 芸術 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 芸術 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年12月3日火曜日

音楽家の作り方

コンサートに足を運ぶことが少しだけ日常の中に入ってきた2013年の秋。

いくつかのコンサートを体験して思わずにいられないのは、音楽家の作り方。こんな現代を代表する大国の首都にあるオペラハウスで演奏するくらいの音楽家というのは、それはそれは業界では大成功。天才と呼ばれながらも努力を辞めなかった人たちばかりだと想像する。

様々なドキュメンタリーや映画で見るように、そんな世界的音楽家になるには、まさに「ファースト・ポジション」のような生活を幼少期から送っているのだろうと想像する。小さい頃から英才教育を受けて、学校教育では受けられない特別なレッスンを受け、地域レベルから国レベル、そして国際レベルへと指導者も変えながら成長していく。

世界がフラットになり、競争者が増えたことは、その競争をより厳しくさせ、開始時点をより小さな頃にさせる。音楽や踊りだけに関わらず、体操や水泳、様々な芸術とスポーツに同じ事が言えるであろう。そして競争が激しくなればなるほど、一流と呼ばれる教育には差異化の為に膨大なお金が必要になる。

つまりその経済的余裕がなければ競争に参加できないか、良い指導者というスペシャル・アイテムを手にする事ができない。「それが不公平か?」と言われると、おそらく人類の歴史上、このような特別なポジションを手に入れるには、多かれ少なかれ同じ事が繰り返されて、ある種の特権者だけがその競争に参加できたのだろうと想像する。

かつてはそれが階級や家柄などで守られていたかもしれないが、それが徐々に取り払われたこの資本主義の世界では、新しい差異化の手段として経済性を採用するのは一番安易な方法であるが、一番効率的なものであるといえるのだろう。

それがいいかどうかは別にして、こうしてステージの真ん中に一人立ち、小さなころから慣れ親しんできたその楽器から、「どうやったらこんな人を感動させる調べが奏でられるのか?」と思うような演奏を聴いていると、やはりこういう芸術的才能は小さい時から特別な教育を施さないと獲得できないものなんだろうと納得してしまう。

その身体を使い、楽器から創り出された音が空間を充満していき、徐々に人々を酔わせていく。その過程を見ていると、それこそ時代によってはある種の魔術師だと思われていたに違いないと思ってしまう。

恐らく芸術家についても同じような事が言えるのではと思う。芸大に入るような人というのは、油絵にしても彫刻にしても、やはり小さいころから親の影響などで特殊な教育を施されてきたという人が多いのではないだろうか。

そこで思わずにいられないのが建築家。果たして建築という極めて理性的でありながら芸術的感覚を必要とする職業においては、上記の音楽家、芸術家、運動選手のような幼少期からの特別な教育が必要、もしくは幼少期からの特別な教育を受けていればその分だけ能力が高くなることは可能であるか?

その答えのヒントになるのが、有名建築家の息子として育った人物で、同じく建築を職業としている人たちが父親同様、もしくはそれ以上の才能を発揮しているかを見ることがいいのかもしれない。少なくとも普通に生活していたらなかなか接する事のない建築家という職業。そのために父親という存在を近くで見ながら育つ事は、必然的により深い理解を身体の中に入れながら成長する事と同義であろう。

世界中を眺めてみても、どうも二世で成功した建築家は少ないように思われる。もしくは建築家としての生活を見ながら育つと、それと同じ道に進むのは嫌だと別の世界に行く人が多いのだろうと思うし、親もまたそう願う事が多いのだろう。

そもそも根本的な前提が違っていて、芸術家や音楽家の様に、親がなって欲しいと期待する職業に建築家が入っていないために、その様な特殊教育を受けさせるシステムが発展していないとも考えられる。それはイコールで、音楽家や芸術家のように社会的ステータスと経済的成功を獲得できる位置に建築家がいなく、成功や名声を求める親達にとっても魅力がないということか。

それとも違い、建築という社会に深く関わる職業であるからこそ、小さいころから将来を定め、ある一つの目的の為に盲目的に突き進む事は返ってその職業的視点を狭めてしまうことになるということかもしれない。

まぁとにかく世界的な音楽家を作るには、幼少期からそれなりの育て方が必要であるように、もし感性の豊かな建築家を育てるのなら小さな時にどんな事が必要であろうかと考えてみる。プリツカー賞受賞建築家である伊東豊雄が主宰するようなものがそれにあたるのだろうか?

恐らくそれよりも、日本全国に散らばる長い歴史を持った寺社仏閣を丁寧に見て周り、そこで何かを感じる事を育む事の方がよっぽど建築家として場所を読み解く力に繋がると思う。

まぁとにかく、建築家なんて育てられてなっても恐らく長続きはしない職業であって、自ら覚悟をもってでしか長い建築家人生を全うできないんだととりあえず納得する事にする。

2013年8月15日木曜日

「風の歌を聴け」 村上春樹 1997 ★★★

----------------------------------------------------------
第22回(1979年) 群像新人文学賞受賞
----------------------------------------------------------
かつて「ロンシャンの教会」を見に行った時に、たまたま訪れていた日本人の女性と一緒になった。話を聞くと仕事でパリに住んでいる旦那さんを訪ねに来たついでに、昔からいつか訪れてみたいと思っていたこの建物を見に来たという。

興奮した様子で、「何年も前に見た雑誌の、その時想像した日の光と影と樹々の緑と吹き抜けて行く風。その想像通りの空間がここにある。その中でこの建築を体験できて本当に幸せだ」と言っていた。

それを聞きながら若い建築学生は、一人心の中で感動を抑えられずに涙を流しそうになったのをよく覚えている。心の中を「ブワッ」と風が吹いて行ったような気がした。

「この世の中には、この人の様に素晴らしい感受性で建築を経験してくれる人がいるのか」と、その事に感銘を受け、そして「自分にもいつか誰かを、そんな風を感じさせてあげられる可能性があるのだ」ということに心が震えた。

あの日の自分は間違いなく風の歌をを聴いたのだと思う。

29歳の時の処女作。流石だと思うのは、ウィットに飛んだ表現や、自由気ままな登場人物に振り回されるような話の流れだが、最終的には一つの物語としてちゃんと着地してしまうところ。これが趣味で文章と戯れるのとは違う文章を職業とする人のなせる業なのかと唸ってしまう。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

そんな言葉で始まる物語。様々な人物に出会い、徐々に人生を生きていく自らの思想の基礎を作り上げる20代。10代最後の夏が何か少し甘酸っぱい味をさせるように、20代に築いた言葉達を持ってこれから社会と対峙していく後戻りできないような20代最後の夏はまた違った味がするものだ。

「今、僕は語ろうとしている。」

「文章を書くという作業は、とりもなおさず自分と自分とを取り巻く事物との距離を確認することである。必要なものは感性ではなく、ものさしだ。」

「暗い心を持つものは暗い夢しか見ない。もっと暗い心は夢さえも見ない。」

20代最後の夏までに積み上げた頭の中を浮遊する言葉達。その言葉達に一本の筋道をつけ、物語を紡ぎ始める。頭の中から溢れ出る言葉を書き留めるために語るのか、靄のような曖昧な目の前に浮かんでいるものをつかめるようにするために語るのか。


「真の芸術が生み出されるためには奴隷制度が必要不可欠だから。市民は地中海の太陽の下で詩作に耽り、数学に取り組む。芸術とはそういうものだ。夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫をあさるような人間には、それだけの文章しか書くことが出来ない。そして、それが僕だ。」

20代、あれやこれやと悩みぬいた青年にとっては、果てしなく真実であろうこの言葉。芸術の持つある種の特権性。自分の明日が見えない人間が、他人の未来を照らす芸術を作り出せると言うのか。

「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ」
「金持ちであり続けるためには何も要らない」

現代において特権的である為に必要な経済性。その経済的優位性が、同時に芸術的優劣に投影されなくなって久しい時代。豊かさが細分化し陳腐化していった先に、特権階級の社会的、芸術的責任がないがしろにされている時代。

「人間は生まれつき不公平に作られている。」

誰の言葉だろうと関係なく、夢を追い求めては悔しい思いをする若者には紛れも無く事実である言葉。それを嘆いている間はまだ若いという証明なのだろうか。

「文明とは伝達である。もし何かを表現できないなら、それは存在しないのも同じだ。いいかい、ゼロだ。」

伝えること、それが人類が誇れる数少ない発明であろう。如何に伝えるか?その為に様々なイノベーションが行われてきた。では、何故伝えるか?何を伝えるか?それに目を向ける時代に入っているのは間違いなく、伝えられる側がそれを望まなくなった時代にどう新たなる伝達が可能かを真剣に考えていく時代になるだろう。

「街にはいろんな人間が住んでいる。僕は18年間、そこで実に多くを学んだ。街は僕の心にしっかりと根を下ろし、思い出のほとんどはそこに結びついている。」

街というのは、多様な人間の、多様な生き方を写し取る巨大なノートの様な物で、どんな物語の舞台にもなりうる。必要なのは多様な登場人物達を抱え込み、都市という舞台環境を与えておけば、勝手にドラマを演じ始める人間達。その中で想定していない様々な感情を生み出し、傷つき、喜び、そして去っていく。これもまた人類の成した大きな功績に数えられる。

「あらゆるものは通り過ぎる。誰もそれを捉えることはできない。僕達はそんな風にして生きている。」

この世の全ては「流れ」の中に存在する。その「流れ」がどのような時間のスパンに属しているかは様々だが、留まることは淀むこと。淀むことは死ぬこと。自分のことをまだ「僕」と呼ぶ20代の最後。自分では決してコントロールできない「流れ」の中で、「流される」のではなく、自ら「流れる」ことに向かって生きていく。

ニーチェの言葉としている「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか」の引用で幕を下ろすひと夏の物語。そんな言葉をニーチェが言ったかどうかはどうでもよく、それもまた「僕」が聴いた風の歌の一部であろうと思うこと。

人生にそう多くは吹かない大切な風の歌を、できるだけ耳をすませて聴いていく。それが「流れ」の中で「流されず」に生きていくことにつながるのだろうと思わずにいられない。