運転免許書の更新や、国民年金の口座引き落としへの変更手続きなど、どうしても本人でなければ出来ない様々な雑事を処理するためと、いくつかのプロジェクトの大切な打ち合わせに参加するための帰国。
その間にできた1日半の時間を有効活用するために足を伸ばした長野・上越地方。
午前中の打ち合わせが思ったよりも長引き、12:24分発の長野新幹線「あさま」に乗るために走って東京駅に到着したのが12;15分。駅前のチケット屋で格安チケットを手に入れ、差額500円を駅弁に当てて飛び乗る車両。
1時間半の移動の間に、読みかけの小説を終えてしまって後は睡眠を貪ることにし、あっという間に到着する長野駅。
予約してあった、レンタカーをすぐに見つけ、閉館時間前に何とか見学を終えたい美術館の住所をナビにセットして上信越自動車道を飛ばすこと1時間。「これぞ上越」という米どころの風景を堪能しながら到着する美術館。
その名称から、テレビドラマの「おしん」の舞台だったのか?と思っていたが、親鸞の奥さんであった恵信尼(えしんに)がその晩年を過ごした場所ということから、その功績を紹介するのを目的に建てられた記念館であるという。
片持ちで張り出された連れなる壁に横目にぐるりと回ってエントランスに。入り口に池原作品らしさを感じながら中へと入り見学開始。そんなに規模の大きくない建物なだけに、付随する建物を見学しても30分あれば十分にぐるりと見学できる。
そうして感じる違和感。浅蔵、酒田で培われた細部の建築言語は確かに使われているが、両建築では細部が主題になることなく、おおらかなでありつつ緊張感漂う絶妙な建築空間が漂っていたが、どうにもそれが感じられない。まるで入るべきの魂が抜けてしまっているかのように。
杉板型枠で荒く仕上げられたコンクリート。その壁が長く伸びては水平な広がりを醸し出し、いつまでも永遠に続くのではなく、物質として止まる意思を表すかのように折り曲げられる端部。ただの折り曲げに拠る「停止」の表示ではなく、片持ちによる重力に対する「力学」の表示。
それは良く分かる。池原作品として成り立たせるための建築言語とシグネチャー。しかし以前の作品で感じられたような、この場所でこの形態でなければ成立しないという零度の緊張感が感じられない。
何故だろう?と思い始めると、そのすべてが池原作品にするための操作に見えてしまう。
以前の作品に感じられていた、形態以上に生まれる空間の性質。直線がある以上の長さを持つとそこに生まれる動きの力学。同時に絶妙にコントロールされる見るものと見ないもの。それが壁にそって移動する空間を起伏に富んだものにする。
しかしここの壁は、それが空間を規定することはなく、壁の存在を見せようとするジェスチャーの様に存在する。外部に存在する壁の意義が、そのまま内部の空間に影響を与える。そんな関係性はここには見えない。
そう考えると、1928年生まれの池原氏。
所沢聖地霊園は1973年で45歳。
浅蔵五十吉美術館は1993年で66歳。
酒田市美術館は1997年で69歳。
ゑしんの里記念館は2005年で77歳。
こう見ると、77歳で自らすべてと統括して設計を進めていたとはやはり考えにくく、そうなると設計事務所として池原作品を踏襲しながら設計を進めていたと思われる。しかし建築が工学と芸術の狭間に存在するのを証明するように、その設計も個人の感覚に負うところが多く、このような芸術性の高い芸術作品を作るうえではノウハウは受け継ぐことができても、やはり何かが違ってしまうのだと妙に納得してしまう。
建築家として現役でいられる時間の中で、10も20も名作と呼べるような建築を残せるはずも無く、せいぜい数点、自信を持って次の世代に残せるような建築を残すことができたら、建築家としては幸せな一生であろう。その為に、無駄に過ごす時間は少ないと改めて思いながら次の目的地へと向かうことにする。
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